はてなキーワード: 教育改革とは
このニュースについて、ツイッターで「騙された」「これが本当なら橋下を支持するのをやめる」「橋下さーん勉強しろーコラー!」という声が散見された。驚いた。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012021001065&g=pol
橋下のことを何も知らずに投票したのか、、、相当なお馬鹿さんなんだろうな。橋下のような新自由主義思想を持った男なら、TPP賛成に驚くことはない。
下のキーワードをよく口にする文化人(踊らされてるだけの民衆は含めず)はだいたいTPPに賛成してるから、見分けがつかない人は見ておくと良いよ。
・聖域なき構造改革
・改革を止めたから景気がよくならない
・規制緩和
・法人税減税
・バスに乗り遅れるな
・先送りできない課題
・坂本龍馬
・平成維新
・開かれた日本
・外に打って出る
・市場に委ねる
・これからのビジネスで英語が話せないのは、免許がないのと一緒
・集中と選択
・競争が進むとみんなが豊かになっていく
・自由貿易
・自己責任
・既得権益を潰せ
・老害
・自己責任
・公務員改革
・公共工事削減
・緊縮財政発動
・功利主義
・官から民へ
・ガラパゴス化現象
・国際競争
・神の見えざる手
犯罪の弁護人は、世界で全員を敵に回そうとも被告人の味方であることを求められる。こんな厳しい仕事を進んでやる人が一人でもいるから、裁判の正当性が担保されるのだ。それを理解していない筈はない。単純にポピュリズムというか、衆愚主義にのっかって(群集の快感原理に訴えかけて) 弁護士会への懲戒請求を煽る。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/28/kiji/K20120128002522420.html にもあるが、結局の所教育問題ってのは誰でも口をはさみたくなるが故に、しばしば間違っていることであっても「正しい」という信念のもとに正当化される。しかし、教育を左右するというのは国の基礎を左右している、という責任感はあるのだろうか(私には全く感じられない)。建っている建物の基礎を変更するんだから、ドラスティックに変更したら、いくら設計図が正しくても工程管理のミスで家が引っくり返ることがある。ましてや、その棟梁が選挙で選ばれる(すなわち、継続性が保証されない)政治家だと言う。
短期的に見ればミクロな世代間格差や想定していない副作用でおかしなことになるだろうし、長期的に見れば右に左にゆさぶられた教育の現場がぐだぐだになるだろう。教育改革は1つのサイクルすら5年、10年という長丁場の覚悟がないと、本来は為しえない難事業なのだ。どうしてもドラスティックに変えたければ、特区や特定校指定などといった「離れ」でまず実験をすべき。これは、別に教育に限った話ではなく、生きているシステムは全てそうだ。
まず「反橋下」と思われた時点で負けなんでないかいとゆー感じ?橋下vs反橋下という構図のところにでていくのがまず負けにいくようなもの
小泉郵政選挙の時大前研一が民主党にアドバイスしたが採用されなかった方法、松平定信や、古くは劉備玄徳なんかも好んだ方法。
橋下さんという一個の人格を攻撃するのは避ける。
郵政選挙の時の民主党や抵抗勢力、現在の自民党がやってる行為はまさにこれなんだけれど、
そして自民党はもう郵政改革を争うというムードを作ってしまい、国民がもう乗っかかるムードになっている
どうしてもこれが許せないなら、他の政策の訴えをすべて捨ててでもこの政策を潰すべきだ、と国民が納得できる理由をつくりなさい。
郵政改革に反対じゃないなら、この論点は解散選挙を経るまでもなく通しなさい。むしろ協力してやる姿勢を見せなさい。
その他の面では自民党はだめだよね?民主党の方がいいよね?というテーマで解散総選挙をしかけなさい。
勝てる論点を用意できずに喧嘩をするのは政治音痴のやることだ」
しかし、当時の民主党は、直近数回の選挙戦が好調だったから、大前研一のアドバイスは華麗にスルーされ、ご存知の有様になった。
今の自民党もこれと同じ状態に陥っている。
そもそも自分たちも消費税増税といっていたのに、「民主党が言ってるから反対」という、死ぬほどお粗末な難癖つけしかできてないように見える。
解散総選挙の時、何を論点にするつもりだろうか?「消費税増税やめます」とは言えないのだ。売りは何だろうか?
そういうことをなんにも考えずに、ただ駄々をこねているように見える自民党谷垣総裁の振る舞いは、かなり目に痛々しい。
「教育改革」だの何だのと、大した中身はないにもかかわらず、フレーズだけを打ち立てて、相手を「改革の敵」とみなすことで優位をつくろうとしている。
こういう時にやれハシズムだなんだのと、直接対抗しようとしてもダメだ。
そうじゃなくて肯定して、質問する形で懐に入り込んで、そのお粗末な中身を晒してあげればいい。
「教育改革ですかー、素晴らしいですね。で、具体的には?え?まだそれだけしか考えてないんですか?
