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anond:20120411181135 “オウム真理教のナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚の手紙 vol.1
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anond:20090907221149 今週のお前が言うな
anond:20090708200527 幸福実現党は数議席獲得するのではないか?
anond:20081222175050 勉強が出来ることが頭がいいの?
以前、森毅の本で、軍国少年だった旧制中学時代の友人が戦後に共産党の議員になったという話を読んだことがある。
要はそういうこと。右か左かが本質なのではなく、現実に合わせて世界を解釈するのではなく、あまりにも単純な「模範解答」に世界を無理矢理合わせこもうとする教条主義者か否かというのが本質。
ネトウヨとか電波系反原発とかと要するに似たような人種。意見の合わない人間を「鬼畜米英」とか「軍国主義者」などと悪魔化し、気にくわないことは全て「韓国の捏造」や「原子力ムラの陰謀」で片付ける。
この手の人は結局、自分で気付くしかないんだと思うよ。でないと一生そのままだよ。それまでは、中核派とかオウムとか在特会とかに絡め取られないよう祈るしかないね。
森毅氏のやけどをざまあ見ろと思うと書いてある日記を読んだ 若い頃森氏の本を読んで影響されたことがその後の(日記の)著者の人生をダメにしたと考え 森氏に恨みを持っているらしい 本人はその感情が倫理にもとると思ってはじめは封じ込めたらしいが何故かその後 正しい感情の発露だったと思い直し文章化したというのだが その心情の変化の過程が書かれていない 何故「正しい」ことになったのか分からない
彼(または彼女)は現在うだつのあがらないサラリーマンだそうだ 大学を出て20年もたっているとか 20年もたって自分の人生を人のせいだと思っているおろかさ 人が傷を負ったことに胸がすくという事実を1年たっても咀嚼できない知性の低さ 精神の固着 そのことそのものがこの人物の限界を示している これからもこうやってぐちぐち言って生きていくのだろうか 最低だ
■http://anond.hatelabo.jp/20100809011728
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■で
昔の「欧米に追いつけ追い越せ」「日本を文化国家に」からずいぶんおちぶれたな。
Permalink | トラックバック(0) | 16:52
■http://anond.hatelabo.jp/20100808160707
おまえばかだな。
公共の福祉じゃないか。
Permalink | トラックバック(0) | 16:14
それでは人権と同じになってしまう。公共の福祉が指示しているものはたんなる日本人全体の欲求であってはいけない。もっと日本人の欲求に反するキチガイみたいな目標をもち、それでもって人権を虐げる必要がある。もともと高度成長期の不必要に難解な入試問題も大学受験競争も経済界も邦楽界も日本人離れした目標による日本人の抑圧だったはず。なのに今ではそういう公共の福祉がないのではないか。
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808120540
公共の福祉が消えるかもしれないという未曾有の事態になってるんだな。数十年前までは公共の福祉はあって当たり前だった。しかしここ最近ずっこけて日本が統率者不在のただの集団になった。それを戻すための統治行為論的状態になっている。
Permalink | トラックバック(1) | 12:07
■http://anond.hatelabo.jp/20100808115014
確かに、公共の福祉が特別感をなくしているよな。政府権力者が国民の中に埋没して憲法が想定していない状況が生じている。
Permalink | トラックバック(1) | 12:05
■http://anond.hatelabo.jp/20100808114639
つまり、一心同体の国民がこれで幸せだ、と思える利益の外に、政府権力担当者の利益というのがあって、そいつでもって国民の利益が抑圧されているのが日本だよ。だから学校にせよ何にせよ、国民が「これで幸せになるのに何でそうしないんだ」って場合は、政府が絡んでいるんだよ。そういうことでしか憲法は説明できない。
