はてなキーワード: 矯正とは
なんとなく気になったブコメがあって、
その人のブックマークページに飛んだら、
その中に「だからお前らはモテねーんだよ」というコメントがあって、なんか腹立った。
普段人に言われても、誰かが人に言われてても、全く腹の立たない言葉なのに。
自分はモテない自覚あるし、それは嫌だけど矯正不可能な自分の一面だと思ってる。
それにたとえばテレビで芸人のカッコいい方が不細工な方をそんな言葉でイジってても、俺は気にならない。
つまりモテ非モテの階層構造自体は厳然と存在すると認識している。
ではなんで腹が立ったんだろうか。
コメントの趣旨は「デートにそういう店選ぶなんて、だからお前らは…」みたいなことだった。
それが、
俺がよくオベンキョーしてきたマニュアルも読んだことないお前らはバカ(俺はオベンキョーしてて偉い)
みたいな言い方に見えたんだと思う。
つまり、大したことのない知識や経験を振りかざして偉そうにする態度に腹が立ったのだ。
この人もそう見えたんだと思う。
・同性愛者なら「同性愛こそが正しい愛の形である」と子供に刷り込むだろうというのは偏見強すぎる
日本の法律では夫婦ではなく一人でも養子を取れるらしいけど、それを「男女の夫婦ではない不自然な家庭で育てることは虐待」と言う?法律を変えて禁止する?
・ゲイカップル(男性の同性愛者同士)じゃなくて、レズビアンカップルだったら? バイセクシャルやパンセクシャル(全性愛)なら? たとえ本文で言われている「自然な営み」であっても、実際のセクシャリティはさまざまであって、どれかだけに「おかしい!」と思うならば自らの認識を疑った方がいい
・友情婚のような恋愛関係にない男女が養子を取った場合、お互いを好きあって子供を生むという「自然な営み」をしてないからいけないこと? 「恋愛するな」という教育をするだろうから虐待になるのか?
・同性愛者=異性愛を嫌う人ではない もちろん異性愛者=同性愛者を嫌う人でもない まずそこから間違っている
・そもそも当たり前のことだけど、へテロロマンティック/へテロセクシャル(異性を好きになる)の男女の方がセクシャルマイノリティについての知識を欠いていることが多く、子供のセクシャリティを否定/矯正しようとする確率が高いんだけど、そっちを先に何とかしようとは思わないの? 言ってしまえば「例外」について規制するよりも、マジョリティ側に教育をする方が救われるであろう子供は多いんだけど、それでもまず「ゲイカップルは養子を取るな」を言いたくなるのはなぜ? なんとか理屈を付けてゲイを排除しようとしているだけじゃないの?
21世紀はインドの時代といわれるが、こういう格差がまだまだ激しいなあ
2016年4月21日 22:27 発信地:ニューデリー/インド [ アジア・オセアニア インド ]
インド・ハイデラバードで行われたレイプに反対する抗議デモの参加者(2013年9月13日撮影、資料写真)。(c)AFP/NOAH SEELAM
【4月21日 AFP】インド北部パンジャブ(Punjab)州で、生後7か月の女の赤ちゃんをレイプしたとされる17歳の少年が、赤ちゃんの父親に両手を切断される事件があった。警察当局が20日、述べた。
【写真】娘レイプした隣人を拷問・殺害し自首、「メッセージ」だと父親
少年は2014年4月、赤ちゃんにいたずらしているのを赤ちゃんの母親に発見され、青少年向けの矯正施設に送られていた。
警察当局によると、赤ちゃんの父親のパーミンダ・シン(Parminder Singh)容疑者(25)は、バティンダ(Bathinda)地区の裁判所に出廷して少年に示談を提案し、裁判所の外に誘い出したという。だがシン容疑者は少年を激しく殴りつけて木に縛り、両手を切断した。
バティンダの警察幹部はAFPの電話取材に「(シン容疑者は)干上がった運河に少年を連れ出し、激しく殴打した後で木に縛り、両手を切断した。少年は手首から先がない状態だ」と語った。
また、「地元住民からの通報があり、警察官が現場に駆け付けたところ、少年とその両手を発見し、病院に搬送した」と述べ、容体は安定していると付け加えた。
元恋人が次第に浮気相手となり、最終的に大揉めして絶縁してしまった。
その人とは性格や嗜好がこれまで出会った人にないほど劇的に合い、会話することが誰よりも楽しく、
気づけば好きになっていて、当時付き合っていた恋人と別れてその人と付き合った。
が、コミュニケーションの誤りや、自分自身の覚悟のできなさ(つまり新たな恋人だけに向き合うこと)によってその人とはすぐに別れてしまい、
しかし縁を切ることができずにダラダラと肉体を含めた関係を継続してしまった。
