はてなキーワード: ミクロとは
追記:
ある程度の数読まれて、いろいろと気が付かれた方も多くいらっしゃったようなのでさっさと種明かしをしようと思う。結論からいえばソーカルやユニバーサルメルカトル図法という語がもっとも的確にこの記事を表現している。
「ある本から引用した」というのがまず第一の欺瞞である。引用ではなくぼくの創作である。また「ちゃんと読める?俺は読めるけど。」は煽っただけの惹句である。
必然的に、引用と銘打ったその後の文章はすべてがでっち上げたものである。この「引用文」はシンタックスは問題ないながらも言葉の意味をデタラメに並べ書き連ねて意味ありげにしたものである。ただしいくつか罠を張ってある。最初の煽りも罠の一つであり大いに楽しんでもらえたように思う。
「引用文」のはじめに出てくる「敬虔のない状態」というのはデタラメで意味不明である。「敬虔」という言葉は神学・キリスト教史観などの語を後に出現させて煙に巻くための布石であって、ここではそれ以上の意味はない。「構造化」も「構造主義」「認識論」につながって哲学の要素を暗示するための適当な言葉である。だいたい「○○化・○○的」と言えば立派に聞こえるものだ。
「最新医療技術によっても問題提起されたこの貢献」は文の構造からみるに「神経医学における漸進的な貢献」と等価であるが、これに関して特にエビデンスはなくデタラメであるし「漸進的な貢献が最新医療技術によって問題提起される」とはナンセンスであろう。「如実に現している現状〜は自明だろう」は「そんなことも知らないの?」と煽るために付加したもので、もちろんこちらもエビデンスはなく適当である。
「エリファット=フォン=ハッシュヴァルツ」なる人物は架空の存在でありでっちあげたものだ。19世紀後半にスウェーデンから移民というのもよくある話を適当に追加しただけである。フォンやヴァルツなどの音はそれっぽいので採用した。音がそれっぽく聞こえること以上の意味はない。「あまり知られていない」「詐欺師と言われていた」と弁解しているのはググっても出てこない理由をそれらしくするための装飾である。察しの通り、Kalmia Theoryも架空の理論である。Kalmiaはツツジ科の花でスウェーデンの植物学者カルムが命名したものである。つまり構造主義とは何ら関係がない。また「構造主義の前置き」とあるが正しくは「構造主義の前提条件」などとするべきである。また、構造主義は20世紀に登場した実在の概念である。
「誤解を恐れずに言ってしまえば」というのは、Kalmia Theoryまでの大きな嘘を覆い隠すため、ろくに調べなくてもいいように逃げ道を作ってあげたものである。続く文は「神経医学においてもキリスト教史観での認識論を改めて多角的に世界を認識しなければいけないというものだ」というわかりやすそうで意味不明な文である。「キリスト教史観での認識論を改める」とはめちゃくちゃであり「欧米人が考える哲学的な何か」くらいのざっくりした暴論の衒学的表現である。「神経医学においても」とつけたのは更にデタラメさを助長したかったためである。
「経頭蓋磁気刺激法というものは磁気増幅器を使用するために神経パルス信号」は、似ている言葉を並べただけで何も関連性はない。こちらはひとつひとつの専門用語が実際に存在しているために「そういうものがあってそういうことがある」ぐらいの気持ちで読み流されるのを狙ったものである。直後の「しかしこれが危険であるか否かというのは一般的に明瞭ではない」によってなんとなく納得するように仕向けているが、結局デタラメである。そのデタラメさは、ひとつひとつの語の意味を知ろうとすれば見抜くことができる。
「ミクロ的事象」の意味はない。流れで「評価」というワードを思いついたのでなんとなく経済用語でもぶちこんでおくかくらいの気持ちで追加したものである。
最後に「問.」とあるのは最後の煽りであって、意味などないし「引用文」の中に答えがあるはずもない。心理学で言うダブルバインドに近いとぼくは勝手に考えている。
また、この文章はぼくが適当に独自に創作したものであるから英文から和訳したものではない。内容が欧米っぽいことは否めないが。
長年働いた弱小企業から大企業へ運良く潜り込んだ自分からみると、ちょっと笑ってしまった。(すみません)
>上手く言葉で言い表せないけど、大企業という神輿に乗っていい気になってる感じなのが鼻についたんだと思う。お金を稼ぐって、働くって、もっと泥臭いことだと思ってたし、それが私の信じてた世界だったから。
お金を稼ぐって、実はもっといろいろな方法があり、それに応じて本当に全く状況が異なる(泥臭いことしなければならないかそうじゃないか等が大きく異なる)というのが現実と思ってます。なので、倫理・道徳や社会通念に反しない限り、泥臭いことしなくてもお金を稼げるというのはとても正しい事と考えています。私見ですが、彼の言う「金で判断する女とだけは付き合いたくない」というのは、将来「大企業という神輿」から振り落とされて人生が暗転する可能性も十分にあるということを心から自覚している発言と捉えています。そこで、万一転落しても僕についてきてくれる女性と付き合いたいということなのでは?と思ってます。万一、彼が転落することがあれば、貴女の言うとおりの泥臭いことになるのは不可避ですので(しかも想像を絶するレベルで泥臭い)、貴女の言うとおりとなり問題ないかと。
お金を稼せぐ事についてのまじめな本(マーケティングの教科書、競争についての教科書、会計・ファイナンスの教科書、ミクロ経済の教科書)を片っ端から読んでいただければ、彼の境遇も全く正しい(むしろ望ましい)ということを嫌というほど理解することができますので、もうちょっと彼と付き合っていただければと思いました。
P.S.「お金を稼ぐって、働くって、もっと泥臭いこと」という発言の割には、お金について全く勉強してないなーと見えてますので、どうか、将来お金で苦労しないように、もうちょっとお金について独力で必死に学ぶことをおすすめしておきます。
個人的にニューアカ風味に欠けてるなーというのが不満だったので、ちょっと添削してみました。いかがでしょう?
