はてなキーワード: 看板とは
SPY FAMILY、推しの子、タコピーのように今やジャンプ本誌よりも勢いを見せるジャンプ+だが、とにかく日曜は弱い!全く看板作品が無い。
でも今の連載作品の中で俺が一番好きな作品が更新される曜日でもある。
そう、それは「全部ぶっ壊す」(原作:へじていと 漫画:山岸菜)だ。
異世界の魔王と勇者が高校生になって学生生活を送るコメディ漫画。あらすじだけだと全然面白くないけど、この作品にはなぜか妙にクセになる味がある。なんかうまく伝えられないからとにかく読んでほしい。
個人的に最初の数話は主人公のキャラがしんどかったんだけど7,8話辺りから急に馴染んできてめちゃめちゃ気に入ってしまった。ぜひ気になった人はそこまで読んでみて欲しい。
原作者も作画担当もドンピシャなんだよなぁ。あと作画担当の山岸菜先生の前作「ムーンランド」は同じくジャンプ+で読める。冗談抜きでスラムダンクと並ぶくらい面白い体操漫画だから是非そっちも読んで…
anond:20220611155525 とは別の増田おっちゃんですが、日曜の昼間東宝シネマズで観ました。観客は僅か5人です...。
前評判では、河瀨直美がトンデモな反オリンピック映画を公開したとか、そのせいでスキャンダル暴露して動員させない陰謀論が流れたとか、
聞いてしまっていたので、相当、反オリンピック映画なのだろう・・と思っていたのだけど、内容は真逆のオリンピック礼賛映画でしたね。
この映画は、
アスリートはヒューマンである。ヒューマンにはドラマがある。ドラマがあるからオリンピックは美しい。
開催中のテレビ放映や新聞では、この選手はほにゃららなエピソードがあって頑張ってるんですよ
的な数秒・数行で済ませられてしまうような個別紹介エピソードを日本入国前から現地で丹念に取材し、古い映像も取り交ぜて次から次へと取り上げてゆきます。
この選手にはどんなドラマが?とワクワクして観ていると2時間はあっという間でした。
確かにこの映画には金メダルの競技シーンや受賞シーンはほとんど無いのですが、そんなものは公式のダイジェスト映像などでいくらでも観れるわけで、それ以外でオリンピックを美しく撮るには選手自身の美しさを撮る以外に無い、その選手のサポートを頑張ってる裏方を撮るしかない。ということなのだと思います。
夫、兄弟、コーチ、元選手OB達の当日のさりげない動きや、それぞれの託す想いを語っているところまでちゃんと映像に収まっているのは、よくそこまで撮れたなと感動しました。
何十年も働きかけてようやくオリンピック競技に認められた話、逆にオリンピックから外された話、
授乳期間中なのに、オリンピック委員会にお願いして会場で夫と子育て・授乳しながら出場した選手と、逆に子育てのために出場をあきらめた選手、
政情不安から亡命して出場した選手、亡命を重ねて最後に自国で出場できた選手、
差別問題でSNSで騒がれる選手、政治的理由で出場断念させられる選手等々・・・
ここまで魅せられると、本当に、オリンピックは出場することに価値があるんだなって思わざるを得なくなります。
おっちゃんは、オリンピックなんてただの商業イベントだし、アスリートって要はボンボンじゃん?くらいの認識だったので、
冒頭のオリンピック反対デモシーンで「中止だ、中止!」の手持ち看板を見つけてほくそ笑んでいたのに、
映画観終わると、なんかオリンピックは続いてもいい気がしてきました。
映像としても、本当に綺麗なシーンが多いので、映画館の大スクリーンで観るのがお勧めです。
ちなみに、SIDE:Bの予告編では、「こんなに素晴らしいオリンピックの裏側では一体何が?」といった映像が流れていたので、
反オリンピックはSIDE:Bが本番かもしれません。
余談:
黒人まつげ長すぎ。
SNSで批判する連中はSNSの中でしか何も言えない人だからほっといてOKと言い切った選手カッコイイ。
なんて思いました。
関係ないからエントリ分けるけど、このブコメムカつく~~~~~~!!!!!
