はてなキーワード: フリーターとは
新卒カードなんて自分にはなく今の仕事に就き、思ったより自分に合ってて楽しくてその後転職も経て今に至る。
特にスキルも学歴もなく、何も考えずに応募したのが地元のホテルだった。
勤め始めた頃、この仕事は大いに魅力的だった。コミュ障でありながら仮面を被れば客とにこやかに接することが出来て、そんな自分が自分じゃないみたいですごくたのしかった。
フリーターだった自分は、これを活かすしかないと別のホテルに正社員として就職した。
そこで待っていたのは、20時間連続勤務に、客からの人を人と思わない物言い、それでいて月の手取りは15万。
「人にできないことをできる」ことが金になるのだという意識は当時22歳の頃からあって、極端な話サービス業は「人が我慢出来ないことを我慢できる」ことが職能なのか、と思って耐えてきた。
それでも、普段仕事で取引先とのやり取りをこなしてるようなサラリーマンが平然とNoShowしたり、あまつさえ「予約メールなんて見てねえよ」と逆ギレされ、結局キャンセルチャージなんて払ってもらえない。本当にもう疲れた。
パッと見では標準的サラリーマンであり、誰かの夫であり、誰かの父である。そんな人間がとても道理の通らないことを言ってる日本人の人間性に疲れた。
ホテルは維持費がかかる。建てるのは一瞬だが、築30年の不動産賃貸を誰もが忌避するように、内装は新しく、清潔感あるようにしなければ客はつかない。
そのためには会社は稼働や客室単価が良くてもそれが給与に反映されることはなく、来る東京五輪で最大のパフォーマンスを出すことしか考えない。
サービス業(ましてやホテル業なんて)の本質って人なのに、それをおろそかにして容れ物だけきれいにしてもまるで意味はないよね(ハハッワロス)
結局、所謂「ホテルマン」なんてのは、専門学校生や大学生(大学生ならもっとほかの道があるだろう)を惑わすための魔法のワードで、そこに夢なんか存在しない。
いわゆる御三家勤めの知り合いも、給与や休日は高卒クズの自分と五十歩百歩だ。
その割に「日本ならではのおもてなし」とか「ホスピタリティ」とか言って奴隷のように使役されるだけ。
これらの記事が話題になっているので田舎出身の私の事をここに書いておこうと思う。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505
私は今年で30才を迎える正真正銘、東北の田舎底辺校出身、都内勤務の人間である。
私の両親は共に高卒で父親は土木業、母親はスナックのママという家庭に育った。
勉強しろと言われたことは人生で一度もなく、部活動やアルバイトをして早めに社会勉強をしろといって育てられ、中学生の時から新聞配達をはじめ、高校に入ってからはコンビニ、スーパー、引越し屋のアルバイト等をしながらお小遣いを自分で稼いでいた。
テストが赤点であっても宿題をやらなくても怒られることがなく、お小遣いが貰えなかったため自分でアルバイトし、また勉強を疎かにしてバイトを増やしても怒られない家庭だったので、お小遣いが欲しかった私は勉強はまったくせずアルバイトに精を出し稼いだお金はゲームに費やして過ごした。
さらに遡ると小学校低学年の時に分数の計算でつまづいていた私は家で父親に宿題を見てもらおうとしたが「わからないからオレに聞かないで」と一蹴された事もあった。
さてそんな環境で育った私が高校三年生を迎えた時に進路について考える必要性がでてきた、周りの友人に話を聞くとだいたいが就職するか専門学校に進学すると言い、大学に進学すると答えるものはクラスに1、2人くらいだったと思う。
私も友人同様、当時ハマっていた漫画やゲームの影響で車関連の専門学校に進学しようと思ったが家庭の環境がちょうど悪くなっていた時期でもあり進学するのが厳しかったため進学をせず、また就職するわけでもなく、アルバイトして貯めたお金で東京に上京しフリーターになった。
