はてなキーワード: 歴史認識とは
http://en.wikipedia.org/wiki/Korea_under_Japanese_rule
このwikipediaの日本統治時代の韓国のページを見ていると、
"Seoul became the first city in East Asia to have electricity, trolley cars, water, telephone, and telegraph systems all at the same time"という記述があり驚いた。
そのソースはhttp://orias.berkeley.edu/summer2007/Summer2007Summaries.htm#SUNGの
Angus Hamiltonという人の記述によるものとなっている。
ちなみに”the first city in East Asia to have electricity”でググると2100件ほどヒットするが、
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Seoulにも使われている記述でもあり、ほとんどがソウルとなっている。
正直、日本の植民地前の韓国がどの程度発展してたのかという下衆な興味で調べており、
植民地支配による近代化やそれ以前の未発展さによって植民地支配を正当化することなどできないと分かってはいるが、
東京あるいは京都よりもソウルの方が発展していたのであれば、その時代の近代化の程度の認識を変えうるものでもあるし
そうでなければ、誤りを正す必要があるものであり、
どこそこの方が早かったでも、"all at the same time"という意味ならそうだとか、この本が学問上基本だろとかでもいいので
何か情報があったら是非教えてください。
(ついでに、そのhttp://orias.berkeley.edu/summer2007/Summer2007Summaries.htm#SUNGの上の記述で
ウヨ側にもサヨ側にもコピペで使われることで有名なイザベラ・バードの記述が用いられているが
1894年に初めて訪れた時の発展のひどさから1897年の再訪時のきれいな都市へのソウルの急変化の記述として引用されており
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080827/copipeの話と一致する。
まあ、”the Japanese certainly played a role in Korean modernization. However, looking at the dates above, clearly a lot of development happened before the Japanese annexation”
あれって事実を言えばセーフってもんでもねーでしょ。
なんかはてサから見ると「言ってること間違ってないんだから問題ねーだろ!」って騒いでるけど。
いやね、俺も歴史認識ははてサと共有してるのだけど、そういう問題じゃねーべよ。
歴史問題=グレー(の態度を貫いたほうがお利口)
な状況なのだから、特定の思想信条を主張されるよりはなかったことにしたほうがマシだべ。
ここで勘違いしてもらうとあれなんで補足しておくと、ネトウヨもダメね。特定の思想信条に染まってるから。
ネトウヨもウェルカム、はてサもウェルカム、これはグレーを維持する以外ありえねえべ。
もしグレーを維持することで両方から嫌われるならそれでも構わねーってことだべ。
わかっか?
おめーさんがたはっきりモノ言ってんけど、それは敵を作るってこととイコールだべ。
そげな当たり前なこと忘れちゃあいけねえべ。
マルクス主義は、観念哲学や宗教に対して唯物論哲学を掲げて対抗したように
既存の経済学や歴史学に「観念論的な社会科学」というレッテルをはり、
それに対してマルクス経済学・歴史学のみを「唯物史観」=「真に科学的な社会科学」と位置付けて対抗したんだよ。
唯物史観の特徴は、自然界に物理法則が存在するのと同じく、人間社会の歴史にも法則があると主張することで、
その法則の中心は、人間社会は奴隷制へ、封建制へ、資本主義へと変容して最終的には共産主義へと至る、というもの。
