はてなキーワード: 未来は今とは
容姿、地位、才能などに恵まれ、子孫を残す幸福な人たちをそれらに欠ける独身者が支えるグロテスクな政策が子育て支援。
子育ては大変かもしれないが、幸福度の観点で言うと、低い人から搾取して高い人へ配分する逆進性が非常に強い。
「将来、今の子供が自分たちを支えてくれる」と言うが、人口比的にもはや不可能に近い。
年金は支給開始が70歳とか80歳になるだろうし、介護制度も崩壊するだろう。火葬くらいはしてくれるだろうか。
人手不足も、無くても問題無い中小企業と奴隷労働が殆どで、近い将来に淘汰されるのが早まってるだけ。
「未来の日本のために!」と言うほど愛国者でも無いし、未来は今の子供たちの物だから受益者負担で子供(の親)が背負うべきだろう。
SNSももちろん。TwitterもFacebookもアカウント持ったことがない。
むかーしmixiは仕事のつながりで仕方なく始めたがすぐ触らなくなった。
俺は50前だしジジイと言われてもそうだなと思うけど、
お前みたいな勝手に相手を決めつけて恬然としてる奴なんて昔からどこにでもいたのに、
そんなクソはまるで世界に存在しないかのように頭お花畑の奴らが
「WEB2.0! 未来は今! 人間が、社会が変わる!」とか騒いでたんだよ。
俺以外にもそういうのを見て「アホだなこいつら」と思ったやつは相当数いたはずだ。
お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ がバズってるようで、私もかねてから考えてることをちょっと発信してみようと思う。匿名での投稿にはなるが、私は日本国外の大手企業でフルスタックエンジニアをしている。
私の主観では世の中の人の99.9%はプログラミングに向いていない。もしかしたら、9をもうひとつ増やしてもいいかもしれない。それくらいプログラミングに向いている人は希少だと思う。
ある程度数学の素養があったりする人の方がプログラミングに向いているというけど、理系でもプログラミングが苦手な人は多くいる。どういった人がプログラミングに向いているのか、もしくは向いていないのかという点については、この投稿では特に言及しない。
この投稿はプログラミングに向いていないのにやらざるを得ない環境にいて無理をしている人に向けて書いている。
自分の高校時代の友人が仕事でプログラミングを始めたけど、ボロボロになって仕事を変えるという姿をいくつか見てきた。以前の職場にも、経験者として入ってきてはいるが、向いてないなあと思うような人物を何人か見てきている。また、大学在籍時にTAとしてプログラミングを教えた経験上、向いていない学生というのも多く見てきた。この記事では、そういった人たちがプログラミングを諦めて他の道へ早く進めるように、私の意見を書き連ねていこうと思う。
こういった人々がプログラマとして多く採用されている環境では、本当に優秀なプログラマというのが少ないので、以下に書き連ねるような問題点はあまり可視化されてこない。ただ、こういう人が集まってプロジェクトを進めている環境では、プログラマとしての仕事は全員にとって辛いもののように思える。仕事は難解だが、納期の関係上残業が多くなり、精神を擦り減らしながら仕事を進める。反して、プログラミングに向いている人にとってプログラムを書く仕事というのは、美しいプログラムを書くことで自己肯定感を得ることができるという点で天職なのである。
プログラミングに向いている人は、簡潔なコードを短時間で仕上げてくる。読んでいて疑問に思いそうなところに対しては適切にコメントがなされていて、システムデザインも適切である。
対して、向いていない人は時間をかけて煩雑なコードを仕上げてくる。本人も「動けばいいや」程度の意識しか無い(私の推測だが、時間がかかっているので次の段階へ進むことしか考えられていない)ので、コードは読みにくく、洗練されていない。
こういった傾向は私が観測してきた範囲内でのことでしかないのかもしれないが、おおよそ一般的に当てはまると考えている。これを前提にこの先の内容を書いていくので、納得などをできない方はここで読むのをやめてほしい。それでは、向いていない人のもたらす問題点について書いていこうと思う。
