はてなキーワード: 伝統とは
「人文学・社会科学の国際化について」(独立行政法人日本学術振興会人文・社会科学の国際化に関する研究会 p.73-75)
https://www.jsps.go.jp/j-kenkyukai/data/02houkokusho/houkokusho.pdf
http://sociology.jugem.jp/?eid=277
Laudanの研究伝統論による社会学理論発展法の考察 - J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/57/1/57_1_41/_pdf/-char/ja
日本の社会学には「学説研究」と「理論形成(構築、発展含む)」の2つがある。
「学説研究」とは優れた理論を適切に読み、解釈することである。
「社会学」を欧米から輸入した日本では、この「学説研究」が(すくなくとも2000年代まで)社会学の中心となってきた。
一方、「理論形成」は社会の諸問題(経験的問題)を「以前より効率よく解決する」ためのものである。
創造的で想像力が必要な仕事であり、歴史的にはフーコーやハーバーマスのような一部の天才的な英雄によってなされてきた(英雄史観)。
例えば、新しい人間観や社会観の創造・採用、適切な概念を作り出すことがこれに当たる。
日本でも「学説研究」から「理論形成」へと移行すべき時期なのだが、「どうすれば理論を形成できるようになるのか」というハウツーが世界中のどこにも未だ存在しない。
1970年代のアメリカでは理論構築のためのテキストが数冊出版されており、
1.学説の専門家ではなく,統計や数理モデルに詳しい研究者によって書かれており,
といったものであった。
データの収集・分析が重要であるという考えは社会学の「統計学化」として社会学者からは懸念されていた。
これは理論形成はデータから帰納や命題からの演繹によってのみなされるわけではないからである。
(「社会学の理論の役割」を考える際、統計学化された社会学では認識論や存在論、人間観や社会観などの哲学的な問題が脇に追いやられてしまう)
また、理論を発展させるためには「解くべき問題の発見(未解決問題の発見)」が必要である。
「なにが未解決であるか」「すでに言及している・使える学説はないのか」を知るためには、今までの学説の研究(研究伝統の基本的な文献)が結局のとこと必要となる。
まとめると、社会の諸問題(経験的問題)を解くにはデータの収集や分析が重要であるが、手法の問題(概念的問題)の解決への手掛かりは学説の研究の中にある。
凡人であればあるほど、二兎を追うべきなのである。
(まとめここまで)
他
https://twitter.com/kaya_hojo/status/1049257254552125440
私は研究者というよりコラムニストになりたかったんだな。もともと東浩紀と上野千鶴子、大塚英志や宮台真司に憧れて社会学を志したのだから、研究者というよりは表現者への憧憬が強かったんだろうな。でも社会学を学んだ6年間はすごくキラキラしていて充実していたよ。合掌。
なるほど店主や調理人のクリエイティビティを強調したいという意気込みは理解できる。
また、伝統的な調理法や食材・提供方法・作法・価格相場等に束縛されないという意思表示においてのみは共感の余地がある。
それでも、何かを調理するなどしたものを金を取って人に食わす行為がクリエイティビティの発露そのものであると思う。
つまり、飯屋の看板を挙げて商売すること自体に、ある種の「創作」の意が必ず内包されているわけで。
もしろ名目上金を取らないヨメやダンナやオカンの素人料理こそ、ある種の創作料理の最たるものだとも言えるだろう。
それなのに、わざわざ店名に「創作」を冠する店が少なくない。
中には、家庭料理っぽくて・お手軽で・カジュアルで、Cookpadどおりのレシピみたいなもんなんだけど超ウマい、って優良店(?)もあるよ。
でも大概は「プロの本格料理でござい」的な趣旨を売りにしているところが解せないし、なんともいえない馬鹿っぽさを感じてしまう。
その馬鹿っぽさは、黒T着用にタオル鉢巻で壁に変なポエムが飾られてるラーメン屋と同根のものかもしれない気すらする。
美味ければそれでもいいのかもしれないけれど、みなさんはどう思われますか?
アニメは衰退、スマホゲームも去年の暮れからブームは終わったけど今は?次は何が来るのだろうか?
