「元ネタ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 元ネタとは

2022-05-01

anond:20220501072942

話を逸らすなよwwwwwwww99%と77%と50%はアンタが出した数字だろwwwwwww

元ネタ出せば俺がゴメンナサイして終わるのなんで出さないのwwwwwwwww出せないからだよなwwwwwwwww事実じゃないもんなwwwwwwwww

anond:20220501072532

アンタが勝手に追加した部分については聞いてねーんだわwwwwwwwwアンタが出した99%と77%と50%元ネタを聞いてんだわwwwwwwwww

どうせ「アタシがそう思ったか事実エビデンスは私」なのは分かってるけどなwwwwwwwwwwww

2022-04-28

オス呼びは「ま〜ん」へのカウンターなんだけど?

つーか、オス呼びなんか「ま〜ん」に比べたらずっと甘いけどね。メス呼びも溢れてるけどスルーされてるし

ネットに女叩きだけが溢れていた頃、いつも苦しかった

いつでもどこでも「ま〜ん」「女は糞」「日本女尊男卑!」で溢れてた。しかも「女叩きは正論」とあちこちで言われてた

家庭板まとめサイトも、女が悪い話は勿論女叩き、男が悪い話は「どうせ女が悪い事したんだろ。女は都合の悪いことは書かないからな!」と推測膨らませて女叩き。

元ネタは男が悪い話を、わざわざ男女逆転させたような投稿があった時、そこまでして女叩きたいんだなと思ったよ。

犯罪ニュースも、痴漢があれば冤罪冤罪レイプがあれば女が悪いとセカンドレイプストーカー殺人があればビッチざまぁ被害者バッシング

女のあらゆる好み、あらゆる趣味、一挙手一投足を論って女叩き。

オタク界隈だってそう。ニコ動アニメを見ていれば不意打ちで「ま〜ん、これだから女は」と流れてくる。

女性はいくらセクハラしてもよくて男性には可愛いと言うのすら害悪腐女子認定されて禁止となる、男様のお気持ちルール蔓延っていた

こちらが詳しい

男性オタクに苛められてたこ絶対に忘れないから 追記

https://anond.hatelabo.jp/20190324040152

ガルちゃん女性専用の板、まとめ記事で女叩きの愚痴を言う場所を作れば、そこに男が乗り込んできて女叩きの巣窟に変えていく

男叩きスレも同様。女叩きスレに早変わり。

そんなだから女叩きを内面化してしま若い女の子が多かった。一緒になってま〜んとか言って、自分はそんな女とは違うと頑張って、女が叩かれるのは女が悪いからだ女尊男卑から痴漢くらい我慢すべきだと、自分を納得させようとして。

しかったよ、死を考えるくらい。

男嫌いになるまいとしても、一部の男だと考えようとしても、無理だった。だって男達は「これがそこら辺を歩いてる全ての男の本音だ女は反省しろ!」と喚くんだもん

男の立ち入りを厳重に禁じた男嫌い掲示板から、それまで軽蔑していた「フェミ」と出会って、この人達の方が女叩き男より頭良くてしっかりしてるじゃんと思って、仲間入りして、楽になった。同じような人達が沢山いた。だけど、私はまだ苦しかった。当時のフェミニスト達はお行儀良くて、「腐女子達よ!NL呼びは差別からやめましょー」とかやってて、女叩き男達への対抗なんかしてなかった。私も私で、「私はあの人達とは違うまともなフェミニストです」仕草をしたりしていた

そんな時に出会ったのが、今となっては死語である「ツイレディ」。

「クソオス」「ジャップオス」「お寿司ロース」など行儀悪く差別全開で女叩きに対抗していく彼女達に私は惹かれ、仲間入りをした

「ツイレディ」の姿勢は良くも悪くも広がり、フェミニストの門戸を広げたと思う。NLという言葉を捨てなくても、全ての差別に反対しなくても、フェミニストを名乗って良いのだ

今では、沢山の女性達が様々な辛さを、男性批判を吐き出している

痴漢なんて大した事ない!痴漢は99%冤罪!みたいなことをいう人も、性被害者へのバッシングも、ずっと減った(ないわけではない)