という部分なんかは、まさにこういうマルクス主義の特徴があらわれてるね。
言い訳も何も、東電を擁護してるつもりなんてないけどね。単に「狼少年」は自分の首を絞めているということを指摘したかっただけ。自衛隊だの公務員だの原発だの医者だのを、批判するだけ批判して褒めるところは全く褒めないという態度は結局自分の身に降りかかってくるということだ。批判するなら正しく批判しろということ。はっきりいって反原発派の99%の原発批判は2chのネトウヨのコピペレベルの知識だ(例のもんじゅデマや「原発がどんなものか知って欲しい」が一番わかりやすいだろう)。ああいうことを言っていては聞く耳を持たれるわけがない。
別の例を出せば、第二次大戦の歴史認識問題がある。はっきり言ってこの件に対する欧米リベラルの日本批判には随分おかしなものが多い。しかしそういう連中がのさばることを許しているかなり多くの原因は日本の歴史修正主義者にもある。そういう奴らのせいで、例えば南京大虐殺の死者数を、笠原あたりの説を引用して「30万は過大評価、10万-20万程度だ」と言っただけで右翼扱いされてしまう。
原発についても同じことが起こっているんだよ。
俺が言った「村」は日本か世界全体のことだから「壊滅する」ってのは余りにも大袈裟だね。正確には、村の出入り口付近の家が襲われて、住人は何とか逃げたがそこには住めなくなった、とでもいうべき。
屁理屈もへったくれもない。世の中にあるものすべてそういうもんです。「新幹線は安全です」というのと同じことだ。誰も「新幹線は絶対安全」なんて思うまい。責められるべきは東電が新幹線なみの意識で安全対策をしていなかったこと。それ以上でも以下でもない。福知山線事故を見て「鉄道は危険」なんていう奴はいまいよ。「JR西日本は安全文化を全面的に考え直せ!」というのが妥当な線。今回も同じこと。
こういうと「原子力は新幹線より一度の事故あたり被害が大きい」というかもしれないけど、言っとくけど、時速300km=分速5kmなんてものが5分間隔で走ってたり、あるいはガソリンなんて危ないものを燃料にした乗り物が道や空に溢れかえってたりするのも、核反応ほどのセンセーショナルさはないかもしれないけど、素人目には「神業」的な技術だと思うよ?
そして「数」のことも考えるべき。飛行機事故は自動車事故より派手だけど飛行機が自動車より危険かといわれるとそうとも言いがたいのと同じことが、原子力技術と他の技術の関係でも言えると思うよ。
要するに、あなたは「他に行き場所なんか無いんだ、だから、泣き言言う前にここで狼守ってる俺ら番人の足引っ張んじゃねえ」って思ってるということか。「原子力を利用できなければ、いずれにせよ人類は滅ぶ」と思ってるんだよね、おそらく。
俺自身は「番人」ではないが、ある程度その立場が理解できる者として、そう思ってる。元の記事に
自然エネルギーが「これから」の技術である現状、チェルノブイリよりずっと恐ろしい温暖化を確実に引き起こす火力よりマシだという考えは変わらん
と書いたとおり。温暖化や化石燃料枯渇は世界人口の短期間での激減というような壊滅的な被害を引き起こす可能性が現実のものとしてある。原発事故で人類が滅亡の危機に直面するすることはあり得ないことを考えれば、どう考えても火力より原子力が「マシ」であることは否定できまい。少なくとも、再生可能エネルギーやCO2の固定・回収技術の技術がもう一段階進歩したりするまではね(その間に原子力技術も進歩することはお忘れなく)。
そのことは「前提」だと思うんだけどね。「脱原発」を唱える人でさえ、最低でも四半世紀は先のことだというのは合意できてるはず。実際、四半世紀なんてのは現状の再生可能エネルギー技術でなんとかできる、という非常に楽観的な想定(原発の「安全神話」よりもよっぽど悪質だと思うけどね)に立って、ようやく成り立つぐらいのレベル。実際には半世紀かそこらは必要。つまり今後さらに原子炉寿命一世代分ぐらいは原子力が必要。即ち新設ストップなんてのは自殺行為だ。
となれば、現状の選択肢は「安全性を総点検・強化して原子力を利用」しかあるまい。それ以外何があるというんだ?
それは、科学的にそうなの?それとも漠然と政治・経済など専門外の「専門家」の人が言うことを聞いてそう思ってるということなの?
