はてなキーワード: 承認とは
仕事をしていて、人の役に立つと嬉しいと思う。自分の役割があって、自分の捧げた時間と能力について、他者から承認される時間。社会の輪の中に自分の居場所がある感じがする。
でもこれは「役に立たないなら居場所がない」と裏返しではないかという気もしてる。
おれは別に「役に立つ」なんて心底どうでも良いと思ってずっと生きてきた。別に好きでこの世に生まれたわけではないし、まして役に立つために生まれてきたわけでもない。当人が幸せだって思えればどんな生き方だって良いと思っている。
でも、「役に立っている」と実感すると実際嬉しいことがわかった。考えてみれば、人間は一人では生きられないから、そういう風にできているのかもしれない。それが人間の本質に近いところな気もする。
だから他人にも、誰かのためになるって良いことだよって伝えたくなるけれど、それの是非がよくわからない。もちろん強制すべきものではない。それはわかっている。別に役に立つために好き好んで生まれてきたわけではないから。
みんなはどう?人の役に立つと嬉しい?
そしてそのことについて、例えば自分のこどもにはなんて伝える?
社長(営業)、奥さん(事務)、パート事務が1〜2人とかの超零細企業で働いてみて、こんな無駄なことばっかりやってるから生産性低いんだなって感じた点を挙げていきます
・郵便物を仕分けし、電気料金とかの明細は金額を社長が見やすいようにマーカーを引く
・営業で送られてきてるDMとかも社長に聞かれたら説明できるように内容を読み込んで理解しておく。社長が内容を聞いてくる率は5%くらい
・紙の請求書を毎月変わるよく分からない基準に従って並び替えて、エクセルに金額を打ち込む。その後、別のエクセルを参照して別の基準に従ってまた紙を並び替えて、印刷したエクセルに手書きでマーカーを引く。その後最初の基準でまた並び替える。もっと効率的な方法を考えたら?と提案してもずっとこのやり方だから変えるな!従え!とのこと。
・工程ABCDがあったとして、社長から工程ABCをやるようにと指示印がある指示書が回ってきたのでABCをやったところ、ABをやった後承認をもらってからCをやれ!と怒られる。じゃあABだけ指示印すれば?と言うといちいちCだけのために事務所に帰ってきて指示印押せってか⁉︎と。ちょっと意味がわからない
・社長から手書きで指示書が回ってくるけど字が汚すぎて誰も読めないので毎回連絡してなんて書いてあるのか聞く
その他にも労基法完全無視であらゆることが酷すぎて4ヶ月で辞めました。ちなみに、事務としてではなく業務改善と新規事業のために雇われたのに、業務改善をするためには事務を完璧にこなせ、新規事業やるか考えるのはその後とのこと。新規事業のスタートアップはなぜか分野素人の奥さんが担当、通常2週間で終わることを2ヶ月やってました。人生で最も無駄な4ヶ月でしたが、二度と限界零細企業には関わらないでおこうと思えたいい経験でした。
しずかなインターネットで私と気の合いそうな内向的で繊細でほんのりと優しい人たちと知り合う縁に恵まれたとしても
やっぱり生存が満たされない以上先行きがない不安は払拭できない
収入もなく実家に引きこもっているだけの私は、そもそもインターネットで承認なんか求めている場合じゃないのだろう
それでも社会に適応できないから退職を繰り返して引きこもってズルズルと逃げる場所がインターネットなんだけど
仮に有料サブスクライブが実装されていたとしても、きっとそれは
自分と同種の行き場のない人たちが貯金を切り崩して捧げてくれるお金に過ぎず、
そんな人たち同士でお互いにお金を融通したとしても、やがて住居食費税金といった生存費用でやせ細っていく構造は変わらない
みんな優しすぎて、フッと消えてしまう
要するに、そんな人たちが自立できるような、繊細な人たちへの理解がある職場を紹介してくれる就職サービスが欲しいのかもしれない
立場は違うけどよく分かるわ。
企業の中の進め方が硬直化していて、いかに上の承認を取るかが重視されているから、それにはまらない進め方は実行できない。
企業がソフトウェアエンジニアの内製化を進めても、硬直化したご承認文化が前提になっている限りより良いものを作るための体制が整わない。
