はてなキーワード: 依存症とは
ようやく俺はミッションを達成した。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。とはいえ、それを順を追って話すには、俺や無漏系男子の皆さんの持っている時間は少なすぎる。なので簡潔に記述していく。
重要なのは筋肉の使い方だった。それが分かるまで、あらゆる体勢で自慰行為を試してみて時間を大いに無駄にしてしまった。
もちろん、過激なセルフ手こき禁止による感度アップ、受動的エロ鑑賞封印による性感神経の開通も意味があったのだが、より重要なのは筋肉に違いなかった。
ケツと太もも上部の裏表の筋肉。そこを収縮させたまま秒速2回以上でピストニングすると、俺の精嚢が反応してくるのである。そのため、股を開ききった正常位や、足を正座にしてケツが張ってない状態では、ちっとも気持ちよくなれなかったのである。これについて、筋肉の緊張にもっとも理想的なフォームは足ピンである、と俺は結論づけた。しかし、それでは腰が触れない。そのため、現実とのある程度のすり合わせが必要となるのだ。(それにしても、足ピン依存症だった人間は、決してそこから離れることはできない、ということなのだろうか)
ある日、彼女と正常位でドッキングした俺は、両足を徐々に後ろにずらしていって、腕立て伏せのひざ立ちのような体勢に変形した。動くぞ。俺が言った。わかった。俺のケツと太もも上部の筋肉が答えた。そして俺は射精したのである。精子はゴム先から3cm分くらい下に溜まるほど大量であったし、ラストピストニングをしていたチン先はしびれるほど気持ちよかった。
さて俺の話はこれで終わりだ。
最後になるが、例の体勢は、一番奥に当たる、と彼女が言っていた。気持ちいいらしい。これに生物学的な何らかの意図があるのか、俺には分からない。
特にプッシュ通知は無い。
LINEの通知は切っている。
Facebookのアプリも、メッセージアプリも入れていない。
それが原因なのかな。
ふとした瞬間、それは非常に頻繁で、例えば仕事をしていたとしても、
数十分に一回は、Facebookを覗きたくなってしまう。
今見たからと言って、さして変化が起こっている訳でもない。
また、例えば変化が起こっているからと言って、
喫緊で見なくては困るような通知は非常に少ない。
ほぼないと言っていい。
もっと言うと、閲覧が1日遅くなったからと言って、誰も困らない。
これは、絶対だ。
誰も困らない。
一人の喜びを構成させるにも至らない。
でも、見たくて見たくて仕方がなくなる。
Facebookを異常なほど見たい。
見ないでいると、そわそわする。
我慢の紐を解きはじめる。
何かと理由を付けて見たくなる。
一度見始めると、
先ずはFacebookを見て、Hotmailアカウントを見て、
Mixiを見て、一回りしたら、Facebookをまた見たくなって、見て。
またMixi見て、Hotmail見て・・・。
もはやそこに、利点はない。
アカウントを削除すればいいのだろうけれど、
今まで繋がったFacebookのつながりが、
いつかどこかで生きるであろうと考えると、
SNSというのは、
この、どうしようもない、
見たいの衝動を無くしたい。
1年ぶりの中耳炎
夜中左耳の痛みに悶えて眠れなかった
寝る体勢だと痛みが増すらしく、仕方がないからただ痛みのことだけ考えながら座ったり立ったりを繰り返してた
