はてなキーワード: 心拍とは
レイプものAVってたいてい男優が粗暴に恫喝するじゃないですか。
DQN男の粗暴な恫喝が本当に生理的に無理で、あれが聞こえてるだけでとても勃たない。
中高生の頃にヤンキーに怖い目に遭わされたことが何回かあって、そのトラウマが何十年たってもいまだに全然残ってる。
そのせいで、ああいうのは見ただけで心拍が上がって汗が出てくる。
前に、頭おかしいDQNが高速道路で通行妨害して「グラァ!!」って迫ってくるニュースあったじゃないですか。あのレベルでもう無理。
男の俺でさえ、しかも実害はほとんどなかった怖い体験というだけで十年二十年後を引いているのだから、実際に性犯罪被害に遭った人の心の傷はいかばかりかと思う。
でも嫌がる女性の悲鳴や懇願には興奮するので、男が黙ってたら抜けるかもしれない。
頼みましたよ。
※タイトルに「うっかり」と書く程度には地雷が豊富な話題です。やたらめったらに人を傷つけたくはないです。「うっかり妊娠」がグサッときた人は読まない方が良いと思います。
結婚8年、夫婦二人暮らし。最近性生活はお互い淡白だったのにたまたま気が向いて、クリスマスイブに数か月ぶりにセックスした。ベタすぎて恥ずかしい。
中学生みたいなバカな言い訳をさせてほしい。「コンドームはちゃんとしてたんです!」
夫は勃起不全気味な上に早漏で、装着時間は確かに短かったかもしれない。が二人で思い返してみても陰茎と膣が生で接触していたタイミングは殆ど無かったように記憶しており(挿入時はずっと装着していたし素股もしていない)、一体全体夫の精子がどうやって私の卵管まで到達したのか皆目見当がつかない。挿入時に夫の分泌液が付いた手でちょっと私の膣の入口を触ったとかはあったかもしれない。あとは口淫のとき…?そのくらいしか原因が浮かばない。いい歳して情けない。
私は年明け早々1週間遠方へ出張に行き、帰ってきても出張疲れがいつまで経ってもとれないなぁ、風邪ひいたかもなぁと思いながらゴロゴロしていた。しかも生理が始まらない。そんな馬鹿なと思いつつ妊娠検査薬を試したら一瞬で線が表れた。目の前が真っ暗になりながら帰宅した夫に玄関で検査薬の線を見せた。彼も唖然としながら「セックスって本当に交尾なんだね…」と馬鹿みたいな台詞をこぼした。はは…わかる……(全然笑い事じゃない)
コンドーム以外の避妊も同時に行わなかったことを激しく後悔した。ピルで体調を崩したことがあるので私はピルは飲めない。それなら、セックスの頻度が減っていたとしても子宮内避妊具も選択すべきだった。何もかも後の祭りである。最悪の気分だった。
2日後二人で半休をとり近所の産婦人科へ胎嚢と心拍を確認しにいった。げ。やっぱり妊娠していた。帰宅後、午後出勤までの30分間で夫と軽く話した。「せっかくできた命が勿体ない」といった生半可な気持ちで妊娠を継続してはいけない認識だけお互い再確認して、とりあえず午後の仕事にとりかかった。とにかく時間がない。産むか、中絶か。早く結論を出さなければと焦り、その日は全然仕事が手につかなかった。
私達は子無し派だ。周りにも「子ども自体は好き」を添えてそう伝えてきた。大いに働いて、人並みよりちょぴり多めに稼いでその分しっかり納税してきたし、時短勤務による仕事の肩代わりもまぁそんなもんだろうと特に何の抵抗感も無くこなしてきた。そのお陰かは分からないがお互いちょっぴり昇進もさせてもらってきた。こっちは将来に向けてコツコツ貯金しておくから税金は子どもにじゃんじゃん使って欲しい、なんなら(現実的には難しいが)子無し税や、もっと大胆な妊活助成金・給付金を創設してくれよと思うくらいには「子持ち応援寄りの子無し派」で生きてきたつもりだ。
そうまでしても子どもを持ちたくなかったのは、かいつまんで言うともう夫は将来に向けて暮らしのイメージが固まっており(私もそのイメージにとても共感していた)子を持つと実現が金銭的に難しくなるのは明らかだったからで、私の場合は親族含め実親…特に父親がかなりアレな人で(よくあるパターン乙)自分が親になって子育ての苦労を知ることで実親を赦す感情が芽生えるのが恐ろしかったからである。
混乱の胎嚢心拍確認日から2週間、毎晩夫が帰宅してから子どもがいる人生(産む選択)と子どもがいない人生(中絶し避妊具を装着し続ける選択)、どっちを選択するか話し合った。
