救われない奴らがそれでも少しは救われた気分で生きられるような世界のために働いてきた。
でもふと気づいたんだ。
俺がやりたかったのは救われない奴らに痛み止めを射って回ることじゃなくて、痛みそのものから救ってやることだったんだと。
辛い人生を生きている誰かに、生きるに値するような楽しい何かを用意してやることが救いなんだと思っていた。
そういう才能を持った誰かを陰で支える立場になろうと頑張ってきた。
そのアプローチの仕方はピント外れだったのかなと今更気づいた。
辛い思いをしている誰かの心から一時的につらみを忘れさせるコンテンツなんていくら作っても辛さそのものは無くならないんだ。
虫歯で苦しむ人に正露丸を配った所で、状況はそこまで改善出来ないんだ。
もしも痛み止めという形で彼らを救いたいのなら、それは手術台の上で使われる痛くない注射針やスプレー上の麻酔なんだ。
痛みの少ない治療、そもそもの虫歯を減らすような技術、そういったものなんだ……。
歯に空いた穴に詰めるその場しのぎじゃなかったんだ。
俺が救いたかった誰かは、俺自身は、俺自身と同じ苦しみを持った人たちは、もっとずっと若い頃にとっくに救われていて欲しかった過去の俺が必要としていたのは、そういうただ死に向かう歩みを絡め取って時間を稼ぐだけの痛み止めじゃなかったんだよな。
根本的な所で、死にたいだとか、毎日辛いとか、何でこんな人生を生きなきゃいけないだとか、何で皆が耐えられているのか理解できないとか、そういう事を最初から考えなくていい社会を生み出すような技術を生み出す立場を目指すべきだったんだ……
いや……目指していたんだ……でも競争率が高すぎるから……自分のやったことが実を結ぶビジョンが見えなすぎるから逃げてきたんだ……
引き返してえなあ。
でも無理だろうな。
その行き先への終電は出ちまった後だ。
乗り継いでいけばまだ間に合うのかも知れないが、俺の頭じゃ路線図の読み方が分からねえ。
自己の変革は必ずと言って良い程に苦痛を伴う