はてなキーワード: 自閉スペクトラム症とは
『発達障害だった長男を悲観して「この子の人生を終わらよう」と浴槽に沈めた母 精神疾患を抱え、幼児3人を〝ワンオペ育児〟』
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6462720
この記事。
twitterだと多産DVだ!父親が悪い!一色で、母親を擁護する意見がバズってる
「女性は事件当時、長男のほか4歳の長女、1歳の次女の3人を育てていた。夫が仕事でほとんどいなかったため、育児はいわゆる「ワンオペ状態」。長男は軽~中度の発達遅れがあり、自閉スペクトラム症の疑いと診断されていた。」
しかも内容が酷い、長男を殺して、残された長女と次女の人生をどうするつもりだったのか…
長女は4歳ならばもう物心はついているだろう。弟を殺した母親に育てられるなんて地獄では?
1歳の次女だって今後発達障害が判明する可能性もあるだろうに…そうなったら次女も殺していたのか?
「障害者は殺せ」という加害行動を取っている時点で、この母親はやまゆり園事件の植松と同じ考えだよ
いや、わざわざ自分で産んでおいて殺す方がタチが悪い
ワンオペ育児に関しては夫にも非はあるだろうが、殺したのはこの女の意思であってそれはそれとして責められるべきだろう
ちょっと前のスープストックの話題では、独身女性が単に子供を嫌いだと言っただけでまるで大量殺人鬼かのように叩かれたのに。
世の中狂ってるだろ
そもそもアスペルガー症候群は古い呼称で、今は「自閉症スペクトラム障害」と言うんだが。
ASDは「Autism Spectrum Disorder」の略なんだよ。
つまり発達障害のそれぞれの特性をスペクトラムのように連続体としてとらえてるんだ。
はっきり「アスペルガー」と判断できる特徴があるというより、ある人は耳から情報を聞くのが苦手、ある人は目から情報を得るのが苦手、ある人は騒音が苦手というように、それぞれ違う特性を持ち合わせていて、その総称として「自閉症スペクトラム」と呼ぶ。
未だに「ASD=アスペルガー症候群」と思ってる人は間違いだと言うことを覚えておいてほしい。
発達障害の中でも、コミュニケーション能力の困難、こだわりが強いなどの特徴がある「自閉症」「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」を総称して自閉スペクトラム症と呼びます。
【子どもの発達障害 「自閉スペクトラム症(ASD)」とは?アスペルガー症候群などとの違い】
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_346.html
これは発達障害を語る上で基本だと思うんだが、分かってない人が多いと思う。
これを機会に覚え直してほしい。
https://h-navi.jp/column/article/35028531
息子を産んで2年間が過ぎたころ、ほかの子とはあきらかに違う行動をとる息子に言い知れぬ不安を感じ、専門医を受診しました。自閉症(※当時の診断名。現在は自閉スペクトラム症)と診断されました。
息子は自傷行為、パニックが激しく「一生これが続くのではないか」と絶望的な気持ちになりました。
放課後等デイサービスで出会ったダウン症候群の子どもたちの中には言葉が出ていない子もいましたが、たとえ言葉がなくても「他人とコミュニケーションがとれていてうらやましい」とも思いました。
夏休み保育の手伝いとして、親が何日かスタッフとして入る機会があったのですが、息子は私が部屋に一歩足を踏み入れた途端、「ここは自分の母親がいるべき場所ではない!何故だ!何故だ!おかしな構図ではないか!」と思ったのか、自傷しパニックを起こし、服を脱いで全裸になって暴れました。
