はてなキーワード: コペルニクス的転回とは
Pinky Pop Hepburn - 【アイカツ】私のアツいバーチャル活動!始まります!フフッヒ
好きなものを語る時、そのキャラの個性が爆発する。それはもう定石とも言えるメソッドだ。
でもこの大型新人の魅せ方はすごい。才気煥発。めちゃくちゃ動くし、にじり寄ってくるし、目が怖い。
1つ前の動画も似たような構成ではあったが、よりマッシュアップされている。このプレゼン芸が確立していく予感を感じさせる。
おめがシスターズ - 【1回勝負!】バイオの体験版が怖すぎてホラー【バイオハザード:RE2】
おめシスのことは、ハズレなしの面白検証系コントデュオだと思ってた。
はあちゅうの童貞いじりを童貞たちが中心になって批判し、謝罪に追い込んだという。恩知らずにも程がある。はあちゅうこそが、お前たち童貞に居場所を作ってくれたのだ。
まず、童貞が生物として劣った存在であるということは誰もが納得すると思う。もちろん病気などの理由で性行為ができないとか、性同一性障害とか、人里離れた孤島などに1人で住んでいる場合などの事情があれば別である。そうではなく、生殖行為に必要な男性機能を有しているにも関わらず童貞である人のことだ。
たしかに現代社会では童貞にも等しく人権が保証されているから、社会生活で差別的な措置を受けることはない。たとえば童貞は社会への貢献が足りないという観点から税金を課すなどの対策は考えられるが、童貞かどうかを機械的に判定するためのチップを埋め込む技術などが普及しない限り、運用は困難だろう。
そうは言っても、自らが童貞であることを他人に知られるのは極力避けなければならない。自らが属するコミュニティから生物として劣っているとみなされることで、童貞からの脱出がますます困難になるからだ。童貞はこうした抑圧を受けることで、実質的に「童貞税」を払っているともいえる。そこに救いの女神として現れたのがはあちゅうだ。
はあちゅうは童貞をいじることで、童貞であることを笑いに変えるというコペルニクス的転回をやってのけた。ここに童貞はキャラとして成立した。生きる意味を与えられたのだ。今では飲み会の席などで誰もが自分が童貞であることをカミングアウトできる。童貞を理由に降格されたり、閑職に追いやられたりする社会的不利益を被ることもない。
これに対していまだにアンタッチャブルな存在が「処女」である。社会通念上認められる年齢を超えた処女は極めてセンシティブな問題になり、飲み会の席などで気軽に触れられる話題ではなくなる。なぜなら、万が一自分は処女であるというカミングアウトがあった場合、それを笑いに変える文脈が存在しないからだ。
はあちゅうに童貞いじりをやめさせれば、何が起きるか想像してほしい。童貞はキャラなどではなく、少子高齢化や人口減に苦しむ人類が直面した解決すべき社会問題の1つとなる。やがてペナルティとしての童貞税を課された童貞たちは、はあちゅうが童貞をいじることで作ってくれたあの居場所の温もりを思い出すことになるだろう。
恋人がセックスに際して主張していたことが二つあって、ひとつが釘宮理恵の少年声で罵って欲しい、もうひとつが「がんばれ♥がんばれ♥」と言って欲しい、というものだった。先日、まぁなんとなく私が上になった流れで、やっぱりやってくれないかという話になって、試しに言うだけ言ってみたわけである。
「がんばれ♥がんばれ♥」
言うて、そんな突然雷ちゃんにはなれないわけで、曰く、「冷たい目をした渋谷凛に罵られている気分」だそうな。ごめん。
その後、ダラダラと腰を動かしていたところ(いちおう書くけれど私は三週間くらい前まで処女だったし、このときで五回目のセックスだった。この順応力は称賛されていいと思う)、おもむろに彼ががんばれ♥がんばれ♥コールを始めた。セルフで。しかもけっこうよさそうに見える。というかすげー気持ちよさそう。天才か。
けっこうな衝撃だった。いや、伊東ライフのエロ漫画っつーと「女の子が男に慈愛に満ちた激励を送り、甘えさせる体で搾り取り、男性としての自信を回復させる」フォーマット。そこをひっくり返された瞬間というのはやはり衝撃だ。コペルニクス的転回。繰り返すけれど、こいつ天才かと思った。しかし、それはそれとして、こういうのをクソオタと呼ぶのだなとも心の底から思った。
重力の最も重要な性質の1つは、重力は光と同じ速さですすむ波でありながら物資をすり抜けてすすむことができることです。
重力なので、なんでもすり抜けるのは当たり前と思うかもしれないですが、
光も波でありますが電磁波の一種なので、なんでもすり抜けるわけではありません。
