はてなキーワード: 路線図とは
救われない奴らがそれでも少しは救われた気分で生きられるような世界のために働いてきた。
でもふと気づいたんだ。
俺がやりたかったのは救われない奴らに痛み止めを射って回ることじゃなくて、痛みそのものから救ってやることだったんだと。
辛い人生を生きている誰かに、生きるに値するような楽しい何かを用意してやることが救いなんだと思っていた。
そういう才能を持った誰かを陰で支える立場になろうと頑張ってきた。
そのアプローチの仕方はピント外れだったのかなと今更気づいた。
辛い思いをしている誰かの心から一時的につらみを忘れさせるコンテンツなんていくら作っても辛さそのものは無くならないんだ。
虫歯で苦しむ人に正露丸を配った所で、状況はそこまで改善出来ないんだ。
もしも痛み止めという形で彼らを救いたいのなら、それは手術台の上で使われる痛くない注射針やスプレー上の麻酔なんだ。
痛みの少ない治療、そもそもの虫歯を減らすような技術、そういったものなんだ……。
歯に空いた穴に詰めるその場しのぎじゃなかったんだ。
俺が救いたかった誰かは、俺自身は、俺自身と同じ苦しみを持った人たちは、もっとずっと若い頃にとっくに救われていて欲しかった過去の俺が必要としていたのは、そういうただ死に向かう歩みを絡め取って時間を稼ぐだけの痛み止めじゃなかったんだよな。
根本的な所で、死にたいだとか、毎日辛いとか、何でこんな人生を生きなきゃいけないだとか、何で皆が耐えられているのか理解できないとか、そういう事を最初から考えなくていい社会を生み出すような技術を生み出す立場を目指すべきだったんだ……
いや……目指していたんだ……でも競争率が高すぎるから……自分のやったことが実を結ぶビジョンが見えなすぎるから逃げてきたんだ……
引き返してえなあ。
でも無理だろうな。
その行き先への終電は出ちまった後だ。
乗り継いでいけばまだ間に合うのかも知れないが、俺の頭じゃ路線図の読み方が分からねえ。
運転経験は2ケタ年あるけど、首都高経験浅めな自分も色々共感。
特にクロス合流、ひどいよね…。4車線横断とかあるからね(「横断」してる数は2車線と数えるべきかもしれんが)。
案内標識の「銀座」は、「C1方面」と読み替えてます。CはCircleの頭文字で、環状線のことです。
ブコメ、勉強になりました。首都高ナビの動画機能、知らなかった(ルート検索すると、経路に沿った動画が見られる)。この機能、すごいな。
自分の場合、PCに首都高ナビマップをダウンロードしてあって、首都高通る用事があるときには事前に確認してます。サイトには「概略」と書いてあるけど、車線とか標識まで書いてあるから便利。しかも、路線図じゃなくて、ちゃんと縮尺正しい「地図」だし。
https://www.shutoko.jp/use/network/navimap/
あと、一部ブコメに。
トンネル内はGPS信号が届かないので、車両から速度情報を取れないスマホナビがロストしてしまうのは仕方ない。速度情報が取れる据え置きナビでも、GPSは高さ方向の誤差が大きいので(正確には、地球がきれいな楕円体じゃないからなのかな)、道路が重なっているところなどで間違えるのは仕方ない。
免許取った頃ナビなんて高嶺の花だったし、民間向けGPSにわざと誤差入っていた時期を経験してるので、ナビは参考程度と思ってます。
疲れています。
それから早30年。
あまりに地方暮らしが長かったため、もはや東京出身などとは言えません。
まず、家探しが難航を極めました。
夫の働きやすさ最優先で、職住接近にこだわりました。
そして子供の通学区の選定。
ややこしく絡まり合った諸条件をひも解いていくような作業でした。
引っ越し後の家計をシュミレートした結果、まず車を処分しました。
車が無くても暮らしていけそうなので。
それを皮切りに、今、懸命にモノを減らしています。いわゆる断捨離というやつです。
地方都市でそこそこ広い家でごちゃっとモノを持った暮らしから、
地方の同市内で引っ越すのとはワケが違うし、
なんというのか、ライフスタイルそのものの見直しが迫られている気がします。
それにしても。
なんでこんなに変えることばっかりなんだ。
こんなことしてまで、なんで東京へ行くんだっけ?とか。
ふとそんなこと思ったりします。
いや、まあ、自分たちが決めたことなんで、なんでも何もないんですが。
きっと「判断疲れ」です。
なんか脳が疲れてる。早くこの状態を終えたい。
東京のみなさん。
