はてなキーワード: 自助グループとは
物事の結果の原因なんて複数あって、各要因がどの程度影響を与えているかを考えなくては
原因と結果なんて明確につかめない。
にもかかわらず、自分が信じたいものばかり信じようとして、客観的な情報を遮断する。
そんな人がすごく多いように思う。
自分は高学歴で、周りを見てて大人になれば大半はこういう能力は身につくと思っていた。
断定的なものの言い方をする人が多すぎる。
それで、説得力を感じてしまってその人を信じきってしまう人も多すぎる。
明らかな反証があっても、「空気読めない」という言葉で潰されてしまう。
なんかすごく疲れた。
そもそも日本国民自体に欠陥がたくさんある中で、なんで、人の悪い部分を指摘しないままなのだろうか。
彼らを相手していると、幼稚園児をあやしている気分になって疲れる。
自助グループなんかその傾向が強すぎる。。。
せっかく救いを求めても、その集団で出ている結論に異議を唱えたら村八分。
もっと客観的で科学的なものの見方ができればその集団の知識も積み上げられ、対策方法も蓋然性の高いものになるのに。
そういう風に思わされて疲れる。
私には、パチスロに行く癖がある。そして多くの場合、大勝ちするか口座の中がすっからかんになるまで打ってしまう。財布の中ではない。口座の中だ。
行く時は毎回予算を決めてから行く。今日は3万円、といった具合に。しかし予算分をつぎ込んでも当たらなかったりすると、意地になってしまって当たるまで打ってしまう。お金は新しくおろしてくるのだ。
そしてコインを2000枚(金額にして4万)近くつぎ込んでなんとか当たりを引いたりしても、出てくるコインは大抵500枚以下。だから、もっとコインが出るまでと思ってまたコインをつぎ込んでしまう。そして手元の500枚がなくなったらまた現金をつぎ込み始めて、結局すっからかんなのである。
正直、苦しい。
何が一番苦しいかって、「もしかしたら当たるかも」と思って予算以上を追加投資していくのが苦しい。負けを認めて帰ることができない。自分を馬鹿だと思っているのに、現金をつぎ込む手が止まらない。その醜い自分を見つめている時間が何より苦しい。
しかし、それでも私はギャンブル依存症ではないと思っていた。パチスロにいかない時期はあるのだ。半年くらいとか。だから大丈夫だと思っていたが、でもそんなに長いことパチスロに行ってなかったのに新台が出たりするとフラッとパチ屋に寄ってしまって、予算よりも散財してしまう。
打っている時は当然普通の精神状態ではない。そもそも、脳がおかしい。パチスロを打っていると頭の中に何かがじわーっと滲む感覚がする。いや、正確には頭の中がじわっとしてくるとパチスロに行きたくなってしまう。
このじわっとした感覚はしばらくパチスロから離れていると起こらなくなるのだけれど、でも、新台が出たからといって台に座ってしばらくすると、また頭が滲み始める。そうすると、パチスロに行く引き金として機能し始める。
支離滅裂なことを言っている、とお思いだろう。だが、私にとっては事実だ。
自分ごとき、ギャンブル依存症ではないと思おうとしていた。ギャンブルで借金をし続けている人や、家庭が壊れた人と比べて、自分はまだそこまで破滅的ではないから大丈夫と。
けれども、今自分がいる道は、そうした破滅へとつながっている。自分も決して例外ではない。そう気付いた。
いや、本当は気づいていた。でも、自分だけは違うと思っていた。しかし、当たろうと当たるまいとお金がなくなるまで打ち続ける自分を見て、ダメだと認めなければと思った。
自分はお金のために打っているのか?違う。お金が欲しいなら最初からパチスロなどやらなければ済むだけの話だ。
では、演出を楽しむために打っているのか?違う。もしそうなら最高レートの20スロにこだわる理由はない。2スロやゲーセンで済ませてしまえばいい。
パチスロから何か得たいものはあるのか?思い当たらない。ただ、お金をつぎ込み台を回してお金がなくなるのを待っているだけのように思う。
そう、何もない。パチスロに行って何も得られるものはない。それなのに行くのはおかしい。
そう認めなければ何も始まらないと思った。そして依存症であるなら、自分の努力だけで何とかなるとは思わないほうがいい。
というわけで、行政の保健所でパチスロ依存症の相談を受け付けていると知って早速連絡を取った。病院も自助グループもどこがいいのかわからないから、まずここから始めよう。そう思った。電話の向こうの他人に、自分がパチスロ依存だと思う、と告白するのはだいぶ勇気が必要だった。けれども、話したら何か憑き物が取れたような気がした。
面談はまだしばらく先だからそれまでは自分で頑張らなくちゃいけないけど、本当に自分がパチスロ依存だと認めるに至ったのだ。だから、これからは何かが違うと思いたい。
