はてなキーワード: 破綻とは
私は情報系の国立大学院卒で、ソフトウェアエンジニアをフルリモートでやっている。結婚していて子供が1人いる。妻も同じ大学の文系の学部を卒業して、現在フルリモートで仕事をしている。
世帯年収は、800~900万ほどだ。
積立NISAを夫婦でマックスの額を入れているので、そこそこ投資信託の資産はある。
奨学金はもらったが、大学院にまで行かせてもらえるような家庭に生まれた。上には上がいるし、そんなに恵まれているとは思わないが、一般的な人よりは、恵まれていると思う。学力も恵まれていると思うが、生活は楽ではない。
もちろん、生きていくことは余裕でできるし、外食もできるし、年に一回くらいの国内の家族旅行は可能だが、子供をもう1人や2人となると破綻していくのは目に見えている。
小学校や中学校は田舎の公立の学校に通っていたので、恵まれてない人達がたくさんいることを知っている。
生まれ持ったカードがそれなりに良かったからここまで来れたが、もっとカードが悪かった人は、世の中にはたくさんいると思う。
みんな相当大変な生活をしているのではないだろうか。
補足
他ジャンルと宝塚が違うのは劇団側が「ファンがヒートアップするシステムを黙認してる」とこで
正直それはジャニーズの比じゃないレベルなんだよ だから札束の叩き合いになる。
ジャニーズだとよくファンが身体売ってブランドの財布やバッグ貢いで…とか問題になるけど
とりあえず劇団は「ジェンヌ自身がお金を出して衣装をグレードアップする」のを禁止した方がいいと思う
トップのファン同士で「燕尾は私が作る!」とかなるのやっぱり良くないと思うんだわ
相撲の化粧廻しと一緒といえば一緒かもだけど公演数が違うし毎回やってたらそりゃ破綻するよ…
そして後援会通じて買った公演チケットの席がどこかで「自分が今どの序列にいるか」が目の当たりになるし
みんな席が上がった下がったで一喜一憂してる
ええー…
文化はそうだとしてもさ、
その時代に生まれてないから感覚が分からないけど、子供ってのは文化や教育から思想や人格を形成するって考え方は、少なくとも明治初期には既にあったわけじゃん?
じゃあ大人と社会に教育やケアの責任があるもの、と考えるのが自然じゃん?
セックスしたとしたらむしろ相手や周囲の責任こそ問われるわけで、子供の素行が悪いって論理破綻してない?
論理的思考でそれは導かれないの?
「どうせ○○みたいに離婚する!」って能動的に呪いかけに行くのはさすがにどうかと思うんだよなあ
それを言うならそもそも結婚自体が統計上3組に1組は破綻するわけじゃん
「だからイチロー相手に投げるようなもんで離婚とか別に大したことじゃないんですよ」って、フェミニズムの先生が大学の講義で言ってたぞ
でも魔族同士って殺し合いしないよね?
利害関係だけで魔族社会が成立しているなら膠着状態だったり殺す機会をうかがってると思うけどそういうの無さそう。
かといって「こいつに逆らったら殺されるので面従腹背しとこ」っていうのをやれるんだったら力こそパワーな勇者たち一行に対して服従する魔族がいると思うけどそれもいなさそうだし、性懲りもなく人間社会襲おうとしている時点で人間以上に割り切れる洗練された理性が無いというのははっきしわかんだね。
そうなるとゾルトラークつくった奴族とかアウラ族とか限定された間にだけ生まれる同族意識とかあるんだろうか。
でもその設定があると魔族に情はないっていう作品のルールから反するから作品自体が破綻しちゃうね。仲良くなれちゃうもん。
そもそもどうやって自分の継承者(子ども)を増やすんだろうか。根っこから自分が完璧な存在と思っているなら子どもを用意する必要性を感じないから作るという発想にすら至らないのでは?
