はてなキーワード: 商業施設とは
宗谷線で原野みたいなところばかり延々と走った果てに、街が見えてくる感覚は、何度乗っても魅了される。
人口は3万と少し、都会の感覚からすると少ないが、道北という地にあっては大都会である。
市域は広いが、市街地がまとまっており、天然のコンパクトシティとなっている。
そのせいか、路線バスの本数がやけに多く、メインルートは1時間に3~4本くらいある。
最も近い市である名寄までは150kmくらいあるから、「隣町で買物」なんて気軽にできるわけもなく、人口のわりには市内の商業施設が充実している。
孤立都市で物流上の問題があるのか、コンビニの大手3社はいずれも未進出で、セイコーマートしかない。
港があり、空港もある。
鳥取って言ってもよっぽどの山の方じゃない限りそんな気軽にカブトムシ取りだの秘密基地作るだのなんだのはできないよ
山があったところで地形とかが遊びに適してるとは限らないし
海は海で日本海は波が荒いから小さな子どもだけで遊びに行くイメージがない
子どもが「行ってきまーす!」って単身飛び出して徒歩圏内に何があるかが大事
商業施設があるような場所から離れた住宅街とか中途半端なところに住むと子どもは親に車を出してもらわないと川や山での遊びもイオンでの買い物も何もかも自分の自由ではできない状態になるから
親がノリノリで「キャンプ行くぞ!!お父さんの友達も一緒だからな!!」みたいな感じで人のいる場所に積極的に連れ出してやらないとどんどん引きこもりになる
もし親がアクティブでも鳥取は雨雪曇りの日が多いのでげんなりすることになるだろう
あとはてな見てて思うのは都会から来た人は田舎の人間の民度というか程度の低さに凄くびっくりすると思う
うちの家は大型商業施設まで歩いて5分という立地にある。総数300店舗以上を誇るのだから超大型商業施設と言ってもいいかもしれない。
しかもさらに超大型の公園施設まで併設されている。駐車場も施設すべてと近隣合わせれば2000台以上停められるらしいし、週末にはまた近くにあるプロスポーツの施設で試合をやったりしてることもある。
そんなところなんだが、この10連休はいつもの週末と比べても遜色ないくらいに人が来ている。土曜日の混雑具合じゃなくて日曜の混雑具合が毎日毎日続いている。道路事情もやばい。
施設に入ろうとする車がすべての駐車場の入口に溢れかえっている。高速道路の入口も近くにあるが、高速と商業施設に行く道路が一部重なっているせいで、高速に乗ろうするまでだけでも列の最後尾にまともに並べば1時間以上は掛かりそうな状態だ。
施設の中もすごい。店という店に人がいる。日曜に通りがかったときですら閑散としている程の服飾店舗ですら必ず人がいる。モスバーガーですら満員だ。うどん屋に入ろうとするだけで20人以上並ぶ必要があるなんて、個人的にはここ半年は見たこともなかった。正月でもこんなに人が来ていなかったと感じる。
温泉施設とバーベキュー場とパークゴルフ併設のところもそこから歩いて15分程度のところにあるんだが、帰りに通りがかった人が立ち寄ろうかと思うんだろう、そこも夕方満員だ。っていうか昼過ぎから満員だし、夜なんてサウナが埋まっている。
自分のようなあまり経済に関心がない人間でも、少し考えただけでこの10連休中の経済的な効果は半端ないんだろうなーと思う。
だからさ、なあ、日本に今必要なのは休日だってことが経済の数値データとしてもはっきりしたんじゃないかな?
いつもいつも話題になるけど、被介護者の権利を完璧に守りながら家族の人生も介護職員も犠牲にしない解決策ってあるのか?
放っておくと安楽死させられるのは身体というより認知機能に異常がある人だもんな。
そうなると本人の意思を確認できないし、家族の同意を得たとしてもナチスの再来だもんな。
じゃあ被介護者の生命を守るという最低限のラインを死守するとして、どうやったら全員幸せになれるのか?
家族が介護するとなると、家族主義やら政治の話を抜いたとしても、現実に家族の誰かの人生に壊滅的なダメージを与える。
親に限らず子供やきょうだいの誰が要介護状態になっても、家庭崩壊の危機に陥るか、そもそも元増田みたいに家庭を形成することすら不可能になる。
外注すべきだ。
労働時間と給料の劣悪さに加え、殴られ、噛みつかれ、時にセクハラにも耐える職場環境。
じゃあ逆に職員の側が入所者に対して何かやったらどうなるか?
かといって目を離した隙に入所者が脱走して山で遭難したり商業施設で死んだ日には数千万レベルの訴訟沙汰になる。
以上の条件をすべて満たすにはどうしたらよいか?
異常行動の見られる被介護者については?
精神科医の指導のもと、施設で薬漬けにしてほとんど動けなくするのが良いだろう。
こうすることで被介護者も生存することができ、家族の人生を犠牲にしなくて済み、介護職員の心身も犠牲にしなくて済む。
もし薬漬けにしなくても済むならそれが更に望ましいだろうが、そんな方法があるのだろうか?
このことを考えるには「本とは何であるか」を今一度考える必要がある。
本はもともとは「情報を記録してより多くの人に伝達する」ためのものだろう。
「作者が金銭を得る」ことは本来なら「副作用」に類するものだ。
「本とは何であるか」を見失ってしまったから複製が罪とされるのだ。
もちろん、これは個人の感想に過ぎないが、もし間違っているなら教えてほしい。
本とは一体何なのか?
なぜ本を複製することが罪となるのだ?