今まで50人規模の会社でずっと事務職1人体制で働いてきて死ぬかと思っていたが、4月から新卒の若い女性が入ってきた。
いつもニコニコしていてしっかりしていて仕事も出来る。エクセルなんかは大学できっちり学んで来たらしく、俺よりもできてしまう。
ただし会計の知識とかは全然ないからそのあたりは自分の方がはるかに上回っている。
でも、1年もすれば抜かされるんだろうなと思っている。
自分は社内では恐らく評判は良くない。
自分はもう30代後半で未婚。いまだに他者を信用できないし、誰にでも笑顔を向けるとか全く出来ない。他の社員にも愛想よく振る舞えないし、客に対しても同様。
でも彼女は逆で、人間は基本的に信用できる人たちばかり、いい人ばかりだと思っている。恐らく、嫌な奴が出てきた時だけ「そういう人」というフォルダに入れているのだろう。
自分が笑顔で接すれば相手も笑顔を返してくれると信じていて、実際そうなっている。少し話を聞く限り、本当に愛情にあふれた家庭で生まれ育ったことを基盤にして、なおかつ仕事で必要な様々なスキルを大学時代に身につけてきたんだなとわかるし、自分が何をしたいのかを探る作業も大学時代に十分行ってきたこともわかる。そして、自分はこれからも成長していけると信じている。
そして、俺自身も彼女から本当にたくさんのものを受け取っている。自分は確かに膨大な知識を本当に丁寧に教えているし、周りの社員から見たら、入社当時は本当に「増田さんは愛情深かった」らしい。だけど、彼女はそれ以上に俺に対して配慮や愛情やアドバイスや思慮深さや落ち着きや、笑顔を与えてくれている。彼女の側に「与えている」という自覚はないかもしれないけど。自分は毎日毎日家に帰っては感謝の気持ちで泣いてばかりいるし、自分が彼女に対して迷惑をかけた感じた時は、後悔の念が噴出してやっぱり泣いてばかりいる。
それぐらい自分にとって大切な人なのに、それにも関わらず、嫉妬の気持ちが次から次へと湧いてきて本当に最近つらい。
俺はそもそも荒んだ家庭で育った。なおかつ、親を疑わなかった。自分は「かわいそうな」母親をみとってその後自殺するんだとぼんやりと思っていた。
大学の後半の頃、母親はかわいそうでも何でもなく自分のことしか考えられなかった人だとようやく気づいたが、かといって20代前半まで信じてきた信条は、前半生という「経験」に裏打ちされている以上、そう簡単には変わらなかった。
カウンセリングにも通ったし、自助グループにも通った。今は年収が400万を超えて500万も超えるかもしれないというぐらいにはなっている。
でも辛くて辛くてたまらない。DV加害者とかストーカーとかの気持ちの一部が最近わかるようになってきてしまってなおさら辛い。
「要は彼女のことが好きなんだろ?さっさと告白してさっさと振られろ」と自分に言い聞かせてみたりもする。でも自分はもはや結婚を前提にした付き合いしか今は考えていない。彼女は自分にとって結婚相手候補でも何でもない。俺は俺で大事にしていることがたくさんあって、彼女には彼女の大切にしていることがある。それは相容れない。自分はこの人のことを好きだけど、でも利用したいだけだとわかった時、自分は彼女に告白すらする必要がないとわかった。
この年になって初めて嫉妬という感情を経験している。恵まれた家庭に生まれ育ちやがってという憤怒が抑えきれない。その基盤があるからこそ、いつもニコニコしてられるし、頑張れば報われると信じられるし、周りは助けてくれるし、で好循環になっているんだよ!ふざけろよ!と正直思う。こっちは、ニコニコすれば搾取される、頑張ったら搾取される、助けてくれるどころか、常に「助けてくれ」っていうメッセージばかり受け取ってたよ。
虐待する親って、子どもがニコニコ笑っているのを見て「こっちはこんなに辛いのに誰のおかげでニコニコ笑ってられると思ってるんだ!」って虐待するらしいけど、今の自分の精神状態は正にそれ。
もちろん彼女の側には何の非もない。だからこそこのドス黒い嫉妬をどうすればいいのかわからなすぎる。
「あなたの原家庭やそこで植え付けられた信条はこんなにも非常識だったんだ」というメッセージを常に発信して来るので気が狂いそうになる。
本当に辛い。こんなに大切な人なのに。
まあでも頭のいい人だからそのうち距離を離していくのだろう。既にそうし始めている。「行かないで」って正直思うし、でも「さっさと離れてくれ」とも思う。
どちらにせよ、若いから自分よりも物事の吸収は早い。彼女が事務の中心になった方が、正直会社はうまく回っていくだろう。自分は別に会社の仕事にそれほど情熱は持っていない。というよりも、ボランティアでやっていること、やりたいことがあり、自分はむしろそのために生きている。大学卒業以降の自分は、これを見つけるために生きてきたようなものだった。
