はてなキーワード: 再放送とは
19時〜と21時〜はほぼ間違いなくニュースやってるし
クローズアップ現代とかNHKスペシャルとかプロフェッショナルとか番組名忘れたけどどこかに3日間密着してみるドキュメンタリーとか全部録画してあとから見てるし
うちは野球やサッカーの中継やスポーツニュース観てるくらいなら近所の小学校の卒業式とか地域の連絡事項ひたすら流し続けるチャンネル観てたほうがマシってレベルでスポーツに興味ないから
どこもスポーツニュースしかやってない時間にクラシックコンサートとか流してくれるのすげー有り難いよ
あと多分再放送なんだろうけど
モーガン・フリーマンとかいうオッサンが出てる番組
あれもよく録画して観てる
そんなこんなで
民放2局かNHKしか選択肢がない田舎者にとってはNHKの安定したラインナップとクオリティにはすごく助けられてるんだよ
でも、申し訳ないけど
受信料は払ってないんだよなー
(NHKに限らずアポなしの訪問は全部居留守使ってるんだけどさ)
毎日NHK観てるけど受信料払ってまで観たいかといわれるとそうじゃないんだよなー
受信料払うくらいならうちの部屋だけ地上波含めて一切テレビ映らなくしてくれても構わないし
テレビ東京ビジネスオンデマンド(月額500円)とかでも満たせちゃうから
枠にこだわらない作品作りに終始しているから毎週楽しみにしてる。
先週(5/15)と今週(5/22)のエピソードとか、ずっと見続けてきた人にはニヤリとするオチですよ。
個人的に麻耶雄嵩の作品は、旧チュンソフトが出したTRICK×LOGICに収録されている
でもその2作品、作品全体でも好きなエピソードのワンツーなのよね。
ファン曰く、あれはかなりぬるめとのことだったので、
一方で、トンチンカンな叩きに終始するジャニーズアレルギーの方々とか
作品の中身より相葉くんかわいい的なコメントに終始するツイッターユーザーとかが
このせいで、実際に見て楽しめる層へ、作品の良さが届かなくなってる気がする。
月9の30周年ってことで、結構気合入れてやってたらしいのだが、
(自分はたまたまチャンネルを回したら1話をやってて気づいた)
週末の深夜に再放送してるのも、あくまで先週の見逃し放送でしかないのが惜しい。
あ、TRICK×LOGICも、とっても素晴らしいミステリーゲームなので超おすすめ。
私自身も「テレビ禁止のせいで人生がめちゃくちゃになった」と思ってるので、全然、突飛な珍説とは思わないよ。
小学生のころ、母親は何故かテレビやゲームは子供をダメにすると頑なに信じていたせいで、
ゲーム機は買ってもらえず、ゲームセンターも出入り禁止、テレビも親が認める番組しか見られなかった。
その結果として、当然、みんなの話の中には入れず、休みの日に遊べたのは似た境遇の子が一人だけ。
中高と学校が変わって疎遠になると、もう遊ぶ人は居ない。
親も友達がいないことを不安に思ったのか、なぜかテレビだけは自由にみられるようになって、
私は昔見られなかったアニメの再放送を食い入るように見まくったけど、
特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表格である。
今回はそのストーリーがいかに非民主主義的、非現代的であるかを検証する。
水戸黄門の主人公である水戸光圀の一行は、「越後のちりめん問屋」と身分を詐称し諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査し証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後のちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威の象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍」である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である。
この作品には
という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。
まず、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という点について述べる。
本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者にしか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題が解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀に問題を解決したあと、また同じような悪事や不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである。住民の当事者意識と民主主義の原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日の日本の政治に通底するものがある。
また、ある放送では、朝廷の中納言の悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。
次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。
