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>>今回の結婚ルールで言えば「男と女は合意ありゃ結婚できる」を憲法でOKと規定している
正確に言えば「国家は、男と女で合意ありゃ結婚できるようにしなきゃダメ」ということになります。
だから、婚姻届を出していない=婚姻制度に従っていない、内縁関係にも配偶者と同等の権利を与えるわけです。
また姪と叔父の関係では内縁関係を認めた著名な判例があります。
しかし婚姻制度に関しては、2の通り、「国家は、自由権平等権等々に立脚して制定しなきゃダメ」と書かれていることから
その他のことについて混ぜ込んではいけないという意味ではありません。
例えば上記の判例でも地域の慣習等を踏まえていますし、慣習法に法源=法の根拠を求めることは国際法などを見ても自然なことです。
また、法の施行、特に民法においては、その社会の伝統や習俗を無視することは法実証主義に反し、法の実学的価値を失います。
これらのこと、つまり憲法解釈からも民法の制定と解釈からも、兄妹婚はダメという社会通念を民法に入れるのは別にいいわけです。
よって兄妹婚を認めて欲しいのならば
「関係ない連中がぞろぞろ制度を利用しにくる」という事態を防ぐためにこそ、「戸籍に書き込まれる」結婚という制度を利用する意味があるとは思わないか?
単に仲のいい同性の友達が同居していることに対して「結婚」と同じ社会的な権益を認め優遇するというのは理に適わないが、もしその二人が真剣に互いをかけがえのないパートナーとして終生変わらぬ関係を周囲に対して誓うというなら、その証拠を戸籍という形に残すことに何のためらいもないだろう。それならば、病気の際の代理人としての権利や法的責任、高度障害・死亡時の介護の責任、財産分与を求める権利など、「戸籍」に基づき発生する諸々の権利・義務をそのカップルに認めるのは理に適っている。同性「婚」というのは、愛や恋ではなく純粋にそういう話だと思っているし、それをただ「仲良く楽しく同居しているだけの二人」に認めよというのは、社会に混乱しかもたらさないのではないか。もちろん、同性婚ができれば深く考えない連中が悪用するということもなるほど起こるかもしれない。しかし、現今の結婚制度の異性間で同様に、たとえば在留資格を取るためとか名義貸しとか逃げ恥とか、そういう風に「結婚」という制度について、深く考えずにただ乗りする例はあるわけで、それでも全体としてはおおむね破綻なく運用されているところを見れば、発生する問題は制度を維持する上で致命的となるほど大きな物ではないと推測できるね。「戸籍に登録する」というのはそれなりに一定の社会的ブレーキとして機能していることが期待できる。
そして、仮に同性婚を制度として認めたことで社会の認識自体が変化するとしたら、それは二次的三次的な作用の方だろうし、その作用は社会全体にとって利益こそあれ、不利益がどこにあるのかよく分からない。いや、「不利益がある」と主張する権利が一体どこの誰にあるのか分からない、という方が正しいか。たとえばAとBが仲良く暮らすことがCにとって「目障り」だとして、それを主張してAとBを日陰者にするのは、社会全体にとってプラスかマイナスか? 普通に考えて、「Cさんにそんな口出しをする権利はありません」とするのが常識的な判断だろう。そんな判断がまかり通るなら、我々は安心して暮らすこともできない。実に全く「余計なお世話」だ。仮に「おたくらカップルがうちの○○ちゃんの教育に悪いザンス!」とか喚いても同じだ。悪いけどあなたにそんなことを言う権利はないです、としか言いようがない。「目障りだ消えろ」というのはきわめて幼児的な心性だよ。
また、あなたの「概念を破壊する改革」という主張も、残念ながら意味不明だ。あなたの「概念」とやらはたかだか10数年のずいぶん狭い観測範囲で培われた単なる「偏見」に過ぎないのではないか。大正時代くらいの一般社会の「常識」は現在とはかなり違っているし、あなたの思う「概念」とやらも、実はこの10数年ですらどんどん動いているよ。あなたはその変化を捉えることができておらず(いわば「若い者についていけなくなったヒステリー」で)単なるマイルールを常識や概念、伝統と呼び換えてごまかしているだけではないかね?
