はてなキーワード: ボキャブラリーとは
・施設に来場する度、怒鳴り散らす男が居た。
「施設のルールに従うつもりはないが施設は利用したい」というワガママ野郎に毎回「お前はほんと生意気だな!」と怒鳴られた。
「お前はほんと生意気だな!」と言われ、毎回『うるせぇそれしか言えんのか』と心の中で思ってた。
後日、日本人ではなかったと人づてに聞き、「だからボキャブラリーが貧困なのか」と納得した。
そんなんで生きていけるのかお前。
・自分より後から入社してきた男性が休憩に入る前に質問してきた。
入社後半月は経つのに出来ていないことが多く注意したところ「そんなの知らなかった」を連発。
入社直後は出来ていたことと、今日この後からはやってくれ、と説明するも「だって知らなかった」「あなたは自分の価値観を押し付けている」と喚き出す。
いい加減頭が痛くなってきたところで「こんな話をしてたら休憩が短くなった!」と吐き捨てやがった。
60過ぎた奴がこれで生きてこれてるのかと思わず感心したし、きっちり上司に報告もした。
・45過ぎたおっさんを研修していたところ、些細なミスでお客様に迷惑を掛けた。
すかさずフォローに入りあれこれお客様に説明しながら調整している間、おっさんはただ黙って突っ立っていた。
「申し訳ありませんでした」とお客様に謝罪をする私の横でも、彼は無言で突っ立っていた。
お客様への対応後、ミスした時はお客様に謝罪することをキツく注意した。
その後、今回のミスを少なくする方法を説明しようとしたところで「だって分からないんだもん!!!!」と、持っていたノートを机に叩き付け絶叫。
だもん、て。分からないんだもん、て。
唖然とした。何も言えなくなった。
それでもなんとか絞り出した「分からないなら覚えてくれれば良いから…」というありがちな言葉にも「だって分からないんだもん!」を繰り返し頭を抱えた彼を見て、途方に暮れた。
まだまだ序の口だけれど、40過ぎて良い歳した人間でもこんなのが居ると知ると、「こんな奴でも生きていけるのか、自分はマトモなんだな」とつくづく思う。
もーこれの為に登録したわ!wwwコメも送ったけど書きたりないからこっちに追加書く!
女性の同人では小説の表紙は、本とお礼の菓子折り程度(下手すりゃら500円程度で済まされるw平均千円)
それでも受けるのは『作家』の『同士』として、表紙が絵だと売り上げが違ったりするから『協力』してあげてるだけの事。
作家同士作品作る人にしか分からないビミョ〜な苦しみを分かち合える仲間だから…
そこから広がって行く人脈や、自分が言葉のボキャブラリーに困った時、小説書きの友達に相談できる…とか、お互いウインウインの関係作る為。
なのに増田さんは『自分のファンアートを寄越せ』と言っている!!自分の小説のイメージに合う素敵な作品を待っている!!
小説読むのに強制的に時間奪われて、どういう表紙が本のコンセプトに欲しいかも伝えない。読むにレイアウトまで人に任せてる!
表紙のイメージ出し、構図、レイアウト、色調整…これはクリエイティブな仕事です!作品を1つ作ると同じ労力がいる。それを人に丸投げしておいて何言ってんの??
私は自分の作業の時ラフと色イメージ作るのに1日かかります。(悩むと2日)+イラストに2日+タイトル等のレイアウトに1日(ここに小説読む時間足される…うわ〜やりたくね〜)
そんだけの労力をかけてラフ出ししたらリテイク来たらキレます!当たり前!お任せにしておいて、リテイクなんて有り得ない!(これは仕事でもブチ切れ案件です)
あと「やっつけ」にコメで2つの意見出てますが、両方正解だと感じました。
絵描き同士会話で「今日中にこの絵やっつけたくてさ…」とか「お互いやっつけて明日遊ぼう」とか、絵を描く苦労(楽しいけど兎に角労力が要る作業だから魔王倒す気分w)で使う。だけど文書に出てた人は前述べの理由で本当面倒だったんでしょう…(こんな厄介な依頼無償でやってんだもん…)
(だが映画中にメール?横の席の人本当お気の毒!『自分はそこまで頑張った』アピールなのかもしれ無いけど、自分本意で視界狭すぎる!