彼女は若い人でなおかつ女性だから、これからの人生が大変なのはわかってる。だからもっと色々あげられるだけの蓄積を自分は欲しかった。
彼女の方が生き残るのにふさわしい。自分はさっさと道を譲った方がいいと思ったりする。
長文になる。削れるだけ削ったつもりだが、長過ぎるかもしれない。あるいは逆に説明不足で削り過ぎたかもしれない。トラックバックやコメントを送っていただければ、誤読を誘う箇所に関して付記を施すつもりで居る。
本題だが、とある方が亡くなられた。その方をどうお呼びしたら良いか迷ったのだが、先生と呼ぶことにする。
おれはコミュ障である。具体的に言えば、表情に乏しいと言われている。これはおれが虐められて育ったことや、あまり深く書く気もないのだが発達障害者として(大人になってから)診断されたことも手伝っているのだろうと思う。オフ会で会った方に言われた言葉で一番ショックだったのは、「貴方には喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないように思える」ということだった。こっちは特に怒っているとか悲しんでいるとか逃げ出したいとかそんなことを思っているわけではないのに、このコミュ障ぶりで誤解を招くことも多々あった。
その先生との出会いは、おれがアルコール依存症の自助グループに去年の春から参加するようになったことが切っ掛けだった。もちろんおれが依存症の当事者で、その先生は家族、つまり酒害に巻き込まれた者に対する心のケアを行っておられたのだ。
その日は夏だったのではないかと思う。先生は毎月一度お話しをされていたのだけれど、家族の方に対して色々興味深いことを語っておられた。そのお話自体は良く覚えていない。ただ、漠然とおれ自身がアルコール依存症の当事者として家族にどれだけ迷惑/心配を掛けたかについて考えさせられていた……そんな記憶がある。
本題に入る。おれがその自助グループに参加するようになってまだ日は浅かった頃のことだ。先生は話をひと通り終えるとおれの方を向いて、「ねえ貴方?」と仰った。つまり急に話を振られたわけだ。新参者だからだったのだろう。「な、なんですか」とコミュ障らしく戸惑いながら(無表情で)応えると、先生はニコニコしながら「なにか困ってることとかありませんか?」と言われたのだ。おれは迷ったが、自分が無表情で愛想がないことについて悩んでいる……というようなことを咄嗟に語った。「喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないと言われました」と。
するとその先生は急にパッと誰も居ないところを向いて「そんなことを言うのは誰? 放っておいてちょうだい!」と怒って叫ばれたのだった。おれが目を白黒させていると、先生はまたにこやかな表情に戻って「そんなこと気にしなくて良いんですよ」とおれに対して仰ったのだ。「みんながみんな私みたいなにこやかな人間ばかりだと、世の中窮屈じゃないですか」と。
それがおれにはショックだった。青天の霹靂、と呼んでも良いのだろう。それまでおれは笑顔を作れないことが本当に恥ずかしくて、悩みの種としてつき纏っていたからだった。笑顔が作れないコミュ障のおれは最低の人間だ……そんな思いがずっとおれの頭を支配していた。だから先生のその言葉は、そんなおれの足枷を取り除く切っ掛けになったのだった。
おれはその時、笑顔を浮かべたような気がする。それまでおれは何度も作り笑いを浮かべようとして、作れなかった。無表情を貫き通してしまったために人前で笑おうとすると笑顔が引きつるのだった。口元がピクピクと……だから逆に怖いと言われることもあった。先生のその「貴方みたいな方がいても良いんですよ」という言葉は、そんなおれを初めて肯定する言葉として感じられたのだった。
それ以来、おれは人前で笑えるようになった。笑えるようになってからの世の中は随分違う。外国語をひとつマスターしたらこんな気持ちになれるのだろうか。ああ、面白い話を聞いて共感の証として笑顔を作れるというのはこんなにも心地良いものなのか……笑顔は相手に対して敵意がないということを示す重要なサインとなる(もちろん、世の中笑顔で包丁を研ぐ人間も居るけれど……)。相手を緊張させなくて済む。明るい雰囲気を壊さなくて済む。それがおれには、酒を止めて身体の健康を取り戻せたとかそういうこと以上に嬉しいことだった。
