はてなキーワード: ヒトラーとは
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批判することについて書いていこう
まず批判するっていうのはめちゃくちゃ高度な技術がいるんだよね。自分の言ったことっていうのは多かれ少なかれ責任というものが生じる、古い考え方で言えば言霊なんて言い方があるけど
何かを批判するっていうのは多くの場合はその物事に関して否定的な立場になって書くことだけど何かを否定する、しちゃいけないっていうのは自分自身の行動とか思考にも不可避に絡んでくるから自身を抑圧することにもつがなり自由を奪うことにもなる
だから自らの正義とか立場になって批判するっていうことは自らが現在の自らであるから言える言葉でもあるっていうことにもなる
けど自分っていうのはどんどん変わっていくものだからね、ひどく流動的なんだよ
純愛を信じてた人が恋に破れ愛のないセックスに溺れていくなんてのもよくある話で、彼や彼女は純愛を信じていたころには「好きじゃない人とセックスするなんて信じられない」って言ったとしてその言葉自体がセックスに溺れる絶望をさらに増幅していくことになるなんて恋を信じていた当時は考えもつかないよね
ヘーゲルは人間は真→知→真であると提言したんだよ。自らの経験によってある行動規範や思考規範ができるけどそれは実はそんなに正しくはない、絶対的なものじゃなくてどんどんどんどん変わっていくものだってね
細胞も3年間で全部入れ替わるなんて言うしね、3年あれば別人になれるってことだ
だから何かを批判するっていうのはそれがどんなに社会正義に即していることであれどんなに正鵠を射て見えようがあんまり進んでやるべきものじゃないんだよ。いわゆる考えがまとまったとされる「大人」でもやめたほうがいい
それでも批判するなら自分は絶対にこうではないって覚悟が必要だよね、まぁ絶対なんてものは絶対にないんだけどさ
上述したように人に関する正義とか倫理みたいなものは常識とされてるものでもよくわからない上に自らの枷になりうるからしないほうがいいんだけど
社会構造に関してとか秩序に関してはどんどんやるべきだと思うよ
ほら、ヒトラーとかの共産主義は結局は人間の感情の部分に最も触れてくるようにプロパガンダされてたものだから狂信的でけっして優しい世界ではなかったと思うから資本主義みたいなある程度以上の秩序とか論理はあるべきだしね
ほら、最近話題になった藤井先生と橋本さんのいざこざみたいなものを出すとよくわかるんだけどあれは完全に藤井先生が正しいよね
百田尚樹もそうだけど、安倍ぴょんの言動って全く調査せずにネットのチラ裏を鵜呑みにしてそのまま出してる感じ。
まともに取り合うのは変だし、ましてヒトラーと比べるのもヒトラーに失礼だと思う。
はっきり言えるのは安倍ぴょんはそういう器ですらなくて歴史修正主義どころか歴史を知らないのだから
最近は野次で「日教組」が野次とか暴言になると勘違い披露する始末だし、完全に痛いおじさんだよ。
痛いおじさんがその辺のレッテル貼りはてサの人達に昔の悪い偉人を挙げ連ねられてるのを見てると何かそれも違う気がしてきた。
悪い偉人たちだって、苦労した末に悪の大幹部になった経緯があるけど、安倍ぴょんはコネで学校を卒業してコネで神戸製鋼に入社も実力が伴わなくて直ぐ辞めてる。
コネで今まで成りあがってきた人とヒトラーのように努力によって成りあがった悪の大幹部を一緒にするのは本当に彼らに失礼だし侮辱してると思う。
小学校低学年までそれなりに幸せに生活してたがいじめの徴候はあった。それは俺のだらしない生活態度が原因ではあるのだけれど。その時は意識していなかったが金持ちの子供で、周囲の子供の親より俺の親の年齢が高く感覚が違っていた、両親共にコミュ障でそれを受け継いでいた、等々理由はあるだろうがとにかく今自分で考えてみてもいじめられる要素が大量にあったと思う。それといじめの善悪はまったく別で単純にいじめは犯罪と思うけど。一言で言うと天真爛漫で傍若無人なガキだったんだと思う。
