はてなキーワード: 安心してくださいとは
こんにちは。3ヶ月後の私です。
そちらはマスクが店頭から消え去った頃でしょうか。確かトイレットペーパーも品薄でしょう。でも慌てて買い溜めをする必要はありません。少なくともトイレットペーパーはそのうち普通に買えるようになるので安心してください。そのどちらも買わなかった未来の私が言うのですから問題はないです。
でも、ひとつだけ買わなくて後悔したものがあります。今でも買えていません。今すぐ、Nintendo Switchを買うのです。今から1ヶ月後に「あつまれ どうぶつの森」というキラータイトルが出ます。買いましょう。リングフィットもポケモンも買いましょう。買え。買うのです。買えなくなる前に。マスク以上に手に入らないから。買って。お願い。その世界線の私には、幸せになってほしいから。
知らない番号から着信が入る。出ると聞き覚えのない男性からの声がした。なんだろうと思い話を聞くと「あなたの財布を拾いました。」と言われる。カバンの中を見ると確かにあるはずの財布がない。ハッと思い記憶を辿ると、先ほど駅のトイレに財布を置いたまま忘れていた事に気付く。男は「安心してください、この財布は駅員に届けておきます。」と言う。「善良な人で良かった。」そう思い礼を言うと、「礼は言わなくていいです。」と言われ、どういうことかと思うと男は続けて「こちらからもお願いがあります。1000円だけくれませんかね?」と言われる。なんか惜しい人だなと思いつつも、それを了承した。もちろん、その後、戻ってきた財布の中身は万札やカード類はそのままの状態だがしっかりと1000円だけが抜き取られていた。顔も名前も知らない男だが、もし次会ったらタメ口で喋れそうな気がした。
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
美しいもの,輝かしいもの,完璧なもの,こうした理想的な,最上級の存在に,心の奥底で物足りなさを感じたことはありませんか?
だって考えてみてください.
完成したパズルを眺めるよりも,欠けたパズルを埋める方が楽しいのですから……
さてさて,ここでは存在の「キャラクター性」について考えていきたいと思います.
尊敬や愛情など,好意の形は多種多様です.それら全てを包含しましょう.
ただ今回については,恋というとてもシンプルな言葉でそれらを置き換えることを許してください.
さあ始めましょう.
その想いは,本物ですか?
あなたが今,誰かに魅了されているとしたら,その最も大きな理由は「人間らしさ」にあることでしょう.
この「人間らしさ」という表現を,筆者は不完全さとして解釈します.
例えばドラマやアニメのような作品ではについて見てみると,多くの場合,注目するそのキャラクターの美しい部分や輝かしい部分にスポットライトを当てています.
夢物語です.
光の当たる部分しか映らないそれは,ただ美しいだけの何かに過ぎません.
だから作品の中では,暗い過去や後ろめたいものを見せつけます.時には不快なくらいに.
「美しさ」と対をなす「醜さ」こそが,人物の不完全さであり,キャラクターを味付ける最高のスパイスです.
聖人たりえる存在への好意は「恋慕」と言うよりは「憧憬」に近く,あなたが同類の聖人でない限り,その隣に立つことを,いつかあなた自身が拒むからです.
初めのうちは,問題など生じません.
あなたは自分にはない相手の美しさを素直に受け入れ,憧れ,そして惹かれる.ただそれだけの自然な営みです.
しかしながら,人の心は厄介なもので,恋愛感情における憧れは,単体では長続きしません.
過ごす時間,存在する空間,共有するものが増えるほど,あなたと想い人は存在として重なり,そして残酷にもその差異を明らかにします.
心の距離を近づけようとすればするほど,想う相手はあなたの鏡となり,あなたの美しさ,そして醜さを浮き彫りにします.
あなたがどう想おうと.想い人がどう想おうと.
あなたが相手を想うほど,あなたは相手の美しさを知り,そして自らの醜さと対峙しなければなりません.
これは人が人を愛するために避けられない呪いです.
古くから知られるように,醜さを持たない人は稀です.
あらゆる宗教の経典で取り上げられる程度には,ありきたりなものなのでしょう.
否,醜さを持たない人を「人」と呼ぶことそのものが不適であるかもしれません.