へーそんだけしか考えてないのに、学者をバカだのアホだの言ってたんですかーがら悪いですねー
というか大阪市民を舐めてますよね。そういえば府政の時結局あなたどれほどの実績が出せましたかね?公約どの程度守りましたかね?」
橋下徹は、実際は政治運営能力が高いわけじゃない。弁論が美味いだけである。
ならば、その政治運営能力の採点を、自ら自己申告させてあげればいい。そこでウソを言えば信用出来ない、本当のことを言えば
この人に期待して大丈夫か、ということになる。そういう話。
酔った勢いで書く。
適当に読み流してくれ。
ちなみに学校ぐるぐる周ってパソコンとかのメンテしてるみかか様の下請け業者の社畜です。
職員室とかよく出入りしてる。
痛いニュース(ノ∀`) : 【ニコニコ動画】 プレイ動画投稿にゲームメーカー激怒…投稿者、示談金支払う - ライブドアブログ
上の記事で407が言ってること。
これその通りです。
先生が普通に「昨日見逃したドラマを帰ったらyoutubeで探してみよう」とか言ってる。
堂々と言ってる。
さもそれが普通なように。
今はそういう時代なんだと。
何を言ってるんだ。
「youtubeで探してみよう」
あほかと。
ばかかと。
でもどの学校にもパソコンに詳しい先生は必ずいて、その人はある程度問題のある行為だという認識を持ってる。
違法だとわかってても、実際問題便利なので「言わなきゃバレないし」となって結局注意まではいかないんだと思う。
まぁ大人はそれでいいと思いますよ。
たとえそれで捕まったとしても自ら責任を取れるので。
私が本当に悲しく思うのは、そんな先生たちに教育を受ける生徒たちです。
彼らは間違った認識を「普通」として義務教育の過程でナチュラルに仕込まれて、
彼らは「テレビとしてもう全国放映したんだから、別にネットに流しても問題ないじゃん」と本気で思ってるし、
その考えが間違っているという認識も全くない。
恐らく言っても理解できない。
正直ゾッとします。
著作権ってなんでしょうかねー。
どの学校もパソコン室には必ず著作権についてのポスターが張ってありますが、
パソコン室なんかどうでもよくて、先生全員の机に貼ってほしいです。
どうせあんな硬っ苦しいポスター、生徒は見ないだろうし。
各テレビ会社も、違法アップロード・ダウンロードの取り締まり強化とかそんなイタチごっこするくらいなら、
文科省と組んで先生たちの情報意識の向上に取り組んだほうがいいと思います。
ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。
これについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。
警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された暴徒の5割以上は18歳未満であるというニュースが出ている。)
もちろん、子供の暴走がここまで大事になってしまったのは異常事態であり、その裏側に社会的問題があると考えるのは当然だ。ただし、今回のように、当事者すら争乱の理由が分からないという状況は、「ぼくの考える社会の欠陥」的な牽強付会の自説を宣伝する絶好の機会だ。実際、イギリス社会の事情も知らず、勉強した形跡も全く読み取れないのに、適当なことを言って悦に入る類の人をTogetterで何人か見かけた(以下に一例)。このエントリーを書こうと思ったのは、その手の単純で非現実的な観念論ではなく、地に足のついた議論の土台を提供したいとおもったからだ。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/aug/09/london-riots-who-took-part
報道から明らかになっているのは、暴徒の大半が未成年であること、特定のエスニックグループが暴徒になったわけではないこと、そして多くがロンドンでも貧しいとされる地域の住人であること。加えてもう一つ言えるのは、彼らの多くがカウンシルフラットと呼ばれる、低所得者向けの公営住宅に住んでいると言うことだ。このカウンシルフラットというのは、イギリスの貧困を語る上では非常に重要な点なので、少し説明をしておきたい。
イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。
何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。
カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。
ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。
http://boards.gumtree.com/viewtopic.php?t=215432&p=2686792
ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。
とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。
その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。
この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。
結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラムの子供にサッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金で博士号まで取る人もいる。そのための制度や組織もある。ブラジルのスラムに比べれば、カウンシルフラットの子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。
今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。
カウンシルフラットの子供達が鬱屈しているならば、イギリスの納税者達は絶望している。イギリスの税金は高い。年収550万円以下なら所得税は20%、それ以上なら40%(しかも、社会保障関連の支出は所得税収総額を上回っている。なにしろ、上に書いたincapacity benefitだけで1兆5千億円かかっていたのだから)。消費税は20%。それ以外に地方税も取られるし、国民保険料も安くはない。通勤の交通費は自腹が原則だし、会社が住宅補助を出してくれると言うこともあまりない。そういう辛い家計をやりくりしながら、やたら高い家賃を払って暮らしている家のすぐ隣で、無職の人が昼間からぷらぷらしていたりするわけだ(カウンシルフラットは本当にあちこちにあるので)。
それでも、ブレアが政権を取った1997年以降、イギリス人は低所得層との格差を縮めるために税金を投入する政策を支持してきた。小学校低学年は30人学級となり、小学校入学前に児童の学力を底上げするためのプログラム(SSLP)にも1000億円の予算が付き、補習授業は大きく拡充され、挙句には、高校をドロップアウトする生徒を減らすために、出席率が高い貧困家庭の生徒に補助金まで出した。職歴のないシングルマザーにはコンサルティングから面接の訓練まで提供している(一人当たりのコストは10万円)。