あと、憲法を説明するには、政府権力担当者というのは国民の支持や意識により生まれたらいけないものであり、国民から分離ないし乖離し、別の利益共同体を形成し、常に国民の利益に相反していないといけない。でないと人権と公共の福祉が混同して憲法が崩壊する。早い話、政府権力担当者的利益共同体は、一般国民の幸福を抑圧する形でこの社会の中に入り込み、領分を確保してなければならないわけ。
そういうふうに、日本人一般の利益が、政府権力者という特別な人間の利益に抑圧され、政府権力者は自己利益だけを追求し、国民を益したらいけないわけだ。しかしここ最近、その構造が感じられなくなってきた。これは一体どういうことなのか。
Permalink | トラックバック(2) | 11:50
■http://anond.hatelabo.jp/20100808114039
だから政府権力担当者の利益と国民の利益は同じじゃいけないんだよ。政府権力担当者には一心同体の日本国民とは別の特別の利益があって、それが公共の福祉になるんだから。
Permalink | トラックバック(1) | 11:43
■http://anond.hatelabo.jp/20100808113024
だから、人権は金になる、と言ってる奴の利益が公共の福祉だろ。つまり公共の福祉というのは政府権力担当者の頭の中の都合だよ。そうであるとすれば、日本国民の中に政府権力担当者という特別な領域を置いて、国民全体とは関係のないそいつらの利益が公共の福祉であると言える。
Permalink | トラックバック(1) | 11:35
■http://anond.hatelabo.jp/20100808111925
だから実質的衡平の原理なんてなくて、人権それ自体が公共の福祉なのではないか。つまり、公益というものを、ここが人権で、ここが公共の福祉と分けられず、人権即公共の福祉になっているから、憲法は説明がつかないだろ。だから公共の福祉ってのは人権とは関係のない別の利益を指していて、その利益に反しない限りで人権が認められるというわけだが、じゃあその利益とは誰のどんな利益なのか。
Permalink | トラックバック(1) | 11:23
■http://anond.hatelabo.jp/20100808105728
つまり人権行使と別の利益が確保されていないといけないわけだが、問題は、その利益も国家行政の活動によりもたらされる以上、実は人権行使と同じじゃないかということ。つまり人権と公共の福祉は結果的に同じ公益になるわけ。その公益の中身を、ここは人権で、ここは公共の福祉というふうには分けられないんだよ。なぜならそれは別のものではなく同じものだから。
Permalink | トラックバック(2) | 11:04
■http://anond.hatelabo.jp/20100808104757
なら公共の福祉とは、国民の人権行使とは関係のない国家や行政の利益ということになるが、国家や行政の構成員も国民であって人権を行使できるんだが。それとも公共の福祉とは、人権行使とは別の、人権行使から結果的に得られる、国家や行政の利益なのだろうか。しかしアメリカで言う公共の福祉とは人権とは別にみんなで共通に実現しようという価値なので、国家や行政の利益でなくて、国家や行政の活動によって得られる、社会一般の人権行使とは別の利益なのではないか。
Permalink | トラックバック(1) | 10:52
■http://anond.hatelabo.jp/20100808103923
その人権相互のバランスをとる公共の福祉とやらはやはり特定の誰かになるのではないか。それは誰なのか。その人が国民であったならば人権論とは矛盾しないのか。その特定の誰かの考え方によって人権が調整されるとすると、その考え方と人権の問題はどうなるのか。
Permalink | トラックバック(1) | 10:42
■http://anond.hatelabo.jp/20100808103209
Permalink | トラックバック(2) | 10:35
■http://anond.hatelabo.jp/20100808102426
国民全員の人権行使による特定の誰かの利益が公共の福祉ということでいいの?それなら別に矛盾ではないが。公共の福祉がみんなの幸せという意味なら、人権行使の状態と一致するから矛盾。
Permalink | トラックバック(2) | 10:29
■http://anond.hatelabo.jp/20100808101319
