はてなキーワード: ライブラリーとは
間違い。
なんか、真に受けてる人が多いみたいなのでちゃんと書いておくけども。一部ブクマが指摘しているとおり、「公共の福祉」を人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であると解する立場は「一元的内在制約説」と呼ばれ、昭和30年代からわりと長らく憲法学の主流な学説とされてきた。
けれど、机上の空論に過ぎないことが既に広く知られている。
みんな大好き長谷部教授の「新法学ライブラリー2 憲法」(新世社。当増田の底本は第4版(2008年))から持ってきてみよう。
もっとも,一元的内在制約説については,より根底的な点で,その妥当性に疑問を呈することもできる。
第一に,人権を制約する根拠となるのは,かならず他の人権でなければならないとの前提は,「人権」という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難である。たとえば表現の自由を規制する根拠として持ち出される街の美観や静穏,性道徳の維持,電波の混信の防止などは,いずれも個々人の権利には還元されえないものであり,社会全体の利益(公共の福祉)としてしか観念しえない。一元的内在制約説のよって立つ前提は,政府がかならずしも個々人の権利には還元し得ない社会全体の利益としての公共の福祉の実現を任務としているという明白な事実をあいまいにするばかりでなく,現にある人権が制約されている以上,その制約根拠となっているのも人権であるという誤った思考を導く危険がある。
元増田は、一元的内在制約説という古い欠陥理論に依拠している点で誤っているのみならず、一元的内在制約説の解釈適用においてすら、「『人権』という概念をよほど拡張的な意味で用い」る必要があるにもかかわらず、表現の自由の対抗利益に置きうる「人権」を限定的にすることで「公共の福祉」概念を過小に設定している。
一元的内在制約説は1955年に登場した古い学説で、かつては一世を風靡したが、今じゃ(というか十数年前には既に)芦部憲法に高橋教授が個人の人権の間に損する矛盾の衝突の調整と、自由国家にとって最小限の任務とされる社会秩序の維持と危険の防止である
という定義を付記せざるを得なくなっている。すなわち、現代ではもはや維持されていない学説だ。
そもそも元増田自身が「最低限の性道徳」による制約を引っ張ってきた時点で気付かなかったのだろうか。
そして増田の論はその後、創作物規制・広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利・利益が無いといけない。
という独自の見解を開陳し、それを武器に、対抗利益の要保護性をお気持ちで断じてバッサバッサと巻藁切りを始める。
まぁこれは、一元的内在制約説の広く共有された欠陥である「制約の可否を判断する具体的な基準が導かれない」という弱点の犠牲になったものとみることもできるが、それにしても、トラバで指摘されている屋外広告物規制条例のように「そうはいっても結構規制されてるよな?」と気付かなかったのだろうか。今じゃ常識の三段階審査とまでは言わないまでも(交通事故が業務上過失致死だと書いているくらいだから、法律を学んだのは何十年も前のことなのだろう)、古来より伝わる二重の基準くらいは持ってきて欲しかったものである。
マジレスすると学術書をきちんと読むのは大学教育きちんと受けてないと難しいし(大卒でもちゃんと読めない人一定数いるでしょ)、学術書って内容が細分化されててマニアックだから売れないと思う。仮にうちの分野の学術書が3,000円で売ってたら「安っ!」って驚くレベル。学術書は研究費で買うか人からもらうか図書館で借りるかするものであって基本的に個人で買って読むものではないんだよね(もちろん院生とかのときは身銭を切らなきゃいけないこともあるけどさ。あと『想像の共同体』みたいな有名な古典ならそこそこ安い)。
