はてなキーワード: 一芸入試とは
マジレス。
地頭チェックの後の教養チェックのフェイズの成功率が上がるよ。
あっ!これ有名な詐欺と同じスキームだ!って気づける確率が高まるぞ。
見た目怖くするのも限度があるしデメリットあるだろうし。
結局科学リテラシーといいつつ、みんな「誰が言ったか」を重視している権威主義じゃね?たとえばmRNAワクチンが効く根拠言えるの?
例えば100%天然由来だから安全!とか明らかに事実や物理法則を無視したような製品に騙されないよ。
mRNAワクチンはなんかコロナの遺伝子情報使って体内で免疫作るんじゃなかったっけ。
受験は成績が一定水準ないと面接があるような推薦試験まで到達できないし、試験→面接の企業も多いので試験に通らないと面接までたどり着けないぞ。
「そもそも弱者の問題であって性別で分けて考える必要は無い」というのは認識していて、元の記事でも次のように書いている。便宜上彼らを「ガチ弱者」と呼ぶことにする。
女性で生きるのがつらそうなのは、キモくて金のないことではなく、普通に働けないレベルの深刻な病気や障碍を抱えていたり、食うに困るレベルの貧困だったり、毒親や介護などの事情を抱えていたりという人。
ただそれは男性も一緒
ガチ弱者は、現状の救済策が十分ではないにしろ改善すべき社会問題として認識されている。というのが論旨のひとつめ。
女性だって容姿がキモいかキモくないかでジャッジされ、嘲笑され不当な扱いを受けてきたと思うけどね(これは個人的な経験もあるし一般的にもよくあることだと思う)。昔からあるエンタメの記号で、美人は性格が良くてデブスは性格が悪いってのあるじゃん?これってそういう扱いがメジャーだったから浸透したわけでしょ?
これ、実は男性の内心と女性自身の自認で大きく異なる。男性は美人をもてはやすが、いわゆる不細工といわれる女性でも生涯の伴侶とするのに抵抗はない。ただそのことを口に出さない。
理由としては、そういうことを口に出すと男性社会での地位(マウンティングランキング≒モテランキング)が落ちるから、あるいは女性をけなした方が女性を獲得しやすいから(恋愛工学)。もちろん、対立した女性の悪口としてあえて言うこともある。悪口なので本心ではなく、対立しなければ普通に恋愛関係になれる。
ためしにネットじゃなくてリアルで恋愛をあきらめたような弱者男性の声に耳を傾けてみると、彼らは全然女性の容姿をけなさないことがわかるんじゃないかな?恋愛をあきらめた男性は異性をけなしてモテランキングを上げるモチベーションがないから。
何が言いたいかと言うと、美人はポイントとして加算されるが、不細工は減点にならないということ。いわゆるルッキズムと男性の内心とは相違があるということ。これが主旨のふたつめ。
まあ、これはこれまで何度か増田に書いても女性には信じてもらえなかったから、今回もあんまり期待してないけどね。
弱者男性論はいろいろとフォーカスがぶれることもあるが、基本的にはガチ弱者よりもう少しマシな人たちと認識してほしい。彼らは食うに困るほどではないから生活保護をはじめとする社会的支援は受けられない。
男の場合、いわゆる男らしさも、キモいことも、金のないことも、同性からの評価も、異性からの評価も、自分自身からの評価も、すべて強く関連していることが最大の生きづらさの原因だ。
高い収入を得る職業に就けば、同性からも異性からも高く評価される。自己肯定感も上がる。金があれば身だしなみもきれいになる。男性の服は女性の服ほど工夫のしがいがなく、高い=かっこいい、なのだ。ユニクロで小ぎれいにしたところで嫌悪感が消えマイナスがゼロになるだけで、性的魅力はプラスに転じない。もっと上位の身だしなみが必要だ。
つまり、収入が普通レベルよりも低く生活保護を受けるほどでもない男性は、それだけで「キモい」も「モテない」も「同性からの低評価」も「社会からの低評価」も「自分からの低評価」も必ずセットでついてくるのだ。
女性の場合、金がないけど美人とか、不細工だけど家庭的、といった一芸入試的というか複数軸の評価がありえるが、男性はそれがなく一本道ということだ。
そしてこの、中途半端に金がなくて、それゆえにキモくて、それゆえにあらゆる人から蔑まれ、努力不足と言われ、的外れなアドバイスを勝手にされ、無害にも関わらずネットで女性を攻撃しているとあらぬレッテルを貼られる、社会からまったく同情されない人たちが弱者男性なのだ。
これが主旨のみっつめ。
大学って何するところだろう?