その弁護士バカだろ。公共の福祉=他人の人権とか説明したらおもいっきり混同してるじゃん。何で「公共の福祉が憲法の最高価値で、人権はそれに適合するように行使しなきゃいけない」という真相を教えないのか?ってかそれ以外に実務を説明できる考えはない。
人権を金に接続して、人権も満足、金も回って満足ってのは同源だから、この最高状態を公共の福祉と呼び、人権がそれに適合的に行使されろってのが12条の意味だろ。
Permalink | トラックバック(3) | 10:16
■http://anond.hatelabo.jp/20100808100617
憲法には人権と公共の福祉が書き分けられているわけだよ。だったらそれに対応する何かが別異のものじゃないとおかしいだろ。しかしお前のいうとおりだと同じものを指示してるとしか思えんわけだが。仮に全ての概念はあいまいな部分を含むとしても、人権と公共の福祉の場合、同一感が強すぎる。
Permalink | トラックバック(1) | 10:08
■http://anond.hatelabo.jp/20100808100251
なら人権イコール公共の福祉になるだろ。おもいっきり矛盾してるわけだが。
Permalink | トラックバック(1) | 10:04
■http://anond.hatelabo.jp/20100808095706
公共の福祉は公益だろ。すると人権行使で金が回るってのは全部同じ公益だろ。だから人権と公共の福祉が同じものを指しているってことで矛盾する。
■http://anond.hatelabo.jp/20100808095235
じゃあそれと公共の福祉の関係はどうなるんだ。お前の言い分だと人権と公共の福祉が混同しているようだが。
Permalink | トラックバック(1) | 09:54
■結論
Permalink | トラックバック(1) | 09:25
■http://anond.hatelabo.jp/20100808091041
金よりも、お前が犯罪をしたときに逮捕して獄に送る警察や裁判所、んでお前にどんな教育を施すかについて権限を持っている中央官庁の権限の方が強大なわけだが。
なんで人権は金より学歴、社会的地位や職務権限で差がついていることを認めないんだ?
Permalink | トラックバック(1) | 09:12
■http://anond.hatelabo.jp/20100808090418
一概に金だけとも言えない。少なくとも世の多くのサラリーマンは学校で16年も勉強漬けにされ、本来の人格と乖離した高級な感情や言語を刷り込まれて虐待を受けている。だから妥協でしょ。だから裁判官とか役人みたいな上級職につけなかった落ちこぼれがやたら金を強調してるんだよ。
Permalink | トラックバック(0) | 09:07
■http://anond.hatelabo.jp/20100808090309
つまり金の論理で人権を制限しているんだろ。人間のクズは死ね。
Permalink | トラックバック(2) | 09:04
■http://anond.hatelabo.jp/20100808090043
Permalink | トラックバック(1) | 09:02
■http://anond.hatelabo.jp/20100808085311
お前みたいな会社員は善良な市民に飯を供給する能力があるから天皇に存在を認められているだけであって、お前みたいな醜い奴が仕事以外の場所で人格を発露することは本来認められていない。天皇からすればお前みたいなサラリーマンは結果を出す能力があるからビルの中に隠れて仕事をしてもらうようになっているわけで、天皇が本当に評価しているのはお前じゃなくて宮崎駿とか学者のように素晴らしい芸術や研究をしている人間なんだよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:54
■http://anond.hatelabo.jp/20100808084349
会社員なんて掃いて捨てるほど居るんだから大きな視点からは人権はないよ。それにお前みたいな発想をしている奴は健全な市民や子供にバッシングされるように仕組まれてるから、地下でゴキブリのように這いずり回るしかない。結局常に評価され、最後に盛大に評価されるのは宮崎駿みたいな天才とか大学の学者とか森毅みたいな教養人だろ。要はゴキブリに人権はないんだよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:49
■http://anond.hatelabo.jp/20100808084006