女叩きの多さにはまだまだ敵わないが(小山晃弘や織田三郎みたいなのがアルファだし)、女叩きしかなかった頃、不満を吐き出せなかった頃に比べてずっと楽だ

そんな私は、フェミニストに思うところがないわけじゃないがフェミ叩きの多さを見たり女叩きの悪質さを思い出せばフェミ側に立つしかない

宇崎にもたわわにも別に恨みはないけど、庇う気にはなれないね

だってこちらの敵側」「男側」だもん。

ちんちんぶらぶらソーセージメロディーについて

ちんちんぶらぶらソーセージという歌がある。

誰しも一度は耳にしたことがあると思う。

だが、これに二つのメロディーがあるのはご存じだろうか。

 

1.走れ正直者のサビのメロディー

リンリン ランラン ソーセージ

ちんちん ぶらぶら ソーセージ

 

ソーセージが一致しているので本来元ネタこちらだと思われる。

 

2.童謡かたつむりの出だしのメロディー

でーんでんむしむしかーたつーむり

ちーんちんぶらぶらソーセ ージー

 

こちらもしっくりくる。

 

あなたちんちんぶらぶらソーセージはどこから

2022-04-20

ウマ娘美少女コンテンツなんだけど元ネタリスペクトというか、元ネタ競走馬である以上そのシリアスさや熱気を可能な限り再現しよう・引用しようと頑張ってる気概はよく感じていて、

そういう文脈で受けて大成功しているのも非常に理解できるのだが、理解できるからこそ「それでも美少女コンテンツの前提がないと駄目か…」とモヤモヤしてしまう部分がある。

分かりやすい例としてシンデレラグレイがあって、あれは「見た目美少女だけど中身実質熱血スポ根マキバオーに近い」との評を見た覚えがあって、実際その通りだなと自分も思うのだが、

「見た目美少女か否か」はやはり作品の印象を左右する物凄い大きな要素だろうとも考えてしまう。前提としてマキバオーはむさ苦しい馬が走る漫画であって、美少女が走る漫画ではないからだ。

(まあマキバオーもごく一部除いて出てくる馬はわりと綺麗目のイケメンが多いので引き合いに出すものでもないかもしれないが)


美少女要素があるからこそオタク向けコンテンツ化する価値も生まれるのであって、美少女要素がいらないなら元ネタだけ見ていろというのは本当にその通りである

美少女コンテンツであったからこそ広くオタクに注目され、「中身」が評価される。また、そもそもウマ娘が単なる美少女ものだったならここまでヒットするどころか速攻で炎上しただろうし、真摯に中身を作っているが故というのもよく分かっている。

分かっているからこそ、1オタクとして「美少女化」の威力の強さに打ちのめされてしまうということもある。史実通りといいながら、オタク向け商売である以上擬人化しても性別美少女に揃えないとならないのか…。


……要は全員美少女だとウオッカ牝馬ダービーインパクトがどうしても埋もれてしまうのでそこを何とか上手いこと表現していただけないだろうかという愚痴です。

元ネタ牝馬なのに男まさりな言葉遣いとかバイク趣味とかキャラ設定で特徴出そうと頑張っているのはよく伝わるんだけど、どうしても割り喰ってしまうというか。

仮に今後どんなにウオッカダービー走った競走馬ウマ娘になったとしても結局全員女の子なので、「だから何だ」という話に着地してしまうのがあまりにも歯がゆい元ネタリスペクト頑張ってますって姿勢が伝わるから尚更……。


