はてなキーワード: 運痴とは
彼氏→同級生専門職。母子家庭育ち→学生時代母親が恋人と蒸発した経験あり。
彼氏とは中学時代からの付き合いなのでもう人生の半分一緒にいる。
出会った頃から彼氏の家はハイパーごたごたしていてそれをネタに笑いをとるくらいだった。
付き合ってからも「俺は子供は作らない。変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」というのが彼の持論で
私は「そんなことないでしょ~」とたしなめるのがお決まりだった。
私は両親も揃っているしずっと普通の家庭に育っていると思っていた。
高校生の頃はゴタゴタと仲が悪かったし、大学生の時もなるべく家族と顔を合わせないように授業とバイトを調整してたし
一人暮らしを目指して就職したけれど、別に変ったことではないと思っていた。
しかし私の就職したそこそこの安定した会社でその認識は打ち砕かれた。
若い人は親元にめっちゃ帰るし、既婚子持ちは子供や配偶者の話めっちゃするし家族に優しいし、家族に対する愛が溢れていて驚いた。
せっかく就職して一人暮らしを始めた安住を犯され壊される感じがして、職場の人間が怪物に見えた。
ウエディングドレスにも奥様業にも子供にも興味はなかったが、社会で生き抜くための責務と義務だと思っていた。
と、同時に「どうにかこの役割から逃げれないかなぁ」ともぼんやり思っていた。
彼氏のことは心の底から好きだけど、結婚することで今の関係から「夫」と「妻」になり
更に子供をもうけることで「父」と「母」になることを考えると嫌悪感でいっぱいだった。
子供を捨てたり虐待する母親はクズ中のクズだから絶対になりたくないが、子供というだけで私を縛り付け、仕事や社会生活を不利にする存在を
心の底から望み喜んで誕生させ育てなければならないという事実は許せないと思っていた。
しかも仕事をしながら育てるとなると両実家の協力は不可欠で、またあの実家と密にかかわりを持つのかと思うだけで憂鬱だった。
とにかく「経済的身体的自立を手放したくない」「実家と触れ合いたくない」という気持ちが強く、それが崩れるとなると泣きそうなくらい恐怖を感じた。
そんなこんなで、速攻でメンタルクリニックのお世話になった。
カウンセリングを受ける中で、私の強迫的なまでの自立への執着と家族に対する嫌悪感は生育家庭に問題があるのだな、という結論が出た。
私の両親は「こうあってほしい娘」像がすごく強固な人で、そこから外れることを許さない人だった。
どういう娘像かというと「成績優秀・スポーツ万能のオールマイティ優等生で、清楚で可愛くて、家の家事は全てこなし、家族に尽くすことを喜びとする」といった感じ。
私は運痴で地味だったので勉強と家事でその穴埋めをして家に置いてもらわないといけなかった。
年々親の求める学業のレベルと自分の出来るレベルにギャップが出来てきて、勉強と家事以外のことをしていると責められた。
更に父親はナチュラルに女性蔑視をかます人で、思春期以降は毎日セクハラ的なイヤミを言われ、女だからと母親や兄弟のケアを負わされた。
母はまさしく「社会に承認されるために子供を産んだ」としか思えない人で、仕事に忙しく子供に時間を割くことを本当に嫌がっていた。
勝手に進路を変えられたり入る部活や課外活動を決められたリ、といった学生時代だった。
親に認められないと生きていけないと思い込んでいたから結婚と出産子育てをしないといけないと思っていたけど、
親と過ごす生活や自分が親になることが感覚的に耐えられないから結婚出産子育てに嫌悪を感じる。
これがわかった時、彼の「変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」という言葉がスッと飲み込めた。
いわゆる変な家庭で育っても結婚出産をして立派な家庭を築いている人はいる。
いるけれども、現在の私はその段階ではない。
彼氏とはずっと一緒に居たいけど、世間の求める夫婦の型にははまりたくないし、子供も欲しくない。
それは関わった全員が不幸になることだから。
このまま自分の治療を進めて、結婚して子供を持ってもいいなと思えるようになったときに
もう子供を産めない身体になっていたとしても、それは仕方のないことだ。
そう決めて、彼氏にもそう告げて、家族全員の電話とメールを着信拒否した。
今は薬を飲みながら、子供の頃できなかった趣味に手を出したり、勝手に進路変えられたせいで就けなかった仕事に就くために勉強している。
とても心が穏やかです。幸せになるぞー!