フランス革命の勉強がしたくて、図書館でタイトルが目に付いた『フランス革命の思想と行動』(河野健二)という本を借りてきました。
京大の教授だったそうだから、まっとうなことが書いてあるんだろうと思ってかりたんですが
書き出しが
資本家的生産様式が成立する歴史的過程は、封建的生産関係およびそれに本質的に依存する特権的商業・高利貸資本の拘束のもとから、生産者(農民・手工業者)が解放され、上昇することを主要内容としている。このことは現代の歴史学が確認しているところである。ところで、生産者はの解放および上昇は、若干の経済史家が説くような漸次的な行こうとして、あるいは、直線的な発達として現れるものでは決してなく、権力闘争をも無い方する高度の政治闘争を通じて、その所産ととしてはじめて現れる。この点も科学的な歴史認識が達成した「成果」として、われわれの前にある。
なんてはじまるので、なんだか驚きました。
「現代の歴史学」とか「科学的な歴史認識」とかいう言葉がナンダコリャな感じ。
1.これが書かれたのは1956年らしい(1995年出版、を見て借りたけど、再収録だった…)のだけど、この文章ってやっぱり55年分古いかんじしますか?
2.この人ってマルクス主義者? ここでいう「現代の歴史学」だとか「科学的な歴史認識」とかいってるのも、マルクス主義と関係ある?
たとえばこんなのとかかねえ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Voluntary_Agency_Network_of_Korea
しかし現在では、日本と対立する日本海呼称問題、竹島問題、慰安婦問題、韓国起源説等や、中国と対立する東北工程問題を巡って、韓民族優越主義に基づく主張を世界中に広めることを目的とし、世界中の教科書や地図やウェブ等で「歴史的事実であっても自分たちの意に沿わない記述」を変えさせるために、“サイバーデモ”と称する抗議活動を行っている。サイバーデモの手法は、世界各国の各機関に韓国側の「歴史認識」に基づいた主張を大量に送信したり、英語版wikipediaの組織的編集であり[1]、年々組織的活動を拡大させている
体裁は民間団体って事になってるが国家予算で助成されてたりする。その活動の成果が国から表彰されたりもしてる。
それに、極度に偏向した愛国心教育があちらのネット右翼量産の下地になってる面は否定出来ないでしょ。彼らは日本を格下だと教え込まれてるわけだし。
別にネトウヨでもなんでもないけどさ、
天皇を未だに神なんて思って崇めてる人なんて殆どいないだろうよ。
戦後の「人間宣言」でさえ、当時の日本人は殆ど反応しなかったくらい
天皇は普通の人間だって誰でもわかってんだよ。崇めてるかどうかも人それぞれさ。
でも俺は天皇がいてもいいと思うね。少なくとも千数百年系譜を保ってきた人類なんて
そういないぜ。しかも、天皇としての自覚と教養を強制的に持たされて、だ。
大体天皇が実権をもって悪政してるわけでもなし。廃止する方が無理がある気がするけど。
大体間違った歴史認識が原因なんじゃ?あるいは日本人で極端なこと言ってる人に対して、じゃないのか。
科学マンセーのご時世にそういう人がいたっていいと思うけどね。
天皇を崇めてるように見えるだけで、別にみんなそう思ってるわけじゃないだろう。
ただ、気に入らなくとも国会議員が貴人に対してする態度じゃねー。それだけで腹が立つ。
農法の進化の過程を見ていると、紀元前から続く農業が肥料との戦いであったことに気づく。
ヨーロッパの原始的な農法として二圃制というのがある。
冬に小麦を育てるのだが、その後はなんと一年間放っておき、休耕地にする。
これは別に農家が怠慢だとかではなく、そうしないと小麦が育つ地力が回復しないからだ。
次に北ヨーロッパに農耕文明が伝わってしばらくすると、三圃制というのがでてくる。
二圃制に加えて夏に大麦を育て、大麦→小麦→休耕のローテーションにする。
これは当時としてはかなり便利だったらしく、長く続けられた。
ところで、別にそんな面倒なことをせんでも成り立つ非常に便利な農法が古代にもあった。
氾濫を利用する方法だ。