自らの醜さを自覚した人は,次の行動として,それを相殺するために相手の醜さを探します.
だって,私たちは愚かで,美しさを比べるよりも,醜さを比べる方が楽ですから.
裏を返せば,「自らの醜さを相手に示すという行為は,信頼の究極的な表現の一つ」と捉えることができるかもしれません.
優しくされたとき,笑ってくれたとき,ただ隣にいてくれたとき……
でも,その想いが加速する瞬間は決まっています.
あなたの中に芽生えたその想いは皮肉にも,相手の「醜さ」を知ることで育ちます.
意図的か否かを問わず,「醜さ」を出会って初期の段階で見せられたとき,好意を得ているのではないかと感じてしまう,勘違いです.
例え事故的であったとしても.
本来追うべき順番を間違えているとも気付かずに.
さあ考えてみてください.
その想いは本物ですか?
それとも,自分の誤解に騙されていませんか?
残念ながら「醜さ」もまた,長続きするようなものではありません.
置き土産として,これについての2通りの解釈を提示しておこうと思います.
もし時間の経過とともに,あなたの想いが薄れるようなことがあれば……いえ,ないことを祈るばかりです.
魅力としての「醜さ」の一線を越えてしまえば,それはスパイスでも何でもありません.
ただの味付けに失敗した出来損ないの料理です.
欲をはじめとするあらゆる醜さは,それ単体では何ら加点要素となりません.
裏を返せば,伸びしろばかりとも言えますが,果たして成長を待てる人はいるでしょうか.
先の章で,「醜さ」をあたかも良いもののように誤解なさらないことを希います.
まあもっとも,長い時間自らの醜さを隠し通せる人なんて,そう多くはないでしょうが.
反対に,あなたの想う人がどんどん理想的になる,というシナリオも考えられます.
あなたの求めていたものがもし「醜さ」に起源するものだとしたら,きっとその想いは冷めることでしょう.
知らずのうちに,孤独感,劣等感が増し,好意が薄れていく……そうなるかもしれません.
しかしここで悪い人は一人もいません.
全員が善処し,そして不幸になるだけです.
◆
まずググってA院に行った
9項目必要だったが、それを伝えたところ料金表を片手に、料金\70,500と時間5~8日がかかると言われた
更に、コンジローマに関しては視診で確認が出来ないと検査も出来ないと言われた
(これは恐らく他院でもそうなのだが、こちらが必要とするものの把握が弱く、柔軟でない印象を受けた)
必要なタイミングに間に合わないことが一番大きかったが、コンジローマの件もあり、他院も検討すると言って建物を出た
◆
次にB院に行った
交通ICなどを診察券代わりとして使えるシステムがあるらしく、かなり有り難かった。性病検査医院の診察券なんて普通は持ちたくない
-
空いていたこともあるがすぐに個室に通され、同じく9項目必要であることを伝えつつ、症状があるわけではないこと等を問診される中で「SODさんとかですか?」と完全に事情を察された
そのあたりのメーカーと提携があるらしく、その場合は割安のセット料金みたいなものがあるらしい
残念ながら自分の関連先は提携が無かったが、要件が完全に伝わったことがわかり、かなり安心をした
また、9項目の内容のメモが参照できなくなっており焦ったが、「9つでそちら系だとだいたいこれらですね」と言われたのが自分の記憶と合致した
料金も\20,450と、前例と比べて信じられないほど安くなった。ネットで料金表を見ていて「滅茶苦茶安くなるのでは?」と思っていたがマジだった
-
同じ個室で採血、
移動して男性医師から視診、(ゴム手袋で触られつつ、異常でないがツブツブがあるところ等に対して「これは昔からあると思いますが、異常ではないですから安心してくださいね」などと言われて有り難かった)
その後トイレで採尿(トイレ脇の小窓に採取後の紙コップを置いたら即回収されて、そのあたりのテンポもよかった)
となった。
-
特に詰まることもなく会計まで進み、おそらく渋谷駅を出てから30分程度で全行程完了していたと思う
結果は2~4日後にオンラインで確認できるらしい。これもまたありがたい
