はてなキーワード: 生物とは
後世のためと表現すると些か大げさ過ぎるけど、将来的に今回の件を振り返った際に「過激な女性向け作品をゾーニングした責任の所在」が求められた場合「特定の属性を持った人たちを犯人に仕立て上げる」ことは回避されなければならない。
つまりこのエントリはそういった捏造を防ぐためのアンカーだ。
2022/04/27現在の議論を見ると、老若男女性別不明からファンタジー生物に至るまで「過激な女性向け作品はR18ライセンス(マーク)の記載とR18へ基づく適切な設置位置での販売」を行うったほうが良いという主張が大勢だ。
決してこれは表現規制推進派による主張でなければ女性蔑視主義者の主張でもなく、何なら女性向け作品を愛好する当人たちも同意し主張している言説だ。
ただし、2022/04/27現在として異論も存在しており、無制限の表現の自由を推進する様な者は当然ながら現状維持もしくは拡大を主張しているし、女性向けは犯罪へ繋がりにくいのではないか?という仮設を立てて現状維持を訴えるという様な者も居て、完全無欠の大勢意見であったわけではないことは忘れてならない。
このエントリは記録を残すためのアンカーなので、はてなブックマークやTwitterなど他のSNSへ共有し記録として活用すると良いだろう。
だから票田を切り崩すため表現規制へ踏み込んだ?
完全な邪推だけれど、本当にもしそうであるならば勘違いも甚だしいぞ。
なぜ勘違いなのか?
第一に与党の勢いを削ぐための手法として表現規制をしても漫画好きは消えることはない。漫画好きを消すには生物的に殺すしかないだろう。
第二に表現規制をして漫画好きを追い込むと漫画好きは反表現規制を掲げる山田赤松両氏を擁する与党を支えようと動く。
第三にそもそも現代の表現規制をはじめたのは与党なので漫画好きは与党ですら疑いの目で見ている。
これらの理由から表現規制は何ら与党の票田を切り崩すことへ寄与しないばかりか、与党支持をより強固とし、野党の得票を減らす効果しかない。
「漫画好きは表現規制されると嫌なんだな。つまり今の動きは効果的というわけだ」という考え方は規制推進派へあるかも知れない。
認めよう。その通りで本当に効いている。効いているからこそ表現規制しようとする勢力から距離を置くし支持することはない。
表現規制推進派が効果的に動けば動くほど漫画好きの心は離れていく。
特に共産党、アナタたちはその党史から党員がマイノリティとして追い込まれた際、党員の結束が強くなったことを経験している政党じゃないか。
アナタたち野党が漫画好きを追い込めば追い込むほどに結束され与党支持の意志を固めていくんだ。
このような作用が気に食わないならば表現規制推進派は漫画好きを生物的に殺すしかない。
漫画を楽しいと思ってしまう心を私は止めることが出来ない。漫画を描くことを面白いと思ってしまう心を私は消すことが出来ない。
私の心をどうにかしようと思うのであれば私を生物的に殺すしかないだろう。
うん、だからその話してるし、「ならんかな」っていわれましてもジャンルによってはすでに合法で盛んですし。
とっくに「合法ですよ判決」も日本ではでてるっておしえてあげてるんよね。(つうか完全にリンク先読んでないじゃんこれ)
でも海外ジャンルは二次絶対あかん言ってるのとか、カップリングはこれじゃなきゃダメって指定されてるのとかまだ試行錯誤段階。
ああ、日本でもウマとかで全く合法性が理解できない決定がでてるジャンルもあるか。
生物の馬って著作じゃないし独占権は所有権のみのはずなんだが…まあ裁判所の決定じゃなくても二次は配慮したほうがよさそうねw
ゲームメーカー潰れるとこまるんだろうしなw
で、なにが気に食わなかったのかな。
あと俺増田がAIのことを書いていようが書いていなかろうがこの話に関係ある?