でも、例えば地球の重力はどこにいても一緒。どこに隠れたって必ずそのままうける。
「重力は波でありそれは光と同じ速さで伝わる(重力波)」というのは同じくアインシュタインが発見した「光が誰がどのような状況でみても必ず一定の速さになる(光速不変の原理)」ということと同じくらいの超重要な宇宙全体の法則で、
それまではニュートンが「重力は瞬時に伝わる」と言ってて、それを誰も疑ってなかった。当時の誰もが疑うことすら思いつかないくらいそれは当然だと思ってたと思う。
重力波も光速不変の原理のどちらもアインシュタイン以前は誰ひとりとしてそんな主張すらしてなかったし、理論のカケラすらなかった。
敢えて言うならローレンツ変換くらいだけど、ローレンツは「光の速さに近づくと物質が縮む」って言ってたわけだからね。
でも、アインシュタインは「ローレンツは物質が縮むとか言ってるけど、それ空間そのものが縮んでるんだよ(特殊相対性理論)」って言いはじめて、既存の理論を駆使して理論的に完璧に証明してしまった。そのついでに重力波まで発見し(一般相対性理論)、ニュートンが「重力は瞬時に伝わる」って言ってたのを撃殺。超絶すぎる。天才と言われる所以はそこにある。
さらに、今回の実験装置が萌える。何が萌えかって、重力波を観測したその実験装置が、アインシュタインが「光は誰からもみても必ず一定の速さになる」っていう着想を得たマイケルソンの干渉計とほぼ一緒の仕組み。
もちろん今回の場合は、まさに天文学的な精度の担保が必要なんだけど、それはお金の問題。
マイケルソンの干渉計の仕組みそのものはもの凄い単純で、高校で物理やってたら必ず習う。
それでめっちゃ完璧な装置じゃんって感心するんだけど、さらにおもしろいことに、もともとは光を伝える物質(エーテル)の存在を証明しようとした装置なのに、
むしろそんなものがないことがわかって、当時の科学者たちが「結果何も起こらなかった」ってションボリするんだけど、
その実験結果をアインシュタインが「それ光は誰からもみても必ず一定の速さになるからだろ」って、当時で言うとコペルニクス的転回をおこなって、
そんなもんだから、もう今回の件はあらゆるところにアインシュタインが出てきて堪んないわけですよ。神ってこういうのをいうんじゃないの?
今、45のおっさんです。25年前の自分に対してだと思って、書いてみます。
(1)まず、どこの大学に行きたいのか?決めよう。
「なぜ高校2年生のころは、この大学に行きたかったのだろう。」
※どこでもいいと、いうのであれば、とりあえず、今通っている
高校の過去数年間のうち、卒業生実績から上位5個ぐらいを対象とすればいい。
(この時点では、まだ候補)
おっさんの場合には、親は中卒で、誰も何も教えてくれなかった。せいぜい年に1人浪人して、
あるきっかけで、ある大学をターゲットにして、結果的に、現役でそれに受かった(旧帝大は滑り止めぐらいにした)
本を20冊ぐらい親に買ってもらって、「勉強の仕方」(どういった参考書をつかって、どのような勉強をするか?)
を勉強した。
(3)目的を再確認する。
目的は、「頭が良くなること」でも無く、「勉強ができること」でも無く、
上位で入る必要はなく、ギリでいいから入り込んでしまえばいい。
今、大きな人生の目標が無いのであれば、目標の設定後は、1年後にまた考えればいい。
長い人生、1年ぐらい誤差だ。
大学を選び間違えることもあるかもしれない。当然ながら、
大学に入った後の「貴方の人生」なんて、(親以外の)他人は誰も真剣に考えてくれない。
大学勉強の過程で、「勉強が楽しい」と感じられるのに「変わった」であれば、
それは嬉しい副作用だが、それも将来考えて下さい。
よく就活で、出身大学が問われるけれども、これは「親のしつけ・教育」「地頭の良さ」
「目標に対して真面目にコツコツ努力できる」ことの総合力を見るには都合が
いいからだと考えている。
話は変わりますが、「幸せ」とは何か?という質問があったとします。
何か食べにいく場合でも、「ファーストフード」の店「しか」選べない人と、
お金があれば、購入物の選択肢が増えて幸せと見なせることが多いですが、
代わりに時間を失うと、それは(行動)選択肢が減ってしまい、不幸せという解釈です。
Fランクの大学に行くよりも、上のグレードの方が、貴方の人生の選択肢は
もちろん、人生万事塞翁が馬のため、保障はしませんけれども。。。
最近は、弁護士や歯医者さんなども収入が減って大変だそうです。
それでも自分で職業を「選べる」だけまだ「幸せ」なんだと思います。
貴方の人生の選択肢を増やすために、1年間「だけ」真面目に勉強してみては?