それに対して、ダウン症候群の子どもたちは親の姿を見ると、嬉しそうにすり寄っていました。この様子を見て「出生前診断を受けたことはつくづく意味がなかった」と思いました。
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
自閉症スペクトラム障害であり、セクシュアルマイノリティ ダブルマイノリティの直面する苦難とは? |じんぶん堂
https://book.asahi.com/jinbun/article/13864375
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705256798763475586
自閉症スペクトラム障害をもつ人の性的指向は、定型発達者のそれよりも多様であるという報告がある一方、異なる結果の出た調査もある。自閉症スペクトラム障害をもつ人のなかで性別違和を感じる割合が高いのかという問題についても、結論は出ていないようだ。とはいえ、『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』には、「子どもと同様に、一般集団と比べて医療に照会された性別違和をもつ青年において、自閉スペクトラム症の有病率がより高い」と記載されている。
確証バイアスは否めないが、SNSでセクマイを自称するアカがメンヘラだったり知覚過敏を訴えてたりすることが多いという肌感覚と一致はする
今、読んでいる本に
増田の友人の特徴そのまんまの事が書いてあったよ。
「自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界」サラ・ヘンドリックス著
女性と男性のASDの行動パターンの違いと、ASDの女性が一生の間に出会う困難についての著作。
ご友人は男性とのことだけど、この本によると、女性的なASDの特徴を示す男性もいるとの事だ。
いきなり踏み込んだ本を薦めてしまってすまん。
増田が発達障害について言及していた事と、この本で収集されていたASD女性特有の行動パターンがピッタリだったもので。
日中の眠気についてはASD由来だとすると、セロトニンやドーパミンの働きをカバーする薬を(診断がおりれば)処方してもらえる。(これも女性に発出しやすい症状らしい)
少女漫画に限らず女性作品は、なんであんなに人間関係のことや人間の心の繊細なヒダを丁寧になぞるような話をやりたがるんだろうね。
って、まさにぴったりくる表現だわ。
人と人の心の繋がりみたいなものに、そんなに興味あるかね。
それよりも、俺とアイツでどっちが強いか、アイツに勝つにはどういう策を練ればいいかを気にするわって感じ。
心理を気にするにしたって、たとえばギャンブル漫画の心理戦で相手をコントロールするのとか、デスノートで月がミサミサの恋愛感情を利用して敵に勝つ策を練るようなシーンは面白いけど、女性向けの心理描写はそういう権謀術数戦闘道具としての心理じゃなく、仲良しのための心理だから別物である。
「典型的な男」にとって「典型的な少女漫画」はつまらないってのは、人間関係に興味が薄い読者にとって少女漫画は人間関係描写のウェイトがデカすぎ、ということなわけ。
バトルを通じた強い弱いも広義の人間関係だとツッコミがくるかもしれんが、今はそういうゴチャマゼな話をしてるんじゃないからな。なんでもボーダーレスにすればいいってもんじゃないのよね、少女漫画専門ファンが格闘バトル漫画を読んだって、「強い弱いやその悔しさが人間関係のうまみになるのは分かるけど、日常生活でそういう屈託をやってほしいわぁ。この作品は楽しんだけどメイン趣味は少女漫画だわ」ってなるだろ。
これはインターネット学級会が疲れるみたいな話や、女オタクにとって同人活動は社交の場という面がデカいからオシャレさんも多いけど関係トラブルも多いみたいな話にも繋がってくんだけどさあ、ずっと人間関係やってく気かよ~?