映画だと言えば大概の人待つし、待てないって言われたら自分が映画館出るしか無いじゃん!自分がお願いしてる立場なんだから。何でそこの責任を自身で持てない?)
結論!『解決も学級会も求めて無い愚痴』?こんな大声(公的場)で自分のやってる非常識を棚に上げてぐちぐちやれたら反論文を倍で返して、視界を無理矢理こじ開けたくなりますね!打開策を一切考えて無い愚痴ほど不毛なもの無いわ…
何で小説書いてる友達に「どう依頼してるの?」とか絵描きに「どう言うやり方がやりやすい?一番手間を取らせないように動くから…」て聞けないの?
自身がファンアート求めてる自覚して、そんな依頼絵描きは応えられません!
もしくはファンアートなんて好きで好きで『絵で表現しないとたまらん!』てならないと描けないから、そんな作品を書けるよう頑張って下さい!
ネイティブと一口にいっても、地域差がある、という話をもう少しする。
これは英語ではもちろんのこと、スペイン語でも同様。多分、中国語でもそうだろう。
スペイン本国で標準語とされるカスティジャーノとラテンアメリカのスペイン語は実はけっこう異なる。
これは学習するときに、これは全世界で通じるのか、それともラテンアメリカだけなのか、スペイン本国だけの言い方なのか、いちいち気になってしまい、ちょっと煩わしい。
さらにラテンアメリカでもメキシコからチリまで幅広く、それぞれに異なるボキャブラリーがある。
「猫ふんじゃった」というときに、「踏みつける」は、ピサールなのかパテアールなのか。お隣同士の国でも異なったりする。
自動車はカーロなのかコチェなのか。あなた方はボソトロスなのかウステデスなのか。
ベントソはスペインでは「風が強い」という意味だが、中米では「屁をこいた」だ。
クロケタはメキシコではコロッケではなくドッグフードのことだ。
そう。スペイン語を学ぶという場合、ネイティブを目指すというのは、
そもそも、どのネイティブを指すのか、という時点で、たくさんの選択肢がある。
なので、スペイン語圏を旅するときは、正しい言い方などを気にしていたらキリがない。
ネイティブのように話す、という英語学習にありがちなあこがれは、スペイン語についてはあまりないように思える。
ネイティブっぽくというこだわりよりも、間違ってもいいから、とにかく話すという習慣がついていくひとのほうが多いように思える。
ラテンアメリカでスペイン語に馴染んだ人は、カスティジャーノのセー(C)の発音に苦しむと聞く。ラテンアメリカではTHの発音はない。
ラテンアメリカから入ったひとがスペインのスペイン語を理解することのほうが、
スペイン本国のスペイン語から入ったひとがラテンアメリカのスペイン語を理解するよりも、適応に苦しんでしまうようだ。
極めて女性とのコミュニケーションが苦手なので、風俗に行ってもどうやってお姉さんと接してよいのかわからず楽しくない。
気を使ってくれているようであり、軽蔑されているようでありつらい。
複数回プレイ中に「スマホ見てもいい?」と言いながらLINEやっているお姉さんをただガン見する気まずい時間があってつらい。
なんとなくスマホしている人には話しかけちゃいけない気がしてさ。スマホ操作する女性を至近距離から凝視するプレイつらいです。
それにさ、性行為しているときどんなリアクションしていいかわかんないよ。こういうことこそ義務教育で教えてほしいんだよね。
性行為中の女性のバリエーションはAV視聴で豊富になったけれど、男はわからん。普段一人でするときは声も出さないし、無表情だしな。風俗では快感をきちんと伝えたいけれど、ボキャブラリーが少なすぎてイキスギィ!とか言ってしまって野獣先輩になりきることしかできなくてつらい。
それはそれとして、風俗で初めましてからさようならまでフリフリな衣装とアニメ声とあざとすぎるムーブで童貞の夢を夢のままで接客してくれるお店はありませんか。
若い人が自らの判断で投票する事に対して、○○党に入れるとは信じられない(彼らの好きなボキャブラリーで言えば「奴隷の首輪自慢」「肉屋の味方をする豚」)とか言うやつは単に偏って党派的なだけで、ちっとも『リベラル』なんかじゃないから、無視していいよ。言われなくてもしているとは思うけど。