個人・共有資産を細々と洗い出したり、現在の仕事のポジションや夢を出し合ってお互いの将来性を皮算用してみたり、将来の暮らしのイメージをもう一回言語化してみたり、子ども時代にどういった教育を受けてきたのか振り返ったりしながら子無しの人生を継続していくことでどんな楽しみが待っていると感じるか…。それはそれとして、先述の「子どもを持ちたくない理由」をクリアするためには何をしなければいけないか、その上で何を諦めることになるか、諦める内容は納得できることなのか等々……
泣いたりイライラしたり、とりとめのない話を挟みながらひたすら意見を出し合った。今思うとサクッと中絶を選ばなかったのは、既に子に対する情みたいなものが生まれていたからなのかもしれない……
2週間話した結果、夫が持つ将来に向けての暮らしのイメージが叶えられなくなる懸念については「将来のイメージは結局のところ増田ちゃんと一緒に年老いていくのを楽しむために今まで抱いてきたもので…だから形が変わっても増田ちゃんが一緒なら楽しめるのではないかと、話し合いを進める中で思うようになってきた。だから子供を持とう」と、夫は結論付けてくれた。
私も2週間話し合いを進める中で「おや?これは子を産んでも、少なくとも父親は良い人だからなんとかなるのでは…?」という気持ちが生まれてきていた。自分が良い親になれるかは分からない。全然そんな自信がない。しかし少なくとも父親はまともだ。夫と子に向き合うことで全然違う親像を学べるような、そんな気がした。そこで「子どもを持つ」ことは絶対確定事項とし、私たちは振り返らずに走り出すことにした。どんな子が生まれようと結局話し合いで出た結論に戻るだろう、とお互い考えたので出生前診断もやめた。
私の子どもを持ちたくない理由(自分が親になって子育ての苦労を知ることで実親を赦す感情が芽生えるのが恐ろしい)は、妊娠生活の中で徐々に噛み砕かれていった。
妊娠は何十、何百回も「人による」を実感させられる現象だ。妊娠に伴うマイナートラブルをスマホで調べると無数の妊娠レポが出てきて、そのどれもがちょっとずつ違った。私と似たような体験をした人もいれば正反対の症状に苦しんでいる人もザラにいた。私は徐々に他人の投稿した妊娠レポを参考にしなくなり、そうしているうちに私の親がした子育ても、ネットに無数に漂う妊娠レポ達と同程度なのではと思うようになっていった。
毒親育ちの人に「自分の人生を生きましょう」なんて言葉がかけられがちだが、それができたら苦労しないでしょ、これだから恵まれた人間は…と私は常々思ってきた。が、毎日のように「人による」を実感させられると、なるほどそうとしか思えなくなるものだ。私もこれから子育ての苦労を何度も何度も味わうことになるだろう。でも親が行った子育ての苦労に思いを馳せる必要はない。なぜなら「人による」から。あの人はあの人で勝手に子どもを作って勝手に育てただけだ。私の腹から出てくるのは私ではない。ただただ反面教師にして私も勝手にすりゃいい、と今は思っている。
正直まだ赤ちゃんがカワイイとかそういう感情は今一つわからない。でも生んだらあとはもう一心不乱に夫と走るしかなくて、走って走って、気が付いたら10年20年が経っているような予感がしている。
子どもは今月のどこかで生まれる予定で、まだどんな子かはわからない。その分、頭でっかちになれるのは今のうちだと思ったので書いてみた。
子が1歳になったときにこの増田を読み返して「こんなバカなこと頭の中で捏ね繰り回してたんだな」と笑えたら良いなと思っている。
エコー写真を見せてもらったり、今後の予定を教えてもらったりして嬉しかった。
離れて住む祖母にも妹が直々に報告して、エコー写真もあげたがボケてるので不要になった書類が入った封筒に入れて、他の書類やらDMなんかと混ぜてしまった。
数日後に母が、念のため一度目を通してから捨てると言って不要書類の束を祖母の家から持ち帰ったが、その書類の中にエコー写真をしまったはずの封筒もあった。
慌てて確認したら、やっぱりエコー写真が入っていたので、それを取り出して写真は保管した。
心拍が止まってしまい、人らしいカタチになる前に命が終わってしまったらしい。
「また戻って来てやって欲しい」とクリアファイルの中のエコー写真を見つめ、またそのままクリアファイルに入れたままにしておいた。
それから11ヶ月ほど経ったこの8月、ふと「もうすぐお盆だよな」とクリアファイルからエコー写真を取り出して、なんとなく亡くなった父方の祖父母と母方の祖父の写真と同じ場所に飾った。