知的水準上げたいなら、新書と学術系選書の充実だろうね。岩波新書と中公新書とブルーバックスと岩波ジュニア新書は無条件で入れる、講談社現代新書はそれなりに入れる、ちくま新書は良さそうなのをピックアップして入れる、星海社新書や集英社新書や光文社新書は良さそうなのがあれば入れる、扶桑社新書とかは良いのがあったら入れる、くらいの感じ。選書系だと、講談社選書メチエ・筑摩選書・新潮選書・NHKブックス・河出ブックス・フィギュール彩・歴史文化ライブラリーあたりは全部入れておこう。文庫だったら岩波文庫・岩波現代文庫・講談社学術文庫・ちくま学芸文庫あたりを入れておくといいぞ。
前回→https://anond.hatelabo.jp/20210627211716
図書館って好きなんだよなあ……中でも大学図書館はいまの自分の立場だと行こうと思ってもなかなか行けない場所なのでなおさら恋慕が募る。そんな気持ちの乾きを、その時宜にかなう大学図書館関連トピックの紹介で癒やしてくれるブログで、海外の大学のライブラリーツアー動画が紹介されたときなんかは、こんなものがあったのか!とうれしがってそれからしばらくはそんな動画ばっかり眺めていた。
むっちゃ美麗なイラストとともに映画・ドラマのレビューが読めるブログ。私はホラーもグロもダメな質だけれど、それでも楽しく読めるし、自分が見た映画についてのエントリが上がったときのうれしさは、ちょっと他の追随を許さないくらい(?)。最近母が中国ドラマを見始めたので、アドレスを紹介していっしょに楽しませてもらってます。
国産ワイン好き!なので紹介されているお写真を眺めているだけでも楽しい。食べ物の写真にそれほど気合が入っていないのもよい。生活圏の関係で長野の話が多いぶん、たまに山梨の話が出るとうれしくなる。ワインに軽井沢に白馬、とチャラいキーワードが揃っちゃってるけど、ワインに罪はないしワインだけはチャラくないはずなので。
鬱屈を持ったブックマーカーってめずらしくないけれど、この方の場合は失礼ながらその鬱屈をうまくコントロールして表に出している感があってとっつきやすく、長文でもさらっと読める。こういう方がハイクの話をしていると、あの場に馴染みたかった気持ちが今更ながら湧き上がる。あと、サブカル周辺の方でプロレスの話をしない方ってけっこう貴重。
伝わるかどうかわからないけど、自分の中で「毒が少ないニュージーランド増田さん」とお呼びしている(実際はカナダ在住)。はてなブクマカ/ブロガーで海外住みの方は、みなさん当然意識が高いので、のんびりしているわりに政治的な立場を明らかにしているこの方のブコメが際立つ。しかし未だにいまのかわいいアイコンに慣れない……。
ご指名いただいた(?)ので書く。故意に過激なブコメを書かれているかと思うのだけれど、自分はビビリなので、「檻に入れておけという話だよ」構文を読むと気が滅入ってしまってあんまり精神衛生上よくないかなーと思いお気に入りにはいれていない。故意に書かれているとはわかるけれど、その「故意」の中身、つまり、なぜそのような茶化しをするのかがわからないのも怖い。
「受験生や市民が多く利用している」「自分の家の様な気持ちになれる空間を提供してくれる」
「市民が憩いやすい環境を整えて、多くの学生が勉強に励む姿も見られる」「地域の集まる場所として良く考えられている」
「地域住民の創意をなるべく回収/発露させる場となっている」「図書館ライブラリーは最高です。半日は過ごせます。」
このあたりも「この建物ならではの魅力」をまったく言えていない。
えええ!?
上の内容って完全に「この建物ならではの魅力」だと思うんだけど、なんで"このあたりも「この建物ならではの魅力」をまったく言えていない。"とか断言してるの!? 怖っ!!