彼らの言っている事は表現が違うだけで要は「投票は△△党に入れて○○党には入れるな」と言うのを△△党をぼかしていっているだけだから。
声の大きいそのタイプの人が「自民党に入れたヤツは消費税アップや改憲に文句を言うな!」と言っていたが、投票結果に拘束されず自由に意見を言うのはダメな事らしい。ちっともリベラルじゃないし。その理屈、自分達の支持政党が与党になった時も同じ事を言われるの解っている?と思う。
私は松屋で夕食を終え、晩酌を一杯だけ行こうと思い、同じビルの階下にある魚民にひとり入った。
通された席の通路を挟んで隣の席。男ばかり4ー5人のグループが何やら騒がしい。若い男がひとり、隣席でもうるさいレベルの音量でまくし立てている。
その言葉は中国訛りのカタコト、かつ酔っ払って呂律が回っておらず、余計に耳についた。どうやらグループ内で揉め事が始まっていたらしい。私はひとり酒をゆっくりと飲む楽しみがぶち壊しになったことを悟り、悲しい気持ちになる。
ガシャン!グラスでテーブルを叩く音がした。
中国人はヒートアップの一方だ。しかし、ケンカを売られたスズキと思われる男はボソボソと何か答えるほどで、言い争いにまではならない。
貧しいボキャブラリーのまま、中国人のトーンが収まっていない。彼はかなり興奮している。スズキはスズキで何か言い返してはいるようだ。それは大声で正面から威圧する中国スタイルとは反対に、ボソボソと相手の嫌がることを突いていく陰湿なスタイルだった。
地獄のような応酬だった。スズキは中国人がモテないことを陰にディスったのだろう。今夜一番の声量で中国人は反射的に言い返した。が、語尾に行くほど小さい声になっていたので発言内容はほぼウソだろう。それに対し、スズキのカウンターは表面上、まるでよくある雑談の途中で社交辞令を言ったかのように、余裕しゃくしゃくだと見せようとしていたが、声が震えており、ケンカ慣れしていない感が溢れ出ていた。おそらくスズキもモテない。
安いチェーン居酒屋で
土曜の夜にパッとしない男同士で
バレバレの嘘をつき
余裕見せようとして失敗している
地獄だ。目糞と鼻糞が組んず解れつしている。救いがない。
愚かな男たちが金と、時間と、精神をすり減らし、ささやかな友人関係まで失っていく様を見てしまった。
私は注文したハイボールの3分の2ほど飲んだところで店を後にした。魚民の扉の外でふと店を振り返えり、立ち止まった。ハイボール残り3分の1を飲む時間に代えて、今自分に何ができるかを考える。しかし彼らの幸せを願う事はない。
SNSで趣味で絵を描いてるけど特に絵のジャンルで相手の絵を褒めないといけないローカルルールがクソなんですがあれなんなの。
1 好き、上手い
2 嫌い、下手
3 関心ない(どうでも良い)
123は複雑に絡み合う要素だからどんな感想を抱いても良いのだけどたいがい求められるのは
1ばかり。褒めのやわらかな強要。いや同調圧力。絵描きはナイーブな子が多いから2の嫌いとか下手とか少しでも入れたら泣いちゃうし心折れちゃう。
気を使って好きとかここが上手いとか良いところを見つけて相手に伝える。相手の絵なんかどーでも良い。とりあえず(相手を傷つけないように機嫌を損ねないように)自分の持てる褒め言葉ボキャブラリーを駆使して感想を伝える。
あんたの絵がすきなんじゃない
50代?以上のオッサンにババア呼ばわりされたんだけどなんなの?! 今までにも何回かあったんだけど!!
だいたいおっさんが一人苛ついて罵る時に使うよね。ボキャブラリーの中にババアって単語しか載ってないの?? もっと日本語駆使してこっちを罵ってくれよ!!馬鹿丸出しだぞ!!!
「ババア」って言われた時は、ア???何だテメエ??? ってムカついたけど、そのあと「クソババアが」って続いて、それ以外に何も言えないのかと思わずにやけたわ!!! 笑ったらさらに怒るだろうから必死に口の中噛んで堪えたけど!!!!