問題はその内容だ。世間では中学、高校、大学と上に行くほど内容が高度になるのが当たり前だと思っている。
私はこれに大いに疑問を持つ。公立中学の授業が半分も理解できず、五段階で3と2が半々位で1も混ざる成績で卒業する生徒は少なくない。そんな生徒も「単願」などの制度で、中程度の高校に入っていく。当然授業に付いていけない。
大学も然り、成績は平均以下偏差値で40くらいでも、一芸入試とか自己推薦とかの途がある。一般入試なら偏差値60以上の、センター7割くらいの学校に入れる。
問題は入学後だ。高校で偏差値40の奴に大学で本来教える授業などやっても身につかない。それなら4年掛けて偏差値60、70の力を付けさせる大学があっても良いのではないか。高校のカリキュラム以上の事は一切教えない。そのかわりみっちり理解させる。
もはや部活動は児童虐待となっている。特に高等学校の部活動は、その傾向が著しく、実際のところ一時期よりはマシになっているのだが、現在も状況は続いている。
この児童虐待というのは体罰やいじめといった暴力事件の問題ではない。単純に現在の部活動は、その運用自体が虐待になっている。
一般の高校の場合、生徒は通常1日に6時間の授業を行うことになる。間に休憩時間を挟むがショートホームルームや掃除などを加えれば6時間程度になる。
そこに2時間も部活動をすれば8時間となり、これを5日間で労働者ならば法で定められる週40時間の労働に相当する。
大体朝の練習30分、放課後1時間30分も練習すれば丁度良い按配であり、その範囲内に留まる部活動も多い。
しかし大会で実績を残すような運動系の部活動では授業をあわせて8時間をゆうに超える活動が求められている。
相談に来る生徒の中には朝1時間半、放課に4時間、通学は自転車通学を部内規則とするため、学校から遠い家に帰るのは11時ごろという者もいた。
土日も午前午後の練習か公式or練習試合があり、1日の休暇もない部活動の相談もある。
企業ならば松崎茂と並べても完全にブラックといわれるような状況だ。だからこそ、運動部の経験がある人間はブラック企業に重宝される。
このような部活動の異常な活動時間が許されているのには一つの理由がある。
教育基本法など各種教育の法律には部活動を規定する法律の条文がほぼ存在しておらず、部活動は要約すれば『生徒が自主的な活動として課外活動をすることを援助し、教員が行動を監督しなくてはならない』といった趣旨のことが書いてあるだけだ。
つまり、部活動は本来「生徒の趣味」として行われているだけで、その援助をするため学校は場所を与え教員は事故や犯罪などのないように監督(指導ではない)するようにされている、ということである。
これは野球の甲子園などで確認できる。監督は審判に抗議してはならず生徒が行わなくてはならない、なぜなら生徒の自主的な活動だから。(どれだけ事実と馬鹿馬鹿しくかけ離れていてもだ。)
生徒の趣味であるのだから、どれだけ活動しようが学校による虐待に当たるはずもなく、教員も指導ではないのだから、そこに仕事としての給与や指導における特別手当が発生することは殆どない。(土日などの手当てはスズメが悔し泣きする位には出る。)
確かに部活動は完全に自由に選択でき所属非所属を選べる学校もある。だが当たり前のように部活動への所属が強制される学校も少なくはない。
部活動は指導の場ではないはずだが、部活動(特に運動部)を通して指導を行うことが期待されている現状は揺るがしがたく存在している。
部活動は教師の完全な指導と強制の下に行われ、自主的な活動が認められていない部も多くあり、退部すら許されず不登校になる生徒もいる。
