はてなキーワード: 青春とは
友人 なんて書いたけどかれこれ小学生からの付き合いだ。幼なじみ同然だろう。
友人Aはちょっと趣味が奇抜で、でも面白くて色々知ってる博識な真っ直ぐな女子だった。私たちは小学校の頃からずっと遊んでいるし、成人してからも交流は変わらず続いている。10年以上の付き合いだ。
しかし友人Aには困ったコンプレックスを抱えていた。青春コンプレックスと恋愛コンプレックスだ。私が高校卒業してすぐ社会人になり、恋人ができた瞬間その言動は目立ってきた。
そう言ってほんとに友人Aは彼氏を作っていた。相手は大学同学年の男だった。最初はおめでとう!とか恋バナできるね なんて言い合ってたのだが、その男が相当な曲者で、別れ際には友人Aだけでなく、こちらの誹謗中傷もしていたのだ。
誹謗中傷を知った友人は相当頭に来ていた。それもそうだ。私だって腹が立つ。元彼のSNSもフォローしていたがかなり酷い。陰謀論者が裸足で逃げるレベルのバケモン男だった。
そこで何とか耐えて数年後に「初カレ失敗したな」なんて友人が言ってくれればいいのになと思ったがその理想はあっけなく崩れた。
元彼のSNSを粘着し、鍵アカウントから攻撃。私達も最初は彼女の元彼が憎かったのでやっていたがそのうち辞めた。
騒動が起きて数年後、まだ友人Aは粘着を続けていたので結構引いた。
それに加えて社会人になったからなのか「政府は国民を○そうとしている!」「番号で管理されてる!」「給料が少ない!」なんて四六時中言うようになってしまった。
何年前だろう。老人が親子を轢いた悲惨な事故の件でLINEが来た
その時から思想が少々過激であることは薄々気付いていた。やんわり断って、悪化しなきゃいいななんて思っていたが悪化していた。社会の荒波に揉まれてかなりやばい人間になっていた。恋愛コンプレックスも拗らせていたのであらゆる手で彼氏を作っては別れ、彼氏の嫌なところがあってSNSで愚痴って別れた方がいいか?なんて質問してる割には全然別れず、歴代彼氏を悪者にした上にこちらに向かって「長続きしていいな。羨ましい。結婚はしないの?」なんて言われた。あまりいい気はしなかったのでさすがに注意した。
あまり恋愛にのめり込むな。恋愛以外に夢中になるものを作れ。政治的発言は敵を作るから辞めた方がいい。粘着はこちらが完全に悪になるからやめろ。
と通算4回ぐらいは同じことを話した。治す気配がない。恐らく友人Aは怒りをコンテンツにして暇を潰しているのだ。
何回言っても治らず今日も偏った思想で政治発言をしているので、そろそろ友人関係を切ろうにもこのサイトにゴロゴロころがってる友人を切った話のように切れない。
友人Aが嫌な彼氏と別れられないように私もまた友人Aと縁を切ることが出来ないのだった。
ぼっち・ざ・ろっく!第8話の作中で演奏された楽曲「あのバンド」が好評を博している。
これは演奏に至るまでのアニメの話運びと演出・描写の素晴らしさによるところが大きいが、
実はこの楽曲の歌詞も物語に深みを与えるような内容になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=L2i0i9gWE00
歌詞の1番では、“あのバンドの歌”に対する“わたし”の忌避感がつづられている。
今まさに“列車が来る”“踏切”を前にして“背中を押すなよ”と懇願するような
恐怖感(巻き込まれたら〇んじゃう!)にも近しい拒絶反応である。
そんな怖い音から逃れるため目を閉じ耳を塞ぎ、自分の鼓動だけを聞いてやり過ごす。
2番では、しかし他の人は“あのバンドの歌”をとても好意的に受け入れていて、
それを拒絶している“わたしだけが”異常なのだという自己認識が示される。
この世から“わたしが放つ音以外”が無くなれば、こんな疎外感に苛まれないのに。
そうやってまた目を閉じ耳を塞いで、殻に閉じこもる。
ラスサビ前のBメロでは一転して“わたし”が“列車”に乗る側となる。
これは“わたし”が音を出す側になるということだが“乗客はわたし1人だけ”。
1番の状況と立場が反転していると推測するなら(そして2番の自己認識のとおりなら)、
