はてなキーワード: 共通性とは
黄河文明書き間違えたりBCの記述すっとばしたり色々間違えててごめんね…
今までの情報を元に西遼河流域の文明と住民を年代順にまとめるとこうかな
年代 | 文化 | 遺伝子 | 補足 |
9000年前 | 粟などの農耕民 | 不明 | Robbeets(2021)でトランスユーラシア祖語の話者と推定している |
7000-5000年前 | 紅山文化 | Y-DNA:N(ウラル語族) | Wang(2021)で日本人の92%を構成するとしている |
4000-3500年前 | 夏家店下層文化 | 相変わらずY-DNA:N? | |
3000-2500年前 | 夏家店上層文化 | Y-DNA:O2(シナチベット語族)、C2(縄文人) |
日本人の遺伝子の92%を構成しているのは5000年前に西遼河流域に住んでいた住人とのことで
これはほぼ紅山文化に相当すると考えていいだろう(考古学的にも問題ない)
しかし父系のY-DNA:Nは日本人にも朝鮮人にもほとんど出ていないので
そしてRobbeetsがトランスユーラシア祖語の話者が4000年前の遊牧民であるという「通説」を否定したかった理由もここでわかる
Wang(2021)で知られるように5000年前の西遼河流域人にモンゴルやツングースと共有する遺伝子がないため
で、目論見どおり雑穀の語彙に共通性が見られるので、今回の論文を出したと
この論立て正しいんだろうか
ここの前提が崩れたら一気に崩壊する気がする
増田(はてな匿名ダイアリー)民の皆は、 黒瀬深という人物を知っているだろうか?
2019年頃より、Twitterで右翼的発言を続けていた与党支持者であり、2021年10月時点ではフォロワー数
14万人程のアカウントとなっている人物だ。
その素性・経歴は完全に伏せられていて、本人は「アメリカの大学を卒業した」「東大を卒業した」等と
その時その時で卒業した大学の証言を変えており、更には「第二次世界大戦時に焼夷弾で家を焼かれ弟を失った」等と
年齢すら隠す様な発言をしていた。
そんな彼に転機が訪れたのは、2020年5月か6月頃。
黒瀬深は、作家の室井佑月さんという人を批判するツイートをしたが、その批判ツイートの内容が法的にアウトである物だったため、
2020年6月頃、室井佑月さんがTwitter社に対してIP開示請求訴訟を起こす
2020年9月頃、裁判所は黒瀬深のツイートが名誉毀損に当たると判断し、Twitter社に室井佑月へ黒瀬深のIP情報を開示するよう命じる
2021年10月~11月頃、室井佑月さんは黒瀬深の契約プロバイダ(KDDI)に発信者開示請求訴訟を起こす
2021年5月~6月頃、裁判所は黒瀬深のツイートが名誉棄損に当たると判断し、KDDIに室井佑月へ黒瀬深の住所・本名情報を開示するよう命じる
2021年8月末頃より、室井佑月さんと黒瀬深さんは訴訟中(2021年11月12日時点)
という流れとなった。
この、室井佑月さんと黒瀬深の訴訟で原告(室井佑月さん)の代理人弁護士となっているのが米山隆一さんという人物だ。
東京大学を卒業し、弁護士資格と医師免許を両方持っているという、とんでもなく頭の良い人だ。
黒瀬深は、インターネット上(Twitter上)で調子に乗って敵に回してはいけない人物を敵に回したと言わざるを得ない。
2021年11月12日、「SmartFLASH」というメディアがこの件に関しての記事を出した。
記事の中では黒瀬深の年齢・卒業大学・家族構成に触れられている。
このメディアは、室井佑月から黒瀬深への”民事訴訟が提起(=提訴)”された時点で素早く
裁判所から裁判記録を取り寄せた結果、黒瀬深の本名と住所を掴む事が出来たと書いている。
これに関しては嘘ではないだろう。
黒瀬深は、提訴されてからしばらくたって、本名・住所を裁判記録から閲覧できない様に
裁判所に閲覧制限を申請したそうだ。
だが、閲覧制限が申請される前に裁判記録を入手したメディアであれば本名・住所情報を掴む事ができる。
本名・住所情報さえつかめてしまえばメディアにとって、卒業大学・家族構成を掴むのは難しくはない。
メディアは黒瀬深の自宅に、黒瀬深宛の「親展」(本人以外が開く事を望まない手紙)を送り
黒瀬深に取材しようと試みたと記事には書かれていた。
私は弱小だが、あるメディアに務めている。
だから言わせてもらうが、近年、ネットの誹謗中傷関係の訴訟で
①匿名が有名人を誹謗中傷した
②誹謗中傷された有名人が匿名に対して訴訟を起こした
というパターンが少なからずあるが、そういうパターンで訴訟を起こされた匿名の人物の素性を
メディアが掴んだ場合にこういった手法で取材を試みるというのは、よくある手段として使われる様になった。
郵送で反応が無ければ、記者が本人宅に行きインターフォンを押すというのが一般的なパターンだ。
「報道の自由」という物がある以上、有名人から訴訟を起こされた匿名の人物が、この取材パターンを
避ける事はできない。
そして、「報道の自由」は「表現の自由」の下に成り立っているため、この取材パターンを無くしたいと願うなら
「表現の自由」に制限をかける事を求めなければならない。
私は、黒瀬深の発信者情報開示請求訴訟が開示の判決で終了した時には、
多分、こうして黒瀬深の素性がメディアに出るであろう事は予想していた。
そして、今後、黒瀬深の身に起こる事も予想出来る。
3年ほど前に、ある有名人を匿名でネット上で批判した人物が、その批判内容が法的にアウトだったために
開示請求訴訟を起こされ開示されたという出来事があった。
私は、その匿名人物を取材した。
その匿名の人物は取材された事で素性が世に出る事を恐れてか、
その有名人と百万を越える額で急遽和解するに踏み切った。
和解条項には一般的に、双方に「この件に関して口外しない」という条件が盛り込まれるため
私の取材もそこで打ち切らざるを得なくなり、その事件についてはその後記事になる事は無くなった。
その時の流れと、今、黒瀬深の身に起きている事は凡そ同じ流れとなっている。
故に言える。
今後、黒瀬深の身には下記の様な事が起こると。
先ず、室井佑月さんから起こされている黒瀬深への民事訴訟の判決が出た後…。
判決で室井佑月が請求している額の1割以上が裁判所から認められた場合、