向いている人のコードはシンプルであるがゆえに、バグが入り込みにくく、コードレビューもすんなりと終わる。対して、向いていない人はコードを仕上げるまでに時間がかかるだけでなく完成度も低いので、レビュー段階でコメントが付きやすく、多くの修正も必要になってくる。また、コード自体が煩雑になる傾向が多く、そういった部分にバグが混入しやすい。
向いている人にとっては早く問題なく終わる仕事が、向いていない人にとっては時間がかかり、不確実な結果を出すことになりがちである。
他人に任せた仕事のアウトプットを見て、自分が実装していたらもっと上手く速く出来ると思うことは稀ではない。実際にバグが混入して対応する可能性、コードレビューにかかる工数、そういった点を考慮すると、生産性は10倍以上違うのではないかと思う。
正直に言うと、プログラミングに向いていない人が書いてくるコードは見ていて辛い。仕事の場合、そういった人の書いてきたコードが100%美しい状態に達していなくてもマージせざるを得ない場合もある。私は整ったコードだけをマージしたいのだが、コードレビューに時間がかかるほどマージコンフリクトが発生しやすく、他の変更との競合も発生しうること、また全体の納期の兼ね合いやタスクの依存性を考えて、早くマージせざるを得ないという状況になりやすい。
簡単に言うと、向いている人の場合は「成果9:技術的負債1」程度で変更を加えていくのに対し、向いていない人は「成果7:技術的負債3」程度の変更が最初にコミットされ、この段階での技術的負債の割合を減らすためにコードレビューをじっくりしていく程の余裕が無い場合が多いということだ。もちろん、これはプロジェクトの内容に依存するということは言うまでもない。
そして、途中から入ってきた優秀な人材がコードを見て萎えるのである。「いや、僕もその辺のコードはあまり良くないとは思っているんだけど、事情があってね」なんてことを苦笑いしながら、説明とも言えない説明をすることになる。
向いていない人がプロジェクトで多くなってくると地獄である。本来、簡潔で完璧なコードを書ける人がコードレビューをする側へと回らざるを得ない状況になってしまうからである。本来、コードを書くことに専念した場合に、向いていない人と比べて10倍の生産性を発揮する人材が、数人の向いていない人を管理することに忙殺されてしまうのである。
もしかしたらあなたの周囲にはいないかもしれない「デキるプログラマー」に任せれば、あなたの仕事は一瞬でより美しく完成させられます。出来ない人は精神と肉体を擦り減らしながらプログラムを書いている傍ら、本当に出来る人たちは楽しみながら完璧なコードを仕上げていきます。
無理してそこで働く必要はあるか?向いていないのであれば、新しい仕事を探した方が身のためだ。特に、10年20年先のキャリアを考える上で、あなたの輝ける未来は今のレール上には無いのではないか。今は目の前の仕事に忙殺されているかもしれないが、これを機に考え直してほしい。
私は女だ。
その女である私に親戚の女は言った。
「結婚はいいものだよ、ひとりじゃないし。私も子供が嫌いだったけど産んだら可愛い。夫のお金も自由に使える。」
またその夫である男は言った。
「結婚しないでどうすんの、孤独死するの?老後ひとりで死ぬの?孫の顔を見せるのは親孝行だよ」
彼らには勿論守るべき家庭がある。子供がいる。
彼らの意見は私の人生を決定する上での一意見として聞いたものだ。これらの意見を踏まえ、また社会を観察するにおいてもやはり、私は結婚も出産もしたくないと思う。そして彼らの意見はあまりの価値観の違いに衝撃を受けるものだった。何故、何処が違うのかを記す。
ひとりじゃない。それにメリットはあるのだろうか?何時でも人がいる空間は、とてもつらい。気を遣う。一人で集中したいものと向き合うことが出来ない。別に私は人が嫌いなわけではないし、友人のことは大好きだ。だが、大好きだからっていつでも一緒にいたいか?と言えばそれは違う。互いの都合の良い気が向いたときベストなコンディションで楽しみたい。
②子供が嫌い