他の人々は“踏切”のそばにいて、つまり“わたし”の音は拒絶されるのだろうと仄めかす。
ラスサビでは、そんな悲観的な状況に“目を開け”て向き合っている。
自分が“孤独”なのは間違いなくとも、自分の音を“孤高”に鳴らし続ける。
これまでは受動的に聞いていた“鼓動”も、自分の音として能動的に“確かめる”。
もう他の誰がどんな音を鳴らそうと“わたしが放つ音以外”には耳を傾けない。
「孤独な自分を受け入れ、他人に拒絶されても自分の音楽を追求する」という意志を歌っている。
字面としては全く同じフレーズが、1番2番ラスサビでそれぞれ違った意味になるのは
プロ作詞家の技巧であり素人女子高生が書けるわけねーだろ、というツッコミは置いておく。
ここで述べたいのは、もしこの歌詞をぼっちが書いたものだとしたら物語としてどういう意味を持つのか、だ。
ぼっちは第2話において青春コンプレックスを刺激する歌は無理だと吐露しており
これは1番2番の歌詞の内容と符合する。普段の(これまでの)ぼっちの心情だ。
ラスサビ前Bメロで歌われる、自分の音楽が他人から拒絶される予感と不安は
第4話において陰キャな歌詞を書いてもよいものか逡巡してたことと一致する。
その気持ちを払拭し背中を押したのは喫茶店でのリョウの言葉であり、ラスサビは
そのリョウの言葉を受け止めたぼっちからの返答だと解釈できる。
すなわち「私も、自分の個性を捨てずに音楽をやっていく覚悟をしました」という決意表明である。
ぼっちの個性とはまさにぼっちであることだが、ぼっちというあだ名=”孤独の称号”を与えたのも
面白いのは、このラスサビに秘められたメッセージは(喫茶店で会話した当人である)
それを踏まえると、第5話でリョウが「ぼっちの書いた歌詞みてたら浮かんできた」と
あえて言葉にしたことにはメチャクチャ重みが増して尊みが爆発する。
さらに続く場面で「ほめてつかわす」と言ってスキンシップまでしてるのも
ぼっちが歌詞に秘めたメッセージをきちんと受け取ったことを暗に伝えており
そしてもう1つ、第6話の路上ライブ。
何を演奏するか完全に委ねられていた状況においてぼっちはこの曲を選んでいる。
ダンボールかぶってた初ライブと違い、初めて観客に面と向かって演奏する不安のなか
何故この曲を選んだのか。
それは自分がこの詞に込めた覚悟をウソにしないため、その想いで自分を奮い立たせるためではないか。
ぼっちを表立って助けるシーンの乏しいリョウだが、音楽に向き合う姿勢についてだけは
誰よりもぼっちの支えになっているのだ。
上掲の公式MVで使われている、踏切の前で振り返るリョウのイラストも、それがぼっち視点だとすると
2人が同じく踏切の前に立っている=音楽性を共にする仲間である、ということが示唆される。
要するに、「若いうちに性やルッキズムの商品化を内面化してしまっていると、
3行ですむのにすごい悪文でわかりにくいっていうところ、トラバをあつめられそうでむしろうらやましいけど
どちらにせよトラバまで見なくていい感じのあれだった
興味なくて良い。
人んちの子どもに興味ある奴、大体得た情報を周りに無制限に言いふらすからね。あそこんちのお子さん恋人できたんですって青春〜〜〜!!みたいな。黙れ死ね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/MHLWitter/status/1598225388685041665
これひどすぎるだろ。
マスクを付けること自体特異的なんだから、酸欠予防のためにも屋外でマスクは絶対に外したほうがいい。
これだけのことに「たぶん、全国旅行業協会会長で観光業界と仲良しズブズブの、二階氏あたりがアピールしろとうるさいんだろうね。」とか言ってる人は反ワク以上に妄想が酷いので、精神病院に行くことをおすすめしたい。
客観的に見てどれだけおかしなこと言ってるのか分からないのかよ、この引きこもりが。
そりゃ引きこもり達はマスク着用進めるよな、だって外でないんだもんww
屋外でもずっとマスクつけてろってか?窒息するわ。そんなこと言ってない?だったらなんでそんなムキってるんですか?