昔から、勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞のインタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。
平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルのイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。
ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニュースをスクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面にコンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガー、ウィーアー…)。
イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分の強迫的容姿コンプの内面を勝手に投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。
そして非難されてほしいという、再矯正か自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準を容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。
容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分を卑下してて、無駄に卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡と髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。
もし今自分が高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。
宇多丸氏の映画評論が下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSのミニ番組で、10代の自分について、不細工で運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去を吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。
年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。
社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力の多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分はコンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。
この人らの仕事も性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心とコンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ
・最低でもMARCHぐらいの私立難関大1,2年生(カースト低め)
何故か?というと、自分が経験した確実なデータがその層のものしかないからです。
具体的な統計とか一切使わずに経験則や周りの実情のみ参考にし、
あくまで私が
「万が一、人生2周目プレイが可能なら過去の自分にどうアドバイスするか?」
なので、筆者のスペックが
・志望業界:ブラックでなければどこでもいい、総合職も一般職も見る
という大学名以外カスみたいなレベルであることを念頭に置いてください。
似たような感じの人ってたぶんいっぱいいると思いますが
私がそうでした。
どうにかこうにか就活を終えて思ったことを箇条書きにしてみました。
<総合編>☆世間は思った以上に陰キャに冷たい、学歴だけで勝負できる世界じゃない
・余程のスキルがない限り、就活で陰キャが陽キャに勝つのはほぼ不可能
→中高から体育会系の部活入ってるような陽キャはほぼ確実にさっさと大企業に決まっていきました。
逆に、文化系カースト底辺民で唯一早めに就活終わらせた人は帰国子女でした。
見る限りオールラウンド系パリピは資格の有無で明暗くっきり分かれるイメージがあります。
→まず面接で「なんでこの大学で総合職で応募しなかったの?」って聞かれまくります。
大手商社の一般職なんてゆるふわキラキラ美女しかほぼ通りません。エリート様の嫁候補なので。
ビジュアルに自信がない人は最初から総合一本に絞ったほうが無難だと思います。
