はてなキーワード: マウンティングとは
数十人規模のサークルにヤリマンがいた。顔面偏差値は58くらいで、とりあえず味見感覚で男とセックスするという、空想上の生き物みたいな女性だった。ちなみに俺はタイプではないので寝てない。
その子は別にサークルクラッシャーというわけではなく、寝取るとか浮気とかもなく、ただただ純粋にサークル内の男とヤりまくっていただけなのだが、男にも(そう、男にも)女にもすげー嫌われて、ハブられ、孤立してサークルから去った。
ヤリマンであるということが、まるで虚言癖のマウンティングクソ野郎くらいの扱いになってた。なぜなんだろう。すべて合意のセックスだろうし、何も迷惑かけてないのになあ。女はともかく男までホームレスを見るような汚物を見るような目で見てて正直怖かった。
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。
最近「セックスレス」がいいだ、悪いだと、増田が大いに盛り上がっているな。
おいちゃん、気付いたんだな。
え? どういう意味かって?
つまりだな
「セックスレス」とは
(2)結婚とか、同棲とか、仕事で疲れたとか、大人の事情でセックスから遠のいている
(3)本気で相手に「やらせてください」とか「セックスお願いします」と言えば、どうにかいたせるのにしない
という、超絶上から目線の立場で、童貞・処女どもを端からマウンティングする連中なんだな。
男は童貞に、女は処女に(膜の再生はともかくとして)、振り出しに戻ればいいんだな。
初々しいんだな。
これで、変な悩みも解決なんだな。
最近「セックスレス」がいいだ、悪いだと、増田が大いに盛り上がっているな。
おいちゃん、気付いたんだな。
え? どういう意味かって?
つまりだな
「セックスレス」とは
(2)結婚とか、同棲とか、仕事で疲れたとか、大人の事情でセックスから遠のいている
(3)本気で相手に「やらせてください」とか「セックスお願いします」と言えば、どうにかいたせるのにしない
という、超絶上から目線の立場で、童貞・処女どもを端からマウンティングする連中なんだな。
男は童貞に、女は処女に(膜の再生はともかくとして)、振り出しに戻ればいいんだな。
初々しいんだな。
これで、変な悩みも解決なんだな。
フレネミーってネットで目にした用語で詳しいことは知らないけど、
私は「友達のふりしたエネミー」とか「友達でエネミー」とかって解釈してる。
田舎ってあいつ嫌いとか付き合いたくないって思っても、親や祖父母、親戚や兄弟まで知り合い、むしろそっちは仲がいいとかある。あと仕事上の付き合いがあるとか。
あと田舎じゃなくてもよくあるパターンだけど、全然話通じないやつ説得するより話通じる方(たいてい被害者)説得するよねそういうパターンで、小さいころからずっと我慢させらせていた。
その子のいう暴言は許されて私がちょっとでも注意とかでキツイこというと、私が悪者にされる。そういうことが繰り返されて成長したので、そういう暴言はいたりするのは私が対応間違えるから悪いんだ。それで私が傷ついたりするのが悪いんだ。私がそういう対応される存在なんだって刷り込まれて生きてきたんだよね。
その子にもいいところはあったと思うんだけど、昔はそういういい思い出ばかり思い出して、これもあれもって助けてたけどだいたい私が我慢したり助けたりするパターンのほうが多いんだよね。
自分を守るためなのか常にそういう対応されてるからか、あれが酷かった、これがきつかったって覚えてられないんだよね。たまにフラッシュバックみたいに思い出してしんどくなる。これは洗脳がとけてもそう思う。
洗脳だったんだなって地元にいるときから薄々思ってたんだけど、なかなか離れられなかった。地元にいる間はついてこられてたし。何せ親も仲良しだったからね。
転職して地元じゃないところに就職して6年、ようやくあれは洗脳だったなって思った。
その6年の間にブラック企業に就職しちゃって身体も壊したんだよね。
逃げりゃよかったんだけど、そういう対応に慣れてたから身体壊すまで我慢してしまった。
本当はここに何をされたとか箇条書きにすればいいんだろうけど、
