はてなキーワード: twitterとは
リベラルを叩く人はいろいろいるかもしれないが、伝統的価値観を疎かにして進歩主義的なところなどが批判されるのではないかな?
Googleのような企業はリベラルの巣窟だけど、都合のいい情報だけを検索結果に表示して検閲している。
Twitterがリベラルに支配されていた頃も好き放題検閲やシャドーバンをしていたよね。
あるいはリベラルのテック系の人が伝統的な宗教を馬鹿にしたり、「成長産業により多くの投資を」といって伝統産業を潰そうとしていることもある。
種映画に感じる物足りなさ、パイロット一人一人の深掘りみたいなのがもっとされてほしかったんなって思った
アニメリアタイしてただけだし、他メディア展開まで追いかけてるわけじゃないから、アニメとして出されてる内容しか知らない人間には、映画一本じゃ足りない…!一人につき一本だしてくれ!!今回キラ回だったんなら、アスラン回やシン回やマリュー回もくれ!!なんならクルー一人ずつの回もくれ!!!!
アニメしか見てないから、漫画や小説があるのも今回のネタバレ考察してる人たちのTwitter見るまで知らなかった(そういう展開のされ方があるという認識がなかったし、とかに追いかけていたわけではない)当時のアニメイトすらない田舎の中学生には入手ハードルが高いんだよ…!!!
カップリングなんてもう20年近く経ったらなんだって良いから公式の提示する最強のカップルもっとください!!!!おねがい!!!!!
長子が可哀想だ可哀想だってTwitterで話題になってるやつみたけどあんなもん外野である他人がごちゃごちゃ末っ子に集って文句言ってもなんの意味もないのになんであんな騒ぎになるのかわからない
まぁ私も四人兄弟の一番上のしかもお姉ちゃんの立場だったから色々我慢させられたし高校も大学も公立じゃないと行かせないって言われて妹と弟は高校も大学も私立なの見てふざけんなよとは思ったけどそのことについてよその家の知らないアイコンの人になんか言われたところで嬉しくもなんともない
(小職と同じくおじいちゃんじゃなくて割と若い?ヤツにもいる)
カンマピリオドでメール送ってきてるのテメーだけだぞと思いながら返信してる
わざわざ「.」とか「,」を使うヤツ、イラッとする😠
↓
↓
↓
なんで今更変えないといけないんだ
↓
↓
↓
(なにいってんだこいつ?)
↓
😔 < はぁ〜・・・
週刊誌が某選手についてデマを書いたから日本代表は動揺して負けた、みたいにTwitterで吹き上がってるファン怖い 彼らの中では女性の告発は完全に虚偽でハニトラで二毛作(二毛作って、当時なんの得があったと言うのだろうね?)で、真実なんか欠片もないことになっている そんで週刊誌は売上のために人を傷つけるデマ記事を平気で書く極悪人の集団らしい
週刊誌には確かにデマも載るよ 自分も新潮に明らかなデマ記事が載ってたのを確認したこともある
しかしこういう目玉の記事が完全なるデマってことは無いんじゃないかなあ? まあ今は分からないけど 分からないなら自分たちファンだけは某選手を信じるって論調であればいいのではないか 告発した女性を叩いた結果セカンドレイプになったらどうするのだろう 思い込みが激しく攻撃性の高いファンばっかりなの怖いよ…
移転先
[東大][慶應][早稲田][学閥][企業][IT][コンサル][商社][外資]
●●●の娘「入社してしばらくは暇でした」
早稲田卒
「朝の7時前には出勤して夜の12時まで帰してくれない
本当の男女平等を味わう」
「お前、午後10時前に、家に帰ろうなんて思うなよ!」
映画・テレビ・広告・出版・芸能・女優・アイドル・タレント・モデル・アナウンサー・ミスコン・ミス〇〇大学・インフルエンサー
w.wiki/5F35
不適切な人事は組織の敗北につながる■勝てない提督や卑怯な司令官をすぐさま更迭した米軍
tinyurl.com/hikyouna-shireikan
内集団ひいき
https://synodos.jp/opinion/economy/10828/
自分も相手も互いに同じグループに属していることが周知されているときには、内集団ひいき的な行動が観察されますが、
自分は相手が同じグループであることを知っていても、相手が自分のことを同じグループの一員かどうかわからない状態では、内集団ひいきは観察されなくなります。
つまり、自分と同じグループの人に対してひいきするのは、見返りが期待できると思うからであって、同胞に心から同情するせいではないということです。
https://cleartetsugaku.ame-zaiku.com/shakai/saishousyuudanjikken.html
このご時世に学閥つくって群れてるくせに、
都合のいい時だけ
利用しようとして協力しろとか言って来て、
どんだけ自分勝手やねん。
twitter.com/divivid/status/842745448464973825
twitter.com/abc3aki/status/629696671115444224
tinyurl.com/kamenronin
推薦・内部組のほうが
なるほどと思った
tinyurl.com/ryuunen
仮面浪人の成績が
フル単か
留年の
二極に分かれる現象
tinyurl.com/toudaigoukaku
本学の学部全体で最も成績が良い層は
何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、
その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。
tinyurl.com/seizonsha-bias
爆撃機の装甲を厚くすべきなのは「対空砲火を受けた場所」と「受けていない場所」のどちらか?
