暴力的発言やあまりにも鋭利な批判、こき下ろしのような言葉遣いに対して、年を取るごとにおびえるようになっている気がする。
それは経験則なのか、それともただ脆弱になってきているだけなのか、はっきりとはわからないが。思うこと、考えることはあってもできる限り人にそういった言葉を投げつけないようになった。
匿名だからって理由はあっても何となく言霊というか、そういうことばかり言っているといずれはどっかでぼろが出て「おれ個人」とわかる部分でそんな暴力的な文言が飛び出すのではないか、と。
それがもし起こった場合、おれの事を周りが「そういう言動をする人間」として四方八方から言葉の槍で突き尽くすのではないかと。
いつからかおれは人をほとんど信じられなくなっているような気さえする。いつ失態を、失言を放ってくれるかという下卑た期待をこちらに向ているんじゃあないかと猜疑する。
味方のふりして近づいて、その実じつに心地よくおれのことを悪へと仕立て上げ、周囲の人間とともに歌いながら身ぐるみはがして凌辱するためにじわじわと追い詰めているのではないかと恐怖する。
経験則なのか、変な映画の見過ぎかはわからないが。あるいは自身の失敗をそいつらに押し付けるためのおれ自身の卑劣のあらわれか。
いずれにしても、とにかくどこにも属さず、できる範囲でだれも傷つけず、しかし思考を止めずに目の前の問題に立ち向かわな得ればならないことに変わりはない。
今日も怯える。そうなら増田など開かねば良いというのに。怖いもの見たさか、あるいは増田であることの安心感への逃避か
情けが巡り巡ってはなった本人に帰結するなら、その逆の行為だってきっとそうに違いない。
ああ、だめだ。おれはこの考えにいたると、もう何もせずにとにかくどうか誰にも迷惑をかけず、道端の石が車にはねられてどぶへ落ちるように、消えてしまいたくなる。
黄金頭さんか、元ネタの筒井康隆老大家か