はてなキーワード: 証左とは
相変わらずネットで起きまくってるしょーもない男女のイザコザや恋愛に関する喧々囂々たるミソジニーミサンドリー…
これら全て結局の所「恋愛に向いてない人間が恋愛しようとする」から発生するのではないか?
向いてない、本来すべきでないスキルに才能を振ってるから間違いなのではないか?
みんな一斉に「やーめた!」でとっとと恋愛なんて諦めてしまえば、世の男女の諍いなぞ簡単に無くなるのではなかろうか?
野球やサッカーとか体育会系から音楽や小説とか文化系から数学やプログラミングとか理系まで、
「得意な人だけやればいい。苦手な人はやらなくてもできなくても問題ない。努力次第ではどうにもならない」となる。
だがこと「恋愛」となると
「恋愛は得意苦手とか関係なく絶対すべきもんだ!恋愛は無理とか、やること全部やったのか!ちゃんと努力しまくってんのか!?」
…なノリのことを言う輩がわらわら出てくる。
いやもうそのほとんどとはどの程度かと言うと、もしや99%以上の人間が恋愛に向いていないのでは?
https://anond.hatelabo.jp/20181205222003
多様性が当たり前にあって、当たり前に受け入れられる社会が生きやすい世界だそうだが、本当にそうか?
例えば、ロリコンが子供と遊ぶことを受け入れられる親はどれだけいるんだ?
例えば、明らかに精神を病んでしまっている人が街を徘徊するのを受け入れられる人は?
常識を同調圧力と言うが、同調圧力が生む常識というのは俺らの「普通」の生活を守るための砦じゃねーの?
そりゃ普通から外れてしまった人間に厳しい社会なのは言うまでもないよ。
でも、その普通が見せる当たり前の生活が与える安心感はなにものにも代え難くね?
http://mubou.seesaa.net/article/463035607.html
どうも皆さん勘違いしておられるようだが、妻、彼女のクックドゥー料理を不満に思う男性たちは、味が嫌いなわけでもないし、金がかかると誤認しているわけでもない。
手料理とは本来、妻や彼女が愛情を込めて作るべきものだ。すなわち、クックドゥーによって省略されているのは、パートナーに対する愛情に他ならない。あるいは尊敬心や、いたわりの心などだ。スパイスや調味料を混ぜる手間暇にこそ、それらの「真心」が宿るのだ。言うまでもなく、真心は時短などという名目で省略されて良いものではない。
「クックドゥーに怒る夫や彼氏」に対し、「使った料理と使ってない料理を食べ比べても、違いが分からない」「いかにコスパに優れているかの証拠を見せつけても、意見を変えない」といった批判もあるようだが、これこそ、彼らが味や金銭を問題にしていない証左と言える。彼らの本音は「真心を省略するな」であって、自らの内心を勘違いしているか、ストレートに表出できない状況にあるだけだ。
ちなみに、自分はクックドゥーに関しては「おいしい」以上の感想がない中年のおっさんで、このような言動をとる男性は友人にも同僚におらず、話したこともないので、上記の全ては忖度である。
むしろ、「時間や手間暇とともに愛情が省略される」と考えるのは、自分の周囲ではほぼ女性だ。「毎日クックドゥーでは子供への愛情が足りなくなるのでは」みたいな。あるいは、「子供には愛情のこもった手料理を食べさせたい」。もしくは「○○ちゃん家のお弁当はいつも冷凍食品だけど先生に言った方がいいのかな?どう思う?」。
ともあれ、「クックドゥーに怒る男性に怒る人たち」は、自分が何に怒りを感じているのか整理してみたら良いんではー、と思いましたという話でした。
なんか「男に誘われなくてツラい」みたいなこと言ってる女性を見てるとさ、
と思ってる女性ってそれなりにいるのかなあ、と思ってしまうんだよね。
9割以上の男にとって、女性へデートの誘いしたりアプローチするのって、
話しかけるのも電話するのもライン伝えるのも、「嫌われないかな…キモいと思われないかな…」
と話す内容や文面を考えに考えて悩みに悩んでやっと行う…!(もしくはしない)って感じだよ。
(非モテ男が「要は勇気が~」と煽られ続けたのが良い証左でしょ)
確かに、デートに誘ったりとかサッササッとスマートにできる男はいるけど、
日頃ブラック企業がーとか言ってるメディアがほぼ取材環境の企業としての改善を語らない。
応援や擁護するジャーナリストさんは何も抜本的改善は提案しない。
こんなことをさせてしまったのメディア側の企業としてまるでできてないことの証左である。