連続させてないから、一人の人間のことだって思わないだろうけど、ぽつぽつつくコメントでだいたい「それは友達じゃない」ってつくからやっぱりなって思ってる。
その友達とは実はまだ絶縁までは言ってない。
連絡先一つだけ残してつながってる。
親同士はまあ仲いいんだけど、親は、友達の親も子供もちょっと変だよねとは思ってるし、私が付き合いを遠慮してるのを察してくれてる。最近は兄弟が連絡しないようにガードしてくれてる。
まあでも、彼女からして結婚して子供もいない私に子育ての悩みとか相談(という名のマウンティング)しても仕方ないって思ってるみたいで、今はもっぱら最近子供の生まれた私の妹のところに押しかけてるらしい。さすがに迷惑だろうって私から久しぶりに連絡しようとしたけど、妹にこっちはなんとかするから大丈夫って止められた。
帰省も最低限にしてるんだけど、(実家同士近くないのに)たまに気づかれて押しかけられて子守させられたりする。
今こうして息をするのが楽だし自由だと思うと「あんたばっかりずっと楽してる!」っていってた友達の顔を思い出す。ずっとしんどかったんだけど、ずっとずっと楽してなかったけどって思う。そしてちょっと罪悪感がある。これはもう呪いだな。
たとえば「その方が親切ですよね」っていうのは一見聞こえがいいし、
なんらおかしくはないんだけど、親切ってのは全てに当てはまるわけではない。
それを仕事とかで持ちいると途端に不幸な人が出てくるのだ。親切の裏では誰かが苦労するというやつ。
それでも親切発言した人は親切だと思っているしなんなら自己暗示してオキシトシンがたくさん出てくるから、
個別事例に対して常に親切でいろという指摘をするくらないならマニュアル化しろという話だ。
それ以外を親切っていうと思うんだよな。人同士はマニュアル化できないから親切が生まれるのに、
仕事内容に親切も何もないんだよなー。
謙虚ぶってマウント取るなよムカつくんだよって同期に昨日怒られた。こっちは他人に対して何かしらで優位に立てるほど優れてないのだからマウントなんか取るわけないのに。そもそも私のカスみたいな能力ごときで人様にマウンティングできることなんてひとつもない。そんな自信もない。自信を持つ権利もない。自分の能力や才能なんかほんとにクソでゴミでなんの取り柄もない最底辺だと理解してる。だからこそ周りより努力しようとか、他人より多く頑張ろうと意識して仕事してるけど、それはどうせ無能だからって甘えを持たないようにせめて最底辺なりに足掻いているだけで、私以外のみんなにはそもそもそんな努力なんか必要ないことも知ってる。ほんとに能無しのクズ。
だけど、そんな私のようなクズにすらできた事なんて、出来の悪いゴミみたいな私にできた事なんて普通の人にはできて当たり前のはずなのだから、他のみんなに絶対できないわけないとは当然思う。
能無しのゴミのくせに一丁前に他人の能力を自分と比較して嫉妬するどうしようもなく最低な人間だから、こんなカスみたいな能力の私ですらできる事を、絶対に私より才能あって優秀な他の誰かができてなかったら
とも思う。
なんならそれが才能があって地頭良くて有能で優秀な人間への嫉妬や憧れと綯い交ぜになって、私より優れているはずなのにできない=本気でやっていないに違いない という風に感じて苛立ちを覚えることすらある。
だから、私が例えば10努力してできたところ貴方ならそんな努力なんかしなくても簡単にできるはずのことなのに、それができなかったなんて、舐めてかかって怠けてたんじゃないの?とか、真面目に頑張らなかったんじゃないの?もしかして手を抜いてたんじゃ…ってどうしても疑ってしまって
(私より才能あるのに)なんでちゃんとやらないの?
(貴方は私より優秀なんだから)ちょっと頑張れば簡単にできるはずなのにどうして?
みたいなことは割と日常的に思ってしまう。言葉にも出したかも知れない。
だけどそれを、なんでそんな事も出来ないのww私普通にできるんですけどwwwみたいなニュアンスで言っていると勝手に捻じ曲げて捉えられて、マウント取ってんじゃねーよとか勝手に決めつけて噛みつかれても困る。無能な私が、優秀な他人に対して傲慢に上から目線かますほど偉ぶっていると勝手に勘違いされても困る。
つらくなってきた。難しい。