はてなキーワード: 学振とは
もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問がヤバい。
なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要な資料にアクセスできないからだ。
歴史学の根本は、オリジナルな資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。
そして公文書館というのは行政機関なので、日本の国立公文書館や外務省外交史料館が東京にあるように、あるいはイギリスの国立公文書館がキューにありアメリカの国立公文書記録管理局がワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。
コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!
でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券でヨーロッパに渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料にアクセスできなくなるかもしれない。
明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学が日本に持ち込まれた。だが初期の日本の歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。
オリジナルな史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語とフランス語とドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。
けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本の歴史学が独り立ちするためには。
やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナルな史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語を習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行が安価になるにつれ、国外の文書館にアクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本の歴史学のレベルはどんどん上がっていった。
2000年代から2010年代にかけての日本の歴史学界で生み出された外国史研究のレベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナルで面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。
留学の予定も史料収集の計画も、すべてが白紙になってしまった。
分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程か博士課程で留学をする。これは現地で史料を収集したり、現地で言葉を勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要なプロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国の歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。
COVID-19直撃世代は、この留学の経験を持てない。彼らは外国史研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。
2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することなく博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることなく任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振の研究費のかなりの割合を出張費に充てている)。
けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査のハードルがものすごく高くなってしまっていたら、日本の外国史研究は大きな打撃を受けるだろう。
そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在で史料もたっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国の研究者とオンライン会議すればいい。
でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国語能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端な研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。
もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料をウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国の雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達はドイツ語の学術書をkindle版で引用していた。
だから、研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。
どのような種類の史料が必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージの歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツの政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館の史料を見なければお話にならない。
現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相がメディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料が全然違う。前者は新聞やネットを見ればそれでいいが、後者は情報公開請求が必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。
そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究者から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり、研究のために文書館史料を必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国史研究において、思想史や文化史、古代史の割合が高くなるかもしれない。
(いやでも、ガチの思想史や文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代の知識人の留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいるからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料がほとんど翻刻されてたりするし……)
ネット上で読める範囲の古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究のレベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベル低いね」と一蹴されてしまう。論文を英訳なり独訳なりして海外のジャーナルに投稿しても、それなりのレベルの雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)
ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代の研究水準には戻れないのだ。
ハードルを下げる?
つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?
コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。
それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史はハードルが高いから、表象の歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。
ともかく、これまで日本の歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。
日本の外国史研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。
まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学や記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在のレベルの渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニアの島国やアフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国を舞台にした文化人類学や記述言語学は消滅し、国内を対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……
(まあ、国内の伝統文化や方言を保存するために、一度外国の文化や言語を記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学で修行する若手研究者が離島や山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)
デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。
第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだ。マトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体の公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベルの文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係の公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマを研究しようと思ったらそれでは困る。
第2に、困るのは外国人研究者だけで、本国の研究者はそんなに困らないのだ。