小学校五年生の時。クラスわけで中年の女教師になった。そいつがもう大変でヒトラーのような教師だった。それまで軽度のからかいや友達同士での喧嘩などがあってもそこまで深刻化することはなかったが、彼女のクラスになってからはそれが原因なのか毎日吊るし上げをくらった。集団をまとめるための生贄にされた。毎日、帰りの会で1~2時間立たされ罵倒の言葉を浴び、クラスメイトたちに嘲笑され、腰巾着の女子のクラスメイト三人に毎日粗を探された。一緒にいじめを受けた多動気味O君は一年で根を上げて転校していった。そりゃあ、毎日のようにビンタを張られて一人だけ黒板に机の前部分を付けさせられて隔離されて授業を受けさせられれば転校したくもなるだろう。六年生の次の年からはO君と仲が良かった俺が本格的にいじめられることとなった。
六年生になったがまるでこの世の地獄だった。クラスメイトの男子から暴力をふるわれたのにいつのまにか俺が立たされ、罵倒の言葉を浴びせられた。そのころにはもう辛すぎて現実逃避が上手くなっていた。今でもオレンジ色の夕日に照らされ、泣きながら立たされていたことを思い出す。それがとても綺麗だった。そのうち小学校低学年に時を戻したいと思うようになり、実際に巻き戻った夢を見た。過去に戻った俺は高学年の頭を持っているのでクラスをあっと言わせるのだ。現実の自分と強くてニューゲームをした俺、どっちが本当に自分なのかわからなくなった。というかどうにかして現実から逃げたかったんだろう。小学生の俺、可哀そうに。そういえば毎日のように些細なことで泣いていたと思う。
その後も家出したりなんなりありやっと卒業した。やっと開放されたと思った。だが現実は甘くなく、俺は学校生活が完全にトラウマになっていた。2年間かけて自尊心を根っこからカチ折られて、極度の人間不信と精神不安定になった。中学と高校で計5回程家出し、結局高校を中退した。もちろん精神科のお世話にもなっている。
今、こうして当時のことを振り返っているのは、やっとその時のことに向き合うだけの心の余裕が出来たからだ。それまでは思い出そうとすると動悸がして苦しくなりどうしても思い出せなかったからだ。あれから約20年がたち、愛する家族にも恵まれて、やっと向き合えた。
今、思い出してみればいじめの当事者たる教師やクラスメイトも哀れな人間だったのだと思う。
ちなみに親はまったく気付かず、俺も言わなかった。もし話していても頭の固い親を説得するだけの知恵はなかったから結局同じだっただろう。
いじめはなくならないだろうが社会の意識を変えることは出来ると思う。
もし今、いじめられている子がいるのならば思うのだけれど、出来れば死なないで欲しいと思う。人生めちゃくちゃになっても諦めなければなんとかなる。
「官邸前で後藤さんを救う為に声を上げる」というタイムラインが流れてて、あいにく同じ時間には家の都合で東京の真逆に行くはずだったのでさほど情報の信憑性とか誰が主催しているのとか気に留めていなかった。急遽予定がキャンセルになって、どこかで飯を食って帰ろうかどうか考えているうちに集会のことを思い出して永田町へ向かった。
僕は漠然とイスラム国に対してテロを止めようと呼びかけたり、日本はイスラムの敵では無いとか、表現の自由とかそういうことを訴える集会なんだと思っていた。今から考えれば官邸前でやろうっていう時点でおかしい話ではあるけれど、永田町でやればマスコミにも取り上げられやすいとかそういう動機なのかなと。そんな集会をしてどうなるわけじゃないにせよ、とにかく行ってみようと思い職場から20分かけて官邸前へ。
300mほど離れていても、ある種の政治信条を持った集団だとすぐにわかる安直でテンプレート化された身なり・プラカード・シュプレヒコール。ああそういうことか、と僕はつぶやいてしまった。あまり右とか左などと安易にカテゴライズする風潮は好きではないけれど、まあ左翼な人達です。
100mほど近づいて「脱原発」の文字がうっすら見えた。よくわからない。何の関係があるのか。そういうえば後藤さんのお母さんも会見で原発のことをおっしゃっていた。僕が知らないだけで実は原発がこのテロ事件の鍵を握っているのだろうか。
