はてなキーワード: 後追い自殺とは
母が好きすぎて母が死んだら後追い自殺しようと思ってたんだけど
死んだらきっと天国の母が悲しむと思い、母が心配しないように+自分が自殺しないように結婚することにした(※母はまだまだ元気です)
婚活して出会ったのが、顔よし収入良しのいわゆるハイスペだがマザコンで避けられていることが分かる男だった
自分を棚に上げまくってマザコンキモいな…と思ってしまったのだけど
「この人なら私の気持ちをわかってくれるし、私もわかってあげられるのでは?」と考えた
その思惑は当たり、お互いにお互いの親をとても大切にするようになった
「お母さんに喜んでほしい」という気持ちが分かるので、私は夫からお義母さんの好みやされたら嬉しいこと、かけられて嬉しい言葉、地雷などを聞き完璧にマスターし、お義母さんを幸せな気持ちにするよう心がけ完璧な嫁を演じた
夫も全く同じようにしてくれた
どっちの母も孫が見たいなど口にするタイプではなかったけど、産んだら可愛がるだろうと思い+私も夫も子供が嫌いではなかったので子供を産んだ
子供はすごい
母もお義母さんもこんなに喜んだの見たことないってくらい幸せそうな顔をいつもしている
その姿を見て私も夫も幸せになっている
マザコンということを除けば私も夫もそこそこまともな大人で、なんとしてでも子供に不自由させないという意思があるので
母たちだけではなくもちろん父たちも、みんな仲良しで私たち2人が結婚してよかったと言ってくれている
自分も自分がこんなに幸せな状況になると思ってなかったのでかなり驚いている
ちなみに夫とは恋愛的な感じは薄いけど、母を愛しお互いの母が亡くなった時は必ずお互い寄り添い励まし合うと決めている心強い仲間、話が合う親友、何より子供を幸せにするため頑張る相棒のような唯一無二の存在である
小動物を飼ってた。
まあ寿命通りだった。
今まで命の大切さってなんだよとか思ってたけど、その子は自分より親より友達より大事だった。1年半ペットロスに苦しんで涙が止まらなくて不眠症が悪化した。
先日、通りがかった露店?で死んだ動物の気持ちを占いますっていうのを見つけた。あの子はすごい苦しんで死んで、私は徹夜で看病してたからもう楽にしてくれって言った瞬間に死んで、絶対恨んでると思ったから占い師の人にあの子は私を恨んでますかって聞いた。
答えは恨んではないけど貴方のことは普通に嫌い。今は上の仲間と仲良くやってるだった。
嫌いだって。
もうさ、どうすればいいのかわかんなくなっちゃった。あの子の穴が埋まらなくてめちゃくちゃ動物飼って家が動物園。みんな懐いてくれてるのにあの子じゃないとダメなの。でも嫌いだって。どこがダメなのかな、ダメなとこ直すから嫌いなんて言わないでよ。どうすればいいのわかんないよ。
私があげたものはなんでも大切に遊んでくれてなんでも美味しく食べてくれた。写真写りがめちゃくちゃ良くて、人嫌いでめちゃくちゃ噛まれた。でも好きだった。大好きだった。はじめて他の存在を信頼した。なのにあの子すら信用出来なくなったら誰を信じればいいの。
他の動物と仲良くしてるなんてさ、ペットショップからお迎えした私が悪者じゃん。
後追い自殺を考えてたけど死ぬ理由がなくなった。生きる理由も無くなったから消えたい。
最近あの子が夢に出てくるんだ。別に何を言うわけでもないんだけど。それも占い師さんに聞いたら「昔みたいな本当の自分に戻って欲しいからですよ」って言われた。本当の自分ってなんだよ。私はお前に出会ってお前を好きになったから今自殺未遂もしないようになって明るくなって周りに愛されて生きてるんだよ。お前に出会う前みたいなクソ隠キャに戻りたくなんかねえよ。私はお前のために生きてたんだよ。
今も涙が止まらない。めちゃくちゃ吐いてる。私とあの子の2年ってなんだったの。無駄だったなら死にたいんだけど死後の世界にあの子がいるなら死ねない。消えたい。生まれなければよかった。
その私が「なぜ芸能人の自殺を報道してはいけないか」を語ってみる。
自殺を考えたこともない友人は「芸能人のように輝いている人が自殺するなんて、輝いてない自分はもっとだめじゃん…って思うから後追い自殺するんじゃない?」と言っていて、私は違うなと思った。
自殺を考えておきながら、自殺できない時間があるのは、死ぬのが怖いからだ。単純に。
じゃあなんで自殺するんだ?怖いのに?と思うかもしれないが、私の場合「あ、今ならできるな」という瞬間というか、タイミングがあって、勢いでやってしまったのだ。