日本人がイギリスやドイツに調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館にアクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国人研究者の姿が消えたとして、いったい日本人研究者になんの不都合があるのだろう?
(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国に拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本の大学で教鞭を執っている中国人の日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米の大学に就職しちゃった日本人研究者は大変だ。また、日本を研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係の歴史を研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府の公文書管理がザルすぎるせいで重要な史料が日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)
つまり、全世界的に、自国を研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国を研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国人研究者への配慮が、果たして自国の公的施設のデジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。
第1に、それ本国の研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費は渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど……
第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書の形式の違い」みたいなのも当然論文のテーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。
ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録に面白そうな史料があったから地方の文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人にコピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語でしかない。
第3に、そもそも論としてなんで自分の研究のオリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要な史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料の存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)
日本史であっても一次史料が海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスのハードルが以前から言及されていたのを思い出した。
なおアジア・アフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史を研究する日本人の歴史家は日本国内で研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリスに(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本に(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……
そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?
それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンやロナルド・ドーアやケネス・ポメランツやイアン・ニッシュやJ・ヴィクター・コシュマンやブレット・ウォーカーにも言ってきて!
この話はそれ以上でもそれ以下でもない。
これはおそらく誰の役にも立たない、個人的な話だということを断っておく。
父親は暴力を振るうし(高専進学後はなくなったが)、自分が小学生ぐらいまでは定職に就いていなかったし(母親がパートしていた)
収入よりも支出が多く、子供の教育費にお金をかけるよりも自身の飲み食いにお金を使い、毎月金がないと騒いでいるような家だった。
ただ一応母親は比較的まともで高校までは学費を出してくれることを約束してくれた。
そして、大学の学費は出してあげられないけど奨学金を借りて家から通えばいいと教えてくれた。
幸い自分の学業成績は地元の公立中学校で上位5%程度でそれなりに良く地元の公立高校に進めば大学に行けそうだった。
でもこんな家庭環境が悪い家から大学に通うなんてまっぴらごめんだった。それに、公立高校は学費の他に、模試やら制服やら色々なこと
でお金がかかりそうで、父親からも文句を言われそうで嫌だった。
そこで、地元で一番偏差値が高い公立高校と同じ程度のレベルの高専に行くことにした。
高専には格安の寮があったし、学費自体は公立高校よりも高かったが模試や制服など諸経費が全くかからなかったから。
それに当時民主党政権時代の高校無償化で高専1年から3年までは半額で通うことができた。
技術にはあまり興味はなかったが、幸い理数系科目が好きだったので高専に進学してからも特に困らなかった。専門科目には一切興味がなかったが。
しかし、自分が通っていた高専は当時進学高専として名を馳せていたせいか、そういう技術に興味がないがいわゆるお勉強はできるみたいな人は少なくなかった。
教員や大学に入ったときの周りの高専生に話を聞くと、これは高専の中では結構特殊な部類らしい。
それはさておき、高専というのは自分と同じく家庭環境が最悪な人が集まるものらしいが、自分が通っていた高専は普通の家の人が多かった。
ただ、お国柄か失礼ながら育ちはそんなによくなかったとおもう。それに高専では当たり前かもしれないが変な人が多かった。
自分はそうは思わないが、多分自分も変わっていたので変な人とはウマが合ったように思うし、実際卒業してから結構経つが今でも付き合いのある友人は何人かいる。
高専4年になると、親からの援助はなくなり、自分で学費を払うことになった。学費を捻出するために日本奨学支援機構の奨学金を月5万円程度借りていた。
ただ、高専には経済的に苦しい人に授業料免除の制度があったので、奨学金は教科書や定期代に使う程度で残りは大学の入学金などのために貯めておいた。
この頃から進路について考えるようになった。大学に行くことは決めていたが、今の専門で今後4,50年生きるのは嫌だったので専門を変えて進学することにした。
幸いなことに大学の門戸は広く、工学部の他に理学部などの比較的親和性が高い学部や、医学部などの全く異なる学部、文学部、経済学部など文系の学部にも編入できるようだった。
手頃な旧帝大に自分の興味のある専門が学べるところがあったので、そこに行くことにした。真面目に1年間勉強すれば合格することができた。
おそらく一般の高校生よりも簡単な方法で入学したのだけれど、まぁ入ればこっちのものである。
入学金、最初の授業料、賃貸の諸経費で軽く100万くらい飛んでいったけれど、貯めていた奨学金やバイト代でなんとか支払うことができた。
大学のときは日本奨学支援機構の奨学金、給付奨学金、バイトでかろうじて一人暮らしができるようになった。
給付奨学金のおかげで、利子ありの奨学金を借りなくて済んで、関係あるかはわからないけど大学の名前に感謝した。
あと大学でも授業料免除をうけることができたので、そんなに苦労せずに大学生活を送ることができた。
(自分が特殊ルートなこともあって正しくはないかもしれないけど、日本の大学は勉強したい人にとっては
経済的に苦しくてもある程度の覚悟(奨学金)を負えば通えると思う。)
ただ専門を変えての入学だったので入学当初はかなり真面目に朝から夜まで勉強する必要があったけれど、
ただ、大学の人と話していると生まれの違いを見せつけられた気がした。
お金が足りなくなったら親に無心する、留学したければ簡単にできる、旅行をするために親から借金をする・・・
挙げていけばキリがないが、教育格差は親の経済状況に大きく左右されると改めて思った。
あの人たちは自分のことを友人として扱ってくれたけど、自分は彼らの国の住人じゃないと心底痛感した。
大学に入って初めて恋愛をして、恋人もできたけれどどうしても格差を感じてしまう、世界が違うと馴染めなかった。
ただ、彼らとの会話は楽しかった。
ほかの編入生と話す専門的な話も知的好奇心がくすぐられて有意義だったが
彼らと話すのは心地が良く、リラックスして会話を楽しむことができた。
本当は博士課程に残りたかったが、経済的に苦しかったので就職することにした。....というのは負け惜しみかもしれないけれど。
(もし本当に大学に残りたくて、実力もあれば、学振やらRTなどで生きることはできるように思う。)
就活を真面目にしなかったせいか、レベルの低い会社に就職してしまったように思う。自分のレベルが低いのかもしれないが。
周りの同期のレベルはそんなに高くなく、話していて楽しいとは全く思えない。それに自分の出身大学でいじられたりもする。面倒臭い。
自分はあまり学歴に興味はないけれど(本当に)、学歴で得をするのは中の上クラスの企業に勤めている人たちだけじゃないかと思う。
一番高いところにいる人たちは大学名なんて気にしない(と聞く)し、下の方のレベルの企業だとほかの人からの僻みでうっとうしい。
だから自分は、転職や大学に戻ることを考え、またあの心地よい会話ができることを心待ちにしている。
一生、自分の世界とは相入れないことを知りながらも、もがき続けるのだろう。自分は下のレベルではないと傲慢に自分を騙し続けながら。
ポスドクで様々な成果をあげて栄転する人もいれば、そううまくはいかず、アカデミックを辞めてしまう人もいる。
何が両者を分けているのか考えてみる。分野にもよるが、ある程度は共通していると思う。どちらかというと理系寄り。
→これは大きい。採択されるということは有望な研究者という証にもなるし、研究費をもらいながら自由に研究できるので、成果もあがる。
→ネットワークが広がるので、共同研究などに発展しやすいし、顔を知ってもらえるだけでやはり違う。機会を活かせるかはその人次第だけれど。
→ホワイトなラボで、自由な研究時間があるのはやはり強い。ブラックだととてもとても大変。
→博士課程と同じような研究を続けていては先細りする。博士課程を始めてから5年くらい経つと、世界の研究の動向も変わる。また、同じ分野で出せる成果もだんだんとインパクトが減ってくる。ポスドクで新たな研究に取り組めないと、今後取り組むのはもっと難しくなる。
以上を全部満たさなくてもいいが、全てを満たしていない人は、やはり厳しい。
とりあえず色々あり過ぎるんだけど、ワイくんの学振申請書作成を妨害した罪は重い。非常に重い。
金と飯の恨みは怖いんやぞ東京モンのイキリおっさん准教、キミやキミ、見とるか〜!