私は子供は好きだ。親戚の子供でも可愛いし、道行く子供たちも可愛らしいなと感じる。だが、自分の子供はどうだろうかと考えるととてもおぞましくなる。何故かはわかっている。私が、私自身と私の父と母のことを気持ち悪いと思っているからだ。仔細は省くが、両親は離婚している。父は浮気をした。母は私を殴り蹴り飛ばした。予定調和だ。崩壊する家庭なんてものもなかった。母は私のことを「私(母)の遺伝子を分けた人間」と言った。その通りだ。私は汚い父と汚い母の遺伝子のふたつたけで形成されている汚い人間だ。時たま人間でいられているのか不安になる。
こんな屈折した人間から産まれてくる子供は、かわいそうだ。きっとうまく愛せないのだ。そして幸せにしてやれないのだ。そう思う。何故両親は私を生み出す前に幸せにしてやれるのか考えられなかったのだろう。そして世の中にはそんな人々が多すぎる。子供は親の為に産まれてくるのではない。子供は子供の人生を生きる為に産まれてくるのだ。そう思いたい。彼らは幸せになる権利をもって産まれてくるのに。
生命の安全。虐待で亡くなる子供たちは、後を絶えない。私は子供を産んだことがないから、子供がいる孤独に苛まれる親達の気持ちは一生わからない。殴られた子供の視点でしかものを言えない。でも、本当に。命を産む前に、命を産むということを考えてほしいのだ。一人が誕生するということを考えてほしい。無理だと思ったら早々に投げ捨ててもいいと思う。だって、産まれるということは苦しい。楽しいこともあるけど、それでも悲しい。そして私は多分一生このままだ。親の影は消えない。こんな風になってしまう。子供はいつか大人になる。傷ついてひしゃげた大人になった子供にも責任がとれるのか考えてほしい。
教育。それはこの国で最も身近な未来への投資だろう。学さえあれば多くのことが出来る。しかしその学は金で買うものだ。そしてその多くが国民自身が賄わなくてはいけない。日本は教育に関する国の関心が低い。学費はいつまで経っても高いままで、勉強がしたくても親にお金が無ければ出来ない。いくら賢くても。だから親達は金を稼ぐ。子供の為に。私にはそれが呪いにしか感じられない。自分に使いたいお金を使えず、学費が馬鹿みたいに高い癖に学歴社会のこの国でそこそこの人生を歩むには学費を馬鹿みたいに払わなくちゃならない。少子化だのなんだのと騒いでいるが、結局子供を産むメリットを国が提示できていないのが原因ではないのか。教育はこの国の未来だ。だってこの国の未来は今産まれる生命が生きていくものなのだから。高齢化社会だなんだと高々5年10年先の問題ばかり見て、肝心の50年先100年先の国のことが見えてないのではないか。100年もすれば私だって死んでいる。でも、その頃に生きている子供たちがこんなくだらない、勉強を金で買わせられるなんて本当に馬鹿馬鹿しいことに苦しめられないでいてくれればいいと思う。
これに関しては気持ち悪いとしか言い様がなかった。私だったら自分の金を人に管理されるなんて真っ平御免だ。
④孤独死、老後
孤独死上等だよ。何なら身辺整理済ませて迷惑のかからないところで死んでやるわ。老後の世話だと全部それ家族にやらせる気なのか?どれだけ大変なことか…甘ったれているのか…。そもそもそれは子供を老後の労働力としてしか見なしていないから出てきた発言なのだろうか?私には理解できない。
まあともかくとしてだ。私の理想とする自分の老後の生活としては、トモダチコレクションがある。島の真ん中に、大きなマンションがあって、そこに友人や親しい人それぞれが一人で住んでいる。あれが一番いいなと思う。友人に会えるし、一人の時間はあるし。理想は老人ホームに世話になる前にさっぱりと死ぬことだが。安楽死を導入してほしいな。
⑤親孝行
私がまともな人間でまともに親に感謝していたら理解できたのかなあとも思うが全くわからない。申し訳ない。そもそも親孝行の為に産まれてくる子供が可愛そうだ。本当に子供のことを想って子供を産むことができた人たちはどれほどいるのだろう?数十年前は結婚しない女は気違い扱いされていたが。もちろん出産も含め。
長々と連ねた。彼らの意見を聞いたのは高々数秒だったが、それだけのことにこれだけ論ずることができるのは中々におかしなことだな、と思う。結局、結婚も出産もしたくはない。自分の為に生きて、家族の為だけに限定された生き方ではなく、もっと多くの誰かの為に生きたいのだと考えた。
もう誰からも相手にされてないような気がするけど続けるよ!