神経医学の、医学全般への漸進的な貢献は、敬虔さという態度変更を伴わない状態では、あらかじめ(つねに/すでに)構造化されうるものではない。
医療技術分野での最新の知見により近時あらためて問題提起されたこの<貢献>という主題が、なぜ現状のようにじゅうぶんに構造化されえないのか(あるいはまたそれが如実にあらわれてしまっているか)は、だから自明のことなのではないだろうか。
今日では歴史の地層に埋もれてしまった感もあるが、19世紀末にスウェーデンからアメリカへと活動の場を移したエリファット・フォン=ハシュヴァルツという精神科医/哲学者がいる(とはいえ、当時はなかば詐欺師のような扱われ方をされていたようでもあるのだが)。彼女は精神分析医として働きながら哲学・神学の領域にまで思索の幅を広げ、まるでのちの構造主義を予見するような理論Kalmia Theoryを提唱している。その思想はひじょうに複雑にして晦渋きわまりないものだが、暴力的に単純化すれば、神経医学においてキリスト教的認識論の軛から逃れ、世界を多面的・多声的にとらえる・そのための方法とでもいうものだったらしい。
倫理がなぜ神経医学において重要なのかという問題は、これもまたいっけん自明に思えるかもしれないが、実はそう簡単な話ではない。簡単な例を挙げれば、経頭蓋磁気刺激法という術式は、磁気増幅器を使用するため被験者の神経パルス信号の異常をもたらす場合がある。しかしこれを即座に危険とみなせるかどうかもまた「時と場合によって」しか決定されえないのである。そしてその場の恣意的な判断によってただ闇雲に積み重ねられ溢れかえっているこうしたミクロな事象をどう扱うかという問題は、当時の精神医学界の躓きの石であった。だがある日、その状況に待ったをかけた言わばコペルニクス的転回ともいえる現象が観測されたのだった。
増田本人からネタバレがされているが、全く読解できない文章ではない。
「◯◯という単語が出てきて、そこで読むのやめた」というブコメが多いが、
この手のケムに巻いた文章の読み方を伝えたいと思う。
簡単に言えば、数学のように変数として扱うことである(厳密に言えば、定数であるがそこはご愛嬌)
面白いので、すこしやってみよう。
神経医学における漸進的な貢献は、敬虔のない状態では決して構造化されるものではない。
最新医療技術によっても問題提起されたこの貢献が、なぜそれを如実に現している現状のように構造化できなくなったかは自明であろう。
あまり知られていないが、19世紀後半にエリファット=フォン=ハッシュヴァルツというスウェーデンからアメリカへ移住した哲学者がいる。哲学者と言っても当時彼女は詐欺師のごとく扱われていたようだが。この哲学者は哲学以外にも同時に医療や神学を学び、現在でいうところの構造主義の前置きとなるKalmia Theoryを提唱している。誤解を恐れずに言ってしまえば、神経医学においてもキリスト教史観での認識論を改めて多角的に世界を認識しなければいけないというものだ。
倫理がなぜ神経医学において重要かというのは自明に見えるかもしれないが実はそれほど自明なものではない。ひとつ例をあげると、経頭蓋磁気刺激法というものは磁気増幅器を使用するために神経パルス信号へ異常をもたらす場合がある。しかしこれが危険であるか否かというのは一般的に明瞭ではない。こうした恣意的な評価に留めるだけではミクロ的事象を溢れさせてしまうことになる。だがそれに待ったをかけたコペルニクス的転回を見せた事象がある。
文意を取りたいだけなら、強調のみの用語は全部取っ払って良い。よくわからない言葉は変数を置く。
神経医学の貢献は、現状のようにBできなくなった。
19世紀後半にCという哲学者がいる。この哲学者Cは哲学以外にもいろいろ学び、構造主義の前段階となるD理論を提唱している。Cの主張は、神経医学においても、Eを改めてFしなければいけないというものだ。
神経医学において倫理が重要であることは自明のようであるが、実はそれほど自明なものではない。(次の例示は前の文章と同内容を主張することになるはずなのですべてカットしてしまってよい)だが、それに待ったをかけたコペルニクス的転回を見せた事象がある。