これまではひ弱なイエスマンの関東圏の人間イジメて遊んどったみたいやけど、こっち来たんが運の尽きやったねえ〜
東京での元ヤン自慢でいつも草生やさせてもろとるやで〜wあっチャリ盗んだ話と犬殺した自慢はもうせんでエエで〜w不愉快やからな
周りの人間からも須らく恨みこーとるけど、ひたすらにあわれやね。人から慕われず仕事するの、ワイはよーやらんわ。周りに嫌われながらやるんオモロないやろ?ワイらの業界はチームプレイやのになwやめやめwていうかヤメさしたるw
あとさ、今までどうやって業績出してきてたん?マジで。
いや、無いか!w あっこれはワイが言うたんやなくて、こないだ論文死にそうになりながら出せた先輩が言うてたやつやからワイやないで〜w
あと人がとってきたお金、辞めさせといて使い切るとかゴミクズがすることやからね〜
そろそろネタも集まってきたし上層3人まとめて一気にトバしてやるからの〜
もっかい言うけど見とるか〜!w
見とったとしてもなんも変わらへんのやけどもね〜
キミらはよーそれを捻じ曲げて載せてるけどw
ほな!w
P.S
博士課程の学生のお金にまつわる問題がいろいろ言われているけれど、とりあえず働いて稼いでからにしたらええんちゃうのん、と思う。
自分は修士卒で一旦就職して2年間働いて、とりあえずの学費と当面の生活費を貯めてから進学したよ。
おかげで、学振一回もとれなかったけど(最初の頃は学振の存在すら知らなかったw)奨学金とバイトと併せて無事にドクター取って修了できたわ。
今はその頃と違って奨学金とか授業料免除の仕組みが充実してるから、進学後のお金を心配するくらいだったら、まずは学費分だけでも良いので稼いでから進学しなさい。
2,3年のブランクなんて、その後の30年を考えたら誤差やで、誤差。
学部時代から同じ研究室に居て、雑用の質も量も最悪な状態になっていたのはD2の時。
もうやけっぱちだった。
研究なんてやりたくなかったし、研究者という職業への憧れも失せていた。
D2でDC2を出したのは、研究を続けるためというより「あの時出していれば」と将来思いたくなかったからだったような気がする。
書き始めたのは〆切の1週間前だった。
時間もやる気もないので、やりたくないが「どうせこうやったらウケるんだろ」というテーマを書きなぐった申請書を提出した。
これで不採択になって「そんな甘いものではないのだな」と思いたかった。
でも、通った。
ウケ狙いの申請書がその通りにウケたのか、D1の時より業績が増えたことが重要で申請書の内容なんて見てもないのか、真相はわからない。
いずれにせよ、ロジックがガタガタで実現可能性が低そうなことを言っていても、耳目を引くテーマや手法や研究業績さえあればごまかせるのだと感じた。
このゲームを巧くできた人が残り、できなかった人が去る。
という経歴だけど、研究者としてやっていけるという自信が自分の中にあれば、別に出産や結婚という節目で不安に感じることはなかったけどなあ。研究職が無理なら、途中で諦めて民間就職して、そこで稼げばいいや、稼げるはずだと思ってたし。
配偶者を安心させられるくらいに本人も将来どうなるかの自信がないなら、研究の道を選んでもずっと不安が残るだけでは。
5年間の助教をやった後にその先がなくても、都内の就職先なんていくらでもあるでしょ。いくらでもあるともし本人も思えないのなら、そりゃ配偶者も不安になるのでは。
私(夫)28歳、妻26歳で結婚して、すぐ妊娠し、今1歳半の子供がいる。現在私は30歳。
出来ればいい大学のポジションに着きたい。それが任期付きであっても。ただし妻は何でも良いから定職(彼女のいう定職は任期の無い普通の会社員)について欲しいという。
妻は、5年後に旦那が仕事が確実に無くなり、次の仕事があるかわからない。また見つけたとしても、継続してひとつの法人に在籍しない為に、昇給がない、というのが堪らなく精神的に不安らしい。いい加減に定職につけと言うことだ。
私は元々日本で修士課程を卒業して、誰でも知っているいわゆる大企業に就職していたが、2年でやめて、海外で博士課程を始めた。2020年3月に修了予定で、仕事をどうするか(そもそも見つけられるか)が問題。
こんな不安定な道に進む場合は、結婚するべきではなかった。妻も結婚した当時は不安定な道になる事は承知していたはずだが、実際に子供が生まれ、直面すると態度が変わった。妻は、私が受ける、ある大学の任期付き助教の採用面接が失敗すればいいと思っている様子で、もはや根本的に考えが私と違ってしまった。(私はこの大学よりいい大学で助教ができるとはあまり思えないくらい、いいポジションと考えていて、ぜひ採用されたい)
自分は元々結婚には向かないと思っていたが、した事も無いのに決めつけるのは浅はかだと思い、試して見た。今言えることは、きちんと見通しをつけず、結婚を決断をした自分が浅はかであった。
遅かれ早かれ離婚する事になりそうだが、子供が不幸になる事が申し訳ない。申し訳ないと言いつつ、自分の都合を優先させるために子供を不幸にする自分が悪魔そのもの。
結婚をするべきではなかった。もっというと、子供を欲しがる女性と結婚するべきでなかった。
定職を持ち、長く住む場所が定まり、精神的な余裕がある人間以外は子供を持ってはいけない。当たり前の先人のアドバイスを繰り返すだけになってしまった。
[以下追記]
このやり方でいいのかわからないんだけど、ブクマの人気コメントにお返事書かせて頂いた。
kpkpkpchang 離婚後、当然のように妻が子供を引き取る想定でいてモヤモヤする。
子供の親権を取ることに私は、そこまでこだわっていないが、事実上私が親権をとることはできないと考えられる。
離婚届には離婚後の親権を記入する欄があるが、そこで合意が得られなければ、裁判所の判断になる。
調停になった場合、やはり妻が有利。私はずっと海外にいて、妻が日本で子供の身の回りの面倒を見てきた。
そのため、私が親権または監督権を獲得するのは事実上無理だと考えられる。
養育費を払うことは(私に収入の範囲内であれば)なんの問題もなくて、できるだけ払いたいと思う。
”自由がない”、の意味がよくわからないが、可処分所得が減るという意味なら、理解しているつもりだし、納得もしている。
私が問題だと考えてるのは、子供の父親が一緒に生活していないこと。
おそらく離婚したら私は積極的に海外のポストも探すが、そうするとかなり長い期間顔をあわせる機会もない。
家事や子供の身の回りの面倒を見る大人が2人ではなく1人になるというのは、子供にとっては不幸では?
