はてなキーワード: 現実とは
東京の人は綺麗ごとばかり言う。
私は能登で災害救助が進まないことに対して、日本は既に東京一極集中でしか日本が残る道がなく、能登は国の支援をやめ、自力で再建すべき、無理なら能登は切り捨て韓国にでも売るべきだといった。すると東京に住む人は「能登の人にかわいそうだ。そんなことを言ってはいけない。みんなで救わなきゃ」というが、こいつは別に寄付も何もしてない。恐ろしいほどまでに現実を見ていない。
能登復旧より、能登の人間を多摩地域の空きマンションに移住させる方がはるかにコストが低く、もしあの土地を韓国が買ってくれるなら費用の捻出も可能だ。別にこれは能登に限った話ではない。東京以外の土地に対して同様の施策を行えばよい。日本の国土は現在の東京・埼玉・千葉・神奈川とし、それ以外の土地は中国と韓国に売るのだ。
まず東京圏への移住期間を20年と定め、移住費を国が支給する。最初の10年が過ぎたころに地方自治体や公共事業を全て解体する。警察もなくし、完全な無法地帯とする。これにより20年後、日本は地方自治体の維持にかかる税金を無に出来、大幅に税金が浮く。自衛隊も大幅に縮小できる。何なら人民解放軍と韓国軍に国防を委託してもいいかもしれないし、中国か韓国に身売りしてもいいだろう。
タイムマシンの数理モデルを作成するのは非常に複雑で、現在の科学技術では実現不可能な課題だ。
以下に、タイムマシンの数理モデルを考える上での要素と概念を示す。
タイムマシンの理論的基礎として、アインシュタインの一般相対性理論が不可欠だ。この理論は、時空の曲がりと重力の関係を説明している。
数式: Gμν = 8πG/c^4 * Tμν
ここで、
タイムトラベルを可能にするためには、閉じた時間的曲線(Closed Timelike Curves)の存在が必要だ。
数式: ds^2 = -c^2dt^2 + dr^2 + r^2dθ^2 + r^2sin^2θdφ^2
この方程式は、時空の幾何学を表現しており、CTCが存在する条件を示している。
タイムマシンの実現方法の一つとして、ワームホールの利用が提案されている。
数式: ds^2 = -e^2Φ(r)dt^2 + (1-b(r)/r)^(-1)dr^2 + r^2(dθ^2 + sin^2θdφ^2)
ここで、Φ(r)とb(r)は、ワームホールの形状を決定する関数だ。
2. 因果律の保存
そうやって俺を女だと思って「これだから女さんは(笑)男ってそういうもんじゃねーし」と言いたいのだろう。
俺はミソジニストだ。とくにフェミニストは嫌いだ。女にもテイカー気質は多くウザったい。
だがそれ以上に弱者男性が嫌いだ。キモくテイカー気質のくせに権利だけ主張しやがる。
俺は男だ。なぜ俺が男だと見抜けないのか。どこに女性らしさを感じたのか。
そういう基本的な価値観から歪んでいる。男から煽られたときに「どうせ女の意見だろ」と歪めることが現実を直視できていない証左だ。
弱者男性は良い扱いをうけない。
にもかかわらず、女性全体が良いように扱われているからそれにキレているだけだ。
「ずるい!」と。
ずるくはない。ただの嫉妬だ。
弱者男性がわーわー騒ぐたび「男ってそんなもん」みたいな印象がつく。
迷惑。
弱者男性はもう男を名乗るな。
なぜ強くなろうとしないのか。
なぜ他人の足を引っ張るだけなのか。
無能。
強くなるしか道はない。
もしくは恋愛を完全に諦めればいい。
恋愛したいなら強くなれ。
いいか。男向けのポルノは言い換えれば女の地獄だ。男のことしか考えてないポルノは、女のことを少しも考えていない。
弱者男性が持っている女性像は極めて歪んでいる。理想ばかり高くなって、現実と乖離している。客観視しろ。
男のスタンダード、男のボーダーが上がったのだから、時代に追いつかなければならない。
今まで通りにいられると思うな。
試し行動を何度も何度も何度も行って、他人を嫌な目に遭わせる。
いったい誰が弱者男性を愛するというのか。
そんな奴を誰が助けたいんだ。
厳しいがこれが現実だ。
赤の他人に救いを求めるな。
自己責任論だと言うかもしれない。だが違う。
弱者男性を救う余裕がどこにもないだけだ。
責任とか知るか。
騒いでそれで何が解決するのか。
もう黙れ。騒ぐな。みっともない。
同じ男だと思いたくない。恥ずかしい。
逃げるな。戦え。死ぬぞ。
現実でおちんちんをまろびだしたのではない。増田にはおちんちんが無いし、おちんちんを露出したわけでもない。あくまでおちんちんランドを開園したのであり、それ以上でもそれ以下でもない。
最近はないが、昔よく投資だか商法を紹介されたり勉強するグループに勝手に入れられることがあった。株だとか投資だとか、多分碌でもない詐欺グループなのは無知な私でもよく分かったし、その度に即退会一択だった。皆そうするよね。調べてみると、どうやら特殊詐欺に繋がるものが多いらしい。
その日の私は何度も知らぬ間に招待される不気味さと、関わりたくもないのに接触される馴れ馴れしさが特にうっとおしくてたまらなかった。確かにすぐ退会すれば良い話だが、その日は特にイライラした。
そして思った。
どこかに主犯がいるとして、そいつが私を勝手に招待するなら、私が勝手なことをしても良いのでは?