自分や似たようなスペックの周囲も含めて一般職に内定貰えた子は0でした。
→就活やってると「ありのままの自分で勝負!」とか、説明会なんかで飽きるほど言われます。
企業側の欲しいキャラの判別を簡単にするためにこういう誘導をしているわけです。
でも、経験上大企業や人気企業の総合職で陰キャが欲しい企業なんて殆どありません。
営業なのにコミュ障でどうやって他社と交渉するの?って話です。
営業もできる陽キャを取って配置転換すればいい話ですし狭き門なので…)
ありのままで適性検査(性格診断)受けてた頃はバンバン落とされてましたが、
・ストレス耐性がありそう・社交的そうな選択肢を露骨に選んで、
面接でも陽キャのエピソードパクって辻褄だけ合わせて話してたら通るようになりました。
→言われなくても知ってると思いますが一応。
中高時代の友人でなんの取り柄もないのに採用人数1桁の業界大手に決まった子は
同様のケースをいくつも耳にしているので、
コネ無しで採用人数1桁の大手を本命1本に設定するのは諦めたほうが良さそうです。
・第一志望の業種を絞るのはやめろ
業種絞ったカースト底辺民がその業種に決まったところを正直見たことがありません。
労働条件や雰囲気以外に興味がなかったことに尽きると思います。
<大学編>☆会話の引き出し、社会の動き方をなんとなく理解する、英語のスキル、コネを作る時期
評価なんてどうでもいいので、4年前期にしかとれない必修を残さないことが大事です。
運動神経がない人はランニングがほぼないアーチェリーとかどうでしょう。
ガチ体育会系が無理ならなるべく歴史あるイベント運営系サークルに入るのが
→バイトの経験はESや面接のエピソードで一番使いやすいです。
なぜなら部活やサークルみたいに調べたらブログとメンバー表が出てきて…
短期で1日だけ経験したバイトのことでも、いくらでも盛れます。
期間とかやったことは全部盛って、会社によって使い分けてました。
いろんな業種のバイトをしたことで、社会の動き方の一片を学べたのか
・資格を取れ
→特にTOEIC。700点とかないとエントリーすらできない企業がままあります。
・縁を大事にしろ、中高時代の部活の先輩とかコネの宝庫になりうる
→中高時代の先輩とほぼ連絡とってなかった自分と、コンスタントに付き合いを維持していた友人とでは
あと同じ大学の友人が自動的に多いのは本当にメリットでしかない。
大学からの友人を1から作るのはコミュ障には本当に骨が折れます。
→TOEICは本当に大事です。現状でカースト底辺民が逆転できる切り札かも。
英語と体育会系部活に全精力を注ぐと就活においてかなりの成果が見込めると思います。
以上です。
あくまで自分の経歴に当てはめての後悔であり、極めて狭い知見の中からの結論なので
嘘は書いてないけどソースも示しようがないので。
とにかく過剰に学歴に期待するのはやめましょう。
俺は高校、大学、サークル、バイト先、会社とどこでも最初はイケメン扱いされる程度にはイケメンなんだ。ここは疑わないで欲しい。
それにポパイを読んでNBを履きこなすぐらいにはオシャレだ。ファッション誌のスナップにも2回出たことがある。
なので第一印象は悪くない。
でも中身は残念なんだ。
まず、童貞だ。
でも童貞なんて怖くて言えないんだ。だって、見た目は良いのに童貞だなんて、中身が酷いって言ってるようなものじゃないか。だから言えるわけないんだ。だから、嘘ついてるんだ。
最初は喜んでいた子が、次第に落胆してきて、こっちを蔑んだ目で見てくるのがつらいんだ
顔がいいのに変だとか、残念だとか言われるのが辛いんだ
勝手に期待すんじゃねえよクソブスが。
でも、期待されるって面では、美人もこんな気持ちなんだろうな、って思うんだ
美人なのに、みたいな。身勝手な期待されてるんだろうな。それで、落差があると、余計ひどく思われる。(でも一方でダメな美人は男にはモテるよね。運動音痴だってかわいいってなるし、人見知りなことも初々しいってなる。俺も自分の外見レベルのまま女に生まれたら、って何度思ったことか。男のルックスって、営業力アップには貢献するけど、それ自体は価値を持たないんだと思う)
もう嫌なんだ。
そのままの自分を愛してくれる人がいいんだ
俺の魂を愛して欲しい。
追記
なんかブクマされてるようだから追記するけど、別にモテないのはいいんだけどさ、最初はキャピキャピ接してきた女の子が次会ったときは下に見られてる時のあのやるせなさはキツイんだよな。わかるかな、ダメな男に対する女の残酷な上から目線って心にくるよね。そして、またコミュ障が酷くなっていく。こう例えたらわかりやすいかな、見るからに運動できそうな転校生が、体育のサッカーで周りから期待の目で見られながらデビューしたら、超絶運動神経なくてカクカク動きで、周りに「あぁ…」て失望される感じ。フレンドリーだった周りのリア充サッカー部の奴らが、気まずい感じで距離おいていく感じ。もとから運痴キャラよりも辛いのわかるでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20080827024642