批判する人や視聴者に「ジャーナリストとはこんなことをしてまでこんなたいそうなことをしてる人なんだから批判すんなよ!」とか言ってる前にメディアは何してんの?と批判される側である。
世の中に伝えるべきならコストを使って情報を仕入れるべきだが、そんな大層な扱いをフリージャーナリストにしてたわけでもなく。
韓国の徴用工の個人賠償請求問題を論理的に考えた場合は、「個人請求権は消滅してないが、その請求先は韓国政府のみであり、日本を対象とした請求は日韓基本条約において最終的に終了している。これを反古にするとは、日韓基本条約の破棄に相当する行為と等価とみなされてしかるべきである」以外の解答は出てこないはず、ではあるんだけど、リベラル方面の論調は「かつて韓国人に負担を強いたことに対する被害者感情の清算が済んでいない証左だ。個人賠償権は消失してないのだから、日本はあえて韓国が納得するまで謝罪すべきである」というようなものが多い。
こうした、意味不明に思えるリベラルの論調を分かりやすく表現すると、被害者に対する共感や同情と怜悧に突き放す日本の対応への反感のみがあって、いかにも情緒的な考え方が大事にされていて、正しさは重要ではない事が分かる。保守、ネトウヨ界隈で、こうした「共感」と「正しさへの反発」は、受け入れられない。保守界隈は現実主義者を自称する人が多いだけに、法的根拠や客観的事実を筆頭にした、曖昧さを認めない冷たさがある。
様々なニュースについてるブコメの平均的な傾向として、共感のリベラル、論理の保守って傾向は強い。もちろん、例外はあるでしょうが。
保守がリベラルをものの道理が分からないバカと罵っても、感情が収まらないリベラルが理屈には共感するはずがない。韓国人可愛そうと、韓国人は間違っている、の間に議論は成立しない。感情的な女性と、理性的な男性との間で齟齬が起きたときの様なもので、理屈もくそもない駄々こねで譲歩を引き出してきた韓国とリベラルだけど、徴用工問題では客観的根拠が明確なだけに決して日本の譲歩は引き出せないだろう。
一個人としては他人に共感できる事は好ましい事だけど、共感を政治問題、社会問題にまで延長してしまう事はどうなんだろうね。社会は論理的であるほうが正常だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/373013740/comment/harisenbon_fukurahagi
“女性のいう清潔感って「毎日風呂入って、着替えて、歯磨きして、小奇麗にする」程度では絶対にクリアできない。
「髪型をおしゃれにして、ジャストサイズの服を着こなして、朗らかな表情」くらいでやっと達成できる奴”
ほんっと男女とも実際には人それぞれだとは思うんだけども、というか思うからこそちょっと長いけど書きます
(最初に書きますが「だから女の方が苦労してるんだよ」という結論ではないです
どちらからの押しつけもなくなればいいなという話です)
世の中の小綺麗に見えてる女性はおおむね上記のようなことを毎日やって、さらに
人間扱いされるくらいの圧力の中で自分の外側を保っているように感じています
もちろん様々な理由や主義でそうでない、できない人もいるけど、
そう括られてしまう人は初めから今の社会における「人間の女」にカウントされていない場合が多いように思います
(ルッキズムやナチュラルな性差別感に基づいて考えない人にはきちんと「人間」として認識されていると思いたい)
一般に「女性」と聞いて頭の中でどういう女性像をイメージするでしょうか、
大抵は上記のブコメをすべてクリアできているような小奇麗な女性を想像しないでしょうか
アウトラインが整っていて、太っても痩せすぎてもなくムダ毛とか加齢臭とか想像もしないような
でも現実には女性も生き物なので、脇にも腕にも足にも指にも鼻の下にも顎にもモミアゲの下にもムダ毛超生えるし
20代も後半になれば(人それぞれだけど)三日間くらいうっかり枕のタオル替え忘れると加齢臭してくるし食べれば太り夏には汗をかき
脂性肌なら朝髪洗っても夜にはもう後頭部からちょっと嫌な臭いしてるの自分でも感じてヒヤヒヤしたり
その逆ならフケが黒い服で目立っていないかとか気にすることが際限なくあります
でも社会に出てる10数時間はそれが世間にばれないように朝シャワー浴びて髪2度洗いして顔洗って歯磨いて
体も洗って匂わないように、なんならいい匂いくらいデフォルトでするようにでもわざとらしくならないように気を遣って