やってないだろ。
漠然と「心地良い」「愛されている」とか言うくらいで
「受験生や市民が多く利用している」「自分の家の様な気持ちになれる空間を提供してくれる」
このあたりも「この建物ならではの魅力」をまったく言えていない。
やはり主観的でまったく参考にならない。
茅野市民館について、確かに本の背が焼けてしまうような場所に本棚を設置したのは完全に設計ミスで、配慮すべき問題だったとは思う。でもそれをもって、はてなでもTwitter上でも「だから建築家はダメなんだ」「建築家なんてオナニーばかりしてる傲慢な奴らは消えろ」「プロとして失格」と鬼の首でも取ったかのように建築家叩き(この設計者だけではなく、建築家という職業叩き)が行われているのを見て、近所に住むものとしてすごくモヤッとした気持ちになった。
茅野市民館は、建築家がオナニーで建てた建物じゃない。基本構想策定の段階から茅野市民が携わり、市民と何度も何度もワークショップを重ねて出来た建物だ。https://www.city.chino.lg.jp/soshiki/shogaigakushu/899.html
市民がどのような場所が欲しいのかを一緒に考えただけあって、地元ではきちんと愛用されている建物になっているし、実際私もすごく心地いい空間だと感じる。近所にこんな建物があってよかったなと思っている。
「受験生や市民が多く利用している」「自分の家の様な気持ちになれる空間を提供してくれる」
「市民が憩いやすい環境を整えて、多くの学生が勉強に励む姿も見られる」「地域の集まる場所として良く考えられている」
「地域住民の創意をなるべく回収/発露させる場となっている」「図書館ライブラリーは最高です。半日は過ごせます。」
「随所に、茅野市は芸術文化に前向きだというメッセージを感じる建物だと思う」
と、この建物についてポジティブに捉える人の声がたくさん集まっている。私の周りでも市民館を利用する人は多い。これは設計者の「この建物を地域の人が交流する場にしたい」という思いが見事に機能した結果だと思う。
もちろんレビューの中には「本の背が焼けている」「西日が強すぎで図書スペースは春先ですでに暑い」というネガティブな声もあるし、その部分についてはさらなる考慮が必要だったと思う。確かに館内が暑いなと感じる日もある。でも、その一点のみを取り上げて「これだから建築家は」と断罪するのが果たして好ましいことなのだろうか。みんなに利用される交流の場としてきちんと機能するものを作った、地域に愛されるものを作ったという点だってきちんと評価されるべきなのではと思ってしまうのは、おかしいことなのだろうか。なにより自分が好きで愛用している建物や、それを考えた建築家がクソ味噌に言われるのがこんなに悲しいとは思わなかった。
本を守るという機能面だけを考えたら、行政が一方的に計画しゼネコンに投げただけの建物の方がずっと好ましいのかもしれない。でもそうやって出来た建物に、このgoogleレビューのような声が集まるだろうか。なにより地域住民に愛される建物になりうるのだろうか。私は建築家が必要な理由は、時に哲学的に、人が建物の中でどのように過ごし、どのような交流を発生させるかを考えることができるからだと思っている。建築家と言うと外側のデザインを考える人みたいなイメージがあって、実際そういう人も多くいるとは思うんだけど、優れた建築家ってどちらかと言うと建物を利用する人の動きをしっかり考えられる人なんじゃないかと思っている。ただ機能を整えることの先に、人が建物に触発されて新しい何かが始まる...そんなことを考えることが出来るからこそ、建築家という職業に価値があるんだと思う。
ここまで建築家が叩かれるのって、これまで好き勝手やってきた人達がいたことの蓄積があるんだろうなと思うし、実際建築家業界での馴れ合いや選民意識みたいなのもあるからなんだろう。そういうのと今回のような分かりやすい失敗がかけ合わさって、建築家全員死ねみたいな空気が作られてしまうんだろうけど、私は目に見えない豊かさを提供してくれる(こともある)建築が好きだし、そういう価値がより理解される世の中になって欲しいと思う。そのためにも建築家の人は反省するところは反省して欲しいし、私たちも分かりやすい点だけで建築家を一方的に叩くことはやめていけたらいいなと思う。ダメなところはダメと言い、いいところはいいと言う。そうやって世の中を豊かにしていけたらいいのに。
で正直なところ ロリポとか やろうと思えばできることはわかったし 下手すりゃPHP3に最新の8の関数を1個だけついか という要望も 受けられるっちゃぁ 受けられる