部活動が生徒の趣味であり、教員は指導をするわけではないという建前があるからこそ、部活動は学校ごとに大きな不均衡をもたらす。(それが学校に利益をもたらすことにもなるが。)
まずもって問題なのは、教員には部活動を経営する教育は一切与えられていないということだ。
教員免許に部活動に関する必修講義は存在していないし、教員採用試験にも存在はしない。
現実の部活動においては教員が生徒を技術指導することが求められているが、その技術指導する教員が適切なスポーツ知識を持っているという前提はない。
そのため、公立高校ですらも部活動においては顧問となった教員によって生徒への教育成果に大きな差が現れる。
部活動は現実として、生徒への教育や指導となっており、その成果は後述するが生徒の進路にも大きくかかわってきている。
しかしながら、それは義務教育段階ですら機会も完全に不平等であり成果も完全に不平等である。
入試段階で学力偏重が問題であるならば、部活動の成果もまた評価の基準に含まれてよく、そしてその結果は生徒や学校によって偏りがあることは望ましくはない。
部活動が異常な拘束時間をほこっても行われるのには、これは誰でもわかることだが、そこに大きな利権が存在しているからだ。
学校の入学希望者は、その学校にどんな部活動があるかを明確に意識して選んでいく。ある部活動が全国的、県内でも有力であるかどうかは入学の大きな動機になっている。
部活動で大きな成果を出せば、(建前では成果の主体者ではないはずの)学校に大きな利益をもたらす。
プロになれば知名度は上がる。プロでなくとも実業団や有名大学に入れば、そこに企業や大学とのパイプができる。
大学は厳しくなってきたが、それでも推薦枠がある。それはともすれば進学率就職率に大きくメリットとなる。
指導する人間には、その働きに対して金を払う必要はない。存分に働かせれば良い。
資金が出せず設備を整えられないが成果は出してほしいため、労働者(生徒)には労働時間を増やして成果を出させようとする。
私立で学費免除などで多いが、公立高校でも独自入試、つまり一芸入試のようなものなど、いわゆる入試に下駄をはかせる行為も未だに行われている。
確かに学力だけで生徒の可能性を測るのは良くないかもしれない、高校に入れるのが学力によって選抜されることは不平等かもしれない。
しかし学校の成績は学力でつけなければならないものが他の活動で評価される部分よりも多くあるのだ。
定められた教育内容を覚えたといえない限り、それを卒業できる学力に達しましたと認めることは難しくなった。
下駄を履かした生徒の授業を担当することになった教員も悲惨である。下駄を履かせてどら猫を追っかけさせればそれで優に出来るなら良いが。
下駄を履いていない生徒に定めた最低基準と同じだけの成果を出さないことには、成績に可をつけられない。特に公立高校では、明確に許すことは建前上できない。
授業は、その特待生に足を引っ張られ、入試を越せない人間にすら理解できる内容まで落とさなくてはならない。
その上、多くの生徒には授業によって良い大学を目指せる成績まで上げることを求められる。
そして特待生を抱えるような部活動はやはり長時間の活動時間を生徒に課す。
前記したように、夜遅くまで活動する部活動も多く、それによって予復習をする時間も余力もない生徒が多く現れる。
(部活動は特待生のみでは行われず、多くの一般生徒までもが、それによって時間を取られることにもなる。)
疲労した生徒は、授業中に集中することが出来ない。研究結果では睡眠時間が6時間と8時間の生徒には明確な学力の差が現れている。
学力の落ちた生徒は、テストで赤点を取り補習や追試を受けることになる。そのために他の教科すら更に成績が落ちていく。
