はてなキーワード: ベーシック・インカムとは
自尊心はまだない。
何でも小学校の頃からイジメられていて死にたい死にたい言っていたことだけは記憶している。
他人の言った言葉をなんとなく真似て組み換えてきただけで、未だに他人が何をどういう意味で喋っていてどう考えているのかが分からない。
ウィトゲンシュタインはコミュニケーションとは子供の玉蹴り遊びの延長であり、その場その場で生まれてきたルールが連綿と連なってきたものにすぎないと語っていたとツイッターで誰かが言っていたように思う。
まさに私が苦手としているのはそのような、持って生まれついた世間一般的な共感能力と空気を読む力によって、その場に発生するルールの力場を正しく掴んでいく言語ゲームなる遊びそのものなのだ。
一流の声優は「あ」という言葉で100通りの表現ができると言うが、私はそういう人間のコミュニケーションの曖昧さが本当にもう耐えられない。
明確で論理的で常に同じ意味で言葉が扱われることは、法律の世界においてさえ存在せず、裁判所で弁護士や裁判官がアレコレ言い合った挙げ句に出てくる判決などの中でさえ、アレヤコレやの曖昧なものがその場限りの意味と解釈を持って無数に絡み合っていると知った時は、もうこの世界には私の居場所なんて本当にないのだと絶望したものだ。
私からすればマインスイーパーの最後の数クリックのように50:50の運任せになってしまったようにしか見えない状況を、別の人間から見れば明白に99:1でほぼ正解と言えるほうが当てられるらしいというのだから恐ろしい。
恐ろしいのは、その99:1が出来る人間の割合が95:5の95の方であって、私のような人間こそが異常として扱われていることだ。
いつからそのことに気づいていたのか分からないが、なんとなく分かっていて、でもそれが未だに確信を持ちきれない所がある。
彩度いっぱいに5色で塗り分けられているはずの戦隊ヒーローの何人かが誤差でしかない状態を幼少期から強いられてきて、それを当たり前だと感じた人間は、その僅かな誤差を見出して必死に見分けている状態が実は異常であるを薄々勘づきながらも確証を持てず、その病名と共に他者との違いを伝えられてもそれを認知することが出来ないのだ。
犬笛の音を聞き分けられないことを「そんなはんずがないだろう」と誰かに言われたら、何回までその言葉に耐えられるだろうか?
ふざけているわけではない。
色盲にとっての戦隊―ヒーローであり、人間にとっての犬笛であるものが、私にとって人の語る言葉の機微なのである。
これはもう大変に厳しいことだ。
きっとこの文章を読んでいる人は「そうは言うが君はちゃんと文字をかけているではないか。それなのに言葉がわからないんなんていうことがあるのかね?」と思うだろう。
私だってそう思う。
だが分かっているつもりで分かっていないようなのだ。
これはもう自覚のないアンドロイドがある日チューリングテストにかけられて「貴方は実は人間ではないのです」と告げられても、全く自分にはその自覚が持てないかのように全く分からないのだ。
今これを書いている私は共感能力をフルに稼働して自分と似た状況にある人間の姿を思い浮かべているように見えるだろうが、実際にはある種の論理的なパズルを解くような気持ちで相似している事象を探してきているに過ぎないのである。
普通の人が心によってやってみせるようなものを、私はただひたすらに論理的にやってみせているのを、そんなことをする必要があると思わない人間が、私も同じように共感能力によってこれらの考えに辿り着いていると勘違いしてくれているわけだ。
こうやって勘違いしてもらうのは私にとってはある意味で都合がいい。
何故なら、実際にはそうではないことが分かると途端に私は人間扱いされなくなり、ヒトマネの上手なロボットであるかのように扱われるだけだから。
これもそれも親から譲られた遺伝子が生まれつき現代社会と上手く折り合えていないのが悪いのであり、私が悪いわけでも親が悪いわけでも周囲が悪いわけでもないと分かってからは、割り切ることで楽になった部分と一生終わらない牢獄の中にいる自覚とで心はより有耶無耶になってきている。
私に出来ることといえば、とりあえず今までのようにヒトマネを繰り返して何とか自分を生き延びさせつつ、同じような気苦労を持つ人間を増やさないようにヴァージンを守ったままでこの人生を終わらせて見せることぐらいだ。
行き詰まった人生に方針を求めて性格診断や適職診断なんかをやると、いつも「小説家や芸術家になりましょう」「発明家や研究者に向いてますよ」と無責任な言葉が返ってくる。
実に下手くそに「貴方は社会不適合者なので、象牙の塔なり自分のアトリエなりに引きこもって居てくださるのがお似合いですよ」をオブラートに包んでくるものだと、自覚のない悪意なのか、純粋な善意によっての社会からの排斥なのかも分からないものをぶつけられたことを感じ入る。
その度に、「ああ、やはり自分はまともに生きるのは諦めるべきなのだ。だが、特別な生き方を出来るほどの力はない。だからまともなフリをして今日も迷惑をかけながらこの社会に張り付くのだ」と自己憐憫に浸るのだ。
これはもう精神的なリストカットとしか言いようがないわけだが、同時にソレはある種の瀉血でもあるように感じる。
私がこの社会に望むのはもうベーシック・インカムの導入ぐらいだ。
もうこれ以上社会の中で「私は貴方達と同じように働ける人ですよ」と偽って暮らすのはしんどすぎる。
いい加減疲れた。
人生の先行きのなさが、生来生まれ持った脳の作りから始まっていると突きつけられ、まだなんとか自暴自棄にならずにいるのがすでに奇跡のようなものだ。
これ以上我々を責めないで欲しい。
責めるべきは、我々のような人間が人間のフリをして社会に紛れ込まなければ生きていくことさえ出来ないこの社会の仕組みの方ではないか?