まあ、人間関係をやってきたい人がやっていくのは個人の自由ではあるけどさ。
こう考えてくと、女にも少数いるだろう「典型的男」な感性で人間関係に興味が薄い奴は、クッソ生き辛そうだよな。この文章も分かりやすさ重視で「典型的男」という言葉を使っちゃうくらいだから、人間関係に興味が薄い女は自分を簡単に説明する言葉を準備するのすら苦労してそう。
最近は男オタクも、泣きゲーや君と僕のセカイ系など人間関係作品を経て、関係性が尊いわ~~とか言って女オタクっぽい感性に接近してる層も目立つって? それは部分的に頷こう。
だが少なくとも、少女漫画はあんま読んでないがぱっと見面白くなさそうだぜ少年漫画とかバトル漫画ギャンブル勝負漫画が好きだぜってタイプは、人間関係に興味が薄い「典型的男」だ。
そして、人間関係に興味がある人間の方が絶対的に上等ってことはないだろ。
にもかかわらず世の中には、強い弱いのバトルをやりたがる男は幼稚でダメね~みたいな風潮がある。
被害者アピールはあんましたくねえけど、少年漫画好きがときおり少女漫画に噛みつくのは、世の中に少年漫画sageと「典型的男」sageの雰囲気があるから、普段は『男らしく』黙って我慢してるけどたまにはバトル始めてみっかてことだと思うわ。売上(戦闘力)みたいな数字を出しがちなのもいかにもバトル漫画好きからのアプローチっぽくていい。そのバトルに付き合うか否かは勝手だけど、トラバ先の増田氏に対して「日本語読めてなさそう」みたいな反応する奴はバトルする気マンマンだよな。
それにしても、「日本語読めてないだけじゃん。これじゃ少年漫画も読めてないだろ」とか言ってるブコメなんかは本当に人を馬鹿にしてるわ。
俺はこの増田の実際のところはしらんけど、それこそデスノ、カイジやアカギ、ハンターハンターみたいな、戦いのための策略を延々文章でやってるのは楽しく読めてそうな雰囲気は端々から出てる。それも読み取れず「日本語読めてない」とはホント馬鹿にしてる。
ま、とりあえず、「人間関係や人間心理に頓着したがらない典型的男性(身体男性とは限らない)」に、読まず嫌いなだけで少女漫画は面白いんだよってすすめたい時は、人間関係をあまりやってない少女漫画を選ばないと響かねーよ。
二次元キャラの人間関係が趣味なのも、芸能人の人間関係が趣味なのも、ご近所さんの人間関係が趣味なのも、人間関係フェチって意味じゃみんな一緒。
キャラの人間関係やクソデカ感情に興味深々なのは、ワイドショーの芸能人交際報道やご近所の噂話でキャッキャするのとおんなじ人間関係フェチ。
強さフェチと人間関係フェチ、どっちが人として上等かは自明ではない。
精神医療的に適切な発言じゃないが、「典型的男」はうっすら自閉スペクトラム症の要素がある強さフェチで、「典型的女」はうっすら境界性パーソナリティー障害の要素がある人間関係フェチみたいな感じ。
優しさや気遣いはくだらないとみなし、目的のためにストイックで自分も他人も傷つけても構わないマシーンみたいな姿を格好良いとするのが典型的男向け物語だもの。(ってのは言いすぎか)
エロ漫画ですら、メスガキに負けてザーコザーコ💕って言われるか大人ちんちんで上下関係をわからせるか、間男にNTRれて負けるのかNTって勝のか、勝ちヒロイン負けヒロインは誰かみたいに強さ弱さ概念が自然に出てくるし、そこにおいて愛だの恋だのは添え物なのだ。SEXはメイクラブじゃねえ、デュエルスタートだ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/qiita.com/muumu/items/1da55b3c8760cec6d25c
エンジニアにおける"難しい人"への対処法 - Qiita を読んで感じたこと。
自分はASD(自閉スペクトラム症)と診断されていて、"難しい人"である自覚がある。
多くのASDと同様に、難しさが許されるような特殊な才能は持っていない。
学業も仕事も必死で頑張ったが、コミュニケーション能力不足と感覚過敏のせいで成功しない。
社会の皆が"難しい人"とは働きたくない。だから、私達にはどこにも働く場所がない。
こんな障害を持って産まれてきたくなんかなかったし、今すぐ死にたいと思う。
自殺失敗して後遺症で寝たきりになったりしないように、確実な方法が良い。