にも関わらず、今回の暴動だ。これを「先進国とは思えない、途上国の光景のようだ」と思った人はイギリスにも少なくない。ブレア政権の教育改革がスタートしたのは99年前後だから、今回の暴徒の大半は改革された教育制度の下で育ってきた子供達である。これだけの負担をしていながら、なぜ途上国のスラムのような光景を見なければならないのか。これに絶望せずにいられるのは、やはりよほど心の強い人間だけだろう。
(1) 警察力の強化。これは言うまでもない。秩序を失えば人間は(誰であれ)動物になりうると言うことを、今回の暴動は証明した。ならば、秩序の維持は至上命題だ。先週キャメロンがアドバイサーに招聘したビル・ブラットンはニューヨークで例の「割れ窓理論」の実行部隊を指揮した人であり、警察官の最適配置システムの第一人者でもある。締め付けは厳しくならざるを得ない。
もしこの手の暴動を放置すれば、被害者は自警団を組織する。彼らは武装し、いがみ合い、それが新たな暴動の引き金になる。そうなる前にキャメロンには何とか手を売ってもらいたいと思う。もしかしたらもう手遅れなのかも知れないが。
(2) 社会保障制度の見直し。これは実のところ暴動前から進行している。上で書いたincapacity benefitだが、悪用して海外旅行まで楽しむ輩が多く出た上、一度受給者になると死ぬまでもらえるので、就労意欲がゼロになる。以前から批判が絶えず、キャメロン政権は廃止を決めた(別制度で代替)。ただし、これらの社会保障の削減が暴動の理由ではないというのはマスコミでも一致した見解だ(まだ削減は殆ど始まっていない上、暴徒の大半は親元で暮らしているのでそもそも受給していない)。
上でも書いてきたように、手厚い社会保障制度それ自体が受給者と、その子供や孫の未来までをも奪ってきたという側面がある。そして、この制度は格差の縮小どころか、治安維持という最低限の目的すら達成できなかった。何より、イギリス経済はこれ以上の負担にはもはや耐えられない。ならば、社会保障は削減しつつ、彼らに可能な限り働いてもらうしかない。Benefit Busters (興味のある人はyoutubeで検索すると良い)などを見ているとなかなかに大変そうではあるが、もう選択肢がないのである。
(3) 納税者の復讐。今日キャメロン首相まで”social fightback”と言う言葉を使っていて驚いた。具体的には、暴動に参加した子供がいる家庭に対する社会保障給付の停止。カウンシルフラットからも追い出す。少なくとも感情的には、そして理屈の上でも、そうすべき理由はたくさんある。それが更なる悪循環を招くとしても、あそこまでやられてしまっては納税者の側も収まらない(ちなみに、オックスフォードケンブリッジ卒のエリートはこの手の復讐にはあまり賛同しない。彼らはびっくりするほど穏健だ。怒っているのはむしろ小商店の店主のようないわゆる中産階級に多いような気がする)。鬱屈した子供の暴発を「社会の歪み」を理由に肯定する人は、絶望した納税者の復讐も肯定せねば片手落ちであろうと思う。
最後に、下のtogetterで見つけた以下のコメントについて。
火がつけば爆発するしかないほどの不満を溜め、失うものが何もない奴らがこれだけの数居るんだよ。社会がそれを生んだ。(中略)問題は目の前にそのままの姿である。こいつらのYouTubeを見ろ。音楽を聴け。睨みつけてくる視線に自分をさらせ。
この人の書いたラップの話は、今まで全く知らなかった分野な事もあって新鮮で、興味深く読んだが、このコメントには一言申し上げたい。無茶言うな。暴動明けの火曜日の朝にCamden Townの駅で暴徒の一人とばったり顔を合わせたが、彼の睨み付ける視線にどう応えろと言うのか。プラットフォームのあちこちにどかどか蹴りを入れながら、肩で風を切って周囲にガンをたれながら練り歩いていったが、一個人として彼を見れば、まだ自分を抑制できないただの子供であり、仮にポケットの中に盗品が入っていれば犯罪者に過ぎない。彼らをひとりの人間として直視するなら、そういう扱いにならざるを得ない。復讐の対象にならざるを得ない。むしろ、彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないかと思う。
※立候補者に不満がある方は被選挙権を行使してください。そうでなければ「ぐぬぬ」とでも言っていてください^^
※記者会見による発表のみ。
職歴:不動産鑑定士、政治倫理学者、童話作家
株式会社日本経済研究所代表取締役飯能支店長
政治団体「東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾、徴兵制を目指す改憲を政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント平和で親ナチ的改憲阻止最高裁訴訟会)」代表
佐賀県生まれ
最終学歴:日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学(ただし、多くの大学・大学院を経ているため詳細はwikipediaを参照されたい。一般的には橋大と東大卒をアピールしている)
参考:前都知事選政権公約放送 http://www.youtube.com/watch?v=G1CR1LbGsSc
職歴:日本共産党元参議院議員、党中央委員会政策委員会責任者(政策委員長)、常任幹部会委員、医師
「革新都政をつくる会」より立候補の要請を受け、2月9日に都知事選への出馬を正式に表明
東京都世田谷区生まれ
最終学歴:東北大学医学部卒業
政治的な見解はwikipediaで
職業:ワタミ前会長、学校法人郁文館夢学園理事長、岸和田盈進会病院理事長
みんなの党推薦での立候補が噂され一度は否定したが、2011年2月15日に「政党の支持を受けない」と無所属での出馬を正式表明
最終学歴:明治大学商学部卒
出馬の理由としては自分の培った経営能力を企業を超えた枠組みで活かしていきたいことを挙げた。公約の一つとして「高齢者が安心して年を取ることのできる社会の実現」としている。また、高校生の10人に1人を1年間留学させる構想などを教育改革として語った
様々な教育改革にチャレンジしてきた某自治体の教育行政が、危機的状況にある。
そもそも、現場出身の教育長の強力なリーダーシップのもとに進めてきたこれらの改革。
現場からは無理とは思われつつも、語る言葉には説得力があり、子どものためにとみんなで作り上げてきた。
やるからにはより良いものを。と、現場はシステムを懸命に作りあげ、ようやく軌道に乗ってきたと思われていた。
ところが今年度に入り、教育委員会の動きを懸念する声が上がっている。
教育長の下に新たに職をもうけ、教育長に近い退職校長がその任に当たった。
もう一人は各方面の評判が芳しくない。
好き嫌いで十分な環境を与えない教科があったり、
そんなお方が、ある全国的な発表会の席上で、
「すべての方針は私が決める。校長会で議論する余地はない」
という旨の発言を行い、物議をかもした。
これから何が始まるのかと、現場は戦々恐々としている。