それからもう一つ付け加えると、「両性の合意のみに基いて成立」という憲法の条文を「両性は異性という意味だから憲法は異性婚しか認めていない」とかいう風に奇妙にねじまげて解釈しているのは、同性婚を必死に否定しようとしている方々であって、護憲派リベラルではないよ。ここで「両性の合意」というのは、一般には明治憲法下における家制度の否定の文脈で生まれてきたと理解されているので、その成立経緯を踏まえれば単に「結婚する二人」という以上の意味ではない。(参考:明治の民法第750条「家族が婚姻または養子縁組をなすには戸主の同意を得なければならない。」)護憲派はせいぜい「そんな解釈は無理筋でしょう」と言ってるだけだろう。事実は正確に観測すべき。自分の都合良いようにねじまげてはいけない。自分の主張に説得力を持たせたいなら。
こんな所に住んでいるような人でも公立中行かせるんだー親は私立入れる金も受験突破させる能力もあるだろうにと思い
じゃあここの子は高校はどこに行くんだ?どうせ受験するなら中学から、いや小学校から私立でいいんじゃね??とも思い
ここに通ってると出来る人脈が後々役立つ、とかなのかな
「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る
http://fairs-fair.org/marriage-for-all-event-vol2/
という側面がやはりかなり強いように見える。
ブコメでもあったけど、昔からの家を守り、子供を生み、財産を受け継がせ、更にその子が次へ続けていく。
というローテーションそのものが国家の利益につながり幸福になる人が増大する。
そのために、全国民(男性、女性、独身、LGBT、老人、etc)から税金を徴収し結婚した人に重点的にお金を再分配するという構造になってる。
とかそういう感情的な側面も理解できるけど、現実問題として現行法はそうなっていない。
って言い分もわかるけど、現行法はそうなってない。
ただ、その上で同性の人が一体同性婚をすることで何を求めているのか?
ということをもっと理屈を突き詰めないと同性婚は実現しないと思う。
生産性というよくわからない単語とか、よく言われる同性が付き合うのは気持ち悪いとかいうたわごとはどうでもいい。
記事では理屈ではなく感情にも配慮すべきとかいってるけど、まずそもそも理屈を理解してないんじゃないのだろうか。
ってのが透けて見える。
つまり同性が堂々とつきあって、同性同士で道端で手をつなぎあったり、レストランに同性で入ったり、ラブホに入ったり。
というような問題に絞られると思う。
でも、それを実現するために現行法の婚姻制度を使ってしまうと子供を生み育てるためという理由と衝突する。
つまりやるべきことはパートナーシップ制度をもう少し洗練させて国法とするか
を分離させるしかないと思う。
私はコミュニケーションが苦手で、人の和から拒絶されることに対して必要以上に恐怖を感じているような性格である。そんな私ではあるが、ご近所さんのご縁で神輿を担がせてもらうことになった。周りは屈強な伊達男が多数で、顔なじみ同士でグループができている。知り合いがほとんどいない私は、他の人とは馴染めないまま、神輿を担いだり、休憩時間を過ごしたりした。
観客の多い通りでは、周りの担ぎ手のヒートアップとともに、自身の気分も盛り上がりなかなか楽しめた。さらに一人で過ごしていた私に優しく接してくれる方もいて、普段知り合うことのない方と少しながら交流でき、参加して良かったと思えるところもある。また、花形である担ぎ手をこんな新米にまわし、裏方に徹して頂いた方に対しては感謝しかない。
だが、正直なところ楽しいことよりも苦しさの印象が強く、次回参加したいかと問われれば消極的である。
まず神輿が重い。担ぎ手が不足している状況下で、あの重さを担いで練り歩くのは、苦行とも言える。不慣れな私は肩が腫れ、肩の皮がむけてしまった。神輿に興味を持たれた外国の方が参加されていたが、同じ印象を持ったのではないかと思う。
次に拘束時間が長い。丸2日を費やした。根からのお祭り好きではないと、かなり長い時間に感じるのではないだろうか。
最後に、既存の集団の和に入る敷居が高すぎた・・・これは私のコミュニケーション苦手意識によるところが大きいのだと思う。もう少し会話を増やせれば、もっと楽しい時間を過ごせただろう。
高齢化やエンタメの充実で、日本全国で祭りの担い手が不足する問題は今後ますます深刻になっていくだろうし、もっと初心者でも楽しめる工夫をしていけないだろうか。
例えば、神輿を軽くしたり、スポットで参加できるようにしたり、参加形の観光イベントにしたり、男女の出会いの場にしたり・・・