◆さいごに
A院のフォローになるが、症状のある方や健康の為の方に向けて、医療として精密な検査という考え方をしているのだと思う
私、女性専用車両めっちゃ乗るんだけど大好き。まずケンカが起きない(他の車両はまあまあ起きる)。乗り降りするとき強くぶつかってくる人がいないし、誰かが気分悪くなった時すっごいスムーズ(すぐ席が譲られたり、降りて休憩しようかって声かける人がいたりする)
赤ちゃん泣いてても誰もキレない
なんで女性専用車両はいつもあんな風なの?みんな自分が乗れたらあとの人のために詰めるとか絶対しない、ビクとも動かなくなるんだよね。詰めればあと十人は余裕で乗れるという時でも。
通勤時に女性専用車両使うけど、混んできても効率よく詰められない人が多い。ぎゅう詰めになってもみんな大きいバッグを肩にかけたままだし、一般車両だと男性はきちきち詰めるのになんで?っていつも思ってるんだけど、やっぱり空間把握能力の問題なのかなあ
女性専用車両はフレッシュマンの有無に関わらず、年中満員電車の乗り方がわかってない人ばかりです…空いたスペースを詰めない、鞄は肩から絶対に下ろさない、などは当たり前
通勤時、普段は女性専用車両に乗るけど、珍しく一般車両に乗ったら、降りる時に周りの人が場所をあけて通してくれたので、男性は親切だなあと思いました。専用車両だと、混んでる中で降りようとしても「え?降りるの?わたしは降りないんだけど?なんで道を譲らなきゃいけないの?」みたいな感じになる
あと女性は体重が軽いのとヒールのある靴など履いてて足を踏ん張れないからか電車の揺れで女性専用車両全体が将棋倒しみたくなりそうなことがよくあるので、そういうときは真っ平らの靴を履いた足首の頑健な私が「ここは俺が食い止める……ッ……!」とやっているので安心してください
普段女性専用車両に乗っているけど、女性専用車両では降りる人が降りる素振りを見せても誰も道を開けてくれないけど、満員の一般車両に乗っていて降りる人が降りる素振りを見せると近くの男性がササッとスペースを開けて通らせてくれる、という傾向があってこれは積年の謎
拝啓、母上さま。お元気ですか?
面と向かって言うのは恥ずかしいので、匿名ダイアリーにしたためます。
東京に出てきて、3年。仕事をして家事をしてたまに遊んで、元気にやっています。
母は、お元気ですか。元気があればなんでもできるそうですよ。
だから、元気がないなら、元気を送ります。送料無料、お急ぎ便で送ります。
娘に不可能はありません。
私がここで言いたいのは、母は我慢をしすぎだということです。
用事もないし電話をかけるのは悪いだなんて言わないでください。
母が電話苦手なのは知っています。相手が見えないのは話づらいですよね。
でも、ラインで用件だけ話すよりはその人の表情を感じられると思いませんか?
わたしは基本的に母の話が好きなのです。母の話を聞いていると、ちょっとした日常を丁寧に切り取って心のアルバムに貼ってあるような、そんな印象を受けます。
父のお腹まわりが最近とみにまるまるとしてきたという話も。地球は平和に廻っているなーという感じがします。
帰郷した時、帰り際に見せたさみしそうな顔が忘れられません。
はは、母は専業主婦だし、繊細なひとだから集団の中にいるとちょっと疲れちゃうこともあるのだろうと推察します。
だから、知らない人の集団に飛び込むのは勇気がいることでしょう。わたしも結構苦手です。
でも、もし参加してみたい習いごとがあるならば、ぜひ行ってみてください。ネットでは不安を煽ぐようなことが無責任に書かれていますが、
本当はなんてことないんですよ。なんてことがあったら次行けばいいんです。
最初の一歩を踏み出すことに最初に手を貸してくれたのは、母なんですよ。
だから大丈夫なんです。安心してください、はいてますよ。じゃなくて、安心してください、平和ですよ。と言いたいのです。
拙い手紙になってしまいましたが、これを母が見てくれると嬉しいな。いや、恥ずかしいか。
途中おこがましいことも書いてしまいましたが、そこはへっへと笑って許してください。
敬具。