そして、学校ごとに行う研究でも、周囲が首を傾げる事例が起こった。
研究の途上で提唱者の校長を転任させ、その研究の内容を別の学校のものとして、全国大会で発表したというもの。
元の学校で中心的な役割を担っていたベテラン教員は、様々な理由をつけてその立場を外されつつあるという。
さらに、月に一回どの自治体でも、各教科ごとに分けられた研究会が行われている。
そこで急に講師を呼んで、全員参加の講演会が開かれることになった。
その内容は、国や都道府県から配布される資料のおさらいとも言うべきもので、
なぜ緊急にそのような講演会が開かれたのか、詳しく知るものはいない。
研究といえば、教育改革に関わるカリキュラムを、教科ごとに検討する委員会があるのだが、
今年度になってその動きが途絶えている。
来年度の国の指導要領改訂に合わせて、自治体独自の要領も改訂する大詰めの時期であるにも関わらず、だ。
また、現場の教員の指導・監督にあたる「指導主事」が一新された。
そのため、様々な事務が滞っているようだ。
ある事業の年間計画が出されなかったことを質問すると
「例年一緒なんで、だいたいそれに合わせてください」
とのことだが、
重要な連絡会や提出物の通知が3日前に出されるということもあったそうだ。
指導主事の指導に関しても疑問を投げかける声が上がっている
事業の目標や実行までの行動サイクル、数値による評価など、
肝心の授業や指導法など、本来指導すべきことは最近耳にすることがない。とのことだ。
教員は保護者や評価委員、さまざまな所から見られ、プレッシャーが与えられて、自らの仕事を改善している。
それはどの仕事でも同じである。
総理大臣や市長でさえ、世論というプレッシャーは無視することができない。
しかし、教育委員会というものは行政からも独立した存在であり、その動きに問題がある場合に、誰も有効なプレッシャーをかけられるものがいない。
組合は自らの要求とイデオロギーに走り、その機能を果たしていない。
この自治体は、どこへ向かってゆくのだろうか…
努力なんて眼に見えないもはの評価しようがない。成果を上げた人、競争に勝ち残った人達が幸せになるのは今でも大体そうだ。
真面目に単純作業を淡々とこなして生活が出来ないのはオカシイというのも無茶な話だ。発展途上国の数倍から数十倍の給与を貰っているのだから、誰もがそれに値する働きをしなければならなず、単純労働はそれに大抵の場合値するとはされない。
だが、結局のところ誰もが成功できるわけではないし、また社会に貢献したからと言って収入を得ることが出来るわけでもない。我々の社会は全ての人々に一定水準の生活を保証すべく努力するべきなのだ。誰が貧窮すべきで、誰が豊かになるべきかなどというのは最後の最後に議論すべきことだ。
俺達が論じるべき問題はもっと単純だ「何故金がないか或いは何故金が必要としているところに行き渡っていないか?」だ。
理由2)非効率的な教育並び商習慣を留め、改善努力を怠り続けた結果日本製品が売れなくなった。
解決策は
(1)情報開示の義務化と天下り当に対する組織的な抗議活動、行政組織の縮小。
(2)高校では大胆な教育改革と民営化。大学では産業界との連携強化。産業界ではCartel やvertical integration に寄るモノポリーを規制し、企業の新陳代謝を活性化し、新しいより効率的な体制を持つ企業が育つような環境を整える。
子供でもこれぐらいわ思いつくが、実行はなぁ・・・。
ちなみに、上手くいっている社会では生活するのに努力なんて必要ない。何年か前にニュージーランドにいたが、時給はどんな単純労働でも12ドル程度、普通に週20時間程度適当な仕事をしていたらそれで車が持てて人生楽しめてるようだった。
無論向上心から必死になって勉強したり働いたりする奴等もいたが、生活するのに困らない状態で自分の幸福やプライドの為にする努力は生きる為の努力とは同一視されるべきではない。
>やればやっただけ、しっかりリターンの得られる社会を目指すべきだ。
現実にそんな社会が存在した事はない。AppのSteve Jobsを見れば解る。彼は自分では大した事はせずに、人をこき使って金持ちなった男だ。しかし、彼は間違ってはいない。彼は資本主義社会で成功するために必要なことをやっただけだ。
学部こそ違えど、入学して1年〜2年は誰でも似たような事考えるよ。
「今の学校じゃダメだ」とか「自分に何が出来る?」とか「将来が不安だ」とかの押し問答。
それで実際に潰れる奴も居た。「あんな風には成るなよ。」とは言える。
(「今の学生はダメだ。」という議論は例外無く全否定させて頂いている。”ロスジェネアカデミズム評論家様”の教育改革指南をネットでたまに見るが、そもそも奴らはロスジェネであり、教授でも無いクセにアカデミズムを語っているタチの悪い連中である。言うだけはタダだもんな。)
飯はちゃんと金かけてるか?親のスネはかじれよ。ロクなもん喰ってない奴が潰れんだよ。
あと最後まで信頼出来る教授を1人は絶対に見つけなさい。勉強に成るし、就職も面倒見て貰えるかもしれない。
4年に成ったら研究に明け暮れる日が来る。ぶっちゃけ就職活動は何もしていないに等しい。卒研ばっかやってた。それでも就職出来た。
没頭してたら考えてる間も無いんだ。ボヤボヤすると2〜3年なんてすぐだぞ。
同じ事を考えているのは自分だけじゃないと思って、がんばりなさいな。
さようなら、科学者(笑)の皆さん。さようなら、技術立国日本(笑)
2 名前: ノイズf(dion軍)[sage] 投稿日:2009/11/14(土) 00:06:57.37 ID:LuH2322O
ttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/322470/
▽グローバルCOEプログラム▽グローバル30▽組織的な大学院教育改革推進プログラム
▽科学技術振興調整費(革新的技術推進費、先端融合領域イノベーション創出拠点の形成)
▽同(若手研究者養成システム改革)▽科学研究費補助金(若手研究S~B、特別研究員奨励費)
▽特別研究員事業▽女性研究者支援(科学技術振興調整費「女性研究者支援システム改革」)
▽世界トップレベル研究拠点プログラム▽学術国際交流事業 ▽知的クラスター創成事業
▽都市エリア産学官連携促進事業▽産学官連携による地域イノベーションクラスター創成事業
▽産学官連携戦略展開事業▽地域イノベーション創出総合支援事業▽理科支援員等配置事業
▽科学研究費補助金(特別推進研究、特定領域研究、新学術領域研究、基盤研究S)
▽戦略的創造研究推進事業▽戦略的イノベーション創出事業▽先端的低炭素化技術開発
▽革新的タンパク質・細胞解析研究イニシアティブ(ターゲットタンパク研究プログラム)
▽原子力システム研究開発事業▽先端計測分析技術・機器開発事業
▽次世代スーパーコンピューティング技術の推進▽大型放射光施設▽植物科学研究事業
▽バイオリソース事業▽GXロケット▽宇宙ステーション補給機▽衛星打ち上げ(24年度以降打ち上げ分)
▽深海地球ドリリング計画推進▽地球内部ダイナミクス研究▽高速増殖炉サイクル研究開発(もんじゅ及び関連研究開発)
▽材料試験炉研究開発▽高レベル廃棄物処分技術開発(深地層処分)