今朝、出社途中に新宿駅のホームで電車を待っているとき、大きなキャリーケースを引いた中年の黒人女性に声を掛けられた。
イヤホンをしていたが、なんとなく“IKEBUKURO”だけは聞こえた。
女性は電車の路線図を開いて池袋駅を指しており、どうやらどの電車に乗れば辿り着けるのかを尋ねたい様子。
わたしは英語を話せないが、カタコトでx番線の緑の電車に乗ればいいということを伝えると、女性もその方向へ姿を消していく。
インバウンドの旅行客だと思うが、道を尋ねた女性の表情は困惑か戸惑いがほとんどで、ウキウキワクワクしているような気持ちは感じられなかった。
一緒に来ていた集団とはぐれてしまったのだろうか、それとも日本の旅行が楽しめなかったのか、はたまたその他の理由か。
自分はもともと先天赤緑色覚異常だったのに加えて20代でスティーブンス・ジョンソン症候群(wikiは閲覧注意かも)に罹って後遺症?で眼に影響がでたっていう変な状況。
以下、困った思い出とか
1.幼少期のお絵描。クレヨンに色名を書いた紙がないと赤、茶、緑とかの区別がつかない。
だから蓋の裏に色名が書いてあったクーピーはしまう順番間違えると大変。
2.信号。場所で覚えた。色自体の区別はついてない。運転免許は持っていないので特に不便はない。
3.パズルゲーム。ぷよぷよはぎりぎり形で判別できたけど、ときメモのぱずるだまは出来なかった。パズドラの補正はちょっと嬉しかった。
5.小学生時、紅葉を見て「綺麗だね」と言った母に「よくわからないんだ」と返してしまったこと。
このことがきっかけで色覚検査をうけたような覚えがある。検査後母に謝られたのはなんか今でも良く覚えてる。
誰も悪くないのに難しい。
6.家電、電子機器のお知らせランプ。「正常時は緑、エラーのときは赤」みたいなの。
大きいと周りとの差で何となく分かることもあるけど小さいとどっちにしろ光ってるだけの代物
7.UNO。有名。去年だっけ、色覚異常者向けのが出来たのって。
8.焼肉。有名。焦げ始めないとわかんない。
9.黒板に色付きチョーク。白、黄、青のチョーク以外は何書いてあるかわからないこともあった。
10.黄色系の色が目に刺激が強すぎて眼鏡のレンズに色を入れるようになった。色覚補正レンズではないただ色の入ったレンズだけど。
11.体調次第で明るさに凄い補正がかかる時がある。晴れてる昼間なのに薄暗かったり。大体夕日が完全に沈んじゃったくらいの暗さかな。
今までの対応は場所とか他の要素で判別できるものがあるときはそれを機械的に覚えちゃう。
色でしか区別がつかない時は周りに頼るか、諦める。なので事前に周囲にわかってもらってると楽。
生活の中では単品で何色か判断することよりも何かと比べて何色だって判別することのほうが多いような気がするし。
なので色以外で判別できるように形だったり文字入れたりとかして欲しいものは結構ある。
PCをいじり始めてRGBって概念知ってからは色々判別は楽になったな。数値化できるって素晴らしい。
お陰で初音ミクの髪の色が随分緑がかってるんだなってわかりました。
哲学的だったり、最後にあーそういうことか!って分かるような感じの
案の定登場人物の台詞や表情の意味、作中の演出の意図を読み取れずに
「俺は馬鹿だから理解できなかった」「言葉が難しくてよく分からなかった」「専門用語の説明がなくて不親切」「小声でぼそぼそ喋ってるシーンが多くて重要な台詞と思われるものも聞き取れなかった」
ただ「意味が分からなかった!駄作!」としか言わない奴はなんなのか
あんな調子ではほぼ全ての作品で「イミフ!」「どゆこと??」「わかんね!」「つまんね!」となってしまうのではないだろうか
リアルの友人とバーベキューしたり路線図を見つめている方がああいった人たちには有意義ではないのか
「分からなかった……」と落ち込むのではなく、2ch(5ch)、まとめサイトの※欄、ツイッター、増田などで「あれは意味不明だからつまらない!」と人に見えるように攻撃するのはなぜか
あのシーンって伏線だよな!という会話に「気のせい!偶然!大したシーンじゃない!作者は何も考えてない!」と割り込んで何の意図もないことにしようとするのはなぜか
http://anond.hatelabo.jp/20170411124623
日暮里、西日暮里はまぁいいよね、「にっぽり」「にしにっぽり」。
足立小台 これは「あだち『こだい』」。
高野 これは「たかの」ではなく「こうや」。驚きはないけど、ふうん?という。