tinyurl.com/sentaku-bias
常に分母は何かを考えよ
「早稲田政経は、短期間に簡単にAO合格可能なことを正直に暴露した勇気ある著者」
tinyurl.com/hensachi40
私、おバカですが、何か?―
【偏差値40の三流短大卒フリーター、25歳で早大に入学する!】
2007/7/19
深田 萌絵 (著)
tinyurl.com/hensachi
偏差値も上昇したのです」
tinyurl.com/goukakuline
成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明
b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fedua%2Farticle%2F14540038
まだTwitterだった頃、なんかの拍子にヒ◯コーからブロックされていることに気付いた
特に興味がある訳ではないので何が気に食わなかったのかを考えることもなかったが、
後日、とある方面から、ヒ◯コーは「ヒ◯コー呼び」が大嫌いで、
ツールを使って「ヒ◯コー呼び」したアカウントを大量にブロックしているらしいと言う噂を聞いた
「真正のお気持ち繊細ヤクザ with MAX自己顕示欲」って感じがして大変気持ち悪かった
そんな思い出
リアルタイムに経験してないシリーズ物の最新作(最終作?)を見るために過去のシリーズを一通り見てから臨んだけど、さらっと見ただけだから理解も知識も浅くて劇中なんどもそれってどういうこと????今のカタカナどういう意味????ってひっかかってしまって、中々頭に入ってこない…
大まかなストーリーは分かっても、〇〇級戦艦とか、〇〇型とか、なんか多分神話とかの神様の名前?とか、オタク的には基礎教養なの?突然出てきたこのキャラクターだれ?みたいな…
ぶっちゃけ途中まで片方しかレンズないメガネつけてる人のことをサイ?だと勘違いしていたから後からカガリの秘書みたいな立ち位置で画面に出てきて作中そこで1番びっくりした
エヴァの時も一週間くらいかけて考察ツイとか読んでどうにか咀嚼したけど、SEEDの方もまだ理解がついていかない…登場人物も多いし人間関係複雑すぎる
今のところエヴァの映画の最終作の時に思ったみたいな、リアタイ勢もいい歳の大人になって恋愛の一つ二つしてるんだろうからこういうすれ違いとか葛藤とかあるけどまぁ落ち着くとこに落ち着くよね〜みたいな匂いを感じてる
コレコレ https://koretan.net/ https://www.youtube.com/channel/UCgOfjIl0I_oG7VxIoaKaRsw コレコレ@配信者😷 (@korekore19) · X
X (Twitter)
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。
ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。
子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。
設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。
1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンとアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚の様相だった。
ガンダムSeed Destinyと出会った時、自分は大学生になっていた。
今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。
設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。
続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌のインタビューで声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。
ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファンに絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。
その後ゲームやコミカライズ、ノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。
前作で生み出された多数のファンとアンチはDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。
ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。
近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品とSeedには共通点がある。監督と脚本家が同じなのだ。
福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)
極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公が悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。
これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。
今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督の責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。
近年の監督のSNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。
それから20年の間、親しい友人とSeedをネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。
この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。
Seed関連での大きな変化といえば脚本家の両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまったことに大きな喪失感を覚えた。
当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉で罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実に申し訳なさや後悔のような感情もあった。
どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。
この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。
ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyのときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。
そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品が永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚、しこりのようなものがあった。
私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さらに困惑していた。
なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?
多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。
Seedシリーズの主題歌を担当し、自身も声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。
そんな西川ニキは劇場版発表後、自身のTwitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。
自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。
やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見の家族もキレていた。
しかしリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないか。アスランはハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。
それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、
20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。
何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?
斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊も成仏し、20年熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。
キラは人間に戻り、ラクスは人間になり、アスランはネタになり、ヒーローになった。
特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。
映画終盤、唐突にクロスアンジュが始まり、西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。
Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。
気づけば劇場で涙を流していた。
監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品をファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。
劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。
みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。
今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。
監督も気持ちの整理に時間が必要だったのかもしれない。この映画は監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。
いや、許さんが。