それって「ANYCOLORがVtuberの可能性を閉ざしてしまった」のとは別の話では?CTuberはそもそもゲーム部の運営が言い出した言葉だし。結局色々と認識が雑なのよね。
どーーーーみたって別の話だろ。「こういうむなしいすれ違いが起こるの…」の書き出しで分かるだろ。元増田の話題を一歩俯瞰しますよ、元の議論には立ち入りませんよ、の宣言だろ。
なんで冒頭に書いてあることをしたり顔で指摘できるんだ。
で、CTuberの議論ですか…
認めてしまうと自分の論にも隙はあって、ハローキティは最初にCTuberを自称して自らVTuberとは別のポジションを取りに行ったので、オタクによって隔離されたかのような言いぐさは誤り。
一応、この手の"真のVTuber"論でほとんど言及されておらず、真にバーチャルなのにオタクからは無視されてるな…という感覚があったので取り上げたが、明らかに説明不足だった。
ゲーム部は確かに運営からCTuberと言い出したが、そこに至る経緯をまるっと無視してしまうのは、それこそあまりにも認識が雑だろ。
CTuberを名乗りだす前に、サイレントで中の人を変更してただろうがよ。
そうしたら「別人になってしまった」「もうみりあじゃない」みたいな意見が止まらなくて、運営のブラック体質の問題とは別に独り歩きしてしまったから、その対処としてしぶしぶCTuberに乗り換えたんだろうが。
これが「オタクによってバーチャルの看板を外された例」じゃなかったらなんなんだよ。
こういう文章も読めないし俯瞰もできないし突っ込むポイントも分からない、すべてがゆるゆるでふわふわな輩が「結局色々と認識が雑なのよね。 」の一言で全力マウント取りに来るの…ムカつく~~~~~!!!!!!!!!
大体「結局」ってなんだよ。お前の頭の中でどういう紆余曲折があったんだよ。
いや、下記のようなこだわりはほぼないと思うよ。
そこにあるのは単純なコンテンツ量と人気の差。
だがそれだけではCTuberが別枠にされたことや、中の人の話題が暗黙的にNGになっていることの説明がつかない。
「実在の人間がVTuberとしてアバターを被り、中身を隠して活動すること」こそが「バーチャル」なのだというこだわりがないとこうはならない。
俺はアバター被り側を中心に4年間ファンをやっているが、アバター被ってるタイプの活動者や企業が、非実在な仮想の夢を見せる活動者に対抗意識を見せて、「俺らこそが本当のバーチャルだ。お前らは偽物Vtuberだから出ていけ、バーチャル名乗るな」みたいな態度を取ったことはこの4年でほぼなかった。
むしろ、仮想という意味でのバーチャルに対するリスペクトを感じさせる言動が多い。
じゃあなんでCtuberを名乗る人たちがいるかというと、Ctuber側が差別化戦略、ニッチ戦略を取る売り文句が欲しかったからだ。
そう、元々主流だったはずの非現実で仮想を見せる/楽しむ層はニッチになってしまった。
「非実在という建前で活動するクリエイターも、それを好む消費者も少数派になってしまったので、その少数派クリエイターと消費者が繋がりやすくなるためのアピールとしてCtuberを使い始めた」というだけだ。
そして非現実愛好者が少数派になったのは、アバターを被る側との政治的争いに屈したからではなくて、消費者がアバターを被る側を好む人が多かったし、クリエイター側もアバターを被る方が(特に個人活動だと)手軽に始められるから多くなったからだ。
アバター被り側からすれば、「自分たちにできる範囲で面白い活動をする」「自分が好きなタレントを視聴する」をやっていたら、仮想側の人気が勝手に失速してしまい、バーチャルの看板を背負わなくなったという感覚が近いだろう。
仮想側が政治争いとか名前の所有権争いで負けたんじゃなくて、エンタメコンテンツ人気が落ちてしまったんだよ。
でもそれは現時点での話で、今後めちゃくちゃ面白くて、安く大量に作れて、消費者もみんなそれを見るような非現実バーチャルタレントが現れたら状況は変わる可能性はある。
俺は今、看板が少なくて、アナウンスが必要最低限の地域に住んでる。
よく眠れるし、自分の時間が増えたような気がしている。24時間って、結構長いなと思っているぞ。(以前は24時間では足りなかった)
ニコニコして生活してるし、ありがとうとごめんよをよく言うようになった。
キレてる人もたまにいる。ゼロではない。
一貫性をもてと言ってるだけなんだけどなあ
フェミニズムが生物学的な女のためだけの運動、トランスは認めませんと言うならそれはそれでいい
それは単なる気まぐれとかじゃなくて
フェミニズムの理論的核としてポストコロニアリズムとかを使ってきたわけでね
反人種差別とか反LGBT差別とかをまとめて動員するための理論だったわけじゃん
「TERF」だって今でも自分に都合のいいときはそういう派閥の理論を使うわけじゃん
で自分が気に入らなかったら引っ込めるどころか、それを作った奴らの陰謀のせいにする
当たり前のこと言ってるだけですよね
フェミニズムが生物学的な女のためだけの運動っていうなら反差別の看板下ろして女右翼として戦う
どちらかですよね
はっきりしろ
それだけや
全治一ヶ月です
酷すぎるだろ
何したかって?
