はてなキーワード: 誹謗中傷とは
https://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2023/01/22/antena-1192/2/
そもそも草津町長の冤罪に加担した嘘つき。それで小川たまかは終わってる。信頼できるわけがない。
こんなデタラメしか書かないライターがいれば雑誌も売れなくなります。
【タグ】#Colabo|#ナニカグループ|#仁藤夢乃|#暇空茜
まずタグでバカだなって思います。領収証を出さない連中を擁護するのは反社ですわ。
暇空氏は、女性たちが生活保護受給をしていることの根拠として「東京都の18歳未満一人暮らしの生活保護費を計算サイトに入れてみたら、140530円って出てきた」と書き、同法人がフェイスブックにアップしていた画像の中で、女性たちがホワイトボードに書いた「1ヶ月の生活費」約14万円と一致したことを挙げている。
その後、暇空氏は東京都に対して2回目の住民監査請求(11月2日受付)を行なったが、年明けの1月4日に一般発表された結果では、請求の多くが「請求人の主張は妥当ではない」と却下された。ただ、人件費や経費の妥当性について一部不当とされ、2月末までに実態の再調査を行なう勧告があったことも明らかになった。
なにを甘えたことを言ってるんだろう。
この結果を受けてネット上では同法人への批判・中傷が過熱。作家の百田尚樹氏と有本香氏が自身のユーチューブチャンネルに暇空氏をゲストで招くなど、暇空氏への支持を表明する著名人も出始めた。「2ちゃんねる」開設者の西村博之氏は仁藤氏の投稿を引用してツイッターに〈未成年の女性に「性病を移されないように売春してね」と税金からコンドームを支援する一般社団法人Colabo〉(1月12日)と投稿するなどし、中傷や揶揄を誘発している状況だ。
暇空茜が誘発した根拠が書いていません。
これに至ってはなにを言っているのか不明。
ネットや他のメディアで「女性マモレー」「対策シロー」「法律ツクレー」の大合唱に
今のドン亀みたいな政権がクソ重い腰上げて、ようやく法制化しようとしたところに
朝日新聞あたりが「いやちょっと待て、これ政治家に使われる危険ガー」と、急ブレーキをかけてくる
あいつらだって人間なんだから、そりゃ都合のいいものは使い倒すわ
この世が人に優しく親切に繊細になればなるほど、政治家にも甘くなる、当たり前の話だ
昔の落書や川柳なんかそうだったけど、笑いというのはわかりやすく強力な武器なわけで、だからこそ一般庶民は「政治家を笑い倒す」という武器を確保しておくべきであるはずなのに
暇空のときもそうだけど、色んなサイトでログやらスクショやらを継続的に取って保存している。
アカウント付きのところがやはり面白い(ヤフコメ、はてブは最高)。
で、福岡のストーカー殺人の第一報のときに警察を誹謗中傷していたログやスクショがたんまりある。
普段ならそいつらの流れをずっと追っていき(アカウント名などで検索すると日付とともにスクショと文言が出るようにしてある)、眺めてはニヤニヤしているだけだ。
例えば詐欺グループが「警察のものだけど、~について情報開示請求をしたので~」みたいに。
はてブはわからないけど、ヤフコメなんかは高齢の情弱だらけだから引っかかる率は高い。
相手に優位に立った状態でいられるから、相手の判断力思考力は抑えられるし、どこかに訴えることを抑制できる。
なんでも公共の場で、こんな感じのことを言ってしまったらしい。
——マンガ編集者の提案に、愚直に従ったネームを返されるとガッカリする。
これにコメントが殺到している。パワハラ類型だの、ハラスメントだの、イキリだの、プロ意識が低いだの、作家のやる気を無くさせて潰してるだの、いじめだの… 中には、サイコパスだ、とするものさえあった。サイコパス?