江北 これも普通に「こうほく」。同じ字で「えきた」って地名ありそう。
西新井大師西 これは違う意味でひどいが「にしあらいだいしにし」。
谷在家 これは「やざいけ」。えーー?って感じ。
舎人公園、舎人も別にいいよね、「とねりこうえん」「とねり」。
見沼代親水公園 これもそのままなんだけど「みぬまだいしんすいこうえん」。
まあ知らないから知らないだけなんだろうけど、俺は初見時に「え??」となった。
(追記)
・バスには「前乗り先払い」「後乗り後払い」と書かれていることがある。
・バスのドアには[入口][出口]と書かれていたり、札が挿されていたり、幕が出ていることがある。
・バス会社のホームページには、バスの乗り方が思いのほか丁寧に書かれていることがある。
・バス会社のホームページの路線図がGoogleMap上にトレースされて表示されることがある。
・地元民ですらバスがどのルートを走るのかよくわからないことがある。
・Suicaっぽいものが使えるが、ライセンスの関係上Suicaが使えないバス会社が多い。
・均一運賃のバスでも「後乗り後払い」の場合がある。(大阪市バス、阪急バス)
・川崎市内か横浜市にまたがるかを宣言してタッチする(基本は前乗り後ろ降り)。(川崎)
・バーコード付きの整理券が出て、お金と運賃箱に入れるとお釣りが出る料金箱がある。
今年で28になるけど仕事したくない。早々にリタイアしたい。みんなそんなに仕事したい?
休日平日関係なく趣味に時間を費やしたくない? 十分に寝てすっきりした頭で思索に耽り数学に取り組み昼食の後眠くなるまで読書したりしたくない? 運動不足対策に週3日はジムに通って汗を流したり泳ぎ方を知ったばかりの魚のように気持ちよく泳いだり健康のことだけを考えた生活をしたくない? その中でジムのインストラクターや行きつけのコーヒー屋の店主なんかと毒にも薬にもならない会話を楽しみたくない? 所有している不動産についての事務連絡や余剰資産のやりくりについて銀行員との会話もそこそこにあてもなく東京の路線図上をふらつきたくない?
はー富裕層なりたすぎる。
仕事は好きでやっているけどやっぱり望み全てが叶っているわけでなく当然ストレスもあるし、やりがいもあるけど老人介護のような面倒な飲み会を思うと暗澹たる気分になるし。段々と若さで乗りきれなくもなってきている中「いやあよくやってくれているよ」なんていう上司の口車に愛想笑いをしながら影じゃ色々言われてんだろうなと半ばあきらめながら他部署と折衝したり。苦手な先輩には丁寧にと心がけて上手くやっているつもりでも1,2ヶ月に一度は理不尽な扱いを受けて腹の立つこともあるし。
今の仕事や生活は充実してるんだけどその中身は所詮交換可能なんだよなとつくづく思う。適度な運動や悠々自適な暮らしと、その中で自分で意識的にメリハリをつける余裕さえあるのであればこんな生活も仕事も喜んで手放す。
その国にいくのは自分が初めてで、しかも女子社員の海外長期滞在は社内で初でずいぶんと心配された。
とはいえ、滞在先はEU圏の裕福な方の国だ。治安は東京とさして変わらない。自分は若い頃から個人でヨーロッパの旅をしていたし、去年も個人でアパートをかりて一週間以上滞在する程度にはヨーロッパが好きだし、警戒心が強いので少しでも危険を感じたら即座に立ち去る嗅覚はある。スリなどの犯罪には今のところあったことがない。もちろんだから大丈夫ということはなく、気をつけるに越したことはないわけだが。
ところが会社はそう思っていなかった。直属の上司や家族は自分のことをよく知っているのでさして心配していなかったのだが、関係ない部署から横槍があれこれと飛んでくる。しかもインターネットが普及する前の知識で心配をする。
ガイドブック片手に地図を見ながら歩いているといいカモだと思われるのは周知の事実だが、それを理由に一人で外出をするなという。滞在先はホームステイにした方がいいなどということも一時は言われた。一人暮らしは危ないからだそうだ。自分は自転車乗りなので可能であれば自転車でも購入しようかと考えていたが、それもだめだという。車の運転もできるが、海外で事故を起こしたら大変だからだめとも言う。女性は運転をしないほうがいいよ、なめられるし。
要するに彼らはタクシーで移動しろというのだ。常に誰か男性と行動し、しかしその男性が危険かもしれないので注意しろ。かといって親しくなり過ぎないように、仕事で行くんだから。まるで自分が分別のつかない三歳児かなにかのように彼らはそんなことを言う。