だからどうだ、という話なのだが、今日先生が亡くなられたということを知って、このことをなにかの形で書き留めておきたいと思った。だが、おれははてなブログを営んでは居るのだがこんな「私語り」でブログを埋めるのも気が引けるので、増田の住民には迷惑に映ることを十分覚悟した上で(申し訳ない!)ここに投げ込むことにした。これが亡くなられた先生に対するおれなりの追悼……いや増田に書いている時点で「不謹慎」なのだろうが、やはり表立って書くのも恥ずかしいのでここに書くことにする。
おれは処世訓を垂れたいわけではない。説教をしたいわけでもない。ただ、そういう出来事があった……それだけを残しておきたいのだ(そこから皆さんがなにを読み取るかはもちろん自由だ)。おれとしては、追悼文にもならないこの拙い文章で哀悼の意を表する。合掌。
10年くらい前にあることをきっかけに鬱を発症して引き籠っていたある時期があった。
そのときは苦しみぬいて自殺未遂を繰り返したがどうにか記憶に蓋をして今日まで生きてきた。
付き合って2年になる同棲している恋人と偶然10年前何をしていた?という話題になり、
注意深く当たり障りない思い出を選んで話をしながら、10年ぶりに当時の写真を見返したのが3日前。
そのときは「なんとも思わないしもう大丈夫だ」と思ったんだけど、
その夜からその時の死にたい苦しい気持ちが蘇ってしまって、毎晩理由もなく泣き叫んでしまう。
彼を困らせているのもわかってるんだけど、どうにもならない。
みんなこういうのどうやって乗り越えていくんだろー?
当時嫌というほど薬も飲んだし、カウンセリングや自助グループにも参加した。もうそこには戻りたくない。
でも苦しみが消えない。
許せないのはほかでもない自分。
経済面生活面共に様々な困難があるが、乳幼児を抱えていて身動きが取れない
「生活を立て直したい!」と思っているが、赤ちゃんがいるので育児に手を取られてしまい、なかなか解決のために動き出せない。「少しの時間だけでも預かってもらえたら...」というとき。
あるいは、「若くして母親になったため、わからないことだらけで煮詰まってしまい、何から手をつけていいか整理ができない。」という場合は、子育ての困難を軽くすることで、その他の問題解決への糸口をつかめる場合があります。
市町村の乳児検診の時に相談することもできますが、プライバシーが気になったり、時期の点で不向きな場合は、「近くに子育て支援団体がないか」を探してみましょう。
子育て支援センターなど、そうしたサービスを提供してくれている自治体もあります。
相談先
子育て支援センターは、主に市町村がNPO団体に委託して運営されていることが多い。「自治体名 子育て支援」で検索すると、探すことができる。
心の健康を乱しているために、就労や家庭生活に困難が起こり、金銭管理もできなくなっていると思われる場合は、アルコール外来の受診、精神科での治療を検討すべきかもしれません。
精神科と言われるとなんとなく敷居が高いと感じて二の足を踏んでいる方も多いと思います。
そんなときは問題の整理も含めて、まずはアルコールや心の病を専門とする窓口に相談を行うことで、より専門性の高いアドバイスを受けることができます。
心の病や依存症の問題は「本人が自覚しづらく、問題を抱えていると気付きにくい」という特徴があります。
一方で、解決へと進む道筋で、家族のかかわりがとても大切な側面もあります。そのため、相談機関では、身内の方からの電話や面談でも丁寧に対応してもらえます。
相談先
http://www.ask.or.jp/sodankikan.html
アルコール依存症のための電話相談機関や自助グループのリスト。アルコール問題は家族の問題として対処することでより早い解決へとつながる場合が多く、問題意識を持った人が積極的に相談することが望ましい。
心の病をはじめとする精神疾患、心身症の相談を受ける公的な窓口。医療機関の紹介や自助グループ、支援団体の紹介、就労期間との連携など、心の健康に関わる全般的な業務を行っている。電話相談の他、面談(要予約)が可能。家族の相談もできる。
①「RANKA(ランカ)」
・男性の性被害者のための自助グループ。一部のセクシャルマイノリティも参加できる。
・公式サイト(携帯電話 OK):http://ranka21.blog.fc2.com/ (「自助グループ・RANK
・メールアドレス:ranka444@gmail.com (連絡はメールのみ)
・本人がみずから会場を確保すれば、全国どこででも開催できるシステムを採用しているので、
積極的に参加するように言い添える。
・自助グループに関心がある場合は、RANKA以外にも、誰でも自由につくれることを伝える。
・「If He Is Raped」: http://www.biwa.ne.jp/~genbu/ (If He Is Raped でネット検索)
男性性被害をテーマにした日本語の個人運営のホームページ。「~genbu」の「 ~ 」は、チルダ