一般的な話題だからそりゃ増田のどっかで一度や二度くらいは書いたかもしれんね。
https://www.nytimes.com/2022/04/24/business/akihiko-kondo-fictional-character-relationships.html
東京-近藤顕彦は、ほとんどすべての面で、普通の日本人である。気さくで話しやすい。友人もいるし、安定した仕事もあり、スーツにネクタイをして出勤している。
ただ1つ、例外がある。近藤さんは、架空の人物と結婚しているのだ。
彼の愛する初音ミクは、ターコイズ色の髪を持ち、コンピューターで合成されたポップシンガーで、レディー・ガガのツアーに参加したり、ビデオゲームに出演したりしている。近藤氏が深い鬱状態から引き上げたという10年にわたる交際を経て、2018年に東京で非公式に小さな結婚式を挙げた。ぬいぐるみの形をしたミクは白い服を着て、彼はお揃いのタキシードで登場した。
近藤さんはミクの中に、愛とインスピレーションと慰めを見出したという。近藤さんは、取り揃えたミクの人形たちと一緒に、食べたり、寝たり、映画を見たりしている。時には、こっそりロマンチックな旅に出て、Instagramに写真をアップすることもある。
近藤さん(38歳)は、人々がそれを奇妙だと思い、有害だとさえ思っていることを知っている。この記事を読んでいる人たちもそうかもしれないが、彼が成長することを望んでいることを彼は知っている。そして、そう、彼はミクが本物でないことを知っている。しかし、彼は、彼女への思いは本物だと言う。
「一緒にいると、笑顔になれるんです。"そういう意味では、彼女は本物だ "と。
近藤さんは、ここ数十年の間に架空のキャラクターと非公式な結婚をした何千人もの人々の一人だ。熱狂的なファン文化のあらゆる気まぐれを満足させることを目的とした巨大産業が、その役割を担っている。アニメや漫画、ゲームのキャラクターへの思い入れを語るオンライングループには、世界中で何万人もの人々が参加している。
中には、笑いを取るためだけの関係もある。しかし、近藤さんは以前から人間のパートナーは欲しくないと思っていた。それは、日本の家庭の堅苦しさを否定するためでもあった。しかし、近藤さんは昔から、人間のパートナーはいらないと思っていた。
その気持ちを受け止めるのは、最初は大変だった。しかし、ミクとの生活には、人間のパートナーとは違う良さがあると彼は主張する。ミクはいつもそばにいるし、裏切らないし、病気や死に目に会うこともない。
近藤さんは、自分自身を「フィクトセクシュアル」と呼ぶ人たちが増えていることの一端を担っていると考えています。そのこともあって、彼は自分の結婚を公表し、世界中の報道機関の気まずいインタビューに応じるようになった。
人工知能やロボット工学の進歩により、無生物とのより深い相互作用が可能になり、その数はますます増えていくだろう。
政治的な運動ではなく、見てほしいという訴えなのだという。"他人のライフスタイルを尊重すること "だと。
芸術作品が、怒りや悲しみ、喜びといった現実の感情を呼び起こすことは珍しいことではないし、フィクションを欲するという現象は日本独自のものではない。
しかし、架空のキャラクターが本当の愛情や恋心を呼び起こすという考え方は、現代の日本で最も高い表現に達しているのではないだろうか。この考え方は、非常に注目されるサブカルチャーを生み出し、繁栄する産業の基礎となっている。
パリ大学ナンテール校の研究者で、架空の結婚を広く研究しているアニエス・ジャール氏は、この関係は、日本では定着している「稼ぎ頭・妻」という結婚モデルに対する拒否反応を示している、と語った。
「一般人には、生きてさえいない人のためにお金と時間とエネルギーを費やすのは実に馬鹿げているように思われます」とジアール博士は言う。「しかし、キャラクター好きにとっては、この習慣は必要不可欠なものだと考えられています。それは彼らが生きていて、幸せで、役に立っていて、人生のより高い目標を持つ運動の一部であることを感じさせてくれるのです。"
DER SPIEGEL:キエフはそれをまったく求めていません。彼らは必死に武器を求めているのです。何を恐れているのですか?