彼らの中では無名の大衆が誰かを「サイコパス」だと断じるのはハラスメントにもイジメにもならないらしい。
だけど俺は個人的には、マンガ編集者にも非はあると思ってるぜ。なにせ、世間的にはマンガ編集は悪の職業だからな。
世間一般の理解では、マンガ編集は発注元で依頼主で、作家のネームは見積もりで、編集者の提案は修正指示に当たるようだ。そんな中で、リテイクに費用も発生せず指示の意図も明確にしないのならば無責任だとみなされるのも無理はない。集団リンチの社会的制裁を受けても仕方ない。コメントには、マンガ編集者は何の作業もせず文句を言うだけで給料を貰えるのだ、と言っている人までいた。「内心でガッカリする」マンガ編集者は作家とコミュニケーションが取れてないと思われている。「編集者の提案には必ずしも従わなくていいですよ」のような事を作家に伝えてないとみなされてる。
だからマンガ編集が公共の場で、業態の実情を知らない世間一般の人に向けてその考えを伝えたいなら、「編集者の提案には必ずしも従わなくていい」「もっと面白くして持ってくるのが作家」ってコンセンサスは取れてますよ、信頼関係は確立されていますよ、とワザワザ明言する必要がある。
ここ最近、ネット上の誹謗中傷への風当たりが強まっていて辛い。
好き勝手に悪口を書いたら開示請求されて訴えられるリスクがあるというのはさすがに怖い。もう迂闊に悪口書けない。
でもさー、なんというか、そういうクソみたいな便所の落書きを垂れ流しにできるのがネットだったんじゃねぇの?
SNSとかで本人に届く形で執拗に暴言を浴びせたりするのはダメだと思うけど、掲示板とか自分のSNSで悪口をポッと書くぐらい許してほしい。ネガティブな感情でも、あ、自分と同じ考えの人ってやっぱりいるよね、って共感し合いたい。
あーーー、めんどくせぇの。
どこにも吐き出せないのでここで話させてほしい。
題名の通り、5年推してたグループのSNSアカウントをブロックした。
名前を出した上でもっと詳しく言うとTwitterにあるハロプロの全ユニットのアカウント、事務所の公式アカウント、ファンクラブのアカウント、とにかくハロープロジェクトに関するTwitterアカウントを全てブロックした。
メインで推してたグループはモーニング娘。、5年前にSexyZoneとコラボした時の歌番組をちょうどリアタイしていて今のモー娘。ってこんな歌上手いんだと感動し、そこから過去のライブ映像とかを漁るようになった。
とにかくモー娘。は曲が多くて、推し始めの内はどんどんどんどん好きな曲が増えていくのが楽しくて仕方なかった。
その内メンバーのことももっと知りたくなって加入時の映像や過去のブログとかも漁りまくった。
Twitterでももちろんメンバーのことを検索した。今思うとその行動がそもそもいけなかったのかもしれない。
その頃には「推し」という存在ができていたのだが、その推しが、めちゃくちゃTwitterで叩かれていたのだ。
確かに推しはお世辞にも乃木坂にいるような可愛い系の子ではなく、どちらかというと中性的な見た目をしていた。きゃぴきゃぴした感じもなく、声も今時のアイドルにしては低かった。自分はそういう子の方がタイプだったから自然と好きになってたんだけど、Twitterに生息するオタクにはそれが気に食わなくて仕方なかったらしい。
堂々と名前を出してブスという人もいたし、歌番組で抜かれるたびに評判が下がるから映すな、しまいには今のモー娘。がテレビに出れないのはあいつがいるからだ、なんて言い出すオタクもいた。
もちろんそんなこと言ってるのは一部の声の大きいオタクだけだったし、大抵のオタクは今の時代アイドルが簡単にテレビに出れる訳ないし、そもそもその頃のモー娘。はとにかくライブに力を入れている印象で、テレビに出れないのはどちらかというと事務所のせいなのでは…という意見だったように思う。
それでも正直最初はめちゃくちゃ心が痛んだ。今まで2次元のアイドルしか推してこなかった自分としては、ネット上で人の好きな子を、というか生身の人間をここまで傷付けることができる人たちがいることに純粋に驚いた。
