はてなキーワード: 自助グループとは
あの野郎と私のことを考えて考えて考えていて、共依存て言葉がぽっと頭に浮かんできて、むはっ!てなった。結局の所私は未だ、自分の生い立ちから抜け切れていないのか、と。アル中の父親に殴られて育った娘が、またアル中の男になびくのと同じことだ。そこが理由で好きなんじゃない、と否定し続けてきたけれど、そろそろ認める時期なのかな。あの野郎はDVでもアル中でもないけど。ただの、彼女がいるからと振った女をその後も定期的に飲みに誘う、頭おかしい男。そして私は喜んで飲みに行く頭おかしい女。私に彼氏がいる時期を挟みつつも、早五年もこんなふうな感じでいる。
共依存状態で四年、同棲を続けている友だちが、泥沼の果てで最近はお互い自立してきたという。彼は自分の抱える嗜癖の自助グループに通い始めたし、彼女は離れて働く時間が増えた。束縛と暴力はゆるみ、穏やかな時間が増えたという。
それは彼らが互いのために努力を重ねたからだと思う。安全に何も、誰も傷つかないように。それを気をつけているだけじゃ、何も変わらないのだと思った。
性的に欲求不満であると、ことあるごとに奴は私に言う。そのたびにテキトーにあしらってきたけれど、今度もし言ってきたら、関係を変えてみようと思う。どうせ短い人生だ。やりたいことやって泥水すすってみるのもいいじゃないかって。その結果殴られてもそしられても、やりたい方に進んでみたい。泥沼の底を探ってみたい。彼氏じゃなきゃ彼女じゃなきゃとか、友人一同にどう思われるかって条件付けは絶対だと思ってきたけど、変えてみてもいいんじゃないか、と、思った。貞操観念の強い女として来たけれど、崩してみたくなった。
これが全てタダのやけっぱちなのか、それとも心境の変化や成長?なのかはわからない。ずっとクソ真面目に生きてきた。馬鹿に、尻軽になってみたいんだ。
その先で、「もてあそばれた」だの「捨てられた」だのみじめに泣くようなことはしたくない。人にどう思われるとか、こうしたら嫌われるとか、そんなこと考えないで自分で選ぶ道なんだから。
カウンセラーの資格を持ってる友だちに人生相談した時に、自分と君のようなアダルトチルドレンは、と不意に言われて、虚を突かれた。そういう定義の人になるのか私は、と。そんなご大層なもんじゃねえよ、とずっと思ってきた。人からそう言われたのは初めてのことだった。アダルトチルドレンであり、共依存傾向が無茶苦茶強い。そういう人間だと自分を認めた(つもりだ)けれど、この先回復はどう向かったらいいんだろうか。今度しようとしている選択はむしろ、破滅に向かう一歩なんだろか。
まあ彼が、私の変化と依存を受け入れるかはわからないけれど。彼女を失う可能性と、依存し合う心地よさ。天秤にかけるかな、彼は。ただ性欲の解消に走るだけかな。そうだろな。ははん。
つーか考えても考えても答えが出ないんだけれど、共依存でない愛情てあるんだろうか。ていうか愛ってなに。男性として、女性として好きって何。この人がいなきゃ生きていけないとか、そんな気持ち感じたことないや。独占欲しかない。
親といえども他人、というのは自分としてもよく感じるところではある。
親だから、子だから、という絆って、ほんとはあってないようなもんなんじゃないかと…
でもさ、気持ちが弱ってるときにそれは辛いよね。愚痴ったり気持ちを吐露したくなったりして当然だと思う。
ソーシャルワーカーに相談するのもいいだろうし、カウンセラーのところに行くのもいいと思うよ。
術後、具合がよくなったら、自助グループを探してみるのもいいかもしれない。
元増田、おだいじにね。一増田でしかないけど、心から応援してます。
しっかり体力つけて、治療をのりきって。がんばってね!
もし本当につらくなったら、カウンセリングを受けたり、
"自助グループ"でぐぐってみると良いです。
安全に話せる場所というのは案外近くにあるものですよ。
おいらは自称アスペです。人に言ったこともないし、それを仕事が出来なかったり人とトラぶったりする表向きの理由にはしないけど。
若いとき、「何でこんなに人と違うのか」とか「なんで自分のことをわかってもらえないのか」とか思ったりしたけど、アスペルガーのことを知って、自分がそうじゃないかと思ってなんだか救われた気がした。
とりあえずその傾向を知って、立ち回り方を一生懸命模索してきた。とても上手く言ってるとは思えないけど、何とかやっていけてる。
アスペルガーだということをカミングアウトして、たとえ障害として認定されても現状は何も変わらない。言ったとしても「扱いにくい奴」、「変な奴」ってずっと言われ続けるのだろうし、障害者認定がこの日本でどれだけのハンデを背負うか想像に難くないし。
でも、どうしようもなく湧き上がってくる「敵」の認知と、それに関する嫌悪感情の想起から社会的に身を守るにおいて、「アスペルガー者」であるという自覚はおいらの生命線だ。たとえそれが自称としても。
こんなこと、リアルに投げたって「甘え」で片付けられるのは、多分同じ感情を抱いている人は分かると思う。だからといって分からないまま軋轢や衝突を繰り返しても自分も周りも悲しいだけだ。
今回の一件で同じ「苦しみ」を抱いている人が他にもいると知った。そしてその人たちもつらいながらも何とかやろうとしているという事実は、なんだか分からないけどあったかい。
おいら達は生きてかなくちゃいけない。たとえそれが普通の人より気を張ってなきゃいけない分疲れ、周りに理解されないとしても。
だから自称アスペでもいいじゃん。それでも何とか社会の中でなんとかやっていく方策を見つけようとする糸口になるなら。
宗教っていわれてハッとした。確かにそうかも。
言い方が悪いけど、モルヒネ中毒みたいなもんかもしれない。
でも他に生きてて感じる痛みを和らげる方法が分からないし・・・・
医者にはかかってたが、医者がリタリンばら撒いてつかまっちゃったしなぁ。
あくまで自称なので、自助グループにも申し訳なくて入れないし。