お前が会社の書類とかで形だけでも最高級の語彙を使わないといけないのは、お前の卑劣な人権を高級な人権が抑圧している証なんだがな。そしてお前は高級な言語の中でいかに卑劣な目的を実現するか熟考を重ねるうちに自己欺瞞の矛盾に埋もれてゆき、歳をとってからNHKの教養番組などにいじめられ、鬱を発症して自殺することになる。つまり悪は働けるときに利用されるだけで利用されて、社会からポイされたら学者や教養人に人生を否定されて不満たらたらのジジイになっていくんだよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:41
■http://anond.hatelabo.jp/20100808083639
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808083021
ねーよ。人権の価値は、脳みそ筋肉にして働いているかどうかより、いかに難しい入試問題が解けたか、そして高度な教育を受けて人格が洗練されているかで決まる。お前は日ごろ使用しなければいけない言語を形だけでも最高級なものにすることを強制されて卑劣な人権を虐げられているんだからくやしさで泣き喚けよ。
Permalink | トラックバック(1) | 08:34
■http://anond.hatelabo.jp/20100808082701
人権の価値は正社員かニートかではなくどこの大学に入ったかで決まる。
Permalink | トラックバック(1) | 08:29
■http://anond.hatelabo.jp/20100808080401
人権を金の論理で制限するところが最悪。どうせ世の中なんて金につなげられるかどうかで全てを見ているんだろ。んでしまいには「お前も満足したし政府も金を生めて満足したしハッピーエンドじゃん」とか言うんだろ。要はお前が最悪。人間のクズだな。
Permalink | トラックバック(2) | 08:05
■http://anond.hatelabo.jp/20100808080237
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■http://anond.hatelabo.jp/20100808075947
最低の発想だね。
Permalink | トラックバック(2) | 08:01
■政府の発想
人権は金になる。
なんか森毅の訃報の後で変なコメントがつけられて、また本人によって削除されているんだけど↓
http://anond.hatelabo.jp/20100727065732
あんたも気楽な人間だな。
http://anond.hatelabo.jp/20100727065911
こう言うのはただ読めばいいんだよ。何突っかかってんだ?
自分の冴えない人生を森毅のせいにして「森毅の火傷にざまぁみろと思う」って一生懸命恨み言書いたのにあまり賛同してもらえなくて、それで恥ずかしくて消した筈の文章を再掲されるのって、まあ、確かにきついよね。
http://anond.hatelabo.jp/20100308183630
私は2,3冊しか森さんの著書を読んだことがありません。
ともあれ、森毅さんのご冥福をお祈りします。
以下、つっこみ。
この再掲された増田は、いまはウダツのあがらないサラリーマンで、その原因は、(森の思想に影響されて)大学生時代に怠惰に過ごしたことにある、と本人は考えているようだ。
怠惰といっても、勉強しないで友だちとしゃべったり、マンガ読んだりと、ふつうクラスの怠惰だろう。大学生ならありがちだ。
だから、この再掲された増田が言うには、自分のように地頭がよくない人間は、受験のときの勉強の習慣を崩すべきではなかった、ということらしい。
で、こんなんなってしまったのは森のせいだと。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
再掲増田は、この言葉で受験時代に救われたそうだ。そして、この言葉に人生を狂わされたと。
だが、森の言っていることは、ぜんぜん間違ってないと思う。
つまり、再掲増田は、「エリートじゃなかった」ということだろう。勝手に育たなかったんだから。
自分の現在を「ウダツのあがらないサラリーマン」とか言うのはいいけど、じゃあ、どのようなイメージが「自分のあるべき姿」ということになるのだろう。
なんだか、再掲増田の文章を読んでいると、勉強をしていれば、自分は、「エリート」とか「成功者」になれた、と暗に言っているようにしか見えない。