殺されないように人間の幼体をまねるというのはわかるけど、リスクマネジメントとして自分の分身作っておくって感じだとしたらその分身から自分の身が狙われそう。
わかるわ。
劇場版ゆるキャン△の恐ろしい所は、都市部の人や、地方衰退の現実を知らない人が見ると再生の物語に見えるけど、実際には最後のあがきである、この先には滅びが待っているという所を示唆している部分。
例えば、キャンプ場はできてよかったと思わせているが、実際にはもう破綻が見えていて
そして、何より滅びに向かっているのが分かるのは、あれだけ活動したのに、5人の主人公たちのうち、誰ひとりとして、新たに帰郷しないのである。あーイベント楽しかった、じゃ私帰るね、と、東京に、横浜に、名古屋に帰ってしまうのである。
これは実際かなりリアルな現象で、地域のお手伝いをやってほしいと言う人を募集すると、かなり興味を持ってくれるし「手伝って」はくれるのだが、実際に本腰を入れてやってくれる人というのは本当にわずかである。それでも、わずかでも移住してくれる人がいるから、頑張って続けるのだが、正直続けている側としてはむなしさを覚えることもある。
この物語が終わった後に、大垣が抱いた絶望、友人に呼びかけたが、結局道が違っている、意識の差がついてしまったということ、予算が付かなかったということ、今後の未来を憂い思うことを考えると、切ない。
そのほかに、誰ひとり結婚はおろか恋人もいないと言う現実や、搭乗している地元民のおっさんは典型的なおしえたがりのジジイとして描かれていること、大垣の上司や同僚が現地に一回も足を運んでない、などがあるが、こちらはきららアニメの制約が優先されている可能性が高いので、置いておく。
とまあ、色々書いたけど、原作のあfろ先生、静岡出身で甲府市在住でしょ。こんな風に映画を読み解けてしまって、都会人が書いた「よい地域振興ストーリー」の薄っぺらさを読み取って、映画の制作途中に、次のテレビアニメを作るなら、制作会社変えろって言った可能性は高いんだろうなって思ったよ。
原作とアニメ、結構改編が大きいし。同じきららのまちカドまぞくは原作に忠実にヒット、こちらは魔改造してヒットなので、元々複雑な心境はあったと思う。まぁ邪推だけど。
仕事は公務員か地方銀行の事務とか。昇給コースに女はちょっと…みたいな田舎だから手取り14〜16ぐらいかと思われ。実家は太いからご家族と旅行とか良いご飯とか行ってて貧相な暮らしはしてない。給料=自分のお小遣い的な感覚もあり。
彼女たちは総じて素直で良い子たちなんだけど、ずっと実家で全然家事が出来ないから、家事を異常に"大変なもの"と思いすぎるきらいがあるので、''仕事しながら家事なんて無理!できれば専業主婦じゃないとお母さんみたいに完璧に家事できないよ、、!"と思ってる。だから仕事を頑張りすぎたら結婚した時破綻すると思って、いつかやってくる王子様のために仕事をセーブ→低年収のループもあると思う。
こういう感じの人たちって、自分の意思というか思考というかが全然なくて、どっかで見聞きした人生テンプレートの切り貼りだけで動いてる感じがするわ。
悩みのポイントも悩み方や選択肢の挙がり方も全てがテンプレ。こういう人たちを10人集めて悩み事をリストアップしたら被りのない項目が一個もない感じ。
まあ世の中そんなもんなんだろうし、それでテンプレの幸福を享受できるんだからいいじゃんってのもそうなのかもしれないけどさあ。
"仕事を頑張りすぎるとモテないからおやめ!実家で貯金しながら良い人と出会うのを待ちなさい。なんなら結婚相談所の費用はお母さんたちが出してあげるから。"的な古い考えの高齢ご両親と同居してる子が多いかな。
仕事は公務員か地方銀行の事務とか。昇給コースに女はちょっと…みたいな田舎だから手取り14〜16ぐらいかと思われ。実家は太いからご家族と旅行とか良いご飯とか行ってて貧相な暮らしはしてない。給料=自分のお小遣い的な感覚もあり。
彼女たちは総じて素直で良い子たちなんだけど、ずっと実家で全然家事が出来ないから、家事を異常に"大変なもの"と思いすぎるきらいがあるので、''仕事しながら家事なんて無理!できれば専業主婦じゃないとお母さんみたいに完璧に家事できないよ、、!"と思ってる。だから仕事を頑張りすぎたら結婚した時破綻すると思って、いつかやってくる王子様のために仕事をセーブ→低年収のループもあると思う。