そして、屋外でマスク着用せんでいいって言ってるだけで「するな」とは一言も言ってない。
自分たちの顔にコンプがあるからと言って、少しでも「マスク不要」って言葉があるだけで過剰反応するとか、マジで異常だろ。
ろくに外に出てないようなおじさんたちが、「学生は黙食しろぉぉぉぉぉマスクは屋外でも外すなァァァ」とかずっと言ってること。
クラスメイトの顔も最後まで見れず、楽しく食事ができない学生の気持ちを、この人達は何もわからないんだろうな。
青春は一度きり。あなた達のような老人の何も変わらないような毎日とは全く違うんだよ。
それを認めない!なんて言ってるわけじゃない。
インフルがー!!とか言ってるけど、厚生労働省でもなんでもきちんと「マスクを外そう」と言わないと、本当に何も変わらないもん。
黙って食べるのがマナー?うるせぇよ。お前らがそんなの言い出したの最近だろ。
戸塚ヨットスクールの人が「楽しく食べるのは近代かぶれだ、食事は黙って食べるもの」とか言ってたら猛反発してた癖に。
マスク着用による思考力低下は多くの人が実感してるし、自分はマスクによる肌荒れがとてもひどい。
こんなこと言うと、「そういう場合は別だァァァ」とか返されるんだろうな。
馬鹿。マスク強制の同調圧力がひどいんだよ、都合が悪くなったら無視するからお前らは最低なんだ。
いっつも「同調圧力は最低だァァァ」とか言ってるくせに。
何がって?
ろくに外に出てないようなおじさんたちが、「学生は黙食しろぉぉぉぉぉマスクは屋外でも外すなァァァ」とかずっと言ってること。
クラスメイトの顔も最後まで見れず、楽しく食事ができない学生の気持ちを、この人達は何もわからないんだろうな。
青春は一度きり。あなた達のような老人の何も変わらないような毎日とは全く違うんだよ。
それを認めない!なんて言ってるわけじゃない。
インフルがー!!とか言ってるけど、厚生労働省でもなんでもきちんと「マスクを外そう」と言わないと、本当に何も変わらないもん。
黙って食べるのがマナー?うるせぇよ。お前らがそんなの言い出したの最近だろ。
戸塚ヨットスクールの人が「楽しく食べるのは近代かぶれだ、食事は黙って食べるもの」とか言ってたら猛反発してた癖に。
マスク着用による思考力低下は多くの人が実感してるし、自分はマスクによる肌荒れがとてもひどい。
こんなこと言うと、「そういう場合は別だァァァ」とか返されるんだろうな。
馬鹿。マスク強制の同調圧力がひどいんだよ、都合が悪くなったら無視するからお前らは最低なんだ。
いっつも「同調圧力は最低だァァァ」とか言ってるくせに。
こういう炎上でよく引き合いに出されるFree!のオタクとしては、もしFree!が大型広告のビジュアルに旧監督が描いたバニーボーイ衣装のキャラ絵(「内海紘子 バニー」とかでググれ)選んだら京アニの広報担当は頭おかしいと思うし普通に苦情入れる。
アニメ本編でメイド服着る描写があったりもするけどそれを広告に選んでも同様。
メイド服は露出度的には何の問題ないとしても、作品の趣旨とは全く関係ないし、制作者や視聴者の欲に沿う形で入れられてるサービスシーンと理解しているので。あとキャラの女装についてはカップリングの左右論争にも繋がるので別の意味で多分燃える。
勿論中にはキャラのバニー姿やメイド姿を街中でデカデカと見たいが!?というファンもいはするだろうが流石に少数派だろう。
アニメのスタート地点が『男子高校生の上半身を合法的に魅力的に描きたい!』だったとしても、一応表向き一般層へのアピールとしては高校生の青春スポーツアニメとして広報打ってる。
建前って大事だと思う。
広告擁護してる男オタクは広告のキャラがポーズや表情そのまま細マッチョの男子高校生なったところを想像してみてほしい。
どう考えても街中に置くには異質なものだろう。
配信されてたので見てみた。
庵野作品て特に思い入れはないんだけどなんだかんだ一通り見てきてはいる。