メソポタミア文明やエジプト文明、その他いろいろの文明の発祥地ではこれが非常に便利に使われていた。
土が枯れたら雑草に癒して貰うのではなく、川に流してもらい、新しい土を持ってきてもらうのだ。
そうすれば毎年なんの憂いもなく農業に励める。
現在では大河の氾濫など、人間に害があるばかりでダムでも作って治水してしまうものだが、化学肥料がなかった時代は氾濫は農業にとって非常に重要であった。
大気中に腐るほど存在している窒素も、窒素酸化物などの形で地面に入らなければ植物が利用できない。
日本では古来、カミナリのことを稲妻と呼んだ。雲中で大放電現象が起きることで空気が灼かれ、窒素酸化物ができそれが雨に乗って地上に落ちる。無論、稲妻と最初に呼び始めた人たちはそんな現象は知らぬだろうが、その関係性は知っていたのだろう。
大豆などが有名だが、大豆も肥料として利用されていた。日本では満州で大豆を大規模栽培し、油などを取った絞りカスを日本に輸入して肥料にしたりしていた。
化学肥料がいくらでも手に入る現在では、行われていないが、日本の田圃では収穫後の田圃にレンゲソウ(マメ科)を植えた。
幻想的な風景だが、昔は田圃に一面のレンゲソウが咲いていることが日常風景であった。(その蓮華は枯れる前に花ごと地面に巻き込んで肥料にした)
ヨーロッパで農業革命と言われるノーフォーク農法(輪栽式農業)では、クローバーを栽培した。
クローバーもマメ科であり、この時やっと人間が「肥料を作る」という現象が発生した。
これまではずっと「肥料はどこかから持ってくるもの」だったのだ。(たぶんこの辺の意識の違いが近代、近世あたりの歴史認識に重要になってくるんだろう)
ノーフォーク農法は大麦小麦クローバーの他に、あまり地力を必要としないカブを育て、そのカブを家畜に食わせることによって家畜を年中飼育することができた。
クローバーと家畜の糞でようやく、紀元前から続いてきた慢性的な肥料不足は改善されるようになったのだ。
死刑廃止論者の中で亀井静香を積極的にパージする動きなんかなかっただろ?
それを持って、「死刑廃止と亀井の歴史観が関連がある!」とか言われても、
死刑廃止論者はそれに同意できないと思うんだが。
そもそも、歴史認識と無関係の政策を推進する集団で、各人の歴史認識を問うなんて普通はしないし、
それをしてないことで「その政策とメンバー各人の歴史認識が関連してる」とか言われても、
言われた方は言いがかりにしか聞こえないだろ。
意味不明。「反歴史修正主義派」って政府の犬なんですか。知らなかった。
あのね、俺は「わが国の歴史認識」なんてものに興味はないの。Apemanをはじめとして「反歴史修正主義派」を自認する人間がどういう「コントロール」を受けているかを知りたいわけ。なにしろあなたによると、ある政治的行動をしている団体は全てどこかの「コントロール」を受けており「代表窓口」があるそうなのでね。
組織がないからまともな集団とは限らないという話。
誰がそんなこと言ったのかね。
わが国の歴史認識について知りたければ政府または官庁に問い合わせたらどうですか。そこが一番わかりやすい窓口です。
政府や民主党内に変なのがいても、「政府見解」というのは定まってるんですよ。
別に組織があればまともとは限らないし、組織じゃなければオカシイといってるわけじゃないんだよ。組織がないからまともな集団とは限らないという話。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100821/p1
実際、歴史問題に関心持ってるのは一部の左翼とネトウヨだけだし、
一般人はウヨサヨの罵り合いをドン引きしながら見てるだけだろ。
選挙の時に候補者の歴史認識を考慮する有権者なんてごく一部で、
大抵はみんな景気対策とか福祉とか減税とか、生活に直結する問題で投票してるわけで。
世間のほとんどの人の態度がそうである以上、リフレのみを共通項に集まった集団が、
歴史問題に対してそういう態度になるのは当然といえば当然で、
別にリフレ派だけじゃなくて、ウヨサヨと関わりが低い政治テーマで集結したら、
どんな集団でも同じような事になるんじゃないか?
