はてなキーワード: 第2次産業とは
って人が多い。ネトウヨアンフェミソジニーなのは当たり前。存在が時代遅れ。男の敵は男なんだからそんな存在を叩く人がいてもいいと思った。しかしだ。叩く人がいない。それもそのはず彼らは大きなものを所有している強者男性だからだ。強者男性はネットで叩かれることが少なく、フェミもそこを見ていない。もう弱者男性のネトウヨも減少し、2ちゃんねらーも国に文句ばかり言うようになった。今こそ第2次産業に執着するネトウヨ強者男性に左翼の弱者男性とフェミが連携して反旗を翻す時が来た。やれ!いやでもできないのか、ごめん…タブーだもんな、タブーに触れちゃったもんな、そんなこといっても「そもそもネトウヨは…」みたいなことしか言われないしな、分かったよ。でもな、いつかそのタイプの強者男性のネトウヨの多さの現状に直面する日が来ると警告するよ。
ホワイトカラーエグゼンプション(英: white collar exemption)、または頭脳労働者脱時間給制度(ずのうろうどうしゃだつじかんきゅうせいど)とは、ブルーカラーのような肉体労働者や製造業従事者以外の、スーツを着てオフィスで仕事をするホワイトカラー労働者の一部に対する労働法上の規制を緩和・適用免除すること、またはその制度である[1]。
労働者が、成果よりも労働時間の長さが評価されるため発生する「ダラダラ残業[6][7]」、仕事が終わっても周囲を気にして帰れない「付き合い残業[8][9]」、企業が上記のような理由で発生する、多額の残業代予算確保のために基本給の賃上げを抑えるために、一部の労働者がする悪循環になっている「生活残業[6]」の結果として、G7の中で非製造業での最低の労働生産性[10][11]の改善のための制度として導入が検討されている[12] [13]。
背景
労働基準法が作られた終戦直後は、日本の就業人口のほとんどが第1次産業・第2次産業に従事していた。それが高度成長期を経て、経済が成熟するとともに徐々に第3次産業の比率が高まり、現在では全就業者の約半数が第3次産業に従事している。このように産業構造が大きく変化するなかで、ホワイトカラー労働者の中に事務的労働ではなく成果のみを求められる新しい労働者が現れ始めた。さらに、IT環境の整備されるにつれて、職場に縛られない働き方も可能になってきており、こうした現実に対応した新しい労働時間法制のニーズが生まれた。
2007年9月11日の記者会見では、厚生労働大臣(当時)の舛添要一がホワイトカラーエグゼンプションの呼称を「家庭だんらん法」という呼称に言い換えるよう指示したとしてしんぶん赤旗は大臣の「残業代が出ないなら早く帰宅する」との認識は間違いで、残業代のためではなく終わらない仕事量だからと反論した[33]。しかし、会社員と公務員約一万人を調査したところ「残業する主な要因」として最多の理由は「残業費をもらって生活費を増やしたいから」で34.6%だった。次いで「担当業務でより多くの成果を出したいから」の29.2%、「上司からの指示 」が28.9%、「自分の能力不足によるもの」が28.9%という生活残業する者がかなり多くいることが分かっている [34]。成果ではなく、残業した者ほどで給与が多く支払われるために、その分を賄うために基本給やボーナスが低く抑えられている日本では生活残業が起きている。労働生産性の国際比較では、2015年の統計では日本は主要先進国であるOECD加盟35ヶ国中22位の一人当たりの労働生産性になっている [35]。
そういうイデオロギー的な話じゃないんだよな…
単純に民主→自民で経済が再生しているんだからそこ認めないと話にならないと思う
はてなでscopedogとかがクソみたいな理屈こねてるの見るとほんと頭にくる
正直民主のままだったら今みたいにのんびり大学なんか行けなかった
船に積む機械を作っている親父は
リーマンショック以降の円高放置で仕事をごっそり韓国・中国に持ってかれて
アベノミクスで円が戻るのがあと1年遅かったら
日本に戻ったら土方とか警備員でもやるしかないなと思っていたらしい
地方で第2次産業の裾野やってるようなところではけっこうある話だと思う
実際あの時期に畳んでしまったところもそれなりにあったし
まだその傷が癒えているわけでもないのに
http://anond.hatelabo.jp/20080313004340
http://anond.hatelabo.jp/20080313012053
らへんを読んでなんだけれど、個人の引越しを語ってもしょうがない。
これは社会や経済のバランスをどうとるか、最適なのはどの辺か、という話のはずだ。
経済的に問題なければ、地方でのんびり暮らしたいという人は多い。
お金があれば、土地も家も物も会社も買える。幾つか持ってもいい。
社会の発展とともに、産業は第1次産業から第2次産業、第3次産業へと軸足が移ってきた。
これらはそれぞれ、土地、物、人を相手にする。そのため、人が多い場所で第3次産業が発展し人が集まり第3次産業が発展し、というスパイラルが発生する。また、産業の発展はお金を呼び、お金が産業を発展させる、というスパイラルもある。
つまり、土地や物への依存が低い第3次産業が発展すると、人も物も会社も集中しようとする。
もちろん、人のつながりや、文化、土地などが、それに抗して凝集を押えようとする。しかし、第3次産業が発展すればするほど凝集力は強まり、人口集中へ向けて市場の見えざる手が働く。
この凝集力を緩和するには、都市部から地方へ向けて金を分散させる必要がある。
もう一つが産業、特に物を産み、扱う第1次産業、第2次産業の誘致。
しかし、これらは市場の動きに反し、したがって効率の低下、産業発展への抵抗になり得る。
それでもそれを行なおうとするのは、人口集中、産業集中を問題視する考えがあるからだ。
なぜか?それは一重にリスクヘッジである。一極集中はリスクの集中でもある。
大都市で災害が起こると被害が大きい。東京で大地震が起きれば、日本の受けるダメージは計り知れない。
また、和島塗りや有田焼きといった文化は守るだけの価値があるのかも知れない。ないのかも知れない。その価値が計り切れない。
だが、効率を無視することもまたリスクであり、ダメージである。
そんな中で、我々はただただ、効率とリスクのバランスをとるしかないのだ。
そして今、日本は経済が低調で国は莫大な借金を抱えている、といわれている。そのため、多少のリスクがあっても効率を、という流れなのだ。