芸能人の自殺ニュースを見て「あ、今ならできるな!」とか「一緒にいこうかな!」と自殺を考えてる人の背中を押してしまうのだと、私は思っている。
「芸能人もやってるんだし、私も!」と自殺する勇気が出てしまうのだ。
昨今のバラエティー番組で「※絶対に真似しないでください」というテロップが出たりするが、それっていうのはやっぱり真似する視聴者が居るということだろう。
特に常に自殺を考えてる人に「いのちの電話」とか見てるのだろうか?死ぬことしか考えてないのに。
私自身は今は立ち直り、自殺から遠い場所に居れるが、もしも、毎日死ぬことだけを考えてたあの時に、芸能人の自殺ニュース見ていたらと自殺する勇気がもらえたと思う。
報道の自由があり、芸能人死去の理由を知りたい人たちがたくさん居る。
私も「なぜ死んだのか?」と死の理由を知りたい。だからニュースも見てしまう。
報道するのも仕方ないと思うが、同時に「※絶対に真似しないでください」というテロップのように、もっと訴えかける投げかけが要るのではないだろうか、とは思う。
一日中、暇があればスマホを握り、ツイッターを眺め、くだらないことを呟き、フォロワーと会話したり互いにいいねを付け合い馴れ合っている。
絵師でもない、
インフルエンサーでもない、
ただのひっそりとした非公開の愚痴垢だ。
そんな私は昨日の三浦春馬さんの訃報もTwitterのタイムライン上で知った。
演技の上手い美しい人で、
時折バラエティなどに出るとその真面目さや繊細さが目立つ素敵な人だと認識していたくらいで、
彼が出演している作品をチェックしたり映画や舞台に足を運んだ事もない。
もしかしたら出演していたドラマをちゃんと見た事すらないかもしれない。
私にとって彼はそれくらいの人だ。
だが、それくらいの人のはずなのに、私はいま彼の死にものすごくショックを受けている。
三月の暮れ、志村けんさんが亡くなったときも「あぁ残念だな」と思った程度で、
「悲しくて仕事が/家事が手につかない」と言っている一般人の呟きやインスタのポストが理解できなかった。
もともと身内の通夜葬式でもお経の最中にうたた寝をしてしまうくらいの人間なので、
私は今後芸能人の訃報を聞いても対岸の火事という感じで心が揺さぶられることなどないのだろうと達観していた。
そんな私がなぜか今ものすごいショックを受けて、ツイッターで一切くだらないことが言えなくなっている。
なぜだろう。
Twitterを開く気になれずなんとなく5chの芸スポのスレを見てみると、
「ファンでもないのになんでそんなに悲しんでるの?」という書き込みが散見していた。
今もモヤモヤは晴れず、なぜだかずっと落ち込んでいる。
後追いなんかではなく、
ただ何の思い入れも接点もない私がここまで落ち込み引きずるんだから、
これがトリガーになり向こう側へ自分もという気持ちになる人が出てくるのはわかる。
誰にも本当の事なんてわからない。
綺麗事を並べても、汚い事実を探し出しても、もう真実なんてわからないのだ。
関ジャム 完全燃SHOWという番組でスピッツ特集をやってて、その中の1コーナーで『歌詞をよくよく読むと不穏なストーリーが浮かんでくる』みたいな話をしてたので、以前に自分が考えてみた『猫になりたい』という楽曲(一般的にはあんまり知られてない?けどファンの間では絶大な人気を誇る曲)の歌詞解釈を書いてみる。
番組中でも言ってたけど、もちろん作詞した本人以外には正解は分からないので、あくまで「こう捉えられないこともないか?」くらいで見てもらえると助かる。
灯りを消したまま話を続けたら
『星がひとつ消えた』はそのまま死の暗示。また『灯りを消したまま』という表現から、この会話が発生したのは灯りを消した後。星が出ていることから時間帯は夜、この場合灯りを消すシーンとして想定されるのは就寝時。就寝時のような遅い時間に灯りをつけずに発生する会話というと、例えば緊急の電話などが考えられる。
これらを総合すると、『夜、寝る前に君(恐らくは恋人?)の死を知らせる電話がかかってきた』という意味にとれる。
からまわりしながら通りを駆け抜けて
砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ
1行目は無我夢中で病院?に向かう様子。2行目で『砕ける』のは、「何かの間違いであって欲しい」という微かな希望か。
暖かい幻を見てた
『君』の死を認識した後の主人公の描写。すべての気力を失い、現実逃避している様子が伺える。わざわざ『霊園』というワードを出したのは、やはり死の暗示か。もしくは、『君』のお墓の近くに引っ越した??