ムカついたから悪口言いたい! けど咄嗟に何も思いつかない! 己クソババアめ!! ってこと??? 萌えキャラかよ
でもね、ちょっと待ってほしい。
ちゃんと冷静になって。
あなた 50代
ってムカつきながら書いたあと、ちょっと冷静になってぐぐったら「ババア」って成人した女性のことも指すんだね。高齢の女性に対して指す言葉と思ってたので勉強になりました。
あとブスとかデブって言葉は選ばず「ババア」って成人女性みんなに当てはまる呼称にしたのは、ゾンビなりの優しさだったのかもしれないね
私は学生時代の頃から自分自身が『オタク』または『ヲタク』と呼ばれる存在であることを自負していた。
アニメはリアタイ視聴が当たり前、その翌日にはオタク仲間と共に語り合ったりSNSで感想を述べたりするからだ。
PC美少女ゲームは秋葉原のソフマップから、今は亡き紙風船に買い物に行って、神ゲーからクソゲーまで一通り触ってきた。
一時期は本気でシナリオライターとして食っていけるのではないかと夢見る時もあったが、今ではなぜか普通の社会人になってしまった。
学生を卒業して早七年……あの頃、本気でヲタクをやっていた自分がいなくなっている気がした。
翌朝六時から出勤しなければならない事が多かった日々、私が心の支えにしていたのはアニメだった。
その当時、何を見ていたのかはハッキリと思い出せないが、とにかく忙しい日々には通勤途中で見られるVODが超優秀で、スマホから月額400円相当で過去作も含めたアニメが見放題だった。
仕事に忙殺されていたせいか、SNSも頻繁に見ることもなくなった。そのために何人かネット上の友人を失ったが、なぜか全く後悔していない。
その程度の関わりだったと、どこか気持ちが切り替えられていたせいなのだろう。
当然ながら、リアタイ視聴にこだわっていた自分は、気付けばどこかに消え去ってしまっていたのだ。
などと、好きなブランドや絵師の名前は一通りチェックして回る日々も忽然と姿を消してしまった。
新作の量はソフマップが圧倒的だが、旧作だが超名作がぞろりと揃っている『紙風船』が閉店していることを知ったのは今年に入ってしばらくしてからだった。
流石に閉店を知った時にはショックだったが、何よりも驚いたことが『その情報を察知していない自分』だったのだ。
正直に言えば過去の名作をプレイしておらず、自室の押入れに何本か積んでいる時点で、新作を買う気力があまりないのだ。
早く消化したいと思う気持ちと、一週間に一日しか無い休みに美少女ゲームを立ち上げようものなら、何もかもを放り出して没頭する自信がある。
それよりも翌日にまで支障が出てしまう可能性もゼロでは無いのだ。
そう思ってから未だに一本も消化できていない時点で、自分は本当にヲタクだと呼べるのか、という自信が薄れつつあった。
職場の人に「休みの日は何してるの?」「趣味ってなんかやってる?」と聞かれる事が増えてきた。
「いやぁ、趣味という趣味は無いんですが、読書とカラオケぐらいですかね〜」
私はへらへらと愛想笑いを浮かべながら答える事が多くなった。
当然カラオケが趣味と言っても『ヒトカラ』が当たり前である私だが、社会人ともなると「友達と行くの?」と勝手に都合の良い質問をしてくれるので、肯定するだけで「社交的な自分」を伝える事が出来る。
まぁ、学生時代の友達と一緒にカラオケに行けばアニソン縛りが当たり前、ヒトカラでは上司にもウケるように昭和歌謡曲などもフォローしている。
誰かと歌う事が当たり前だから、一人でもカラオケに行って練習するという習慣が、学生の頃と比較すれば異常なまでに人との関わりを意識してしまっていることに気付かされる。
学生の頃は誰かと歌うのが面倒だから、自分一人で自由気ままに振る舞えるヒトカラが良かったのに、今では予行演習じみたカラオケになっていた。
読書だって、ラノベしか読まない私からすると『ビジネス書』『一般文芸』など読むはずが無いジャンルも、上司や取引先との会話の中で趣味の話題になった際「この作品って知ってる?」というフリに対し「芥川賞を受賞された作品ですよね。私も読んでますよ」という返しが出来ればポイントが稼げるのだ。
仕事で後輩が出来た際にも、ビジネス書の受け売りを酒の席でわざとらしく言ってドヤ顔もしちゃったりできるのだ。しまいには「もっとアンテナを広げた方が良いよ」なんて言っちゃったりするのだ。