とわざわざ書いているのも、それを支持するように思う。
本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。
ただですら、怠惰に流れがちなのだから。
と再掲増田自身が書いているように、「本当にやりたいこと」が見つかるかどうかだろう。
受験勉強と違って、人生では、「全教科を極める」などということはできない。時間は有限だ。みんな必ず死ぬ。
老人はもうすぐ死んで、若者には無限の未来がある、などということはありえない。みんな平等に、カウントダウンの真っ最中だ。
だから、勉強するのは、その見つけた目標を達成するためだ。そのための必要最低限で十分だ。
もし再掲増田の勉強の習慣が崩れたのなら、それは再掲増田に向いた習慣ではなかったのだ。もともと持続不可能だったのだ。
だから、再掲増田がすべきだったことは、自分のやり方を模索することだったはずだ。
「やりたいこと」だって、大学在学中に見つかれば、かなり運のいいほうだと思う。
再掲増田は、「地頭が悪い」と口では言いつつ、それを本当には認めていないのではないか。
オレもこういうおじさんになるんじゃないかと心配だ。
森毅さんのご冥福をお祈りします。
http://anond.hatelabo.jp/20100308183630
森毅はほとんど読んでいないが、
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。
ってさ、青少年の頃の自分には、判断力が無かった、ということを告白しているわけだよね。
まあ、若かりし日の自分が判断力に欠けている、というのは当然のことだけれども、
それを誰かの所為にしてしまってもいい気分になれる、というあなたがわたしには信じられらない。
ふつうに自分が18歳のときにどういうものを読んでいたか、といえば、
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
みたいな話もそりゃあ、触れていたけれども、
その逆の、「大学で勉強すると面白いぞ」という話も、同時に読んでいたわけで。結局、諸先輩方が何を言いたいのか、ということは、人それぞれなんだなぁ、ぐらいの感受性はもっていたが。
それを、「森オンリー」「森信者」になれてしまっていた、というのが問題だったんだろうね。あなたの場合。
さらに加えて言えば、「エリートは勝手に育つ」という発言があるのなら、あなたは「勝手に育つエリート」ではなかったんだろうね。
「授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべ」る日常を過ごしているのでも、育つ人だっているだろうに。
まあ、森さんの発言がテキトーだったのかもしれない、とは思うけれども、
自分で理解できないようなのであれば
「だから、あなたはダメなんだ」
としか言いようがない。
あなたの人生でしょ。
確かに怠惰を奨励するような言説が世に跋扈していて、それに惑わされる若者がいることは認めよう。そういう人たちを批判すること自体は構わないと思う。しかし森毅をそこで非難するのは誤爆と言わざるを得ない。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
いったい森毅がどこでそんなことを言っていたのだろうか。
「こうあるべきだ、という型に囚われる必要はないし、『エリートたるものかくあるべき』という型に学生をはめるのも馬鹿らしい」
「人に言われたことやイデオロギーを何でもかんでも真に受けて生きるのは痛々しいし危ない」
というそれだけのことに尽きる。ただ、これらの命題は自家撞着と紙一重(「俺の言うことを聞くな」というのはパラドックスである)だから、あんな持って回ったような言い方になっている、それだけのことだ。
私はそれを当時理解できずに痛い学生生活を送ったからこそ、その言葉の正しさを今になって身に沁みて実感していると確信している。
私が大学生になるかならないかの頃には、「怠惰の奨励」とはちょうど逆の言説が流れていた。「分数ができない大学生」だの「東大生はバカになったか」だのその手の本だ。その手の本を読めば、
「日本の大学生は勉強しない、教養がない、東大生でも厳密な学問を理解できない、旧帝大生といえども外国の大学生に比べて圧倒的に劣っている」
というようなことばかりが書かれていた。
