はてなキーワード: ボキャブラリーとは
団塊世代の高卒中卒が現代人よりも一貫してハッピーな経験しかしなかった苦労知らずのように一方的に決めつけるのは、さすがに後世の人間の高慢を感じる……
そういう側面もあろうが、そりゃ団塊ちゃんたちが能天気に見えるのはしゃーない。
そもそも増田には世代論や社会論を誰かに伝えるための知識とボキャブラリーが欠けているとも感じる。
団塊世代が後の世代と比べて異なる点は、単に数が多いだけではなく、「未来はただ明るく希望に満ちている」と思える時期に若者だったという点だ。
団塊の世代は戦争を知らない世代でもあり、朝鮮戦争特需のころに子供時代を過ごし、生活が「どんどん良く変わっていく」ことを実感して育った世代。
一方でそんな都合のいい景気成長が続くわけでもなく、また、社会が豊かになるにつれて入ってくる情報量自体も増えるから耳触りの悪い情報も増えてく。
なので、団塊世代以降は、成長する日本の恩恵と同時に公害やら高齢化やらオイルショックやら冷戦やらなんやかんやの事件や社会情勢を見ながら、未来は必ずしも明るいと限ったわけでもないと感じて育ってきた(らしい。自分の親がそんなことを言ってた)。
この辺は自分で戦後史と戦後風俗の年表でも作ってみたら。年表に団塊世代の年齢とその後の「シラケ世代」とか言われたりしてる世代の年齢をあてはめたりすると実感しやすくなるよ。彼らが14歳の時に、17歳の時に何が起こったかと見ていくと面白いし、少しはマシなことを考えるための材料にはなる。ついでに自分の年齢も現代史年表にあてはめてみてみると面白いよ。
「少年よ、なぜこんなところで一人、泣いているのだ。助けは必要か?」
「な、泣いてないよ」
「ふぅん、強がる程度の気概はあるか。結構、血行、雨天決行!」
大げさで意味不明な言い回しで、初対面の子供相手にズカズカと土足で入ってくるイラつく奴だ。
しかも見た目もカッコよくない。
顔に取り付けられた仮面は明らかに紙で出来ていて、声をくぐもらせている。
見た目は手作り感に溢れ安っぽく、飾ってはいるけど飾りきれていない感じ。
体格は俺より大きいけれど、一般的な大人ほどではなかったと思う。
ただ、そのゴッコ遊びの延長みたいな風貌が、俺の警戒心をゆるめたのかもしれない。
俺は人見知りのはずなのに、すぐさま彼と話すことができた。
「よくここが分かったね。今まで誰にも気づかれなかったのに」
「私の超能力が一つ、“アノニマ・センス”だ。キミのように孤独でみじめな人間が近くにいると血が騒ぐのだよ」
「言い方」
いま思えば、俺がああやって話すことができたのも、アノニマンの超能力の一つだったんだろう。
俺は少ないボキャブラリーで、アノニマンに精一杯の思いを吐き出した。
「ふぅむ、キミの悩みは一見すると複雑だ。しかし、その実、答えはシンプル」
アノニマンは最初から答えを用意していたかのように、俺に言い放った。
「キミはその場所を居心地が悪いと思っている。そこに自分の居場所がないのだから当然だが」
もちろん、俺の抱えている問題はそれだけじゃない。
だけど今の状況だけでいえば、解決すべきはそこだったのは確かだ。
「解決方法は主に二つ。一つ目は居場所を“自分で作る”こと。だが、これはキミにはオススメできない」
「なんで?」
「キミの場合、そうして作った居場所は“ココ”みたいになるだろう。一人で閉じこもるためだけの、孤独な避難場所だ。それは最後の砦としてとっておくべきものではあるが、勝つためには進軍しなければならない」
会って間もないのに、既に色々と見透かされているようだった。
「慣れるって……それは分かるけど、どうやればいいか分からないよ」
「なあに、そのために私がいるのだ」
「道は示そう、そこを通るためにどうするかはキミ次第だ」
俺はその手を恐る恐る、弱い力で握った。
「よろしい! 今、キミは自分の意志で、私の手を握ったのだ。その気持ちを忘れるなかれ!」
するとアノニマンは俺の手を強く握り返した。
そう言ってアノニマンはマントを翻し、声だけを置き去りにしてどこかへ消えてしまった。
「忘れるな、アノニマンはキミが必要としなくても駆けつける!」
ほんっと多いのなこのブコメ。目障り。
普通に「びっくりした」「信じられない」て書いてくれたほうが新鮮に見えるくらいだわ。IMEの辞書に短縮形登録でもしてるのか?毎日見かけるんだよな。
まあ「虚構新聞かと思った」て書くやつはそれほどボキャブラリーの乏しいやつだっていう目印にはなるけどな。
悔しかったらひねりを効かせてみろっての。東スポかと思ったでもウィークリー・ワールド・ニュースかと思ったでもいいよ。それともお前ら虚構新聞しか読んでないのか?