でもメンバーのことは好きだったからとにかく手当たり次第に叩いていたオタクたちをブロックしてTLを綺麗にした。
ブロックしたのもあるとは思うが、年月が経つにつれて推しが実力をつけていくと、次第に堂々と名前を出して批判するようなオタクは減っていき、推しがオタク全体から評価されるようになってきた。
これでやっと心置きなくオタ活ができる…と思っていたが、そう簡単には行かなかった。
主に叩かれるようになったのはグループのリーダーだった。理由は色々ありすぎて一言じゃ纏められないけど、最初の火種は歌割りについてだったと思う。
モー娘。は歌割りの偏りがあり、主に先輩メンバーで構成される曲が多かった。特にリーダーの子は歌割りがおおく、それが一部のオタクにとっては気に食わなかったらしい。
あいつが歌割りを独占してるせいで後輩が育っていかない、自分が目立ちたいからって後輩の出番を横取りしてる、というような意見が目立ち始めた。
ただ、歌割りを決めるのは事務所だ。そこに不満が出るのであればどう考えても事務所の采配ミスだが、その頃コロナもあってオタク達は純粋に鬱憤が溜まっていたのか、そんな冷静な意見を出せるオタクは少なかった。自然と歌割り問題は「自分の歌割りを譲らないメンバー個人のせい」ということになってしまった。
その内後輩たちが卒業していくと今度はいつまでいるんだと言う声が多くなってきた。仕舞いにはメンバー自身が発信した卒業理由を信じずお前がいつまでもグループにいるせいで後輩が卒業したんだとかいう妄想を事実かのように語り出す輩も出てきた。内部事情など何も知らないオタクがである。
その頃にはもうそういうやっかいなオタクが集まる界隈なんだなと半ば諦めてオタクブロックに勤しみながら現地に行ったりして楽しんでいた。
いつか卒業するものだと思ってはいたが、めちゃくちゃショックで一日何もできない日が続いた。
しばらくして気持ちが落ち着いてなんとなくTwitterを開いたら、何故かリーダーが今までの比ではないほどにめちゃくちゃ叩かれていたのだ。
どのくらいというと、インスタのコメント欄がほぼ批判で埋めつくされるレベルで荒れていた。
今までは伏せ字とかを使ってTwitterでゴキブリのようにコソコソ呟いていたオタク、というかアンチたちがインスタのコメ欄に集結してしまっていた。
まさか本人に向かって堂々とありもしない妄想を並べにくる輩がいるなんてと驚いた。
そして一番驚いたのは事務所の対応だった。これだけ本人に攻撃が集中しているにも関わらず、なんと事務所はインスタのコメント欄を封鎖しなかったのだ。
実はリーダーの子は以前にも厄介なオタクに目をつけられ、オタクに内部事情を漏らしているというリーク(デマ)をされたことがあった。
その後事務所から公式でデマだということ、そして今回の件について法的措置も検討していると発表された。
その時自分はこの事務所はいざという時はちゃんとメンバーを守ってくれるんだと思い安心したのだが、事務所を信じた結果これである。
推しの卒業公演に当たり現場で号泣し、リーダーのブログを読み感動し泣き、そして次の日またそのブログが荒れていた。
理由は全体的な文章が皮肉めいていること、推しの活動期間を短いと表現したことのようだった気がする。
正直自分が読んだ時は皮肉なんて感じなくて、すごく愛のある文章だと思ったし、活動期間については皆推しが卒業を発表した時に大抵のオタクは「(オタクの体感として)短かすぎる、まだいて欲しかった」と言っていた、それと同じ気持ちなんだと解釈していた。
(というかここに関しては他のオタクが指摘していて、叩いていたオタクは「短いって言うのは比喩だから!!」とキレていた。いや、わかってんじゃん比喩だって……)
この流れを見て、せめてリーダーの子が卒業するまでは現場で応援して様子を見よう、という気持ちから、推しの卒業と同時にオタ卒しよう、という気持ちに完全に切り替わっていた。