だから大企業での活動は諦めて、ベンチャーや柔軟な組織に流れる人もいるわけで、社会の生態系としてそうですよ、と言われたらそれまでだけど。
いやあれネトウヨでもドン引きでしたよ。アレ肯定するのなんか感性おかしいです
Intelはドローンによるライトショーをパッケージで請け負っており、例えば200台のCLASSIC DRONEによるショーであれば価格は9万9000ドル(約1100万円)だ。ドローン群で動きのある立体感を実現するカスタムソフトウェアの開発、航空承認や安全性の確認、プロジェクト管理、セットアップなどが含まれる。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2107/24/news021.html
よかった探しをするなら小山田圭吾氏にはみんな同じ見解を持って上級ソシオパスを辞任に追い込むことができたのはよかった
けど、ラーメンズの件は、人種差別やナチ関連のことはリアルで身近に感じられないことから、
(外資に勤めていてもナチの被害にあったみたいな話は聞かない。海外で生活してないと常識として知識はあっても
急にみんなの関心が薄れ、『B層なんて言葉で片付けられない深淵なる者』の声がデカくなり、非常に憂鬱な気分になった
当然、国際常識に沿って解任はされたけど、そういう問題じゃねぇだろって思う
でもネトウヨもこんなん国辱でしょ降ろせって動いてたのが見れたのはよかったかな
そして、日本のハイカルチャーをガン無視で開会式で流された ドラクエ と NieR
すぎやんを流すのはアカンでしょとネトウヨも思うも『南京虐殺』『慰安婦』『LGBT』については、
すぎやんの思想に同調するところもあるので、とにかく、すぎやん・ドラクエには触れない
『B層なんて言葉で片付けられない深淵なる者』たちはゲーム音楽が流れただけでキャッキャ
そら、『開会式良かったのに反対派www敗北www』『安倍ガー自民ガー電通ガー』『○○の演出のところだけど(うんちく)』
某大手通信業者に勤めててソフトウェアエンジニアやってるんだけど
会社にも申請して副業フリーランスしていてそっちの収入の方が断然多くてどっちが副業なんだか分からない状態になってる
副業やってると分かるんだけど巷のソフトウェアエンジニアって大半が低スキルで年収もせいぜい500万とかで
高スキル者だと年収1000万越えは普通、2000万クラスもザラっていう感じ
で、自分は高スキル者側にいるので副業フリーランスの方はいろんな依頼も来るしそこそこのプロダクトを作ったりしてるんだが
そこそこ給料貰ってるんだから全然やりますよ、と伝えても、そもそも仕事が来ない
たまに来る依頼はほぼ秒殺できるような内容だったり
依頼内容が意味不明な上に会話しようとしてもコミュニケーションエラーになるような仕事ばっかりなんだよね
基本的にウォーターフォール開発なので仕様書・設計書を最初にゴリゴリ作るような文化で
ソフトウェアエンジニアに対する依頼は設計書渡して「お願いします」って感じ
大抵の場合は設計書の段階でクソコードになっていたりセキュリティ上の問題があったりするので
その辺の指摘をしてみるとコミュニケーションエラー起こして大問題になる
設計書に至までにいろんな会議を通していろんな偉い人が承認してることになってるから
それをひっくり返すのはいろんな人のメンツを潰したり会議に再付議とかなってクッソ時間がかかる
そもそもの組織構造がウォーターフォール前提に作られているのでこのあたりを効率化するのはほぼ不可能に近いし
組織に長く居る人ほどウォーターフォールじゃないと業務出来ない人が多い
高スキル者ってプログラミングに関する知識もそうだけどウォーターフォールでいうところの上から下まで全部やるので
組織構造としてウォーターフォールになってる会社とは全然合わないんだな、とは思っている
例えばうちのCTOにあたる人ってバズワードとか業界動向、社内事情とゴルフについてはめちゃくちゃ詳しいし、そういう人じゃ無いと務まらない
なのでその地位を目指す管理職はそっちの知識を付けようとするし評価もそっちに流れていく
もはや世の中はコンテンツではなく人の輪に金を払っているにすぎないため