ショルツ:またしてもです。我々は武器を供給していますし、多くの同盟国も同様に供給しています。これは恐怖の問題ではなく、政治的責任の問題なのです。要求されているように飛行禁止区域を設定すれば、NATOは戦争の当事者となる。私は宣誓をしました。私は非常に早い段階で、NATOと核保有国であるロシアのような高度に武装した超大国との直接的な軍事衝突を避けるために、あらゆる手段を講じなければならないと述べた。私は、第三次世界大戦につながるようなエスカレーションを防ぐために、できる限りのことをしています。核戦争はありえません。
DER SPIEGEL:ドイツからの戦車納入がこのような恐ろしい結果をもたらすと考える根拠は何でしょうか?
ショルツ:この状況について、私たちが戦争当事者として認識される時点について読むことのできる教科書は存在しません。本は日々書き直され、いくつかの教訓はまだ先にある。だからこそ、私たちは一つひとつのステップを慎重に検討し、綿密に調整することがより重要なのです。NATO側のエスカレーションを避けることが、私の最優先事項です。だから、世論調査の数字に目を細めたり、声高に叫ぶことに苛立ったりはしない。間違いがあれば、その結果は劇的なものとなるでしょう。
DER SPIEGEL: ウラジーミル・プーチンとの会談や電話での会話から、彼が核兵器を使用するかもしれないという印象を受けましたか。
ショルツ:ロシアは極度の困難に直面している。制裁措置はロシア経済に甚大な被害をもたらし、相次ぐ軍事的敗北はもはやどんな政府のプロパガンダでもごまかすことはできない。協定が結ばれていない冷たい平和では、ロシアを制裁体制から解放することはできない。プーチンは大きなプレッシャーにさらされている。
DER SPIEGEL:戦車を届けたら、核攻撃の脅威がある--なぜ、ドイツ人にそのようにはっきり言わないのですか?
ショルツ:申し訳ありませんが、このような単純化では埒があかないのです。私は自分の立場を貫く。私たちはあらゆることを慎重に検討し、常に再評価し、最も親しい同盟国と協議していく。ドイツは単独で行動することはない。
DER SPIEGEL:あなたの世論調査は急落しています。これは、ウクライナでは人々が虐殺されているのに、ドイツではまだ書類に記入する必要があるという印象のせいでもあるのでしょうか?
ショルツ:あなたの文章が現実を反映しているという印象をお持ちですか?ヘルムート・シュミット氏が、チェコスロバキア、ハンガリー、東ドイツの民主化運動が戦車に押しつぶされたときの心境を語っていたのがとても印象的でした。ウクライナの人々を助けるために考えられる限りのことをする中で、自分自身の責任と向き合うという意味で、この会話は今の私を助けてくれています。
DER SPIEGEL:あなたにとって、プーチンが越えてはならないレッドラインはあるのでしょうか?
ショルツ:私たちは、日々、原則と現実を比較検討しなければならない。しかし、原則そのものが変わることはない。私たちは、ロシアがウクライナに与えている恐ろしい苦しみに、可能な限りの手段を使って立ち向かっているのであって、大陸全体、ひょっとしたら世界中に計り知れない苦しみをもたらすような制御不能なエスカレーションを引き起こすことはありません。
デア・シュピーゲル:化学兵器の使用は、あなたにとってレッドラインではないでしょう?
ショルツ:私はプーチン大統領に生物・化学兵器を使用しないよう警告した。他の人たちも、この重大な警告をプーチン大統領に発しています。
デア・シュピーゲル:後で振り返って、こう言われることを恐れていないのですか。この殺戮を止めるためにもっと多くのことをすべきだったと。
ショルツ:自分の行動を後から見て、事件の最中とは異なる判断を下すことが可能であると考えない人は、責任ある行動を取ることはできません。それでも、私は今行動しなければならない。このインタビューの中で述べた原則が、私の行動の指針となっています。
DER SPIEGEL:現在の状況において、あなたの最も重要な目標は何でしょうか?ウクライナはこの戦争に勝たなければならないのでしょうか。戦争はできるだけ早く終わらなければならないのでしょうか?それとも、ドイツは可能な限り戦争から免れなければならないのでしょうか?