なんで臥位だと痛み増すの?誰か教えてケロ
ググったらストレスのせいかもしれないって
依存症だらけで死んじゃう
世間はお盆らしいね、まあ私は年中休みだけどお盆ぐらい休みたいのかな
市内の病院5件電話して全部で「夏休みをいただいております」って言われた時はiPhone5Sぶん投げようかと思ったよ
でも思い留まれたしそんなに遠くないところでやってるところが見つけられたからハッピーって感じ
今度からここに行こう、春には引っ越すけど
痛みが消えた
やっと永眠できそう
おやすみなさい
最近、藤田伸二の名前をさっぱり聞かないなと思って、暴露本を出していたことを思い出して購入。
この本は福永と岩田はへたくそ、ディープは良い繁殖をもらってるだけ、エージェント制度が悪い。全部JRAが悪い・・・要するに「昔は良かった。今は駄目だ」以上でも以下でも無い。競馬ファンに多そうな懐古趣味者には受けるだろうが、建設的な提言は何もない。今の競馬界がとにかく気にくわないけど、惰性化・依存症化してて馬券を買うのを辞められないという人にはお勧めだがそれ以外の人は読んではいけない。
馬主や大手生産者の発言力が多い現状には弊害点もあるだろうし、昔気質のホースマンにはそれが我慢ならないだろうが、しかし今さら騎手を徒弟制度の下で育成するようには戻れまい。そもそも藤田だって自分で営業をするような昔気質の騎手ではなく、かつてはエージェントを付けていたような騎手である。そのエージェントが亡くなって以来馬の質が落ちたと言われるが、手を差し伸べるエージェントや厩舎は居なかったのだろうか?あるいは藤田は営業をしなかったのだろうか?それほど藤田は競馬界から孤立してるのだろうか?
「サンデーサイレンスは良くない繁殖からでも走ったけど、ディープインパクトは良い繁殖しか与えてないから走るのは当たり前」というのは藤田自体は血統に詳しくないとはいえ明らかな事実誤認であろう。例えばトウショウボーイがくじ引きさえ当たれば零細牧場の繁殖に気楽に種付け出来る種牡馬だったのは有名だけど、サイレンススズカの稲原牧場がワキアにサンデーを種付けしようとしたときだって、デビュー前の一番安価な次期なのに「他の種牡馬の株を処分すればなんとかつけれなくはない」という感じだったと聞いている。
競馬ブームの余韻で中小牧場だって今よりは潤ってたかもしれないが、サンデーサイレンスが駄目な繁殖に気軽に種付けできるような種牡馬ではないはずである。日高産のサンデーサイレンス産駒の一番の出世頭であろうスペシャルウィークだって、母系はシラオキ系で母父はマルゼンスキー。ボトムラインを辿るととその時代時代の日本で種付けの出来る最高級の種牡馬がゴロゴロ出てくるようなスジの通った血統である。
さて、この本が書かれた当時は武は落馬事故の後遺症と社台グループとの確執が噂された絶不調期だったためか、全体的に藤田は武に擦り寄るような記述が多く見られる。しかし、2年建ち武は、リーディングも五指に入る程度まで回復し、サンデーレーシングの有力馬にコンスタントに騎乗する機会も増えつつある。しかし、藤田はこの本の出版から二年が経つが相変らずの状況だ。気力・体力が限界というなら「さらば競馬界」とまで啖呵を切ったのだから、鞭を置くべきではないのか?それとも、「2000勝したら画家に肖像画を描いてもらうのが恥ずかしい」と言いつつ、2000勝に拘っているのだろうか?