研究費他、根こそぎ削減するともりだぞ、アホ総理とそのほか
自分もずっとそう思ってたよ、子供に携帯&ゲームを渡すのはDQNな行為だって。
電車やカフェでゲームをやる人たちを見てバカみたいだとも思ってた。
でもこのごろ考え方が変わってきた。コンテンツによっては育児にプラスになると思う。
先月体調崩して1週間くらい入院して、その時に家族からDSを借りて、ドラゴンクエストをずっとやってた。
ゲームやるなんて小学生のファミコン以来。でもやったら面白かった。入院でヤバイ精神状態になってたけど、ドラクエで救われたよw
それをきっかけにTOEICの練習問題ソフトをやってみたりしてるけど、これが案外いい。
8/18(火)日経朝刊にも「ゲーム取り込み 教育改革」なんて記事がでかでか載るくらいだし、時代は変わってくんじゃないかな。
あいつらの教育関連マニフェストは屑すぎる。あいつらて誰か知らないけど。
ちなみに文系学部の事はよく知らないから、そっちの実態にあってなかったらゴメン。
第四に、討論や議論を学ばないこと。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51481174.html
(「かつて日本の教育改革を担当したGHQの役人は、こう豪語したそうだ。」)
↑を読んで。
CIE映画とは、GHQの民間情報教育局(CIE)が日本人に対して民主主義の思想を植え付けるために製作した教育映画であり、別名・ナトコ映画とも呼ばれている。
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2008-05/kaisetsu_3.html
以前フィルムセンターでこのCIE映画の特集があった。客席はガラガラでしたが……
解説を読むだけでも結構概要が分かるので、いくつか抜粋で引用させて頂きます。
「議事の進め方」
民主主義的な議事の進め方を紹介する作品で、表決や会計報告の方法などが示される。
新しく労働組合に加入した人への教育方法を伝授する映画で、組合員教育の必要性、その具体的な内容や方法論が平易に解説される。
「漁(すなど)る人々」
漁民たちの貧しく苦しい生活を克明に描くことを通じて、彼らが新漁業法(1949年公布)によって保証された権利を自覚するよううながす作品。
「格子なき図書館」
図書館法が1950年に施行されたことに伴い、国民に解放された新しい図書館のさまざまな機能が紹介される。
「ディスカッションの手引」
合理的で民主的な議論を進めるために、講壇式討議、バズ・セッション、ロール・プレイング法などさまざまな議論の形式の特徴を、アニメーション場面を挿入しながら解説した作品。
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2008-05/kaisetsu_3.html
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2008-05/kaisetsu_4.html
http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2008-05/kaisetsu_5.html
以上のように討論、議論の重要性(のみならずその方法まで)や労働者の権利、労働組合や図書館の重要性とその機能などなど、それがいかに素晴らしいものかを映画という分かりやすい手段で伝えるいわば「民主主義プロパガンダ映画」といった趣です。
たまに演出が極端だったりしてとても面白いので機会があれば一見をお勧めします。
アメリカが日本に対してどういうふうに民主化を施そうとしていたのか、まだ勉強不足で私は全く知らないのですが、「オリエンタリズム」などを一緒に考えるにつけ(「彼らは自分で自分を代表することができず、だれかに代表してもらわなければならない」byマルクス)とても興味深いのでいずれちゃんと勉強してみたい。
その辺りの是非を語るつもりはないし
語ることが出来るほどの知識も経験も無いわけだが
昨日、それに関連して面白い出来事があった。
Aさんは小学校から英語を教え(代わりに算数と理科と国語の時間を削る)
大学に入学するまでにはネイティヴスピーカーと英語で会話できる
というレベルまで国が指導するよう教育改革するべきだ! という意見の持ち主。
このAさんと、昨日食事をする機会がありレストランに足を運んだのだが
比較的若いバイトのウェイターが注文を復唱した際、
「以上でよろしかったでしょうか?」
という、聞く人が聞けばパブロフの犬の如く"噛み付く"言葉を口にしてしまったのだ。
Aさんはウェイターが下がった後に、案の定言葉の乱れについて嘆いていたわけだが
そんなことはこの際どうでもよく、この「以上でよろしかったでしょうか?」
という言い回しは案外興味深いと思う。
「以上でよろしかったでしょうか?」
という言葉に違和感を感じる人は、"かった"という部分に反応して
「よろしいでしょうか」に訂正してほしいと感じることが多いようだ。
だが、"かった"という過去形を持ち出すのは、英語の感覚から考えると結構自然な発想で、
過去形という時制をして、現在のことであっても相手との距離感等をかもし出す事で
丁寧婉曲の表現として提示することが出来る。
現代では、どんどんと英語圏の文化が日常に取り入れられているし
そういうものに敏感な若い人達ならば無意識的に敬語表現の一環として
「よろしかったでしょうか」と口に出してしまうのは必然的なことじゃないかと思ったりした。
そう考えてみると他にもいろいろと思い当たる節があって
「私的には~」→「I guess」
「ていうか」→「or(should I say )」
みたいに、若者言葉というのは英語の感覚を反映していることが多いように感じる。
恐らく今以上に日本語は乱れていくと思う。
以前日本人女性と付き合っていた経験から言えば、明らかに今の日本人女性の精神は軟弱になっている。
これは一種の社会問題だと思うので、ここに書こうと思う。
俺は日本に住んでいたが、成人してからはアメリカに住んでいる。
しかし、たまに日本人女性と交友を持つ機会はあり、日本人女性の精神構造をかいま見る機会はある。
そこで思ったことだが、日本人女性はなんでも男性のせいにするというある種の甘えが常態化している。
なるほど日本人は甘えの強い民族だということは、「甘えの構造」を紐解くまでもなく今や世界的に当たり前の認識であるが、
ここで言いたいのはそういうレベルのことではない。
今の日本人女性にはこれまでの日本人に見られなかった新しい傾向が広く見られるのである。
それは、どういうことか。こんな例がある。
女性が男性に限らず他の人間に何らかの不満を持ったとする。この時に、不満の解消を相手にさりげなく求めるような行動をまずとる。
これは人間として自然なことであり、とくにおかしなことではない。度を過ぎると問題ではあるが。
次に、この行動の結果として、相手が不満に気づいてないかのようなレスポンスを返したとする。
そうすれば女性はなぜ不満に気づかないのかと少し怒って、より不満を強く主張する。
ここまではいいのだ。ここまではなんということのない人間らしい行動である。
