はてなキーワード: 路線とは
1期、2期の24話(最終話直前回)はギャグを排してシリアス路線の話をして、
最終話で「先週のは何だったんだ」と思わせるギャグ回にひっくり返すというのが
今までのパターンだった。
3期の24話は
・一話キャラの再登場
・きわどいパロディの数々
など最終話と間違えてるんじゃないかと思うようなギャグ回だった。
最終話はどうなるんだろう?
あと商業BLだと息をするようにフェムい男・ショタっぽい男が出てくるので今更感
それからショタと同世代だから論。ショタは同世代には昔から人気あるぞ
中学生くらいの外見ではなくてガチで小学生・幼稚園生くらいの外見をさしてるなら
んー、俺の認識と違うな。
俺の認識では「マトモじゃない弱いものいじめのひねくれた男性が一部にいる」っていうことなんだけど。
マトモな感覚を持っている男性にいくら問いかけても、あまり意味がない。
実際に俺自身、都内の路線(地下鉄が多い気がする)で「あえてぶつかっていく男性」によく遭遇する。
(といっても1か月に数回レベルだけど。被害者のダメージ考えると多いと言っていいんじゃないかな。)
はっきり言って、風貌は「卑屈」さがにじみ出てるとしか言いようがない。
女性が睨んだら睨み返すけど、俺が睨んだら目をそらす感じ。
奴らはストレス発散のために、言い返すことをしない女性を狙って「弱いものいじめ」をしてるだけ。
なので、女性の特性っていうのに一理あったとして、実体験からすると問題はそこじゃない。
男性一般の感覚として「言いがかりだと感じる」というのが今回の主張の背景にあるんだとしたら、それはそのとおりで、マトモな男性の犯行じゃないからってだけだと思う。
自分は商用UNIXっぽいから20年近く使ってきたけどM1から完全に買う気力が失せた
その商用UNIXっぽさで国立大学とか公的な研究所でMacは導入されてきた経緯があるけど、
それはXQuartzとか前提にしている話であって、もうUbuntuもWaylandがデフォルトになる時代になってきたし、
Macはハードで強制的に対応できるOSを切り捨てるので、自分が所有するMacもOSを上げられなくなったし、
といっても、財産というか色々あるので、homebrewも対応が切れていちいちソースからビルドしろと言われるようになったけど、
まだWebとかグラフィック関係ないならコードも書けるし、テキスト周りはまだ使うけど、
でも、このへんでMacはやめてUbuntuかなあ、と思って、こうやってUbuntu使って書いてるわけだけど
Metalとかも面白そうではあるけど、もういいかなあという気がする
VAIOの偉い人が言ってたみたいに、AppleのM1みたいな試みは非常に面白いし歓迎するけど、
快適なユーザーエクスペリエンスはたった1つのチップから生み出されるわけではないので、
CPUが速いだの遅いだのも大事だけど、総合的なハードウェアの構成が快適環境に繋がるというのは同意なんだよね
そういえば、MacはOpenGLも対応しなくなったし、OpenGLの規格がクソみたいなのは理解できるけど、
MacのためにMetalに対応するより、動的にVulkanを無理矢理動かすような方法に落ち着く気もするし、
夏の話ですが、活動を休止していた推しの復帰ライブがありました。まだ感情がぐちゃぐちゃです。なんでこんな気持ちになっているかというと、推しがそのライブの告知を一切せず、突発的に行ったからです。ぐちゃぐちゃな理由はもっとたくさんあるんですが、特定を避けるためここでは明言しません。とにかく推しがものすごくたくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人に本気で怒りを向けられているということは確かです。ほんとうに、心から悔しいです。推しが推しに殺されました。
私は休日には好きなアイドルのライブに通ういわゆるアイドルオタクです。
私が学生時代から推していたアイドル、Hくん(仮名)はある時から活動を休止していました。
アイドルオタクと書きましたが私が好きになったアイドルは後にも先にもHくんだけです。人に連れられて行ったライブで好きになって、それからどっぷりハマってしまいました。休止になった時はこれからどうやって生きていけばいいのかわからないと思いましたが、案外生きていくことができました。Hくんは何となく戻ってくる気がしていたからです。Hくんを信頼していました。