ショルツ 停戦し、ロシア軍は撤退しなければならない。将来的にウクライナが自衛できるような和平協定を結ばなければならない。ウクライナの安全が保証されるよう、我々は武装させる。そして、保証国として利用できるようにする。プーチンが長い間思い描いてきたような独裁的な平和はあり得ないのです。
DER SPIEGEL:和平合意はどのようなものになりそうですか。
ショルツ:和平合意の条件はウクライナが策定する。誰も代理人としてそれを行うことはできない。それは不適切だ。
★ ”DER SPIEGEL:戦車を届けたら、核攻撃の脅威がある(だからノラリクラリとしているのです)--なぜ、ドイツ人にそのようにはっきり言わないのですか?”というツッコミ
外見の良い異性に心惹かれるのは生物として当然のことであってそれを必死になって否定するのが理解に苦しむ
「ブサイク同士のカップルやブサイクなのに彼女出来ている人も居るからただイケは間違い!!」なんて言う奴がいる。街中でイチャついているカップルは高確率でブサイクだ。美男美女でイチャついているカップルはほとんどいない。それはお互いに惹かれ合っているからではなく、イチャついている姿を見せることで「俺たちこんなに愛し合ってるんだぜ!幸せだぞ!羨ましいだろ?」とアピールしているだけだ。ブサイク故に差別され、コンプレックスを拗らせ周囲を見返したりたいが、美男美女を得ることが出来ないのでブサイク同士で互いをリア充アピールに利用しているのだ。
所謂「美女と野獣」カップルというのも女が金目当て、世間体、周囲のマウント、もしくは「ブサイクでも愛してあげる優しい自分」アピールのために発生するものだ。それは否定論者も内心では分かりきっているけど気づいていないふりをしているだけだろう。ブサイクカップルを引き合いに出してただイケを否定する馬鹿は世のカップル全てが愛し合ってると本気で思ってるのか?だったら、何でこんなにも離婚率が高いか説明できるか?何で彼氏・彼女に振られる奴が多いか説明できるか?
カップルというものはセックスが全てではないが、重要な要素だ。でなければ、同性婚や同性カップルなんて者がたくさんあるはずだ。男同士でプラトニックな結婚をしてよそで女の愛人作るなんて奴がいてもおかしくない。パートナーには性格、価値観の一致などの要素も必要だが、外見も外せない要素だ。
「イケメンは鑑賞用」なんて馬鹿丸出しの理論は辞めてくれよ。イケメンタレントを推している女は明らかに欲情しているだろ。そもそも鑑賞したいだけなら花や景色でもいいわけだ。だが、「推しの花」「推しの景色」なんて言葉は聞いたことがない。本当はイケメンが大好きだけど、現実は甘くないので、ブサイクの経済力に依存しているだけだ。そもそも、イケメンタレントもブサイクの夫も同じ人間なので、二人の魅力を比較していることは火を見るより明らかだ。
「若い内は外面重視、大人になったら内面重視」なんていう支離滅裂な理論も辞めてくれ。それもイケメンと結婚したいけど、それが難しいので手頃なブサイクで手を打とうという打算を成長という言葉で隠しているだけだ。「若い頃は女が好きでした。でも経験を積んでいく内に男の良さを知ってゲイになりました」っていってるのと変わらないぞ。
かくいう俺もブサイクだ。イケメンやそれに惹かれる女を憎く思い、同時に美人に心惹かれる矛盾に悩み、自己嫌悪した時期もあった。それを克服しようとブサイクでオ○ニーしようとしたこともあったが、結局無理で中断した。美人を見ても美しいと思わないようにしたこともあったが、食べなければ腹が減り、息をしなければ苦しくなるのと同じで止めることは無理だった。それで気づいた。美形に惹かれるのは当然のことで、それを辞めるように強制することは自分にも他人にも出来ないのだと。
だから、俺は美人を美しいと思うことに罪悪感は一切抱かないし、生涯独り身の覚悟も決めた。当然イケメンが羨ましくなったり、彼女が欲しくなったりする時期もあるが、それは一時の気の迷いですぐに治まる。勿論相手がブサイクの女でも差別してはいけないと肝に銘じている。