問題はこの次である。この次に、相手がやはり不満に気づかずに、不満の原因となっている言動をとり続けた場合である。
このとき、今の日本人女性は、不満をより強く主張することはせずに、「ネチネチした人間だ」とみなすのである。
ここが非常におかしい。今の日本人女性の極めてねじまがった精神なのである。
そのようなおかしな精神が一部の人だけならまだしも、それが当然であるかのように日本人女性全体に見られることが、なおさら異常である。
では、これの異常性についてより詳しく見てみよう。
アメリカの女性のばあい、相手に対する不満を持続的に感じたばあいには、相手が分かるまで強く改善を要求する。
昔の日本人女性のばあい、相手が不満点を改善しない場合、我慢するかより強く要求するかどちらかであった。
ところが、今の日本人女性はどうだろう。相手の人格のせいにするのである。これは自我を守るための一つの有効策ではあるだろうが、
さすがに過剰反応であり、それだけ強く自我を守らねばならないほど日本人女性の精神が軟弱になっていることを意味する。
言うまでもないことだが、相手が不満点を改善しない原因にはいろいろあり、人格というのはその一つに過ぎない。
人格以外に、不満点を相手が自覚していない、不満な気持ちが相手に伝わっていない、特別な事情があって相手に不満を与えているその言動を止めることができない、
といった原因があるものである。これらの原因の可能性を考察することなく、すぐ人格のせいにしてしまうのは、
じっくりと相手について理解を深めながらコミュニケーションをとることを最初から放棄しているのである。
なぜ放棄しないといけないかというと、それくらい自分を速やかに防衛しないと自我を健全に保てないからであり、それくらい精神が軟弱ということだ。
思うに、こうした日本の風潮のなかで育った子供は、コミュニケーションを粘り強くすることを学ばず、
いつでもコミュニケーションは切ることができるものと考えるようになるだろう。
そういえば、メールのやりとりでもすぐにブチる日本人女性が多いように思う。まことにゆゆしき事態である。
このように着脱が自由なコミュニケーションというのは便利で身軽な面もたしかにある。そういう意見はたしかに一理あるとは思う。
しかし、そのような考え方が日本、とくに日本人女性のあいだで広まったことで、日本人女性の精神の軟弱さが加速するのではと心配である。
粘り強くコミュニケーションしたり物事を理解したりする練習を教育に取り入れるべきである。
ネチネチしてる→そんなことはない。サラッとした文章でもないけど。これくらいで嫌悪感持ってるようじゃ、他人の意見聞く耳がなさすぎる。それじゃ世界観狭くなるよ。もしあなたが男性ならちょっと引く。/今気づいた。長文だからネチネチしてると言われてるのか?それだったら別問題だな。
周りに配慮を求めすぎている→いや自業自得だから勝手にしろと思ってたけどさすがに危機感持ったので文章にした次第。日本だと「郷にいれば郷に従え」で自己正当化する所があるからなあ。
俺も相手の人格のせいにして自我を守ってる→とくに守ってないけど。ネチネチしてると言われたのは俺ではなく知人。「あの人ネチネチしててやだ」って俺に愚痴ってきたわけ。本人の前で「ネチネチしてる」って言えるくらい精神強かったら俺がこんな文章書くことも無かったろうに。
ふられたかなんかあったんですか→いいや?ディープな会話に差し掛かると身をかわすところが日本人女性特有だなと興味深く思って。興味深いけどよくよく考えるとこれってヤバイ状況だなと。
比較対照はWASPですか→サンプルに偏りがあるのは致し方あるまい。反例があるなら提出してもらいたい。
観察対象が狭いだけ→だから反例を。確かに狭いとは思いますよ。
日本は「気(心)」でアメリカは「言語」でコミュニケーションする→その通りだね。アメリカでは多様な価値観の人が共存しているから、相手の気持ちをそう簡単に推測出来ない場合が多い。ちゃんと話し合わないと分からない。
派閥とか同調圧力では→周りもゆるくコミュニケーションしてるから自分もということ?確かにそれもあるけど、それを続けることで粘り強いコミュニケーション能力が失われ、
精神が軟弱になるという面もあるよね。その面から書いたのがこの文章。
見当違いのコメ多くね→予想はしてたけど、なんでかねえ。ネットだからか。ちゃんと相手の言ってること受け止めないで勝手に解釈してコメントしてるって感じ。
わざわざこんな長文を書くということは、増田はまだ日本人女性に期待しているということか→なぜ長文なのかがまず分からない。日本人女性には別段期待してるわけではないが、同じ日本人としてしっかりして欲しいとは思う。
おっさんを見てみろよ。キミの指摘がピッタリ当てはまるよ。→ん?おっさんはゆるーいコミュニケーションとは対極のコミュニケーションをとっていると思うけど。
おっさんが、「これだから若者は」などとすぐ言うのは、別に精神が軟弱だからではなくて、単に頑固だから。どちらにせよ、自我を守っての言動には違いないけど。
不満点を改善することを簡単に諦める+人格のせいにする+コミュニケーションを絶つ=相手が根気よく付き合うほど自分にとって重要な存在じゃないorむしろ切り捨てがメリット(不満→人格ではなく人格が不満を産む)
→もちろん相手の重要度は、対話を諦める時の一つのファクターだけど、他のファクターとして精神の強さもあるでしょ。
その精神の強さが昔の日本人女性と今の日本人女性と比べた場合、危機的レベルにまで弱まっているということを言ってるんだけど。
何人と付き合ったのよ→自慢ではないが恋愛が俺の人生の中心にあるので結構たくさん恋愛経験してるぞ。とはいえ100人もいないわけだから、あなたは少ないと言うんだろうね。
私の周りの女性は強いけどな。もはや男性に何も期待してない。→男性に期待してないのは強いと思うけど、ここで言ってるのは粘り強い対話をするための強さだからね。
「男性なんてくだらないわ」という感じに男性との対話を拒絶しているのであれば、その強さは自我を殻で守って維持しているから強く見えるだけだよ。
積極的に自我を相手に晒して対話を続けていける人のほうが、たとえ見た目でやんわりした印象があっても実は強い。
我慢して付き合わないといけない男性ってビジネス以外でそういると思わないのだが→その見方は悲しい。恋愛相手、友達、たくさんいるだろう。それにあなたにとって
粘り強い対話は「我慢」かね。それも悲しいなあ。
上にも書いたけど、「どこで対話をブチるか」という決定には、相手の重要度以外に、精神の強さという因子も関係してるでしょ。
自分の精神の弱さを棚上げにして、「あんな奴大事じゃないからブチったのよ」ってのは、違うと思うんだよ。
一般化しすぎるのは良くない→気づいたらすぐ発言する。これが俺のやり方です。間違ってると思うなら反例をどうぞ。
そもそも比較対象の昔っていつくらい昔?明治とか大正じゃないよね?→本文読めば分かると思うけど。
上から目線で語る→勝手にそっちが自己卑下してるだけじゃないの?でも仕方ないのかな上下関係を重んじるからね日本社会は。
不満があると人格のせいにする欧米女性もけっこういる→人格のせいにすることを問題視しているのではなく、大した対話もなしに人格のせいにせざるをえないような精神の軟弱さを問題にしているんだよ?