C言語のライブラリーを直接古いPHPと同じコンパイラでコンパイルしてから PHPの3についか というのは できなくはないし そこだけ技術移管してもいい
だから 本当にこまったのなら 銀座の魔法で 本当に ザオリクしてやる そこまではPHPエンジニアに伝えてもいいと思う ただ なんというか ミナデイン級の魔力は必要
ほんとうに 大切なものなら PHP3にPHP8の機能を追加することは可能 でも それが 何年もいきのこって という話になるから やりたくはない
RRD と言えばはてなの左派界隈を代表する人物の一人だが、どうも彼が1944年10月25日の日本が戦時下でなかったと主張しているようなのだ。
記事の内容はツイッターの朝日新聞社のアカウントが紹介した戦時中、女子挺身隊が出勤をする様子が合成により人数を水増しされているというものだ。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/asahi-photo">www.buzzfeed.com
これ自体は問題はないしかし、RRD 氏が奇妙な事を言いだしたのだ。
朝日新聞、戦時中の写真めぐり謝罪。「工場に出勤する女子挺身隊」は合成、Twitterに掲載
ネタウヨ的には朝日新聞が捏造したことになってるのね。さすがトランプ信者の根城だけのことはある。そりゃ話も通じないわ。
https://b.hatena.ne.jp/RRD/20201222#bookmark-4695948251994769250
とのことだが、
発表によると、写真は、戦時中の写真週刊誌「アサヒグラフ」の1944年10月25日号および、朝日歴史写真ライブラリー「戦争と庶民 1940~49」(朝日新聞社・1995年)に掲載されていたという。
肝心の記事には1944年10月25日にアサヒグラフに刊行されたと明らかに記述されているのだ。
さて、1944年10月25日はどんな日かというと、レイテ沖海戦が終わりマッカーサーがレイテ島に司令部を設置した日なのだ。
これはもちろん言う必要もない事なのだが、日本が降伏したのは1945年だ。ポツダム宣言受諾日なのかミズーリ号上での調印なのかは議論の余地はあるだろう。しかし1944年の10月25日に太平洋戦争が終わっていたと言う歴史学者はいないのではいか?
よしんばいたとしてもかなり異端の説だろう。論文レベルではあるのかもしれないが寡聞にして存じ上げないので、id:RRD氏にご教示いただきたい。
また、太平洋戦争が始まった日も1941年これも異論はないだろう。日中戦争を考慮してもそれらは太平洋戦争よりも早く始まっていた。
1941年から1944年の日本は戦時下というのも自然と導かれる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/asahi-photo
ついでにいうとこの記事の他のコメントを読んでも戦時中の朝日新聞社によって刊行されたと言う事実を否定したり疑問を挟む人は彼以外に誰もいないのだ。
トップコメントも朝日新聞社がプロパガンダに協力した貴重な史料という内容である。
なぜ、こんな間違いを犯すのか?
1.内容が理解できない
2.終戦の日がわかっていなくて戦後朝日新聞社が軍部のプロパガンダをまとめた物と勘違いした
1.は流石にないと信じたい。2.も大概なので2.の間違いを犯したのだろうと思う。
俺ならこんな間違いをしたら恥ずかしくてコメントを消すだろう。
プログミングを勉強で英語のサイトを見ていると分からない英単語が多い。
基本の予約語ならあるていど分かるが、統計学・機械学習・グラフ作成で使われている英単語は専門用語としてつかわれているケースがあるために、意味が掴みづらい。
少しググると適当な英単語を羅列しているサイトもあるようだ。Qiita, 会社のサポートサイトなどでも。
一方で、ウェブ上の英単語集の中には熟語や慣用句は少ないようだ。
こうなると、頻出英単語を抽出するプログラムを作ってみようかとも思うが。
探したら、あるのかな。。(実際、オライリー本にも、そんなサンプルコードあったし)
しかし、プログミングを習得したいのだからまずは日本語訳の本を手に取って概略をつかむべきカナとも思う。
実務でこなせるようになるには、いずれは英語でプログミングの意味をとれる必要がある。
迷っているうちに、日が暮れそう。
これまでの経験から、日本語で、学びたいことの概念を掴んでからが、自分には合っているのかな。
動くものをつくらなきゃ、その一方でもっと楽にプログミングできるライブラリーは英語でドンドン出てくるのだろうか。
器用な人はサクサク進んでいそう。