もしこのエントリを政治や経済の力がある人が見てくれたら、自殺幇助の合法化をしてほしい。
うちもにた傾向なんだが、どうもこの系統の鬱や統失は「発達障害の2次障害」っぽい気がしてる。
ASD(自閉症スペクトラム)の発達障害傾向がある人は、軽度だと一見「正常」に見える。自分でもそう思っているけど、生きづらさが非常に強い。生きづらさと性質の違いにより精神的に疲弊して2次障害を発症するが、そこで発達障害ではなく鬱や統失の薬物治療になると、根本解決出来ずに積んでいく。
周囲で生きづらさで鬱や統失になっている人はASDかもしれない、早くわかれば手が打てることもあるかもしれない。わたしは下記の書籍でそのことを知った。
だから、周囲が自分に期待してる言動が理解できなくて的外れな言動をしてしまったりする。
結果周囲に怒りや嫌悪感を抱かせて攻撃の対象となる、と言う訳だ。
例えば、人間が何人か集まっている場があると、
私はヒエラルキーの順番を一目で見抜くことができないし、
もしも、露骨なヒエラルキーがあって見抜く(空気を読む)ことができても、能力が低くてヒエラルキーの最下層に置かれるため、
のび太のくせに生意気罪的なので、結局ひどい目に遭わされるのである。
障害者なので障害者らしく作業所で時給200円で働くしかないのだが、
そこにも人間関係は生じるので、とてつもなく困っている。
空気を読もうとして必死にへこへこしてるんだが、なんか的外れで「わきまえてない」かららしいのだ。
そこで、他の障害者が「お前の障害年金を寄越せ」とか言ってきたりする。
なんとかかんとか断るのだが、職員に「あなたは周囲と仲良くできないダメな人間だ」とか訳の分からんお叱りを受ける。
京都大は15日、霊長類研究所の正高信男・元教授(66)が、2014年から19年に発表した論文4本で、実際に実験をしていなかった捏造(ねつぞう)の研究不正があったと発表した。正高元教授は20年3月に定年退職している。京大は退職金支払いを止めており、今後、処分を検討する。
調査委員会の報告書 https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/inline-files/211015-kaikensiryo-d825afb27efaa25500ea68b226f58ea1.pdf によると、対象の論文は以下。
なんか、どれも教育・コミュニケーション関係の限定的な界隈が喜んで言及しそうなテーマよね。「大麻オイルがコミュ障・ひきこもり改善に役立つの!」とか「自閉症はダイバーシティのひとつ!美的判断能力が高いの!」とか「デジタル絵本のほうが紙より教育効果が高いの!」とか。周囲にそういうのがいて、感化されたのか、コメンテーターか広告塔になるつもりだったのか。...と思ったら、2003年頃からの著書が、なんかおかしなタイトルばかりだね。この頃に悪い編集者にでも捕まったのか。
今から本の話をしますので、「ほーん」と思いながら見てください。(推敲後追記:本の話より自分語りが多くなってしまいました。)
自分は公立高校の教員を10年ほど続けています。最初の数年は比較的、学力の高い高校に勤務していました。中学段階での学力を輪切りにする入試で入学してくるので多少の上下はありつつも、中学校で上位30%〜15%の生徒が入学してくる学校でした。大学入試でいえば関関同立レベルに1/3程度の生徒が入学し、半数以上が産近甲龍に合格するような学校でした。(国公立はほとんどいません)
その後、異動した今の勤務校はいわゆる「生徒指導に課題のある学校」です。立地的なことや設立の経緯から、様々な背景を持つ生徒が多く在籍しています。ほぼ毎日のように生徒指導上の案件が発生し、停学を含めた懲戒案件も年間に50件以上起こります。
生徒の多くは中学校段階、あるいは小学校段階で「問題のある生徒(家庭)」としてリストアップされ、「高校に行くなら〇〇高校(本校)しかない」と言われて進学してきた生徒です。実例は挙げにくいですが、「金八先生」や「GTO」、「クローズ」をイメージすれば近いです。
勤務する中で最初は前任校との違いに翻弄されましたが、よくよく考えればその「違い」は当たり前で、今、目の前にいる生徒に対して必要な事を考えながら働いています。