でも、意識高い系の後輩が出来た際にはバッチリ効果が出てしまって、ちょっとだけ成績が伸びてしまったもんだから読書も幅広く読むようになってしまった。
私が学生時代の時は『アニメはリアタイ』『ゲームは好きなジャンルから総なめ』『SNSで情報共有』が当たり前だった、陰キャ街道まっしぐらだった人間。
性格などに関しては変わることは無いのだが、友人を見ると『好きなジャンルを深掘りしているタイプ』であるのに対し、私は非常に浅い。
その代わり、あまりにもニッチな話題でなければ、ある程度の話題に関してはコメントで打ち返せるほどのボキャブラリーは充実している。
アニメをたまにしか、好きなジャンルしか見ない人間もヲタクと呼べるのか。
ゲームも今は一切しないが、昔やってた経歴からヲタクを自称できるのか。
予め言っておくと、オタクを自称したいとか、オタクのプライド云々が言いたい訳では無い。
そんなもの、そこらの犬にでも喰わせてしまえば良いと思っているくらいだ。
私が言いたいことは自分でも名乗れないほどに『ヲタク』というアイデンティティが失われてしまうことで、自分は一体何者なのだろうか、という疑問が残されてしまう。
別にオタクであろうとなかろうとどうでも良い。ただ、友人たちの目からは『ヲタクである自分』というフィルター越しに私が見られている気がしてならない。
もうとっくにそんな姿は存在しないと言ったとしても、私はいつまでも『ヲタクである自分』で物事が進んでしまうのだ。
仮に『ヲタクである自分』が手放せたとしても、今度は『ヲタクではない自分』がどんな存在なのか、皆目見当もつかないのも空恐ろしい。
結局、私がヲタクであることを証明できるように、自らの手でヲタクという生き方を捨てきれないだけなのだと思った。
本当にヲタクであることを辞めてしまったら、どうしようもなく薄っぺらい、何も無い人間になってしまうような気がして怖いだけなのだと思う。
自分自身が中間管理職の立場になり、まさにその通りだと痛感した。
元来自分自身が「人のやっていることや教科書などの『お手本』をマネしながら習得する」ことが多かったためか、そもそも人は何かを一方的に詰め込まれてもあまり身にならないものだという認識が強い。
それに、小さな子供ならいざ知らず、職場にいるのは最低限高校を卒業した「社会人」だ。
よくも悪くも皆自我があり、ポリシーがあり、得手不得手もある。
「育つ」のに役立ちそうなことを可能な限りたくさん提供することこそが、管理職の人員に対する責任であると考える。
まっさらな紙とペンを渡され、さあ何か書けと言われても急には書けないものだが、まずはとにかくペンを走らせてみないことには前に進まないことは確かだし、書きづらそうならばテーマを与えるなり、ボキャブラリーを授けるなり、役立ちそうなことを提供することが管理職に求められることであろう。
…と持論を並べてみたが、結局のところこれは方法論にすぎず、どんな方法であれ人員がレベルアップしてさえくれればいいわけで(というかレベルアップしなければ無意味なわけで)、そもそも人材育成法について議論すること自体がおこがましいことのような気がしないでもない。
「朝日新聞かと思った」←これやめろ
ほんっと多いのなこのブコメ。目障り。
普通に「嘘くさい」「やらせだろ」て書いてくれたほうが新鮮に見えるくらいだわ。IMEの辞書に短縮形登録でもしてるのか?毎日見かけるんだよな。
まあ「朝日新聞かと思った」て書くやつはそれほどボキャブラリーの乏しいやつだっていう目印にはなるけどな。
悔しかったらひねりを効かせてみろっての。産経かと思ったでもハフポストかと思ったでもいいよ。それともお前ら朝日新聞しか読んでないのか?
(追記)
ときどきなら許してほしい、というコメントがあったけど、そりゃ一人一人は時々しか「朝日新聞かと思った」と言ってないのかもしれないけどさ、そういう人がいっぱいいるから結局毎日毎日目にすることになるんじゃないかなあ。
チマチョゴリ切り裂きを控えろと政府要請したら「朝日かと思った」、サンゴ礁にKYって書かれては「朝日かと思った」…うんざり。本家の朝日新聞だってそんな毎日ネタ流してるわけないじゃない。