黒瀬深は刑事告訴される。
名誉毀損系の事件には民事(損害賠償を求める)と刑事(刑罰を求める)の
二種類が存在し、室井佑月さんが現在行っているのは「民事(損害賠償を求める)」だけだ。
これは、「民事(損害賠償を求める)」が認められれば、その判決を以って刑事告訴(=警察に訴える)
を行えば刑事告訴が通る(=刑事事件として警察が対応する)可能性が上がるからだ。
刑事告訴を出来るか出来ないかの目安が大体、
「民事訴訟で請求されている額の1割以上が裁判所から認められるか否か」という所になる。
1割以上が認められれば刑事告訴が通る可能性は高い。
3割以上認められる様であれば、ほぼ確実に刑事告訴は通る(=刑事事件になる)。
すると、どうなるか。
黒瀬深の自宅に室井佑月さんの最寄りの警察署から、先ずは電話がかかってくる。
そして、室井佑月さんの最寄り警察署の刑事は、黒瀬深の自宅の最寄り警察署で取り調べを行う旨と
日付を指定する。
黒瀬深は、その日に自宅の最寄り警察署へ行かなければならなくなる。
担当の刑事は、警察署では黒瀬深の調書を取り、室井佑月さんの最寄り警察署と
黒瀬深の最寄り警察署が新幹線を使わなければ移動できないほどの距離である場合、
警察署での取り調べを行った後に黒瀬深宅へ行き、パソコンやスマートフォン等の通信機器を
押収するだろう。
警察署には記者クラブというメディア記者のための部屋が用意されている。
ニュースにして話題になりそうな事件の場合、証拠品の押収日時は記者にリークされ、押収時に記者が立ち会う。
黒瀬深の最寄り警察署と室井佑月さんの最寄り警察署の距離が離れていれば離れているほど、
何度も来るのは面倒だから一度で作業を済ませるため
取り調べを行う日と証拠品(ネット上での名誉毀損の場合、通信機器が証拠品となる)の押収を
同じ日に済ませたいと考え、同じ日に行う可能性が高い。
勿論、警察が家に入って行く所は近所の人等にも見られる。
警察は近所の目などお構いなし、むしろ見るなら見ろといったものだ。
黒瀬深の自宅に警察が入った事は近所で噂になるだろう、近所から家族に向けられる目はどういう物になるだろうか。
昨日、2021年11月12日の記事で家族構成と卒業大学が書かれていた。
という事はメディアは本名と住所は勿論掴んでいる。
昨日出された記事は、今後訴訟が進み、民事の判決が出た後、事件が刑事に移行した際
黒瀬深の顔写真等を出すための下準備といった所だろう。
かつて、ネット上で匿名が有名人に対して誹謗中傷した事件を取材していたから解る。
同じ記者として、私でもそういう形で下準備をする。
だから、今後上記の様に、民事が終われば刑事に移行する事も、刑事に移行した結果
黒瀬深の自宅(実家?)に警察が証拠品の押収に入る事も充分に予測ができる。
黒瀬深は、インターネット上で喧嘩を売る相手を間違えた。
その結果が今だ。
そして、記者として老婆心ながら、今後彼が徹底抗戦を続ける事で彼の家族が近所で好奇の目に曝される事を
不憫に思うから、黒瀬深に対し忠告したい。
「民事訴訟の判決が出るまでに和解しろ!」
民事訴訟で判決が出たら刑事事件化は避けられない。
タイムリミットは、民事訴訟の判決が出るまでだ。
黒瀬深以外の皆に言わせてもらう。
「インターネット上で有名人に喧嘩を売ってはいけない」
生半可な覚悟で喧嘩を売って不幸になった例を記者として複数見て来た。
有名人に喧嘩を売るなら、自分の顔と実名を広く曝す覚悟をしてから喧嘩を売れ。
科学的な見地に立てば、チャート分析は錬金術と大差ないものであることは明らかだ。テクニカル分析手法に関する研究の結果は、すべて驚くほどの共通性を示している。どれ一つとして、比較対象としたバイ・アンド・ホールド戦略のパフォーマンスを継続的に上回ることはできなかったのである。テクニカル手法を用いて有効な投資戦略を編み出すことはできない。これがランダム・ウォーク理論の基本的結論である。
(略)
しかし、証券会社に雇われるチャーティストの人数は、年々増え続けているのが実情である。
(略)
ポイントはこうだ。テクニカル・アナリストの証券会社の収益に対する貢献は大きい。チャーティストが勧めるテクニカル戦略は必ずと言っていいほど、銘柄間の乗り換え取引を伴うものだ。こういった取引は証券会社に、彼らの血液とも言える手数料収入をもたらす。テクニカル・アナリストは、顧客がヨットを買う手助けにはならないが、取引を作り出す上では大いに助けとなる。おかげで、証券会社の社員はヨットを買うこともできるというわけだ。
大昔の男性との共通性に見えるものが垣間見えるたびに昔の森元河村と今の男性を混同して、昔の強者男性への批判を今の男性にぶつけて
宇崎の件も(原因の一部として)これ↑が背後にあるのかもなって話。
河村たかし(名古屋市長)の言動がナチュラルにセクハラすぎで、掲示板やSNSではドン引きして「昭和ってこんなのが当たり前だったのか⁉」って驚いてる書き込みが多い。
彼らはちょうどいわゆるフェミニストの大御所たちの親や上司の世代だから、彼女らは若いころに森元や河村みたいな連中と接して、
彼らへの怒りを募らせて理論武装するようになったんだろうと思うと「男社会」や「男性性」への攻撃性もわからないではない。
あんなのが社会を埋め尽くして、我が物顔でのし歩いていたらそりゃ怨念のかたまりにもなりますわと感じた。
ただ、彼女らも自分が若いころに接した強者男性を「男一般」として捉えすぎていないかとも思う。
フェミニストの大御所の言う「男社会」のイメージに以前から感じていた違和感は、
大昔の男性との共通性に見えるものが垣間見えるたびに昔の森元河村と今の男性を混同して、
昔の強者男性への批判を今の男性にぶつけていたのだと考えると割と腑に落ちる気がする。
フェミニズムまわりのゴタゴタのかなりの部分は、彼女らが40年前の森元河村から男性イメージをアップデートできていないせいで起きているディスコミュニケーションが原因なんじゃないかと思った。
昔の強者男性への怨念を一方的に連帯責任でぶつけられた今の男が反発するのも当然だけれど、身に覚えがないからと一方的に被害妄想に囚われる前に、
年配のフェミニストの言動の背景にこうした男連中の存在があったのだと思えば同じ敵を持つ同志として少しは歩み寄れるかもしれない。