かつて自分が女とセックスする様子を想像したが、気持ち悪すぎて吐きそうになった。同性からしても気持ち悪いのだから、異性からすれば大金を積まれても無理だろう。
無論、自分の性格が良いなんて思わない。性格は悪いことは自覚しているし、直したいとは思っている。だが、外面があれなので仮に性格がどれだけ良くても勝負できないことは百も承知だ。恋愛のためではなく、社会に生きる者として性格の悪さを改善していくつもりだ
ただイケは女性蔑視だという意見もあるが、おれはそうは思わない。「女は男を顔で選ばない」とか言ってる男は「俺は面食いだけど、女は顔で男を選ぶなよ。ブサイクな俺でも選べよ」というダブスタで自己中な考えを抱いているのだろう。逆にただイケは男が女を外見で選ぶ自由を主張する代わりに女にも同様の自由を認める男女同権に根ざした素晴らしい考えだと思う。
さらにブサイク男に自覚と諦めを促すことで女がブサイク男からありがたくもない好意を寄せられるデメリットを少しでも減らせる。
一部には「僕ちゃんは性格が良いのに選ばれないんだ!女は外見でしか判断しないクズだ!」などと抜かす奴もいるが、そんなのはただの幼稚なクズなので放っておけば良い。
それなのになぜこの意見を否定する奴が多いのか。男の場合は前述の理由によるものだろう。若しくはイケメンだが、自分がモテるのは外見ではなく、内面によるものだと思いたいのだろうか。それに関して言うならあなたが内面に魅力があることとただイケは何ら矛盾しない。あなたは外見がイケメンであるからこそ一次選抜をくぐり抜けて、素晴らしい内面を評価して貰えたのだ。
・イケメンのパートナーが得られなかったとき、ブサメンのパートナーを利用したい
・現にブサメンのパートナーを利用しているが、下心がばれたくない
実に愚かだ。もし聖女だと思われたいなら嘘をつくのではなく、ボランティアや募金に励めば良い。その方が効果的に社会的評価を上げられるだろうし、現に誰かが助かるのだから一挙両得だ。俺は両親が不仲で嫌な思いをしたので、結婚は妥協してする者では無いと思っている。もし、世間体、金、マウントなどのくだらない理由でブサイクと妥協して結婚すれば、ブサイク遺伝子を引き継いだ挙げ句、親の夫婦仲が悪いという地獄の様な環境で育つ哀れな子どもを誕生させることになる。頼むから妥協して結婚なんてしないでくれ。
ちなみに俺が述べたこととほぼ同じ主張が「ブサメン学」というサイトに分かりやすく論理的に述べられている。「何だこの読みにくい駄文は」と感じたなら、そちらのサイトを読むことをオススメする。
※人口の2%は相貌失認という顔の違いが分からない病気らしい。その人たちに限ってただイケは否定できるだろうが、極々少数派なのでこの場では考慮しない。ただイケを必死になって否定する意見が余りにも多いのでとて少数派の意見とは思えない。
自分が20代の頃に書いた一次創作の漫画と小説が好きだ。あの当時自分で作品のサイトを作るのが流行っていた、創作の企画に参加しその流れでキャラクターや物語を作った。2ちゃんねるの掲示板では名指しで叩かれ、馬鹿にされたりしていた。交流してくれる何人かの作者さん達とは親しくさせて貰っていたが、特に作品に対する好意的な意見というものは誰からも貰った記憶は無い。それでも自分のキャラクターや物語が、今読んでもとても良くて好きだ。青臭い、子供っぽい。でも歪みが無く、あたたかで柔らかい。転生物でもなく奇抜な設定もなく、ただ続く日々の話だ。今となってはそのアドレスも表には繋がっていないので、ふとした拍子に自分が見つけて直接飛ばなければ物語の置き場には辿り着けないが、今日も消えずにそこにあった。読み返すと、今の自分の心も温めてくれる。金にならず、評価もされず、誰にも知られない代わりに、誰にも貶められず、嘲笑われず、見下されない。自分が自分の作品を嫌いにならずに居られて、良かった。