(追記)
ときどきなら許してほしい、というコメントがあったけど、そりゃ一人一人は時々しか「虚構新聞かと思った」と言ってないのかもしれないけどさ、そういう人がいっぱいいるから結局毎日毎日目にすることになるんじゃないかなあ。
オリンピックボランティアのために授業を控えろと政府要請したら「虚構かと思った」、タコがマンションにぶつけられては「虚構かと思った」…うんざり。本家の虚構新聞だってそんな毎日ネタ流してるわけないじゃない。
趣味に関するブログで知り合いになった方がいる。私の母親でも全然おかしくないような50手前くらいのお歳の方。ちょくちょくコメントをやり取りするだけの仲で、たくさんいるブロガーさんの一人という認識だった。
ある日LINEできますか?と言われて、何も考えずLINEを交換した。今考えると仲良くもないのになぜ?って感じだけれど。LINE交換して、なんとなく私に対してネガティブなことを言う人だな…と思った。わたしが「狡猾」だとか「性格が強い」「○○さん(他のブロガーさん)もたじたじ」「顔出ししたら炎上するわよ」などなど…意味不明。私のブログなんてアクセスもないし、攻撃的な事を書いたこともないし、炎上するはずがない。後、大学が忙しいって言ってるのに「彼氏は?欲しいでしょ!?」とか「結婚して初めて自立できたと感じました」とかしつこく結婚を勧められてウンザリ。その人40後半で初婚なのに…それまで自立してなかったんか?と疑問だし。
「ネガティブな言葉を使われるので驚きました」「結婚願望ありません」
とか正直に言ったら
「ブログ上の私はキャラクターを演じていたの!disappointedさせてしまったらごめんなさい。ブログでの私のイメージってどんな感じ?」
と返ってきた
「たくさんいるブロガーさんの一人、というイメージしか持っていません」
と言った。彼女はたぶん他の言葉を期待していたんだろうと思うけれど、嫌な気分にしてくる相手にどうして相手が望む言葉をかけなきゃいけないのだ、と思った。
後、「したいことをできなかった私のようにならず~~として将来は生きてください!」(なんかもっと長かったし、文法もぐちゃぐちゃで論理破綻著しかった)とか言われてなんかもうイラってきて
「将来のことは自分で決めるし、20以上年下の相手に向かって『狡猾、性格強い、炎上間違いなし』とか言う人間になりたくないしなれません」
と返してしまった。
向こうは朝5時になる前だったのにすぐ返事が返ってきた
「途中で席を外すなら。普通はちょっと時間をください。と言うべきでしょう。こんなに長く相手を待たせるのは、それこそマナーの外れた人よと言われますよ💓ボキャブラリーの選択には日本との温度差があるでしょう。どっちにし…」(原文ママ)
通知欄でこれ以上見れないし、私は短気だから全文読んだらイライラするだろうし未読のまま放置している…
そもそも私はレスポンス早い方じゃないし、ポンポンやり取りしていたわけでもないのに、普通「席外します、どうか時間をください」とかへりくだって言わなきゃいけないの?大体日本夜だったのに待ってたの…??