男と比較した実例を出せ等の批判→みかんの物価が値上がりしているという証拠を挙げるのに、りんごとの比較は必要か?つまり、そういうことだ。
日本人女性の精神の軟弱化を証明するのに、男性との比較は必要ない。ちなみに、俺は明らかに性差があると考えている。
アンタが女性にメールしても切られまくる→そんなことはないよ。あなた女性でしょ?そういう茶々を入れてないで現実に向き合って欲しいものだ。
日本の催しももう少し子供が積極的に参加する物があるといいのでは→そうですね。催しに限らず能動参加をたくさん教育に取り入れるべきだと思います。
「たまに日本人女性と交友を持つ機会はあり」程度の情報でしかない→多忙だから継続的に交友を持っている日本人女性は少ないが、
たまに交友を持つ女性・一時的に交友を持つ女性はたくさんいるという意味なんだけども。
べつに恋愛関係や友人関係ではないよ。仕事や趣味などでお話するような相手ね。一般化しすぎという意見が多いが、それもまた少々過剰な意見だ。
帰納した結果を反証するような事例があったらそのたびに主張を修正していけばいいのであり、全ての事例を集めてから帰納して主張しないといけない道理はないよ。
類は友を呼ぶ→少なくとも俺はそうやすやすと対話をブチったりしないけれども。
ある視点からは“軟弱”と感じられるようにならざるを得なかったジェンダリズムがあるのでは?→そうだね。それもあるし自業自得でもあるから放置してたんだけど、
先日日本人女性に「あの人ネチネチしてんのよ」って愚痴られた時に、よくよく話を聞いてみればどうも女性側の早とちりであるらしいことが分かったのを機に、
もしかしてこの状況ヤバいんじゃないかなと思って、他の人の意見を聞く意味でも文章にした次第。
改善を要求するコストが高いなら関係性を絶った方が現在の社会では安上がりなので、合理的。つまり、あなたの代わりはたくさんいるってこと。ま、女性の方が合理的ってことかもね
→面白い意見。女性のほうが計算高いから改善を要求するよりもコストの少ない、関係性を絶つという選択肢を選ぶ、ということだね。
しかし、相手をよく知らずに関係性を絶つことは激しく不定なリスクをともなうよね。そこまで計算してる人なんているのか?
それに、女性の精神の軟弱さを合理的だからそれでいいんだよと自己正当化してるのではという疑念は拭いきれないな。
外国住まいで恋愛が人生の中心とは何というスイーツ男性→スイーツという言葉の誤用。
「こうした日本の風潮のなかで育った子供は、コミュニケーションを粘り強くすることを学ばず、 いつでもコミュニケーションは切ることができるものと考えるようになる」それなら、女性限定ではないのでは?
→男性は女性に好かれるために粘り強く相手を受け入れる必要があるので、それが良い訓練になる。だから、男女を比べた場合、
男性のほうがまだ本文の意味で精神が強靱ということになる。しかし、今後は男性もますます軟弱化していくのではないかな。
要約すると、“日本の女性の皆さん、僕は人情の機微に疎いのではっきりわかるように言ってくれないと困ります。鈍いからといって嫌わないでください。”
→はっきり言わないことを問題視しているのではない。本人の意志でさりげなく伝えようとしているのであればまだ救いがあるのかもしれないが、
最近の日本人女性はそれさえも早々と諦めている。俺はよく恋愛相談に乗るから分かるが、好きな彼氏に対してさえも粘り強い絡みが出来なくなってきている。
だから、相手が重要でないから切っているんだよという批判は当たらない。社会学では「ヤマアラシのジレンマ」という言葉があるが、
その話で言えば針が刺さった時に与えられる痛みが以前より激しくなっている。だから「ゆるーく絡める彼氏が欲しいな」という女性が最近やたらと多い。
うつ病や不安症などが日本人女性の間で増加するなど精神的な弱さが表面化してきていた時点で、日本人女性大丈夫かよと心配していたが、その予感は的中したようだ。
個人的には僕も含めて日本全体が「人のせいにする」ようになったと思う。要は増田も人のせいにしてるんだろうね。
→1:1のコミュニケーションでは入念に自分のせいであるかもしれない可能性を検討すべきだというのは同意だけど、
日本人女性全般を語る時まで慎重になってたら誰も何も社会問題指摘できなくなっちゃうよ。
それに、観測者が俺であることによるサンプルの偏りには気を配って、今回の一般化に踏み切っているよ。
というのも、俺はいろんな人が証言する日本人女性の話やいろんな日本人女性がする俺以外の人間との人間関係の話を聴いてきている。
だから、「お前がメールして切られまくってるんだろ」等の「俺側に問題あるんじゃね」という形の批判の多くは的外れだと思う。
確かにこんな面倒くさそうな男に積極的にコミットするような粘り強さは持ち合わせていない。→上のコメント読んでほしい。
この増田みたいな欧米かぶれには「もっと対話しろ」と言われる一方、保守的な日本人からは「もっと慎ましくしろ」と詰られる。日本人女性ってホントに大変だね。
→慎ましさは積極的に対話しないこととは別では?