でも、色々メッセージを送って刺激するのも面倒だ。名指しで暴言をぶつけられるのもイヤ。
主犯が嫌がりそうで、私はハッピーになれるものがいい。その時ふと、脳裏に「おちんちんランド開園」という言葉が過った。すぐに首を振った。いやそんな馬鹿なことは止そう。他の見知らぬ人も見てるし。
しかし、一度思いついてしまえば中々思考は止まらない。だっておちんちんランドだよ?超良くない?普段じゃ中々開園できないよ?でも勝手にグループ名変えるなんてそもそも………。
待てよ…できるんじゃないか?
LINEグループの設定を開くと、グループ名が編集できることが判明した。私は好奇心のままに打ち込み、そして変えた。
〇〇(私の名前)がグループ名を「おちんちんランド開園!!!!」に変更しました
トーク画面にはそう表示された。
!!!!!!!!おちんちんランド開園!!!!!!!!!
堅苦しさと怪しさに満ちた「ナントカ投資勉強グループ」みたいなグループ名が、一気ににぎやかで明るさに満ちたものになった。心做しかパチンコのチュインチュインチュイーン!!!!というあのけたたましい音すら聞こえてきそうだった、気分は確変だ。
それまで疎ましかったグループも、勝手に招待しやがった無礼者も、皆仲間に思えた。そうだよ、今からここはおちんちんランドだ。おちんちんランドは皆が笑顔になれる場所。詐欺で人を小賢しく騙すより、おちんちんでピースフルになろうよ。
私は満足して、そのまま退会した。
私はおちんちんランドを開園し、そして去ったのだ。
あのおちんちんランドはどうなったのだろう。開園した以上は責任もって閉園した方が良いのだろうが、多分主犯の人が見たら即ブロックされそうで、それはそれでちょっと傷つくので先に退会した。尚、グループ名を戻されたらおちんちんランドにすぐ戻すつもりだった。おちんちんランドは不滅だからだ。
ちなみに今調べたら、ああいうグループを荒らすのを楽しむ人もいるらしい。荒らし方はともかくとして、ちょっぴり仲間に近い人もいるのだろうか。私の他にもおちんちんランドを開園した人がいるのだろうか?私の知らないおちんちんランドがそこにあるのか?
そう思うと、心躍って堪らないのである。
現実では相手の合意なくおちんちんを出したり、触らせたり、捩じ込むことは禁じられております。おちんちんは悲しませるものではなく、愛と笑顔を届けるものでないといけません。相手と自分を大切にしたおちんちんライフをお送りください。
追記2
意外とこういうのでおちんちんランド開園してる人いるんだ!と知れて嬉しいです。コピペや創作っぽいものの、実際増田は増田なりのおちんちんランドを開園したので、数あるおちんちんランドのひとつだと思っていただければ幸いです。
あらゆる階級の「負け犬」が集まっており、当事者たちは共通項が「その階級の相対的負け犬」ではなく「絶対的底辺階級」だと思っているため「底辺の現実」を巡って喧嘩しているイメージ
すごいよなネットで文章書くだけで自分が何かを成し遂げたって思えるんだよ
現実はつらくてつまらないけど、ネットでは俺が世界を動かしたって実感を持てるんだよ
こりゃやめられないわ
亀レスですまんが
考え方にしろ幻聴にしろ感覚にしろ、起こってないことが現実に起きたことと同じようにリアルに感じてしまうのが統失だから
外的な要因で他人を信じられなくなってたり、自分の感覚や経験を疑えない性格で、病識がなく自分が正しいと思い込んでるうちは難しいと思う
俺はひぐらしのなく頃にとうみねこのなく頃にが好きで、作品を通して自分を疑うこと、自分が見たことや物事の表面を鵜呑みにせず理屈で考えることを覚えていたのと、人を頼ることの重要性を理解していたから
今日はまた、クソみたいな一日だった。
アラームが鳴ると同時に、目の前に広がる現実が、魔法の世界とはまったく違うことを思い出させる。
出勤途中、電車の中で人々がスマホをいじっているのを見て、ふと寂しさを感じた。
魔法の世界では、仲間たちと冒険の話をしながら移動していたのに。
ここでは、誰もが無関心で、ただ時間が過ぎるのを待っているだけだ。
昨日のプロジェクトの進捗が遅れたせいだ。
魔法があれば、瞬時に解決できた問題なのに、ここではただ我慢するしかない。
心の中で「魔法があればなぁ」と呟きながら、なんとか仕事をこなす。
昼食は、コンビニの弁当。財布には1000円しかないから、選択肢も限られている。
あの頃は、魔法で料理を作ってもらったり、仲間と一緒に宴を開いたりしていたのに。
午後の仕事も終わり、帰りの電車に乗ると、またしても遅延。イライラが募る。
この世界では、ただ待つしかない。周りの人々は、スマホに夢中で、誰もが無表情だ。
ようやく家に帰り着くと、疲れ切った体をソファに投げ出した。
夕食を作る気力もなく、冷凍食品を温めるだけ。
夜、ベッドに入ると、魔法の世界での冒険が夢に出てきてくれることを願ったが、結局、現実の厳しさに押しつぶされて眠りについた。
数学の世界には無限の可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則。
三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。
ドミニク・シュタイナーはベルリンの研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学が絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。
その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女はロシアの数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデルを研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性や論理性を冷静に評価した。
パリでの国際数学会議で、ドミニクは自身の研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉で論理の精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学の普遍性に魅了されているようだった。
発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。
