はてなキーワード: 救急車とは
運転免許取って十六年にもなるというのに、自分の正面から救急車がやって来たという経験は、今日が初めてだった。
私は幅にそこそこ余裕のある県道(追い越し禁止)を走っていて、救急車は私から見て左手の細い脇道から県道に入り、こっちの方に向かって来た。
だから、私はただ救急車が前方を横切って対向車線に入るまで待っていればよかったはずなんだけれども、対向車線を走る車が悉く救急車に道を譲らない。そのため、救急車はこっちの車線に侵入してきた。
え、待って待って待って、私はただ停止するだけじゃなくてもっと端に避けなきゃダメじゃんね。そういう所に限って自転車専用レーンがあるので、慌てて後方確認して自転車が来てないことを確認して端に避けた。焦った。最初から気を利かせて端に寄せて停車してればよかったな。
日本では殆ど話題になってないけど、はてなー大好きな韓国ではアドブルーの枯渇がなんか凄い大問題になっていたりする
http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2021110580008
中国の輸出規制に端を発する尿素水の品薄現象で混乱が拡大している。尿素水の原料である尿素の97%を中国産に依存しているため、中国が尿素輸出を中断したことで、ディーゼル乗用車133万台、貨物車55万台の計216万台が走れなくなる危機に直面したのだ。混乱が長期化すれば、宅配、貨物トラックだけでなく、消防車、救急車まで運転できなくなり、物流と公共セーフティーネット全体がまひしかねない懸念が高まっている。
要するに、国内のディーゼルエンジントラックの3、4割が動かなくなるかもしれない瀬戸際にきている状態
当たり前だが日本ではアドブルーが不足しているという話はまったく出ていない
なので買おうと思えばそのへんのガソリンスタンドとかカーディーラーとかで普通に買える
なので向こうの連中に転売するためのアドブルー買い占めが近いうちに起きるかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20211107214049
「向こうに転売するための」だよ
https://anond.hatelabo.jp/20211107214055
向こうは年末あたりから「どんなにカネを積んでも物理的に手に入らない」って状況になるかもしれない瀬戸際なので、最悪の場合は考えておくべき
俺は小さい頃はとても明るいムードメーカータイプだった。クラスの中心でリーダーシップを発揮して引っ張っていくタイプではなかったものの、お茶らけて人前で話すのが苦にならないタイプだった。
当時髪はさらさらだったが、濡れると林家ぺーみたいな天パになった。当時は髪質なんて全く気にしていなくて、夢にあふれ明るい子供だった。
小学生の高学年ごろ、自分が周りの生徒と比べれて剛毛なことに気づいた。大人になれば綺麗な髪質になる、きっとトリートメントとかリンスとかすればなんとかなる。そんな認識だった。
中学にあがるといっきに髪質が変化していった。剛毛の太い縮れ毛生えてきて、うねりだし、髪が爆発しだした。
卒業までの間についたあだ名は「ちん毛」「陰毛」「チリ毛」「アフロ」「堅焼きそば」「スチールウール」散々だった。
学生時代の人間関係という名のスクールカーストにおいて、こういう負のステータスである重度の天パはカーストの最底辺で生きる羽目になる。中1の頃は、持ち前の明るさでお道化ていたが、「ちん毛の癖に調子のるな」と蔑まれ、いつもニコニコヘラヘラしていた俺はフラストレーションが溜まる思春期の同級生たちの捌け口となり、「何を言ってもいい」「何をしてもいい」相手になった。文房具を投げられ、男子トイレで首を絞められた。
運動も勉強もできない俺は、このあたりで心の底から人生がどうでもよくなってしまった。頑張ったところでどうせちん毛だし、どこに行ってもこれから先こういう目に合う事も凡そ想像がつくようになった。
学校に行くのが酷く嫌だったが、親に学校での扱いを素直に言うのはもっと惨めな気持ちになって辛くなって俺が立ち直れなくなりそうだったので、その事は黙りつつも学校を休みがちになった。
俺は学生時代の同級生の事は恨んではいないけど、もしも目の前で中学の頃の同級生が死にかけていて、俺が今すぐ救急車呼ばないと死んでしまうなら、俺は素通りすると思う。
出席日数はと学力は学年でドベだったので、近所の偏差値30の高校に通うことになった。
大阪市内に越してきて約10年、しかし未だに維新人気の理由が分からない。
コロナ対策では死者数全国ワースト、イソジン騒動を起こし、コロナ禍真っ只中に都構想投票を強行し、今年の春頃も救急車が機能不全を起こすレベルで感染を蔓延させたはずだが。(夏は流石にその反省か医療体制へのテコ入れを感じたが)
自民の後退がコロナ対策によるものなら、維新が支持されるのは道理が合わない。
サヨクの言う「テレビの洗脳ガー」みたいな浅薄な理由ではない気はする。
大阪自民が過去の所業から嫌われている、という雰囲気は何となく感じる。それが事実なら、10年以上嫌われ続けてるって一体過去の大阪自民は何をやらかしたんだ。
正直、大阪自民は共産と共闘するなど何か動きがおかしいとは感じている。
恐らく大阪特有の何らかの事情はある。強い闇や利権の類かもしれない。だが、奈良で産まれ育った自分には分からぬ。
追記:
>奈良ならわかるんじゃね?