シャニマスCDの構成とかユニットの売り方とか女の子でやったSideM感があるよね。
ゲームに主軸を置かない感じも同じかな。
1stもなんとなく構成がにた感じになりそう。
コメの時点で伝統のアンフィとかあったけど、所詮4年程度のことなんだけどね。
シャニマスの飛躍は嬉しいけど、同時に可能性や方向性が過去のなにかに収束させられた感じもする。
バンナムがIPとしてアイマスを運営する場合のテンプレートはこうしていくんだろうか。
ドルコンテンツは結局他のコンテンツが歩んだ道を歩くことをファンもどこか望んでいるし、目的とするから仕方がないのかな。
ドリフェスやナナシスが武道館目指したり、Aquorsがドームがゴールみたいな感じとか。
そういえば、ミリオンはひとつのタームの終了として武道館やってグリマス終了でミリシタでリスタートがうまくいったパターンか。
オリンピックの影響で都心の箱取れないだろうから、次も奇をてらった箱がみたい。
昨日からバズってるハッピーエレメンツのチャイナアイドル、あれアズレンのユニコーン使ったCMと似てるよね。
多分、中国のステマ路線はああいう感じなんだろうけど、日本が出したものじゃもう乗っからない人も、やっぱ国が違うとのっかちゃう感じがある。
ジェンダーフリー的には男の子が赤のランドセル背負ってても個性として認めてあげるべきなんじゃないの?
伝統云々言い出したら男子は黒で女子は赤以外の選択肢なかったし、流行りのパステルカラーの水色や緑なんかも鞄の色のバリエーションとしては相当特殊だよ
どうも論拠が怪しい気がする
ランドセルも「鞄の一種」として考えれば黒ってのはごく普通の色だけど(大人が持ってる鞄は男女問わず黒が一番多い、かつ無難色)
赤は相当特殊な色なんだよ。
だから黒はランドセルとしては男の子の色でも、鞄としては女もごく普通に使う色でファッションにも合わせやすいから女の子にも広まったけど、
うーん。
野沢雅子さんを思い浮かべるとわかるんだけど、旦那よりはるかに有名で主演も多い(旦那さんも声優でした)
って言うのが大きい。
つまり日本のアニメで一番お金を稼げて、長期間演じられる少年漫画の主役は女性になる確率が高いことを意味する。
櫻井孝宏さん(44歳)いわく
「昔はスタジオのマイクが女性の身長に合わせられていてものすごく低い位置にあった」
そうだ。
※ちなみに櫻井孝宏さんは177cmあるので日本人男性の平均よりは高め
この言葉から察するに最近は男性に合わせた現場も増えているんだろう。
また、個人的にも男性声優の方が長期間活躍し、女性声優は使い捨て状態になっているように見える。
女性オタクや腐女子が増加するにつれ男性声優がどんどん業界内で地位を上昇させつつあるように見える。
これはどう捉えるべきなんだろうか。
と、ここまで書いて思ったが、女性声優が使い捨て状態とはいいつつも中堅クラスに上り詰める女性声優は普通にいるので単に人が増えすぎて切り捨てられる人が増えただけって話かもしれん。
> ただし、保守と保守主義では意味において若干の相違がある。
> 日本では保守はともかく保守主義は復古主義に近い。
wikiより
>保守:従来より続いてきた伝統的な秩序を尊重し、守り、いたずらに壊そうとせず、維持しようとすること、および、そのような考え方のこと。
実用日本語表現辞典より
前に書かれているのは「保守」
いやだから言葉通りの「保守」て伝統とか昔のことを大事に維持するって意味じゃね、それが伝統とか昔のことにてんで無知でええのかと
ここで「国益=経済効率」したがって経済に不利益なものは伝統だろうが捨て去る(大坂で維新がやろうとした文楽への支援廃止とか)とハッキリ言うなら、それも一つの立場としてアリだろう
逆に伝統が大事とか言う奴はそういう経済至上主義を断固許さず、ぜひとも保守陣営内できちんと「経済国益至上保守VS伝統保守」の内ゲバをやって欲しい
ここ10数年、右傾化ガーとか歴史修正主義ガーと言われて久しい。
ところがウヨが興味あるのは慰安婦とか南京とか戦前戦中の話だけで、それ以前はどうでも良いらしい。
過去10数年ぐらいに刊行されてる、吉川弘文館の人物叢書だの、朝日選書だの講談社や中央公論社だの各社の新書とかで、古代・中世日本史の本を読むと、なぜウヨが激怒発狂しないのか謎でならない。
何しろ、古代史では『日本書紀』は大ウソだらけ、万世一系ではなく継体天皇の代からは新王朝の可能性が濃厚、任那日本府は通説よりずっと規模が小さく「日本府」って名前も後世につくられた、「大化の改新」の中身はほとんど無し、厩戸王は実在したけど聖徳太子の手柄の大部分は蘇我氏の業績、藤原氏(中臣氏)を美化するための誇張が濃厚、壬申の乱の記述は天武天皇を正当化する作為が濃厚――といった調子、皇国史観は絶対で「記紀の内容はすべて史実!」て言ってた戦前の基準じゃ許されん話ではないかw
「神武天皇は実在した」とかドヤ顔で語ってた自民党議員は怒らないのか?