彼女たちと結婚したら、自分が稼がなければならないプレッシャー、不出来な家事や料理を我慢しなきゃいけないデメリットはあるものの、優しくて思いやりのあるあったかい家庭は築けると思う。実家が太いから田舎で結婚式とか家を建てる時は十二分に補助してくれると思うし。
ただ仕事を頑張る感覚があまりないから、仕事付き合いの飲みとかゴルフとかにあんまり理解がなかったり、土日仕事のために自己研鑽するってのが意味わからんって感じだったりだと思うから、自分に厳しい男性は一緒にいてつまらなく感じるかもしれない。(実際休日はテレビとYouTube見てカフェ巡りみたいな子が多いし)
元々非モテ論壇とか言って、色々ブログとかはてブとかいろいろやってて、
それが縁でオフ会出たり、いろんな番組出たり、コメントしたり記事書いたりしてそれなりに活動してたけどある時からすっぱり辞めた。
当時やってたブログとかSNSとかなんかネットで活動するみたいなのは一切やめた。
そりゃーネットでの反応みたいなのが楽しみだったからそん時は嫌だったけど今から思うと、辞めてマジで正解だった。
これが一番大きいんだけど、非モテでい続けるためにはリアルでパートナーとか作ってはダメなわけ。で、ダイエットとかと同じで論壇にい続けるにはずーっと失敗し続けるかいつか過激化せざるをえないっていうのがわかってたから。まぁいつか破綻するだろうなって思ってた。当時の界隈にはいろんな人がいたけど、カジュアルに非モテとか言ってた人はいつかいなくなるだろと思ってたし、「ガチ」な人はいつか破綻するだろうと。
非モテ界隈の繋がりでリアルでも友達になった人たちも何人かいるけど(その人たちとも引退後数年は連絡しなかった)、その人たちはわりとカジュアル組だったのでこの人らはいなくなるだろうし、いなくなっても「非モテ」を介在させない普通の友達として付き合えばいいんじゃないかって思った。
これが一つ目。
もう一つもまあまぁでかくて、当時非モテとか言ってた人は、今から思えば結構リベラル寄りの人らが多くて、哲学とか社会学的とかリベラル的な難しいことを良く語ってて、うんうんとか言ってたんだけど正直クソつまんなかったこと。これは自分が頭悪いからってのもあったと思うけど、この相手してる時間と金が正直無駄だな、と。定期的にこの辺のリベラルとか歴史がどうとかで炎上してたけど、正直どうでもいいなと。
すごくわかりやすく言うと「●●さんが非モテで生きづらいのはアベ政権のせいです!」みたいなこという人が結構いて、んなわけないし、知らんし、その話聞くのもダルいなっていう。
東なんとかがどうとか宇野なんとかとかいうのも知らねぇし、どうでもいいし。
話聞く時間とられるのも面倒だし、大して好きでもない接待ゴルフみたいなのになんでプライベートでも付き合わされてるんだ、これならツタヤでDVD借りるかゲームしてたほうがいいじゃんって思って一気に熱が冷めた。
最後は個人的な話で、当時リアルが結構詰んでて、転職準備したりしてたので忙しくなってきて自然に疎遠になってきた。
で、思い切ってやめちゃえ!って思って。やめた。
辞めたら速攻で婚活したらパートナーが見つかって結婚、子供もできて。仕事も転職を何回かして結局それなりに激務だけどそれなりに稼げてそれなりにやりがいもあるっていう仕事に就くことができた。
やめて10何年とかたつけど、いまや子育てにほとんどの時間とられてるけど、合間でネットちょっと見てっていう生活を暮らしている。
当時の自分からすると、なんで非モテの道を貫かなかったんだ!とか言われそうだけど、今は今で割と楽しい。
何より、自分が嫌いではないことをして家族を養えているからね。
一つの思想とかコミュニティみたいなのに過剰にコミットしすぎるっていうのは結構マズい。
なんだっけ、今だとフェミがどうだかとかなんかアイドルみたいなのとか。ツイッターとか見てると政治みたいなとかもそうかもしれないけど、そればっかにコミットして儲かるのは胴元の数人だけでほとんどの人たちは金・労力・時間を巻き上げられるだけなんだよな。それを、いい暇つぶしができたと思えるか、だまされたってなるのかはそのコミュニティにどれだけベットし続けたかによってくるだろう。
その観点で言うと、いわゆるネットのコミュニティに過剰にコミットするっていうのは基本マズイことだって認識は持っといた方がいいだろう。