もう疲れてしまった。リーダーの子は推しの次に好きな子なので余計だった。好きな子のことをエゴサするたび批判のツイートが嫌でも目に入りポチポチブロックするのはもう推しの時だけで充分だと思ったし、ちょうど推しの卒業公演の2週間ほど前から精神的な理由で休職していた。
グループを推し続けられる体力も精神力も今の自分にはないなと薄々感じていた。
オタクは内部事情を知らないし知る権利もないから、もしかしたら内側の部分ではちゃんとメンバーそれぞれのメンタルケアはしてくれているかもしれないが、それをしてくれる事務所だと思えるような信用がもうなくなってしまった、だって本当に何も見せてくれないから、動いている姿勢を。
ここで事務所がメンバーのヘイト管理のために歌割りの再編成をしたり、インスタのコメ欄をすぐ封鎖したり、メンバーへの誹謗中傷について言及してくれたり、要はオタクに対して「メンバーを守る姿勢」を見せてくれれば、たぶんSNS全ブロックなんてせずのんびり在宅オタでもしていたと思う。
でも事務所はしてくれなかった、たいていの問題の火消しはメンバー自身がさせられていた、メンバーはいちゃもんを付けられただけなのに。
内側の部分ではちゃんとしてるかも知れなくても、外側から見てる自分からしたら何もしてないのと一緒だった。
本当に大好きなグループだった。というか今でもメンバーは大好きだ。YouTubeでショート動画が流れてくるたびにブロックを解除しそうになる、でもその度推しのアンチを半べそかきながらブロックしていた日々を思い出しては踏みとどまってしまう。
本当のオタクならこういう時こそ推し続けろよと思われるかもしれないし、自分もそう思ってる部分はある、でも自分はそういうオタクにはなれなかった。
流石にここで書いた内容をオタ友には打ち明ける勇気はなかった、周囲のオタ友は自分が勧めてハロプロを好きになってくれた人たちばかりだから。
そういったこともあって周囲のオタ友には休職を理由にちょっとオタクを休むだけ、とまるでまたハロオタに戻るような言い方をしているが、たぶん会社に復帰しても戻らないと思う。
近頃の学生は人の意見に批判的なことをいうのをとてもためらうのだそうだ。
建設的な話し合いをするためには同調ばかりでは議論が深まらないのだけれど、
学生は批判的な意見を悪口やその人の否定と捉えて配慮してしまうのだそう。
否定から入る誹謗中傷まがいの意見に溢れたネットの言論空間を見る限り、
顔見知りの間ではそれが正当な議論の場であっても人間関係を優先したいということなのだろう。
あるいは非匿名環境では言いたくても言えないストレスが匿名空間で吐き出されているために、
人に対する意見や反論が中傷と言い得るほどに過激化してしまうのかもしれない。
そうした意図をもって書かれる批判や批評ももちろんあるだろうが、
私は自分にとって耳の痛い批判の声を攻撃とも排除とも考えていない。
批判してもらうことで初めて気づくことのできることもある。
誰かに自分を批判をされたと感じた人がそれを攻撃と捉えて反撃を仕掛けてくる。
批判に対する反論であれば良いことではあるが、批判を攻撃と捉えた人の反論には、
罵倒や人格攻撃や曲解が少なからず含まれ、おおよそ感情的で議論を成立させるような信頼関係を築くことができそうにない。
マウントを取られたと思い込んだ人がマウントを取り返しにいくような言い争いは不毛の極みであり、まったく生産的ではない。
寛容の必要を訴えたら寛容でないひとを受け入れないのは不寛容だというような皮相的な言葉遊びに時間を浪費するのは、
不寛容な人を受け入れられない人は不寛容か、多様性を否定する人を否定するのは多様性の否定か、
揚げ足取りやマウントの道具として消費するだけのことであればそれは不毛としか言いようがないだろう。
それでもあなたはやはり批判を攻撃と断じて反撃したくなる衝動に抗えないだろうか。
じゃあ、読むに耐えない侮辱を毎日大量に書き続けられるキチガイや、中傷デマを有料で配布するような輩の発言を一部しか読まずに、「こいつは誹謗中傷をしている」と批判する事自体が誹謗中傷になっちゃうね