そっちも当然疑ってはいるんだが、維新側もその手の利権を握ってるとかいないとか、調べれば調べるほど正直よく分からんようになる。
やる気だけは感じるものの、無能な働き者にしか見えないんだよな…大阪自民、そんな維新すら下回るイメージなのか?
追記2:
やはり…大阪自民への府民の怨念があまりに強く、この10年でそれを払拭できないどころか強固にすらした、という理解で正しいのだろうか。
救急にちょっとだけ関わっている人間から。増田の対応は模範的で素晴らしいものだと感じました。
・転んだ時に頭をぶつけたようで、路上は血の跡で若干濡れていた
・顔色は、夜でもはっきりわかるほどにみるみると真っ白になっていった
・そして、失禁した
この時点ですでに救急車を呼ぶべきレベルに達しています。意識がもうろうとしていて、かつ、頭部外傷を負っている場合、容体がどうなるか判断できません。顔面蒼白・失禁も伴うとなれば、急性アルコール中毒も疑われます。ここまでつきっきりで冷静に観察した増田が凄いです。増田が近くにいて本当に運がよかったと思う。
あと、救急車を呼んだ時点で増田の行動は正解であって、おじさんが一見(?)元気になったことはあんまり関係ないとも思います。おじさんは「おじさんが救急車に乗らない。(略)そのまま帰ると主張していた。」とのことですが、頭を打っていると、「意識清明で救急搬送を拒否したかと思ったら数時間後に急変して亡くなった」なんてこともありえます。ブコメにもありますが、後の判断は救急隊や搬送先の医師・看護師が行うので、呼んだだけで100点だと思います。
そのとき増田が対応した方は、ただの酔っ払いではなくて、酒が入った怪我人・病人です。酔っている・いないにかかわらず、明らかに様子がおかしければ躊躇せず119番してOKです。迷ったら、手遅れになる前に119番を!本当に救急車を呼んではいけない人というのは、「風邪をひいたかもしれない」「ひざをすりむいた」「健康診断に行くから送ってほしい」といったレベルの人です。
・♯7119 ※自治体によっては実施していなかったり、番号が異なったりするので注意!
→電話をすると、医師・看護師・相談員などに救急車を呼ぶべきか相談できる
→休日・夜間に、子供の症状の対処や医療機関受診について、医師や看護師などに相談できる
→症状を選んでいくと、緊急性の目安を判定してくれる
などの利用を検討してみてください。
様子を見て、顔色が悪いとか、脈をみたり。
脈をみるなんて、自分には思いつきません。
翌日には死んでいたかもしれませんし
お疲れ様でした。
もうあまり気に病まないで下さい。
次痛みが来たらちゃんと救急外来に行け。痛みが続くイコール悪化しているってことを忘れるな。予約が取れないとかじゃなく広がる可能性を考えろ。それ普通に救急車呼ぶレベルだからな。
昔ある30代の夫婦が小さな家を建てた。幼稚園の子供が2人いたので、全員の寝室になる8畳の間がひとつ。ダイニングキッチンがひとつ。夫はわりと珍しい核技術研究者で、家でも仕事をするので、2階は8畳の仕事場が一つ。妻は、夫が2階から降りる階段の前に、3畳の予備の部屋を一つ作る。あとはトイレと風呂。それがすべて。夫の実家も襖で仕切る和風の家だった。
そして妻は働きに出てしまい、夫が働きながら子供の世話をする。夫は手が足りずに託児所や訪問サービスを使うことになり、しまいには妻の計画どおり、住込みの家事サービスを入れることにする。サービスの女性は、当然に妻の手の者になる。階段降り口の3畳の部屋に入り、妻が家を空けているあいだの夫の行動を見張る。妻はそういうことをするため元国営企業に勤めて高給を取っており、夫から離婚されるのも困るのだ。妻が表の仕事でどんな技術を学んでいるかは不明だが、自分の給与額を秘密にしており、家には最小限のお金しか入れず、妻は帰って食って寝るだけ。夫が妻の収入を調べようとしても、本人の同意がなければ役所がそれを許さない。民法の夫婦共助の項目は空文。