男を自称する人間ほどその本性は女々しい物があるが、要するに藤田も本性は女々しい男なのだ。競馬界を批判しつつ競馬界にしがみついているのだ。
仮に騎手を続けたいなら、現在の藤田のような札幌と内地の競馬場(の調整ルーム)との二重生活ではなく、栗東に腰を落ち着け、厩舎回りや追い切りを積極的にすべきだし、札幌住まいに拘るならホッカイドウ競馬に移籍すればいい。今の藤田は重大な決断をすることも出来ず中途半端に生き霊のように、惰性で生きているようにしか思えない。
夜寝る時、布団で寝ない。
テレビやらビールやら本があるリビングのソファーで寝てしまう。
そして嫁に朝、怒られる。
今までは、めんどくさいとか、ずぼらだとか、疲れてるからとか思っていたけど
どうやらそれは結果であって原因ではない気がしてきた。
そのときの心理を考えてみると
↓
「朝がこないでほしい」
↓
「寝てしまうと朝がくる」
↓
「出来るだけ夜を長く過ごす」
というものだ。
そして出来るだけ夜を長く過ごすつもりが
そして当然そこは布団でなく、テレビやら本が近くにあるソファーなのだ。
これはアルコール依存、薬物依存などの依存症に近い状態なのだと思う。
ただの身体的疲れでなく、精神的な疲れが大きく影響しているのだ。
連続飲酒、パチンコ通いその延長にソファー寝があるのだと思う。
だから嫁よ、いたわってくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20150717234407
意味を間違って使っている癖に主張自体は的のど真ん中を射抜いている。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって奴か。
白黒をはっきりさせずぎ、ほどほどにバランスをとることができない。
何かあると反射的に反応する、または何の反応もしない。
何が正常で何が異常かわからない。
アルコールや薬物(医師からの処方薬剤も含む)の依存症になっている。
目立たないようにスーッと消える。
生真面目で他人の言うとおりにする。
いつもせかせかと衝動的に行動する。
何か起こるのではないかと常に恐れる。
何事も完璧でないと気がすまない。
顔や体に表情がない。
何かが変わることに対する恐れが大きい。
抑うつ状態に陥る。
自分の感情が鈍麻していたり、体からでるメッセージに気がつかない。
怒りが爆発したり、いつもイライラしている。
権威ある人の前に出ると過剰に萎縮する。
記憶力が鈍ったり、または反対に嫌な記憶に悩まされて胸がドキドキしたり、悪夢を見たりする。
自分はいったい誰で、どんな人生の目的を持っているかわからず、自己が確立していない。
対人恐怖があったり、ひきこもりをしている。
ネットの闇に潜んでいる狂人共に実によく当てはまりそうじゃないか。
アダルトチルドレンの最大の特徴は「自己評価の低さによって他人の評価に振り回されることだ」
自分の意見が他人から見て完璧に正しいかどうかにいつもビクビクしているのさ、自分がそれでいいと思っているからまあ多少変に思われたっていいさと割り切れないんだ。
だから自分と少し意見が違う奴を見つけると必死にマウントして誰が見ても自分の勝利に見えるようになるまでボッコボコに殴りつけて虫の息にしようとするのさ。
奴らがやるべきことはそうやって「ひたすら自分の正しさを主張し続けること」じゃなくて「心の病を認めて治すこと」なんだ。
そこに辿りつけないままひたすら出口のない迷路で無限リスポーンデスゲームを続けている訳だ。
滑稽ではあるが哀れでもある。
「自分の心の病を認めたら負け。悪。」とか「自分の性格の問題を病気のせいにするな」なんてクソったれな空気が蔓延しちまったこの時代そのものが実に哀れだぜ。
泣けるね。
欧米はアルコールどころか薬物依存症でもかなり放って置かれているというのが本当かも知れませんよ?