(4)ひたすら過去問を解く。
現在2年生で、3年生の範囲は?となるかもしれないけれども、それは関係ない。
わからなければ、模範解答を丸暗記するぐらいまでやりこむ。
手に入る限りの過去問をやっていると、「どのジャンル」が出て、
今回は、(どの大学でも受かる)ジェネラリストを目指しているのでなくて、
ある大学に受かるスペシャリストを目指しているから、「出ないジャンル」の
勉強は、ばっさりと切り捨てる。
それは「リスク」として割り切る。
今まで真面目に勉強してこないんで、それなりの価値をつかもうとしているので、
ある程度の「リスク」を抱えるのは当然だと思う。
もしかしたら、次年度のテストは、過去問とは、関係のないジャンルが初めて出る
かもしれない。それは「不運」としてあきらめる。(=実力無い分、リスクを背負っている)
および(問題には出なかった過去問の周辺知識)を把握する。
※(導入の無い)答えの丸暗記は当然NG。
あくまでも答えの導入方法を理解して、または設問内容を把握できて、
厳しいこと書くと、その英語の問題集って、試験に受かるのに役立つ?
そういったことは余力がある人がやればいい、または余力ができてからいい。
まずは、「大学に合格する」という目標を定めて、具体的に、「何が試験に出て」、
「何が試験にでない」のかを把握すること。
「試験に出ない」ことは、現在の目標「大学に合格する」からすると、
※一般的な受験勉強は、教養にはなるし、自分のポテンシャルアップには
繋がるけれども、それはまた別の目的。
そういった「不純」な目的は、大学に受かる実力をつけた後に考えればいい。
大人の世界での、困難なプロジェクト管理におけるコツは、目標から逆算して計算して、期限を区切ること。
決して、現状から、コツコツつみあげるようなことはしない(できるのであれば、それは
目標の再確認をすると、今の目標は「大学に受かること(=Fランクにはいきたくない)」。
そのために、「勉強する範囲を精査する」(試験に出ない範囲は勉強しない)
そのために、「過去問を解く」そして、「現在の自分の実力」と「目標」
そして、その「差異」をいつまでに埋めるのか?の「期限」の設定を行います。
ここまでくれば、「てか何やったらいいのか分かんねえよorz」には、
なっていないはずです。
例えば、来年前半に、物理に、90日割くとします。過去問を3回繰り返すとします。
90日=60日(初回)+15日(復習)+15日(復習)。初回分は、60日。
仮に(計算しやすいように)120問だとしたら、1日2問づつ、確実に理解・把握していく。
感じで、大学入学という漠然とした目標から、目先の数時間レベルの具体的行動まで
落とし込んでいきます。
※お父様が筑波大学ならば、それなりに地位の方だと思うので、
大人がやるスケジュール「管理」の方法は相談しましょう。自分で全てをやる必要は無いです。
最悪、答えは理解できなくとも、時間の限り、「写経」するだけでもいいです。
私も同じ回答を何度も、(参考書みずに書けるぐらいまで)書き写しました。
あとは、本番で、数字・記号を変えるだけで、最悪、頭で覚えていなくても
「手が覚えてくれています」のでなんとかなるケースも多かった気がします。
(このご時世、受験の範囲で、高校生が、世界で初めてひらめくような
ことは、ほぼ無くて、既に、誰かが考えています)
数ヶ月後、一通り、過去問が解ける状態になったら、またここで、質問すればいいと思います。
誰か親切な人が答えてくれるでしょう。
まず、インターネットが無かった。今、空気のようにあるインターネットが
非常にうらやましい。
田舎だった。当然、学校の先生も、高度な大学の入試についてこれない。
(これは先生の能力の問題ではなくて、その他大勢の生徒のレベルに合わせるため)
おっさんの高校生(2年生2月)の行動力は、自画自賛になるけれども、
今でも褒めてあげたいぐらい。
(A)まずは、合格体験記を20冊ぐらい読みあさり、効率的な勉強の方法を調査。
※合格体験記を見て、自分なりのコペルニクス的転回は、「できない問題は捨てて良い」
ということ。田舎の学校では、そんなことは教えてくれず、目の前のことは
がんばってやりましょう」という概念が変わりました。
(C)我が家は貧乏だったので、「予備校に行かせて」とは言えないし、
そもそも予備校までも遠かった。
(参考書代金と、模試の代金は、貧乏ながらも出してもらえました)
「3ヶ月に1~2回の試験を受ける人」と「3ヶ月で20回試験を受ける人」
とでは、駄目出しされる回数が圧倒的に違うから、修正ポイントも早く気づきやすいし、
ジャンルが違う模試は、厳密には無意味だけれども、周りの受験生の雰囲気などにも
早くなれることができました。
>てか何やったらいいのか分かんねえよorz
「親が模試の費用を払ってくれている。少なくとも、費用分の元を取りたい」
と考えられるのであれば、模試をうければ、「3時間以上の濃厚な時間」を勉強できる。
時間内は、必死で考えるから、印象にも残る。試験後に、気になることは自分で調べたり、
先生(しつこいが、学校の先生に聞くのはタダでできる)に聞いたりして、同じ問題には
対応できるようにするだけでも、レベルが変わってくると思います。
試験で悪い点を取り慣れていなければ、自分も頑張らなきゃと思うようになると思う。
(勉強しようとう環境に、当時のおっさんは、自分を追い込んだ)
スポーツに例えると、武者修行(道場破り)にいって、週1でコテンパンに
やられて帰り、翌週までにまずかったところを調整。再度、やられにいく感じでした。
(少なくとも、同じパターンではやらなれないようにした)
頑張るのは、1年間だけだから、
睡眠時間+学校の時間(通勤時間)+2時間以外(基本的生活時間)は、
全て勉強するつもりだったら、なんとかなるかも?