その翌日に「やっぱりまた戻って来て欲しいな」と目につきやすくなったエコー写真を手にして見つめていた時に気が付いた。
エコー写真を取り出した日は、妹が妊娠したことが検診で判明した日で、そのエコー写真の撮影日だった。
ただお盆だから、と取り出しただけのつもりだが、その子に呼ばれたような気さえした。
少しの間しか妹のお腹の中に居られなかったけど、確かに存在していたことを。
今年の6月の末だったか7月初め頃、妹は体外受精のために夫(義理の弟)と病院を受診していたらしいので、その子が戻って来てくれていると嬉しい。
「バイタルサイン」とは、生命の徴候であり、脈拍・心拍・呼吸・体温・血圧・意識などが含まれます。高校生の主人公は、自分のバイタルサインが異常に変動することに悩んでいます。特に、好きな人に近づくと心拍数が上がりすぎて危険な状態になります。そんな彼女は、在宅医療を提供する「中谷病院」に通院しています。「在宅医療」とは、自宅で必要な医療や看護を受けることができる制度です。彼女は、「中谷病院」の若き院長である中谷先生に恋心を抱いています。「中谷病院」は、「医療法人 中谷会」という団体が運営しています。「医療法人」とは、医師や歯科医師が設立する法人であり、公益性や社会的責任を重視しています。しかし、「中谷会」は経営難に陥り、「大手企業グループ」に買収されそうになっています。その「大手企業グループ」の社長令嬢が、主人公の同級生でありライバルでもあります。彼女もまた、中谷先生に想いを寄せています。
主人公は、「中谷会」を救うために奮闘し、「大手企業グループ」と対決します。そして、自分のバイタルサインをコントロールする方法を見つけ出し、中谷先生と恋愛関係に発展することができるのでしょうか?それとも、「大手企業グループ」の社長令嬢と和解し、友情や恋愛を築くことができるのでしょうか?
しらんけど心拍負荷とかあるんじゃない?
子供産んで2年。来年40。渋る夫を説き伏せて二人目不妊治療に踏み切った。
1回目の移植、いっぱつでうまいこと行くわけなく心拍確認後に稽留流産。心身ともにくらう。
第一子の前にも同じように流産してて、不育症の検査なんかも挟みつつ回復待ちで半年足踏み、ようやく今月2回目の移植。だったんだけど今回もダメっぽい。フライング検査で一瞬陽性反応出たのぬか喜びだったな。はぁ。
残機ないからまた採卵からかー。わたしまた赤ちゃん会えるんかな?もう時間がないよ。
作ろうと思い立ったらすぐ妊娠できる人とはそもそも話が噛み合わないし、かといって一人目不妊で治療がんばってる人のしんどさもわかるからおいそれと同志ヅラして声をかけられない。誰とも分かちあえず孤独でつらい。
元々、スピードスケートの選手の心肺、筋力向上のために行う効果的なトレーニングって触れ込みで
日本でもっとも有名なタバタ式の田畑博士も「実験中に脂肪燃焼に特別な効果は見られなかった」って言っとった
そもそもタバタ式で効果があるとされる運動強度はVO2MAXの1.7倍
ジムの有酸素で使うチャリンコマシーンで時速100kmくらいのスピードで漕ぐ必要があるし
そしてその強度の運動を20秒ノンストップで続けて10秒だけ休んでを8回繰り返す
死ぬぞ
タバタ式の目的は4分間、心拍を最大値に近い状態で保ち続けること
ガチで4分間心拍を最大値にしたら普通に死ぬので10秒の休憩をはさむことによって
最大心拍状態を維持したまま長時間の運動を行うという地獄のトレーニング
心拍数が低い状態で興奮は出来ないので深呼吸して脈拍を整えようとすること自体には多少の意味はあります
肺呼吸をする動物はすべて呼吸に合わせて心拍が揺らぐし、呼吸は自律神経機能の中で唯一コントロールが出来るものです
ただし、マインドフルネスやるぞ!アンガーマネージメントやるぞ!とか意気込んでそれらの専門家()の手を借りないでも、
動かず目をつぶって深呼吸するだけで脈拍は整います
無いが?
『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、
HealthDay News :Be ‘Mindful’ of the Hype
もうこの時点でマインドフルネス・アンガーマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど
それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?