定期的に毛も剃ったり抜いたりそもそも毛なんて生えてませんみたいに装って
でもそこまでやってやっと「基本の状態」が整ってて、化粧とか服装のセンスとかがその上にさらに載ってく
ブコメには「達成」と書かれているけど、女性にとってはそこが最低限のスタートラインで、ゴールじゃない
ちょっと怠って表面が綻びようものなら「もう少しきれいにしたら?」とか「疲れてるねー生理不順?」とか
「女の子なのにいい匂いしないね」「もうちょっとニコニコしてなよ、女の子なのに感じ悪いよ」
とか男女問わずわりとカジュアルに飛ばしてくる人がいます ちょっと整えたら逆に「男できたの」とか
とにかく「変化しない一定以上の感じよさ」が一般的な女性にはなければならないという風に思ってる人がおり
決して悪びれている風でもないので「それが普通」くらいの中で生きてる人がたくさんいるのだと思います
(男女ともにたくさんいるんだけど、スタートラインの違いに男女の非対称さが今のところちょっとあって、
こういうこと幼稚園とか小学生とかの頃から言われ慣れてる女の子は「それが普通、それ以下は怠けてる」くらいの基準で生きてて
女以外にはなれないのでそれが別に普通ではない、ということに気付けない人もたくさんいるのではと思う
私も中学生の頃「一重でブスなのになんで化粧とかで直そうとしないの?直して当然じゃない?」
って同級生に散々言われてました 女の子はある一定以上整っていなければそもそも価値なし、
努力して当然、何らかの方法で自分の力で直してから土俵に出ろくらいの感じです
でもそれはその子たちがある日突然そう思ったわけもなく、ここまでやってきた社会がそれと教えてるからだと今は思う
そういう人が多発する「清潔感」のハードルもそのくらいになっていて、男性にも同性にするのと同じように
その人にとっての肥大した、でもあまりにもナチュラルな「普通」を押しつけているのかもしれない、
というような現状があるのはちょっとだけ知ってもらえたらいいなと思います(受け入れる必要はない)
それはここまでやってきた社会の在り方の中で「女は美しく」という圧力が働いてきた結果のものだと思うし、
裏を返せばそれは男らしくとか男のくせにみたいなキツく厳しい圧力も同時に存在してることの証左だと思います
オシャレも清潔感バリバリにするのも男女共に自由だしときどき楽しくもあるけど、
だから「今こういう現状がある」ということは少しだけそうなんだーと思ってもらって
「誰であれ人から見た目だけでジャッジされてそのままになる社会が変わるといいよね」ってなっていけるといいなと思う
この話のうえで「でも女なんだからムダ毛の話とかぶっちゃけるなよキモい」みたいに言ってもいいと思う人がもしいたら、
「清潔感」を押しつけてくる人とそれは問題の根っこが同じなのではないか、と感じます 社会として考える問題と思います
見た目問題で苦しんでる人はほんと男だけでも女だけでもないし、
今自分の見た目に拘ってる人でもできたら解放されたいって思ってる人いっぱいいるはず
私もできたらもう少し化粧とか見た目とか体型とか考えないでラクに生きていきたいので
お互いがお互いをジャッジすることが当然ではない、ってことが共有できたらなあって思う
こういう感じで対立が深まっていくのすごく嫌なので、書きました
【追記】
少し言葉足らずだったな、というところをちょっとだけ追記します
“なるほど、個人的には身なりを飾る事が楽しくて好きなので、同じくそれを楽しんでる人と付き合う事にします。”
とブコメにありましたが、私も装う事、化粧をすること自体は好きです(時々疲れてしまうけれど)
ただいつも自分が好きなように完全にはできないことや、不完全さを勝手に見出されて揶揄されること、
たまに力を抜くことを許されないこと、他人から正しい女の子はそうじゃないでしょ、などと言われること等を問題と感じています
装う事を楽しむことも、それを選ばないことも誰もが自由に行使するべきだと思うけれど、
その価値観を自分以外に押しつけることを問題に思っている、ということを書きたかったのですが
オシャレを楽しんでいる方は女性が装うことは世間の圧力からだけだというのか!と不快に思われたかもしれません
その点を非常に申し訳ないなと思いました もしそのように思わせてしまっていたらごめんなさい
コスメが好きな人も、服が好きな人も男女問わずどんどん主体的に楽しんでほしいと思います