「シュタイナー教授、あなたの理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクスを適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」
ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。
「イワノフ教授、非線形方程式は確かに複雑系の挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学の役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」
「そのリスクは承知していますが、社会変革は非線形な過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます。複雑系の理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」
ドミニクは彼女の意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。
「社会変革が非線形であるという見解は理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデルが必要です。」
「シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学的美学の観点から異なる提案をさせていただきます。リーマン幾何や複素解析の観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります。特に、複素平面上での調和関数の性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定のパターンや法則が見出せるかもしれません。」
「タカハシ教授、あなたの視点は興味深いものです。調和関数の性質が社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデルを提示していただけますか?」
「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性があります。リーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的なエネルギーを視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができます。エネルギーの収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」
「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系のシミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」
「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系のシミュレーションと補完し合う可能性です。単独のアプローチでは見落とされがちなパターンや収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」
三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。
一方その日のパリは過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF027500S4A900C2000000/
ISOの認証取得(9001等)には、推進責任者として5年ほど携わった。
表題の件で、改めてISOの価値とは何かについて考えたのでまとめたい。
ない。
ISOの認証が停止されるケースは問題が発覚した後であり、予防効果はほとんどない。
過去の食品事故の事例でも事件が起こった後から認証が取り消された。
唯一価値があるかもと思う点はISOの認証が取れない(表面すら取り繕うことができない)ほどのヤバイ企業を取引対象から除ける点である。(そんな企業あるのか)
審査機関にとって審査対象の組織は客にあたる。つまり商売である。
つまり組織にとっては審査機関などどこでもよく、立場的には組織のほうが高くなる。
そのため、実際の審査で厳しく審査され、落とされるような審査機関(そんなものは聞いたことがないが)には客が集まらなくなる。
結果として審査機関は、それなりに体裁が整っていれば認証を通さざるをえず、どんどん形骸化していく。
審査は審査機関から派遣された審査員が、組織の規模に合わせた日数行う。
いかに優秀であっても数日でその組織の仕事を正確に把握することは不可能である。
必然的にマニュアルや手順書ベースの審査となるが、そんなものは偽装し放題である。
また、偽装でない手順書も仕事のやり方が変わるのに合わせて改訂されず、現実とどんどん乖離していくことが多い。
質が悪いのは1度審査を通っているので、見た目には整合性が取れているように見えるところである。
まとめると
事後的に認証を停止した今回も、そのうち何もなかったかのように再開するだろう。
イカンのイを表明した程度のことで、世の中には何の影響もあたえない。
なるほどなあ…
融和策という視点はなかった
現実だと、ウクライナ戦争で難民になったケースで、言語が覚えられなかったり、在留資格の更新も1年ではなく、仕事と飯と住まいは用意するからずっといてもかまわない
ただ、ウルダハ国民として扱うことになる
そして、ひんがしの国の人たちもマムージャと違い、国民国家や文化とやらにこだわりがない
と考えれば、融和策がうまくいくのも不思議ではなさそうだ
とってもレベルの高いフレンドさんから、誕生日にさくらんぼが送られてきた というもの
さくらんぼは一番初めにもらえる木で、言うなれば一番レベルが低いとされるものだ
レベルが高いフレンドなら、課金もしているだろうしより高いポイントの実がなる木も持っているだろう
にもかかわらず最低レベルの贈り物
ゴミレベルのアイテムを送ってくるなんてちょっと失礼じゃない?というのが書き手の言いたいところのよう
これ読んでいろんな議論がされていたが、その中には こういうことがあるから誕生日プレゼントは贈られるのも迷惑、という人が少なからずいた
贈った品にあれこれ言われるのも返礼を期待されるのもそれに返すのも煩わしいと