心拍数が低い状態で興奮は出来ないので深呼吸して脈拍を整えようとすること自体には多少の意味はあります
肺呼吸をする動物はすべて呼吸に合わせて心拍が揺らぐし、呼吸は自律神経機能の中で唯一コントロールが出来るものです
呼吸してる間は食事できないように、食事している間は呼吸できないように、そういう風に関門を設置してさ
通路は共用しているけど、一度に両方が入ることはあり得ないようには出来ないのだろうか。
他の作業は間欠的にやってもいいのに寝ても覚めてもずっとやらなきゃいけないんだろ。
絶対に止められないから呼吸と食事を同時にこなせるようなめんどくせえ弁にしなきゃいけないわけだし。
呼吸とか心拍とかの関連作業に従事してる細胞はしょっちゅう休んでチンタラしてる他の細胞ころしたくなるんじゃないかな。
肉体内の細胞レベルで労働の不平等があるんだから、動物や人間の集団に不平等があるのは最初から神様が設計してたクソな仕様なんだなって思いました。
時期も状況も私と似ててびっくりした。私は出血が無くて静かに心拍が止まっててエコーで流産したことを知った。
妊娠した実感がなくて流産を告げられても実感があまりなかったんだけど、帰ってきてお風呂で急に涙が出てきて泣いた。未だに悲しかったのかよくわからないけど、たまに涙が出てきて止まらない。
まだちゃんと向き合って消化できてないような気がするけど、あえて向き合わなくて時間がたって記憶が薄れていくほうがいいのかなと思っている
出来たら良いねって話してた矢先で嬉しさよりもびっくりが勝ったのが本音だけどついに親になるのか…っていう不安もあった。
産婦人科に行ったら妊娠はしてるけどまだ小さいから3週間後にと言われとりあえず妊娠してる確認だけ取れた。
10月7日〜だんだん出血が止まらなくなり流石にマズいのではと思って10月19日に診察。
成長してるし流産の兆候も無いからと言われてまた3週間後の診察に。
11月12日の診察で心拍の確認ができるかと思いきや子の形は確認できたけど心拍が無い。
流石に実感なさすぎて泣けなかった。
夫にも心拍が確認できなかった事は伝えたけど私以上に実感が無さそうだった。
もう一度念の為に11月15日にエコー確認したけどやはり心拍は確認できなくてこの時点で稽留流産確定。
私は結局一度も子の心臓の音を聞く事もなく9週弱で妊婦が終わってしまった。
そこからは稽留流産手術の手続きへ。淡々としててこれが1番辛かったかな。
血液検査と心電図測ってくれた看護師さんがとても優しくて。ありきたりだし皆んなに言ってるのかもしれないけど、また会いに来てくれるから今はいっぱい泣いても良いんだよ。って言葉で涙が止まらなかった。
11月18日に流産手術のため病院へ。エコーで成長がない事を確認。これが子を見た最後だったな。
手術着に着替えて点滴刺されてある程度したら手術台へ。
優しく声かけてくれた看護師さんと再会したのも束の間全身麻酔で寝て起きたら手術終わってて気づいたらベッドの上だった。
これで私のたった48日間の妊娠は終わった。
こんなあっけなく終わる事もあるんだなと。誰にも言うこともなく相談する事もなく。
両親に話したら喜んでくれるかなとか、友達に報告できたらなとかうっすら夢見てたけど本当に妊娠して子どもが産まれる事は奇跡なんだなって身をもって実感した。
術後はびっくりするほど普通。私の頑丈さを子にも分けてあげたかったな。
今はネットの広告記事がマタニティ関連なのがなかなかダメージ受けるけど拒否反応とかではなく。
また会える準備期間なんだと前向きに捉えて元気に過ごします。
最初はふーんくらいで済んでたけど、何回か催促されて病むようになって、子供が出来ない自分を責めるようになって生きてくのが辛くなる
それを旦那に伝えると泣き始めたのは覚えてる
お互い行為が苦痛なのは分かり始めてたので、Amazonで買ったシリンジでルナルナの排卵日予測に出てきた排卵日に注入するのを何回かやってみる
まー妊娠しない
最初コロナの流行り始めで病院に行くという考えはなかったけど、コロナ第1波が落ち着き始めた頃に不妊治療を本格的に考え始めた
行こうと思ってた不妊治療の病院には、女性だけの問題ではありません!男性も一緒に!と書かれてて、旦那に一緒に行かない?と聞くと、俺は行かないと答えられて、この人その気ないんだなってガッカリした記憶はある
何ヶ月か過ぎて義母のおじいちゃんおばあちゃんのお墓参りをしたいと旦那に言われたので、一緒にお墓参りと旅行をした
