俺は膣内射精障害、いわゆる無漏症だった。それは、くしくも童貞を卒業した瞬間に約束されたものだったと思う。ヌルッ、あれ? あんまし気持ちいくない・・・いや、動かせば違う筈だ。ズコッズコッ、あれ? これだけなのか? そんな・・・何かの間違いだろう・・・こんなバカなことが・・・いや、まだだっ。まだ終わらんよっ・・・ズコズコズコ・・・あ、足疲れた・・・ズコッ・・・イ、イケない。そして、その日、俺が射精することはなかった。いや、正直に話そう。今に至るまで、イケたことはない。
彼女には機会があれば挿入してきた。全部で5回くらいだろうか。彼女には膣内射精障害についてインフォームドコンセントをしておいた。そのため、瑣末なすれちがいなどは起こりようがなかった。このチンポはニセモノじゃないし、君に責任はない(処女であった彼女は自分が変なのかしら、とよく言うのだ)。俺のおチンチン様もお元気であるからして、すべての原因は今までに繰り返されてきた間違ったオナニーなのだ、と俺は言った。床オナのジェスチャーやAVを実際に見せながら、丁寧に。経緯を知った彼女が「ばかぁー!」というのは可愛らしかったが、イケないという現実に変わりはかった。
実を言えば、予感はあった。膣内射精障害について、その存在を知った時から、ずっと。俺は幼少~少年時代は足ピンの床オナマスター。家族が集っている居間のこたつの中でも事を成すほどの常習犯であった。そう、まるで近親相姦系エロマンガのように日常的に床オナしていた。その後、高校生になると、きちんと棒をこすったオナニーをやるようになったが、大学に入って独居で自由にネットできるようになると、AV&エロマンガ漬けのオナニィをやり始めたのだった。加えて、その握力とピストンスピードは徐々に加速していったようである。かくして、不漏の申し子は生まれ落ちた。
もしも、膣内射精が童貞卒業の帰結となるならば、私は未だに童貞である。そう。このままであれば、生涯童貞。その言葉が、頭の中で閃く。それゆえ、自覚する前から俺は決意していたのだと思う。挑戦しなければならない。どれだけ圧倒的な不利、極悪な難易度のオナニィ矯正であろうと、やりとげる。彼女の中に射精するため、それだけのために。
膣内射精障害について検索した結果、現れた電子の糸をたよりに俺は旅をした。アノニマスな人々の体験談や怪しい広告サイト、無料相談室やクリニックの解説、まとめアフィ、無人の廃墟たる掲示板、はてなダイアリーなどなど、多くのものを俺は見ることになった。生涯童貞を誓う連中は笑い、童貞中退になりそうな宙ぶらりんの俺の仲間達は皆、苦しんでいた。あるいは、克服した先輩も含まれていた。諦めていると書いている奥さんのブログがあった。そこには多くの人の人生が詰まっていた。俺は多くのものを見た。その間、季節が移り変わったような気さえしたが、30分が過ぎただけだった。もしくは、俺は異なる位相に入り、何かを持ち帰れたのだろうか。受け取ったのだろうか。いや、まだ、それはわからない。重要なことは、俺がこれからやることなのだ。
膣内射精障害の矯正方法は、現実との隔たりを如何に無くすか、ということに尽きるようだった。すなわち、
何も見ず、イメージによってのみ、抜く。
また、別の見地から実際のピストンを楽にするためのトレーニングも不可欠だと思われた。要するに、
腕肩足の筋力強化で、意識を性感に集中。
ということになるようだ。
さて、語ることは語った。後は活目せよ。俺は抜く。俺も男だ。やってやれないことはない。名器の品格、アストログライドを両手に携えた裸の男は、ついにトレーニングを始めるのだった。いつか、このことを、娘や息子、孫達にゆっくりと話せる時が来ればいいな、とその男はどこかで考えていた。
ようやく俺はミッションを達成した。 しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。とはいえ、それを順を追って話すには、俺や無漏系男子の皆さんの持っている時間は少なすぎ...