この理屈で言えば、社民党・共産党以外は「歴史修正主義政党」呼ばわりされるだろうし、
日韓の国会議員が東京で討論会 歴史問題など解決目指す
【ソウル共同】日韓併合100年を機に歴史認識や戦後補償など両国間の問題解決を目指して、日韓の国会議員が東京の衆院第一議員会館で19日、討論会を開催する。10日に発表された菅直人首相談話への評価も行う予定。
韓国最大野党民主党の姜昌一議員が18日、明らかにした。両国の国会議員有志は今月末までに、日韓併合が不当で無効なものだとすることなどを盛り込んだ共同声明の発表を計画。姜議員は「声明発表の準備段階として、両国議員による決議文などをまとめたい」としている。
討論会には、韓国から姜議員ら民主党の6議員のほか、与党ハンナラ党と野党の自由先進党から各1議員の計8議員が出席。日本側は、戦後補償問題に取り組む国会議員約20人が出席する予定で、仙谷由人官房長官も参加する見通しという。
こいつら一体何がしたいんだろう…。
日本にある朝鮮王朝儀軌は、日帝時代に、元本から写し取った写本と、市場に出回っていたモノを買い集めたコレクションであり、それらの元本は朝鮮に残されていた。それが亡失しているのは、朝鮮人の管理能力の欠落の結果であり、日本やフランスが保存していなければ、永久に失われていた文化財の一つである。
後進国は、文化財を奪われた、返却しろというが、管理能力が無い状態でそんな事をしたら、文化財が永久に失われてしまうという事に気がつかないのである。
南鮮は初代国璽や1948年に制定された憲法原文ですら亡失してしまっている。高麗版大般若経や百済時代の仏像や新羅時代の仏画も失い、日本の寺院から盗み出した物を国宝認定している泥棒国家であり、文化財管理の出来ない国家なのである。
さらに、朝鮮王朝儀軌を南鮮に寄贈することで、日本にどのような国益が発生するのかが明確になっておらず、南北朝鮮が統一した後でならばまだしも、南鮮のみに寄贈する理由が明らかになっていない。
説明不足であり、政府首脳の暴走としか言いようが無い。
日本にある朝鮮王朝儀軌を直接寄贈するのではなく、その模写本を作り、それを寄贈するべきであろう。当然、北鮮への寄贈用も作り、そちらは、北鮮の核や拉致問題が解決した後で寄贈するとするべきである。日本側所蔵品は、南北朝鮮統一後で、かつ、文化財管理がまともにできるようになった時期にとするのが、文化財に対する誠実な態度である。
談話では、日帝による植民地支配を朝鮮人が望んでいなかったと主張しているが、日本によって清から独立できた朝鮮を、ロシアに売ろうとしていた閔妃を暗殺し、さらに、朝鮮併合反対派の伊藤博文公を暗殺し、日本への併合を望んだのは当時の朝鮮人であり、日帝統治を望んだのは朝鮮人自身である。歴史認識に対する錯誤を、政府見解としている時点で、歴史に対する誠実さが欠落しているのである。
日本の民主党に欠けているのは、この誠実さである。議論に対する誠実さがないから、相手の発言を遮り、下種な野次を飛ばし、言ってもいない発言を捏造するのであり、法律や決まりごとに対する誠実さが無いから、法制局を廃止して党が解釈すると言い出したり、党首自らが違法子供手当てを貰ったり、幹事長が土地売買時期の操作といった、脱税行為をやらかすのである。
国民に対する誠実さが無いから、説明不足のまま、思い込みを語って反発を受けるのである。
不特定多数の国民や多数の国家相手に、全てに誠実である事は不可能であるが、誠実であるように装う事は必要である。全てに誠実である事が可能ならば王制で十分であり、それが不可能だから、必要な時に裏切って批判を浴びた者を交代させられる、民主制が運用されるのである。
政治家の評価は歴史がするというが、歴史に耐えられる誠実さを発揮するには、まず、文化財に対する誠実さ、戦死者に対する誠実さを見せみるべきであろう。