走り始めてから6ヶ月が経過した現在、まだ走ってます。走れてます。
あの時点で目標だった「30分で5km」は9月末に達成、その後徐々に時間と距離目標で「2時間走」「20km走」「ハーフ走」と達し、スピード目標の「1時間で10km」を昨年末に達成してきました。現在は「30km走」と「30分で6km」を遠い目標にしています。総走行距離は850kmを越えたところです。シューズを新調したら記録が伸びたり、目標は潰えません。
本当にここまで走れるようになるとは思いませんでした。前回の追記にも書いたように「だれもが認める運痴」でした。今はどうなのでしょう。少なくとも長距離走に関しては運痴と言われないはずです。まだフルマラソンの距離は無理ですが、この分ならば半年後には走れる気がしています。「だれでも半年でフルマラソンが走れるようになる」というのもウソでは無かったのですね。半年じゃ無理でしたが。(歩きを含めれば今でも可能でしょう)
出来事、思ったことを項目分けして幾つか書いてみます。所々「運痴が――」と書いていますが、あくまで僕個人の場合であって、運痴の人全てを対象として言ってるわけではないので悪しからず。
もちろん順調ではありませんでした。膝の痛み悩まされ、テーピングを覚えました。腹痛で途中ダウンしたこともあります。一度派手にコケて血まみれになったことも。運痴はちょっとのことでも故障するから動いちゃダメだ、みたいに考えてました。痛いのは嫌ですが、ちゃんと運動した結果なんだなぁ、と考えて嬉しく感じたりして不思議な気持ちです。大人になると転んで怪我することなんて滅多にないですし、子供の頃が懐かしいような感覚です。
Mなだけですかそうですか orz
走っていると撮りたいものが沢山見付かります。まだ体力付けの段階だと我慢していましたが、昨年末に風景夜間撮りに適したコンデジを購入し(一眼レフを持って走るのはさすがに厳しい)、週末のLSD時のみバックパックに背負って走るようになりました。
夕暮れの空と雲、見慣れない花や虫、山の遅い紅葉、街のイルミネーション。自分の足で自由に動けるからこそ撮れる物が沢山あります。毎週末にどこまで走ろうかと考えるのが楽しみです。今は物寂しい冬景色ばかりですが、これからの季節変化を考えるとワクワクしますね。トレイルランしたらもっと楽しそう。
こういう写真の楽しみ方って何て呼ぶのでしょう。「撮り歩き」ならぬ「撮り走り」です。自転車が「ポタリング」だとすれば「ジョギング」に含まれるのかな。
運痴として生きてると友人関係が「動かない人」で構成されてしまうのですよね。他のスポーツをやってみたら、というコメントが前回ありましたがチームスポーツはやろうにも難しいです。スポーツクラブとかに行けば、とも思うわけですが、30年間染み付いてしまった引き篭もり気質はその扉を叩く勇気を与えてくれません。人見知り激しいんです。
ランニングはソロスポーツだからこそ始めれたのだと思います。気楽で良いのです。
じゃぁランニングクラブはどうだろう、と調べてみると情報がサッパリ。市民駅伝のチームリストを見る限りは沢山ありそうなんですけど。活動がしっかりしてて情報得られるものは超初心者向けの教室か上級者向けのモノばかり。ペース4分30秒/キロでLSDとか、全力疾走したって僕には無理です。初心者歓迎、とのことですが足引っ張りそうで嫌だなぁ、と思ってしまうのが運痴思考なのでしょうか。体育の授業で足を引っ張りまくった過去はトラウマになってます。
まぁネット上で繋がり作ればいいか、と思ってますが僕のJogNoteは未だに友達0人です。(ノ∀`)
よく聞く名前のものを調べると制限時間が厳しいものばかり。制限のゆるい大会を見つけても、申し込もうかどうか気後れしてしまいます。人見知りなのもありますが、そもそも観戦したことすら無いのでどんな雰囲気なのかも分からないのです。運痴には関係のない世界だと思ってたので、TV中継すらまともに観たことが無いのです。なので今期中は観戦のみにしようかと思ってます。そう言いながら箱根駅伝は見逃しましたが。
先日、市民駅伝を観戦しました。応援の雰囲気や色々な走り方を見ることが出来て良かったです。駅伝なので1区6kmくらい、職場の人何人か誘えば……っと思って出場資格を調べたら「5kmを21分以内で走れる人」とか。これは市民レベルなのか……?
自転車のブームもスゴイですよね。僕の目的(写真)からすると移動距離が長く荷物を運びやすい自転車は適してると思います。しかも機械いじりが好きなもので、見てると興奮します。パーツ変えたり改造したり、すごく楽しそう!