(shift キーを押しながら、右上のキーの「^」を押す)。
・「Male Survivor」(メイル・サバイバー):http://www.malesurvivor.org/
世界最大の男性の性被害者支援のための米国 NPO。必要な情報はほとんど入手できる。
去年あたり、セックス依存症(買春がやめられない)のことで何度か日記を書いた増田です。
あれからも結局、ネットで性犯罪ニュースやアダルトコンテンツを異常な長時間探したり、見続けたりっていうのは止められなかったです。
アダルトコンテンツも性犯罪(痴漢やレイプ)や調教、輪姦・乱交など背徳的だったり、女性を支配するようなものばかり見てました。
後は素人もの。地味目の女の子がお金のためにAV出ちゃうって(設定の)やつ。
好みの女優が出てることも大事ですが、単に美人女優がセックスを楽しむってだけの内容はそこまで興味なかったです。
(↑俺自身の嗜好は別にしても、AV業界全体的に美人がやるだけでは売れなくなってきてるでしょうね。より美人がよりハードな内容をより安いギャラでやらされる感じになってきてます)
二次元や創作系では寝取られが好みかな。「NTRはヒロインの彼氏に感情移入しちゃって鬱になるから抜けない」って意見をわりかし聞くんですが、自分の場合は好きな彼氏がいるのに、罪悪感を覚えながら、自分を性欲処理用としか思ってない男から離れられないヒロインの姿に興奮します。
セックスに囚われてしまったヒロインを嘲笑うような気持ちで眺めたりするんですが、それって多分、セックスに囚われている自分の姿をなにがしか投影してるのかも知れないですね。
さて、俺にとっては一番の問題である買春(円光)も、貯金が減らない程度には続けてました。
変なもんで長時間のバス移動をしてるとき、車の振動が股間に刺激を与えるのと暇つぶしで出会い系を見てしまうことで、円光につながってしまうことが多いですね。
「未成年じゃなければ円光だって違法じゃないし、男はみんなスケベなもん。合法風俗より素人の方が興奮するし」なんて己を正当化しながら。
でも、やっぱり自分は異常でした。ここ数日は自分でも性的な衝動が抑えきれないくらい高まっています。普段はそこまでにはならないのに、今日は仕事中に何度も強迫的なセックスのイメージに取りつかれ、作業する手が止まってしまいました。
同僚からは「元気がないね」と心配されました。外から見てもわかるほど憔悴してたんでしょう。
かろうじて耐えている堤防が決壊すればGWだけで、数か月分の生活費を使い切ってしまうでしょう。
もう自分だけでは無力だと思ったので、自助グループに参加してみることを決意しました。
ただし、まだミーティングの日程はわかりません。
しかし、自助グループに参加するとなるとセックス断ち(自慰も含む)が待っています。アルコール依存症患者が断酒するのと同じで、それと「上手く付き合っていく」という選択肢はないようです。
そういう事実が待ち受けているとなると、「よーし、これで最後なんだったら、報酬10万(相場は1.5~2万)でやりたい放題させてくれる子を募集して、思い残すことはなくセックス断ち生活に入ろう」なんて思いが脳裏に走ります。
というか、先ほど「10万ならどれくらい女が釣れるのかな?」なんて実験感覚で出会い系に書き込んできたところです。何人かからエントリーが来ましたが、そのうち一人を明日会う約束をしました。顔入りの上半身ヌード写メも送ってもらいました。「これをバラまくって言ったらタダでやらせてくれるかなー」なんて思いながらも、そこまで悪人にはなれない俺です。
ちなみに自分の場合は出会い系で金を介在させないと女性とコミュニケーションができません。なのでセックス依存症とは言っても買春ばかりなのですが、「セックス依存症」で増田を検索すると、セフレが数人いたり、ナンパでいつも違う女を抱いてたり、特定の彼女だけどやってることは変態セックスだったりというのがヒットしますね。
ほんとに依存症なのか、お盛んなだけなのかはわかりませんが、正直嫉妬します。俺は金銭か、さもなくば暴力でないと女性に言うこと聞かせられないのに。稼ぎだってワーキングプアの類なのに。
当事者は果てしなく辛く、傷ついているのかもしれませんが、俺だって女を口説く能力があれば、あんなセックス、こんなセックスしてみたい、と思うのです。
ああ、早く心に平安が訪れてほしい。お休みなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20140211223843
あなたの症状はお酒を減らさなければならないという罪悪感があるのに自分の意思ではお酒を止められず社会的にお酒を飲んではいけない場面でお酒を飲んでしまう、というものです。飲酒行動に対するコントロールを完全に喪失している状態ですので、99.9%アルコール依存症です。簡単な自己診断テストがあるのでやってみて下さい。