自分がダイエットに挫けそうになった時、勇気づけてくれた言葉を書いていくよ!
どちらも幸福感を伴うから、頭がそれを再び欲しがろうとするよ。
逆を返せば、この中毒症状から抜け出すことができればダイエットは簡単ってことだよ。
ただ幸福感を我慢することは辛いよ!
だったら、ダイエットに効果的な幸福感の中毒症状になるのがいいよ!
満腹にならなかったときの幸福感は、主に食後の胃の軽さ。眠りの深さ、翌朝の目覚めの良さ。当然食べてしまったことの罪悪感のなさ、達成感もあるよ!
食べたものを消化するエネルギーを、人は食べて補おうとするよ。
つまり食べ過ぎは次の食べ過ぎの原因になるってことだよ。
1度の食べ過ぎによる影響は、1度ではすまないってことなんだ。
こわいね!食べ過ぎ!
ダイエットをする上での朝ごはんは、その日の活力につながる1番大切な食事だよ。
つまり1番しっかり食べていい食事ってことだよ!
それはきっと今までに味わったことのないドキドキだよ!
食べて感じられる幸せを失うことが恐いというのは、単なるまやかしでしかないよ。
それよりも、なりたい自分になれたときのほうが沢山の幸せがあるのはわかりきったことだよね!
人間は変化を恐れるように作られているだけなんだ。
逆を返せば、変わってしまえば今度はそこからの変化を恐れるってことでもあるのだから、もう変わるしかないね!
意識が低いから、低いなりにできることを探してきただけなんだ。
全く辛くないといえば嘘だけど、すごく頑張って辛いことを乗り越えた記憶もないよ!
ひとつ上と同じことだね。僕も沢山休んだよ。
でも達成するまで続けたよ。
それを続けられたのは、辛いことをしなかったからだよ。
頑張りはゴールしたらやめちゃうけど、変化にはゴールがないんだ。
つまりそういうことだよ!
痩せる薬もドリンクもないってこの前は書いたけど、本当はあるかも知れないね。
でも、それを使って痩せても、環境や習慣が変わってなければまた元に戻ってしまうってことなんだ。
そこからまた痩せるには、結局その裏ワザに頼り続けなくてはいけないよね。
裏ワザはあるかもしれない。でもそれで得たものには意味が無いかもしれないね!
ゴールってなんだろう。何のために痩せたいんだろう。
目的を満たしたらまた太ってもいいのかな。
痩せること、もしくは痩せることで得たいものがゴールだと、そこで終わってしまってまたもとに戻ってしまうかもしれないね。
しいて言えば、変わることこそがゴールだよね!
ただ、一つ言えることは、環境が悪いとわかっているのに環境を変えようとしないことは悪だ。
そこに気づくことができたのだから、あとは立ち上がるだけだよね!
人に何を言われても関係ないんだ。
自分しか自分を変えることはできないし、自分の頑張りを1番知っているのも自分だよね!
だから人のことなんて気にしないで、自分が頑張ったら自分がほめてあげればいいんだ。
それこそが長続きする秘訣だよね!
僕がいつも思うのは、人はいつもベストを尽くしているってことなんだ。
さぼったりうまくやる気を発揮できなかったりするときもあるよね。
何がいいたいのかというと、みんないつも最大限がんばっているということ。
それともう一つ、もうそれ以上頑張ることはできないということ。
それならそれ以上の結果を得るにはどうしたらいいと思う?
簡単だね!やり方を変えればいいだけだね!
今を悔やんでも何も変わらないよ。
自分より幸せな人間と比べたって、自分が不幸になるだけだよね。
それから成功した後に得られる幸せをしっかりとイメージするんだ。
なぜなら、人は与えられたものでは幸せになることがとてもむずかしいからなんだ。
きっと、今これを読んでダイエットしたいと思っている人は、自分の意思で太ってしまったわけではないと思うんだ。
なぜなら自分の意思で太ったのであれば、太ることが幸福でありダイエットしたいなんて思わないはずだからね。
ブサメンのゴールは、『性欲の衰える40歳までに性犯罪を起こさず、素人童貞を貫く』ことだと思う。
よく、中年の居ない歴が馬鹿にされているが、俺にとってはアレは「勝ち」だ。
コスプレイヤーのカメコの50代、60代のおっさんがいるが、あの人達は、「到達した」人だと思う。
そこに使ったお金が、18~40歳までで、150万(月1万くらい)までなら、大勝だと思う。
これがいかに適切で、難易度も適切に高いゴール設定かと考える。
たとえば、いま40歳の中年童貞は、20年前の1990年代に、何を得られたか。
当然、ブサメン設定だぞ。
彼女はいなかっただろう。AVもイマイチ。パソコンもまだまだ微妙で、セイゼイにちゃんねるで暴れるくらいか。
が、2000年代から、そいつらは急に楽になる。AVも質が上がった、エロゲーもいい感じ、同人誌もクオリティーがあがる、オナホールはマンコを超えた。
ドンドン、楽になり、ゲームなんかにかけるお金も減り、ネットのおかげで暇つぶしも楽勝になった。
つまり、耐えれば耐えるほど、エロに関してはブサメン有利になっていく。
今目の前の恋愛だの、彼女だの、愛人契約だのに飛びつくのはやめよう。それらは、もっと上位互換になって次の時代に安価に手に入るかもしれないし、そもそもブサメンには背伸びしすぎなわけだ。
今でも童貞サポートは結構あるが、マダマダ風俗に行ったりということもあるだろう。
風俗は高い。ソープなら15kくらいか。高いと30kとかだ。ヘルスなら10k、ピンサロなら5kか。とてもじゃないが、18~40までの12年を150万では抑えられないだろう。
これらの誘惑を拒否しきるのはマダマダ難しい。
エロゲーやxvideosの使い方も工夫しなければ完全に性欲を自己完結させるのは難しいだろう。
まずもって、ツイッターやブログ、匿名系のsnsは必須だと思う。人寂しさを晴らす場所が絶対的にブサメンには必要。じゃないと頭おかしくなる。
次に、オナホール、エロゲー、同人、エロ漫画、xvideosは必須。これらをうまくまわす技術で、「普段のオナニー」のレベルが決まる、普段のオナニーが充実しなければ風俗に金が流れてしまう。
これらを見につけたその上での話しだが。
最初は、風俗で月2万くらいならいいと思う。オナホールとローションで5k、エロゲーで10kくらいは仕方ないと思う。学生ならバイトしよう。
あるいはガールズバーなどに行ってアンマリ解消できないとか、JKカフェみたいな危ない場所に行ったり、あるいは出会いカフェなんかで3万とか痛い目をみたりするだろう。
これらは、金持ちのオッサンや頭の足りないサラリーマンが行く場所であって、ましてやブサメンが行く場所ではないw素直に、ピンサロやソープに行け。
こういう失敗を繰り返して、エロゲーやオナホール、xvideosを安定させていくってのが、20代の課題だと思う。
まだおれ自身が20代なので言い切れないが、知り合いのアラフォーのモテ無いおっさん友達(競艇や麻雀、将棋で知り合いになったやつら)を見ると、ど~も30代で散財しだす。
使えるだけ金を使ってしまうパターンが多い。それも、クッソくだらないんだけど、出会い系とか、ガールズバーとかだよ。そんなやれもしないものに、なけなしの金使うってビックリするんだけど。
東大卒とか、慶応卒とか、高学歴のおっさんでもそんな感じ。貧すれば鈍するってやつか?
俺は、このパターンが怖い。無理に性欲ってか、性愛っていうのかな、人とのつながりを拒否するってのは、多分人間的におかしい。
おかしいものを成立させようとすると、このパターンが相当来るんだろう。
あるいは、エロゲーに飽きるとか、あるいは、オナホールでいけないとかか??
だからこそ、アラフォーの素人童貞がうらやましいと思うんだよ。
30代の戦略はできないが、ミスしないように、「こうなるぞ」っていうパターンを知っておくのが大切だと思う。
未来は、今よりよくなる。
ラブドール、3Dメガネ、あるいは激安の移民風俗、3Dプリンター、整形技術の進歩と安価化(美人の価値が落ちる)、性欲を抑える薬。
こいつらに俺は期待してる。
現在は、オナホールは毎月毎月新しい商品、アイディアがでてすばらしい。
40歳まで性欲を自己完結させるメソッドの研究グループ、作れないかな。
そういうSNS作ったら、人集まるかなあ。
5回観ているうちに考えがまとまってきたので、自分なりにこの映画が描いたことや「M@STERPIECE」とは何だったのかってのをまとめてみたいと思います。
あ、でもネタバレ全開なので観ていない人は今すぐ閉じて下さい。
まず、この映画は「M@STERPIECE」で全てが収束されるように作られています。
春香さんの葛藤も、可奈の後悔も志保との衝突も、あらゆる「今」が最後には「M@STERPIECE」という曲へ繋がるようになっています。
ところで「M@STERPIECE」とはどんな意味でしょうか。
MASTERとPIECEに分けて直訳すると「主な部品」とかになってしまうのですが、
「M@STERPIECE」の場合は「必要不可欠な部品」といった感じの意味で使われているように思います。
では「何が」必要不可欠なんでしょうか。
何が「M@STERPIECE」なんでしょうか。
その最初のヒントというか伏線は「輝きの向こう側へ」というタイトルから始まっています。
プロデューサーがハリウッドへ行くことを皆に明かした後、春香さんとプロデューサーの2人の会話で、プロデューサーが春香へ言います。
「未来は今の延長だ。
だからこそ、今を大切に。悔いの無いように」
このプロデューサーの言葉は春香さんの心へ深く刺さったらしく、
この言葉が初めてリーダーを務めることになった春香さんの大きな心の支えとなります。
まずプロデューサーがハイウッドへ行くことになり、みんなが落ち込んでいる中、プロデューサーの言葉を思い出して春香さんはみんなを立ち直します
「プロデューサーさんが安心してハリウッドへ行けるように、絶対ライブを成功させよう!」
しかし、春香さんの思いとは裏腹に本当にライブが成功できるのかどうか暗雲が立ち込めます。
合宿後のミニライブでバックダンサーを務める7人がミスを連発。週刊誌にまで叩かれてしまう。
それが原因でバックダンサーは志保と可奈を中心にギスギスしてしまい、可奈に至ってはそれを堺にレッスンへ来なくなってしまいます。
リーダーの春香さんは可奈が戻ってくる可能性を信じて待ち続けますが、現実問題として時間はどんどん無くなっていきます。
「待つっていつまで待てばいいんですか!?」
「結論なんてほぼ出てるじゃないですか!」
志保からすればリーダーとしてあまりにも仕事をしない春香さんに怒りをぶつけます。
確かに春香さん、ここまであまりリーダーらしいことをしていません。
待つだけではなく、今度は可奈へ電話でコンタクトを取ろうとメールを送ります(メール自体は既に何度か送っているみたいだけど「電話下さい」ってのはたぶん初めて)。
そして可奈から電話がかかってきます。春香さんは一生懸命可奈を説得します。
この説得シーンは春香さんの懸命振りはもちろん、映画的にも尺をたっぷり取っているということもあり「これでダメならもうダメだろう」ってくらい説得します。
でも失敗します。
おそらく、このシーンが一番「雨音」が大きかったように思います。
説得に失敗して春香さんが相当落ち込んでいるだろうということは想像に難しくないですが、
雨音が大きくなりながら春香さんはプロデューサーの言葉を思い出します。
「今を、大切に…」
このシーンではセリフはそこで終わっていますが「悔いのないように」と続いていたことでしょう。
次の日、春香さんは可奈と直接会って話すことを決意します。それをみんなに話し協力を仰ぎます。
今を大切に、悔いのないようにするためには可奈の気持ちを絶対に確かめないといけない、そう決意したんでしょう。
その結果、可奈を見付けることに成功し、可奈の気持ちを確かめるためにみんなで準備中のアリーナへ向かいます。
「一番後ろの人も、ちゃーんと見えてるからねー」
ところが、春香さんは可奈の気持ちを確かめるよりも前に、準備中のガラガラのアリーナのステージ上でそう言い、
どんなステージでも一番後ろのお客さんまで意識しているということ。
でも本当は不安や恐怖を抱えてステージに立っているということ。
そんな自分を支えているのはみんなのお陰だということ。
みんなが居なければこの場所には立つことは出来なかっただろうということ。
「みんな」の名前を1人ずつ言い、そして可奈もその1人だということ。
誰か一人でも欠けていたらそれは叶わなかっただろうということ。
「私は『今』って、これまでの全部で出来ていると思うんだ」
これまでの出会いがあったからこそ今、春香さんはこの場所に立つことができているんです。
つまり、春香さんにとって必要不可欠なもの、それは『出会い』であるというわけです。
『出会い』こそが春香さんにとってのM@STERPIECEだったわけです。
そんな春香さんの覚悟に圧倒され可奈も本当の気持ちを曝け出し一件落着。志保も春香さんの覚悟に圧倒されてしまいます。
その後の土手のシーンでは、土手から見える景色をライブに例え、「向こう側には何が見えるだろうね…」とこれまた未来を暗示するようなシーンが挟まれます。
いよいよライブかーってね。
この「M@STERPIECE」、5分33秒と少々長めなのですがそれをフルサイズで動画にしているというだけあって気合十分の出来栄えでそれだけ泣けてくるのですが、
作詞を担当したyuraさんも映画の内容を汲みとった上で作詞されたというので、流石の一言です。
ずっと一日ずつ繋げよう
夢は自分を叶えるために
生まれた証だから
きっとこの心で
私のM@STERPIECE
明日は追いかけるモノじゃなく
今へと変えていくモノ
それが自分になる
私がM@STERPIECE
春香さんの場合は「出会い」がM@STERPIECEだったわけですが、「考え方は人それぞれでいいと思う」という春香さんの言葉の通り、
みんなそれぞれに「M@STERPIECE」があるんじゃないでしょうか。
それぞれの「M@STERPIECE」が今を作り、今が未来となっていく。
少し前に悲しいことがあって、まあ他の人には「たかがそれぐらいで」と思われることなんだけど、当の本人としては自殺を考えるぐらい辛かった。
とはいえまあこうして(増田だけど)適当に文章書いている時点でそれはなくて、ってのも生命の危機に立たされたからなのかはわからないけど色々自己啓発的な情報に触れてみた。大体は共通した事柄だったなあと思う。多分その道の認識しとしては途中段階で中途半端かもしれないけど思ったことをなんとなく留めておく。まとまってはいないチラ裏程度なので悪しからず。
1つ目はまあ分かる人はわかると思うけど引き寄せの法則的な本を読んで、理にかなっている?と思った。実体験から言えば確かに悪いことを想像しているとその通りとなってしまったってのがそう。最初の文の「悲しいこと」ってのはまさにそれなんだけど、きっかけがあってこの事を知れて良くも悪くも良かったと思う。
2つ目はまあ引き寄せの法則と付随してってのもあるけど、潜在意識がどうたらこうたら。これは潜在意識ってのを知る前からなんとなく感じてたけど、最初に思ったことが大体うまく行く感じはあるし、ちょっと迷ったとしても結局最初に考えた結論・行動になってるなーと思った。ドラクエの作戦はマジでこれ。ないけど。
3つ目は、そんなこんなでいろいろと端折るけど、まあいま話題の「じゃあいつやるか、今でしょ!?」ってやつ。CMで流れる前に本とか読んで感じたけどそうだなーと思った。ネタっぽいけど本人としてはもちろん本気だと思うし、今思った行動ってのは未来で思った時の行動ってことなんだなあと。何を言ってるかわからねーと思うが、個人的には自分はジョジョが好きなんだけど「明日って今さ!」と「ブッ殺すと思ったのなら!その時「スデ」に行動は終わっているんだッ!」ってのがまさにそのとおりだと思う。わかりにくい。すみません。
4つ目は完全に持論だけど、これぐらいでいいや、って思ったポイントより過ぎた位置のほうがうまくいくなーと思うことが多い。状況(程度)にもよるけど、例を挙げると人に何かを伝える場合、そこまで必要かな・・・って思うぐらいじゃないと案外伝わらない。とはいえこれは結構難しいし、多分自分もなかなかできてないと思う。
ちょうど3年前、私が23歳だった時、その考え方から脱した。22歳の時、まさにそんな風に閉塞感を感じていた。
自分が女であることをひどく不利に感じ、男はずるいとしゃにむになって無理をして体を壊して、でも意地を張ってそのくせ恋人に結婚をにおわされれば結婚のことを考えていた。そして自由じゃない、何もできない、手足がもがれたようだとわめいていた。そういう時期も必要なんだと思う。
でも、遠い未来のことを考えていても選択肢が多い分女の人生というのは不確定だ。見れば見るほどわからなくなる。考えれば考えるほど定まらなくなる。そしてそれは本当に考える価値のあることなのだろうか?私はそう思った。考えていて、それで何か変わるだろうか、と。とにかく今できることもせずに遠い未来のことを考えて、あれもできないこれもできない、といって何も積み上げていない自分は何なのだろうかと自分を見つめなおして恥ずかしくなった。私には何もなかった。何かできると胸を張って言えることが何一つとしてあげられなかった。遠い未来は今、自分がやらなくてはならないことをやらないいいわけだったと自分で認めるしかなかった。認めることができた。
実際のところ、見るのは三年先でいい。あなたは経営者ではないのだから、自分の人生を考える上では三年先を見ていればいい。今日のことだけ考えているのではやっぱり頼りないけれど、5年、10年先を考えるのは経営者の仕事だ。私たちはそうではない。いずれそうなるにしてもまだ20代なのだから、今はきっちりと足元を固め、3年先の目に見える範囲で希望を持って考えられる範囲で、将来を考えていればいい。私は三年前にそう思って、そして閉塞感を見ないようにしてやるべきことをやってきた。そして今、ようやくたどり着いた場所であの閉塞感はなんだったんだろうという気持ちになっている。
子どもを産んでも、一年休暇を取っても、元の職場に戻ってきて同じように仕事をしている人はいる。家事はちょっと苦手とか言いながら、でも理解のある旦那さんと家庭を営んでいる人がいる。以前と同じかそれ以上の業績をあげるひとがいる。周りの人も育児に関して非協力的ではなく、子供が風邪をひいたと聞いたら心配してくれるひとがいて、早く帰れと言う上司がいる。子供が生まれたと聞いたらどんなに忙しくても仕事を調整して早く帰らせたりする。それが男女かかわりなく行われている。そういう職場に出会うことができた。私がやったのはただ、自分のできることをやって専門知識を一つ一つ確実なものにしていっただけなのに、そういう世界があった。私は三年先のことしか考えてなかったのに、いつの間にかそういう世界を選んでいた。
電車は混んでいるかもしれない。ホームからなかなか電車には乗れないかもしれない。一度降りたら最後尾かもしれない。でも、ただ黙って並んでいることだけが人生ではない。並んでいなくてもそこにいる人たちに弁当を配れば先にのせてくれる人がいるかもしれない。ただ黙って看板を張り替えていれば、次の駅でもやってくれと言われて電車に乗せてもらえるかもしれない(その代り次の駅で降ろされるけれども、でもやることはある)。死にそうな顔をしてうずくまっていれば代わりにのせてくれる人もいるかもしれない。いや、そもそも満員電車の中で、みんな同じ顔をして思いつめて吊革につかまっているだろうか。立っている人の中には誰かからのメールに微笑んでいる人もいるかもしれないし、途中駅で降りるためにそわそわしている人もいるかもしれないし、本を読んで涙ぐんでいる人もいるかもしれない。誰もが終着駅まで行きたがっているわけではない。誰もが終着駅のことを考えているわけではない。
あなたがすべきことは、今自分がやるべきことはないかを考えて、できる限りの最善を尽くして、そうやって一生懸命生きていくことだ。それが三年後につながる。さらにその三年後はまた道に迷っているかもしれない。寒いホームに佇んでいるかもしれない。あるいは特急列車に乗り換えて悠々ともっと先まで行っているかもしれない。それは誰にもわからない。でも、そんなに怖いことではない。
三年前の自分を見ているようでつい書いてしまった。余計なおせっかいだったらバカもいるもんだと笑ってください。あなたが毎日が楽しいと言えるように祈っています。