生活は親が面倒みてくれていると思いますので、一生のうち1年間だけは、
狂ったように勉強してみるのも、いい経験になるのではと思います。
大人になると、「勉強だけすればいい」という贅沢な時間は持てなくなります。
1日8時間寝るのであれば、それは残りの16時間のためを充実させるための
必要経費です。
そもそも、最初から、1日16時間、さらに基本生活時間の2時間を除くと、
残りの14時間を効率的に生きること。それは、「本を読むスピードを上げましょう。
問題を解くための手を早く動しましょう」のような基本動作のスピードアップと
いう意味ではありません。
今の自分にとって、「必要なこと」「不要なこと」を見定めて、「不要なこと」を
やらない勇気を持つということです。
25年前の自分宛のつもりで書いてみました。
<追記>
おっさんは、元質問者に書いたつもり向けだったのですが、ここまで読まれるとは思いませんでした。
(1)実力者(上位10%)
(2)中間層(上位30%)
(3)残り(他)
(1)の人は、普通に王道を歩めばよくて、今回、おっさんが書いたような
おっさんは、「(3)残り」の人が、「(2)中間層」にどうやって勝つか?を書いたつもりでした。
(3)の人達は、まず(1)の人には勝てません。どのジャンルにも「天才」と呼ばれる人がいます。
勝つことは考えていません。
(3)の人達が、実力をごまかして、(2)の人達に勝つ(かもしれない)方法を書いたつもりでいました。
(2)の人達は、大学受験では、n校受験などして、それなりにリスクを分散をしています。
(3)の人達は、普通に実力勝負をすると(2)の人達に負けます。
当然ですが、(3)の人が追いつこうと思う間に、(2)の人も前にすすみますから、差を
縮めるのは大変です。
(3)の人達が、(2)の人達に勝つためには、リスクを背負うしか無い。具体的には、
それでも勝てそうになければ、更にリスクを背負う(フィールドをより絞り込む)ことに
なるでしょうし、余力があれば、リスクを分散化(フィールドを広げる)すればいい。
過去問というのは、自分が勝てる場を探す作業。おっさんの受験は25年前で情報古いですが、
実力無い人が、とりあえず、「この戦いに勝てばいい」の方法を書いたつもりでした。
もちろん、後のことなんて考えていません。
おっさんの書いている方法は、当然ながら、真の実力はつきませんし、
でも、「まったく勝ち目の無い戦い」よりは、マシとは思います。
※追記あり
少し長くなるが、良かったら読んで欲しい。
家族には恵まれた。こればかりは自慢だ。
目一杯愛情を受けて育った。幼稚園までは本当に楽しかった。たくさん友人もいた。自分を素直に出せた。だれをおれの存在を否定しなかった。おれは受け入れられていた。
小学校に入る。
おれは極度の人見知りだった。 幼稚園の頃は人に配慮することをまで気が回らず素の自分を出せていた。もしかすると友達作りに苦労したが忘れてしまっただけなのかもしれない。
交遊関係がほとんど広がらない、というか広げようともしなかった。さっさと学校から一人で帰っていた。自分でもそれでいいと思っている節があった。一人でいるのは嫌いではなかった。その傾向は3年生くらいから強くなった。幸い、おれは勉強ができた。小さい頃から親が本を買い与えてくれ、もともとも好奇心の強さとあいまって勉強が楽しかった。でもこれがいじめの引き金になった。よく考えてくれ。たいして喋らない陰気なやつが、テストで高得点をだしまくってる。むかつくだろ。おれもそう思う。おれがあいつらの立場なら恐らくいじめていただろう。
友人は離れていった。辛うじて残った友人もいたが、今は連絡をとってない。
一番残念だったのが、俺自身はそれをいじめと思わなかったことだ。視野が狭すぎた。自分の人格が否定されているなんて考えに至らなかった。それに学校で辛くとも、家に帰ればおれを全肯定してくれる家族がいた。
そのまま中学に入る。いじめは続いた。この頃に入りやっと自分がいじめられていることに気づいた。常にビクビクしながら生きていた。休憩時間は机に突っ伏して時間を潰した。学校で話した記憶はない。もはや友人の作り方がわからなかった。辛かったのだろうが、ほとんど記憶に残っていない。現実から目を背け続けていたからだろう。
この頃になっておれの勉強好きに拍車がかかった。というか勉強しかおれには無かった。現実をひと時でも忘れようと机に向き合った。
県で一番の進学校に入った。変わりたい。この頃はそう思うようになっていた。運動部に所属した。初めて自宅以外に居場所ができた。親友と呼べる友人もでき、ただただ楽しかった。残念ながらクラスではなかなか打ち解けられなかったが、学校で話す友人がいること自体がは非常に大きな成長だった。初めて彼女もできた。ルックスは悪くなかったので、クールな爽やか系男子にに見えたらしい。無論、中身はスカスカなのですぐ別れることになった。中学の三年間ほとんど家族としか話しておらず、精神的に2、3歳ほど幼い状態だった。
引退後、失恋をバネに3年から受験勉強に全力を注いだ。頭は決して言い訳ではなかったが、要領が良かったようだ。現役で国立大の文系学部に進学した。