このように読解すると、どうでもいい意味ありげな言葉を取り除いてしまえば、たいして論理構造が難しい文章ではないことがよくわかる。
最後の2文を読めば良い。
つまり、論理展開上はこの後の文章では、「Aって常識だよね!」「いや、そのAの常識を疑おうぜ」「その常識を疑う態度を疑え」という2番目から3番目に移行する(つまり、ただ一番最初の主張に戻るだけのつまらない)主張を裏付けるエピソードが記述されることになる。
最後までやってひとこと。
「パイ投げ食らってる安藤サクラを見て『わたしは私』などと思えるやつがどれだけいるのか」という一点だろどう見ても
「今更女の時代をアピールするのはウーマンリブへの冒涜」(いや、だから女の時代をアピールするのはもうやめようって内容だろネタ元ちゃんと見ろよ)とか
「女が生き辛いというマクロな問題の再提示と私は私というミクロな意識改革の提示は噛み合ってないからいっちょ噛み失敗」(来るべきなのは~の一文で前半受けてるだろ自分で引用した全文ちゃんと読めよ)とか
私には読解力ありませんと全力で主張するだけの頭悪い内容で「SNSの有象無象とは違う視点で炎上ネタを切り取ってみました」とでも言いたげな記事を平然と投下されても呆れるしかない
現代の日本って少なくとも底辺の生きる世界では女性の方が圧倒的に有利だよな
基本女性ってだけでネットだと童貞やヤリ目のおっさん達に構ってもらえて承認欲求満たせるしなんならAmazon欲しいものリストとか支援サイトで物乞いも出来るじゃん
まとまったお金稼ぎたいなら風俗勤めれば大手企業のリーマンよりコンスタントにがっつり稼ぐ女性もいるらしいじゃん
ソープまで身体張らなくても手コキ風俗とかでも俺が働いてきた清掃業とかコンビニバイトとかよりかよっぽど稼いじゃうわけじゃん
それに男で高卒だとそこそこ稼いでるかまともな定職に就いてないと恋人作る難易度高いけど女性は高卒低収入でも無職でも恋人もセックスも男よりよっぽど難易度低いよな
それに女性は事務職に受かりやすいっていう暗黙の特権もあるじゃん
データ入力のバイトとかさ、正直最低賃金の清掃や最低賃金ちょい上のコンビニとかよりよっぽと実労働と対価の割りが良いから俺もやりたいって思うときあるけどああいうの大抵「女性が多い職場です」みたいな「女性限定採用枠」なんだよな
まあ俺は底辺だからバイトの求人の観点で語ってるけど普通に正社の事務職採用も女性偏重なんでしょ?
まあそういうのも昔から受け継がれてきた男尊女卑的な企業体質のせいなのかもしれないけどさ
俺からすれば今の日本では単に楽で割りの良い仕事は女性の方が供給があって有利って事実があるだけだもんな
最近だとよくネットでフェミニズムに関する発言や記事を目にすることがあるけどさ、俺からしたらあれ女性達がこうした女性の特権を維持しつつ制度的な男女不平等を是正しようとしてる運動って印象あるわ
この前婆ちゃんに聞いた話だけど戦争が終結するまで日本では一部の男性にしか選挙権がなかったって聞いた(こういうの中高の歴史とか公民の授業でやってる内容なんだろうけど全然覚えてないわ)
それに男女雇用機会均等法が出来るまでは職場の待遇面での性差別を禁止する法律もなかったらしいじゃん
そういうの不平等だと思うし、最近だとはてブで読んだ記事で一部の医大入試で女性受験者に試験の点数で傾斜をかけてたって話は性差別だと思うし、寡婦控除で婚姻歴の無い一人親に控除が付かないってのもある意味性差別的な要素が含まれてるんじゃねーかとも思ったな
そういう制度的な男尊女卑とか不平等を是正するのは分かるんだけど、なんか下層民の生活レベルっていうかさ、そういうミクロなレベルで日本は男尊女卑で女性は社会的弱者だっていうフェミニストの意見は納得できないわ
だって少なくとも底辺にいる俺からしたら女性は女性ってだけで俺が見上げる位置にいるもん
この前Twitter見てたら秋葉原の加藤の「彼女さえいたら」みたいな文意の発言を記したツイートがバズっててさ
フェミニストっぽい垢がすげーキレてたんだよな
彼女さえいたらこんな惨めな思いはしなくて済んだっていう一人の人間の素直な感情の吐露さえ糾弾するのが社会的弱者の仕草なのかよって思ったわ