薬物依存症の人も最初は酒から入っているはずですし、モーガン・フリーマンはアルコール依存症を克服するのに大麻を使った、あれはコントロールできて良かったみたいなことを自伝で言っているらしいです。
ロシアでは昔は貧乏だったからこその強い酒だったのかも知れませんが、経済発展で手に入る酒の種類や量が増えたらアルコール依存症で死ぬ人が相当増えたらしいです。
日本酒4号を毎日というのを10年続けると依存症にほぼ確実になるらしいので、日本の潜在的な患者はうつ病や統合失調症の人よりも多いという相当深刻な状況らしいです。
酒をたくさん飲めたら良かったという人はうさを晴らす目的で飲むことが多いと思うので、余計に危ないですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150704181823#tb
を読んで自分のかつての廃人っぷりがよみがえってきたので書く。
県内で1番の進学校にいたものの、いまだに続いて驚きの某MMOにどハマりする。
総合レベルランキングに回復役のプリーストながら50位以内に入る。
無謀にも難関大学志望だったので、当然落ちる。
落ちた際に、装備をリスクのある強化を繰り返し、壊して、
【大学時代 前期:】
自分で言うのもなんだが、遊戯王でかなり強くなり世界大会で優勝した。
コナミの本社にも呼ばれて表彰される予定だったが、ジャンプに掲載される
可能性があるとのことで、大学デビューを果たしていた自分はゲームおたく
属性を隠すために断った。
世界大会は決勝戦で、相手が将棋で言う投了をした前代未聞の事件が起きたので
やってた人は知ってると思う。
遊戯王は、家のPCが新バージョンに対応できなくなったため辞めた。
【大学時代 後期:】
MMOをやりこんだため、ちまちまとレベル上げをするゲームが好きだったのだが、
FPSに手を出す。
暇な学部だったこともあり、1日平均4時間、夏休み1ヶ月1度も家に出ないまま
プレイし続けることもあった。(実家暮らしだったため衣食住には困らなかった
鍵を無くさない仕組みをいっしょに考えろよ。
ストラップと自動巻き鳥リールみたいなの付けて、ベルトにクランプで下げるとか。
依存症を疑ってるんなら便利なサイトもあるし、関東に住んでるなら国内一の病院も近い。
だが返ってくるのは怒りか悲しみか怯えだけだ。
俺が返したのは怯え。数年後には嫁はすっかり増長し、事あるごとに怒るようになった。
俺は混乱し、嫁の呼びかけに「はい」とも「いいえ」とも取れる生返事しか返せなくなった。
そんな状態が長続きするわけもない。
あるときスマホを取り上げられ、子供のPTAに支障が出たので返すよう迫った。
このどちらにもならない自信あるか?あるんだったらご自由に。
大半の人間は周りの環境等によってなんとなく酒を飲み始めるんじゃないだろうか。
以下の様な基本的な事柄でさえ自分で飲んだり、見聞きしていって実感できたことであり、
守れない人間も世の中には山のようにいる。
・酒は酒の味や料理や会話を楽しむために飲むのであり、酒を飲むために飲むのではない。
・酔いが回るまでタイムラグがあるので一気に飲まない。
・がぶ飲みしない。酒はジュースではない。
・外で飲む前に、家で自分がどれぐらい飲めるのか把握しておく
・飲める量が多いからといって偉いわけじゃない。飲めない者を笑ったり、飲める量を誇るのは愚か者である。
・他人に強引に勧めるような人間の近くには座らない。一緒に飲まない。
・飲み過ぎて醜態を晒すのはガキのすることであり社会人失格である。
・
罪悪感というより自分への嫌悪感かもしれない。自尊心が傷ついた。
誰に何をされたわけでも言われた訳でもないのに自分にショックだ。
もともと、物語やキャラクターにそこまで入れ込めないほうだった。
映画を見ても「俳優が頑張っているな」、マンガを見ても「漫画家が頑張っているな」という感じで、
キャラクターについては単に「絵」という認識で、人がキャラクターについて語っているのには付き合えても、
自分が主体的に熱烈に語れるかというとそんなエネルギーは無かった。
いわゆるオタクに目覚めるというか、絵に描かれた異性に恋すること(腐女子化を含む)の初体験の年齢って、
一般的には小4~中2くらいの時期に集中しているように見えて、
恋とまでは行かなくても「そのくらいの年頃でチュンリーで抜いた」的なエピソードはネットのそこらじゅうに転がっている。