高校と大学受験をそれなりにうまく乗り切ったおれは浮かれていた。自分があたかも生まれ変わったかのように感じていた。ここで挫折を経験する。サークルに馴染むことができない。高校の部活では運動がメインだったので、喋りが下手でもなんとかなった。しかし、おれは自分を見誤って少しチャラいサークルに入ってしまったのだ。次第に浮いて孤立し二年に入る頃には行かなくなった。
学部の友人も数える程で、学校とバイト先と家を往復する生活を過ごした。なにも楽しくなかった。夢のキャンパスライフなんて幻想はとうの昔に崩れ落ちていた。3年になる。
そんな時ふとしたことから海外に短期留学に行くことにした。卒業後は公務員になるつもりでいたので、学生の内に1度くらい海外に行っておこうという安易な気持ちだった。
しかし、これが一つ人生の転機になる。コペルニクス的転回とはこのことかと思った。今まで生きてきた世界どれほど小さかったのか、自分で世界を限定してしまっていたのだ、と気づいた。
長期留学しよう。公務員になり国内でまったり生きようという人生設計が狂った。その後一年間留学する。しかし、ここでもコミュニケーションに苦労する。英語力は問題じゃなかった。いくら英語を勉強しても、発想や語彙力、コミュニケーション能力が母国語以上なることは決してない
自分のコミュニケーション力の無さに。人間力の無さに。中身の無いペラペラな人間だった。
就活が始まった。おれは迷った末、公務員になるのをやめ、民間就職を決断した。海外で働きたいという思いがあったのと、公務員になったら自分を変える機会は二度とこないと感じたからだ。
BtoBメーカーの営業職になった。この4月から働くことになる。コミュニケーションが苦手と言っても、雑談が苦手ななだけで、あらかじめ話す内容が予測できる就職面接はそれほど苦労しなかった。というか学歴も英語力もあったので、思ったより良いところに滑り込めた。
ある程度したら経理などのバックオフィスに異動を願い出るつもりだ。
それほど派手な業界ではないため、打ち解けるとまではいかないが少なくとも浮いてはいない。
ここまでがおれの半生だ。
人生を進んでいく気力が湧かない。ある程度の企業に就職できた。金も信頼もそこそこ手に入るだろう。安定してるし、年功序列的に役職にもつける。希望していた海外にも行ける。
もう将来が見えた。
おれの力じゃこの会社でレールにのりながら人生を進めて行くのがもっとも現実的で最善の選択だろう。
なんだろう。このもやもやは。
もうこのまま一生独り身でささやかに生きて行くのだろう。大きな波もなく、平穏に平穏に。
今は社会人デビューにワクワクしてる部分があり、人生に楽しみを残していると言える。
じゃあ五年後は?十年後は?
おそらく無理だ。途中で一人で生きていくのは辛くなるだろう。
家族ができれば子供の成長を見ながら働くことにも精が出るだろう。おれにはそれも期待できそうにない。おれが女なら絶対にこんなやつと結婚しようと思わない。
人生23年を生きてきて友人5人しか作れないようなクズが、人並みの生き方を望めるのか?
もう生きるのもそろそろいいかなと思い始めた。
生きる意味なんて持たなくても、飯食って寝たら次の朝が来てる。惰性だ。
これでいいのか?何度も何度も自分に問うてる。
こんな人生をあと60年も過ごすのか?と。
人生は案外楽しい。それはわかってる。少ないながら大事な友人も、尊敬する先輩もいる。飯を食えば笑顔になる、スポーツするのも大好きだ。ネットを見ればいくらでも楽しんで時間を潰せる。人と価値観をぶつけ合うのがこんなに楽しいなんて最近まで知らなかった。
それでも、子供の頃に欲張って多めの水で希釈したカルピスみたいな薄い人生をこのまま進んでいく気力が起きない。
いっそのこと、この人生は早めにリタイアして、次の人生に賭けたほうがいいんじゃないかと思う。
結局おれは弱いんだ。自殺できる人間は凄いと思う。おれはそこまでするほど本気で絶望してないってのもあるが、考え込み、悩むほど自分の人生に真剣に向き合えていない。
なんといえばいいのか。
ゆっくりと首を締められてる感じだ。今すぐ死ぬわけじゃないが、人生を謳歌できてもいない。
他人と体や記憶をスイッチできるなら、まだまだ生きようと思えるかもしれない。
でも、そんなこと無理だ。今の自分を背負って生きるのに疲れた。
人と打ち解けられない。また中学の時みたいに、自分の人格が否定されるんじゃないか、陰で否定されているんじゃないかと考えてしまう。
あれは良くも悪くもおれの人格を形作った。
人格を否定される辛さを知ってるから、冗談でも命令形を使うことは絶対にしないし、人の意見にはどんな小さいものでも耳を傾けるようになった。
人は変わるのもわかってる。現におれは中学の頃と比べれば遥かに明るくなった。でも変わるのもも簡単なことじゃない。時間と気力が途方もなく要る。
そんなことを考えながら目を閉じる。
目覚めれば明日だ。また始まる。何度も何度も。薄っぺらで、楽しくて、クソみたいな日常が。
一つだけみなさんに聞きたい。
みなさんはどうして、何を思いながら生きてますか?