でも今始めてしまうと走ることが中途半端になりそうだし、せっかく膝のトラブル等も克服して長距離走れるようになってきたし、何よりお金がかかるし、と思い止まっています。反射神経鈍いのでスピード出すのは怖いですし。将来的には購入すると思いますが、少なくとも1年は買わずに、走ることに専念すると決めています。
ダイエットは二の次目的だったので、食事制限はしていません。それどころか距離が伸びるにつれてスタミナ不足を感じるようになり、食事量は増えました。それでも当初から体重8kg、体脂肪5%ほど減少しています。おかげで最近周りから「痩せた?」とよく聞かれます。二の次目的とはいえ、やはり嬉しいものです。
しかしですね、8割方の人が二言目に「どこか悪いの? 何か病気?」と言うのです。夜ばかりなので日焼けせず色白のまま、僕が体を動かすなんて思ってもない周りの人たち。こうも僕の運痴は浸透してたんだなぁと。心配してくれるのは嬉しいですが、これまた複雑な気持ちです。
最初の頃は隠してはぐらかしていたものの、最近では続ける自信もついたので走ってることを話します。もちろん驚かれます。人間やれば出来るものですね、でも僕がこんなこと始めるなんてある意味病気で間違ってないですよ、と。
運痴思考で「自分は動けないもの」と思い込んで生きてきたのが勿体無く感じます。過去を悔やんでも仕方が無いですが、走る決心をしたことは大きな転換点になりました。仕事は不況で辛いですが、精神的に色々な自信を持つことができたと思います。
これからも自分の足で進んで行こうと思います。何事も。
長文失礼しました。
なんであんなに車運転してる人を信用できるのかわかんないんだよね
本当にそれは不思議に思う。
車を運転していて自転車を後ろから抜くとき、こちらを向いて確認してくれる人なんてほとんどいない。「車がうまくよけてくれるだろう」とか思っちゃってるのかねえ?
自転車に乗ってて後ろから車が来たら、「私はあなたの車に気づいてますよ」の意味でごく軽く振り返るだけで、運転手はだいぶ安心感が変わるのに。
恐くて、自転車で後ろを向くなんてできない? そういう運痴はせめてバックミラーをつけるか、いっそ自転車に乗るのをやめてほしい。
「車でバックミラーなんて見たことないぜ」という運転手の助手席には乗りたくないでしょ。
自転車で車に当たられても、自分は責任を負わないからいいやと思ってたりする? 当たられて自分が死んだら、責任云々どころの話じゃないよ。
しかしこれって、見知らぬ他人とのコミュニケーションを怖がる現代らしい現象なのかもね。(いやああいう輩は昔からいる! とかは別として)
目が合うだけでお互い「殺されるかも」って思っちゃうような。
車のほうも、普通の攻撃的なクラクションだけでなく、「おーい」と軽く注意を促す程度の音も出せるようになればいいかも。「ポヘ♪」とか情けない音を出すラッパをつけるとかね。
http://anond.hatelabo.jp/20080827024642
自分も超がつくほど運痴だったが、ここ2週間ぐらい毎日1時間以上歩いてる。
ウォーキングにこんな良い効果があるなんて思わなかった。
まず違うのは仕事中の集中力。集中力というか、集中力の持続力が明らかに違う。頭もクリアになったと思うし、テキパキと仕事を済ませることができる。
テキパキと仕事を済ませることができるので、ウォーキングに使ってる1時間分ぐらいの遅れは簡単に取り戻すことができる。
一日中忙しくしてるのに、なぜかやる気が出なかったり、頭がぼーっとしたり、仕事が全然進んで無い人はだまされたと思ってやってみ。
隔日くらいで8月から走ってる。下準備のウォーキングは6月から。
学生時代の体育は5段階評価で1か2、運動部には所属したことない。社会人になってからも運動らしい運動はしたことがなく、座り仕事のまま30代になった。メタボというほどの体系ではないが標準の上限ギリギリ。
きっかけは一眼レフカメラを新調したこと。新型の性能の良さを楽しんでたらハマり、自分の足で遠くまで撮影に行きたくなった。そのためには体力がない。1日30分くらいなら作れるし、ウォーキングでもするか。
