http://copy.hatenablog.com/entry/righttodiscuss
この記事を読んだ
批判することについて書いていこう
まず批判するっていうのはめちゃくちゃ高度な技術がいるんだよね。自分の言ったことっていうのは多かれ少なかれ責任というものが生じる、古い考え方で言えば言霊なんて言い方があるけど
何かを批判するっていうのは多くの場合はその物事に関して否定的な立場になって書くことだけど何かを否定する、しちゃいけないっていうのは自分自身の行動とか思考にも不可避に絡んでくるから自身を抑圧することにもつがなり自由を奪うことにもなる
だから自らの正義とか立場になって批判するっていうことは自らが現在の自らであるから言える言葉でもあるっていうことにもなる
けど自分っていうのはどんどん変わっていくものだからね、ひどく流動的なんだよ
純愛を信じてた人が恋に破れ愛のないセックスに溺れていくなんてのもよくある話で、彼や彼女は純愛を信じていたころには「好きじゃない人とセックスするなんて信じられない」って言ったとしてその言葉自体がセックスに溺れる絶望をさらに増幅していくことになるなんて恋を信じていた当時は考えもつかないよね
ヘーゲルは人間は真→知→真であると提言したんだよ。自らの経験によってある行動規範や思考規範ができるけどそれは実はそんなに正しくはない、絶対的なものじゃなくてどんどんどんどん変わっていくものだってね
細胞も3年間で全部入れ替わるなんて言うしね、3年あれば別人になれるってことだ
だから何かを批判するっていうのはそれがどんなに社会正義に即していることであれどんなに正鵠を射て見えようがあんまり進んでやるべきものじゃないんだよ。いわゆる考えがまとまったとされる「大人」でもやめたほうがいい
それでも批判するなら自分は絶対にこうではないって覚悟が必要だよね、まぁ絶対なんてものは絶対にないんだけどさ
上述したように人に関する正義とか倫理みたいなものは常識とされてるものでもよくわからない上に自らの枷になりうるからしないほうがいいんだけど
社会構造に関してとか秩序に関してはどんどんやるべきだと思うよ
ほら、ヒトラーとかの共産主義は結局は人間の感情の部分に最も触れてくるようにプロパガンダされてたものだから狂信的でけっして優しい世界ではなかったと思うから資本主義みたいなある程度以上の秩序とか論理はあるべきだしね
ほら、最近話題になった藤井先生と橋本さんのいざこざみたいなものを出すとよくわかるんだけどあれは完全に藤井先生が正しいよね