まず最初に、全世界のゲーム開発者の皆さんに声を大にして訴えたいのは、「オープンワールドとパズルの相性は最悪だ」ということである。
オープンワールドの面白さは「どこにでも自由に行けること」だが、パズルは基本的に「制作者の企図する唯一の正解を見つけるもの」である。
つまりそれを組み合わせると「どこにでも自由に行っていいけどパズルを解くにはこのルートに沿って進まないとダメですよ」ということになる。
二つの要素が完全に干渉しあっていることがわかるだろう。そこに「オープンワールドでパズルをやる意味」は無い。
Marvel's Spider-Man 2(以下MSM2)が犯したミスというのはまさにこれだった。
このシリーズは、オープンワールドアクションの模範作として1作目・2作目が大絶賛されたものの、その時点でシステム的にはほぼ完成されていた。
よってマンネリを防ぐにはとにかく大量の要素を注ぎ込むしかないということで、その広大なフィールドの密度を上げるためにパズルをばら撒いたのだ。
ゲーム制作でよく使われる言葉に「掛け算の面白さ」というのがあるが、MSM2で行われたのは「大量に足し算する」ことだったわけだ。
さらに、ストーリー上の演出を派手にしようとして単調なQTEも増えている。
シナリオに力を入れた反動で「ただ指示されたルートをなぞるだけ」「指定されたポイントを調べるだけ」のクエストも増えた。
確かに1作目・2作目にもそういった要素はあったが、あくまで補助的なものとして抑制はされていたように思う。
MSM2ではその歯止めが効かなくなっている。
とにかくボリュームを増やそうとして足し算をしまくった結果、良くない要素も増えまくってしまった感がある。
MSM2では「ウェブウィング」というウイングスーツ的な新能力が用意されている。
ビル風に乗って加速したり、上昇気流に乗って高度を稼いだりできるのだが、その気流が特定のポイントにしか設置されていないのもよくなかった。
MSM2がたとえば「特定の壁だけしか登れない」「特定の建物でしかスイングできない」だったらどれだけつまらないゲームに成り下がるだろうか。
「特定の場所でしか気流に乗れない」というのはそれと同じだ。まったくオープンワールド的ではない。
唯一、新要素で最高だったのは、「ウェブライン」という宙空に自由に糸を張ることができる能力である。
これにより、頭上からステルス・キルを狙うときに、プレイヤーの思い通りに自由なポジションを取れるようになった。
まさにそれこそがオープンワールドの面白さ、自由度の高さによる面白さである。
総じて、MSM2は「マンネリの打破のために考えなしに要素を詰め込んだ作品」だと言える。
1990年代初頭に起きたバブル経済の崩壊とは一体何だったのかを、ずっと考えてきた。
ようやく到達した結論として、あれは「女性の社会進出潰し」だったのではないかと思っている。
戦後の日本の歴史は、一貫して女性が権利を獲得していく歴史でもあった。
1946年に公布された日本国憲法で女性の人権が明記され、女性の国会議員が初めて誕生した。
60年代の学生運動、70年代のウーマンリブ、80年代の男女雇用機会均等法成立と、ここまでは順調に女性の権利獲得は進んできた。
1984年の男女雇用機会均等法成立によって女性労働者(もっと言えば総合職女性)が増えていく流れになるはずが、バブル崩壊後の平成大不況によってこの層の女性たちが深刻な就職難に襲われてしまったのだ。
学生運動・ウーマンリブ運動は団塊の世代の女性たちが担ってきたものであるが、その土台の上に、次の世代となる団塊ジュニア世代の女性たちが社会を動かす指導者的な地位を目指す流れは完全に破綻した。
平成大不況が落ち着いた2003~2004年にかけて当時の小泉政権は「女性管理職の増加」を政策の一つとして掲げたが、その時点で各企業・役所には幹部候補となりえる団塊ジュニア世代の女性が全くいない状況になっていたのだ。
結果論かもしれないが、バブル崩壊と平成大不況によって女性の社会進出の流れは完全に断ち切られ破綻したのではないか。
その後の第二次安倍政権の2020年までに女性管理職30パーセントを目指す2030問題も結局実現しなかった。
バブル崩壊によって当時の男性側も深刻なダメージを受けたが、女性の社会進出を阻止するための自爆攻撃みたいなものだったと理解している。