行き着く先は地獄であろうと理解はしていたものの、どうしてもその人と会うこと、話すこと、そしてセックスがやめられず、地獄もすべて受け止めようと進んできたが、
気づくと浮気をしている自分を肯定するための口実、都合のいい言葉を並べて相手を支配するようなコミュニケーションをしてしまい、最終的には私が言葉・物理の暴力を奮った。
結果、相手に嫌われて終わった。
今思うとそれも関係性を継続させるためのやりとりで、元の関係に戻るを繰り返していた。ただ、その繰り返しももうこれで本当に終わったのだと思う)
今は謝ろうにも連絡先が立ち消えていて謝ることすらできない。すごく辛い。
何が辛いのか、おそらく要素はたくさんあり、嫌われてしまったこと、傷つけてしまったこと、もう謝れないこと、もう会えないこと、
そんなことをしてしまった自分への嫌悪感、自分は狂っているのかもしれないという不安、自分が守っていたプライドと自己評価が崩れたこと、
上げればキリがなく、ここ数日はうまく眠りにつくことができず、寝ても途中で目が醒めてしまう。食事も固形物はほとんど取れないでいる。
絶縁して以来、どう謝ればいいか、自分自身がどんな人間なのかということばかり考えて、仕事も手に付かない。
この1週間、早めに退勤して喫茶店で、その人への謝罪文を書いては出せずにいる。
そんな折、自分のおかしさを自覚したい、そして矯正したい思いで手にとった本が、
まさに自分を言い当てているようだった。矯正の仕方は書いてないが、思い当たる節が多々合った。
■潜在的攻撃性マニピュレーター
「人を追い詰め、その心を操り支配しようとする者――『マニピュレーター』は、聖書に書かれた『ヒツジの皮をまとうオオカミ』にじつによく似ている。人あたりもよく、うわべはとても穏やかなのだが、その素顔は悪知恵にあふれ、相手に対して容赦がない。ずる賢いうえに手口は巧妙、人の弱点につけこんでは抜け目なくたちまわり、支配的な立場をわがものにしている。自分の望みを果たすためならオオカミたちはとことん闘いつづける。だが、一方で好戦的なその意図だけはとにかく他人の目から隠そうと必死だ。こうした人格の持ち主たちを『潜在的攻撃性パーソナリティー』と私が呼んでいるのも、彼らにうかがえるそんな特徴のせいにほかならない」。
自分の都合・目的(それは相手の支配である)を最優先して、無感情に相手を傷つけてコントロールしようする、私はそういう人間なのだ。
これまでそんなことには完全に無自覚で、読み進めるのが辛かった。
これはどうしたら治るのだろう。著者は直し方まで書いてくれてはいない。
自分はそういう人間だと自覚して、症状が出ないように意識的に抑制して生きていかなくてはならないのだろうか。
相手を傷つけてしまったこと、自分自身の信じられなさに耐えきれず、
かといって自分一人ではどうにもできず、誰かに相談することもできないので、心療内科とカウンセリングに通うことにした。
心療内科では、通院の継続を求められるとともに処方箋を出してもらい、ここ数日睡眠障害や不安感は一定程度押さえることができている。
明日は初のカウンセリングだが、何があるのだろう。これを経て誠実な人間になることはできるのだろうか。
とにかく相手には謝りたいし、
これまでまとっていた脆い自己評価や自己陶酔を捨てて誠実を最優先した人間になりたい。
友人は、推しの為ならグッズをたくさん買うし、同人誌を買い漁るし、ぬいぐるみを愛でるし、映画館に何度も足を運ぶタイプのオタクだ。
あらゆる場所にお金を落としまくるし迷惑行為もしないのでいいオタクだとは思うんだけど、意識というか、考え方の違いで、最近少しだけ嫌になることがあった。
友人の推しがいるジャンルは漫画が原作で、アニメが大成功して映画も公開された。私もアニメを見てから好きになって、漫画を全巻揃えて続きが出るのを楽しみにしてる。ただ、友人のように推しといえる存在はいない。あくまで漫画が好きなだけ。
映画が公開されたとき、その友人と一緒に見に行った。簡単にいうと、ものすごく良かった。友人は主に推しが活躍するシーンで泣いてた。なんだかんだあって、二回目も同じ友人と見に行った。友人はそのとき既に三回以上見てたらしい。
当時はまだ、この人はものすごくこの映画や原作が好きなんだろうなあと思ってた。だけど、よくよく話を聞くと、どうやら二回か三回目以降は、推しが出るシーン以外ほとんど寝ているらしい。友人は推しを見るために映画館に足を運んでいるらしく、全編通して映画を見ようという気持ちは無いらしかった。
それを聞いたとき、初めてもやっとした。私は二回しか劇場で見てないけど、一度目も二度目も画面に釘付けになったし、原作愛が感じられるいい映画だなあと思っていた。だから、私よりジャンルにどっぷり浸かっている友人が、映画自体にはそこまで興味ないというような発言をしたことがショックだった。