はっきりと人の顔が認識できるぐらい近づくと安倍総理がちょびヒゲを生やしているプラカードを持っている人がいた。そうか、安倍総理がヒトラーのように独裁を日本国民に強いているからテロが起きたのか。とても勉強になる。僕が思っているより世界は複雑だ。
「何のための増税だ!こういう時のための増税だろう!」という声が聞こえる。そうだったのか。あれは社会保障費などに本当は使われないのだ。これから増えるテロの身代金のためにストックするための増税だったのか。
「アベはオバマと共に退陣せよ!」と叫ぶおばちゃん。とばっちりではない。彼ら二人がテロを招いたのだ。
「何のための沖縄の海兵隊だ!何にも役に立っていない!基地を返還しろ!」そうなのだ。沖縄にあれだけ海兵隊がいてもテロは防げなかった。もう沖縄に基地は必要無いのだ。
「ノー、アベ!イエス、ゴトウ!」よくわからないけど、そうなのだ。ノーアベ、イエスゴトウだ。さあ皆も口ずさもう。ノーアベ、イエスゴトウ。「i'll be back」と書かれたプラカードが僕の目の前でゆらゆらと揺れている。誰かがイマジンを歌い出した。最初はみんな怒っていたけれど、いつの間にか泣いている人や笑っている人ばかりになってきた。怒号は消えてイマジンだ。ノーアベ、イエスゴトウだ。
ぱっと見なんの関係も無さそうなことが、実は裏でつながっているのだ。世界は僕らが思っているより遥かに複雑なんだ。
来週もあるらしいので皆集まろう。
小泉総理のときもヒトラーを引き合いにだして批判してた人は、一人や二人じゃなかったし。
正月にやってた関口宏の番組なんか、ヒトラーは民主的に選ばれた政治家で、どういう方法で民衆の心をつかんだかって話をしたあとに、安倍総理はどうこうみたいな話をしだしてひどすぎると思ったわ。
これ批判の内容がどうこうじゃなくて、ヒトラー持ち出せば済みみたいな浅さに、なんだ桑田佳祐この程度かと思った。
昔からこの程度だったのかもしれない。サザンはよう聴かないで知らないが、ナントカのGスポットって奴で女陰の形をした物に唾液を擦り付けてるパフォーマンスを見て、なんて汚らしい奴なんだと思った覚えがある。
批判にヒトラーを持ち出すのも好きじゃないしな。ヒトラーは永遠の人類の敵だからいくら扱き下ろして馬鹿にしても構わない、などとは思わない。アドルフ・ヒトラーにも人権があり尊厳がある、としなければ平和主義なんて成り立たないだろ。
市民に暴力を振るう市民の会こと在特会とすると、例え日本人のために活動してるとしても、市民に暴力振るうのはイカンわな。
ついでに言えば、しばき隊も異常だけどね。あいつらも暴力で在日特権を守ろうとしてるわけだしさ。
政府に対して抗議した事、そういえば一度も無かった。
ここが腑に落ちないと思ってたところで東浩紀のツイートが話題になってるのを知った。
東はそこから早稲田大学批判を展開したようだけど、論点としては、在特会の行いが正しいかどうかという事。
反論者も発言者も早稲田大学批判に論点があったから、何となく在特会批判はおまけと取れたけど、それはそこでの話と言う事で割愛。
問題は、在特会が暴力で市民を守ろうとする所にあって、そういう特殊な人達を自民党政権の閣僚はこぞって友誼を保とうとしているこの異常性だと思う。
結局戦争容認派の弁は、在特会の行為を容認する事で、本音が見えた事だろう。
彼ら的には暴力で言論弾圧、徴兵、戦争参加を謳っている、あるいはこれから謳おうというわけだし、
彼らには、戦前の天皇の意向無視して戦争容認し、戦後は全て天皇に責任を押し付けて責任逃れをする、こういう狡猾な本性が透けてきた。
要するに自民党が在特会を認めて支援するのは、暴力で市民を脅し、穢れた手で国民を守るという見せかけの正義で国民を主導する独裁者を思わせる。
ま、ヒトラー崇拝のネオナチとも仲良しみたいだし、今回のツイート見たら、自民は暴力で国民を支配する事が正しいと思ってる証明になるだろうな。
おお、こわいこわい。
今年の夏コミに行けないので、ガッカリしながら俺の楽しみ方を書いておく。
<はじめに>