追記
煽る気は全くありませんが一応。
皆さんかなり食いついてますが、彼女はいたものの童貞なので安心してください。
自分で言ってて寒くなりますが、見た目はそこそこいいです。両親には感謝しています。ただ、中身の無さとのギャップで女性が露骨に離れていくとかなり傷つきます。
昔は共働きで子供が放置という問題があったけど、最近の女性は働きたくないでござるという人がかなり多い。
世間では働きたくない=ニートというのは最低のクズ扱いで、働かざるものは食うべからずという認識がある。
しかし、これからの時代は働かない人はどんどん優遇されて良いと思う。
なぜなら、働かない人はそれだけ経済活動を緩やかにし、地球環境に優しい人間なのだから。
これまでの常識からすると、ニートというのは働かないくせに好き勝手遊んだり食ったりする社会の害虫という認識があったが、実際この認識には隠れた前提がある。
逆に、ニートが主流になったら、逆に世間の害虫であるどころか、ニートは救世主になる。
そういう観点から考案され、近年注目されているのが、ベーシック・インカムという概念である。
ニートが好き勝手遊んで資源を食いつぶすという常識はもはや古い。逆なのだ。
小さい頃からブスブスと当然の如く言われ続けてきてさ
ブスなんです的な人生相談を中学のときにネットでしたこともあったんよ
そうしたら真っ先に「デブなんじゃないの?まず痩せてから言って。これだからデブは(ry」「ていうか化粧してないんでしょ、化粧してから言って」とか言われたんで、まあ化粧とかしたわけですよ(体重に関してはもともと特に問題なかった)
でもまあブスはブスなんすよね。まあ以前よりはよくなったけど、まあやっぱブスなんですわ。
服のセンスだけは褒められる。ま、勉強しましたからね。センスよく見られるようなファッション。努力できるとこでしておかないとにっちもさっちもいかないもので…
で当然の如く彼氏いない歴=年齢で、うっすらまあこのまま多分独身だな。まあいっか。孤独死でも……今のうちに覚悟しておこう……とか思っていた矢先、友達がある男性を紹介してくれたのですが、彼が性格のいい人で、そんでもって「ないないww私には不釣合いww」ってほどかっこよかったんですよ。なんで「むりむりww」と思いつつなかばやけになって友達関係みたいになっていくうち、告白されまして、嘘だろ……と呆然としつつも受けたのですよ。それが一週間前の話でした。
おいおい、イブに恋人とデートとかwwwwwwwどうしちゃったんだよ私wwwww出世したなオイwww生きてみるもんだなwwwブスブス言われ続けてたのにかわいいとか言われちまったよwwwwwwマジかよwwwwwと浮かれっぱなしでした。
10分前に来て、待っていました。時間になっても彼は来ない。携帯もつながりませんでした。
それから1時間、2時間たちました。その間もちろん携帯をかけているのですがつながりません。
紹介してくれた友達にも電話かけましたが、つながりません。
まさか、まさか事故じゃ……と思いつつ、いやいや、こういうときって案外、「デートの前にシャワー浴びたんだけどそのままうっかり寝ちゃって!」とか、「デートの前にオナニーしたんだけど、全力でやりすぎて、オナニー疲れして寝ちゃって!」みたいな、理由だったりするんですよ……大丈夫大丈夫と思い、とりあえず時計の見える喫茶店へはいってケータイのゲームをやりつつ外を見つつを繰り返しました。
3時間たってもきませんでした。ちょっと困りました。これは帰るべきなのだろうか?こういうときどうすればいいのか、経験がまったくなく、さっぱりわかりません。とりあえず喫茶店にもう一時間たむろしてるし、また一度出て外でうろつくか、もしかしたらゲーム中に見過ごしてたのかも……と思い外に出て待ちました。
30分後に、よくわからんけどさすがにもう帰るか…これだけ待ったんだからかえってもいいだろう…と帰ろうとすると、彼が前から歩いてきました!