7年後、下の子が学校に通い出してそろそろ家事サービスを入れる理由がなくなる。近所に新興住宅地ができ、新しい家が売り出される。妻は転居の一計を案じる。警察沙汰にしない約束で、近所の医者の息子のガキをたきつけ、9才の娘を襲わせる。家事サービスの女性にそれを発見させ、大騒ぎする。犯人の子たちはご近所なので警察沙汰にしにくい、娘がかわいそう、などという。これで夫を引っ越させる理由ができた。もちろん、娘もかわいそうだから、警察には届けないことにした、と丸め込む。
新しい家では、夫を、奥まった、前よりも狭い6畳の書斎に押し込める。狭い仕事場で四苦八苦させ、書籍などの資料が部屋の外に置かれ始めれば、妻は人に、誰彼となく家が片付かない悩みを打ち明け、夫が重要資料をいつも出しっぱなしにしているかのように言う。特に夫の同僚や、夫の実家の知人、そして自分の親戚に。さらにときには、夫が原爆を作っているなどどいう、とても印象に残りやすいが真偽の確かめようのない戯言を交えるのだ。そして夫の同僚にも妻の手の者をつくる。妻は、利用したい人間に対して必ず誤った回答をし、相手がその誤回答に同意するかを探り、同意しない場合は嫌がらせや嫌な態度をとり、自分に従わせようとする。よくある手かもしれないが。
夫が引退後に再び働き始めると、妻は夫の実家の知人たちが多い地域で、妻の手になる地主が持っている別荘地を見つける。そして夫に、別荘を手に入れて夏は別荘で過ごしましょうなどと言いだし、夫に通いの仕事を辞めさせる。その登記にはなぜか弁護士を雇い、田畑を宅地価格で買わせる。さらに、妻の手の設計士を雇い、冬には住めない耐寒構造のない建物を建てさせる。つまり、夫が年を通して籠って仕事をすることは不可能な場所にする。さらに、元地主と水道料金のことでもめ事を起こさせる。妻は、夫の知人たちには夫が悪いようにしか言わない。夫が脳梗塞で倒れれば、妻は、あちこちに電話相談をし始めて同情を集めつつ、救急車を呼ぶのを遅らせる。妻はよく赤毛のアンという物語が好きだと喧伝していた。つまり孤児を預かった養父が倒れて死ぬ話だ。
サイコパスは同意を集めたいがために、常に自分の方針を正当化する情報を集め、それを喧伝するのだ。テレビからも文学からも。ただし妻は孤児ではない。戦争中に外務省諜報員として日本攻撃を煽っていたキリスト教徒の英語教師の娘だ。妻の引退後の年収は、平社員などから見れば天文学的と言ってよいほどであり、人の老後2000万円の苦労など、高笑いしながら笑い飛ばすだろう。
この妻が、誰かに指示されてこうしているのだとしたら、一体、誰に指示されているのか。これについてはほぼ状況から判断するしかない。原爆研究・原発村の田島英三のほうか、皇族出現前の旧家を丸ごと片づけたい皇族のほうか、どちらも同じか。
せめて、金を払った医療機関には救われてほしいが、医療機関にもまた、この妻のように、他人の人権に感覚がない者がいる。特に新人医師は、新設のマッチング制度により大手病院での研修を受けやすく、自治体から給与支援金を得ることができ、転職もしやすくなっている。そういう構造を作ってきたのは誰だ? 自民党がまた選挙に出ているが、彼らの目指す新自由主義社会とは、こんな妻や家、つまり災害発生システムを増やすことではないのか。北海道は施設集中による大規模停電を被り、熱海もまた長年の盛り土見逃しによって、大規模な山崩れの被害を被ったのだ。
数年前、午前2時過ぎにバイト先の居酒屋から徒歩で帰宅する最中だった。当時10代だったわたしの足で、すすきのから札幌駅方面の自宅まで30分ほど。
平日深夜だと言うのに、市電通りの横断歩道を渡っても駅前通りは結構人が多かった。
カラ館前を通り過ぎようとしたら、路上でスーツを着た40〜50代くらいのおじさん3人が大騒ぎしていた。タクシーとタクシーの間、路上というよりは車道だった。
「酔っ払いは嫌だなあ」とチラリと視線を向けると、明らかに様子がおかしいおじさんが1人いた。見るからに意識がない。