また、自分の父親の顔を覚えていない子というのは、たとえば学校生活で父親の話をするときに、気まずい思いをするものではないのか?
金(養育費)だけ払えば子供にはなんの影響もないと思えないので。
yuatast 妻子供よりも自分の将来が大切だってことでしょ。分かりやすいよね。
まさに仰るとおり。説得ができない。任期のあるポストでも私にとってはとてもいい仕事なのだが、
私の感覚では、いい大学の助教の経歴があれば、自分のキャリアが続く仕事は見つかると考えているのだけれど、
妻はそういう楽観的で不確定な未来を受け入れる態度に耐えれれないということらしい。それもわかる。
どう説得すればいいのか教えてほしい。
子供が自分自身のことを不幸だと思わなければ、他人にどう思われてようが、問題ないと思う。
私自身は片親の子をみても不幸だとかそういう考えは持たないが、一般的にはどうなのだろうか。
子供がどう考えているのかは、離婚した親をもつ子供のアンケートの統計等を見ないとわからない。
妻はその業界では安定した企業の職についている。会社はその分野で国内最大手で連結の売上が500億以上。
そのため、妻が育休中のその会社をやめなくて済むように、私は東京でのし仕事を探している。
妻に詳しく認識を聞いてはいないが、子供が小学生くらいになるまではあまりフルタイムで働く気はないのか?
(妻の企業は時短がけっこう一般的で、フルタイムと時短の切り替えがある程度容易)
妻は子供と過ごす時間に対する優先度が高いように見受けられる。
問題は、私と妻が共同生活を送ることが困難になるほど不仲になってしまうという点で、
それを解決できない場合は一緒に暮らす全員がかなり不幸になる(と考えられる)。
なんとか、任期のある仕事につくことから来る妻の不安を私が取り除かなければ、一緒に生活できない。
宝くじで数億円が当たるか、私が、妻が満足する任期なしの仕事につけば、問題は解決する。
もし私が私のやりたいように進めると、私が任期なしのポジションにつくのは5年後等になると思われる。
そこまで不仲の状態で共同生活はできないので、離婚しなくても別居はするのではないかと思われる。
生物の特性上、子供を妊娠出産することができるのが女性だけというのが、現代社会においてかなりハードルが高い。
子供が欲しい女性はある時期は必ずパートナーや自分以外の何かに頼らざるを得ない。女性のキャリアの形成があまりにも難しい。
(世田谷とか笑ってしまうぐらい認可保育園が空いてない。例えば、1歳の子供を入れたい場合、待機児童が345人いる:
参照https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/kodomo/003/009/d00031371.html)
認可外の保育園もあるが、個別に問い合わせてもまぁ空いていない。
保育園の申し込み書類の用意は私が主に担当している。保育園の見学は一時帰国したときに、私も3~4件は回ったが、
やはり認可保育園の方が環境がよく、そこに入れたいと思う親の気持ちは理解できる。
ただ、認可保育園を見学しても虚しいのは、入れる見込みがほぼないこと。(見込みがなくても見学していないと申し込みすらできない)
また、良い保育園がたくさんある地域は、結局他の地域から無現に子供を入れたい親が引っ越してくるので、
待機児童問題は永遠に解決しないと思われる。月14万くらい払えは、環境のいい認可外のインターナショナルスクールみたいな所に
入れられるが、私たちの家庭にその余裕がない。自民党はなんの関係もない。
私も自然科学で学振とおって博士でた女だけど、正直いってあいつらも何だかんだいって上級国民にしか見えなくてキッツいなあ
あちらさんはすごい優秀なんだなあ、というのが記事を読んでてひしひし伝わってくるけど、学生結婚したりアカハラ受ける程度には周りの人間と接触してたんだよな健常者様はいいよな、と僻みがメラメラでてくるよね
こっちは理系といっても実験ないタイプのやつだったから研究室に行く頻度がえらく少くなっても誰も何も言わなかったし、そもそも大ボスも他の院生も私の研究と分野めっちゃ違うから完全に放置されてたし
大学院の人たちとあまりに接触しなかったせいでアカデミアに性差別があるのかどうかすら実感する機会なかったよ、就職に関してもそもそもアカポスなんて分野的にハナから狙えるような感じでもなかったから知らん
人相と愛想が悪いのとかビッチリ詰まったリストカット跡を隠しもせんかったとか、まあいろいろあかんかったんはあるだろうけど、こっちは一人で死なない程度に生きるのでギリギリだから、所帯ありって時点であいつらは圧倒的勝ち組だよ勝ち組
ブコメも大概で優秀な女性研究者を活用できない日本社会は~っていつもの義憤ポルノでキモいよ、やっぱ健常者さまは同情を買うのがうまいよね。
私みたいなのが30歳を過ぎて日本のすすけた都会の片隅でこうやって社会を呪いつつお薬飲みつつ細々と糊口をしのいでても誰の同情を買うこともできないもん
どうやったらもっと人生うまい具合にいったんだろうか、考えても頭がシビれるだけで何もわからなくなってくる
今生はもう長い長いロスタイムを消化するだけだからあんまり不安とか不満とか抱いても不毛だけどね さあ明日も早いしアメスピ吸って寝るかね
同類っぽい吐露を友人より教えてもらったので、久しぶりに反応してみる。釣りにマジレスして恥ずかしいけど、同じ文系院生(文学研究)だから一言おいてく。
まず彼の苦しみはわかるよ。生きてること自体の根源的な虚しさと、プライドに釣り合わない生活の間で、自画像が捻じれてるんだよね。そういうの分かるよ。たぶん同類だから。
でも、食べたり飲んだり遊んだり、生活するためには、多くの場合、自分で働かないとダメだよ。
ニートや引きこもりが可能な人は好きにしたらいい。でも、いわゆる社会だとか、普通に仕事してるリーマンだとかは何一つ悪くないよ。悪いのは、プライドこじらせた自分だよ。
高卒でも中卒でも、身体使って仕事して、建物や道路作ったりしてる人は皆偉いじゃん。企業組織の中で心身削って家族のために働いたり、趣味に生きるために折り合いつけたり、生活するって、そういうことだよ。
高学歴云々っていうなら、それくらい理解できるでしょ。そもそも博士に進めない程度のやる気と実力ってことは、学振も取れないし、奨学金借りてでも研究する意思がないんでしょ。学振取れなくても、バイトして研究続けるとか何とか、選択は幾らでもあったはずだよね?海外の研究機関に応募することも出来たよね?それとも、こんな簡単なことも分からない程度の、お粗末な修士様だったの?