在籍する生徒の多くは発達に何かしらの課題を抱えていて、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を持つ生徒もいます。診断があれば、個人内絶対評価などの合理的配慮も行っています。
ただ、生徒の大部分は診断されていない、あるいは診断が出ない生徒です。しかし、それでも支援を要する生徒はたくさんいます。いわゆる「しんどい子」です。
「しんどい子」を前にした時、我々教員は大体2つのパターンに分類されます。①「しんどさ」に寄り添いすぎて甘々になる教員②「しんどさ」を理解せずに厳しさを押し付ける教員です。①に関しては「課題を多く抱えているのだから優しくしてあげれば良い」②に関しては「教員の言う事は全て正しい、言う事を聞けないのはおかしい」というように両極端になります。
教員の人間性やスキルにもよりますが、どちらにせよ「課題を多く持つ生徒を少しでも伸ばす」という視点に欠けてるなぁと思いながら過ごしています。
確かに、「しんどい子」を前にした時どうすればいいかわからないことは沢山あります。原因もわからない事が多く(発達上の課題に関しての理由はほとんどわかりません)、対処方法もわかりません。
そんなこんなでモヤモヤしながら勤務を続けて数年目ですが、2年前に「ケーキの切れない非行少年たち」という本に出会いました。この本は〜児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。 〜(出典:Amazon)という内容です。
この「境界知能 IQ70〜84」の人々が、我々の目の前にいる生徒の多くに当てはまると感じました。そして、この本から多くの気づきを得て、生徒との関わりを変化させてきました。
この「ケーキの切れない非行少年たち」の続編として「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」が出版されました。
この本です。紹介したいのは。学校教員や、対人の仕事をしている人、自分の子どもが「しんどい」保護者に読んで欲しいと思います。
特に教員の人には高学力の学校に勤務していても、いつかその様な生徒を前にするかもしれません。あるいは、こちらが気づいてないだけでそんな子を指導しているかもしれません。
我々(一般的な大人)には理解できない世界(環境という意味ではなく、認知力の不足による)で過ごしている子どもは多くいます。ですが、我々はそのことに気がつかず、気が付いても対応の仕方がわかりません。そうして、そのことに少なからず絶望し、他者との関わり方が歪む子どもがいるのは事実です。
しかし、おそらく多くの大人は(少なくとも教員である私は)目の前にいる子どもが「今の自分」よりも良くなり少しでも明日に希望を持って生きていくことを望んでいます。
正当化を避けるために、あえて言えば私自身も生徒指導の困難さから、いつも正解の指導ができているとは思いません。正直な所、自分の人間性に合わないことや、スキルに見合わない事、どうしようもない事が毎日起こります。
しかしながら、場当たり的な甘やかすだけの指導や、有無を言わせず従わせるだけの指導を超えた支援を考え続けたいと思っています。そうすることで「生き辛さ」を抱える人が減っていけばいいなぁ。と思いながら教員という仕事を続けています。
長くなりましたが、少しでも興味がでれば「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」を読んでみてください。
はっきりした線引はできないよ。
ただオタク気質というのは、自閉症と強い相関関係があると思う。マンガやアニメが好きでもオタクという雰囲気が出ない人は自閉症じゃないんだろう。
オタクという言葉自体は自閉症を意味していないが、世間一般で「オタク」と蔑まれる傾向の人間は自閉症気味だと思う。
自閉スペクトラム症と言われるように、症状は多岐にわたるし、コミュニケーションが出来ないレベルから日常に差し支えないレベルまで多彩(程度の差があれ、しかし共通の傾向はある)だからスペクトラム症。
https://www.smilenavigator.jp/asd/abc/
”定型発達児が家族の真似もテレビ・映画のキャラクター真似も可能であるのに対して、自閉症児では家族の真似は困難だがテレビ・映画のキャラクターの真似は可能”