私は当時、専門学校は自分が就きたい職業の専門性を磨くという場所でとても大切な場所だと思っていたのに対し、大学に行く意味というのが全くわからなかった。
大学に行っても中学のように相変わらず”将来役に立つとは思えない”5教科を勉強する場所と思っていたのだった。
そこで、そもそも大学に行く意味がわからない私が、その大学に入るために1年ないし2年かけて大学に入る勉強をするという予備校生に出会ったのだから私にはとても衝撃的な出来事だった。
しかし、それからそのバイト先で出会うさまざま大学生と仲良くなるにつれ自分の考えがおかしかった事に気づかされていく。
そのバイト先では東大生、慶應生、早稲田生、明大生と、日本で上位に位置付けられる大学生達と出会い、仲良くなり、彼らの頭の良さ、教養の高さ、人間性、将来目指している(自分とはまるで縁のない)職業、育ちの良さを目の当たりにしてしまったのだった。
また彼らと話していて大学というのがどういう場所か想像することができ、その中で私がショックだったのが、彼らには当たり前のように配られている弁護士、官僚、新卒で大企業に入るというエントリーチケットを私は持っていないという事だった。
もちろん全員が夢叶うわけではないが、そもそも私は今のままではそのエントリーチケットすら持っておらず彼らとは全く別の人生を歩まないと行けないんだという事実にその時初めて気が付いたのであった。
そもそもそれまではそんな職業に就く人や、目指す人が自分と同い年にいるという事をまったく想像すらできなかったのだ。
医者や弁護士は元より大企業で働くサラリーマンですらどこか異世界の話、自分とはまるで縁のないものと思っていたのだ。(プロ野球選手や芸能人を思い浮かべればわかりやすいだろうか?)
彼らは小中高と勉強をしてきて、当たり前のように塾に通い、進学校に入学し、予備校に入り模試を受け、入試を受けいい大学に入る。
これらが彼らの周りでは至極当たり前のことで、彼らにしてみれば私の方が異端児だったのだ。
その時19才の私は、例えるならレースをしていてスタート地点から1/3程度進んでから貴方が走っているのはコースではないのでコースを外れた地点まで戻ってレースに戻って下さいと言われているようなとても理不尽な感覚に襲われた。(コースアウトしていたのであれば、コースを外れたその瞬間に教えてくれないとあまりに先行者と差がつき過ぎて追いつく事ができないよと)
私の場合はスタートした時点で明後日の方向に走ってしまったか、スタート地点をグルグルと回っていたのだ。
そして世の中の仕組みを教えてくれなかった両親や生まれ育った田舎を恨むようになった。
誰も世の中のルールを教えてくれなかった、知ってさえいれば努力ができたはずだと涙する事もあった。
間はだいぶ端折るが、その後私は一念発起し世間一般にブラックと呼ばれるような待遇の零細企業に就職し、自分で学費を捻出し国立の夜間大学へ通い、無事卒業し、転職をして最終的に東証一部に上場している業界の大手企業に勤める事ができた。
私はまだ人生のやり直しが聞く時期に、たまたま運良くバイト先でそういった人たちと巡り会うことができ、気がつき、努力ができた為、今はそれなりに普通の暮らしを送ることができているが、もしそういった気づきが今だになければ30才の今フリーターを続けていた可能性もある。
世の中には私が若かった頃と同じような境遇の人が沢山いて、そういう人たちに勉強してこなかった自分が悪いんじゃんと一蹴することは簡単だが、そもそも勉強の意義を知らない人は勉強するはずもなく、単に怠けて努力しない人とは違うということである。
そして私は宝くじに当たったのと同じように運良く気がつくことができた為、そこから脱出できたのである。
もし全員が生まれた瞬間に同じカードを配られていたとしたら、それをどう使おうが(または使わないか)は個人の勝手だが、はなから配られたカードが違うのでは理不尽である。
さかのぼると同じような人がいたけど、たしかに田舎と都会では学習環境が全然違うなと思った