ここまで問題をあげつらってきたが、しかし、部活動が多くのメリットを生んでいることも事実である。
部活動は日本の高いスポーツレベルを支えている大きな要因である。
野球が世界トップレベルであるのは甲子園という高校野球の大きな競争があるからこそだといえる。
文化系においても書の甲子園やロボットコンテストなど、生徒の育成に大きな力となっている。
また文化への影響も大きい。
複数の生徒が同じ活動することは交友関係を広げ、違う学年との交流を生むことで認識に大きな幅をもたらす。
そして、多くの生徒が共有の「部活動」という体験をしていることは、創作などで「部活動もの」と呼ばれるジャンルを生み出す要因となっている。
多くの人に共有体験があれば、それは一般に受け入れられる創作物の幅広げることになる。
問題なのは、そんな成果や影響の大きい部活動を何一つ政治的な援助も規制もせずに野放図となっていることだ。
一部の教員によって支配されている部活動が体罰などの問題を引き起こす。
それは教員が全て強制の無償活動で行っているからであり、そこに「俺がやってやっているのに」という感情がなきにしもあらずといえる。(実際にそういう声も相談に上ってくる)
育ち盛りで可能性のある若者が、知識のない指導者によって無理な運動を強いられ体を壊す事例もある。
特待生として入学した生徒が芽が出ずに、退学を強いられる問題も起きている。
野球でも度々問題となったが、人材を求める企業などとの癒着も未だに多く存在している。
部活動をなくすべきではない。しかし、現状の大人の建前と利益によって児童生徒が被害を受ける状態は改善されなければならない。
そして出来るならば部活動のメリットをより大きなものにするべきだろう。
部活動が生徒の教育に成果を生んでいるのならば、それを教育活動として認め労働としての対応をしていくべきなのだ。
運動部の指導を運動の素人である教員に任せず適切な指導者を雇い雇用を増やすべきであるし、
少なくとも自民党と日本ユニセフには、存在していない児童への性的被害を問題視するよりも、現実に存在している過酷な部活動を問題にしてほしいところだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1
上記のエントリなど、最近学歴の高低や階層に関して語る人が多い。
旬が過ぎないうちに、俺も自分と姉のことを書きたい。
当時は県全体が公立王国と称され、出来のよい者は上位公立高から旧帝大や早慶に進学することができた。
上澄みのそのまた上澄みは中学から近県の一貫校へ進み、難関医学部などを狙っていた。
我が家があったのは高度成長に合わせてベッドタウン化が進み、会社員家庭が多い地域。
お坊ちゃんお嬢ちゃんとはいかないまでも、比較的余裕のある生活をしていた家が多かった。
公立小・中と進学したが、学級崩壊とは無縁だったし、非行やいじめもごく稀だった。
二つ三つ隣の町には不良が多いらしい、なんて話が聞こえてくる程度だった。
そういった土地にあって、うちはちょっとだけ目立つ家だった。父は地元旧帝の大学教員、母は専業主婦だった。
一族には一流企業役員や上級公務員が多く、研究者、医師や弁護士などの専門職も散見される。
子どもながらに自分たちは上の下か、まあ中の上くらいには居るのだろう、との自覚があった。
俺も特に苦労なく、公立トップ高から父の働く旧帝大へ入学した。従兄弟たちもそれぞれに優秀だった。
そんな中、姉一人だけが違っていた。学年の中でも土地柄からは珍しいDQN連中と付き合い、勉強の出来も悪かった。
高校あたりから素行の悪さがさらに目立ち、髪を染め、彼氏を頻繁に取り替えては深夜に帰宅する日が続いた。
隣室からは、姉と父が怒鳴りあう声がしょっちゅう聞こえたものだった。