よかったー!と思ってたら、何故か彼は男友達数人と酔っ払って歩いているようでした。あー、私と待ち合わせる前に、友達と遊んで、それでちょっと遊びすぎちゃったのか。と考え、「オーイ、待ったよー(笑)」と声をかけました。
すると彼は「え?」とこちらを見て、「は?いたの?」といいました。
「へ?いや、今日ここで待ち合わせだったじゃん(笑)遅れすぎだよー」
「は?え?ちょwwwwww何こいつマジありえねえwwwwwwあんなん冗談に決まってるジャンwwwwwwうっそwwwwwwマジ待ってたのwwwwwやべ笑えるwwwwww無いわ、つーかドン引きなんですけど?うっわきっつ、きっつwwwwwwwwww」
コペルニクス的転回っていうんですかね。なんか、一瞬にして変わりました。恋人なかなかこないなあって視点から、180度変わって、ああ、騙されてたんだっていう視点に。ぱっと開けたような感じがしました。アハ体験でした。
酔ってるからもう笑う笑う。ぐでんぐでんな彼を支える、彼よりはまだ酔ってない感じの友達たちが、「おま、悪いよ、……ッフフッ」「あんま、そういうことさあ……でもやべっwwww」と笑いをこらえていました。
「だって、だってさwwwお前みたいなブスに告るわけないじゃんかwwwwwwわきまえようぜちょっとはwwwwwwwひぃっいひいっひいっ、はらいてーー」
なんか私も、怒りというか、恥ずかしさの方が先にきて、さすがにブスブス言われ続けた自分もこういう経験はちょっとなかったんで、
「え、あ、なんだーそういうことかーwwwちゃんとそういうことは言ってくれないとwwwww」と笑って誤魔化してしまいました。反射的に。
なるほど人間って分からないものです。普通に性格良く見えたのですが、まさかこんな人だとは。つってもそりゃ分かるはずないんですけどね。こんな素振りは露ほども見せなかったのでとにかく驚きました。
まだ腹を抱えてひっひっひっと笑い続ける彼に「あーw、じゃあそういうことで……」と言い帰りました。
家に帰って、一時間ほどポケーっとしてました。とにかく突然状況が変わってしまったので追いつくのに必死でした。
はっと気付いて、紹介してくれた、友達に電話をかけました。今度は何故か繋がりました。
「あ!あ、あのさ、聞いて。紹介してくれたあの人さ」
「あー、やっぱりなんかやった?w」
へ?
「いやさ、あいつ、すぐブサイクな女をからかう傾向があるんだよねwそんであんたとあわせたらなんかやるかなって思ってwで何されたの?ドッキリ告白?w」
……。
「あ、あれ?知ってて紹介したの?」
「たりまえじゃんwwwwwwwwwww」彼女もどこかのホームパーティかなにかにいるようでした。笑い声が聞こえました。彼女もまた酔っているようでした。
「なんかさ、あんた、ブスじゃん?wwwどーなんのかなって思ってさ、ついついwww」
「あ、あのーまさかだから友達になったというわけでは……」
「あー、ゴメンねー、そういうわけなんだわー」
「あー……」
「くさっ!声がしんきくさっwwwちょっとーイブだよーイブー。ねー皆ー」そして応答するむこうのひとたちの笑い声。
「分かったー……じゃあまあそういうことで……電話番号消しておくんで……」
「は?てかちょっとまってよ、どう騙されたのか言」ここで消しました。
なんというか、もう、プップカプー!って感じです。意味わからんすね。
まあ別に「なんでよりによってイブに!」って気は特にしないだけ、日頃からモテない人間でよかったかな。ハハ。
人間不信になりそうかもしれない。ていうか信じるのが愚かだったのか。基本何を考えてるかなんてわからないのだからね。
ま、冷静に考えれば、別に、金品奪われたわけじゃないし、ま、元に。戻っただけかな。
まともに怒ったり悲しんだりするのが、なんか嫌な気がして、というか一度そうなったら凄く鬱になりそうな気がして、これは呆然としているこの間に、「あ……アハハ!ナーンダ☆」とネタ化して流してしまったほうが吉!だと身体が感じていたゆえそうしようと思って、庭にでて星を見て、ああいう星が数千億個かなんか集まったのが銀河でさらにその銀河が数千億個宇宙にあるって、なんかどっかの本で読んだ気がするな、すげえwwww半端ないな、本当それに比べたら、たかが辺境の銀河のたかがそのさらに辺境の星である地球のアジアの島国に済む一人の人間の悲しみなんてゴマツブの何千億分の一、いやそれ以下だな。とか思ってたら、犬がすりよってきてじっと見つめてきたから結局泣いてしまった。なんかアホらしいけど、犬だけは寄って来てくれた。という事になぜだか強烈に泣けてきた。あーあ泣いちゃったよwあーあwこれだからブスはw犬だって単に何か食いモン欲しいから寄って来ただけだっつーのねw
プップカプー。
追記です。
今頃起きて一応見てみたら、なんかすごくいろいろついててびっくりしますた。励ましありがとうございます
友達選べよってコメントも、確かになと思いました。確かに、私に人間を見る目が無いのがダメなんかな、と。