859 :風と木の名無しさん:2009/09/05(土) 10:04:10 ID:Oivd+CAC0
857
女にも男にも男女同性愛者にも芸能好きにもスポーツ好きにも歴史好きにも
軍事好きにもオタク物好きにも以下略、あらゆる方面で敵作りに尽力してきた
腐女子以外の全人類、と書こうとしたら腐女子は腐女子にも嫌われてるのな
860 :風と木の名無しさん:2009/09/05(土) 17:24:52 ID:UQT3E+HzO
861 :風と木の名無しさん:2009/09/06(日) 01:18:26 ID:qgtIL+OZ0
マッチポンプの、ポンプの水がガソリンになっちゃってるわけだ。
862 :風と木の名無しさん:2009/09/07(月) 03:19:03 ID:WVZvjsDm0
846
863 :風と木の名無しさん:2009/09/07(月) 08:01:05 ID:Tfuqh6bmO
ゲイか腐か知らんが、
チョンマゲとくのいちの現代日本みたいなサイトやってるのと同じだと思うぞ
864 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 10:15:50 ID:xw4bJj4+0
ナリキリなんかやってる時点で痛いので、どうなっても良し。
て、言うか、ナリキリ厨はむしろ全員消えてほしい。
868 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 16:59:15 ID:Ueio7naSO
滅べばいいのに
869 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 17:19:54 ID:US9e+qCs0
もう、ここの住人哀れすぎて笑う。
ネットの匿名掲示板ですら、この嫌われっぷりってある意味すごいかも。
870 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 17:36:59 ID:4WwecFGV0
本気で嫌がられ迷惑がられてるのに、
ストーカーと同じで他人には意味のわからない奇怪な脳内理屈をつけて
いつまでも居座ろうとするのがどの板の腐女子にも共通してる傾向
それがよりイヤさを増しているw
871 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 17:55:19 ID:/9n7zZTG0
こんなに嫌われもしないと思うけどね、
どの板でも妙に上目線なのが多いほんとに。
872 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:02:14 ID:bomsWtzBO
同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込みするのはホントにやめた方がいい。
あの人たち「迷惑かける・かけない」に関係無く腐女子の事をよく思ってないから、敵に回すのは絶対やめた方がいい。
このスレ貼られてるし…
誰だよ「腐女子が大好きなゲイ」なんてゲイの神経逆撫でするスレ立てたの…
873 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:03:10 ID:7JxRTH9+0
872
見てる時点で同じ穴の狢じゃん。
875 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:36:36 ID:US9e+qCs0
873
書き込むのと読むのは全く違うと思う。
何でここまで自分達の行為を無理やり正当化させようとするんだよ。
876 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:42:37 ID:snykNq3eO
腐女子が表に出るのはなんか嫌だお
ショコタン(苦笑)痛々しいお
877 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:45:56 ID:n4gcPhL/O
濡れてきた…
878 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:46:13 ID:Gen7rZMP0
敵に回すのは~ってとっくの昔に敵に回ってるだろ
879 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:52:29 ID:KPGAoWXh0
875
「自分達」とは誰のことで「行為」とは何の行為で「正当化」とは何をどうしてることを指してるの??
880 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 20:08:14 ID:US9e+qCs0
879
873が同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込みしてる前提で
「行為」 …同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込み
881 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 20:33:56 ID:KPGAoWXh0
880 はあ、説明どうも
873が同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込みしてる前提で
このブッ飛んだ「前提」にそもそもついてけないので、意味わかんないのは
当然だったと納得した
敵に回すのは~(今さらw)とか腐叩きを無くしたいとかの「打算」づくで、
そもそも来んなと言われてる同性愛系板に張り付いてホモ窃視(デバカメ)して
る奴について、873が言ってる通り以外他に言いようがあんのか
腐女子の思考回路って、やっぱり沸きすぎてて意味わかんない883 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 21:17:11 ID:onIlUvKhO
他板で腐部分が出る状況が少なくないか?