究極的にはコンテンツなんてどうでもよく、人の輪があればいい
あれやった?と話題に出せればいい
UGCでどれだけ頑張っても得られるのは承認であって生存じゃないんだよな
いくらいいねされようが感想貰おうが腹は膨れないし人は養えないし賃貸物件で自立できないんだよな
コーヒー120円は買うしガチャ3000円は回すのにお前のブログ380円は誰も払わないもんな
ユダヤ人とかユダヤ系団体とか、そんなふうに呼ぶから自分はてっきりそういうなんかの人種的特徴をもつ民族集団があると思ってた
そうじゃなくて、ユダヤ教の信徒をユダヤ人とかユダヤ系とかみたいに呼んでいるのか……
スラブ系とかゲルマン系と並列で並ぶようなものだとてっきり……
ということはモンゴロイドの日本人かつユダヤ系というパターンも当然ありうるわけか
ややこしい、なんでユダヤ教徒と呼ばないのだろう
不思議だなあ
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ハラーハーでは、ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者がユダヤ人であると規定されている[10]。
※ハラーハーって何
ハラーハー、ハラハー(halakhah, הֲלָכָה hălākhāh)は、ヘブライ語の概念用語で、ユダヤ法(Jewish law)とも呼ばれる。次の意味で使用される。
3.ラビ文献において、アッガーダー(聖書の注解や格言を通して教訓的なものを引き出したり、聖書に書かれていない物語、様々な逸話などの類)との対象として用いる用語。
言語の面をみても、イディッシュ語の話者もいればラディーノ語の話者もいる。歴史的にはユダヤ人とはユダヤ教徒のことであったが、現状では国籍、言語、人種の枠を超えた、ひとつの尺度だけでは定義しえない文化的集団としか言いようのないものとなっている[12]。
内田樹は、英語であれば "Jew" や "Jewish" の一語で表せるが、日本語では単に「ユダヤ」とは呼ばず、その後に「〜人」「〜民族」「〜教徒」とつけて呼び習わしているが、「教徒」では宗教的な意味合いだけで考慮されることが多く、「〜人」「〜民族」という表現から(民族と人種の概念を混同して)「ユダヤ人」がひとつの「人種」であるという誤った印象を受けてしまう人もいるが、実際にはユダヤ人とほかの民族集団とを区別しうる有意な人種的特徴はないという[17]。
生きづらい人たちが正しさに依存するんだろうね。
絶対に正しいことに従っていれば、間違っているのは、悪いのは、みんな「あいつら」だから自分は悪くない。生きづらくても、自分は正しいということを軸にすれば生きていられる。
そう思っていた時期があった。だから絶対に正しいことを探した。
私の頃はまだネットがなかったから宇宙物理の本を読んだりとかして、そういう方向で絶対に正しいものを探した。
でも、いつからかな。自分を許せるようになった。正しくない自分でも生きてていいって思えるようになった。
それから、生きづらさはなりを潜めて普通に息ができる生活が送れるようになった。
だけど、それは私が絶対に正しいことを探していた時にネットがなかったからそういう道を見つけられただけで、今はネット上に「絶対に正しい顔をしているもの」がたくさん溢れてるから、もし生まれるのがあと20年遅かったら、その絶対に正しい顔をしているものに依存してしまって、自分は正しいから生きていていいっていう間違った自己承認から逃げられない人生を送ったと思う。
私は正しくなくても生きていていい。もちろん正しくない他の人だって生きていていい。
だけど、自己肯定感が欠落してて自分が生きるのに理由が必要でその理由に自分は正しい価値観を持っているから、なんてのを選んでしまったら、当然自分が間違えることを認められないし、「間違えてる」他人は許せないし、それで攻撃的になるんだよね。
リベラルでも暇アノンでも、他人に対して攻撃的な人ってのは悲しい循環論法を持ってて、自分は正しい、だから自分と考えが違うあいつは間違ってる、間違ってるあいつを叩きのめす自分は正しい、みたいな感じで他人への攻撃が終わらない。