電話は会社のものを持って行っていいしいくら使ってもいいけど、ネットは使い過ぎたりするかもしれないからだめ。今どき情報はだいたいネットに載っていて、地図も電話アプリも時刻表も口コミもレストラン情報も路線図もなにもかもスマホひとつあればことたりるし、現地のSIMをかってWi-fiルータに突っ込めば安くで使えるというのに、彼らはそれすら知らないのだった。そして過剰に自由を制限しようとする。
一つも言うことなんか聞いてやるものかとムカムカしつつ、飛行機に乗った。そして機内で「少女は自転車に乗って」という映画を見た。
知らない人のためにあらすじを簡単に書くと、この映画はサウジアラビアの映画で、主人公は十歳の少女ワジダ。サウジアラビアはもちろんイスラムの国だが戒律は厳しく、女性は家の外では目以外を露出してはいけないし、職場に行くには乗り合いタクシーを利用しないといけない。自転車に乗るのもNG。でもワジダは自転車が欲しくてあれこれするけどそもそも戒律に引っかかっているし、教師にも親にも怒られるし…という話。ネタバレはしない。
イスラム法では女性が保護されるべき弱い存在なので、自由意志を持っていてはいけないのだそうだ。大変に魅力的なのでそれを隠さねばならないそうだ。
イスラムの女性がみな、そのことを窮屈に思っているわけではない。庇護という名の束縛を愛情だと思っている人もいる。けれども、庇護よりも自由を求める人だっている。だって人間なんだから、自分の足があって、歩いていけるのにどうして誰かに連れて行ってもらえるのを待たなきゃいけないの。
出国するまで耳にタコができるほど言われた「女性だから」という言葉を思う。彼らはそれを心の底から親切のつもりで言っている。自分は正しいことを行っていると信じている。そしてたぶん同じ口で、イスラムは前時代的だ、女性の権利を侵害しているなんてことも言うんだろう。日本はやっぱり自由でいいよなぁ、あっはっは。そんな風にのんきに笑えるほど、私達は彼らと遠くはなれているわけではないのに。
「おにいちゃん、どこでおりるの?」
「ええっと、○○駅を今出たとこだから、次が○○駅で、だから次の、次の――」
「あっ、みてみて! うみだよ、おにいちゃん、うみー」
おいおい弟くん、お兄ちゃんがきみの質問に答えているんだから、最後まで聞いてあげなさいな。そんなことを思いながら、でも下の子ってのは大概そういうもんだよな、とちょっと苦笑しながらこの微笑ましい会話を聞いていた。
二人はちょうど向かいのシートに座っている。弟は靴を脱いで、窓のほうに体を向けていた。車内に乗客はまばらで、近くに保護者らしき人はいなかった。きっとこの兄弟は二人っきりで電車に乗っているのだろう。はじめてのおつかい的なやつかもしれない。電車に乗るというだけのことが、子供にとってはとんでもない冒険になるものだ。
さっきからお兄ちゃんは立ち上がったり座ったりして、ずっとそわそわしている。車内の案内表示や路線図に目をやったり、窓の外を見ながら現在位置を確認しようとしたり。それからポケットに手を入れて小さなメモを取り出すと、真剣に路線図と見比べていた。メモは親に渡されたものだろうか。無事に目的地に着くために、ぼくがしっかりしなければ。そう自分に言い聞かせ、不安と戦っているみたいだった。
一方弟くんの方は、多分なんにも考えていない。時おり足をぱたぱた動かしながら、窓ガラスに額をくっつけて外の景色に夢中になっている。なにかしら面白そうなものが目に入ると、それをお兄ちゃんにも教えてあげようとして彼の袖を引っ張ったりしていた。大人のひとが一緒にいなくても、ちっとも不安がる様子はない。それはお兄ちゃんがそばにいてくれるからにちがいない。
心配そうに車内を見渡す兄と、外を見ながらはしゃぐ弟。対照的な二人の姿は、ずっと見ていても見飽きることがなかった。
やがて二人が降りる駅が近づいてきた。車内放送に耳をすませたお兄ちゃんの表情が引きしまった。お兄ちゃんは、弟の肩を叩いて次が降りる駅だということを教える。それから弟に靴を履かせてやると、一緒に扉の前まで歩いていった。
電車がホームに差し掛かったとき、はじめてお兄ちゃんは肩の力を抜いたように見えた。きっと、ほっとしたんだろう。弟くんは相変わらず楽しそうに、お兄ちゃんに話しかけている。
開いたドアから駅のホームに降り立った二人は、しっかりと手を繋いでいた。
その姿を見ていると、泣きたくなるほど胸が痛くなった。電車がすいていて、誰にも顔を見られずに済んだのが救いだった。