水戸光圀が「越後のちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態が悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政や不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民を水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民の他人任せの意識がここでも顕在化している。
欧州の市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降の主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人の気質を形成しているのではないか。
そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。
苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠の裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法も卑劣である。「越後のちりめん問屋」と身分を詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所の許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配の原理」からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称や私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所は水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。
なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。
「法の支配の原理」「地方自治の原理」「民主主義の原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者が再放送を毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全な民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である。
ドラゴンボールのアニメを定期的に見る。
別に熱狂的なファンなわけではないが、子供の頃から何度も再放送は見ているので何が起こるかは大体解ってる。
引き伸ばしの連続で毎回毎回やってる事はほとんど変わらない。
戦いのシーン⇒それを見ている解説者⇒別の場所でバカやってるギャグシーンの繰り返しだ。
とにかく進まない。進まないってもんじゃない。
界王様は「ナメック星が壊れるまであと5分!」とか何週間も言う。
戦いでは岩や地面の破壊が多用され、割れるにしろ落ちるにしろやたら時間がかかる。
山はとりあえず噴火するし水は間欠泉の様に吹き上がる。やっぱり時間がかかる。
カメラはとにかく舐めるようにキャラクターを写す。これもとにかく時間がかかる。
ようやく戦いが始まったと思ったら動きが早すぎるという理由で画面に映らなかったりする。
合間合間にとにかくにらみ合う。あるいはカオナシのようにあ…あ…っ!と繰り返す。
観戦者はそれをプルプル震えながらなんて戦いだ…っ!!なんて言う。
かと思えばブルマやチチがやかましく喋るギャグシーンが入る。
進むのが遅いので冒頭に入る前回のあらすじを見れば前回を見なくても内容は解るし、
次回予告を見れば次回を見る必要なんて無い。
ストーリーだって要するに、○○より強くなった××よりも強い△△が…の繰り返し。
天津飯やヤムチャはいくら修行しても前座にもならないし、
ピッコロはキーパーソンではあるが扱い程役に立つわけでは無く、
ベジータは流石にそこそこ強いので敵を一度は圧倒したりもするが学習しないので結局負けて、
結局のところ悟空と悟飯が覚醒してなんとかしましたって形にまとまる。
設定なんてあってないようなものだ。矛盾なんて山ほどある。
戦闘はグーで殴って強い方が勝ちで作戦も何もあったものじゃない。
ストーリーはご都合主義そのもの。行き当たりばったりで困った事はドラゴンボールで解決する。
どうせ生き返るのが解ってるから死人が出ても驚かないし悲しくもない。
だいたいインターネットがあれば整いそうだけど、そのインフラはアメリカ全土で共通して整っているかというと、違うみたい。ニューヨーク州ですら、全域でネットワークインフラは整ってない。
次にテレビ。日本だとキー局の制限はあれど、ゴールデンタイムや深夜には新しいコンテンツを配信してくれる。でもアメリカだとテレビは有料コンテンツに大きく移行していて、日本のデジタル放送のように無料の電波で受信できるものは再放送コンテンツだったり、薄っぺらい内容らしい。
最後に本…。電子書籍で店舗数は減少したのは日本と同じ。また紙書籍が盛り上がったらしいけど、潰れた書店数から戻ったとは聞かないなぁ。
だいたい潰れるのは収入の少ない(見込みのない)店舗からだから、低所得者の多い地域からは購入機会も失われている可能性は否めないのかも?