Hくんは戻ってきましたが、いつのまにかユニットに所属していました。ここ数年のユニット制度の台頭は凄まじく私と同じく推しのユニット所属によって複雑な気持ちになったオタクは少なくないと思います。私だってちょっと路線が変わったくらいなら我慢できます。でもHくんが入ったユニットはかなり過激な売り方をしていて、デビューと同時にすぐに話題になりましたがそれは度重なる炎上が原因でした。
私がHくんを好きだった理由の一つに、アイドルとして信頼できる、ということがあります。他のアイドルオタクたちが「推しがこんな風に迂闊だ!」と嘆いている時、私は「でもHくんはちゃんとしてるから」と余裕綽々でした。Hくんは文春砲を喰らったことも炎上したこともなかった(してもファンが勝手に燃えたとかでした)し、なんというか「アイドル」というものをちゃんと理解している子でした。これは思い込みかもしれませんが、私と同じオタク気質だったんだと思います。だからHくんはオタクの心を守ってくれました。
そんなHくんがたった一年ぽっちの休止を経て別人のように変わってしまったことが、自分で思っていた以上にショックでした。炎上してるっていうのは色んな人に怒られているってことです。Hくんのいるユニットが嫌い!と大声で言ってる人がたくさんいました。炎上は炎上でも、他のアイドルを傷つけるタイプの炎上だったのも大きいと思います。私の推しが人に嫌われていくのを見ました。みんなに愛されるのがアイドルだと思ってたし、Hくんもそう思っているんだと思っていました。アイドルが何か別の目的のための手段に使われていることがわかりました。アイドルのHくんはどこにもいなくなっていました。(正直本当に違う人になっているんじゃないかと疑っています。別人に見えるのは私だけなのか……)
私はHくんのファンを辞めました。Hくんにあの頃に戻って欲しいわけではないです。本音を言うと戻って欲しいけど、今更絶対に無理だと分かるので、ただ私が降りるだけです。疲れました。
分かる人には誰の話かわかってしまったかと思うんですが、私はHくんを責める気も、Hくんのユニットに怒る気も、Hくんのファンを批判する気もないです。もしかしたら私と同じようにHくんが死んじゃったように感じている人がいるかもしれない、と思ってこの文を書いています。恨んでないけどただ悲しいです。
何より悲しいのが、Hくんが死んでしまったのを見てHくんのことがどんなふうに好きだったのか思い出せなくなってきたことです。あのライブで私の好きだったHくんと一緒にHくんのことが好きだった私も殺されたんだと思います。死にたくなかったです。
少しずつCDやグッズの整理をしていますが、本当に遺品整理の気持ちです。おんなじCDが何枚も何枚も出てきて、何回も握手会の列に並んだことを思い出して泣きました。Hくんに会いたいです。
ここまで読んでくれた人に一つお願いがあるとしたら、今後Hくんの現場で複雑な表情をしているオタクがいてもどうか見ないふりをしてあげてほしい、ということです。その人も多分私と同じ殺された人です。幽霊です。
繰り返しになりますが、一アイドルオタクの個人的な意見・感情であり、アイドル自身やそのファンを批判する意図は一切ありません。
※追記です
この文はフィクションであり、Hくんは実在しません。私も実在しません。Hくんのユニットに傷つけられたオタクがいることは本当です。読んで頂きありがとうございました。
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
・キリがないので重賞馬に絞ってある。
・【】内はおもな勝ち鞍
・調教師から「重賞を勝てる馬」と太鼓判を押され、素質はおおいに期待されていた。
・デビュー前から喘鳴症を患って初出走が大幅に遅れる(3歳時の6月)。
・条件戦では走りさえすれば勝てるような馬だったものの、4歳春に屈腱炎で一年半以上レース不可能になるなど脆弱な体質に悩まされ、6歳になるまでの出走回数は6回のみ。うち4勝。連対から外れたことは一回だけ(そのときも3着)だった。
・6歳のシーズンにようやくまともにローテが組めるようになり、プロキオンSで初の重賞制覇……が、またも故障で予定していたGIレース出走を取りやめに。