そこから降りる道はただ一つ、自分は間違えることもあるし、間違えても別にいい、ってことを認めるだけなんだけど、でも親でも恋人でもいいから他の人から「無条件の承認」を受けたことのない人はどうしても生きるのに理由が必要になっちゃって、それに正しさを選んじゃうことは修羅の道なんだけど、人って性善説で出来てるから正しく生きようとかって容易に思ってしまう。
私は正しくなくても生きてていい。あなただって正しくなくとも生きてていい。
正しさを盾にして身を守っている人に、この言葉が届けばいいなって思う。
仕事ができない。
レスポンスを早く返すとか、タスクを優先順位順にやるのが苦手。
正確に言うと、客観的に考えればタスクの優先順位なんてわかるんだけど、どうしてもやりやすい方や自分が着手したい方のタスクをやってしまう。めんどくさいことは後回し。
単純作業やら承認フローがめんどくさいだけの書類仕事とかめっちゃ苦手。
あとはものすごく気が散る。
キャッチアップや飲み込みは早いと言われるけれど、普通の人が真面目にしてればできることを着実にこなすのが苦手だ。
コミュニケーションは普通にできるので発達障害と診断されることはないし、
勉強に関してはそこそこ得意だったし数学なんかは楽しんで勉強できたので過集中気味に取り組むことができた。
製薬会社で勤務してるけどね、ほんとに薬価下げまくられて辛いよ。
うまい棒より安い薬も多くて、作れば作るほど赤字になるものもある。じゃあ作るのやめたら?って思うけど、それは国が許してくれないんだよね。薬は健康や命に関わるからそんなすぐ「売れないから終売しよっ」てのが無理なのね。
だからひいひい言いながら作らなきゃいけない。世界的に薬関係の法律や取り決めも厳しくなるばっかりで、でも納期は変わらないし人は増えないし。そんな悪循環もあるし、最近の薬関係の不正なんかも発覚して更に安定供給が厳しくなってきてる。
国が薬価下げまくるのが巡り巡って薬不足につながってるんだ~そのうちほんとにいつも使ってる薬が手に入らなくなる日が来るかもしれない。
そんで、アメリカで作られた薬は日本で承認されてないか、されるのがかなり遅いから、アメリカで治る病気も日本じゃ治らないかも…なんてこともありえる。
国が、日本の薬と製薬企業をもっと大切にして、開発に金かけてくれればなんとかなるかもしれない。でももう国内の業界的には絶望感も漂ってる。やっぱ政治が国を動かすんだなあとしみじみ思うよ。栄えるのも滅びるのも政治次第だね…
ここまでやって今更になって「やっぱり駄目でしたごめんなさい」って口に出来るだけの権限を現場の人間が持ってるはずがない。
じゃあ最終承認のボタン押せる権利は誰にあるのかって上げていったら、それはもう国そのものじゃん。
国そのものといっても下っ端の官僚は同じように上へ上へと報告を上げるしか出来ない。
自民党のお偉い誰かが突然正義感に目覚めて「真実を皆に公表しよう」と言い出したら、そこでやっと鉛筆を舐めずに本当の検査結果が世の中に出るようになる。
でもそれをやって誰が幸せになる?
「日本人は正直デース!」
「最高の国アル!」
「ニホン サカナ ウマイ」
って世界中の皆が褒め称えてくれるか?
ならねえよ。
皿まで食ったはずの泥をゲボゲボ周りに吐き散らかして許されるはずがねえ。
「体を一貫させよ」だよ。
貫き通せよ。
貫き通せないなら無理なんだよ。
最初から目標とする数値をクソみたいに大きく出してきて「原発やチェルノブと比べれば超余裕っしょ!それでも皆生きてるんだからダイジョーブ!」って言い張ってりゃ良かった気はする。
でももう今更だよ。
「こんだけ小さから大丈夫ですよ」を自分たちの「体」にしてしまったんだから、もう引き返せねえ。
鉛筆をベロベロベロベロしまくってどうにかして言い切るところまで含めて日本の仕事なんだよ。
「嘘をつききるしかなくなってしまったので必死に嘘をつききろうとしました」の方がまだマシだからな。
「やっぱ駄目だったテヘペロ。でもなんかこれぐらいでも案外セーフじゃん?」なんてやったら、それこそユルユルのグダグダって思われる。
でも、いつか嘘はばれるのが分かってるから、少しでもマシな結果を出す努力を辞めるわけにはいかねえ。
地獄みてーな状況だけどよ、それが今の処理水の現状だろ。