でも、実際私より映画を見てお金を落としているし、グッズも買ってるから、友人の方が良いお客様なんだよな。こういうスタイルでアニメを好きになる人だって山ほどいるわけだし、わざわざ怒るようなことじゃない。
私は友人と縁を切りたいとか考え方を矯正したいとか思っているわけじゃなくて、どうしたらこれから割り切って接することができるかな、と悩んでいる。このもやもやを消すにはどんな風に考えたらいいんだろう…
新田恵海つんによく似たAV女優が今も乳首の色が茶色すぎると言われてるのをみた
俺が定期的に見に行ってる整形ブログでは乳首脱色するために漂白剤を乳首に塗ったりレーザー当てたりって繰り返してるのだが、歯の矯正レベルで必要なことなんだろうなって理解できた
年々、発達障害とされる人々は増えている。
以下、発達障害者を発達と略す。
あと、ここでは「発達障害は障害ではない」とか「スペクトラムの問題だから」みたいなことは扱わない。そんなこと言われても現実にあってないし何の慰めにも奮起にもならない発達は多いだろ。昔は発達にも居場所があったみたいな話も同じく。ただの社会的隔離を美化してる場合がある。
なんで発達が増えてるのか、医者と、教師の知り合いに聞いてみたことがある。それぞれの考えは違っていた。
ある中年男性の医師は、一般生活に求められる技術や社会性のハードルが上がり過ぎたから、と言っていた。つまり殆どは外部の、要因だと。
教師は、ちょっと違ったことを言っていた。後天的な要素もあるけど、それに反応してしまうトリガーについては常に先天的にあるだろうし、それには確かに遺伝があるのでは、みたいな事を言っていた。
上の意見は参考意見として、俺が言いたいのは、発達は新人類じゃないかってこと。そしてそれをめちゃくちゃに、クソみたいに、バカみたいに誇って良いんじゃないかってこと。
クソとかバカとか書いたのは、図書館とかにある上品な福祉本みたいな生やさしい肯定ではなく、社会に敵対したりキモがられたり腫れ物にされたりする存在なのを本格的に誇るために。
「発達」「アスペ」「コミュ障」・・・言葉や名前が付けられたと思ったら、すぐにそこいら中で蔑称となって蔑視が広まってる。
アスペルガーの時も、ほんの少しの間にアスペ、アスペ、アスペ。「アスペを採用しないようにはどうする?」「彼氏がアスペかも!」「アスペは犯罪気質がある!」みたいな記事だらけになった。
今度ネット上で流行ってた「ケーキが切れない」とやらもそうなりつつある。そして社会は発達障害と向き合うことなく、排除と嘲笑と腫れ物扱いのやり方だけ上手になるんだよな。
これまで、発達はそれぞれ一人一人の苦しみのなかで閉じ込んでしまっていたり、自助グループみたいなのに繋がっても「定型の、現行の社会」に矯正されるための監視された自助みたいなことしか出来なかった。
CPの人たちは「青い芝の会」という戦闘的な障害者活動をしてたし、なんなら同性愛者もラディフェミも色々やってる。発達もそろそろ似たやり方をとるべきなんじゃねえか。
発達は、よく「挨拶や謝罪の形式みたいな社会的マナーや文化が備わってない」と言われる。いいじゃん。新しい文化作ろうよ。今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」作られた瞬間はあるんだろ。発達もそれなんだよ。それが見れて嬉しいだろ。学者は心配してないで、これについて論文書けよ。
カサンドラがどうとか「発達は身近な人を傷つける」とか騒ぐやつもいる。いいじゃん。俺たちは新しい人間関係のモデルを今作ってんだよ。なんでパートナーが発達だって分かった瞬間「答えが得られた」気になってんだよ。相手が発達じゃないなら「傷つき度25」で発達なら「傷つき度100」なのかよ。
でも、個人的な人間関係ばかりやっても限界があるし根本的な問題は解決しない。もっと根幹に切り込もう。
発達障害手帳の効果が他の手帳よりかなり少ないよな。役所にみんなで乗り込んで訴えようぜ。
発達は税金関連の処理が苦手だよな。税務署を占拠して「もっと簡単にしろ、発達の税金軽くしろ」って示威しなきゃだめだ。
「ケーキの切れない」とかなんとかで有名になって、発達がかなり牢屋に入れられてる事が分かったじゃん。それでそんな記事みて「なるほどな」って思ってるだけなの?刑務所を取り囲むべきだろ。発達を社会に返せって。社会が発達と直接向き合って新しい文化を作る機会を奪ってるって。
少数民族レベルでも自治権を得て、これから増えていく発達の数に見あった土地を得るべきでは?