私はそういうのは「ナシ」と思っていて、いや、そういうのが好きな人は自由にすればいいんだけど、
私はそういう風に思おうとしても思えない体質なんだなみたいに思っていた。
そのまま大学まで卒業して社会人になって、こんな年齢になったら今更二次元にとはならないと思っていた。
それに、小中学生で二次元に目覚めても、成長して生身の恋人が出来たら二次元は忘れていく、
そういう経験談がネット上ですら多いものだから、三次元から二次元という「逆行」は起こらないんだと思ってた。
でも私に起こったのは完全にその逆行で、中学の頃からずっと三次元の好きな男や彼氏が居たのだけど、
いま彼氏と別れていて、そのタイミングで唐突に二次元のキャラクターにハマった。
原作のそのキャラクターを見ているだけでも「もうなんだこの人、えっちすぎる」という感じで、
いや人じゃないし、絵だし、それに原作でえっちすぎる描写とか無いし、えっちすぎるとしたらそう解釈する頭の問題だし、
そう冷静に思おうとするのだけど、ブレーキがかかりきらずに滑りながら突き進んでいるような感じで、
暇さえあればツイッターでキャラクター名を検索しまくり、ファンが描いてる絵を見ては「ああああーーーーかっこいいーーーーー」とか、
「かわいいーーーーーー無理ーーーーーーーーー」というテンションで、脳がバグってるような感じになった。
オタク話がわかる友達など一人もおらず、この話を共有しようものなら心底気持ち悪がられて軽蔑されそうで、
でもツイッターからあっという間にpixiv依存症になり、こういうの「○○沼」とか言うんだってね、ファンフィクションのR18にどっぷりになった。
そのキャラクターのR18作品の新しい投稿を待ち続けるような感じで、こんなの人としてダメだろと思うんだけど、
そのキャラクターのR18が幸せすぎて止められなかった。「BL」でも「NL」でも単体のエロでも、そのキャラさえ居れば全部幸せだった。
生身の恋愛でもこんなテンションになったこと一度も無かったのに。
女性オタクの間でも好きなキャラクターをオカズにするかってところになるとタブー感があって、
「私はそこまでじゃないです」的な一線を引きたがる人が多いように見えるし、
オタク暦の浅い私が急速にハマって一気に一線を越えてしまったみたいなの、すごくみじめというか、
やっぱり少数派なんだろうか、エロ絵は描いたり楽しんだりしても「かわいいね」と愛でるもので、
オカズとかそういうのは引くわっていう女性が多いんだろうかと、普通を探してもどうしようもないんだけど、
思うばかりで、なんか混乱のさなかだ。
ただ冷静に思うのは、私はストレートなんだけど、女性の創ったものでしたんだなと……。
そして男性のオタクはこういう同性内エコシステム(???)的なものの中に、ずっと前から自然と居たのだなと。
これは友達に審査されていると感じているわけではなくて、自ら問題を急いで解いている気持ちになるということだ。
自分は沈黙が嫌いなので、人といるときは常に話題を考えている。個々のニーズにあった情報をまずなんとなく捉えてから、その分野におけるニュースが無かったか脳内で検索する。そしてニュースがあれば話題として提供する。
また、そういった話題がない時は、その人の変化を感じとる。髪を切ったとか、おしゃれなアクセサリーとか、服のブランドとかだ。もしくは共通の友人の話でもいい。
さらにそういう話題もない時は、共通の空間について話題にする。天気の話とか暑いとか寒いとか冷房効きすぎとかテレビの芸能人がかっこいいとかこのインテリアいいよねとかだ。
こういうことをずっと頭の中でぐるぐる考えているので、とても疲れる。更にはそれぞれの話題に笑いを入れたいという自分のこだわりもあるので、無理やりオチも考えないといけない。しかし相手はこっちが必死に話題を提供しているのもお構いなしにこっちの話題に流されるまま頷いたり笑ったりしているだけである。
努力の甲斐もあって話題の尽きることなく約3時間のカフェの戦を終えて帰路につく。
家に帰ると猫が待っているのでじゃれて遊ぶ。それとともに出るため息。疲れた。
なんのために友達関係を維持するのかというと、ぼっちになりたくないからだ。つまり、変に目立ちたくない。自分が最も恐れているのは世間の陰口であり、体裁を最優先に生きている。
猫はいい。話題を考えなくていいから。全てが楽にコミュニケーションが成立する。それでいて癒しをくれるから、依存症になっているのかもしれない。