きっと簡単に恋人が出来たり異性から求められてしまう女性には生物レベルでああいう男性の気持ちが分からないんだろうなって思うわ
まあ俺も彼女さえいたらみたいな気持ちには共感できない人間だけどさ、それでもそう思ってしまう男性の思考回路を理解できないわけじゃないよな
この話に関連することだと思うんだけど、この前NHKのねほりんぱほりんって番組で「喪女」の特集やってたから観たんだけどさ
番組に出てた30代前半の喪女が「男性不信になった原因は友達に誘われてやったチャットレディのバイトで顧客の男性からセクハラ発言をされたことが一因です」って話をしててさ
ぶっちゃけビビったよね、童貞と喪女の世界観の解離に、男と女の非モテの実態の格差にさ
そりゃ秋葉原の加藤の発言に一部も共感できない女性がいるわけだわ
求められる側と求める側の圧倒的な断絶があるんだよな
そうそう「弱者男性」って言葉もフェミニストの人ってすげー嫌うよな
こうして俺みたいな男が女性はそんなに弱者でもなくね?みたいなこと書くとすげー叩く癖に自分達は「社会的弱者」だと主張する男性の一群を絶対に認めようとしないのな
まあ俺も自分に女性があてがわれることを権利の様に主張するのはどう考えてもおかしいとは思うけどさ、現に総合的に男性としての魅力に乏しいということで社会から自尊心を奪われ続けている男性達は間違いなくいると思うけどな
制度的にまだまだ女性に不平等な国であることと、弱者男性と呼称する社会的弱者の男性達がいることは別々に成立できると思うんだよな
まあ俺は別にセックスも恋愛も結婚もしたいとは思わないんだけどさ
そんなことじゃ多分満たされないんだよな俺のこの虚無感みたいなものは
まあでも仮に俺が女だったら間違いなく風俗のバイトはやってると思うんだわ
まあこんなifの話したってしょうがないんだけどさ
そりゃ風俗はそれなりに辛いと思うよ
でも清掃のバイトだって三角ボックスに生理ナプキン入ってる度にげんなりしたり小便器の尿石を磨いたりそれなりに生理的嫌悪感が伴う仕事なんだよな
だから俺が女だったら清掃のバイトなんてしないで風俗店に勤務するわ
婆ちゃんが前に「お金に困ったら金持ちの婆さんひっ捕まえな」とか呑気なこと言ってたけど、まあそんなこと出来る可能性もなけりゃする気もないのは当然としてさ、もし俺が女性だったら真面目にそんな馬鹿げた選択肢も取り得たかもなってちょっとだけ思ったわ
まあ流石にそれは呑気すぎる発想かな
別にジミンが政権を担うのまでは否定しないが、圧倒的多数を握らせるとろくでもないので「お前らの首なんかいつでも飛ばせるんだからな?」的な脅しを突きつけておきたい。
のでいつも自民党以外に入れるが小選挙区では意味無し。諦念だけが募る。
個人的な欲を言えば有権者には「どの政党を支持するか」「どの候補者を応援するか」みたいなミクロな観点からの投票ではなく、「どう議席を分配するか」的なマクロ視点で投票してもらいたい。無理か
また脳内妄想による決めつけをしているから非常に不快だけれど、最初からこちらはLGBTの話もPZNの話も一切していない。
再三いっているように主語は「婚姻制度を利用して不正に経済的利益を確保しようとする人」だ。
「婚姻制度を利用して不正に経済的利益を確保しようとする人」にとって、現行の婚姻制度も、あるいは拡張された婚姻制度も障害にならないという話をしているだけであって、それは合理性と効率性の話なんだよ。
加えて言うならば、あなたが決めつけているように「同性婚制度の成立に賛成だ」なんてことすら、こちらは言ってない。
ただひたすらに「それらが成立したならば不正利用が増えるという予想は合理的ではない、ただの邪推だ」ということをいってるに過ぎず、その発言には同性婚制度の成立に賛成も不賛成も含まれていないわけよ。
仮に自分が同性婚制度の成立に反対の立場だったとしても「同性婚制度が成立したならば不正利用が増える」なんて言わないよ。だってそれって明らかに恐怖症的なデマだし、何度も言うようにそういうミクロな論点でマクロな政策の可否判断をするってナンセンスだもの。反対にしたってもっと別の論拠で反論するよ。