夏のコミケは、やめたほうが良い。昼間の暑苦しいところで両手に1.5kgずつの重り(ペットボトルで考えてみると分かりやすいかも)をつけながら緩やかに3~4時間連続で歩き続けても、救急車の世話にならない程度に体調管理できる覚悟がないとキツイ。逆に言えば、それができるなら問題ない。
<心構え>
基本は2つ。『誰も助けてくれない』と『他人に迷惑をかけないようにする』の2つ。
『誰も助けてくれない』については、みんな自分が見たいところを探して歩いているため、他人に聞いても答えが得られにくいということ。もちろん医療班もいるし、コミケスタッフもいるし、心優しい人も多いだろう。が、体調不良で倒れてすぐに誰かが駆けつけてくれるとは限らないため、早め早めに休んだり水分補給することを重点に置くこと。
さらに言うと、コミケ会場は基本的にケータイが接続しづらい。そのため、他の人と待ち合わせるときはケータイが無い時代に戻ったと考えて行動したほうが良い。目立つものを目標にして待ち合わせ時刻を事前に共有しておく、ということ。
『他人に迷惑をかけないようにする』は、マナーを守ると同義。いつ開催不可になってもおかしくないという性質もそうだが、マナーを守ることで無駄な争いを避け、身を守ることにもつながる。前述のとおり、トラブルがあっても助けてもらえるとは限らないから。
具体的な方法としては、超巨大な値切り不可フリーマーケットを歩くようなもんだと考えればよい。品物を手に取るときは声をかける、通行の邪魔にならないように通路の真ん中で立ち止まることを避ける、小銭をなるべく用意しておく、など。お互いに不快にならないように気をつければ、スムーズに行動ができる。
<前日まで>
出来ればカタログは買っておいた方がいい。諸注意も読んでおいたほうが良いが、何日にどのジャンルがどのあたりに固まってるかをあらかじめ知っておけば、ある程度スムーズに行動ができる。
他に用意しておくべきなのは当日の水分補給用の飲料、タオル、小銭など。夏冬限らず、人が多くて気温が高いため水分補給用の飲料は必須。一応ビッグサイト内に自販機があるものの、ぬるい飲料がほとんどな上に気軽に買えるとは限らない。1リットル持って行った方が安全。タオルも同様の理由。
小銭が必要なのは前述のとおり、基本的には巨大なフリーマーケットだから。100円単位以上のお金があったほうが良い。エロい同人誌は1000円単位のものが多いが、その他同人誌は300円とか500円なので、それを考えたうえで小銭を持って行くとよいかと。
<当日>
だいたい11時~12時頃をめどに会場に到着すればよい。徹夜組とか始発組なんてのは、サークル参加者だったり超売れ筋のを買う人だけでいい。そもそも10時開場だから、10時ちょうどに到着してもすぐに入れるわけじゃないし。体力がないと数時間待ち続けるのはつらい。
会場内に入ったら、適当にふらついて買えばいい。好きなジャンルの本があるなら、そのあたりを。特にないならば旅行・評論・情報あたりが個人的にオススメ。エッセイ漫画とか、旅行の感想本とか、美味しい定食屋マップとか。
俺が買って面白かったなと思うのはだいたい以下の通り。
工業高校の日常を綴ったコラム、ゲームバー(ゲームが楽しめるBAR)の紹介本、北海道の缶コーヒーのレビュー本、IT業界への転職手順を紹介する実体験本、家庭教師の人が描いた日常4コマ漫画、ドイツ小説から読み解くヒトラー時代の日常考察本、ロケットの構造解説本、30kgダイエットした話の本、同人誌にバーコードを載せるやり方を解説した本、技術系女子の日常本、プレゼンのパワポデザインについてのコラム本、サイゼリア考察本、などなど。どれもこれもだいたい100~500円。
これらの本は基本的に同人ショップにも置かれないし、ネット通販も行われない。が、こういう同人誌に出逢いやすいのがコミケという会場。コミケを扱ったフィクション作品だと人が波のようにエロ本を買いあさってることが多いが、この手の日常系本を売ってるゾーンは基本的に穏やかで平和。
アニメとか漫画に興味がない人でも、旅行・健康・日常などといったコラム系のは気楽に買える価格でたくさん売ってるので、一度行ってみるのもアリではないかと。