2022-04-17

「擦る」の元ネタ

「擦る」の元ネタ格ゲー用語で、ボタンを擦るように連打する擦り打ちから来ている

同じネタを連発するようなケースで使われる

https://www.youtube.com/watch?v=H2lZDHkaYY4

anond:20211015104407

まだ絵梨の話してるの

モキュメンタリーホラー映画でよく見る

モキュメンタリーを撮っているというモキュメンタリー→これもホラー作品でいくつか見たことがある

現実世界現実曖昧になり、その鍵をミステリアスで奔放な女性が握っている→パプリカで見た

爆発オチネットミームと化しているのでよく見る

固定カメラ視点エロ漫画でよく見る

ぼくのエリ→知らん


「なんて斬新な表現技法なんだ!!」って楽しむことも「これ、○○が元ネタじゃん!」って楽しむこともできなかった

逆ならよかったんだろうけど

「今なんでもって言ったよね?」ってネタ

ニコ生でよく聞くのだが、そろそろ寒くないかこのネタ

放送主が「何でもなんとか」みたいな表現するとリスナーが「ん?今なんでもって」

みたいな流れのやつ

元ネタ芸人かなんかかい?そろそろ寒いんだが

2022-04-16

元ネタを知らないと楽しめない」ではなくて

タツキの漫画はまず先に「(個人的に)楽しめなかった」が来て、

でもたくさんの人が「楽しめた!」と言っていて、そういう人たちは「元ネタは○○だよね!」と楽しそうに話している

からふーん元ネタを知らないと楽しめないんだ、しょうもな、って考えに至る

ゼロマイナスになる

「楽しかった」と思った漫画が後から実は元ネタがあると聞かされてもその時は特に怒りやいじけのような感情は湧かない

楽しい表現昇華したのは作者の実力でオリジナルから

なので「読んだけど元ネタを知らないし楽しめなかった」という人に「そんなことはない!元ネタを知らなくても楽しめる!」というのはズレている


元ネタ映画は知らなかったけど表現方法は既知のもの特に目新しいと思わなかったのも楽しめなかった原因かな

固定カメラ視点エロ漫画教養に入りますか?

2022-04-15

2体同時に倒さないと復活するやつの元ネタって何?

2022-04-14

おけまる水産元ネタ磯丸水産だったのか

すきぴと聞くとオタクとしてはスキピオしか出てこないであますな!

2022-04-13

さよなら絵梨の論点を整理したい

追記:整理と言いながら大分とっちらかってしまったので要約。

・少なくとも、スマホ主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈余地あり

・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。

・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。

■本作は五重構造になっている

母親最期を看取る主人公

②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジ映画作る主人公

③の出来事を振り返る中年主人公

④に爆破オチを追加した主人公

⑤という映画体裁にしたマンガ

あとは無数の映画オマージュそれから作者の過去作や実体験も重なってくる。

■どこまでが虚構でどこから現実か?

身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチ現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやす表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。

■①

最初主観視点スマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?

18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます

P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。

■②

P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホ隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用

★"母親の死を冒とく"”あん映像流して母親申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"

続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムスマホで撮った映像と、後撮りした映像シームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。

P39、作中で言及されている通り本来眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像ソフト編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生技術力を考えるとBかC。

P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブファイトクラブは、本作のどこまでが現実空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにメタ構造ネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。

★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。

P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身過去編集と似たようなやりとりしてたことを過去インタビューで語っていた。

★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機主人公の口から言語化されている。

★P82で、作品テーマである"ファンタジーひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。

P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写編集ウソが混ざっていることが明示される。

★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画バカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼死ぬシーンの説明

P87で絵梨が意味深沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86過去回想シーンのため、編集

P90~P93もそう。意図的沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやす表現で、電子掲載特性が生かされていて良い。

★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分面白いと思って作った作品馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。

前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。

P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的ネタにしてアピールすることで、ネタマジレスを防ぐと同時に、この作品テーマの一つである虚構現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。

★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"

ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。

P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。

P108。最初出会い病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。

P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。

P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。

★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"

ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。

P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。

P133廃墟主観視点でないので、後撮り。

■③

P151にて場面転換。

P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。

P164、ここから主人公モノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらいかカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像流れるのかな?

P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。

■④

P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作現実メタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。

★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。

映画タイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス定番ネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。

★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーひとつまみ足りないんじゃない?"

恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。

★P191、最期作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"

作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。

P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。

すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体作品にしてやろうというところなのではないか脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。

こういうこと言ったら妄想だとか思い込みだとか思われるかも知れないけど、自分が数年前に書いた増田ネタと同じ発想のネタチェーンソーマンに載ってた。

自分が書いたのは2020年8月で、チェーンソーマンにその話が載ったのが2020年9月?だから、時期的にも近い。

---

ここまで書いたところで思い出した。元ネタは別の漫画だ。

その頃話題になっていた別の漫画がかなり近い内容だった。

自分増田に書いた時期よりその漫画を読んだ時期の方が早い。

何のことはない。同じ元ネタに影響されただけだった。

こうやって人は狂っていくんだろうな...。

2022-04-12

さよなら絵梨』についてのメモ

●『さよなら絵梨』の表現手法について

①横長固定四コマ

・「横長固定四コマ日常を描く」手法自体はよくあるが、それ1本で最後まで走りきる漫画は珍しい。

・「横長固定四コマ日常を描く」手法で一番多くの人が目にしたことがあるのは、たぶん『幽遊白書』の海藤の日常

・近年は定点カメラ時間を表す表現として、主に成人漫画一般化している

難病モノ、かつ固定四コマ最期まで走りきる読み切りとして『肩幅の未来(やまむらはじめ)』がある。泉信行氏がやまむらはじめファンサイト運営していたこともあって、一般的な知名度と比べてマニア人気のある短編