・7歳の6月に復帰したもののそのレース後にまたまた故障。さすがにもう高齢ということで引退。
・2005年のデビュー二戦目で重賞である新潟2歳Sを勝ち取り、アグネスタキオン産駒初の重賞馬となる。ちなみに産駒中でGI初制覇はNHKマイルを2006年に制したロジック。
・同年の朝日FS(GI)でも四位入着を果たし、アドマイヤムーンやメイショウサムソンといった2005年組のクラシック有力馬の一頭と目される。
・が、皐月賞で18頭中17着のブーピーに沈むと、放牧に出されて長期休養。復帰したのは皐月賞からちょうど一年後の4月だった。
・復帰後はファンも驚くほど精彩を欠き、15戦でわずか1勝。5歳以降は入着ラインにも達せなかった。
・それでも2歳時に輝きを信じて走りつづけたが、8歳時のレース後に脱臼が発覚。予後不良。
【エリザベス女王杯(GI)、有馬記念(GI)、桜花賞(GI)、秋華賞(GI)、大阪杯(GII)、ローズステークス(GII)】
・感冒でオークスを回避、調教中にウッドチップが目に入り角膜炎に罹ってドバイ遠征中止、骨瘤でヴィクトリアマイルと宝塚記念に出走不可となるなどつまづきが絶えず、最終的には屈腱炎で5歳のシーズンを見ることはなかった。
・それでも牝馬クラシック2冠や有馬記念を含むGI4勝をあげたのだから凄まじい。同世代のウオッカととも牝馬の枠に収まらない名馬として讃えられた。
【シンザン記念(GIII)、弥生賞(GII)、京都記念(GII)、】
・当初は順調にクラシック路線の前哨戦を勝ち上がり、皐月賞トライアルの弥生賞を勝つも、本番では4着に終わった。
・それでもダービーでは3着と意地を見せ、玉座も伺える実力を証明。そして三冠ラストチャンスである菊花賞へ……と進む前にダービーのレース中に骨折を負っていたことが判明。半年間の療養へ。
・復帰後は京都記念に勝ったり海外GIに挑戦したりと健在をアピール。人気投票で宝塚にも出走……だが、ドベに終わり、レースから数日後にまたも骨折が発覚。5歳時の年初に復帰したものの、この年は早々に故障して一走だけ。6歳の夏に引退。
・骨折を重ねた割に無事(?)に競走馬生を終えたものの、種牡馬となって以後の11歳のときに肩甲骨の粉砕骨折で予後不良。人間でいえば40歳ほどでの死だった。
【NHKマイルC(GI)、東京優駿(GI)、神戸新聞杯(GII)、毎日杯(GIII)】
・デビューから初勝利まで6レースかかった。だが、4歳時に鞍上に四位洋文を迎えて毎日杯を制すると、その後はNHKマイル、日本ダービー、神戸新聞杯と重賞四連勝。その後もGI戦線で上位争いを繰り広げ、一時は凱旋門賞出走プランまで持ち上がったものの、4歳時の8月に屈腱炎を発症して引退。引退後は種牡馬としてGI馬も輩出している。
【皐月賞(GI)、デイリー杯2歳S(GII)、朝日チャレンジカップ(GIII、二回)】
・父アグネスタキオンとおなじ皐月賞馬となったものの、やはりその後に父同様故障でクラシック戦線から外れてしまう。
・ただ父とは違って6歳のシーズンまで戦った。故障からの復帰後はGIレースでこそ目立たなかったものの、朝日チャレンジカップを二連覇するなどGII以下では存在感を示した。
・やはり体質の弱さからややデビューが遅れ、皐月賞には間に合わず。それでも青葉賞を勝ってダービーに出た。
・ダービーでは七着に終わったものの、菊花賞には出よう……としてやはり故障。クラシック路線はここで打ち切り。どころかその後は一年半もレースに出られなかった。
・復帰後はオープン戦で微妙な順位に入線する微妙な感じの馬になり、全く勝てなくなる。ラストランではなぜか障害の未勝利戦に挑戦して五年ぶりの一着になるも、そのまま引退。タキオン産駒が障害なんて死んじゃうよ!とドギマギしたファンもほっと胸をなでおろした。
・かねてから素質の良さは評価されていたものの、デビュー後はややもたついた。それでも3歳2月にきさらぎ賞を獲ると皐月賞、ダービーでは入着馬(4着、5着)となり、菊花賞こそは陣営は意気込んでいた。
・……ものの当然のように骨折(調教中)。そのまま3歳シーズンが終了。
・復帰するとやはり勝てない馬と化してしまい、重ねて屈腱炎を発症。5歳シーズンはろくろく走りもしなかった。
・それでも6歳シーズンには関屋記念(GIII)を勝ち、重賞コースに返り咲く。が、翌年にまたも骨折。復帰したときは9歳の11月で、一回だけ走ってドベで引退。