<最後に>
『軽い気持ちでコミケに行くな!』とよく言われてるのは、冒頭で述べたように、「暑苦しい場所で、すぐに助けてくれる可能性が低い」という部分を甘く見ている人が多いから。体調管理に十分気をつけて(ちょっと多いかなと思うレベルでの水分補給・早めのトイレ休憩など)行動すれば、コミケはかなり楽しい場所だと思う。夏休みに余裕がある人は一度行ってみてもいいんじゃないでしょうか。
よく安倍晋三ヒトラーだとかいうのがヘイトスピーチだとか、ヘイトスピーチ批判に対してネトウヨが日本人に対するヘイトスピーチだとかいうのをよく見かけるじゃないですか。
でも、これってヘイトスピーチじゃないよな、俺はって思うんですよ。
じゃぁ、逆に、ヤジ問題で再度注目を浴びた田中真紀子の安部首相に対する「種なしかぼちゃ」発言なんかは差別的だと言えないかといえば、ヘイトスピーチって言っていいんじゃないかと思うんですよ。
んで、まぁ、それを少し考えてルール化してみたわけです。
あたりまえだけど、安倍晋三は内閣総理大臣であると同時に男性であり潰瘍性大腸炎の患者であり妻帯者であり子無しだ。
これは誰しもが言えることで、人は様々な側面を持つ。
例えば、病人という属性や貧乏という属性は社会的に劣位になるだろう。
逆に、政治家であるとか金持ちであるとかは社会的に優位な地位にあるだろう。
ただこれは、社会や集団においてで変わるものであり、例えば韓国人は韓国社会において優位だが、日本社会ではマイノリティだ。
例えば、日本で日本人に対してジャップということは、罵倒ではあるだろうがヘイトスピーチではない。
あるいは、有力な保守傍流政治家である安倍晋三をナチ呼ばわりすることは、非難や罵倒であってもヘイトではない。
あるいは、孫正義に強欲だとか、労働者の敵だと言っても問題はないだろう。
それとも、乙武洋匡に「信者突撃させて手を汚さないとか卑怯にも程があるよね」と言っても論評の範囲だろう。
例えば、潰瘍性大腸炎の安倍晋三にゲリゾウと言えばヘイトである。
あるいは、在日韓国朝鮮人にチョンといってデモを繰り広げれば真っ黒である。
他にも、乙武洋匡にカタワ死ねといえばまるっきりヘイトだろう。
そもそもの問題として、ネトウヨの「自分たちは虐げられてきた弱者で、特権に守られ不法行為を繰り返す朝鮮人という強者に立ち向かっている」という歪んだ自己認識がある。
彼らは妄想性人格障害か統合失調症か、あるいは社会的弱者か弱者転落に怯える中流なんだろうから、ある意味仕方ねぇのかなと思う。
ドイツとヒトラーの関係みたいに、欧州(というか世界一般的に?)は侵略したりされたりを繰り返した国は責任の切り離しがうまくできるんだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20140708151149
人種の違いを利用して「あいつはユダヤ人だ。ドイツ人ではなかったから悪魔だ」って別物としてとらえているよ。
そして完全に「あれはヒトラーのせい。だけどドイツで起こったことだから繰り返さないようにするね。ヒトラーのせいだけどね」って立場。
スケープゴートを火あぶりにして自分たちの保身を図るのがヨーロッパのやり方。初期ローマのころはもっと哲学的にも優れていたんだけどなぁ。
タカ派の政治家を揶揄する時にヒトラーをもじるパネルをよく見る。
あれ、ドイツ人が見たらどう思うんだろうね。
ドイツ人って、ナチスとドイツ人は別物みたいな感覚で見れるのかな?
「お前らにはお前らの悪党がいるだろうに」って思うと思うんだ。
逆に他国たとえばドイツでタカ派を揶揄するパネルに昭和天皇や東条英機がパロディで使われていたら
俺はイヤだな。
自分たちの国がファシズム的要素を持っていたなんて思ってもないんだろうか。
(使う勇気もないだろうな。過去の反省のもとの反戦を本気で考えていないからだ。きっと。)
東条英機は戦犯の責任に多少同情の余地がある? ならヒトラーだってそうだろう。
あと、PUBLIC ENEMYってパネルもあったけど。それもどうかと思うな。
PUBLIC ENEMYに失礼じゃないかな。