本当に、ベーシックインカムが導入されれば、我々はそれを頼りに暮らし、もう二度と社会の表側で「私は給料分の仕事ができますよ。何故なら普通の人間なのですから」と心にもないことを言ったりしないで済むのだから。
もう1個増やしたよ anond:20201006200122
けど、以前も書いたけどなんやかんや働くかもしれん
あるいは新たな仕事を得るための勉強や訓練を始めるかNPO活動するかもね
2018-12-26
■もしもベーシック・インカムで月に10万円入るんだったら (anond:20181226001826)
↓
これやるべきやでマジで
ただこれやったら適材適所化が進むのでワイは職を失うだろうけどね
適当にそれっぽいことやって適当にそれっぽいとこに潜り込んでた連中はワイ含めて淘汰される
まぁ失ったら失ったで適当に考えるけど
↓
まさにそれが経済発展への道
世の中には働くべきでない無能さんが多すぎる
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キミもその無能側かも知らんぞ?
ワイはおそらく淘汰される側であろう自覚があるが
これで飯が食えなくなるなら別だけどね〜、食えるならまぁいいかってなる
なんとか他に金稼ぐ方法を考えなきゃやで
10万貰ってもなんだかんだでワイは結局好きなことをやらんかも知れん
↓
重要なことは無能が必要な分しか働かなくていい社会が実現するっていうこと
↓
爆上げはしないと思うやで?
社会に必要だが社会的に給与が抑えられている職が適正な給与になるだけやで (給与分はそれらのサービスの利用料金として跳ね返る)
適材適所に就くし、自己実現のために趣味で働く人が増えるわけだが
例えば、24/365で海外サイトの英語対応含めた案件があったのね、しかし予算はゴミカス
これをオフィスへ通いで16万で頼むわって言ったら全国どこでも氏ねってなるんだけど、
在宅ならやるって人が出るんだよな
思ってるよりも様々な理由で表に出てこないハイスキルな人たちはいるぞ
せっかく子供が出来にくいんだから、それを機に立ち止まって考えりゃいいだろ なんで高え金かけて何年も苦労してまで苦しむ人間を生み出そうとするのか本当に理解できない
ベーシック・インカム制度があって基本働かなくていい世界なんだったらわかるよ子供作るのも それでも人生に全く苦しみがないってことはないだろうけど、いざとなればずっと寝て過ごしたって衣食住心配がないんだったら人に強制したってそこまで罪はない
でも現実はどうだ よっぽど親に財力がない限り、遅くても26歳くらいからは週5(以上)で8時間(以上)働かないといけなくなる 働きたくて生まれて来たんじゃないなんて言い訳は一切通用せず、社会から強制的に与えられた「恩」に報いよと言われる
生まれさえしなければ何もする必要はないんだ あらゆる努力をしなければならない原因は100%親にある
そのわりに世の親は態度がデカいよな 自分の子が怠惰だからといって叱っていいと思うのはマジで理解不能 「穀潰しを養えない」って何?じゃあ生むなよ 「子犬さんかわいい❤️」つって買ったあとデカくなったら捨てるクソ飼い主と何が違うんだ?
親という人種、覚悟を全く持たず小学校低学年のガキみたいな発想で子供を産んだあと突然偉そうになって威張り始めて最悪ってイメージしかない
てめえの都合で子供に人生を押しつけておいて、その子供が何も生み出さなかったら怒り出すっていう無責任さをほぼ全ての親が持ってる気がするんだけどどうなんでしょう
俺は何かの間違いで資産が10億円とかになったり、ベーシックインカム制度ができたりするまで絶対に子供は作るまいと思ってるぞ 彼女とも話はつける…つけられるはず……
まあでもな 彼女に「子供作ってくれないなら別れる!」とか言われるとぐらついてしまうかもしれん 所詮子供つっても他人だしな いくら苦しもうと俺には関係ないわけだし 子供の人生ひとつ分の苦しみより俺がフラれる苦しみのほうが俺には大事だ
そういうことか そんな感じの無関心さで子は作られるんだろうな
ベーシック・インカム党ってなんで出来ないの?