両親いわく、姉弟で育て方を変えた覚えはないと。
付き合う友人が悪かったのか、本人のもてる性か、姉はとにかくそのように育った。
それでも親の強い勧めもあり、一族の水準からはずっと落ちるレベルだが、
唯一の得意科目を生かした一芸入試で姉は地元の私大に滑り込んだ。
大学の間も姉の奔放な生活は続いた。この時期両親は、なんとかあいつが
就職して大卒の男でも捕まえてくれれば、という話を頻繁にしていた。
そんな3年目、姉の妊娠が発覚した。当時付き合って間もない、左官工の子だ。姉は産みたいと言ったそうだ。
なんのために大学にやったのか、なんてバカな子だ、あのような家と親戚付き合いなどできるものか、
と母がさめざめと泣いていた姿が忘れられない。この頃になると父も叱ることをやめ、
終始むすっとした顔で黙って過ごすことが多く、家の空気は物心ついてから最悪だった。
この出来事以降、俺は全てのデキ婚が許せない。
物事の順番を無視し、家族の気持ちを踏みにじる最低の行為だ。スラムの文化だ。
下層を象徴する行為を我が家で目の当たりにし、俺は恥と怒りを覚えるほかなかった。
話が少々逸れた。結局姉は式も挙げないまま、追い出されるように家を出て行った。
これで子どももろとも下層行きか、気の毒に、愚かな女だ、と思った。それきり姉とは連絡を取らなくなった。
数年後俺は大学院を卒業して、ある大企業の研究部門の職を得た。
ある日久しぶりに帰省してみると、実家には母の姿がなく、父が言うには「姉の家へ手伝いに行ってる」と。
勘当したんじゃなかったのか、と驚いて父に尋ねると、どうやら母が孫の姿を見て思い直したようで、
頻繁に姉のところを訪ねては買い物や料理の仕方から家事全般、保険選びから習い事、小学校区選びの
助言までしているらしい。口を出す代わりに援助もしているよ、あそこは安月給だからね、と父は言った。
姉の子はというと、お利口に育っているとのことだった。
俺も結婚し、実家で姉とお互いの子を見る機会が一度あったが、ごく普通の子だった。
甥っ子を見て、よかったな、お前は助かったのかもしれないよ、と思った。
うちは子(姉)の教育には失敗したが、孫の世代では間に合ったということか。
基本的には高階層・低階層の世界は違っており、固定化しがちだとの論もある。
だが上の階層に生まれたものが、すんなり育って階層を維持するのではない。姉のように下へ落ちようとするものもいる。
そうした場合でも、うちのように階層を戻す力が働きうる、という事例を知って欲しい。
うーん。
公じゃなくて私のサービスなんだけどなあ。
あれですか、民間企業の就職試験で、不公平なコネ入社とかあったら、あれは問題だわって思っちゃう?
たとえば国公立の学校の入試とか、公務員試験とかで不公平なやり方があったなら俺も問題だと思うけど。
私立の、個人の裁量で決めれる場面で、客やサービス内容を店側が選ぶのは何ら問題がないと思う。
そのせいで悪評がたったり、つぶれたりするのは当然自己責任でね。
そこに排除の攻撃性が、仮にあったとしても、問題があるとは思えない。
障害者だから、弱者だから、別の要素で本当は排除したいけど、排除しちゃいけないってなったら逆に差別だよねえ。
会員にならなきゃ貸し出さないツタヤとか、一見さんお断りのお茶屋さんとか、高級クラブとか、客を選ぶところはいくらでもあって、
それが問題だとか、攻撃されたとか思うやつはサービスを受ける側に回れない者の僻みにしか聞こえないんだよねえ。
そこで排除された側が必要以上の攻撃性を感じても、排除した側はまるで意図してないことだって多いんじゃないのかな。
高級なホテルのレストランに、みすぼらしい恰好でお金持たずに入ったら排除されて当然でしょ?