※なお「本」をテーマとしているのは真偽は不明であるがダウンロード違法化は出版業界の要請であるとされているため。
もはや、この前提が正しくないのかもしれない。
ミリオンセラーを出せば巨額の富を得ることできたのが、よくない。
「良い商売」になってしまったから権力構造が生まれることになる。
当初の目的は忘れ去られ、一部の人間のための理屈が全体を支配する。
かつては「製本にコストが必要」だったから、その費用を請求したに過ぎない。
しかし現代ではデジタル技術によりゼロコストでの複製が可能だ。
「本を出したい側」すなわち「情報を記録したい側」「情報を伝達したい側」にとっては「無制限にいくらでもデジタル複製できる」現代の状況は本来ならば喜ぶべきことではないのか?
記録性や伝達性を高めるために生み出された手段としての本だが、逆にそれらを喪失しつつある。
複製が悪と言うならばテクノロジーは間違った方向に進んでしまったのだろうか?
「本を売る」ということで作者の生活を保障するシステムだ……、というのは一理あるだろう。
だがシステムとしては欠陥まみれだ。拗れすぎてしまった。まるでスパゲッティコードだ。
通説では「本を売るだけで生活できるようになれば生活のすべてを本を作ることに費やすことができる」とされている。
しかし「売れること」への強迫観念が質的変化をもたらしてしまった。
「売れなければならない」から表現したかったことを切り捨てる。
だというのに本は売れずに儲かりもしないなら怒りも沸くだろう。
一体誰が得をしているというのだ?
「本が売れなければ作者は生活できない」とは作者になれた側の理屈だ。
日の当たることのないものは闇の中へ葬られ、なかったことにされているだけだ。
「本を出す」ということが「競争に勝利した」という別の意味合いへと変容しつつある。
半ば競技化した出版競争というものは他人を踏みつけた上にある勝利だ。
ジャンルにもよるが、作品の中でどれほど綺麗事を語っていても、背景にあるのは血生臭い権利の獲得競争だ。
トロフィーの価値が下がるから「本は売れなければならない」という逆説的理論が構築される。
目指すべきは「本が売れなくても生活できる」社会ではないのか?
ところで映画や音楽はいち早くダウンロード違法化を取り入れた。
しかし音楽なら公式にMVが公式に無料配信され、映画なら地上波で放映されるものも珍しくない。
有名な作品ほど、そうなる。
結局はダウンロード違法化とは裏腹に無料でデジタル・コンテンツが提供されている状況だ。
その一方で知名度の低い作品は人に知られることもなく消え去っていく。
ダウンロード違法化によってデジタルデータ販売の収益が得られるようになったのだろうか?
映画ならば映画館が、音楽ならばライブハウスやコンサートホールがある。
野球ならば野球場、サッカーならサッカー場、バスケットボールならバスケットコート、プールならプール、ゴルフならゴルフ場といった具合にだ。
「他人の土地に無断で立ち入ってはいけない」という始原的なルールに基づいているためだろう。
うまくいっているファンビジネスには施設があって、うまくいっていないファンビジネスには施設がない。
本は施設との結びつきが弱い。
「基盤となる施設の不在」こそが本の作者の食えないことの最大の要因であるとは考えられないだろうか?
本にも書店、図書館、漫画喫茶といった関連施設があるにはある。
デジタルデータのない時代、本は書店に行かなければ入手することができなかった。
書店は「発売日に本を手に入れる」という日常の中でのプチイベントを提供する施設であったといえる。
しかも売る側の人間が「本と電子書籍は同じ価値ですよ」と宣伝しているのだ。
書店でのサイン会のようなイベントは「宣伝になるから」という理由で無償であることが慣例となっているらしい。
むしろデジタルデータが無料でサイン会が有料であるほうが直感的ではないか?
テレビで放送されてこそ「遊園地で僕と握手」というシステムがなりたつ。
アニメ業界も同様に施設を持たないから金策に苦労するのではないだろうか?
イラストレーターならアトリエ、アニメならアニメスタジオのような施設はあるが、これらは工場に近い。
売れないといわれているアニメ業界だが、一部のアニメ映画はその例外のようだ。
映画館という施設のパワーを借りたからうまくいったのかもしれない。
もし何のアイディアも思い浮かばないようであれば出版業界になんの存在意義があるのか?
出版業界などダウンロード違法化と一緒に崩壊してしまえばいい。
もしも作者と読者が直接的に結びついてしまえば出版社はお役ごめんだ。
今後の生き残りを狙うなら出版社にも施設を用意する動機はあるはずだ。
商業施設というのはただそこにあるだけでなく「関係性」を提供するものだ。
演者と観客、対戦相手、講師と受講生、提供する側とされる側といった関係性だ。
お金を持っている人、お金を使う人、あるいは大勢の人との「関係性」を提供する「施設」だ。
ここでいう施設というものはまったく新しい概念でなくてもかまわない。
地図でも開いて目に付く限りの施設を本と結び付けて考えればアイディアのひとつも思い浮かぶことだろう。
今月6日に大阪市で開かれた人気アイドルグループ、「AKB48」の大規模なイベントに、はしかに感染していた男性1人が訪れていたことがわかり、大阪市は感染が広がる可能性もあるとみて注意を呼びかけています。
大阪市によりますと、はしかに感染していたのは三重県内に住む10代の男性で、今月6日の午前11時半から午後9時ごろまでの間、大阪市の「京セラドーム大阪」で開かれた「AKB48」の握手会と、隣接する商業施設「イオンモール大阪ドームシティ」を訪れていたということです。
男性は、イベント前日の今月5日から鼻水やせきの症状があり、その後、発熱や発疹などの症状も現れ、医療機関ではしかと診断されました。