884 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 22:15:21 ID:EpDkeLLg0
872
あの人たちって、なんか腐女子を友好的にあつかってる人たちがどっかにいるみたいじゃん?w
敵にまわすのは、って腐女子の味方が腐女子以外にいるみたいじゃん?w
で、どこの板にいる誰のことを想定して言ってんの、それって?それも妄想?ww
885 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 22:43:25 ID:bomsWtzBO
別にそんな事までは言ってないんだが…
886 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 22:58:26 ID:57WcnmFoP
同サロ板の住人だけど、無駄だとは思いつつ、失礼して書き込んどくわね。
まず、なりきりで書き込むのはやめてちょうだい。
に入ってくるのが多いようだけど、
まあ、半分は鬼女だろうけどね。
相応の対応をさせてもらってるわよ。
それが、今同サロ板で起こっていること。
少々知性が足りなかったり(失礼)するレスは、
他の板でも、同じようなことをやってるようだしね。
まず、己を磨くのが先なんじゃないの?
887 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 23:28:10 ID:11gaZdPe0
869
888 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 06:35:53 ID:7UuFustF0
他所から見ればクソウザくまとわりついてくる萌え乞食以外のなんでもないのに、
なにをどう勘違いすれば自分の位置づけを相手より高いところへおけるのか理解不能。
889 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 13:34:59 ID:+miBnyvw0
890 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 17:17:33 ID:vKtbyHaI0
そうそう
891 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 17:38:09 ID:P8OAtkWnO
同サロ板でバレたって開き直ればいいんだよww
892 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 18:47:02 ID:o9F4CPBM0
891
そこまでして何で書き込みしたいわけ?
こっちの方が強いとかって何と戦ってるの?
893 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 19:55:23 ID:P8OAtkWnO
894 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 20:12:06 ID:P8OAtkWnO
悔し紛れの捨て台詞によれば、
腐女子は男に相手にされないからホモの所に行くと思ってるらしいwww
895 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 21:09:20 ID:UrMIUMnv0
すごい大きい釣り針だね
896 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 21:43:56 ID:1pwVuTOd0
それ、向こうに住み着いてるなんとか先生ってキチ○イな荒らしの人じゃない?
一時、鬼女板や喪女板へもホモ叩きスレ立ててまわってゲイ板へ住民を誘導しようとしてた人
特徴あるボキャと言い回し、自分のスタンスの置き方が同じ気が・・・
と、思ったけど汚腐とか言われてた人も基本条件似てるしなぁ・・・?
けっこういい歳の腐女子でメンヘル入ってきてる人って言動が似通ってるとは思う
ここ数年、こういう感じの人を2chでよく見かけるようになったのも確か
何人か単行本買う作家がいるくらいの、自分みたくライトに801やってる層はゲイ板とかまでは
みんなあんまり遠征しないとオモ・・・仕事あるし、ほんとに細々とでそこまでエネルギーないのよ
ここへ転載されてるカキコ見ると、常識的に考えてそうとう酷いとは思うんだけど、かといって
自分が直接行ったこともない板の腐女子までは責任持てないよ・・・
女板なんかで暴れてる荒らしは削除依頼や荒し報告で対処するんだけど、それじゃ駄目なのかな?
腐女子、とか言うより前に、ほとんど荒らしだと思う相手は荒らしで対処したんでいいんじゃ?
なにもしないとどんどん悪化してくよ
えーと、とりあえず悪質な荒し行為やってる人がアク禁とかになるのは別にぜんぜん問題ないです
身内から犯罪者が出たら、お上の裁き受けてちゃんとお勤めしてきてね、って言うのと同じかと
897 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 21:49:26 ID:MVJdWO470
896
やっぱり身内の意識はあるのか?
898 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:21:54 ID:P8OAtkWnO
ホモさんたちにも再三言うんだけど
899 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:30:56 ID:Q2y3LUBF0
897
それはビミョー・・・
汚腐って人は喪女板経由で断片的にしか知らないんだけど、例えて言えばブラジルあたりに
(ホントに会ったことないブラジルのハトコがいるんだけど、感じで近いのはこれかと)
親類って言われれば親類なんだろうけど・・・いままでもこれからもつきあいないだろうし、
言葉通じないし、別になにしてどうなってても日本の他人より影響ないなー、みたいな
なんかもう、得体の知れないいろんな人種と混血しまくってて、親族と言われてこっちも驚く感じ
って言うか・・・
部分的に801な血は流れてるっぽいけど全体としては既に別種のなにかになってるって言うか・・・
一言で言うと、なにがしたいのか、自分のような腐女子には目的からぜんぜんわからないw
900 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:47:47 ID:P8OAtkWnO
ていうか何でここ腐女子叩きがこんなに湧いてんの?
ホモが紛れ込んでるんじゃない?有り得ない。
901 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:50:02 ID:wAhHAsmG0
325
902 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:57:10 ID:P8OAtkWnO
女なのは中身だけのくせに。
903 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 23:16:25 ID:Q2y3LUBF0
う~ん・・・たぶん自分だけじゃないと思うけど、「腐女子叩き」って感じはあんまりしないんだよね・・・
あんまり自分に引き寄せようがない属性を多く持ち過ぎてる人が、腐女子と名乗って叩かれてるって
印象しかなくて・・・そんなシンパシーや共通性は、たぶん数字板住民は誰も感じてないんじゃない・・・?