ベーシック・インカム議員が300人くらいになってほしいんだが・
ベーシック・インカムを御旗にしている政治家が見当たらない。
何故なのでしょう?
ベーシック・インカムを御旗にして評が取れない理由が知りたいです。
個人的には
「ネットで有名な人がベーシック・インカム実現します。実現できなかったら議院辞めます。なんなら全財産賭けます」
って言って300人くらい国政選挙の出れば全員当選すると思うのです。
無理ですか?
仕事したくない連盟作って革命起こしてベーシック・インカム国ジャパンをつくろうぜ
ベーシック・インカム論争で思ったことを忘れる前に書いとく。
ベーシック・インカムっていう発想は、田舎もんの私からすると、とても都会的な発想に見えた。なんでかというと、田舎には「天の恵み」というベーシック・インカムがあるのだが、最近盛り上がった議論の中では、それについては触れられていないようだったから。
田畑で働くのはもちろん「労働」だが、田舎には労働しなくても手に入れられる食べ物は色々ある。庭先に柿の木を1本植えておけば、何も世話をしなくたって秋になれば柿が食べられる。いろいろ食べたいなら色々植えておけば良い。スーパーに行くより簡単に、色々な食料を調達できるようにする工夫は、田舎には色々ある。
もうちょっとボリュームのある所で、例えば稲作の場合、田植えと収穫は重労働だが、それ以外の数カ月間の世話というのは、手を抜こうと思えばかなり手を抜くことが出来る。もちろん手を抜いた分、収穫は減ることにはなるだろうが、ゼロになることは稀だ。この「手を抜けるだけ抜いて、それでもなお得られる収穫」というのが、農家にとってのベーシック・インカムみたいなもんである。 実際、高齢者がやっている農地というのは、しばしば入院なんかで放置状態になってしまうことがあるのだが(!)、それでも時期がくればちゃんと農作物は実をつけるのだよね。偉いもんだ。売り物にはならないけどね。
つまり農家にとっては、十分に広大な農地と水源があれば、食料というベーシックインカムが保証されているも同然なのである。そのために、長い時間をかけて農地や水源の整備を行ってきた、というのが、田舎の歴史そのものだと言っても良い。
で、これが近代日本でどのように崩壊していったかというと、決定的だったのは人口増加の問題だ。急激な人口増加により、深刻な農地不足が起きた。戦前・戦後すぐのころは10人ぐらい兄弟がいる家も珍しくなかったわけだが、そういう家庭では親の農地を10等分したって、大人1人が食っていくことはできない。長男だけが田畑を受け継いで、残りの兄弟はどっかへ行かなくてはならないのだ。それで、南米の方に移民して農業をやるとかいう話が政策として行われた時代もあったし、あるいは、農業をやるための農地が持てないので、やむをえず上京し、工業製品を作って輸出して外貨を稼いでなんとかする、という流れが出来たわけだね。
つまり、現在都心部で生活している人達というのは、元を辿れば十分な農地を持てないために、都心部に出て仕事を探さざるを得なかった人たちが多かったということ。「天の恵みというベーシックインカム」を諦めざるをえない人たちだったのだ。だから、「田舎には天の恵みと言うベーシックインカムがあるよ!」なんて話をしたって、都心部の人には意味がない。東京の天の恵みなんて、日向ぼっこするぐらいしか役に立たないもんね。だから、都会は都会なりの方法で何らかのベーシックインカムを実現したいという心情はわかる。
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「食料は十分にあるのに、分配の仕方がわるい。だからベーシック・インカムで改善」という話では、重大な問題を1つ見落としているようだ。「食料が十分にある」という前提は、一部の人達が頑張って労働するからこそ、実現出来ている。「十分な食料」は農家の労働だけによるのではなくて、肥料だったり農薬だったり農耕機械だったり、かなり色々な産業の労働の結果として実現できているわけだ。
この人達が「ベーシック・インカムをお金で貰えるから、労働を減らしても良いよね?」なんて言い出したら、「労働を減らす=食料生産を減らす」だから、「食料は十分にある」という前提は、たちまち崩れるじゃないか。それで食料供給が減って相場が高騰したら、都市部の人たちはすぐに、もっとベーシックインカムを増やせ、なんていう話になるに違いない。農産物の相場の変動がどれぐらい恐ろしいもんかってことを、知らない都会人が多すぎる。
「食料は十分にある」という前提を崩さないためには、食料生産に携わる人達は制度としてのベーシック・インカムが実現しても否応なく、従来どおりの労働を、なかば強制的に続けて、都市部に食料を供給し続けなくてはならない。食料生産を請け負っているのは田舎だから、そういう人達の立場というものが見えていない議論だと言う点で、やっぱり制度としてのベーシック・インカムは都会の人達の発想だよなぁ。
そういう訳で、制度としてのベーシック・インカムの話は、全自動農業が実現・普及して、それで都市部の人の食料までまかなえるような時代になってからにした方が良いと思います。。何でも金で解決すると思ったら大間違いだぞ。