参考書一つない、ってのはわかる
そしてむっちゃ頭いいのに、全然勉強意欲がなくて、東大は無理でも早稲田くらいはいけそうなのに、地元の短大とか入っちゃう女の子多かった
田舎の女の子の場合、親も最終的には地元でお嫁さんになって子供産め、としか思ってないし本人もそのつもりでいる人が多くて、なんかいろいろもったいないと思った
私の時はまだネットが今ほど普及してなかったから参考書の有無は大問題だったけど今はオンライン授業みたいなのもあるから格差は減ってる気もするね
女の子でも4大行かせようとする親も増えてきた
私は東大出た後、東京の企業に勤めてて、一年前に地元の支社に転勤になって今は実家から通ってるんだけど、まあびっくりするくらい見合い話が来るよ
話の節々に、しっかりしてそうだから将来が心配なうちの息子を養ってもらいたいという意思が見え隠れしている
結婚して子供産まなきゃ一人前じゃない、とか東京では今時誰も言わないようなことを悪気ゼロで言われたりして、わかっちゃいたがやっぱ田舎は昭和で時が止まってるわ
人的関係資本が高い人、実家が太い人、クラスでコミュ力が高かった人しか登場しない。
まんぷく農家メシなんて就農して年収200万以下の人が出ないのはおかしすぎる。
都会から就農して低年収に落ちぶれた人の末路はごろごろあるはずなのに、出演は農地を所有している代々の農家とその家族ばかりである。
田舎には、木造の公共住宅に住む独居老人、90歳と60歳フリーターの親子、ヘルパーが来る以外は外出もままならない老人が少ない数でいるはずだ。
日が昇る前ら自己顕示欲をむき出しにし、やれ本気で好きになった人はいないだの、好きじゃない人とのセックスは砂を噛むようだ、だのとのたまって自律神経を正常に保つ
日の出ごろから仕事に関する愚痴をこぼし始め、不健康自慢が始まり、不毛な政治議論が勃発する。この間、現実逃避のために猫が駆り出され、ぼんやりとした癒やしを他田に提供する
出勤時間になると、他者への敵意がむき出しになる。やれやれ調の同族嫌悪的異性叩きに端を発し、気に食わない他田に一行で噛みつくのは当たり前、ため息にも似た文脈ゼロの短文を投稿して周囲をいらつかせたかと思うと、思い出したように両親の話を朗々と語りだして、これがたまに名文だったりする。
出社時間になると、フリーの増田たちの時間だ。同世代への憎しみをぶつける主婦たち、取り返しようのない時間を噛みしめる大学生やフリーターたちの百鬼夜行でご機嫌を伺ってくる。これらに影響された不良社員の増田たちが、仕事へのぼんやりとした苛立ちを無理やり共有してきたり、性欲を全面に押し出した怪文書で攻撃を仕掛けてくる。この時間帯のトラバは単純に地獄だ。
お前がいくら高校卒業してからずーっとフリーターだろうが年収200万超えたことなかろうが人生適当に生きても私みたいにのうのうと生きてる人間もいるから安心しろとか説教がましくいようが。
お前みたいなダメ人間にならないために頑張って頑張ってつらくても這いつくばって大学通って就活してるんだよ。
それなのに、インターネットの端っこでちょっと愚痴をこぼすとな、すぐに寄り添ってきた底辺のお前らから見下されてるのが心底腹が立つ。
勝手に埋没していった人間に諭されるほど甘っちょろい人生送ってねーよ俺は。
お前みたいな人間になにか言われて安心するような神経は持ってないよ。
マジでやめろ。
30代前半、フリーターの男だ。20代前半は引きこもりだった。
そして友達もいない。
若干アスペと発達障害があるが、初対面での人との交流はまあ大丈夫。
友達いないのと、この年でバイトなのは、コミュ力が原因ではなく別な理由だ。
さて。
彼女が欲しければまず女友達を作れとかいうし、男友達であれ女友達であれ友達が居ない男ってのは果たして女性からしたらどうなんだ? って我ながら思う。
彼女を作ろうとして合コンいく前に、まず男友達と女友達を作った方がいいのか?