やっぱブラジルのハトコが来日してポルトガル語で喋ってるみたいな感じ
ゴメンネ・・・P8OAtkWnOさんって、あまりに遠すぎるw
801界がアメリカだとすれば、ハワイの人がアラスカのエスキモーの話を聞かされてるようで、
どっちかと言うと、もう別の国になってもらってもこっちはぜんぜん困らないし、そっちのほうが合理的
かな・・・?とかw
そういう方向性でなら数字板のみんなも支援すると思うんですが・・・
共闘とかはたぶんムリポ・・・それは一人でがんばってください・・・ノシ
904 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 01:21:56 ID:0AwmfdIu0
同性愛板へ入り浸ってるひととかは、
腐女子よりも昔でいうオコゲにずっと近いんでは。
そこまでリアルに接近すると801的腐女子的な萌は成立し辛い。
ここで見るのはそれともまた傾向が違ってるしな。
905 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 07:56:44 ID:QVpPH9ZNO
かと言ってよそへ廃棄されても困る
801で出したゴミは801で処理してもらわないと
906 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 10:19:04 ID:uSjZqyK50
お話になんねー
907 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 10:29:03 ID:1X5YD2hj0
もう排除されてるでしょ
908 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 11:16:57 ID:foTXyJdd0
三行半というか、全ての住人が仲間だと思ってないし。
902のような人は理解できない。
スルーするのが一番いいと思う。
ローカルルール無視の書き込みを総称して鬼女、婦女子と罵られてるのに
909 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 11:32:30 ID:Rt1UwR25O
黙っとけばい~んじゃん!
910 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 12:26:45 ID:nLxD8+hSO
向こうが何を言おうと、結局男に愛されるのは女性の方なんだから。
ホモがいて、女性が居れば世間はどっちの味方か考えるまでもなくわかるよね?
911 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 12:35:24 ID:foTXyJdd0
どうして向こうの板に書き込みしたいの?
書き込み禁止の板に書き込まなければ何の問題もおきないと思うんだけど…。
912 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:42:16 ID:nLxD8+hSO
禁止ったって、向こうが勝手に言ってることだし。書き込みするのは自由でしょ。
考えてみて。「腐女子書き込み禁止」なんて言われて何とも思わない訳?
余所で「ホモ書き込み禁止」って言われたらどうせ自分達だって黙ってられないくせに。
913 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:49:51 ID:mylMmNZdO
912
914 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:50:50 ID:foTXyJdd0
912
で、何で書き込みしたいの?
っていうか何を書き込みしたいの?
915 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:56:17 ID:VQCJsRro0
人が少なかった推しカプ村に、どんどん人が増えて今や界隈と呼べる規模になった
私は受けのカッコいいところが好きで、攻めと受けのプライドある関係が好きで、その二人のスケベが見てえなあと脳死下心性欲で二次創作する人間だ
そんなら素直に女体化とかでいいじゃん
というかなんで受けを原作無視の女化するんだ 好みといってしまえばそれまでだけど、原作のままの彼らだからこそのスケベに興奮する性癖の人間としては、パロディとかイフではなく創作のベースからキャラ変えてしまう意味が全くわからん
なんで自分に自信満々な筋骨隆々ガハハな男が、突然内股になって下げ眉困り顔で頬赤らめて生娘みたいな貞操観念の鈍感男になって「ふぇっ?」とか声あげて攻め「可愛い…っ!」ってなんのよ 私は可愛いと思うけど、一般的なノンケ男の攻めは、ぼのぼの並みに汗飛ばして恥ずかしげに頬を染めて「ふぇっ?」とか言い出す一回り年上の大男を”可愛い”とは思わんだろ(それは個人の感想ですねごめんね) とにかく誰なんだよ 受けの皮を被ったそいつは誰なんだ
それが全てなんてことは当然ないけど受け女化は圧倒的メジャーなんだよ腐女子界隈では この集団幻覚の共通性一体なんなんだよ 怖いよ
もう全く別物だから「受け女化」っていうジャンルにしてほしい(なんかジェンダー云々言われそうだけど腐女子がいう資格はないな)もしくはその逆に「当方受け女化ではありません悪しからず」の札が欲しい そういやキャラ崩壊注意って昔ほど見なくなったね
とかこんなこと言うと受け女化する人達の一部過激派が、「へー私にとって害だからこの意見シカトしよ」とはならずにこれを攻撃だと認識して「お前はこっちのこと嫌いだろうけど私もお前のこと嫌いだよ!!」ってヒスってくんだよ そう言うとこもめんどくせえよ
こっちは合わないと思ったら当然何も言わずにスッと界隈から身を引いてんのに、あいつらはこんな匿名の愚痴にも反応してわざわざ戦いにくるんだよ 血に飢えてるのか心に小学生住んでるかのどっちかだよ
今日も腐女子界での受け女化はごく当たり前の現象なので、今回も推しカプが見れなくなり描けなくなり語れなくなり、私は一時的に増えた推しカプフォロワーとは全く関係ないCoCo壱のカレーの話を垂れ流すのであった おしまい
※追記※
なんか今更ちょっとブクマ増えてて怖いから言っておくけど、原作至上主義の話ではありませんのでご承知おきくださいね。原作至上主義だったら二次創作ましてやBLなんてやらない。「BLしてる時点で原作無視」と言われると「そうだね」なんだけど、そういう話してないしされ飽きたしこの違いがわからないならこの話はわからないと思うので見ない方が健全だよ。これは問題提起とかご立派なもんじゃなくて好き嫌い愚痴の話。原作至上主義派と原作の彼らがBLしてたら激る派は全く別の話なので、原作至上主義派の話は別のところでお願いね。
https://ncode.syosetu.com/n0132dz/1/
「仮に種子10を30倍にすれば300で増加量は290ですが、種子200を3倍にすれば600で増加量400と、前提次第で簡単にひっくり返ってしまいます。」
これって、単純な収穫量の数字以外に見なくちゃいけないところがないか?