強めに書いてきたけど。
発達が増えてるとかいう情報に触れて、発達自身が何で卑下しなきゃいけないのか?それに腫れ物ともキモがりともつかない態度で接する社会ってなんなの?その社会は必要な社会なの?って事なんだよな。
そしてそれは、発達が、ホモ・サピエンスの新しい形みたいなこと、そういうレベルにしないと、説明がつかない。ホモ・ハッタツトゥス。
俺は定型社会こそぶっ壊れるべきだと思うから、どんどん発達障害の社員が面接をすり抜けて会社の「慣習やマナー」を滅茶苦茶にすればいいと思うし、どんどんキモいコミュ障が「正しいコミュニケーション」を破壊してくれればいいと思ってるよ。発達と定型社会の対立軸が揃いつつある今、根本から発達障害者とされた人々が社会を問うていく必要がある。
発達は新しい人間だ。発達も、アスペも、コミュ障も、「青い芝の会」をやろう。CPがバスを占拠した様に、発達も社会を占拠しよう。「不自然」を「自然」にしよう、というかそんな言葉を辞書から消そう。
【スペック】
・30前半
・180cm/68kgの標準体型
・ブサメン
・髪質が剛毛で縮れ毛でマジモンのチン毛を頭から生やしてる
【本篇】
学生時代のあだ名は「大仏」「スチールウール」「チン毛」「堅焼そば」「アフロ」「キモヲタ」と散々だった。すべて髪型に由来するあだ名だ。
一度坊主にしたらあだ名が「旧日本兵」になって野球部に円陣組まされた上に坊主でも天パだとわかる縮れ具合で「ボパ(坊主で天パ)」とか呼ばれ、坊主で行くアプローチはあきらめた。
小学生のころは明るい生徒だったが、中学生になり髪質が驚異的な縮れ具合を発揮すると、思春期の容姿に過敏な同級生たちは真っ先に俺をスケープゴートにした。
俺は神様がチャンスをくれてもう中学生にもう一度戻れたら俺の事を馬鹿にした同級生たちを二度と笑えないぐらいに半殺しにする自信がある。それぐらい散々な扱いを受けた。
今は恨んでないが、あの当時に戻れたら許せる自信が、正直ない。
上記のようなスペックの俺だが、オシャレなパーマをかけてると思われることが多い。
「やっぱり天パは髪質を活かした髪型にするのが一番良いんだよ」としたり顔で思ったお前、ぶっ殺すぞ。
俺が何をしているかというと、まず全体に縮毛矯正をかけている。
全体に縮毛矯正をかけてからヘアアイロンで癖をつけてパーマをかけてる風にしているのだ。
ヘアアイロンで熱加工するのは天パのままでも出来るじゃん。と思ったお前、直毛だな?俺にはわかる。
俺はアドスト、ヘアビューロン、といった高級アイロンを使ってきた(後者は詐欺みたいなゴミ商品だったので口コミ鵜呑みにして間違っても買わないように)が、やはりヘアアイロンで作ったストレートは湿度に弱い。
天パに一度アイロンかけてまっすぐにしてから癖付けをする手もあり、施術直後はうまく行くが、湿度等でアイロンが取れてくると髪質が明後日の方向にうねりだし結果見るも無残な髪型になる。
しかし、縮毛矯正をかけた上からヘアアイロンで癖をつけると、湿度でアイロンがとれてもゆるく癖が残り自然な形になる。
縮毛矯正がまっすぐになりすぎると悩んでいる天パ男子たちにはこのアプローチをおすすめした。
「自分の髪質を活かした髪型」という言葉は呪いだと思う。中には活かせる髪質の人間もいるが(毛束感のある天パ)すべての人間はそうじゃない。俺もそうだ。
矯正ヘビーユーザーになると「縮毛矯正をすると遺伝子に逆らってるような抵抗感」が出てくる人間がいる。俺もそうだった。
しかし、俺たちに天パにとって縮毛矯正というのは「半永久的な寝ぐせ直し」のようなものだ。
俺は悪い頭で必死に勉強して地方公務員になったが、上司に「寝ぐせぐらい治してこい」と言われたのを機に心がへし折れたことがあった。最終的に俺は公務員を辞めた。この感覚は俺たちのような重度の天パにしかわからない感覚だと思う。俺たちは素の髪型でいると社会に拒絶されるのだ。
人間は中身が大事というが、見た目がまもとじゃないと中身を見てもらえる土俵にも立てない。
俺と同レベルの天パたちよ、生きてると大変なことばかりだけれど、お互いなんとかやっていきましょう。