目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所は
砂ぼこりにまみれて歩く 街は季節を嫌ってる
つくられた安らぎを捨てて
1、2行目は天国を思い浮かべている様子?後追い自殺を考えてるのだろうか。3、4行目はよく分からない 後追いを決心した様子とも、「現実逃避してても仕方ない」と改心した様子ともとれる。
猫になりたい 君の腕の中
寂しい夜が終わるまでここにいたいよ
猫になりたい 言葉ははかない
消えないようにキズつけてあげるよ
このサビについて、そのまま捉えると『冷たくなった君の腕の中で気の済むまで丸くなっていたい』という主人公の逃避願望と捉えられるが、その場合『キズつけてあげる』の意味がイマイチよく分からない。また、『ここ』というのは君の亡骸が安置されている場所になるが、Bメロでは既に自宅であろうアパートへ戻っておりその点でもズレがある。(幻の『君』かもしれないけど)
ここで個人的に提唱したいのが、『A,Bメロとサビで歌詞の一人称が変化している』つまりサビの歌詞は主人公の言葉でなく、既に死んでしまった『君』…恋人の幽霊の言葉ではないかという説。
この場合、
猫になりたい 君の腕の中
寂しい夜が終わるまでここにいたいよ
この歌詞の意味は、すっかり塞ぎ込んでしまった恋人を、自分の姿ではもう会えないから、せめて猫に化けて(あるいは乗り移って)寄り添い寂しさを紛らわせてあげたい、という願望と捉えられる。
猫になりたい 言葉ははかない
消えないようにキズつけてあげるよ
この部分についても、もう言葉は届かないけど、言葉なんて不確かなものよりももっと確かな何かを残したい、という精一杯の強がりの気持ちを
・猫となって引っ掻き傷を残したい
財政赤字が拡大してくると、政府は貨幣を発行して支出に充てる。貨幣を大量に発行すると市場には金があふれ、金の価値が低下してインフレが起きる。これがこれまで主流の経済の考え方だ。実際にジンバブエやベネズエラではやりすぎてハイパーインフレーションを起こして経済が大混乱に陥っている。MMTでは「財政赤字」と「民間の富」は借方と貸方のような関係なので、民間が豊かになるにはそれと同じ額の財政赤字を抱えているのが普通である、だから財政赤字を嫌がって財政支出を制限する必要はないと考える。MMT擁護派の一部の人達は「財政支出をどれだけしてもいい」と言っているがこれは誤解である。。MMTの特徴を理解してもらうためにあえて強調しているのかもしれないが、そんなことをすれば反発を生むだけだ。MMTでは「市場に存在する資源や労働力などの価値」と同じだけの財政赤字を政府が抱え、それと同じ額が民間の資産額となる。資源以上の貨幣を発行するとインフレが起きるので、インフレターゲットまで物価が上がってきたら追加発行を止めなければならない(貨幣を発行しすぎるとインフレになるという考え方は主流派経済学と同じ)。デフレの起きている現在の状況では財政赤字が膨らむことを恐れて緊縮財政にする必要はない、だからインフレが起きるまでは財政支出しろ、というのが正しい理解である。そしてこの考え方は正しい。ただし、50年前までなら。
昭和の時代、国民の大多数がマイホーム・マイカーローンで家計のやりくりにあえぎ、余裕がでればテレビ・洗濯機・冷蔵庫を買っていた。1960年(昭和35)に公務員の大卒初任給が12,000円の時、電気冷蔵庫は60,000円した。5倍である。現代の初任給20万円とすると冷蔵庫が100万円する計算だ。当時は氷を使った冷蔵庫が一般的だったし、洗濯はタライで、掃除はホウキとチリトリでおこなっており、家事を劇的に改善してくれる家電製品はみんな欲しがったのである。ご存知の通り、この時代は10年で物価2倍のインフレだ。公共事業で民間に金を落とし、経済が活発化し市中に出回る金が増えればインフレになったのである。公共投資も、例えば道路の舗装化や高速道路であれば流通の効率をあげ、上下水道や団地を整備すれば人が集まって地域が活性化したのだ。
現代はどうか。日銀はずいぶんと財政緩和しているがデフレが長いこと続いている。今は公共投資をするといっても、一通り需要の有りそうなところの道路は舗装されていて、道路を舗装しても流通効率はあがらない。既にある道路の水道管補修などでは利便性に変化がないので、経済の活性化には貢献しない。上下水道や電気もあって当たり前の時代だ。公共投資で市中に金を落とすことで若干購買意欲を高めることはできるがそれだけでは弱い。文化的にも成熟してきてマイホーム・マイカーを信奉するような時代ではなくなった今、多少金銭的な余裕ができても大きな買い物などはあまりしない。製造や流通も効率化され、安く生活しようと思えば100円ショップやスーパーの衣料品などでずいぶんと安く生活できるようになった。年金の先行きは不透明だし貯金がないと老後が不安である。このような状況では貨幣の供給が増えても、その分貯蓄に回るだけで経済は好転しない。