周りのおじさん2人は、路上に座り込んで意識のないおじさんを呂律の回らない口で笑っていた。近くにいた客引きの女の子は仕事中だがおじさんの介抱するべきかチラチラと視線を送っていた。
おじさんは、転んだ時に頭をぶつけたようで、路上は血の跡で若干濡れていた。顔色は、夜でもはっきりわかるほどにみるみると真っ白になっていった。
そして、失禁した。それを見て周りのおじさんは更に爆笑した。
これはいけないと駆け寄った。首の横に手を当てても脈が触れず、肩を叩いて、名前も知らないのに呼びかけた。うろ覚えの知識でネクタイとベルトを緩めた。
それと同時に救急車を呼んだ。
大の大人が失禁するシーンなんて見たことがないからわたしはパニックを起こしていた。救急の人に状況説明していたが、支離滅裂だったんじゃないかと今になって不安を覚える。
必死で呼びかけたおかげか、顔色が戻ってきた。脈も触れる。よかった、と思っていたタイミングで救急車がやってきた。
そのまま救急隊員におじさんを引き渡した。だが、問題はここで起きた。
おじさんが救急車に乗らない。さっきまで顔色悪く失禁してたことなど本人は知らないからなのか、おぼつかない足取りでそのまま帰ると主張していた。
救急隊員も「頭怪我してるから、そのまま帰ると奥さんが心配するよ」「とりあえず頭の手当てだけするから救急車に乗って」などとさすがプロと思える誘導を行っていた。おじさんは言われるまで頭の怪我に気付いていなかった。
野次馬ごと「帰れ」と促されたからその後は知らないが、深夜に救急隊のみなさんに迷惑をかけてしまったのではないかとずっと気に病んでいる。
実はおじさんの怪我は大したことなくて、酔っ払いが失禁するのもよくあることで、あの夜に救急車を呼びたかったのに私が呼んだせいで助からなかった人がいたのではないかと、ふとした時に考えてしまう。
所詮通行人だったし、放っておいてもよかったんじゃないか、わたしがやらなくてもよかったんじゃないか。
おじさんと救急隊が結構な押し問答してたし、わたしがパニック起こして余計なお世話してしまったんじゃないか、状況説明したときの面倒臭そうな救急隊員の態度から通報してよかったのか、未だに不安になる。救急車に乗せられるところまで見届けられなかったからかもしれない。#7119にかければ良かったのかもしれないが、当時あったのか存在を知らなかったのか今となってはわからない。
たくさんのご意見ありがとうございます。当時の自分を労って下さるコメントに気持ちが救われています。
やらなかった時、きっと後悔してただろうってお言葉がいくつかありました。たしかに素通りしてずっと悶々とするよりは、助かってモヤモヤしてた方がマシだなって思いました。ありがとうございます。
以下気になったコメントについて。
→仰る通りです。ただ真冬のすすきのは警察官がその辺ウロウロして酔っ払いを拾って帰るので、恐らくわたしが出くわすことはなかったんじゃないかと思います。当時はそこまで寒い季節ではなかったので9〜10月上旬くらいだったかと記憶してます。
→多分立ち合ったら誰でもわかります。かなり真っ白で人間の色してませんでした。失禁直後に首触った時の感触と体温がゴムみたいで、数年前亡くなったおじいちゃんの遺体が過ぎり、余計に焦りました。生きててよかった。
→酔っ払ってました。フラフラで立てない感じです。わたしのスマホの充電が切れそうだったので「おじさんスマホある?」って聞いたら「どこだろ〜?落とした〜?」って言ってました。多分2人とも死にかけおじと同じくらい飲んでたんでしょうね。
わたしが焦る様子見てようやくただごとではないとわかってくれたのか、座ったまま介抱手伝ってくれました。
→怖すぎる世界線で震えました。普段から人気のない場所には行きませんが、気をつけます。
ちなみにすすきのは街頭の監視カメラかなり多いです。余談ですがひったくりされた時にすぐに犯人捕まりました。周りに通行人が多く、客引きやタクシーが見てる状況で、いざとなれば誰かに声をかけられるという環境だったからこそ動けたのかも知れません。