数十倍の収穫が期待できるなら種籾を削って換金やら年貢に回せる
略奪されても少量を隠しておけば何とかなるかもしれない
数倍しか収穫が得られないなら、種籾のためにも倉庫が必要となり保存コストがかかる
はてなではよく、「お前らはこの間はこう主張したのに、今回の件では矛盾しているじゃないか!」という指摘が発生している。
しかし、ある集団が頭の上から足の先まで統一した意見を持っているという前提が普通は成り立つものではない。
つまり、上記の指摘はそもそも指摘した側が何らかの幻影を見ているということになる。
たまたま、そうであるように生まれたというだけだ。意見を統一する必要など微塵もない。
「あの国の人間(※ここでは政府の話ではなくただの国民の意味。政府の話は後述)は前と言ってることが違う」という指摘を見たことがあるが、
おそらく日本人が多いであろう君たちは、この狭い日本の中ですら意見の分断があることを知っているのでは?
たまたま前の人が何か意見を発したら皆それに準じなければならないとしたら、これほどの理不尽はないだろう。
こういった属性は先程とは違い、少なくとも自分で選びとった属性ではあるし、特定の趣味嗜好に基づいているという点で共通性は見られるかもしれない。
しかし共通性が見られるということと、内部で意見を統一すべきということはイコールではない。
あくまであるサービスに魅力を感じて継続利用することに決めたというだけの関係であって、思想の全てを迎合させることに同意したわけではないし、そうすべきあらゆる理由もない。
よく「はてなーダブスタ論」が挙がるたびに疑問に思っているのだが、「自分もはてなユーザーである」という事実をどう処理しているのだろう?
「自分というはてなユーザー」と「自分以外のはてなー」という属性があって、「自分以外のはてなー」全員が「自分」のために意見を統一すべきと思っているのだろうか?(自分はそうしないのに?)
これはその人が会社の人間として発信しているのか、一人の人間として発信しているのかで事情が違う。
会社として発信しているのであれば、それはその人個人の思想とは完全に分離した「会社という法人の言葉」を単に代弁しているに過ぎないので、今論ずる対象ではない(後で論ずる)。
構成員個人の発信である場合は、会社と正反対の意見を述べようが責められる謂れはない。
法人と雇用契約を締結しただけの一人間がその思想まで同化させられたら、労働を遥かに越えた人権侵害だろう。
これは思想によって呼び分けられた集団だから、当然思想は同じであるべきと考える人もいるかもしれない。
ところがこれらの集団の人間も別に意見を統一する必要はないのだ。
各人の思想が便宜上近しいもので纏められているだけで、詳細まで同じであるとは限らない。
また、ある点(たとえばある政策の是非)でたまたま同じ意見を表明した人間同士が別の点でも同じ意見とは限らない。
同じものが好きな人同士でも、その好きになった理由は全然違うかもしれない。アニメだったら、ある人はシナリオ、ある人は絵、ある人は声優みたいに。
たまたま好きなアニメが被った見知らぬ誰かが犯罪者だからといって、自分まで犯罪者扱いされたら君たちも反論するだろう?極端だがそれと同じことだ。
ただ、それは国家間の条約や協定を覆さないという意味合いであり、ダブスタ云々というよりも「契約を守りましょう」という話に整理される。
その原則が守られている限り、たとえば政府の意見や見解といったものは、その国の中で過去から未来に渡って常に統一しておく必要というものはない。
なぜなら政権交代に伴って必然的に政府の意見は変わるものだし、変わるべきだからである。
それが許されないのであれば政権交代の意味も、ひいては選挙自体の意味もなくなってしまう。
アメリカの大統領がトランプになった後、米政府としての考え方は180度転換したが、これは当然のことであってそうでなければ変わった意味がない。
これは流石に統一した意見を持て、と言いたい人も多いだろうが、基本的には上記の議論が全てそのまま通じる。
一組織に属しているからといってあらゆる全ての見解を統一しなければならないまでの義務を負っているとは考えにくいし、組織トップが交代すれば見解も変わる。
逆に、組織と異なる意見は常に封殺され、どれだけトップが変わってもいつまでも見解が変わらないような自浄作用のない組織であれば、それこそ恐ろしい組織ではないだろうか?