古くからの伝統を守ることが大切なのも理解できるが、文化の存続を考えるなら変化も必要だと思う。
伝統を理解しきれていない新米サイドの意見ではあるが、実際、こういった変更は今まで続けてきた人にとっては受け入れがたいものなのだろうか・・・
何でも出来る何でもなれる!!をテーマにしたハグプリはポリコレ的にただしいテーマをやっていた為かオタク男達から批判されてた。
男の子も女の子も常識にとらわれずやりたい事をできるテーマを批判する大人のキモオタ。
伝統的な男女観を大事にしていきたい人なら、幼女アニメを見て自分向けじゃないと批判するいい年こいた大人の男なんて真っ先に排除していきそうなもんなのに矛盾し過ぎではと思っていた。
「天賦人権は誤ってる」のはその通りでしょ。「人権」は人が作り出したルールであってしかもアップデートが繰り返される未完成の概念。
「主権は国民にはない。日本が長年培った伝統と歴史に主権がある」にしても「国民」が「長年培った伝統と歴史」に影響を受けてると言ってるだけの事だろうし
「基本的人権こそが日本精神を破壊した主犯」も正しいだろ。昨今の行き過ぎた個人主義が少子化を呼んだりして国を破壊しつつあるのは事実。
左翼リベラル派としては「冷戦時代は良かった」と思ってるかも知れない
しかし本当にそうだろうか?
確かに、現在のような中国韓国への悪しざまなヘイトや排外主義は、少なくとも戦後、1980年代までは目立たなかった
が、その手の言説が庶民大衆にまで熱烈に支持されてるかというと少し微妙
在特会や主権回復はすでに「右派のプロ市民化」して現状以上に幅広く人が増える気配は感じられない
(本物の庶民大衆てのは、活字のヘイト本なんか読まず、昨日の野球の試合や今日の夕食、人気タレントの出てるドラマ、学校や職場の愚痴、身近な男女の誰それがくっついた別れたといった話をしてる奴のことだ)
排外主義政党の日本のこころ(旧・次世代の党)はちっとも議席が伸びず消滅した
自民党支持派の中でもコアな連中は極端な復古主義・排外主義だろうが、大多数は経済政策を支持してるだけで、深く考えてない
ひょっとして21世紀に入って以降の右傾化って、単に論壇インテリ業界の枠内で右派が目立つようになっただけじゃね? という気がしている
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冷戦時代の1980年代まで(つまり昭和の時代)、世の庶民には、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観が蔓延して、みんなそれを当たり前だと思ってた
が、現在ではそれらを露骨に前面に出せばひんしゅくを買う、論壇インテリ業界内の話でなく、なんの変哲もない庶民の多数が、そういうのを嫌う価値観になった
これって、伝統的保守的価値観の否定なんだから「左傾化」じゃねえのw
無論、これらは小難しい社会主義や共産主義イデオロギーと何の関係もない
しかしそもそも、右翼左翼という概念は、フランス大革命のあと議会で伝統保守派(王政と教会の価値観を踏襲)が右側、改革派が左側に座ったことに由来する
つまり右派つうのは「昔ながらの価値観」を大事にする人たちのことだ
「『昔ながらの価値観』なんてキツいからヤダ」という思想こそが左翼なのだとすれば、8時間労働制やら週休二日やら近代以降の世の中はもうずっと左翼化してる
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ある意味では、一部のリベラル派インテリ(言い換えればインドア派のオタク)だけでなく、世の庶民の多数が、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観を平然と嫌がるようになった現在の方が、昭和期より世の中が良くなったという気がする
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メインカルチャー(英: main culture)とは、サブカルチャーと対比して用いられる語で、ある社会で支配的な文化のこと。
文学、美術、演劇、音楽など社会の(主流をなす)構成員が健全な文化として受容するものである。伝統的には大学で学問対象として研究されたり、新聞、雑誌などで論評の対象になるものであった。20世紀になって大衆文化が発達し、次第に映画、テレビ番組、ポピュラー音楽、ビデオゲームなども文化として認められるようになった(メインカルチャー化)。
「大学で学問対象として研究されたり、雑誌で論評の対象になるもの」であれば、マンガ、アニメ、ゲームあたりは余裕でメインカルチャーだな。