ちなみに修士号なんて、きちんとコースワークに真剣に取り組めば、誰でも取れるよ。天才ではない、何者にもなれない学卒の凡人が凡人として訓練を受けるための仕組みなんだから。
高学歴なのに自己実現できない、社会が悪いって、本当に頭悪いと思うんだけど、どうかな。
彼に限らず、すべての不遇な院生全般に言えるけど、研究するから、学歴があるから、自己実現できるわけじゃないよ。中学生じゃないんだから、働けばいんじゃないの。
以上!
https://anond.hatelabo.jp/20190519190721 の続き
首尾よくそこの院生を紹介してもらえたら、教員には聞きづらい研究室生活のリアルを存分に聞こう。就活で「残業」について聞くと嫌われるらしいが、研究室見学でこの手のことを聞いても印象が悪くなることはまずないと思う。むしろ、心象を悪くしているようだったら、今すぐ、そこから逃げた方がよい・・・。
具体的には次のようなことを聞けばどういう生活になるのか、見当がつくだろう。
(i) 教員とのやりとり
「指導教員とはどれくらいの頻度でディスカッションをしていますか」
研究室によっては完全放置というであることがあるため、自分に合ったペースで面談をしているのかを確認しよう。個人的には、二週に一度個別の面談、半期に一度くらいに研究室メンバー全員への進捗報告があるとペースがよく感じる。ただし、分野、研究内容、個人の性格で変わる部分なので、どの程度がよいペースなのはその人次第だ。まだ研究のペースについてよくわからなければ、「それくらいでちょうどいいですか?まだその辺りよくわかっていないので」と先輩に聞いてしまえばいい。
(ii) 研究の決め方
指導教員からかなりトップダウンで降りてくる場合もあるし、ある程度裁量がある場合もあるだろう。これに関しては何が正解というわけではない。私の経験したパターンは後者で「まず自分が知りたいことを見つけてこい」と放り出されたところから始まった。あなたにとって納得できる方針であるかを確認しよう。これは教員本人にも聞いた方がよい。
(iii) 労働時間
「平均して何時頃に来て、何時頃に帰っていますか」
「土日はどれくらいの頻度で来ていますか」
「ラボにコアタイム (必ずいなくてはいけない時間) はありますか」
働きすぎは人生の毒だ。必ず確認しよう。コアタイムが長い (例えば8時間) 研究室であれば、警戒した方がよい。
ただし、8時間研究室にいること自体は不思議であるとは思わないし、実験が佳境であったり学会前にはそれ以上いることだってざらだ。大学院生になる以上、それは覚悟しておく必要がある。あくまで懸念事項は、「平常時から8時間を強要している」という点にある。私が知っているケースだと、就職活動でコアタイム中これなくなったことに苦言を呈されるという事態を見たことがある。これはいくら何でも無茶苦茶だ。
どれだけ長く滞在しているのかを誇っている様子だと、やや注意した方がよい。もちろんあなたが、大学院に入ったら研究以外全てを投げ打って働きたいというのなら、それはそれで構わない。しかし、多くの人間にとって研究は人生の一部であるが人生ではない。「これは奴隷の鎖自慢なのでは?」と一歩引いた目で見るようにしておいてほしい。
博士学生やポスドクがいたら、自分よりはるかにノウハウがある先輩がいるわけなので、入学後大きな助けになる可能性がある。いる場合、「博士学生やポスドクとは議論したり、一緒に研究をしたりしていますか」と聞いてみるとよいだろう。
信じられないことに、自費で海外学会に行かせる研究室もあるのだ。博士で学振研究員に採択されているのならともかく、多くの学生にとっては経済的にこれはかなりきつい。
人件費をどれだけ重視しているのかは教員によってかなり落差があるので、聞いておいた方がよい。
「学位の取得状況はどうですか (博士号は3年で概ね取れているのか)」
「隠れた要件はあるのか (要綱には書いてないが、実質的に要求されること)」
これまた信じられないことに、博士号を頑なに出さない教員というのは実在する。理由は様々だが、中には目を覆うような酷い話もある。だが、理由など知らなくてよい。あなたがすべきなのは、人生を棒に振らないためにも、学位取得状況は早い段階で知っておくことだ。これは教員本人にも聞いておくとよい。「その人次第」としか返ってこなかったら、黄色信号だ。その人次第な部分が大きいのはその通りなのだが、これでは答えになっていないからだ。
上記にあげた質問に、先輩の博士院生や教員が明快に回答できなかったら、要注意だ。
「学生間の仲はどうですか」
「研究室でのduty (研究以外での義務、例えば掃除) はどれくらいありますか」
快適に研究室ライフを過ごせるかどうかはこの辺にかなり左右される。ただしdutyがあること自体は普通なので「あるからダメ」と言いたいわけではない。あなたにとって適切な量と内容なのかが重要なのだ。
見学して好感度が高い場合、具体的に院試を受ける際の助言も聞いておいた方がよい。どの教科書を使って勉強するのか、講義の資料、院試の過去問はもらえるかといった点だ。
さて、首尾よく研究室見学ができたとする。「もうここしかない」と思うかもしれないし、決めかねて迷っているしれない。が、どちらの場合にせよ、即決するのは性急だ。最終決定するにはまだまだやることがある。
一つだけ見て、そこに決めるのは危険だ。できれば複数の研究室を見学しよう。
複数の研究室を比較することで「実はあそこは環境が悪い/良い」ということに改めて気付けるかもしれない。
劣悪な環境で研究している院生は、本人たちは「大学院はこういうもの」と思い込んでいることが多い。奴隷はいつしか、自身を縛る鎖に安心感を抱くものなのだ。そうならないためにも、早い段階で多様な研究者と話すことで、研究に対する価値観を養生していった方がよい。