組織としての契約や約束事をその設定期限まできちんと守りきれるのであれば、それ以外の意見や見解は変わりうるし、変わるべきなのだ。
ここまで考えていけば、究極的には一個人の意見や見解ですら、変わりうるし変わるべきだという結論にたどり着くだろう。
それは脳内で天使と悪魔なり自分会議なりマギシステムなりを開催しているところを思い浮かべてもいいし、単純に十年前の自分が今と同じ考えだったかと自問してもいい。
そもそものところ、主張の妥当性というものは、発言者に関係なく、主張そのものから判定すべきというのが大原則のはずだ。
発言者の過去の発言という外部変数を取り入れなければ成立しない「ダブルスタンダード」という概念自体がその原則に反している。
ダブルスタンダードであることが良くないのは、「一つの議論の中で同時に矛盾した主張を挙げ、その両方を論拠にした何らかの主張をした場合」に限られるのだ。
(そのような場合は、そもそも論理が矛盾を含んでいるのだから単にそう指摘すれば良いのだ)
以下の文章は、社会学は客観性が無いから学問の体をなしていないから解体すべき、という暴論を見かけて、趣味で社会学を学んでいる人間がイラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫『社会学の方法的立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹『社会学の方法――その歴史と構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係の論文などがあります。ちなみに「岩波科学は科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います。
たとえば、この宇宙はスパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイトを発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギーを社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。
それは社会や社会問題が、原子やDNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレスは現在の社会においては色々な意味で問題とされています。しかし、ホームレスは人類の定住以前においては間違いなく問題や概念として存在していませんでしたし、中世や近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学や生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったものを存在するとみなしてしまいかねないのですね。
しかしだからといって、今日ホームレスが問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ、社会や社会問題は確かに「存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会的実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われます。しかし今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的な見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学の方法で分析しようと考えた人々がいました。
マックス・ウェーバーの「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年の論文があります。ウェーバーは社会学におけるビートルズであり、この論文はイエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)
とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネットの記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。
ウェーバーは客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念を提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されています。しかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会を科学的に取り扱う社会学者は価値判断と認識を区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学の客観性について考えてみたいと思います。
たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学者であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学や物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。
後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府はホームレスについての統計を発表しています。しかし「国民の税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府のサイトに「ホームレスの実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見の物理的性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府のホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそも「ネットカフェ難民」をそもそも「問題」とすべきかこそが、ひとつの価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。
社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり、社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会を科学的に扱うことができるでしょうか?
もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会を科学的に扱う学問=社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要性から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事を他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しかし人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術や哲学は生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学の根本的な不必要性を否定するものではありません。人間=ホモサピエンスは、ニュートンが万有引力を発見する以前からずっと世界の覇者であったではないですか?それでもニュートンが万有引力を発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要な知的欲求、こういってよければ人間特有の本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術・哲学・科学です。そのうちの科学的欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなたは社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学的認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題は放置して次の段落に向かいます。
さて、いかに社会を科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」ものや数字が、ふつうの科学が扱うものや数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会的実在は、それを観測する人や社会の価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本の労働環境やネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在」しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見しニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府のホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力が宇宙の始まり以来、ニュートンが発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理的現象や生物的現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。
価値判断抜きで存在し得ない対象を、いかに科学的に扱うか。それこそがウエーバーが客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会的実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するものを社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会的実在は――それが単なる数字や統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者は社会学を根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会や社会的実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。
そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分の価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつの価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問にだってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分の価値判断をわかる」ことが、本当に社会的実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学的分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分はホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府は問題である」とかいう自分の価値判断を自覚していなければ、それは社会学的研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会的実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会的実在の根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])
と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会的実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学の歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学の共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。
コロナがもたらす教訓2つ
まず感染した患者の治癒を祈り、被害者への追悼をささげたいと思う。
ところで、コロナウイルスはなぜ発生したのか?
と考えるとき、やれ陰謀だ、やれ責任はどこにある、という風に、
特定の国を政治的に糾弾するのは、もはや無意味だと考えるようになった。
だがそれはもはやどうでもいいことだ。
原因はともかく、その原因に至らせた何か大きな意志があったはずである。
そこに注目したいと思っている。
「コロナ」という名前を聞いて、「そういえば太陽の外側の熱いところがコロナって名前だったな」と思い出した。
コロナウイルスの外側のトゲトゲの部分に該当する。
YouTubeで「太陽が突然消えたらどうなるのか」という動画を見た。
https://www.youtube.com/watch?v=KM1NxPNp6sU
これによると、数日で地球の気温は一気に低下し、
地熱のある暖かい地域を求めて人間が殺到し、人間社会は崩壊するようだ。
ふだん、我々は「日光はあって当たり前」「水はあって当たり前」
「空気はあって当たり前」「大地はあって当たり前」と思っている。
だが、そのバランスは、太陽と地球の距離をはじめとした奇跡的な成り立ちによって
ぎりぎり保たれているのである。
我々はそのおこぼれに預かっているにすぎない。
今回のコロナウイルスの件は、いかに人間が弱い存在かを知らしめるために、つかわされたものではないだろうか。
ちなみに、太陽表面は6000度だが、コロナが100万度まで上昇する仕組みはわかっていない。
いうまでもなく、我々はその強力な熱の恩恵で生活ができている。
2.コロナの前では、国・宗教・思想の対立はもはや無意味である。
もしあなたの自宅近辺が崩壊して、みんなで避難しようというとき、
「隣の家のとは長年ケンカしてるから」などといっていたら、そのまま二人とも逃げ遅れてしまうかもしれない。
そういえば、「地獄では、とてつもなく長い箸を与えられる」という話をご存じだろうか。
1メートルもあるような箸では、自分で料理を口に運ぶことができない。
鍋を囲んだもの同士で、お互いに箸で食物を運んであげる必要があるというわけだ。
地獄では、自分がどうやって食べるかしか考えることができないようになっているため、
どうしても食べ物にありつくことができない。自己中心的な人生を送った人間が、その席に集まるのだという。
1.自然の前には人間の力はちっぽけなものである。科学の力で地球をコントロールできると思う、傲慢さに対する罰ではないか。
元増田です。
能動的行動/受動的反応 という言葉は、説明せずに使うには雑な部分があって、それを「一次創作(オリジナリティ)/二次創作」に対置するには、かなり間を埋めないとならなかったですね。反省。もうちょっと詳細に書き下したいと思います。
という2変数の式を想定しました。同人的二次創作においては、キャラクターは既知のもの、いわば流用物であり、さらに学園パロなどであれば、シチュエーションも流用物なんですね。この、「だいたいのものが流用物で出来ているつくり」が、ある種の巨大コンセンサスへの従属性を帯びる要件だと思うんです。
実際の創作(一次・二次を問わない)においては、式が2項で出来ているなんてことはなく、
と、変数は多数あるわけですが、この多項式におけるオリジナリティ成分の占める率が高まっていけば、一次創作と見なされる成分も増していくのかなと。そして、例えば、「オリジナルな世界で、オリジナルな物理法則が動き、オリジナルのキャラが動く」のであれば、それはもはや「キャラクターのリアクション=反応を描写する二次創作」ではなく、「キャラクターがアクションする=行動する舞台すらまとめて整える一次創作」みたいに(私には)感じられる。逆側から言い換えると、反応の根拠たる外的要因もすべてオリジナルで用意してようやく、「キャラクターが能動的に行動した」と言えるだけの一次創作性を獲得できるのではないか。
逆に、同人活動的二次創作においては、「原作から《ある程度》外れないこと」、すなわち、原作そのままっぽさをキープしていることが当然に重要で(だってファンアートだし)、だとすると、変数に代入するもののオリジナリティ成分を増やしすぎることは決して良いわけではないんですよね。したがって、多数の変数には、ことごとく「みんながよく知っている例のアレ」を放り込むほうが目的に添うわけです。繰り返しになりますが、学園・現代・閉じ込めてみた・幻想郷シリーズなどはシチュエーション変数によく利用されます。
大多数の変数を流用物にすることで巨大コンセンサスへの従属性が形成され、その「従属性」は、主たる原作が外部に存在することを暗に示すことができます。だったら、同人的二次創作においては、従属性はむしろ持っていたほうが良いものであり、オリジナリティ成分の導入は控えられるでしょう。仮にオリジナリティを導入する場合はある程度まじめに筋道を立てて創作しないと、ただ原作から離れて好き放題やっただけだわ、となり、それはファンアートではなくなるので。
……とここまでくると、言及しなきゃならないのは昨今隆盛の異世界転生ものですよね。異世界転生ものでは、上の式の「大シチュエーションA」の部分に共通性があることから「異世界転生」ジャンルというものが確立するに至ったわけですが、だからこそ、「どんな異世界なの?」「主人公の個性(活躍できる分野)は?」という変数にはタフな固有性=ユニークさ(=オリジナリティ成分)の導入が必要になってくる事情があるように見えます。
あらためて、「双方を含む一次創作も二次創作もあっていいしあるんだけど、最低限要求されるのはそれぞれ違う」という文に答えると、
という感じでしょうか……
書いてみて思いましたけど、二次創作アレヤコレを語るのって、言葉の定義の定め方や設計がめちゃ大変ですね。書き下しがうまくいってますように。
日本語においては「架空の物語=フィクションであるストーリーのなかの配役(主人公だったり脇役Aだったり)」って意味で
主につかわれている。とくにキャラ、キャラと短縮形でよばれるときはその使われ方が多い。
架空の人物だと絵師によっては正面と横向きとで髪型がくいちがう(cf.ドラ●もんのスネ夫)なんてことが普通に有り得る。
でも記号で共通性があれば同一キャラとみなされる。「口と前髪が尖っていてツリ目でcvが関智●の小学生男子がドラ●もんにでてたらそれはスネ夫」
そのとき資料集をトレスとか、作画監督に統一的な絵がらになるように修正でもされていないかぎり
だから二次創作でキャラを描くときはただちに著作権侵害とはいえない
(余談だが二次創作と二次的著作物とは根本から違うと解釈すべきだとおもう。法文よんでみろ)
そんで増田のいうリアクション集ってのも一応内面の設定に関する話ではある
内面なんてものは外見とくらべるとあまりとっちらかったことにはできない
たとえば意思の疎通がめちゃくちゃ難しい、理解できない理由で勝手に怒ったり泣いたりしているキャラクターをつくったとしても人気がでないからだ
逆に恋愛に奥手な高校生くらいのよくあるキャラはトラックにひかれて転生するやつみたいな定番になっている
どちらにしても、このキャラはこういう外見でこういう内面をもっているはず、というのは膨大な枚数のセル画にcvつけたりして視聴者を洗脳することにより脳内にリアルに描き出される幻=脳内映像=裁判所のいう「アイデア」だ
鉛筆をもって手をうごかして脳内のもやもやを紙に吐き出して、始めて著作権の土台に立てる
「〜しずらい」って書くと、「つらい」だから「〜しづらい」が正しいという指摘があるが、偉そうなのがウザい。
地面が「ぢめん」ではない理由、世界中が「せかいぢゅう」ではない理由を説明できない半端な知識で、「しずらい」誤用を偉そうに語るなよ。
こっちは「つらい」だから「〜しづらい」なんて構造は当然わかっているんだよ。
四つ仮名については、もともとの異なる仮名遣いを統一するよう内閣告示されたもので、基本「ぢ」「づ」を「じ」「ず」と人為的に決めたものなんだよ。だから、単なる暗記屋ではなく物事の共通性を知る人こそ「づ」→「ず」統一のルールを感じ取り「〜しずらい」と書いてしまうんだよ。それを誤用だ誤用だ神妙にせよとうるせーよ。