久里浜医療センター CAGEテスト http://www.kurihama-med.jp/alcohol/cage.html
あなたのつらい気持ちの原因はアルコールです。すなわちアルコールが体からなくなった時のアルコール離脱症状をあなたが「つらい気持ち」と自己解釈しているのです。大量の汗、集中力低下、イライラ感、手の震え、不快な気分、動悸、息切れなどがアルコールが切れた時に発生し、アルコールを飲むとそれらの症状が和らぐという経験はないですか? アルコールを止めれば一時的に離脱症状は強くなりますが2週間もすればなくなります。今のあなたのつらい気持ちもアルコールさえ止めれば良くなる見込みがあります。離脱症状を和らげる薬もあります。
ああ、あと特別なことを何かしてくれるわけではないが、例えばEmotions Anonymousだとかの自助グループに行けば、自分の苦しみや悩みを匿名で吐露したり、似たような悩みかどうかはわかりませんが他人の悩みも聴けますよ。境遇や苦悩の程度はひとそれぞれだけれど、打ち明ける相手がいなかったり、打ち明けられないような酷い事を抱え込んでいたりするのは、おそらく社会的マイノリティなのだと思います。マイノリティだとはいえ、それなりの程度に共通性をもっている人がいる可能性はあります。言うまでもなく、全く同じ境遇で人生経験をしてきた人は、ほかにはこの世にひとりとしていませんが(まあ、誰しもそうです)。
依存症(嗜癖)は遺伝ではなく家庭(生育)環境によるものが大きいです。身内にギャンブル依存がいらしたとの事ですがあなたの親御さん、またはその親にあたる人にお酒などの依存を持つ人がいませんでしたか?
あなた自身(またはあなたの親御さんも)がその事によって傷ついていることはありませんか。
依存症に関してですが、医者選びは依存症に強いクリニックを選んでください(性依存でということではなく、アルコール・ギャンブル・薬物など)。
普通の?メンタルクリニックへ行っても、対応できず回復の遠回りになる可能性が高いです。
どこへ行けば分からない場合、県の精神保健福祉センターに相談してみるのも手っ取り早い方法だと思います。
いやな言い方になりますが、依存症の回復は「薬飲んでハイ終わり」というような簡単なものではありません。
自分の嗜癖と向き合って、少しずつ少しずつ歩いていくような道のりです。
ご存知かもしれませんが、性依存に関しては自助グループもあります。もしお近くにないようなら、AAのミーティングに参加されるのも良いかもしれません。
あなたの苦しみはあなたのもので、私がどうこう言えたものではないので、偉そうな事書いてすみません。
私は性依存ではありませんが、別方面の依存を持っております。あなたは一人ではありません、では。
「神さま、私にお与えください/自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを/変えられるものは変えていく勇気を/そして二つのものを見分ける賢さを」
診断してくれた病院では治療法ないって言われてしまったわけだね。
確かに発達障害自体は、もともとの脳の構造が他の人と違うみたいなもので
根本的に「治す」ということはできないのだけど、
コミュニケーションの取り方についても、
心理士によるカウンセリングや集団療法を介して教えてくれる病院もあるよ。
自分にできる範囲で社会適応していくことを考えていけばいいと思う。
「成人当事者会」といって、発達障害の人同士が集まる自助グループのようなものも地域によってはある。
友達が居ないことが辛いなら、そういうところで友達を作るのも一つの手。同じ悩みの人と会えるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20120703231335
http://anond.hatelabo.jp/20120704161636
どうしたいのかわからないというけれど、今は治療と休息に専念してほしい。
甘えている人間は「自分は甘えているのではないか」と悩みはしないし、実際にあなたの精神状態は安定して働ける状況にないと思う。
精神状態が改善するまで働くのは休止し、休息を取り、治療を進めていくことは、あなたが今の時点で最優先にするべき努力だ。
どうか信頼できる病院を探して、そこで指示に従ってください。