友達も、まさかこんな人だとは、昨日まで考えもしませんでした。普通に性格のいい人だったので、というか、そう昨日までの私には見えていたので……友達を選んだつもりだったのですが全然選べていませんでした。
……いや。言い訳ですね。
確かに、結局、そこが根源なのかなと、思います。友達を適切に選べてさえいれば、見抜けてさえいれば、こんな事はおきなかったんですし。
昨日は正直言って、私は悪くないとか、思っていたところもあったんですが、友達が実はこういう性格だということをちゃんと見抜けなかった私が、原因を作ったんであって、ある意味で自業自得なのかもしれませんね。
はてサと東さんの問題を見て思ったこと。Twitter上で「はてサはこれだから」とかDisりまくってるのにもかかわらず自分のブログ上では仲良くなれ合っていたり、問題をまるっきり無視しているやつが多い。
そういうのって倫理的にどうなの?って思うわけよ。別にオフ会で悪口を言うならまだいい。でも、Twitter上で書くというのは、普く大衆に見られる可能性を前提としているわけだから、そこに人格批判的な内容を書くのは一種の暴力だと思うのよね。それも、完全に公開された形で書かれるよりもより薄汚い暴力。
まあ、とりあえず例でも見てみよう。
@Ruy_Blas Apなんとかの人はともかく、有村さんは思想家にすごく道徳を求めてますね。東さんが道徳家でないのは「まー、そうだよな……」という感じでスルーしちゃいますが、求めることも不可能ではない。でもそれはリベラリズムの批判にはならんと思うのでした。 *Tw*... 約6時間前 from Twit in reply to Ruy_Blas
これはtricken(id:gginc)っていう人のポストだけど、もう「Apなんとか」っていう表現自体が人格批判を含意してしまっているから、この意見全体が意見に対する半数じゃなくて人格そのもののあり方に対する批判という形を取っていると見られても仕方がない状況だよねー。まあ、ブログ名に「Inc」ってつけちゃうくらいの人だから仕方ないか!!1
@tricken リベラリズムの求める強靱さに,リベラリストが耐え切れていないのがなんだかな,と。特に左翼の Apeman や y_arim さんほかの傲岸ぶりはもう本当におまえら黙れと。... 約6時間前 from Twit in reply to tricken
で、まあRuy_Blasっていう生意気な東大院生のリプライ。陰でぐちゃぐちゃ言っていて、ブログのトップページでは「荒らさないでください」って書いちゃう中二病患者こそが「黙る」べきなんじゃないのかなあ?あるいは、君が「黙れ」というなら、そんなところでぐちゃぐちゃ言ってないで、真正面に出てきて言うべきでしょ?
東さんはとりあえず、乙としか言いようがない。団体交渉とかあのノリで楽しそうにやってたんだろな。... 12:38 AM Dec 14th from web
何も知らずに言うのはkonatyanという自意識過剰患者。この人は
私、哲学やれる法学やれる経済学やれる(トマスからの研究は既にフォロー済み)科学哲学やれる、人文科学?認識論で十分。というか、神学は今後の学問の教養のつもりで四年専攻したし、正直学問する連中は皆私の道を通らなければ可笑しいし間違っていると内心は思ってる。言っちゃったw... 約7時間前 from web
といっていて、もうフランス革命における法学のコペルニクス的転回とか経済学における二十世紀の限界革命とか何も知らないのによく言えるよね、君の言ってるのは哲学が全ての学問だった頃のそれだよ、ってツッコミをあげたくなるけどまあそういうこともわからずに自意識を強くして言っている子、それがkonatyan。っていうか、そんなに頭がいいんだったらあそこの大学に入らないでもっといい大学に入ればよかったのにゲラゲラゲラゲラ。後この人って確か前の南京論争か何かの時「いい加減ウザいので介入する」っていって介入して、id:hokusyuとかにフルボッコにされて二週間くらい日記をプライベートモードにした過去があったりするんだよねー。強い自意識があるって大変だねーワラワラワラ。
ということで、今日は3人をあげてみましたが、同じようなことをやってるやつはちゃんと真正面から人格ではなく意見を批判するように。人格を批判するやつは、俺がおまえの人格を全否定することをもって反撃してやる。
他人の視点から見れば自分は恵まれていて幸福なはずだ。
↓
すると、自分は客観的に幸福だ。
↓
だけど、自分としては幸福感を感じない。
↓
矛盾が生じる。
↓
客観的に幸福であるなら、幸福感を感じない自分がおかしいのではないか
↓
自分が幸福感を感じないなら、客観的にも幸福じゃないってことだ。
主観は客観に優先する。
間違ってるのは、幸福そうだなと誤認している他人であって自分じゃない。
誰がなんと言おうと不幸なんじゃ!!!!
外見だけ見て、俺を幸福とか誤認識してんじゃねーぞ、薄っぺらいんだよ、くそったれが!!!!!!!
誰が何と言おうと俺は不幸、不幸、不幸!!!!!不幸!!!!!!!
って、開き直るコペルニクス的転回が必要なんじゃなかろか。
いかがだろう。