「貧乏人は排除するってこと!? 社会的弱者なのによくそんな傷つけること言えるわね!」って言ったところで、
サービスを受けるにふさわしくない人なんだから仕方ないわけじゃない。
それは攻撃でもなんでもない。
「差別じゃない理由でのサービス拒否」は問題なくて、「差別しながらしぶしぶサービス」ならそれは問題というか。
そんなの区別できひんやん! って思うかもしれないけど、それは詐欺の立証と一緒みたいな気がする。
「だまし取る意図」があれば詐欺で犯罪だけど、「まだ返せてないけど、返す意思はありました」は詐欺じゃない。
そんな感じ。
東大、推薦入試導入へ=創立以来初、筆記なし-後期日程2次、5年後めど試行
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013031200958
東京大が後期日程入試の2次試験で筆記テストを廃止し、新たに推薦入試を導入する方針を決めたことが12日、東大関係者の話で分かった。近く正式発表する見通し。1877年の創立以来、推薦入試制度の導入は初めて。周知期間を設け、おおむね5年後から実施する。
(後略)
意図が読めない。
どういった理由での導入なのか。
1.世間がイメージする「頭でっかちな」東大生を減らすためのパフォーマンス?
入ってみればわかるが、そもそもそんな人種はごく少数しか存在しない。
代わりに、生徒会や部活で活躍しながらも確かな学力を培ってきた、良い意味での出木杉くんも多く存在する。
こんな理由なわけはないな。
2.「受験」勉強とは違う観点からの評価を導入することでの都市ー地方間格差の是正?
受験偏重の教育を行っている都内有名私立の合格者を減らし地方合格者を増やすものであれば一考の余地はある。
本人にはどうにもならない環境要因で、大学受験へと取り組める期間に格差があるからだ。
ただそんな都合のいい入試方法など見つかる方がおかしいだろう。
3.点数至上主義の撤廃って?
ペーパーテストは無慈悲だ。しかしある意味で最も公平な試験方法だ。
冷徹に「結果」で評価されるアカデミック/ビジネスの分野同様に、ペーパーテストのみでの試験は決して悪いことではない。
まずすべきはペーパーの採点基準/出題方法などの改革であり、それを置き去りにしながら不透明な評価の面接を導入することは許されない。
本当に意図が読めない。
誰が得をするのか教えて欲しい。
1.マイケル・サンデルの講話にあった「東大の合格枠をオークションにかける」だったら。
かなり興味関心をそそる社会実験になる予感。
10枠までなら許す。
2.推薦入試の定員を定めない。
...
で、該当者がいなければ当然合格者0
何なの?馬鹿なの?死ぬの?
増田は独り言書くとこだろ?チラシの裏だろ?長々しい文飾を競う場だろ?
制限字数が多いのをいいことに、とてもじゃないが読む気のしないグダグダを連ねるとこだろ?
増田は、リアルじゃとても言えない、痛い内面を吐露する場だろ?
増田は、気の利いた思いつきを書いて俺ってあったまいいーって悦に入るとこだろ?
ホットントリ狙いでわざと挑発的なこと書いて楽しむとこだろ?
目障りなんだよ。
掲示板なんていくらでもあるからそっちでやればいいだろ。
増田への感想が書きたければはてブがあるだろ。100字で十分だろ。
増田は一芸入試の試験場なんだよ。クネクネした議論の場じゃないんだよ。
いい加減気づけよ。
うちも中高一貫の進学校。「半分東大」まではいかないけど、だいたい似たような感じだ。
中学受験でさんざん勉強したから、中学合格したときは嬉しかったなー。
「もう勉強しなくてすむ!」ってね。
はいそこのあなた、「いやいや、勉強はこれからだよ!」って思ったでしょう。その通り。
しかし当時の自分にはそれがわかっていなかった。
おかげで簡単に落ちこぼれましたよ。
就職も苦労したけど、今はやりたいことをやってるし給料だって悪くない。貯金もできてきた。
親やその学校(中高一貫出ると、「その中学」や「その高校」だと半分しか指さないから呼称が難しい)をどう思っているかというと。
落ちこぼれたのは全部自分のせいだと思うから、親や学校を恨んだことはないよ。
「またまた、いい子ぶっちゃって」って思うかもしれないけれど本当だよ。
ほかに進学校を出てよかったって思うのは、クラスメイトが勝手に(失礼)偉くなってくれてることかな。