また、貧富の差は大きくなっている。戦後はGHQによる財閥解体などがあったが、基本的には金持ちはさらにお金を儲けるために金を使うので、富めるものはますます富むのである。貧するものは生きていくために悪条件でも仕事をせざるをえず、なかなか裕福になるチャンスは得られない。これは資本主義経済が抱える根本的な問題で、過去には革命や敗戦などで富の再分配がされることはあったが、平和な現代ではその圧力も少ない。いや戦争で殺し合いが起こるよりは遥かにマシではあるが。
19世紀からこの問題の解決策を提案していたのはドイツ人マルクスであるが、マルクスのとなえた共産主義は失敗に終わった。ソ連は崩壊したし、中国も私有財産を認めて経済に関しては自由に商売をさせ、社会主義の名の下に共産党一党独裁体制を敷いて反抗する企業は締め上げるという独裁ぶりである。大きな組織に強い権力を持たせると、腐敗して独裁化して富と権力を独占化してしまう。理想をもって最初に体制を作った時は良いかもしれないが、指導者が数回交代した後には無様なものでる。
人間が欲をもった生物である以上、これは避けられないのではないだろうか。
貧富の差が根本問題である以上、是正するには富の再分配しかない。しかし例えば巨大企業を国有化してベーシックインカムで再分配しようなんてことになると、これは失敗した共産主義の後追い自殺になるのではないだろうか。国有企業は競争原理がうまく働かず効率化されずに無駄が多くなったり、働いてる従業員がなぜか自分個人が偉いと勘違いして業務が怠慢になったりする。ベーシックインカムを行うための企業だけが富を独占化し、そこの社員でないものの人権が蹂躙されるという社会主義国家になるのではないか。
財政的にはベーシックインカムも可能かもしれないが、導入後50年100年経った後の日本は競争力をもった国でいられるだろうか。リン鉱石でベーシックインカムをしていたナウル共和国では、国内の農業・漁業が衰退した後にリン鉱石が枯れて経済的に立ち行かなくなり外国からの援助に依存している。
筆者個人としてはもういい年齢なのでベーシックインカムもらって引退したいところではあるが、未来の日本が衰退して行くのは忍びない。ホリエモンはベーシックインカムを導入しても、もらえる金額が今の年金より少ないのでみんな頑張って働いてもっと稼ぐよ、という意見のようである。果たしてそうだろうか。彼自身はは思春期に高度経済成長期を経験しているし、才能もハングリー精神もあるから成功しているんだろうが、現代の若者のどれくらいの割合の人が同じように考えるのか。働かずに生きていけたら贅沢しなくていいやっていう人は昔より増えている。ベーシックインカム二世や三世の世代にはさらに労働意欲がなくなっており、ナウルのようになってしまうのではないか。
厚生年金の標準報酬月額みたいななんの生産性もないクソみたいな事務は一切なくしてベーシックインカムに一本化して、公務員や生産性のない事務員の人数を減らしてもっと生産的なことに時間を割いてもらうっていうのは良いことだ。生産的なことが苦手で定形作業しかできないような人もいるが、定形作業自体はなくならないだろう。AIやRPAで減ってはいくだろうが。
不況を改善するために「財政赤字を気にせず財政出動する」というのは資本主義が成熟した現代では解決策にならない。財政赤字はある程度あって問題ないが、破綻したときに爆発する爆弾を抱えているようなものであり小さいに越したことはない。破綻時には財政赤字相当額の民間資産が消えるのである。問題は貧富の差にあり、平和的公平的な解決策は今のところない。俺はベーシックインカムが欲しいが、国の制度として導入するのは日本の未来の為にならないと思う。
付き合ってた青野くんが亡くなって後追い自殺をしようとしたら、幽霊になった青野くんが現れて……って話。
最初はほのぼのギャグ?ラブコメ?日常系かな?って雰囲気を醸し出しつつ、好きなのに幽霊だから触れられない切なさを出しつつ、あるワードをキッカケに一瞬だけ悪霊化してしまう青野くん、それをキッカケにどんどん雲行きが怪しくなり…新たな謎が生まれて…みたいな。
怖いシーンの見せ方がほんっっっとうに怖い。
メムメムちゃんみたいなほのぼのした絵柄だからこそギャップが怖い。
嬉しいかあ…?の顔がマジで怖くて気持ち悪いし衝撃的なので必見。
だいたい3話目を読んだあたりであれっこれはほのぼの日常漫画じゃ無いぞ…となるのでまずはその辺りまで読んでほしい。
いま4巻まで出てます。