そんな理由で6月からウォーキングを始めた。歩くだけなのに筋肉痛になる運痴っぷり。それでも1ヶ月程で、歩くだけでは疲れない体になり、重いカメラ持って2時間ほど歩き回っても平気になった。目的は達した、と思った。食事制限はしてないが体重も3kg程減った。
歩くことが楽しくなったが、移動できる範囲に限界を感じるようになった。もっと遠くまで行けるようになりたい。そうすると自転車か、でも自転車にも体力は必要だ。しかしウォーキングで付けれる体力には限度がある。
ならば走るしかない。
でもどうすれば良いのか分からない。体育会系の友達は少ない。職場で走ってる人たちに運痴な僕が聞くと笑われそうだ。何より相談しといて続かなかったら恥かしい。ネットや本で調べた。「半年でフルマラソンを完走できる」とか沢山あったが僕には異世界のようだった。だって「超初心者用トレーニング」の内容すら僕には出来そうにないのだから。実際出来なかったし。
基礎的な体力が足りないことがわかったので、さらに1ヶ月ウォーキングを続けた。途中からダンベルを持って歩いた。故障が怖いので8月までは絶対に走らないと決め、とにかく黙々と歩き、スクワットや腹筋等の基礎トレーニングもした。心臓病持ちが多い家系のため、運動用の心拍数計も購入した。
8月になってすぐ、ランニングシューズを買いに行った。高い靴ではないが、なんだかすごく嬉しかった。僕がこんなものを買うときが来るなんて。
すぐに走ってみた。5分が長かった。10分走ったら心拍数が短距離走レベルに達した。11分しか走れなかった。膝が痛くなった。筋肉痛にもなった。やっぱり僕は運痴なんだと思い知らされた。
翌日、痛みや疲れが残って更に走れなかった。走ると休日も必要なんだ。次の日は休んだ。その次の日、心拍数を見ながら抑えて走ったら15分走れた。体が鍛えられてることを実感した。
走り方も調べ直した。着地、足の運び、腰の動き、腕の振り。少しずつ走るのが楽になっていった。ペースを上げても心拍数を維持できるようになった。それでも8分/1kmのペースが限界。一般にはLSD走行と言われる速度でも、僕には限界走行。
走りながら昔を思い出す。こんな細かい走りのフォームとか教えてもらっただろうか。運動部でしか教えてもらわないことなのだろうか。「若い体力」だけで走ることが学校の教えなのだろうか。「コツ」を掴めなければ走れないと今では分かる。では本当に僕は運痴だったのか? だって今は走れてるじゃないか。体力がないからと諦めてただけかもしれない。
しかしまぁ、もう過ぎたこと。僕が運痴なのは事実だし、それに感けて運動しなかったのは僕の責任だ。でもその運痴が今は走ってる。中学生にも抜かれる状態だが、動けるのが嬉しい。足がガチガチになってきて自分じゃないみたいだ。
ウォーキングと違い、上限が遥かに遠いので次々と高い目標を作ることができる。「30分走り続ける」という目標は達した。次の目標は本に書いてあった「30分で5km (6分/1kmペース)」を達成すること。
達成できたら、職場で走ってる人たちに話しかけてみよう。恥かしいけど。友達にも話してみよう。昔の面影のないメタボな友達に。何人かには既に「痩せたか?」と言われたが、走ってるとは言ってない。
昨晩、そろそろ達成出来そうかと5km測ったら32分。もうすぐだ。
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沢山コメントありがとうございます。夜中に勢いで書いたので変なところが多くてすみません。
運痴じゃないだろ、というコメントをいくつか頂いてますが、学生時代は自他共に認める運痴だったのは確かです。成長が早かったので体が大きく、筋力測定すると人並みにあるのに、いざ動くとダメなんです。『「どうしてできないのか全く理解できない」という突き放した態度を周りの全員に取られる可能性がある」(キーワード説明より)という、まさにこの状態です。瞬発力、反射神経が足りないのだと言われました。