この旅行で旦那さんの考えが変わったようで、不妊治療を始めることになった
初診は血液検査で何本も血を抜かれて、若い男性医師に、何年も子供できないので不妊症ですね、と言われ号泣する
週一回排卵チェックと生理が来たら採血、通水と卵管造影の為通院が始まる
まず排卵チェックで躓く
40日過ぎても排卵しないからピル飲んで生理起こさせるのも2回やった
ここまで排卵しないと、多嚢胞性卵巣症候群の疑いありになって、糖尿病の検査もやった
結果は陰性だったけど、卵子が育たないのでレトロゾールを飲み始める
痛みで死ぬかと思ったけど、キレイな子宮のカタチが見れて何かテンション上がった
重要な旦那の精子検査の結果はどの項目か忘れたけど、先生からすごくギリギリですけど他が頑張ってるので大丈夫ですよ!と言われる
レトロゾールのおかけで排卵し始めたので、人工授精をやることになった
先生からは4回やってダメなら体外受精も考えて下さい、でも〇〇さんは若いので出来ると思うし自然に近い形がいいですよね!と言われる
4回やれば出来るでしょ、だって先生が若いって言ってたし!と安易に考えていたが、4回全て全滅で生理がきて、毎回泣いて離婚してほしいと旦那に泣き叫ぶ地獄の日々が続く
メンタルが安定してたのは生理終わりかけから排卵するまでの2週間くらい
5回目の人工授精で旦那の精子の運動率が異常に悪くて(30%もなかった)、これは妊娠無理ですねと言われる
旦那の長風呂が原因だったが、これで体外受精に移る気持ちになる
体外受精に移ることを先生に伝え、レトロゾールを飲んで卵子2個を育てる
1個新鮮胚移植を受けることになり、1個は凍結保存をした
移植の担当医が下手くそすぎて涙目になりながら移植終われを祈る時間になった
これでこの通院からもおサラバ!と思ってたいたが、採血の結果は陰性ですぐに生理がきた
子供を授かることはそんな甘いものではないのを見せつけられた気がした
精神的に荒れに荒れまくってたと思う
まあ荒れてばかりもいられないので、次は卵子を数打ちゃ当たるようにたくさん作ろうと思い、レトロゾールと自己注射をする
自己注射をする私を見て旦那は引いていたが、そんな事辛くも何ともなくなっていた
そして採卵すると卵子が4個取れたが、採卵の時の麻酔で気持ち悪くなって病院のベッドで暴れる私を見て看護師さんに引かれる
後日4個のうち2個は受精卵にならなかったと培養士から連絡がくる
残った2個は先生曰く最高ランクと普通ランクの受精卵ができていると言われた
最高ランクの受精卵を移植することになって、着床するために切れ込みも入れてもらった
2回目の移植担当医は上手すぎて受精卵いれました??と聞きたくなるくらいすぐに終わった
パンツを脱ぐとヨーグルト臭いのとホルモン剤が溶けてベタベタになるので、生理じゃないのにナプキンを付けて生活する
何も考えないで生きることしか思わなかった
採血されてから結果を言われるまでの時間が辛くて手が冷たくなってたせいで、院長と握手した際に引かれる
そこから7週間は不妊治療の病院に通い、流産予防の柴苓湯とホルモン剤というくそ高い薬代を払い続け、心拍確認ができたら病院成功報酬を払って、不妊治療を終える
39歳、既婚、1児あり(5歳)。
二人目については特に積極的だった訳でもなく、自然に任せていたらいつの間にか40手前になった。
年齢的にそろそろ厳しいし、PMS改善のためにもピルでも飲むかと思っていた矢先妊娠が発覚。3人家族前提の生活設計を立てつつあり、私自身も新しいことを始めようとしていたので正直嬉しさより戸惑いが大きかった。
それでもエコーで確認できた胎児は可愛かったし、心拍を聞いたときは産まない選択肢はないと思った。
夫も喜んでくれた。すぐに新しい家族を迎える前提の生活について話し合った。
赤ちゃんはどこに寝かすか。
上の子の世話はどうするか。
もう少し大きくなったら部屋割りはどうしよう。
妊娠が発覚してここまで2週間。
40手前の妊娠は身体への負担が大きいことが分かったので、今後は避妊しようと話し合って決めた。
だからもう家族が増えることは限りなくゼロに等しい。それは自分達で決めたことで、これからも後悔することはないだろう。
それでも私がどうしようもなく泣けてしまうのは、多分「ありえたかもしれない4人家族」の世界に少しだけ触れてしまったからだ。
病院からの帰り道、帰宅する小学校を見て、この子も「生まれなかったかもしれない子供」なんだなと思った。それどころか私も「生まれなかったかもしれない子供」だ。その辺のおじいちゃんだってそう、みんなそう。