あと『ボキャブラリーの選択…』とか書いているけれど、私は現在進行形で5年くらい海外にいる。相手の人はずっと前に短期留学したことがあったとは聞いたけれど、普通にずっと日本にいると思う。
相手の人が私にむかって「狡猾」とか言ってきたことについて意味不明な釈明をしてるのか、私のボキャブラリーに文句をつけているのか、主語がないから分からない。
若者だからマウントとれると思ってコンタクト取ってきたの?文の一部だけ英単語突っ込んできてカッコつけるくらいなら全部英語で書けよって感じだし、なんで私の倍くらい生きてて句読点すらちゃんと使えないのか意味不明だし、あーーーーどうでもいいおばさんにイライラしてる子どもな自分にイライラする。イライラ
なんかこう、キャラに合わずネット用語みたいな喋り方をするキャラクターがいると
パンピのヤンキーキャラなのに腐女子っぽいネットスラング使うみたいな…………(実は隠れオタクとかの設定なら大丈夫)
「尊い…………」とかしないでしょ……
いやまあする人いるかもしれないけどさ……
表現としてはなんか違うだろ、と
描き手のボキャブラリーからその人間性が垣間見えてしまうのが嫌なのかもしれな
い。
キャラに喋らせてんのか自分の気持ちを代弁させてんのかどっちなのかと
そういう喋り方のキャラなんです、といえばそれまでだけど。
おまけ。
なんで好きになったかとかが、読み進めても全くわからない漫画も苦手。
好きだ好きだ言わせてるだけの漫画。
「いっしょにいたら楽しい」ってのが難しい。
楽しい、ではないけど、彼女が何か伝えようとしてて、でもうまく言語化できなくて、私が「それってこういうこと?」と代言してあげて「ああっ!それっ!」って感じでスムーズに会話を進めてあげることならできている。
相手を選びそうな、相手の内面に迫るような少し深い(?)話題でも話せる。
たとえば、一見自立してるようで、実はプライドが高くて甘えたくても甘えられない、甘えてないだけだよね?って言ったら、普通(?)なら「そんなことないよ考えすぎ」「余計なお世話」あたりで終わってしまいそうなところ、「実は…」と過去や自分語りを始め、その応答から話が盛り上がった、なんてこともあったかな。
ボキャブラリーや話題の選び方(興味関心)だけのことであって、話してて楽しいとか心地よいとかいうのとは違うかな。
いずれにしてもまだ縮まった実感がない以上は、このまま接触を続けないといけないってことかな。
「AのためにBは生きる」
「〇〇は良いこと」
「良い」という動詞は二項述語であると思う。なんのため?だとか何に?と書くことが可能だからだ。
たまにというかよく、なんで生きるんだろなぁと考えてしまう。もし何かを成し遂げるためならその成し遂げたことは何のため?と問いが続いて、この問答は終わった試しはない。私個人でだめなら人一般で試してみても、人が生きる理由を作るためには、生きることを肯定することに必要な「良い」という二項述語のために人より上位の存在が必要となってくる。神?存在も非存在も証明できない。まあ神みたいな端っこに行きついたとしてもそこで止まる理由さえも見つけないといけないんだけど。
それなら生きる理由は別にないんじゃないか、となる、けれど死ぬのは怖い。怖いって表現は適切ではない気がするけれど自分のボキャブラリーでは怖い以外の当てはまる言葉を見つけることはできない。
理由はわからない終わりも見えない人生を生きるのがダルい。生きやすくするルールを自分なりに見つけようと思ったけれど人一般の生きる理由が見つからない以上個人のものを見つけることもできない。眉間にひたすら水滴を垂らされる刑を受けている気分だ。
そんな刑を受け続けるのはダルい。何もわからず飯食って勉強して働いてウンコしてセックスして生きていくだけ。気分のいい時はいろいろやって気分の悪い時に反省してそれを考えての無限ループ。先読みなさすぎは意味のないことなのかな、私は先を読まないとやってられないよ。
結局、何かと物事を"良い"方向に持っていかなければいけない、という考え方に縛られているのかなぁとここまで書いて思った。良くなくてもいいならどうやって生きていけばいいのだろう。とりあえず生きていけばいいのかな。どこまでダメになろうと自分がそれで納得できるのならいいのだろうか。
多分そうなんだろうな。でも自分は納得できないだろうなぁ。10年後にも何もできない自分に辟易とするのだろう。
生活はまだできそうにない。