「勉強した技術どおりに体動せるなら運痴じゃねえよ」(コメントより)、はい、上記の通り動かせない子供でした。逆上がりを閉門時間いっぱいまで先生に付き合ってもらってもできなかったとか、二重飛びで同様に付き合ってもらったりとか、思い出したくない過去がいっぱいです。
今の走りでも、本当に調べた通りに体が動いてるのか分かりません。自分では走れてるつもりでも、傍から見ればひどい走りかもしれないです。目標達したところで、職場で走ってる人に一度見てもらおうかと思ってます。
Wikipediaの「運動音痴」を見ると「必ずしも運動の才能がない…という訳ではない」という注意書きがされています。長いので引用しませんが、僕もこれに当てはまる感じがします。「成長による体格の変化で、身体のバランス感覚は向上する」というのも、成長が早かった僕にも該当しそうです。(成長が早かったので止まるのも早く、現在では平均身長以下です…)
タイトルを「運痴だったけど走ってる」にすべきだったかもしれません。過去が運痴だったのは確かですが、現在も運痴なのかは分かりません。しかし今、走れていることは紛れもない事実です。このあたりの何ともいえない不思議な感じを誰かに伝えたくて、このダイアリーを記述しました。
anond:20071008010255 の元増田だが、匿名でない増田から反発を買っている。
http://d.hatena.ne.jp/mmasuda/20071008/p3
増田に増田で突っ込んでいたところに、増田でない増田から書かれると微妙にやりづらいが、まぁ、続ける。
ここで言っておきたいのは、実のところ、俺とて、運痴が治ったわけじゃないってことだ。
確実に実現したことといえば、10年以上かけて身体能力を向上させたこと、これぐらいだ。
何もしなければ衰えていくばかりの20代後半以降にむしろ向上させているんだが、
逆にいえば、その前があまりに能力が低かったので上がる余地があったともいえる。
この年代で日常的にスポーツをしない人々に比べれば、身体能力が高い部分が結構あるとは思う。
しかし、昔から日常的にスポーツをしてきた運痴ではない、むしろ優れている人達には、どうやったって追い付かないし、
運痴を、絶対的な身体能力ではなく、運動についての学習能力の低さという面で見るのであれば、
運痴ではないがもう日常的にスポーツをしていない人々に劣るのではないかと思う。
スキーの草大会に出てみれば絶望的に最下位近いので、これをましにしたところで表彰台は遠く、年齢クラス別でも公認レースに出る機会は生涯ないだろうし、
ロードバイクで信州に出かけてみれば、登り坂でヘロヘロであり、仮に今の20万円バイクから60万円バイクへと投資をして楽にはなっても
ツーリングイベントで上位に入ることなんぞ生涯ないと自覚できる。
トレイルランの格好で山に出かければ、「登山」のフォーマットで動く人々よりは速いが、
平均をとってみれば時速6km/h程度で2時間で登って降りて帰ってくる、といった、到底ランニングとはいえない代物であり、
それ以上の距離は山の中でバテて動けなくなると洒落にならないので試していない。ハセツネにもやはり縁はなさそうである。
団体競技には、自分のペースでできないのでかかわらないでいるし、学習能力が低いから、種目を増やすのはかなり慎重になる。
時間と金の投資をあんまり分散させられないしね。
でも、同年齢ばかりでつるんで、しかもみんなが成長期、という子どものころと違って、
今なら、付き合いのある年齢が上下にばらけるし、日常的に運動しない人間も多い。
そういう環境だからこそ、劣等感に苛まれずにスポーツができているんだと思う。
そして、スポーツと「体育」は違うしね。
・・・あれ、これって特殊な訓練なの?
狭いグループ内の優越感ゲームが問題なら、そりゃどうでもいいだろう。
でもさ、非モテが辛いんだろ?
なら、運痴でない程度の程度の筋力・体力をつけるっていうのは、スポーツマンになる必要はないにしても、
日常的の身のこなしのためには必要なんだけどな。
ちょっと急ぎでダッシュするのができないとか、階段を上るとヘバるとか、みじめなところは見せたくないだろ?