中世史も、『平家物語』の名場面の大部分は創作で源氏は卑劣、後醍醐天皇は政治的に無能だったから建武の新政は失敗、戦国時代には住民大虐殺や奴隷の人身売買が通例……とかなんとか、そんな話がフツーに記されてる。
竹田恒泰とかの「日本の伝統に詳しい人」と称する連中に言わせると、近代以前の日本には中国韓国のような野蛮で卑劣な話は一切なく、この世の悪はすべて戦後民主主義のせいらしいが、全然そんなことはなかったと公然と書かれてる。
やれ「歴史戦」とか言う連中は、なんでこういうここ10数年の歴史学者の成果を「ブサヨの歴史捏造だ!」と言って怒らないのかw
ウヨ連中は本当に、明治期以降か下手すりゃ昭和期戦前しか興味ねえんだろうな
専業主婦とか夫婦同姓が本気で日本の伝統と思ってたり、小島毅が書いてたように「明治維新が起きたのは江戸時代に儒教が広まったから」とか知らんで、本気で「中国韓国は儒教国家だからケシカラン」とかドヤ顔してる奴多いし
この辺の作品に共通する特徴が何かというと、「EDが神がかってた作品」である。
大抵のアニメは、OPは勢いよくてバリバリ絵も動いてテンション爆上げになる曲が多いのに、
EDは曲も穏やかだし止め絵も多いし、ちょいマシな感じのEDでもデフォルメキャラがピョコピョコ動く感じだったりして、何かこう、地味。
OP詐欺と言われるように、OPだけ神がかってて本編は微妙って作品は数多いが、
ED詐欺という作品は聞いた事がない。(本編が神だがEDはイマイチって作品は別に珍しくない)
そう考えると、アニメで一番優遇されるのはOP、一番割りを食うのはEDと言えるのではないか。
当初盛り上がって最終話が微妙な作品は数多いが、ひょっとしたらアニメ業界というのは、伝統的に「始め良ければ全て良し」の精神でものを作ってるのではないかと思う。
そんなわけで、頭隠して尻隠さずのアニメ業界で数少ない、尻まで隠したEDでテンション爆上げになる上に上げたようなアニメが増えてくれたら嬉しいなー、という話。
そんな堺雅人が、ひょんなことから殺し屋の香川照之と入れ替わることから始まるドタバタ劇とホロリラブコメディ
運命じゃない人見て面白かったので同じ監督の映画を探したら、あっこれ聞いたことある、と思って選んだ
結果、すごくよかった
運命じゃない人よりも好き
運命じゃない人が街だとしたら、こっちは428って感じ
言い換えると運命じゃない人は群像劇がバラバラでそのまま終わる感じだけど、こっちは一本に収束していってきれいにまとまって終わる
なので1本の映画としてはこっちのほうが爽快感があってわかりやすいエンタメになってる
有名な人もいっぱい出てる
それにただのアイドルで終わらずに女優として活躍してるのはすごい
話それるけど水着グラビアばっか出てた人が女優としてドラマでまくってるのもなんか個人的に不思議ですごいと思う
タイトルがよくわからずになんとなく意識高い系で敬遠してたけど、
いざ見てみると、すごくわかりやすかった
ラストのスタッフロールの途中でオマケが始まるのもこの監督の伝統?
運命~と違ってまるまる2時間あったから描写不足や時間不足も感じられず、必要十分に終わった印象
運命~よりも少ない登場人物で長い時間を描いたんだからまあ当然か
いやほんと今の所運命じゃない人の比じゃないくらいこっち好きだわ
アフタースクールも見てみるかな
すでに見たやつより評判はよくないみたいだけど
mouseion 男性優位社会だとぶちまけるみたいで日本人として恥ずかしい。しかしよりによって従軍慰安婦問題に理解のある河野太郎が男性優位社会の代表者の様に扱われるのは皮肉だな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2018092200296&g=pol
mouseion 削除前に一言謝罪とか釈明があれば問題にすらならなかった可能性。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1270960
初報で恥ずかしいってブコメしといて自分は騙されてませんよって白々しいですね
Icchy これは恥ずかしい。パーフェクトな国辱。
senbuu 「真ん中だから主役」とアホな支持者が称賛しそう。
hituzinosanpo まったく 意味が わからない。なにを どうしても、ダメっぷりの「アピール」にしかならないでしょ。
hatehenseifu 「女性参加に前向きな姿勢をアピール」←後ろ向きにしか見えない(笑)
Kandata めっちゃ笑える。こんな感じで世界のレガシーとして日本をアピールしていきましょう。誇り高い伝統(70年前を基準)を守る美しい日本として。大いに輝いていこうではありませんか!!!!
kyo_ju 女性外相の会合に"ワークニも女性の活躍をぉ"とアピるために入らせてもらったという意識が頭の片隅にでもあれば、記念写真で真ん中を占領するような行動には出ないと思うんだよね。河野孫は厚顔無恥←結論で。