親が子どもの障害を受け入れられずに「ちょっと変わってるけど個性の範疇だし、お前は普通の子だ」と言い続けて考えを改めない例はざらにあるし、それは受け入れられない親の方が間違っているだけなんだ。あなたは病気ないしは発達障害があって、つまり甘えを捨てれば「普通」に戻れる状態にあるわけではなくて、適切な治療を必要としている状態なんだ。「普通の子だ」という親の言葉は、「普通の子であってほしい」という親自身の期待に過ぎなくて、あなたの実情とは関係なしに発された言葉だ。
でも親に直接そういう話をしてはいけない。受け入れられないという親の気持ちは、たとえ正論を突きつけてもまず変わらないから。
だけどあなたが親の言葉をいちいち真に受ける必要はない。もし今親と同居だったら親との関わりを減らすのは難しいかもしれないが、あなたの状態に関する言葉については真面目に考えずになるべく受け流した方がよいと思う。
自助グループをジプシーしていたときに、「似非発達障害」と吐き捨てられて、初見の知能検査で嘘なんかつけるかと思って生きてきたはずなのに、今は
あなたを似非扱いしたその人は、きっと「自分の方が不幸だ」という思いをぶつける標的としてあなたを使ったのだろう。それは他人への関わり方として間違ったやり方だし、だからその言葉も間違っている可能性は高い。あなたはその言葉を真に受けなくていい。
あなたが本当に「生きてる価値なんて欠片もない人間」なのかどうかは、増田越しなんかじゃ勿論わからないから「そんなことはない」なんて言わないけれど、お世話になった人に恩返ししたいという気持ちをお持ちなのでしょう。だったら、その人達に恩返しするためにでいいので「とりあえず生きよう、治療しよう」と思ってみてください。
何年かして、統合失調症ではなく発達障害ではないかと言われた。
発達障害だということは知能検査を受けて分かったが、自助グループは肌にあわなかった。
引っ越しなどを繰り返しながら、精神科には結局どうしてもかからないといけないような状態で、引っ越した先々で病院に行った。
何か色々言われてきた。
また引っ越して、今度は薬なしでやっていけるかと思ったけれど、結局無理で病院にすがる思いで予約を入れた。
で、診察は結構先なんだけど悶々としながら毎日をただ無為に食いつぶしている。
こうやって毎日過食を繰り返して吐いて下剤飲んで手首切って、親とかの幻聴とか幻覚に怯えたり、できるはずのことができなかったり、集中力が無かったり、眠れなかったり。
自助グループをジプシーしていたときに、「似非発達障害」と吐き捨てられて、初見の知能検査で嘘なんかつけるかと思って生きてきたはずなのに、今は
「もしかしたら自分は無意識に虚偽の回答をしてしまったのかもしれない」と思ってしまうようになった。
親からも「普通の子だ」と言われたり、「早く普通に戻りなさい」と言われたりして、意味が分からない。
それって全部自分が甘えてるからなのかな、と今日も新型うつの特集を見て思った。
病院行ったら新型うつだ、と言って「お前は甘えてるから早く死ね、その方が社会の為だ!」とか一喝して、自分に恥をかかせてくれないかな。
早く社会復帰して働きたい。お世話になった人たちに恩返ししたい。でも、頭ぐちゃぐちゃで、毎日幻覚とか幻聴見たり悪夢にうなされながら結局求人誌をめくるだけで終わってる。
死にたい死にたいと思いながら家具に頭ぶつけながら勉強して、集中できなくなったら頭ぶつけて、でもぜんっぜん社会の水準に達せない。
人に甘えてばっかりいて、生きてる価値なんて欠片もない人間ってこういうので、どこも雇いたくないよな、って思いながら毎日タウンワークめくってる。
最近、ひっきりなしに悪徳不動産業者からの勧誘電話(リダイヤル・逆ギレタイプ)が職場にかかってきます。
その都度、気分はどん底に落ち込みます。
仕方なく、セルシンとデパスの混合服用で誤魔化そうとしている。が、なんの解決にもなりゃしない。
電話が来るのは止められない(こんな悪徳業者が法律を守るはずがない)。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。ソレが嫌なら目を閉じ耳をふさぎ、口をつぐんで孤独に暮らせ」
これを聞いた時は、もっともだ、と思った。
周りを変える事は出来ない。
出来る事は「自分を変える」だけ。
薬では解決は出来ない。
如何にこの「嫌だな」とかわき出てくる怒りをどうするか、が最大の課題。
せっかく、鬱から脱出し、寛解に向かいつつあり、持ち上げようと努力しているのに、この【人災】が蹴落としていく。
これが恐くて、職場にいる事自体が苦痛・恐怖になってきた(それでなくてもパワハラ職場にいるというのに)。
嵐が来るのは避けられない。
しかし、嵐はいつかは通り過ぎるもの、というのも分かっている。
こういう電話も数分~数十分過ぎれば通り過ぎるというのも分かっている。
でも、嫌な気分・怒りはどうしてもわき出てくる。