人は自分が有能であることの証明は容易に行なうが、無能であるという証明は難しい。
今現在の人間は過去の可能性の発露である、君は君の可能性の発露を今生きている。
まあ大雑把に言えば、生きるということは生物が保持している遺伝情報の最適化であるのである。
要するに自分に発露しうる可能性がこれ以上無いという証明は、そのまま死刑宣告であるからである。
故に、我々は価値観の多様化という安全弁を設けた、世界に一つだけの花であり一人ひとり違う種を持っていいのだよ、君は君のままでいいのだよ。
こういった価値観の多様化は1と2の間に無限の値をとる哲学であり、理性的に両者の差異を自覚しにくくすることに成功したのである。
しかし、この哲学は多くの1を土台にしたものであることは2である我々には本質的には理解されていなかった。
我々は結局2であることを自覚することもなく1である人々の犠牲の上に漫然と社会を運営していたのである。
ここでの1とは発展途上国を指す。
物質面で言うならば、それはつまり国際競争力であり技術力である。
この世界では金が無ければ物は手に入らないのである。
つまり物資を得ようとするなら方法は二つだ、安いものを高く売って差益を得るか、武力で奪うかの二択である。
我々は価値観の多様化という一種の欺瞞によって、この美しい世界の理屈を間違ったまま認識した。
世界の様相は全く変わっていないのに、我々は自ら産み出した新しい認識によって世界の構造が変わっていったかのように振る舞い、誤って学習した。
古代→中世→近代→現代という古典的歴史認識は我々を誤った結論に導き、これを信じる宗教を育んでいる。
しかし、現実はどうであろうか?
1と2は決定的な違いがあり、1という数字はどれだけ優秀な観察眼をもってしても2より少ないのである。
特異な君はそれだけでは無価値である。
たったこれだけの当たり前の現実すら歪んだ我々の視点からは認識できない「タブー」となっている。
かつてタブーだったものは何か?
古代→中世→近代→現代という古典的歴史認識とは全く別の意味で世界は多様な価値観に満ちている。
そこには1と2という単純な違いがあるだけである。
野生的直感が勝利する時代が来ているのだ。
野生的直感は1と2を理性によらず選別することができる。
人権の時代は終わった。
万物に平等な人権などはなから存在しえないのだ。これからは(というか世界はいつもそうだが)人間は生きているだけで価値があるわけではないのである。
中国を見よ、インドを見よ、あるいは道を踏み外しかけているがアメリカでもいいだろう、人権なぞ存在しなくとも国が発展すればそれで良いのだ。
彼らは我々がやったのと同じように、安価な労働力と確かな技術力で他国の経済を壊滅させ己の利益を得ているのである。
一般的に生物は自らより多くの子をなす、生き残るにはそれらと戦う、生きるという本質は奪うことであり、それしか無いのである。
弱ったもの、劣ったもの、本質的に無気力なもの、無産者、これらを不要なものとして切り捨てる時がきた。
我々は2であらねばならない、あまねく万物は生きるために2であろうとしそのために死力を尽くして戦っているのでありそれが正しい姿だ。
不能者を抱えて弱りきった我々の国家は野生的にあくまで合理的に、不要なものを捨て去り社会を形成する必要がある。
いや、国家の枠が無かったとしても我々が生きるために無能なものはいらないのである。というより、そのような余裕のある国家ではなくなったのだ。
この新しい野生的で至極当然な価値観は若い世代に確実に浸透している。
民主党は埋蔵金として、予備費を上げていた。この予備費は、大部分が、災害対策費であり、それを、母子加算復活や子供手当てのばら撒きの為に取り潰して、使い込んでしまっている。
この為、西日本において集中的に発生した大雨による被害に対して、災害対策を何もやれない状態になっているという。