「我慢せずに受け入れない」選択肢が増えただけでは?→そう。コミュニケーションが着脱可能になった。それによって、粘り強いコミュニケーション能力が衰退した。
その結果、粘り強いコミュニケーションをとるには多大な努力を必要とするようになってしまった。教育改革が必要である。
それから、上のヤマアラシジレンマについての箇所読んでほしい。大切な人と仲良くすることさえ出来なくなっていることから、単に受け入れない選択肢が増えただけではなく、
精神が軟弱になっているのだと分かる。
鏡を見ろ→類は友を呼ぶに対するコメント見ろ。
はてサの主力メンバーのタグ一覧を浚って、うまくネタにまとめようと思ったんだけど、
こんだけ悪意によどんだネガタグの一覧を前にすると、正直ふつうの神経なら参っちゃうみたい。
3,000くらいから1/10までしぼりこんだところで心が折れますた。
教育予算が益々減り、一方でアカポスの減少・不安定さから院卒・オーバードクターが余ってたり講師で食いつなぐ人が多い日本なわけだが、
という政策を提言したい。
「教員免許更新制」はハッキリ言って百害あって一利無しの愚策であり廃止されるのが妥当だが(根拠はググれ)残念ながら現在の教師の育成システムでは保護者から「教育への信頼」を取り戻すのが難しいのは事実で、だから教育改革は必至。ただし予算はカツカツ。そこで上の政策。余っている頭脳を、必要な所へ。「研究の最前線」で活躍している人が小中高と連携する。スーパーサイエンスとかそういう政策よりも遥かに実になる現実的なプランで、しかも予算は安くて済む。そして、準アカデミーポストの人が教育の最前線に関わることにより、教育への信頼は復活する。
この政策のミソは、身分が「教諭」とか「常勤講師」でなく「特別教科講師」という新設身分であること。まずは大学の多い府県などを特区指定して、そこに、定数外/常勤で配置する。のちに「教諭」になるのでなく、あくまでメインは「研究」であることが保証され論文を書き、将来はアカポスを得る予定の人が一時義務教育・初等中等教育に関わることが大事。
ここには書ききれないが、実現すれば様々なメリットや相当な効果が期待できる。とりあえず研究職を目指す人の生活の安定も含めて検討すべき政策だし、その意味では急いで検討を始めたどっかの私立進学校とかがパクってやり始めるのも可。その場合卒業生中心に声をかけたりすることになるんだろうな。
(追記)
ちなみに、この話題を自ブログでなく増田に放流したのは、自分の立ち位置を予断に含めて欲しくなかったこともあるけど、現在の増田が非常によいブレストの場になってると考えているから。未熟なアイデアを、しかも小出しみたいな形で出してるのはそれが理由。なので「私塾良くね?」みたいなレスポンスはとても楽しい。ありがとう。あとブクマが増えてることにも感謝してます。適宜そちらにも反応返せたらと思います。そちらのみなさんもありがとう。(反応返してみた:http://anond.hatelabo.jp/20090219230021)
どっちかというと私学助成の削減の方が「駄目な人間は駄目なままでいい」的発想だと思うんだけど。というか、教育の予算を削減したら、もっと駄目になりそうな気がするよ…。「予算が削られた方が、創意工夫をする生徒が増える」と言いたいのかもしれないけど、ちょっと楽観的すぎるんじゃないの(何か裏づけとなる統計や資料があるのなら話はまた別だけれども)。もちろん中には貧しい中から成功してのける人間も居るのだろうけれども、それを一般論として扱うことは出来ないんじゃない?それとも、もしかして公立高校に入学できないような馬鹿はそのまま沈んでいっても仕方がない、って考えているのかな?
ああ、これまさに実際そういうノリで20年前に「教育改革」したんだよな。今「ゆとり教育」と呼ばれるアレのことなんだけど。
今でこそ何故か日教組の仕業とされてるけど、あれって元々は中曽根を中心とする保守本流が今の橋下と全く同じノリで推した「教育改革」で、反対派はこれまた今と同じノリで叩かれた。
結果はご存じの通り。つーか、どう美しく飾っても「教育を削減する」という事実は変わらないんだから、総論としての結果は見えてるわな。
教育予算なんてさほど他の予算に比べたら大きいものではないし、大阪にとってはむしろ重点強化部門のはずなんだけどねー。
橋下は何故か教師がやたら嫌いなようだから(何かトラウマでもあるんだろうか)教育に関しては最初からまともな判断できていないと思われる。
文部省で旗振り役だったのが寺脇だったのは事実だし、彼がゆとり教育におけるA級戦犯なのは間違いない。
もっとも、寺脇がいなければ別の奴が旗振り担当に据えられていたであろうから、最大級の戦犯はやはり寺脇に「教育改革」を指示した中曽根ということになるんだろうな。
旧来の詰め込み教育は先人の知恵の「丸暗記」が中心だったので、自力で考える科学的・論理的な考え方を身につけなければ役に立たないという批判自体は筋の悪い話ではなかった。
ただこの「詰め込み批判」が丁度1980年代後半から2000年前後にかけて寺脇が旗振った「教育改革」「ゆとり教育」によって全く違う意味を付与された。
つまり、教育への市場原理の導入を目的として、公教育は予算と時間を削減され単に「縮小」した。その結果、塾・予備校市場は活性化した。一方で公教育がどうなったかは皆さんご存じの通りだ。
大学は学生がアホだアホだと言っても定員はそうそう減らせない。大学は教育機関であると同時に営利目的の法人でもあるからだ。
定員がそうそう減らせなくて、子供の数が減る以上、三流以下の大学がアホで埋め尽くされていくのはどうしようもない。
最近気になってるんだが、ゆとり教育っていつの間に日教組が推進してきたことになったんだっけ。
今「ゆとり教育」と言われるのって文部官僚の寺脇研が1980年代に打ち出した方針のことで、方向性は1984年から中曽根の諮問機関である臨教審で決められたものだけど、段階的に週休2日制が始まったのが1992年、いわゆる「授業内容3割減」の実施が始まったのは2002年。この「3割減」指導要領で教育を受けた世代が世間では「ゆとり世代」と呼ばれてる。
臨教審自体は中曽根政権下で「教育改革」「教育自由化」と位置づけられ、中曽根+官僚 vs 日教組という形で反目し、日教組は例によって反対反対の大合唱で、結果は日教組ボロ負けで終わった。
この指導要領については自民の右派と官僚が主導した「改革」で、日教組は「改革」に対する抵抗勢力だったはず。ってかこの件に限らず日教組が政府筋の教育改革に賛成したことなんて無いだろう。
週休2日制については更に10年以上前から日教組が主張していたのも事実で、要するに労組らしく「休ませれ」って話なわけで、まあ段階的に土曜が休みになっていったことで授業時間が減った事実もあるのだけど、これを「ゆとり」の一部に含んでしまうと1992年当時中学生だった層=現在の30歳前後くらいまで「ゆとり世代」になってしまって一般的に「ゆとり世代」と認識される層よりも10年ほど上にずれてしまう。
「ゆとりが必要」というような論も昔からあったものだけど、後年寺脇や中曽根が推した「ゆとり教育」は用語を借りてるだけで直接の繋がりはないはず。中曽根なんてそもそも日教組の意見なんてはなっから聞いていなかったわけだし。
まあ日本の教育に日教組が色々悪影響を与えてきたという論については別に異論もないのだけど、ゆとり教育に関してだけはどうも酷いすり替えが発生している。