それを真に受けた私は、「教養」とやらを身につけ、「あるべき大学生の姿」に自分を近づけるために随分つまらないことをやってしまった。興味も何もないのに哲学書だの文学書だのを紐解いてみたり、あるいは勉強の過程において、興味の範囲をはるかに超えて厳密さのために厳密さを追究してみたり。全く無駄であったとは言わないが、著しく非効率だったことは間違いない。そんな衒学的な「教養」だの、必要最低限を越えた完璧主義的な「厳密さ」だの(ε-δ論法というレベルではなく、物理数学を勉強するためにまず数理論理学を勉強するような類、あるいは読み始めた本は最後まで一行たりとも漏らさず理解しなければ許さないとする類の)を、自分の興味から逸脱してまで追い求めても、苦痛なだけで身に付くことは乏しかった。今だから分かるが、私はもっと自分を信用して、自分の興味に忠実になるべきだったのだと思う。そうすれば、「教養」だの「厳密さ」だのは、必要になった時点でいくらでも身につけることができただろうからだ。「青春」をエンジョイすることを放棄して人よりも多くの勉強時間を使っていたのに、人より飛び抜けて優秀でもない自分に嫌気がさしつつ、どうしてよいか全然わからなかった。修士論文のための研究をやっていて最後の数ヶ月でようやく自分の過ちに気づいたとき、余りに自分が時間を無駄にしていたことに気づいて絶望的な気分になったものだった。
敢えて長く自分語りを続けてみたが、あなたと対極的な私の失敗談を読んであなたはどう思っただろうか。「お前の下らん失敗など知るか、そんなどうでもいい本を真に受けたお前が悪いんだろうが」。その通りである。私が馬鹿だったのである。人に馬鹿と言われたくないがために、「教養がない大学生」「学力低下の大学生」と言われたくないがために、自分を無意味にガチガチに縛ったために自分の学生生活を楽しくなくしてしまった私の単なる自爆である。しかし私の失敗とあなたの失敗の一体なにが違うのか。どこかで見聞きしたことから勝手に自分で組み上げてしまった自己規範に従った結果、自分の人生をスポイルしたという点で、あなたと私のやったことは全く同じだ。そして森毅が言っていたことの真意を全く読み取れていなかったのも全く同じだ。
「他山の石」という言葉をご存じと思う。私の自分語りが痛いと思われるならば、あなたの自分語りも同じぐらい痛いことを思い知るべきだ。そして人を恨むのではなく、逆に過度に自分を責めるのでもなく、ただ自分が失敗したという事実を受け入れるべきだ。運が悪かったのか、環境が悪かったのか、そういったことが原因であなたや私は正しい道が見えなかったのかもしれない。だが、そのことに不満を言っても誰も助けてくれないし、失われた時間は返ってこないのだ。ならばせめて、今後の時間を無駄にしないようにお互い努力しようではないか。
森毅がやけどを負ったというニュース、本当に「昨年の今頃」でびっくりした(2009年2月27日の出来事らしい)。あの恨み節を書いた元増田の森毅ファンっぷりは異常
http://anond.hatelabo.jp/20100307133147
匿名なのだから記事が残っていようが本人には何の痛痒もないはずだ。
匿名なのに記事を消すなど不合理だと思う。
よって再掲させてもらう。
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料理中にコンロの火が服に燃え移り、腕に火傷の重傷を負ったという。
ざまぁみろ、と思った。気分がすっとした。
このときの感情は、さすがに倫理にもとると感じて封印していた。
ために、ここで打ち明けてみようと思う。
今から20年ほど前、高校生だった私は森毅のエッセイをむさぼるように読んでいた。
進学校に通っていたが、地頭はそれほどよくなかったし、学校の雰囲気や、教育熱心な母の重圧に少々参っていた。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
それまでは頑張ろう。そして、大学では遊ぼう。
そう考えて頑張った結果、大学では、早慶クラスの、名の通った大学に入った。
大学では、遊びほうけていた。
とはいっても、それまで遊んだことのない人間の遊びなんてたかが知れている。
授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべって一日が過ぎていた。
遊ぶ、というより、勉強をしない、といった方がいいかもしれない。
高校までの受験勉強で学んだ知識が、実生活で生きる訳ではない。
若い頃に「勉強して、知識を記憶にたたき込み、それを応用する」という習慣をつけるために、受験勉強というものはあるのだ。
だから、高校まで勉強をつづけた後、大学ではそれ以上に勉強することが必要となる。
本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。