「授業を受けていた」程度の間柄でも構わない。「大学院進学をしたくて、○○研究室を考えています」と言えば、よほど酷い人格の持ち主でない限りは何らかの返答はしてくれるだろう。「そこは素晴らしい」だとか、逆に「正直お勧めしない」だとか。もちろん、研究者も人間なので、その人一個人の見解だ。なので、全て鵜呑みにする必要はない。例えば、私は知り合いの研究者に「君、そこに進むと厳しいよ?」と諌められたが、(今のところは) 生き延びている。あくまで、考える材料として聞いてみるとよい。
研究には金がかかる。指導教員が研究費を取れているのかは、自身の学び、研究の質、量、そこから生じる心理的な幸福全てに絶大な影響を及ぼす。どのようなテーマで資金を獲得しているのかは、研究室のウェブページに書いてあることもあるし、そうでなくても調べようはある。
このウェブページには、 日本学術振興会が提供する科学研究費補助金 (科研費) の採択リストが載ってある。研究室の教員の名前を打ち込めば、その人がキャリアを通じて獲得した科研費を全て知ることができる。もちろん、科研費に限定なので民間の助成金は載っていないが、大きい額の研究資金は概ね科研費なので、これを見ておけば大体の資金獲得状況はわかるだろう。
Researchmap
これは、雑に例えると「研究者のFacebook」だ。研究費の獲得歴を記載してある人が多い。自分の興味のある教員の名前を打ち込んでみよう。
資金が自分の入学時も継続している場合は、どのようなテーマで教員が資金を得ているのかが、自分の研究テーマにも直結するため、必ずチェックしよう。
・博士号取得者のその後
その研究室で学位を取った人のその後のキャリアを追ってみよう。人によっては研究室のウェブページに掲載している。そうでなくとも、博士取得したであろう過去の院生の名前で検索したり、その後の業績を追いかけるとよい。著者名での論文の調べ方がわからなければ、「Google Scholar 著者名」で検索してみよう。
学振DC、あるいは学振PDとは、日本学術振興会特別研究員という制度だ。簡単に言えば博士課程や、その後のポスドクでもらえる給料と研究費制度だ。博士課程を希望していてこれを知らないのはもったいないので、知らなければすぐに調べたらよい。
博士に進む場合は、学振に採用されることはかなり重要だ。色々問題ある制度であることは否めないが、例えばDC1に採択されれば少なくとも3年間の生活が保障されるので、狙わない手はない。
学振に通る研究室は、大体固定化される傾向にある。「結局は知名度」と言われる意見も散見されるが、私はそうは思わない。学振に毎年のように通る研究室は、先輩が後輩の申請書を添削したり、後輩が採択された先輩の申請書を丹念に分析して執筆しているものだ。
従って、進学先の研究室の先輩が学振に採択されているのかはしっかりと見ておいた方がよい。学振に通っているのかは、研究室のウェブページに掲載されていることが多い。そうでなくても、学振のウェブページに採択者一覧が載っているので、教員の名前で調べるとよいだろう。
https://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_saiyoichiran.html
学振に通らなくても研究者として成功している人が大勢いるので、学振に通ることと研究者として成功することはイコールの関係ではない。だが、ある程度博士課程学生がいるのに、誰一人通ってない研究室というのは、やや危険かもしれない。個人的にはやめておいた方がよいと思う。学振が通っている研究室は、申請書を見せ合う文化がある。往々にしてそのような環境の方が、平時から学生同士が活発に議論したり、お互い批判的に語りあえる仲であることが多い。
少なくとも、学振が全く通っていない研究室では、質の良い申請書を書くノウハウを指導してもらえることはあまり期待できないだろう。
タイトル通り、大学院進学希望者が、進学先を決める際にした方がよいこと、すべきことについて助言を書いた。
既に巷に溢れている記事ではあるが、様々なところで進学先の失敗談を聞いて、改めて書こうと思った。主に博士進学を考えているものを念頭に書いたが、修士で就職する人にも参考になるかもしれない。
当方は現在ポスドクで、大学院時代はそこそこ上手くやってきた方であるとは思っている。もちろん、相応の努力はしたが、それだけではない。上手くいった大部分は指導教員、ひいては研究室選びで良いスタートを切れたことによるのだが、修士課程に上がった当時は、右も左もわからず、たまたま見つけた研究室に進んだ。つまり、運が良かったのである。
今だからこそわかることもある。また、諸所で指導教員とのトラブルの話を聞いていると「それは下調べさえしていれば避けられていた・・・」と感じることが多い。
そこで、大学院、特に博士進学まで見据えて考えている人に、今自分が学部4年、あるいは修士2年次であればこうするであろうというTipsを述べたい。
当然、部分的には当たり前であったり、逆に分野によって文化の異なるところもあるかもしれない。なので、納得のいく箇所があれば適宜参考にしてもらえれば幸いだ。
・研究室を探す
まずは自身の関心のある分野の研究室を探さないと始まらない。研究室の探し方は人それぞれで、どうしてもその時々の巡り合わせに左右されてしまう。なので、ここでは私の経験を書く。
私の場合、学部の研究室のテーマからは変える予定であった。具体的ではないにせよ、方向性を決めたのは学部3年生の頃で、大学にその分野の研究室がなかったのだった。仕方がないので、その分野で有名と思しき研究室を調べ、いくつか候補とした。