州ごとの書店分布図とかあればいいんだけど、簡単にググったくらいじゃみつからんかった。
あと、アメリカの書籍は日本と違って出版社の返品(名称ちがったかな)が聞かず、書店買取だからすごく単価が高かったはず。日本だとマンガは四百円あれば買えるけど、向こうだと四千円くらいじゃなかったかな。
※ゲームが抜けてた。
ハードやソフトを買うのにもお金かかるよねー、と思ったけど、ゲーマーには低所得者が多いらしい。
http://forzaxbox.net/blog-entry-8748.html
格差社会アメリカだと、低所得者がメディア(娯楽)を簡単に得ることは実は難しいのではないか→日本は低所得者であっても娯楽を得やすい。ので全体的な娯楽充実度合いがちがうため、欲が抑えられ、犯罪への抑止力に間接的に繋がってる面も1つ。
あと、他のデータ見てると、そもそもアメリカでは生きていくために奪うしかないために発生した犯罪は多そう。でも、印象でしかないからわからん。
昔リアルタイムで見ていて、漫画もリアルタイムで読んでいて、それこそいわゆる青春の1ページみたいな存在だった。
第1話の内容もよく覚えていて、多少記憶と違う部分もあるけれども、懐かしさもあって思わず見入ってた。
で、だ。
子供のころは何とも思わなかったのに、大人になって見たら、第1話でまさかの泣くことになった。
しかも2回。
最初のうちは何ともなかった。
でも葬儀のシーンでだめだった。
螢子が泣いたシーンでもうきつかった。なんとか我慢した。
桑原のシーンでだめだった。もう泣いた。1回泣いた。
もうね、母親への感情移入が半端ない。別に子供いないのに。しかも独身男なのに。
自分が子供を持ってもおかしくない年齢になって、周りに子供がいる状況になって、
桑原のシーンが先か、温子のシーンが先かはもう覚えてない。
なんだろうね、年齢を重ねたらわかることがあるのは、年齢を重ねないとわからないんだね。
当たり前のことだけど、それがわかるようになった。
ギリギリ、やってても許せるのが、火野正平が自転車で旅するやつ
民放は壊滅
平日の夜なら、適当にチャンネル回せば、見るともなしに見れるやつは何かあるんだけどさ
日曜の朝はニュース番組いろいろやってるし、見れるのあるけどさ
土曜の午前中なんなの?
なんでこんなやる気ないの?
普段テレビ見ない人でも、休日の午前中くらい見たりすると思うんだけど、このやる気のなさ
力抜くなら、平日の早い時間にしたほうがよくない?
なんで土曜の午前中サボるの?
世間では王様のブランチがそこそこ人気あるっぽいけど、あんな東京のローカル番組が全国で面白いわけない
東京に台風来たり雪降ったりすると全国放送で大騒ぎするけど、あれと同じやわ
月曜ドォーモ毎週土曜の朝やってたら、見るか?
俺からすると、東京の情報番組放送するくらいなら、全国のローカル情報番組を週替わりで放送してくれた方が面白いと思う
まあ、ブランチはどうでもいいとして
こないだNHKのBSで「爆走風塵(じん) 中国・激変するトラック業界」
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2383268/
ってのが再放送やっててたまたま見たんだけど、結構面白かった。
ちょっと内容を書くと、中国はトラックドライバーが3000万人もいるらしくほとんどが農村出身の個人事業主らしい。なので仕事は自分で探す。
で、3組のドライバーを追った構成なんだけど、その内の新人で奥さんと子ども連れてドライバーやってる人を見てたらいかにも仕事できないやつの特徴だなと。
その新人は
・目的地をちゃんと確認しない(広州?だか聞いたことある名前だったので都会だと思ってた&荷受け場所も確認しない)
・すぐに着手しない(ベテランはすぐに準備し始めるんだけどダラダラ買い物したりする&そのせいで渋滞に巻き込まれる)
・経験が足りないので目的地までいくらかかるか分からない(ベテランは下道使ったり)
・すでに遅れてるのに荷受けの方に連絡しない(これは奥さんが悪い)
・安いナビを買ったのでちゃんと地図が表示されない(ベテランは情報収集をちゃんとやる)
・1日以上遅れて場所を間違えてるのに荷受けの人にキレる
・荷受けの人にもうちょっとバックしてって言われてすぐに出来るのにグダグダ文句ばっかり
どの項目もうまくいってないときの自分にあてはまるなと思った。特に新人のころは。