前述したような社会的な圧力のある現状と、人間が主体的にファッションを楽しめる状態とは両立していると思っていて
本文に書いたように私は一重で、自身の一重を化粧を覚えた今ではとても気に入っています
私は私で主体的に一重の自分の顔やそれに似合う恰好を楽しんでいるつもりですが、
未だに「一重ヤじゃない?プチ整形しないの?」とか「せめてアイプチしたら」と言ってくる人がいたり
「お母さんはもっと柔らかい服装が好きだけどなあ」「男はそういう恰好好きじゃないよ、モテないよ」と言われたりする
その状況やそれを言わせてしまう背景には強く反発したいと思っています(現実には結構難しいですが…)
そしてこういった抑圧は性別に関わらず装う事をやめたいと思っている人や
馬鹿らしい、苦しいと感じている人にも同様になされるべきでないと思っています
また長々と書いた部分を苦労自慢のように思わせてしまったことも申し訳ありません、
私は「小奇麗に見える事」にしがみつく状態にときどき疲れてしまって降りたいと思いつつ
それが恐ろしくてなかなかできない人よりだいぶ毛深い今のところ世間に負けているただの成人女性で
その私自身という個人と私の目から見た狭い観測範囲の話しかすることができませんが、
こういう現状もある、ということをどうしても書かなければならないと思って書きました
バカバカしい主張でたぶんフェミ側の人は反応すらしてくれないと思っているけど、ディルドやオナホが規制されたら困る人も居ると思うんだ
明らかにディルドやオナホは男性一般・女性一般を対象にした性的消費であって、その存在の認知は少なくとも成人にはあるよね
流石にNHKへディルドやオナホが大衆向けの番組の中へ登場することはないとは思うけど、社会で存在が認知され性的消費されている事実は否定されるものではないはず
ディルドやオナホを挙げての主張はバカバカしい主張であって極論のように感じるのだけれど冷静になって考えてほしいんだよ
ディルドやオナホは少なくとも成人には認知されている。そしてそれは男性一般・女性一般の性的消費ということが否定できない
だったらなぜ成人の中でディルドやオナホの社会的認知が進んでるんだ?
あなた、わたしが「議論するのが面倒くさい」と言ったら「議論出来ない」(anond:20180927135356)と勝手に読みかえたよね。
議論を「面倒だ」と思う=「議論に足る精神力すらない」=「議論できない」
そのくせ、LGBTの人たちの批判を、「相手の論を曲解している」(anond:20180928120547)とLGBTの批判を無効化している。
LGBTという概念を知らないで、LGBTを批判するのは「曲解」どころの話ではないし、
そもそもLGBTとは一般人の世界に入り込もうという闖入者であり、
その概念すら知れ渡ってない存在が自意識過剰・被害妄想な曲解で杉田議員を攻撃することへの問題提起が小川論文。
「LGBTそのもの」ではなく「連中の振る舞い」を否定するのに理解はいらないし、理解の強要は一般人へのセクハラ。
まあ、そもそも新潮45が(あなたの定義で言う)「批判」をしたLGBTは「生存権」のある人で、表現ではないから、新潮45に対する「批判」とはまったくレベルの違う話なんですけどね。
LGBTへの批判は生存権を脅かすものではない。ここで生存権を持ち出すこと自体があなたの論理的でないことを表してる。
「犯罪だから」は、あの器物破損、たぶん新潮社の看板について言ってるのだと思うけど、あれは犯人捕まってないし、その属性も、思想もわからない現段階でうんぬんするのは早計。
デモは違法ではないし、暴言って具体的に何よ? もしLGBTの人の内に暴言、犯罪する人がいたとても、それを「LGBT」という属性に帰結させて語るのは、
相手の発言をことごとく「差別」と断じて封殺を図るのは「暴言」と呼ぶのも生易しい。
そして今回の件で多くのLGBTやその支持者が杉田議員や論者たちに暴言を吐き、ヘイト呼ばわりしてるがそれをいさめる良識あるLGBTはほぼいない。
これはLGBTという属性の人たちの大多数が優遇をもとめ被害妄想に走っている証左と言えよう。
このようにあなたの「批判」「排除」「差別」という言葉の使い分けは、あなたのお気持ち次第なわけで、そこに一貫した論理はないわけだ。
あなたこそ、LGBTが一般人にしてる「排除」「差別」を「批判」「犯人は分からない」などと正当化してる。
つまんねぇ返しだな。