→ごめんなさい、気持ちの余裕がなかったです。場所を先に伝えたほうがいいってボーイスカウトで救急救命講習やったときに教わっていたので「〇〇に救急車一台下さい!」って咄嗟に言ってました。タクシーじゃないんだからもっと言い方考えるべきでした。
あの時は必死でおじさん死ぬな!って思ってたんですが、そのあと意識取り戻して救急隊と揉めるおじさんを見て「あれ…?元気じゃね…?私救急車呼んでよかったのコレ?」ってモヤモヤしてしまい、今回増田の存在を知って書きました。読んでいただきありがとうございます。
「お母さんが1週間前から具合が悪くて、今朝電話したら床で寝てるらしい。さっき電話したけど繋がらない。明日の朝救急車を呼ぼうとお兄ちゃんとお昼に話しした」
姉は結婚し地元を離れており、私は実家から歩いて5分のアパートに暮らしていたので何か知っているのではと
電話をかけたらしい。
が、私は母親が具合が悪いことすら知らなかった。
私は基本的にLINEとか電話の類が嫌いだし、当時仕事がパンク状態で参っており、会社とアパートを往復する以外は何も出来ないような生活を送っていて、
それ以前にそもそも母親のことが好きじゃなかったので接触を避けていた部分がある。
母親と同居している兄にも連絡を取っているが携帯は繋がらないし、勤務先の番号も知らないと。
おそらく急を要する状況だ。なんで姉と兄が今日じゃなくて明日救急車を呼ぼうなんて言ってお互い納得したんだろう?と思いつつ、
2人とも私と色んな部分が合わない事はこれまでの人生で散々あったのは分かってる、それはいいから自分が出来ることをしようと思った。
私は会議をキャンセルし、実家に救急車を呼び、電車で1時間かけて搬送先の病院にに向かった。
救急隊からの電話で朦朧としているが意識はあるとのことだった。
隣町の搬送先の病院で検査したところ、発熱があるためコロナの危険もありその病院で受け入れられないので、発熱外来のある大きな病院に行ってくれと言われ、救急車に母と一緒に乗り、そこに向かった。
久しぶりに会った母は全く意識が無かった。
9時すぎぐらいに発熱外来のある病院に到着し、母にコロナの恐れがあり、私も接触してる可能性あるので発熱外来専用のプレハブ小屋に隔離され、待っていてくれと言われた。
私はテンパって会社を出たためコートを忘れており、二十畳ぐらいあるプレハブで、部屋にいるのが私ひとりで暖房を全開にしても寒くてしょうがなく、スマホのバッテリーも切れてしまい、パイプ椅子にへたり込みながらつまらないテレビを見ていた。
11時ぐらいに兄がやって来たが、「頭痛いから帰っていい?」と言われた。
私も上司や取引先からのストレスで色んなところが具合悪いんだけどと思いつつ、兄と同じ空間で息を吸うのもイヤだったのでいいよと言って返した。
夜の3時、ようやく医師から母親の状況が敗血症性ショックで相当まずい状況、コロナが原因か他の病気が原因かわからないということを告げられ、すぐ集中治療室にうつすと言われた。
頭がぼーっとなり、誰かに話をしなきゃと思ったが、スマホのバッテリーが切れていたので出来なかった。
なぜかよくわからないがプレハブからICUの家族用控室に移動していいよと言われ移動した。
ICUの控室はテレビはないがソファーがフカフカでパイプ椅子とは雲泥の差だった。暖房もしっかり効いて快適だった。
朝になりとりあえず一旦帰っていいですよと言われて少し眠った。
10時すぎ兄から電話が来て病院から電話が来たので一緒に来てほしいと言われた。
タクシーで病院に向かい、一緒に医師から死亡した旨を伝えられた。
姉はどうしても抜けられない仕事があり病院に来るのが昼以降になるとのことだった。
11時頃、PCR検査の結果が出てコロナ陰性だと分かったので母親と面会できることになった。
ただ寝てるだけにしか見えず、死んでいるのが信じられなかった。