あと、筋力・体力って30代以降はほっとくとどんどん低下するから、歳とったときに差が出る。
年金生活に入ることになってる年齢になったら、よほどの人間的魅力に溢れていなければ、要介護認定状態でモテるわけないからな。
たぶん、健康を維持さえしてれば、それだけでモテ度が上がると思うぞ。60過ぎたら。
そのための貯金だよ。
もちろん社会人にもなって運痴で差別されることは少ない(職場によってはある)だろう。
「足ひっぱったら申し訳ない」とただでさえ考えてるんだからそういう奴は
「わざわざ俺のために時間割いてもらって教えてもらうなんて申し訳なさ過ぎる」って考えて出来ないだろ。
運痴の人間のシミュレーション不足。運動が出来る者の目線の考え方だそれは。
大体、それは教える側も迷惑だよ。そんな仲いいわけじゃない奴になんで教えてやらなきゃいけない?教える側の迷惑考えてるか?結構時間とられるし、教えるのってただでさえ難しいんだから。「教えてくれ」って言ったところで、「うーん、なんかこう、ポンって押すだけだよ」って適当にあしらわれるのがオチ。教えてくれるとしても「なかなかうまくならない故の教える側のイラだち」に教えられる側はまーたプレッシャーを抱く。これじゃ結局授業中に感じる「足引っ張ってる申し訳なさ」が授業以外にまで拡大しただけだ。そんなんなら一人で練習する事を選ぶだろ。
まあ今は幸いネットがあるから、以前よりは一人で練習しやすいと思うがね。
http://anond.hatelabo.jp/20071007011123
http://anond.hatelabo.jp/20071007112907
根底問題は体育教師のレベルな気がする。技術を教えられないから自力発見できる運動得意な奴だけがより引き立ち
おもしろさを伝えられないから運痴はますます凹む。
で、運痴なだけでなく超貧弱体型だった(社会人になってから急速にメタボ化してるが)漏れは、
人がものすごい勢いで突進してきたり、逆にこっちがぶつかっていかなきゃいけないのが怖くてしょうがなかった。
ケンカとかも怖くて、絶対避けて通ってたし。
運動神経は鈍くてもガタイのいい奴は、陸上や器械体操は嫌がってたけど球技になると結構生き生きしてたな。
ただ、貧弱体型でも球技でがんばる奴とかケンカ上等な奴も結構いたから、単に体型や運動神経の問題じゃなくて
もっとプリミティブな、闘争本能の問題かもしれない。
そんなことができるなら苦労しないと思うけど?
第一、教える側にわざわざ時間を割くほどのインセンティブがない。
体育の授業や球技大会でたまたま運痴と同じチームにされたせいで負けても、単にその運痴をけなすだけで終わり。
継続して同じチームで組ませれば運痴を何とかしようという気になる可能性もある(単にいじめに転化する可能性も高い)が、
あと、「努力した姿勢を見せれば評価してくれる場合もある」のは大人の話で、子供はもっとシビア。
俺もそうだったんだが、運痴って、大抵は、団体競技以前に身体能力が「絶対的に」足りないんだよ。ある程度以上の筋力・体力をつけるまでは、何やってもダメ。
筋力があるから敏捷に動ける、というわけじゃないが、筋力が無ければ、身体を敏捷に動かすだけの力を発生させることができない。
だから、入口に立つために、一人で筋力・体力をつけるのが有効。
もう今更子ども時代に帰れないんだから「どうすればよかった」なんて考えずに、大人なら金で解決するのが正しいよ。
スポーツクラブでのトレーニングは、カウンセリングを頼めばリハビリ復帰ぐらいの弱い状態からでもちゃんとメニューを組んでくれるし、
最近流行りのパーソナルトレーニングなら、トレーニングにずっとインストラクターが1対1でついて指導してくれる。もちろん、安くはない。
パーソナルトレーニングは、月会費なんかとは別に1時間数千円とかとれらる。でも、専門性のあるサービスを1時間買うっていうのは、まぁ、そのくらいかかるもんだ。
こういうのも、受身でやるだけじゃなくて、どういう方法論でやっていけばいいのか、今だとネットにたくさん情報があるから、そういうのを見ればいいよ。