「被害」と思うからいけないのであって、「こんな嫌がらせはスルー」というくらいの心持ちが必要なのだろう。
無理にこの感情を処理しよう・コントロールしようと意識するから、嫌な気分が増幅するのも分かっている。
「森田療法」のように、それを受け入れ、時間が経てばひとりでに治まっていくのを感じ、慣れていくしかない。
こんな心労を抱えて暮らすなら「孤独に暮らす」のも良いのかもしれない、と思う事もある。いわゆる「ひきこもり」だな。(宗教に出家という手もあるかもしれん)
もっとも、金銭的にそれは許されないが。
いくつか、森田療法の本を読んでみた。基本的には入院療法なのだが、日記をつけて医者と交換するとか、通院でやるとか、色々方法はあるらしい。
でもやはり、医者のサポートが必要なのかもしれない。自助グループも存在するようなので、探してみよう。
しかし、森田療法の真骨頂である「あるがまま」を理解するのは、実のところ、もっと時間がかかりそうだ。
まぁ、悪徳勧誘電話が怖いというのには、別の理由もある。
どの程度相手が情報を握っているかが分からないからだ。実はそれが怖い。こいつらは法律違反してる事も、他人が嫌がる事をやっている事も百も承知でやっている社会の底辺だからだ。即ち、自分からすると「こいつらは何をしでかすか分からなくて」怖い。
職場に電話がかかってくるという事は、職場のダイヤルインと会社名、名前(氏名)は握られているのは確定している。自宅の住所や電話番号はどうだろうか。こっちには電話がかかってきた事は無いし来た事も無いから、もしかするとそこまでの情報は持っていないのかもしれない。希望的憶測でしかないが。
リダイヤル攻撃してくるのも常だが、1日何百件も電話をかけないとならないのだろう?この底辺共。放置・ガチャ切りされてる相手にリダイヤル攻撃してるくらいなら、次から次へと対象を移していった方がいいと思うのだが、それは我々民間人の論理なのかもしれない。この手の底辺共の考えでは、リダイヤル攻撃をし、精神的に追いつめて契約またはアポを取らせるようし向けるのが目的なのかもしれない。
ところが自分、スパムメールに関しては、何の痛痒も感じていない。同じ自分の望んでいないスパム系でありながら不思議な感じがする。架空請求のメールが届いたりする事はあれども、悪徳勧誘電話ほど恐怖感は覚えない。むしろ、何も感じない。スパムメールは機械(またはボット)がやってるからかなぁ?というのと、自分がネットワークの仕組みを知っているから、なのかもしれない。
まぁ、その他、リダイヤル攻撃を喰らうと、職場内の電話が全滅してしまう事や、取り次ぎする同僚に手間をかけさせてしまうのが申し訳ない等、あるんだけどね。
せっかくアルゴリズムを考えてプログラミングに集中している最中に悪徳勧誘電話がかかってくると、嫌な気分になるし、何より、考え中だったりまとまりかけた脳内作業が雲散霧消してしまうのがムカツク。
警察は、実際に被害が発生しない事には動いてくれないので役に立たないし、消費者生活センター等ではテンプレートが用意されているだけで、全く機能しない。「毅然と断り、電話を切りましょう」とかなんとか書かれていて、法律では「再勧誘の禁止」が定められています、とか、個人情報保護法による対応等、テンプレートが用意してあるが、実情は、電話を切れば、この社会の底辺共は、実際にリダイヤル・逆ギレ・恐喝はするし、社名、担当者名を変え、あの手この手でしつこく電話をしてくる。
そりゃぁ、希望を言えば、こんな底辺共の事務所など、航空自衛隊の支援戦闘機から500ポンド爆弾を投下してもらってこの世から消滅させて欲しいと思う。
が、実際問題、悪徳勧誘電話がかかってくる事は止められない。行政も官公庁も何も出来ないのだから。
前述した通り、自分を変えるしかない。如何に早く気持ちを切り替えて持ち上げるか。トラウマの処理をしてからじゃないとだめかなぁ……。
それは俺が考えることだからお前が心配しなくてよろしい。
「このアンケートにご回答お願いします」と言って
回答項目にきちんと記入された紙の束が「データ」だ。
俺は「データ」が欲しいの。
体験も経験も知識も無いのに
「こうなんじゃないのか」なんて言って
バカでも思いつくことや
良くある通説を長々書いてるアホが居るが
アンケートで言えば質問よく読まずに無意味な落書きしてる回答だ。
これは「データ」ですらない。
俺がいつ「麻薬中毒者の生活の破壊ぶり」を疑ってるとか詳しく知りたいと書いたんだ?
問いの文章も読めないアホが。
割と関心を集めるトピックだったらしくて
レスポンスが活発なのはいいんだが
異常に質問文を読めないアホの率が高いのは何故だろう。
同じような心境でずっと悩んでいる。こういう自助グループみたいなの、ないのかね。