2019-01-06

anond:20190106085304

何が不当で何が不当じゃないかってのは何らかの絶対的正解があるわけではなく、大きな範囲で言えば時代でそのコンセンサスが移り変わっていくし、ミクロ単位で言えば被害者自称する人のお気持ちと声のデカさと政治力で決まる。つまり一般的社会人にとって、自分の力で「不当な差別をしない」ということは実際には不可能なんだよ。事後的に「君が過去に行ったXXXは不当でした」と検挙されるわけ。

記事への反応 -
  • さっぱりわからなくて何が悪いんだか。興味がないならそれでいいじゃん。特定の属性の人を不当に区別しなければいいだけ。 興味がないなら区別するエネルギーも湧かないし何も困ら...

    • 何が不当で何が不当じゃないかってのは何らかの絶対的正解があるわけではなく、大きな範囲で言えば時代でそのコンセンサスが移り変わっていくし、ミクロな単位で言えば被害者を自...

      • そのとおりだと思う。適当に言ってたから不当にって部分を撤回したい。 これは正当な区別も自ら進んではしないということだけど、正当な区別の内容は法律で決めて、個人としてはそ...

        • しかしながら日本の法というのは恣意的運用が可能なガバガバ法であってそれに違反しないで生きていくのはほぼ不可能なのだ。 たとえば僧衣で運転してたら検挙されたってのがそれに...

          • スピード違反みたいなもので、厳密に見ていけば程度の差はあれ誰でもやってるわけで、 単に気に食わない奴がやってた時だけ殊更社会悪のようにあげつらってるだけだからな

    • 「差別をしないこと」というのが、例えばキズナアイとかの排除がそれに当たるかは議論の余地が十分すぎるほどあるだろ 何で向こうの言い分を無条件に認めなければならないのか

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