エヴァとかは仕事としてやらねばみたいなのとの狭間で苦しんで、それが結果的にエンタメとしての質を上げてると思ってたので、
趣味と青春に全振りしそうなのはたぶん面白くないだろうと思ってスルーしてたのだ。
見た感想としては思ってたよりメジャーの商業映画として作られてるなと思った。さすがに制作もしてるからそこは抑えるか。ただ溢れ出る癖はすごい。
この場合の癖はもう性癖と言ってしまっていいんだろう。とにかく全体的にリビドー的な熱量がエグいなと感じる。
公開当時言われてた批判はなるほどねという、長澤まさみへの演出全般に笑えないレベルの湿度の高さを感じた。
同時に思ったのは癖を出すのもアニメだと映像的にデフォルメされるから薄まるだけで実写でやるとこんな生々しいんだなということ
いやそれにしてもシンウルトラマンはちょっと異様ではあるかもしれない。分かりやすいのはセクハラ描写で、これはあまりにあざといので批判も想定済でやったのかなと思うくらいだけど、
個人的にはそこより他の部分でのヘキがなんかすげえなって感じた。特にウルトラマンの質感はエロティシズムと言っていいくらいの熱を感じた。
商業的にメジャーな作品でこんなに好き放題できるのはやっぱそうそうないんじゃないか。
監督は樋口真嗣ということだけど庵野がどの辺に関わっているか確認してみた。
制作、総監修、企画、脚本、編集、コンセプトデザイン、撮影、絵コンテ、選曲、タイトルロゴ、モーションアクター、ティザー広告系デザイン、総宣伝監修
いやーすごい、手出せるとこは全部出してんのかってくらい名前出てる。
撮影タイトルロゴモーションアクターとかはこだわりが強くて自分でやったほうが早いわって話しなんだろうけど。
自分が印象に残ったのはバトル系のカメラワークや画角など、シン・ゴジラの時はもうちょっと映画的だった気がするんだけど、
シンウルトラマンではアニメ的なカットが多かったように思う。あと隊員達のカットの異常なくらいの煽り&面白アングル。
なんでこのへんの人らって広角パース大好きなの?
ウルトラマンと「禍威獣」のデザイン、ビジュアルはどれも好きだった。オリジナルの着ぐるみ感とかどれくらいやるつもりなのかなと思ってたけど、
思ってたより現代的なもので、かつウルトラマンの肉々しさとか素直なカッコよさというよりはなんか間抜けな雰囲気もあるとことかもよかった。
動きのこだわりとかはよくわかんないけど、ウルトラマンが棒立ち状態のままくるくる宙で回ってるのとか、敵としばし見つめって唐突にスペシウム出すのとかも良かった。
全体として失敗作と思うかと聞かれたら失敗作とまでは思わないし映像的にはすごく面白い作品になってると思う。
ただやっぱセクハラ描写は見ててキモかったし登場人物がみんな薄っぺらいので人に薦めにくい映画だな、くらいの感想。
本編にあやかって言うなら「禍威作」って感じ。
今すぐやめたいです。理由は学科全員が嫌いだからです。学科の大半がオタクで、容姿を気にするような子もいなくて、本当に4年間ずっと同じ学科でやっていくモチベーションなんて無いです。
入学する前から4年間同じ学科いうことは知っていました。でも、高校と同じように明るい人たちがいて,お洒落な子がいて、19〜22までの大切な4年間を過ごせると思い楽しみにしていました。ここまで皆んなが幼稚で容姿も気にしないのだと分かっていたら絶対に普通の旧帝に入ったのにと悔やんでいます。
東工大を選んだのは私ですが、一回の過ちで4年も無駄にしたくないです。私はもちろん勉強がしたいのですが、今しかない青春も謳歌したかったです。
転入,編入なども調べましたが時期的にも理由的にも無理で絶望しています。
死なない限りこの絶望から抜け出せないんだなと思うと涙が出ます。
このまま東工大で4年間を過ごせば確実に就職できますが、4年と言うのは本当に長いとやっと気づきました。一度の人生、貴重な20歳をこんな学校で過ごすのかと思うと本当に本当に悔しいです。