「貧乏人なんてほっとけ、自己責任だ」って看板作って、貧乏人への支援を打ち切る法律作る政策への賛同を募って署名を集めてた
そしたら、まあだいたいは無視だけども、お前は間違ってると突っかかってくるやつがたくさん出た
学生っぽいやつから、主婦、老人様々なやつがそれはおかしいだろと自分がその立場になったらどうするだとか
いかに弱者救済が必要か支援を積極的にすべきか説教してくるやつもいた
けどそこでだ
俺が看板をひっくり返して、「経済的弱者に支援を」と書かれた文字を見せて、一週間ここで活動してたことを明かす
積極的な支援が必要だと言うならなんでこの活動には協力しなかったのか問うと、みんな発狂してどこか行くか、殴りかかってくるやつすらいた
こいつらが偽善じゃなくてなんなんだ?
反対するときは物凄い威勢がいいのに、いざ自分が普段無関心でいるかを突きつけると切れて殴りかかってくる
これがお前らの正義か?
笑わせるな
だいたいの現場で私たちは名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる
ご遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間は通夜告別あわせて8時間くらいだ
開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある
初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある
もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たちは役所の手続きやお金、お墓についてのことをほとんど知らない
わかるのは葬儀中のことだけだ
私たちは説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした
真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した
鞄にはなんでも入っていた
絆創膏、裁縫セット、やけどの薬、頭痛薬や生理用品、新しいストッキング、安全ピン
数珠や袱紗、数珠が散らばった時に使うジップロック、お客様の靴の底が剥がれた(よくある)時のための黒い折りたたみスリッパ
夏には塩分タブレットや凍ったペットボトルも入れていたし、冬の通勤時に巻くストールは、どうしても寒がるお客様の膝にかけられるよう真っ黒な大判のものだった
とにかく「大丈夫ですよ」というためにあらゆるものを鞄に入れていた
普通の人は滅多に葬儀には行かないけど、その全てが忘れられない大事な日だと思う
そういう日に余計なノイズを入れてほしくないと思って、年々荷物は増えてしまった
導線がわからないとか焼香のマナーが心配とか忘れ物をしたと悶々としている時間とか、
またはお茶を入れたり片付けをしたりタクシーを呼んだりする手間とか、
短い別れの時にそんなことを考えている時間は無駄だと思ったし、その時間を少しでも削るために働いていると思った
「毎朝仕事に行く主人を見送る時、私は今まで靴を履いている主人の背中をただ見つめてたんですが、最近になって主人の鞄がそこに置かれてることに気付いたんです。
ずっと同じ景色を見てきたのに、その時初めて鞄に意識がいって、自然に「あ、持たなきゃ」と思いました。
靴を履き終わった主人に「がんばって」と手渡したら「ありがとう」と言われて、なんだかこの仕事を始めてよかったと思いました」
そんなこと、当たり前にできる人もたくさんいると思うけど、美しい気付きだと思った
誰の記憶の中にも私たちはいないけど、私たちの中にはそういう新しい気づきが生まれて、次の葬儀がよりよくなることは嬉しいことだと感じた
その少し後、私は家族の都合で地方に引っ越すことになり、派遣の仕事は辞めることになった
毎日早朝からとんでもなく重い荷物を持って2つの県を跨いで移動したりハードな仕事だったけど、葬儀の時間はいま思い返しても好きな時間だったと思う