教えてくれ。
人生を好き勝手にやっていたツケが回ってきたのかもしれない。どうも人間のクズです。
浪人に失敗し全オチをしたことをきっかけにフリーターになったが、どうしても諦められずバイトをしながら受験をしていた。
こんなピーキーな選択をしてしまうことや持ち前の要領の悪さが祟って大した大学には入れなかったが普通の人より4年かかって大学に入学できそれを期に上京した。
大学生活は自意識が過剰だったという側面はあったがとても楽しかった。
人より歳はとっていたのでサークルこそ入らなかったけれど、ゼミや他学部の講義に潜入したり図書館に通ったり楽しい4年だった。
少ないけれど友人もできたが彼女はできなかった。そりゃそうだ、俺はキモチワルイ。
なにより自分がはじめて自分の実力でなにかを成し遂げた、そんな気がしたからだ。
こう思ったことは、フリーター時代も、仕事があまりできず店長やパートさんから「使えない」という烙印を押され続けてきたのもあったのかもしれない。
そんな楽しい4年を送ったのだが、いざ就職活動となると話は別だった。
そりゃ新卒という枠にいるとはいえ、中身は26~7の男であり社会経験も就業経験もなく、周りは20代前半。ポテンシャルはどうみても俺には無い。
根っからのコミュ障も災いして面接もうまく就職もできないまま3月に卒業をしてしまった。ただの職歴もないアラサー無職ができあがっただけだ。
大学生というカテゴリーがなければ、ただの不審者。就職できないままアルバイトにも応募したがこちらも書類で落ちる始末であり、どうしようもないまま4月ももう中盤である。
親は「東京だったらチャンスがあるから」と部屋の更新をしてくれたが、現状やっていることもなくどうやったら求職できるのかもわからず、アルバイトも落ちる始末でどうしたらいいのかわからない。
日に日に目減りしてゆく可能性と何者でもないという不安。若くもなく何かスキルがあるわけでもなく、ただ自分の落ち度を増田に書くことで自分の現状を客観視し慰める増田ーベーションをしているのである。
まあでも実際のところ派遣村に行くほど食うに困っていたりホームレスやネカフェ難民になってるような男は何よりも明日の食料確保に忙しいから、ネットで見かける女たたきをしてるのはもうちょい恵まれた環境にいる奴らだと思う。
具体的には中高大を中退して引きこもって親に食わせてもらってるやつとか、続かないフリーター生活を実家でやってるやつらとか。
そういう男は明日の飯や布団には困らないけど、一般男性としての地位は与えられていないからネットで女たたきとかフェミたたきに勤しむんだと思う。
でもじゃあ具体的にどう援助しましょうかって話になると、ホームレスとかみたいに職業支援や炊き出しはすぐに必要じゃなくて、要するに一般男性になれるようにしろという非常に漠然としたものになるので解決はしない。
そんなに買っているつもりはない、のだけど大学時代から同じ家に住み続けて15年ほどたつと流石にあふれてくる。2000冊以内…くらい。多分。
いい加減整理しようと思って本棚やダンボールをひっくり返しているのだけど、どれもちょっと気になって捨てられない。明らかに情報が古い本でも「この頃は、このように語られていたんだなあ」というのが見えて面白い。捨ててしまった瞬間に「あの頃の言説」を忘れてしまいそう。そしてネットの海の真偽不明のソースで調べ直しているうちに「そんなことを語られていたような気がする・・・こうだったような気がする・・・」とどんどん記憶がうやむやになって「あの頃」が書き換わって行く気がする。いや、まあ今ここに本として存在しているものに記載されている中身だって、その論壇の中にいるうちの一人の主張、でしかないから、それをもって真とできるわけではないんだけど。
『官邸主導 小泉純一郎の革命』(2005)、『脱フリーター社会 大人たちにできること』(2004)ただいま絶賛問題継続中な話の一昔前のまとめを今読みかえすと学生当時読んだ時とは別の感慨がある…。『不美人論』(2004)というゆるい対談式の本パラパラ見てたら「ブスとオカマは差別してはいけないという社会コードがまだない」という記述があった。たった14年前でそうだったんだっけ…このへんのポリコレはここ10数年で本当に急激に変化をしてきてるんだよなあ。
あとは高校の教科書も色々持ってきてしまっているんだけど捨てがたい…山川歴史のやつ学校で使う普通の+自分で買ったハードカバーのごついばん+用語集セット並んでると気持ちいい…参考書も数学の青チャートとか好きだから置いておきたい…あと科学や社会の資料集とかいいよね…大学時代の教科書も今その専門は仕事にしてないから要らないんだけど1冊数千円するし情報更新しなきゃいけないとこ以外の基礎部分のは置いときたい…となると結局あれもこれも…あれもこれも捨てたくない…
新しくない新書…一昔前のムック本…小説…きっと読み返さないけど…思い切れない…
一方で一番好きであった所の漫画は、意外と思い切りよくばさっといける。なぜかというとすっかり電子書籍派になってしまったため、そっちで自分の生活の一部になっているから。電子書籍でなさそうなの残してあとはスッキリさせられそう。