ただですら、怠惰に流れがちなのだから。
私は、貴重な4年間を、彼の思想の影響を受けたせいで無駄にした。
彼の言葉は福音だと思っていたが、なんのことはない、怠惰な人間に、「それでいいんだよ」と甘い言葉をかけていただけなのだ。
彼に影響を受けた私は、勉強の習慣を失い、未だにダメサラリーマンをつづけ、うだつがあがっていない。
どのような人間を師匠とするかが、いかに大切なことだと、今になってわかる。
彼の言っていることは、元々地頭のいいエリート向けの言葉であって、それ以外の9割の頭の悪い人間にとっては、地獄への一里塚だった。
彼にとってみれば、受験教育のために潰されそうになっている1割の人間を救うために、書いたのだろうし、彼の本を読んで影響を受けた1割はそれで救われたかもしれない。
だが、9割は社会から脱落していったのではなかろうか。
まさに、
私が彼を知った少し前から、彼の著作はブームになっていたので、影響を受けた高校生も多いだろう。
そのほとんどは、進学校に通う、受験生活に疲れた少年だったように思う。
そのほとんどは、その後の人生に失敗をしているように感じる。
だから、失敗者の声は届かない。
だから、彼はこれまで称揚されてきたのだろう。
見かける度に、反吐が出た。
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。
今のあんたがうだつの上がらないサラリーマンなのは、森毅氏のせいじゃなく
20年間も人のせいにし続けるその腐った性根のせいだと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100307133147
森毅は「数学者」だったということを考慮に入れなかったために起きた勘違い。
天才というのは
「乗ってきたタクシーのナンバーは1729だった。さして特徴のない、つまらない数字だったよ」
これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言った。
「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」
実は、1729は次のように表すことができる。
1729 = 12^3 + 1^3 = 10^3 + 9^3
すなわち、1729が「A=B^3+C^3=D^3+E^3」という形で表すことのできる最小の数であることを、ラマヌジャンは即座に指摘したのである。
自分の不完全性を棚に上げて他人の不完全性を恨むのはどうかと思う。
世界がどのように変わるかは予想ができない。
日本がずっと右肩上がりの成長を続けていたら森毅の意見は正しかったのでは?
当時の大人としては精一杯の慰めだったのかもしれない。
興味深いエントリ。
要するに、
を真に受けて、勉強をしないという選択をし、それをそれが失敗であったと嘆いているということだと思う。
この言葉が当てはまるのは、”地頭”がいい人間であって、秀才ではないのだ。
つまり、秀才は勉強に勉強を積んでのみエリートになりうるというのが元増田の解釈だろう。
よって、誰にでも通用する訳でもない、耳心地のいい言葉を吹聴した森毅はけしからんというのが結論だ。
文化人と名のついたコメンテーターの醜悪さは、今も昔も変わらないものだ。
元増田の論旨に納得いく点は多い。
ただ、
この辺りから少し疑問が生じる。
もしも、森毅を師匠としていたというのならば、この言葉を発する文脈をもっと正確に読み取れているのではないか?
どういう人に対して、何を背景としてこのことを言いたかったのか?
彼がいう”エリート”とはどういう人だったのか?
おそらくしていないだろう。
もう勉強なんて、したくないという心に響いたのはこの部分だけだ。
つまり私が言いたいのは、こういうことだ。
そして、上手くいかなかった人生を師匠のせいにしているのではないか。
おそらく師匠をもつとは大きな問題だ。
ついていきたくなる人。
圧倒的な能力を持つ人。
色々あるだろうが、自分と同じ万能ではない人間を心から尊敬しなくてはならない。
それが出来なかったことに、本当の苦しみがあるのだとおもう。
もちろんそれがすべて悪いことではない。
ただ、そこから見えるストーリーがいいものになるとは到底思えないのだ。
比較すべき広い世界観を持ち合わせていないから仕方がない。その時期に名作にひきあわせると簡単にはまる。
せっかくなら、森毅よませてみろ。
森毅が著書の中で「親同士の仲が良いと子の親離れがスムーズに進む」と言っていたような気がする。少なくとも悪いことではない。