被害がどんなに激甚であっても、マスコミが報道しなければ、関係の無い地域の有権者は何も気がつかないという事で、マスコミに対して災害報道を控えるようにという圧力がかかったという話も流れてきている。
衆議院選挙で民主党に投票した人々が、大雨の被害にあって、国からの援助を一切受けられずに困窮するのは自業自得であるが、他の政党に投票した人々まで、同じように放置されるというのは、いかがなものか。
天災による被害に対して、全部地方自治体に押し付けるつもりなのかもしれないが、財源を地方に渡していない状態で、地方に責任だけ押し付けるのでは、筋が通らない。
政府与党の主張を流すだけでは、報道とは言えないのではなかろうか。
朝鮮半島併合100周年を記念してコメントを出すという話も聞こえているが、歴史的事実に対するすり合わせを、教科書協議として学術分野で行っているが、その協議において、南鮮側の主張する歴史認識は、歴史的事実と物証によって、ことごとく論破されている。この事実に対し、政治が勝手に歴史的事実を認定しかねない発言は、日本と朝鮮半島との関係において、将来に長引く禍根となるであろう。そもそも、伊藤博文公の暗殺101年の方が、日本にとっては重要である。朝鮮土人は文明人にあらずという事実を明らかにするべきである。
極左カルトである民主党政権のドクトリンは、ついこの間の参議院選挙において、国民から否定された。信任を得られなかった政権であるという自覚が無い状態で、勝手なことをやるのであれば、次の選挙の後で、民主党関係者の居場所は、日本国内には無くなるであろう。政治の職にあるのは、参議院で6年、衆議院で最長4年である。その任期が終わった後で、再び当選して職に就くか、落選して地域の素封家として子孫の再起に望みをつなげるか、あるいは、落選した挙句、村八分にされて野垂れ死にを迎えるかという末路が待っている。政権与党の一員として権力を揮うと、落選した後に、任期中の恨みつらみが一気に表出する。万年野党では、権力を行使することが無かったから、落選してもそのまま暮らせる状態であった為に、こういった危機感が無いのであろう。
首相や大臣に石や生卵を投げつけても、国民の支持を失った状態では、警察は、捜査したけど被疑者不詳で書類だけを検察に送って終わりにするであろう。落選したら、家に火炎瓶を投げ込まれても、失火の書類をでっち上げて終わりにするだけである。国民に恨まれている人を助けても、政治的に何のメリットも無いし、捜査や裁判に余計な税金を使う事は無駄であり、そんな費用は真っ先に仕分けされるべき冗費だからである。
権力とは万が一の時に使われるべきモノであって、無くすわけには行かないが、常時振り回すモノでもない。民主主義を、期間を区切った独裁制だと捉えるのは、土人国家の道徳であり、持続的発展と継続性が無くなる。先進国が先進国となりえたのは、継続したからであり、継続することによって、凡人でも修練の末の高みに至ることができたからである。秩序も技術も民度も、継続なくして成長はありえない。継続性の無い政策を並べるのは、理想を追求すると言えば格好良いが、実態は、独裁者の迷妄でしかない。
予備費を使い込んでしまった以上、予算委員会を開いて、臨時国債の発行を通さなければ、災害対策費は出てこない。イレギュラーな国債の発行に対しては、国債マーケットの資金繰りの都合から、相応の金利を上乗せしなければならず、0金利に貼り付けている国債にとって、市場側から金利上昇の要求を押し付けられかねない事態となるのである。この危険性があるから、予備費を積んで、どんな災害がきてもびくともしないという国家財政を維持し、その信頼が低金利を維持してきたのに、民主党はそれを壊したのである。日銀の融資枠を拡大して日銀と金融機関と財務省の間で循環させているお金の量を増やすという手にすがりつくつもりであろうか
[2010.7.18]