候補となる研究室は、学部時代の指導教員に当該分野のある大学を聞いたり、学外の研究会に出席することで知った。また、見学に行った先の教員から教えてもらうこともあった。ようはとにかく、行動することだ。
ただ、私の場合は、結局最終的に行き着いたのは学部2年生の頃受講した講義で知った研究者だったので、この点は運がよかったとしか言いようがない。
学会などは、学部生が無料の場合もある。絶好の機会なので参加するとよい。学会にいけば、シンポジウムで当該分野で目立っている研究者の顔ぶれを知ることもできるし、ポスター発表会場で直に会って、実働隊として研究をしている大学院生やポスドクと会話することもできる。「知識もないのに聞いても迷惑ではないのか」と不安かもしれないが、心配はいらない。大部分の研究者は、意欲的な学部生が聞いてくれることを喜んでくれる。邪険に扱ってくる者がいれば、その人の問題なので、気にしなくてよい。
研究室の見学には必ずいった方よい。大学院説明会というのもあるが、可能であれば個別にアポを取って見学にいく方おすすめだ。そちらの方が平常運行の状態の研究室を見ることができるし、個人的な質問や相談ができるチャンスが多いからだ。
多くの研究者は研究室や大学のウェブページに自身のメールアドレスを公開している。そこからコンタクトを取ればよい。大抵の場合は、返信をくれる。メールを書く際には、件名に「研究室見学のお願い」と、要件を必ず書くこと。
メールの文章例を載せる。この例以外にも、「研究室見学 メール」などとググれば文例はいくらでも出てくるので、自身に合った書き方を真似つつ、丁寧かつ、要件が明快なメールを送ろう。
ポイントとしては
といったところだ。
例1
————————————————————————————
○○先生
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
私は大学院進学志望でhogehogeに興味があり,○○先生の研究室を見学したくメールをさせていただきました。
もしお時間があれば研究室を訪問させていただきたいのですがいかがでしょうか。ご連絡お持ちしております。
[ここに名前]
[ここにメールアドレス]
————————————————————————————
例2
————————————————————————————
○○ 先生
突然のご連絡失礼いたします。
hogehoge大学hoge学部hoge年の○○と申します。
○○先生の研究室を~~~~~~~~~~をきっかけに知り、是非見学させていただきたく、メールを差し上げました。
私は現在~~~[現在の状況]~~~~~で、進学先の進路を模索している最中にあります。
それを考えるにあたり、○○先生の現在のご関心や今後の展望について一度伺いたいと思うに至りました。
つきましては、入試などでお忙しい中大変恐縮ではありますが、2, 3月中に訪問の時間をいただけませんでしょうか。
[ここに名前]
————————————————————————————
修士学生ならともかく、学部生は教員にメールを送って見学にいくのは、(他大学だと特に) ハードルが高いかもしれない。しかし、繰り返しになるが、研究室見学には絶対にいくべきだ。相手に無駄な時間を取らせてしまうかもしれないと恐縮する気持ちもわかるが、大学院に進めばあなたは少なくとも2年、場合によっては5年かそれ以上の時間をそこで費やすのだから。
さて、首尾よく研究室見学に行けたとする。何を話し、聞くべきか。こちらから聞かずとも、概ね先方が紹介してくれると思うが、必須な項目を述べておきたい。
・目下の研究について聞く
研究室は大きくなればテーマが多様であることも多いし、先端の分野であるほど研究の流行り廃りは激しい。従って、未来の指導教員が今、現在、何に関心があるのかは率直に聞くべきだ。
とはいえ、下調べは忘れずにしておくの忘れないように。具体的には、見学にいく研究室の直近の論文には目を通しておこう。目安としては、最低5年分はざっと読んでおくとよい。全部理解できなくてもよい。むしろ、理解しきれなくても「面白い」と思えればそれを実際に会ったときにぶつければ会話が弾む。これを面倒に感じるなら、そもそもその研究室はあなたに合った場所なのか考え直すべきだ。
実際に会って話すときは、回りくどい言い方はしなくて構わない。ストレートに聞きたいことを聞けばよい。
「最近の論文、例えば去年のhogehogeに掲載された研究は○○についてでしたが、今後もそのテーマは継続されるのでしょうか?」
「今後5年間では、どのような題材を扱おうとお考えでしょうか?」
「まだ実現していなくとも、先生自身が今後着手したいテーマや注目している現象などがあればお聞かせください」
など。
この手の質問への回答が、あなたの琴線に触れるかどうかが一番大事だ。指導教員が自分と明後日の方向を向いている状態で博士課程を生きるのはかなりつらい。「乗るしかない、このビッグウェーブに!」と思えることがまず重要なのだ。
自分がその研究室に進んだとしたら、どういうことをやりたいのか、興味がどこにあるのかを伝えよう。相手もあなたが何者で、何をしたくて来ているのかわからない以上、何を話せば楽しんでくれるのか探り探りなのだ。博士課程に進むつもりなら、その旨も伝えた方がよい。
興味関心を伝えれば、何を話せばいいのかも明瞭になるし、場合によっては「それを扱うことができない」ときっぱり伝えてくれて時間を無駄にしなくて済むかもしれない。