しかし、『肩幅の未来』再読すると『さよなら絵梨』とはかなり雰囲気が異なることに気付く。

・『肩幅の未来』における固定四コマは、あくま淡々と続く日常(そしてそれがある日突然終わることを予感させる)を表す。終わらない日常を描く日常四コマと同一の効果を狙ったもの

・これに対して『さよなら絵梨』はより固定カメラ及び手持ちカメラ画角表現するための意識が強い

・『肩幅の未来』より、アメコミ表現藤子・F・不二雄の諸作によくみられる時間経過を表す連続コマ表現に近い

手ブレ表現

・手持ちカメラのブレを表現した人物の線

・どこかに元ネタがあるのかもしれないけど、あまり見ない表現

●『さよなら絵梨』は何にオマージュをささげられているかのか

・爆発オチファイトクラブ

・ページ数、主人公名前吸血鬼という設定→ぼくのエリ?

メタフィクション

表現論?

・『ルックバック』の反響への回答?

●『さよなら絵梨』は何をしようとしたのか

・たぶん漫画フェイク・ドキュメンタリーをやりたかったのだと思う

念頭にあったのは、白石晃士フェイク・ドキュメンタリー作品

・『チェンソーマン単行本作者コメントにも、『コワすぎシリーズ』や『貞子vs伽椰子』についての言及がある

・以下、「映画の生体解剖 VS戦慄怪奇ファイルコワすぎ!(高橋洋稲生平太郎白石晃士)」より引用

フィクションドキュメンタリーの違いは(中略)フィクションキャメラ存在を消していくもので、ドキュメンタリーキャメラがそこにあるということを顕在化させていくもの

”そんな馬鹿なことがあっていいのかというぐらいのことが起きてても、「だってキャメラの前で起きてるんだから、『イッツ・オールトゥルー』じゃないの?という”

自分フェイドキュメンタリーを撮っててすごく魅力を感じてるのは(中略)フェイク・ドキュメンタリーという手法を使えばそういうことをすっ飛ばして、映画表現ものすごく原始的ものに戻せると思ってるんです”

●『さよなら絵梨』の感想

めっちゃおもしろかった

2022-04-11

anond:20220411114510

これが俺のはじめて増田でみた絵梨の感想なんだが。こいつ自身全然感想書けてない点がお察しなのよなw

ちなみにツイッターではすでに元ネタ映画との比較も語られているね

映画でも漫画でもなく若い独身男のルサンチマンエコーチャンバーとしてブクマを稼いできた増田なんだから別にそれでいいんじゃない

anond:20220411185919

アキレウスミスで弱点が出来た話だから別だな

  

巨人心臓をどこかに隠しているから不死身だという話がノルウェー神話にある

ヴィンランド・サガアシェラッドの元ネタになったアシェラッドが出てくる話だそうだ

タツキの漫画って洋画に詳しい人向けなんだなー

ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド→知らない

ぼくのエリ→知らない

でもみんな見てるんだ、びっくり

普段話題にする映画といえばZ級サメ映画や実写デビルマンや邦キチが好むようなクソ実写、

ツイッターでタフ構文を使いながらタコピーを語り

スパイファミリーアニメをガン無視しているような人たちが

元ネタ、○○(グロホラー主題じゃないオサレ映画)じゃん!タツキってほんと天才だな~!とか言ってるの

なんか勝手に、ああそうなんだ……君らそういうのも教養として押さえてるのね……って凹んでしまった

自分はそういうしっとりした映画見ないか

元ネタが分からいか

タツキの漫画がじーんと心に沁みることはこれからもないんだなと思った

ルックバックの時は京アニが下敷きにされてるっていう「文脈」が読んでる最中理解できたから少しはそういう感覚があったけど

タツキが「長門は俺」というHN活動していたことは知らなかったし

一行目に挙げたようにあの映画は知らないし

何よりオタクのくせに絵を描かないし

ツイッター絵師様が得た感動を自分は得られなかった

俺は分かってるぞ面ができる側になれなかった

タツキの漫画創作物をたくさんインプットしてるクリエイターのためのオサレポプテピピックみたいなものなんだな

タツキの絵は好きだけどタツキの読者にはなれない、向いてないことが分かった

さよならタツ

2022-04-10

anond:20220410181339

このいいじゃないって語尾の元ネタなんだっけ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん