はてなキーワード: 文化の日とは
こないだツイッターで聖☆お兄さんが受け付けられないという投稿を読んだ。自分は楽しく見られる作品だけど、まじめに信仰する人からすれば、侮辱に値するように映ったんだろう。
昔の作品だけど、3X3 EYESが好きだった。(特に線が太い最初期)
あれもヒンドゥー教とか神話をモチーフにしたエピソードがあるし、別の作家だけど孔雀王はモロに密教色が濃い。(高野山高校へ進学した先輩が「裏高野なんてない!」と怒ってたなぁ)
BASTERD!!では天使と悪魔のところが好きだ。天使と悪魔に階級があるなんて知ったのはこの作品である。天使禁猟区で知った人もいるだろう。
日本って凄いよね。創作に宗教のエッセンスを取り入れられるなんて。あ、アメコミにマイティーソーあるけど、あれ北欧神話だっけ?
性に関する議論よりかなり少ないのは、日本人は無宗教派が多いからだろうか。もともと何でもアリな寛容な文化性なのか。
ネットによってマイノリティの声はどんどん届けられるようになった。思いもよらない事がハラスメントだと気付かされたり、「ハラスメントだ!」自体が逆説的にハラスメントに転じるのも見受けられる。
今日、飼い犬の老犬が死んだ。
炎天下の中で水を求めて、苦しみながら死んだ。
安楽死させてやればよかったのだ。
犬は三半規管を悪くして自力で起き上がれず、半年くらい寝たきりのオムツ生活だった。
水、エサも自力で口にできない。
水を注射器で吸い上げ、口元にもっていく。それを1日に数回しなければならなかった。
オムツは気持ち悪いのか、つけようとすると手足をバタバタさせて嫌がった。
でも、オムツをしないとコンクリートの上に糞尿がぶちまけられて掃除に1時間以上かかる。
嫌がる犬をなだめてオムツをつける。
オムツをしていても、大便はいつのまにかオムツの外にもれている。
暖かくなると犬にもハエが飛び回った。
世話をしに行くと、ハエ数匹がいっせいに飛び立っていった。
自分は虫が苦手なのでこれはこたえた。
さらに夏が近づくと、皮膚に卵を産み付けたハエの卵が孵化してウジになるだろう。
それをピンセットでひとつひとつ除去していくのだ、とどこかのブログに書いてあった。
老化による吠え声も、家族を苦しめた。
中型犬なので、吠え声も大きく、苦しいのか甲高い声で吠えまくる。
夜鳴きもひどかった。
水をやっても、オムツをかえても、目が回って苦しいのだろう。
苦しいし、寂しいのだ、と犬好きの友達が言っていた。
そばにいて頭でもなでてやればいいのだろうが、1日中つきっきりで介護できる者はいなかった。
犬が鳴いていなくても犬の鳴き声がする。幻聴だった。
目が覚めると犬が吠えている。
仕事を中断して、料理を中断して、食事を中断して、犬の世話をしなければならなかった。
寝不足状態だと、攻撃的になるし、頭は働かないし、食欲もなくなり、IQが2くらいになるので本当によくない。
介護殺人、乳児殺しが起こるメカニズムが手に取るようにわかってしまう。
他者をケアする能力がない者は、はやく介護現場、育児現場から逃げ出してほしい。
母は昔に病気をして痩せているので、中型犬でそこそこ大きい犬の世話をするのも一苦労のようだった。
夜中に吠えまくるので、寝不足で仕事に行かなければならなかった。
もう世話をするのが限界だった。母も私も。
母や私の介護も限界で、犬も生きているのが苦しそうで見ていてつらかった。
しかし、安楽死反対派の父親に安楽死を何度も打診したが、すべて無視をされた。
父は、自分が死ぬことや、自分の知っている命が死ぬのが怖いのである。
家を出る覚悟もした。
しかし、ツイッターでデスハラスメントがバズっていて、自分は死の押し付けをしているのかもしれない、と思い直した。
「勝手に犬を安楽死させたら、自分のお気持ちゴリ押し主張マンの父親と同じ土俵に立つことになる」
「どれだけ劣悪な環境でも犬に生きる権利はあるかもしれないし、獣医に殺生の罪をかぶせるかもしれないし、死の押し付けでデスハラスメントになるかもしれない」
「けど、父親の介護はお粗末だし、劣悪な環境で苦しんで死んでいくことが予想されるぞ」
そんなことをツイッターに書いた。
脱水状態は、死ぬ時は頭の中がボーっとして気持ちよく死ねるというデータもあるけど、自分には楽に死んだようには見えなかった。
これは、看取る側の意見だ。
看取られる側も、同じ意見だろう。
しかし、犬は苦しんで死んだように見えた。
吠えないように口輪の上からヒモグルグル、ヒモがこすれて赤い肉が見えて、ハエの卵をビッシリ生みつけられハエ数十匹ブンブンの中で、苦しんで泡を吐き、脱水で死んだ。
ずっと苦しんでいた。
水をやっても、エサをやっても、動かない不自由な体に苦しんでいた。
苦しみを除去するために、安楽死があるのに。
適切にそれを使えなかったのだ。
死っていうのは綺麗なもんじゃない。
綺麗にパッケージされた死ばかり見せられてるけど、死んだらみんなハエブンブンなんだよな。
死ぬっていうのは本来、こういう残酷で惨めで惨たらしいものなんだろう。
そして、死には必ず苦しみが伴う。
でも、もっと苦痛を取り除いてやれる方法があったのではないか?
父のやり方は、苦痛に目を向けず、息さえしていればいいという感じだった。
後悔している。安楽死で楽にさせてやれなかったことを、後悔している。
命日の2日前でも安楽死させてやればよかった。
でも、父も母も積極的安楽死反対派であり、父に関してはどんな惨めたらしい姿でも生かしておきたいようだった。
家族の意見を押し切り、自分が勝手に安楽死させる罪までかぶれなかった。
犬は話せるわけではないので、犬の意見も聞けない。
でも、人間だってこんな状態になったら生きていたくないはずだ。
今日は例によって睡眠リズムが狂っていて、目覚めたら15時だった。
暑い。喉がかわいている。ペットボトルの水を乱暴に口に流し込む。
犬に注射器で水をやらなければいけない。
ベッドから起き上がれなかった。
犬に水をやりにいかなきゃいけないし、オムツも替えなきゃいけない。
でもハエブンブンの中で介護することで、その日の1日が最悪な感じで終了するのだった。
眠れなくなる、病む、自傷行為に走る、安楽死安楽死安楽死。昨日は安楽死について6時間くらいネットで調べていた。
自分のお気持ちを防衛しなきゃ、体が動かないな。動きたくない。
日記にそう書いてあった。
水をあげたらよかった、という気持ちと、水をやらずに死ねてよかったのだ、という気持ちが交互に襲ってくる。
犬が死んでしまった虚無感と、
7月に入る前に、卵が孵化しウジに変わる前に死ねてよかったのだ、という安心感と、
やっぱり安楽死させてやればよかったな、という後悔と、
もう世話をしなくていいのだ、という解放感と、
安楽死が適用される犬にも安楽死を施しにくい遅れた文化への絶望感と、
犬が死んでもなお、自分の死や家族の死について向き合わなければいけないしんどさと、
色んな負の感情がないまぜになっている。
何が正解だったのか、わからない。
これは、答えを出す作業ではない。
犬、苦しかっただろうな。
ごめんな。
文章にしてみてハッキリわかったのだが、これは、犬の介護の問題だけではない。
自分ひとりで犬を飼っていたら、お別れを言って楽に旅立たせてあげられていたのだ。
自分が無力で、決定権が父親にあり、逆らえないがゆえに犬は苦しんで死んだ。
母は「どうしたらよかったのか、家族で話し合いたい」と言っていたが、父は貝になったままだんまりを決め込んでいる。
犬の死に顔が頭に浮かんできてキツい。
当分、寝れずに悪夢をみるんだろうな。
口ヒモグルグル、歯を食いしばって、目は濁っていて空洞の穴ぼこみたいだった。
体はまだ暖かかったが、蝋人形のように手足が硬直していた。
動いていた犬が、動かない時のあの心臓が冷えたような感じを、忘れられないだろう。
コンクリートの糞尿の掃除をしていると、父が会社から帰ってきた。
「お父さんが世話するから」
いや、もう生きてないんだよ。
犬が死んで悲しい気持ちが100点、父への憎しみ1万点、安楽死が後進国文化の日本への怒り10億点、無力な自分への虚無感100億点ってかんじだ。
わー!
今日はめちゃくちゃ忙しいわっ
お出かけしなくっちゃいけないし。
洗濯物はたまってるし、
それはなんとか解消したいものね。
早く洗濯物終わって干して行きたいわ。
でもこういうときは焦らず
文化の日だというのに
うかうか遅くまで寝てもられないわっ。
よく分からないけど、
とりあえず焦りは禁物モッキンバードよ。
いい文化の日になるといいわね。
ってここにインテリジェンスのすべてを込めてお送りしてみたわ。
うふふ。
家事をやっつけじゃって
旅支度をして。
出かけるわ。
お茶っ葉処理面倒くさいけど。
でわでわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
素敵なすいようびを。
今日、5月1日が祝日になると、祝日法により、4月30日と5月2日もセットで祝日になる。だからさー5月1日を祝日にしようよ、ねえ。
5月1日というと、メーデーだから祝日にしても良さそうだけど、左翼色が強すぎるから、嫌がる人も多いとか。だったら、提案なんだけど、11月3日を明治の日にしよう、って動きがあるみたいだから、元々の11月3日の祝日である文化の日を5月1日に移すってのはどうよ。
4月29日を昭和の日に変更したときだって、元々あったみどりの日を5月4日に移したって、前例もあるからさ。5月1日が文化とどう関係があるのか俺は知らんが、適当にこじつけて閣議決定すればOKだろ。どうせ山の日が8月11日になってるもっともらしい理由を説明できるやつなんて、いやしないんだから、適当な理由でいいんだよ。ハッピーマンデー法で祝日の意義も薄らいでるんだし。
保守派のみなさんは、文化の日を潰すな!って批判をかわせて明治の日が制定しやすくやるし、左翼のみなさんはメーデーが休みになることで活動がしやすくなるし、俺らは休みが一気に3日も増えるし、全く隙がない。素晴らしい。
今日11月3日は文化の日。そんな仰々しい名前の日を休日にまでしているのだ、今日くらいは文化的なものに触れねばならぬと思い立ち、カリビアンコムという非常に文化的で洗練されたwebサイトに足を運び、周囲の時間を止めて本当に時が止まっているのかを他の人に触れることで検証するという非常に文化的で貴重な映像を見ることにした。しかし、その非常に文化的なwebサイトを巡っている辺りで何かがおかしかった。画面には文化的なバナー広告やパッケージが所狭しと言わんばかりに自己主張してくるにも関わらず、私の一物はパンツの中では所狭しと自己主張する気配が一切無かった。
異変に気づいてはいたが、それに見て見ぬふりをしながら文化的な映像を入手。ヘッドホンにティッシュペーパーを用意し、さあ準備万端、文化的な活動に精を出してやらんとモニターに向かい合って再生ボタンを押してみるが、やはりおかしい。その映像を何十分も見続けても、核心部分の時間が止まっていることを利用しながら少子化対策活動を行う貴重なシーンを目にしているときも、我が一物の文化的活動は始まるどころかうんともすんとも言わない。一体どうしたのだ。もしかして画面の向こうと同じく、こっちも時間が止まっているのだろうか。いや、そんな訳はない。
嫌な汗が脇にじんわりと湧き出てくる。最後まで見ても、ピクリともしない。なんてことだ。チンチンが、勃たなくなってしまった。
慌ててこれまでコツコツとためてきた文化財コレクションを漁って目を通してみたが、縮こまって萎れたまま、一切動くことはなかった。いつだってそうだ。人は失ってから初めてその大切さに気づく。どんなに強く握りしめてもピクリともせず、その温もりすら感じられない。一筋の涙が頬をつたい、凍てつくような部屋の隙間風が、涙の跡と丸出しの下半身に染み渡る。
ここ数年、パートナーと呼べる女性もいなかったために遊び相手もおらず、我が愚息は誰とも会うこと無く擦り切れたパンツの中に引きこもりっきり。そして私も仕事にかかりっきりで彼に構ってあげる時間もなく、引きこもりは更に加速。お元気ですか?お変わりありませんか?と市の福祉課職員のような週に1度の見守り&地域活性化活動も時間がないために段々と間隔が空いてしまい、ここ数ヶ月ほど目を離していた結果のこれである。実質、孤独死だ。
こんなのあんまりだ。まだ30になったばかりなのに。この世を去るには若すぎるだろう。これからまだまだ楽しいことがあっただろうに…。仕事には意欲を持って取り組めているし、たまの休みはゲームをしながら楽しんでいる。チンチンが勃たなくなって全てが楽しくなったわけでもないし、そうなることもないだろう。でも、高校時代に青春を謳歌できなかったという心残りに加えて、性生活も楽しめなくなるのだ。他の同世代の男女たちが楽しんでいること、人間が長きに渡って楽しんできたことの1つはもうずっと味わえないのだろうなと思うと、残念で無念でたまらない。