そうであっても、場合によっては当該分野の研究者を紹介してくれる可能性もある。相手は業界人なのだ。頼りまくって構わない。私自身、それで別の研究室に見学に行かせてもらったことがある。
特にまだやりたいことが明確でない場合、そう伝えればよい。ただ「○○を面白いと思った」といった、どの辺りに関心を持って見学に来ているのかは伝えよう。テーマを決めかねているのを恥ずかしく思う必要はない。多くの教員は「一緒に考えていけばいい」「今日見せたものなら何が面白かった?」「実は君が面白いと言ってくれた○○は今後こうしようかと思っていて・・・」と話を広げてくれるだろう。
余談だが、実を言うと、具体的なテーマが決まっていない方が受け入れ側からすると「楽」な場合もある。なぜなら、学部や修士の学生が独力で思いつくテーマは大抵面白くないのが現実であるからだ。なので、「こういう方向に興味があるが、具体的にはまだわからない」くらいの方が楽しく議論しながら研究を具体化できるので、指導する側からすると気が楽であったりする。最悪なのは「絶対にこれをやりたい」と熱意にあふれているが、そのアイデアがつまらない学生だ。下手に折ると熱意が萎えてしまいかねないが、そのまま受け入れると研究のリソースの無駄になってしまう恐れがある。そのため、気を遣いながら方向修正していく必要があるからだ。
研究には設備が必要だ。自分のやりたいことがある程度決まっている場合、必要な設備も自ずと定まってくる。それが研究室にあるかどうかは、確認した方がよいに決まっている。マウスの研究室でショウジョウバエの研究をしたいと言っても苦笑いされるのが関の山だろう。
また、使いたい設備がわかると、そこから指導教員と会話が広がる可能性もある。どういう方法論に興味があるかがそれで伝わるためだ。
自分が使うかもしれない設備については、研究室の人数に対して適正な規模になっているのかを見ておくとよいかもしれない。例えば解剖スペースが学生数に対して小さすぎると、なかなか自分が使えないといった事態もありうるかもしれない。これは数年の生活では結構なストレスになるので、快適に仕事ができるかどうかは十分に見ておくとよい。
また、実験設備以外にも、共用の院生室などの充実具合も確認しておいた方がよい。
作業机は個人ごとにあるのか、共用であれば十分な広さであるか。私の知っているところだと、二人で一つの机を共用で、曜日ごとに融通し合わなければいけないところがある。キャンパスに通うモチベーションがガクッと下がるのは言うまでもない。
さらに驚くべきことに、ゼミの資料の印刷費が自費という研究室も存在する。学費を払って大学院に来て、さらに雑費まで払わされるのだ。
余談だが、私はコーヒーが好きなので、研究室に上等なコーヒーマシンが置いてあったのはかなりQOLを高めてくれた。
とにかく、見学した際に、自分がそこで生活するイメージが湧くか考えてみよう。
博士院生は金銭に頓着しない人間が多いが、生きていくだけの金銭が確保できるのかはよくよく検討した方がよい。金銭というのは、あまり多くても心理学的な幸福を増加させてくれないが、ないと一瞬で人を鬱にしてしまうのだ。
学振が取れればそれでいいが、問題は修士課程と、博士で学振取れなかった場合だ。
具体的には奨学金、RA (research assistant)、TA (teaching assistant)、学費免除の制度について尋ねよう。研究室によってはRAで学費が実質的にタダであったり、そもそも博士課程に学費がかからないところもある。
一方で、無償でTAをやらせたり、年々あれこれ理由をつけて学費をジリジリと上げている研究科も、私は知っている。
博士課程であれば、学生が非常勤講師をどうの程度しているのかを聞いてみるのもよいだろう。ツテがあれば、非常勤の枠を斡旋してもらえ、収入源となるだけでなく教育歴もつく。
また、日本学生支援機構の奨学金は通常ただの学生ローンであるが、大学院生かつ、一種 (利子なし) の場合、免除制度がある。その研究室ではどの程度通っているのか聞いてみるとよいだろう。
これらのことも、率直に聞けばよい。
のように。
興味がある教員の肩書きが「准教授」である場合、博士号の主査になれないことが多い。
その場合、通常は名目上、その研究科の別の教授に主査になってもらうことになる。その際に不利益が生じることがある。
例えば
真っ当な良心を持っている人には何を言っているのかわからねー部分もあると思うが、私にもわからない。とにかく、現実にあるのだ。
ただ、そのようなことがないかを確認するのは、入学前だと極めて困難であるのが実情だ。
少なくとも、そこの准教授の学生がきちんと学位取得まで学生を育てているのかはよくよく確認した方がよい。
これは博士で、特に学振DCを取る人向け。大学によっては研究費の執行システムがかなり厳格なことがある。研究費不正をなくすためという高邁な精神は清く、正しいのだが、その結果大部分の研究者にとってはただただ煩雑であることも少なくない。将来的にDCを狙う場合は、聞いておいて損はないだろう。
まぁ、「事務は研究者にsupportiveですか?」とか。学生が聞いてきたらちょっと気味が悪いかもしれないが。
研究室の雰囲気というのは面白いもので、実際に脚を運べば必ず漂っている。アクティブな研究室は活気に溢れているし、停滞している研究室には淀んだ空気が流れている。学生が働いている様子を見れば、自分がそこに加わりたいか、実感を持って考えることができるだろう。
気の利く教員なら向こうから、所属している大学院生を紹介してくれる。そうでなくとも見学に行った際には「所属している大学院生と話がしたい」という旨を伝えるとよい。よっぽど後ろめたいことがない限りは、快諾してくれるはずだ。