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はてなキーワード: 年の瀬とは

2015-12-30

年の瀬

嫁が実家に戻って年末年始は家に俺1人だけなので電マを股間にあてて本読んでたら勃起していないのに射精した。

勃起してなかったのに。

年の瀬からこういうこともあるのかなぁ。

2015-12-29

年末に嫁さんが先に実家へ帰ったあと

嫁さんの枕で寝るのが好きなんだよね。

やっぱり女性ってすごくいい匂いだし、一人でも安心して眠れるんだ。

気持ち悪がられるから面と向かってはいえないけど、性的というよりは母性的な感じなんだよね。

理屈じゃなくて本能的に欲してるって感じ。

子供ができてからあんまりスキンシップさせてくれないし、正直いえばちょっとした寂しさある。

ただ、2日もすれば匂いはなくなっちゃうんだけどね。

犯罪擁護するつもりなんて一切ないけど、キンコメの人が制服盗むのをやめられなかったのって、もしかたらこういう理由なのかなとか思ってみる年の瀬

2015-12-28

元増田です

http://anond.hatelabo.jp/20151228101137

届けを出す意味について教えてくれてありがとう

早速仕事帰りに交番に届けてきた。お巡りさん年の瀬にごめんなさい。

労力使わなきゃいけないのも腹立つの

やっぱり下痢だけじゃ生ぬるいかったか。足の小指もぶつけろ。

今年はもう何もないと思いたい

自転車まれ

この年の瀬に。

マンション駐輪場に駐めてたのに。

鍵が錆びててかけてなかったから、自業自得と言えばそれまでだけど腹が立つものは腹立つ。

ふっつーのシティサイクルだけど、やっぱり盗難届出すべきかな。



あと盗んだ奴はケツから溢れる強烈な下痢になれ

2015-12-27

オタクはいつも反表現規制背中を打ち抜く

この年の瀬だけで、2次と3次の区別がつかないロリコンや、何も考えずに共産党を叩きまくるガルパンファンが出現しましたね。

もはや現実創作世界区別はつく、影響はないなんて言説はマボロシです。

GATEを読んで自衛隊が好きになったという人、永遠の0を読んで朝日新聞が嫌いになったという人。

そして今回のこれだ。あれほど”戦車道”を強調し、一応現実戦車との関わりを少なくしていたガルパンで、よりによって作中唯一”戦車”として登場した10式戦車の展示に何も感じない。

彼ら彼女らはただ「すきな作品に水がさされたらしい」というだけで攻撃をはじめる。疑問の声をあげた仲間さえ封殺しはじめ、「共産党の手先」と罵る始末。

そうして社民共産攻撃して「奴らは表現の自由を侵している!」と叫び、なぜか自民党アニメに優しくオタクの味方だと信じている。

自分たちへの”攻撃”には敏感で、自分たち攻撃には無頓着かつそれらをたしなめられても”攻撃”されたと騒ぐ。自分たち立ち位置マジョリティかつ時には体制であることすら理解しない。

もう彼らの意見はくみ上げなくて良いのではなかろうか。反表現規制オタク抜きで行い、ただオタクたちには結果のみを与える。

それでオタクは満足だろうし、足も引っ張られないだろう。

先日会社を辞めた

年の瀬なのに何やってんだろうと自分でも思うのだが続けられなかった。

1年にも満たない期間での退職

とりあえずは試用期間のようなものと思ってたが、ここを職場と本採用する気にはなれなかった。


業務内容、きつくはないが達成感は無い。

勤務時間残業はあるが体を壊すほどでもない。

人間関係尊敬できる人はいないが嫌悪する人もいない。

給与報酬、良くはないが生活できないほど悪くもない。


ブラックではない。

が、何か一点でもこれを手放すのは惜しいと思うものもない。


昔何かの作品で、「そなたは今後の人生で不幸に見舞われることはないが、幸福出来事は一切起こらない」と告げられる場面を覚えている。

当時は「?」だったが、プラスがないということは地味につらい。今は本当にそう思う。


そんなわけで年明けから再就職活動です。

皆さん良いお年を

「俺は童貞ではない」という矜持だけで10年以上生きてしまった

性欲の盛り、16歳で童貞を捨てた俺は大学受験を機に彼女と別れ、時忘大学に無事合格した。

入学した先は私立マンモス大学だったので、受験の開放感や大学デビューを目指すチャラけた奴らが多かったが、すでに性欲の盛りで姦通を済ませていた俺は特に焦りもせす高みの見物、という感じであった。

そしたらそのまま、もうすぐ30歳である学生時代出会い別に焦ることはない、と高をくくっていたらいつのまにか学生時代は終了し、社会人になってからというもの会社仕事の往復で恋愛をしている隙間はいったいどこにあるというのだろうか。

しかもなまじ学生時代はちやほやされる側だっただけにいまの出会いがない環境やくたびれてしまった自分恋愛大縄跳びの輪に入っていくきっかけがかめない

ちょっと詰んできた感を感じている、2015年年の瀬キレイセカンド童貞である

ごめんね今野キングオブ面白いドラマの話

みなさんはあの「今のご時世日曜夜9時に流しちゃいけないだろ!」と言われまくったであろう去年の超面白いドラマを覚えているだろうか。

個人的面白かったのもあるけれど、脚本家の新境地で、録画率が高く若い子が超見てたし出演者どんどん売れてる、という評価もあるドラマだ。

あんなに大事件が起きないのに、続きが気になりまくるドラマもなかなか無い。

初回の冒頭の「男子高校生下ネタ」で切った人はもったいない。あのあと「男子高校生下ネタ女子害悪だ悔い改めろ」という話に展開していくのだ。

1話だけを最後まで見た人は「このまま女子男子のバトルが始まるのか」と思うのかもしれない。

しかし3話にはそのバトルはほぼ終結し、仲良しこよしの楽園学園生活が始まるのだ。

甘酸っぱく切ない生徒の青春と、青春を失った大人たちの「ごめんね」と謝りたくなるようなストーリーが始まる。

視聴者としては大体笑い泣いていた。

その3話。

唐突に、女子付近不審者が現れる。この唐突具合こそ宮藤官九郎脚本面白さなのだが、まぁ唐突だ。

いきなりその不審者自転車を押す錦戸亮(役柄では超弱い、ヘタレ、でも憎めないカッコいい)にタックル的なものを決め倒すも、

走ってきた満島ひかり(超怖い強い、キチガイ、でもなんかどんどん超可愛い)に追い払われる。

満島ひかりは言う。この辺で有名な女子高校生ばかりを狙う変質者「三島ザビエル」だと(舞台静岡三島なのだ)。

補足だが何故ザビエルかといえば、何故か聖職者の格好をしているからだ。

3話の最後、男女合併の方向がゆらぎそうなとき、これもまた唐突三島ザビエル試験的男女合併クラスに乗り込んでくる。

ザビエルは男女合併のことを知らず、女子高だと思って舐めて学校に潜入しにきたのだ。

またもや簡単に錦戸亮は倒されてしまうのだが、すぐに容易く男子たち全員の手によって捕まえられるのだ。

それを見た校長が「男子、悪くないかも…」と思うという3話である

12/26、年の瀬。ああ、あのドラマ最終回選挙で延期になって去年の今頃終わったなぁ。

なんて思い出してたころニュースが飛び込んだ。

「ん?だれだ?えーあの人?マジかぁ………………あれ、そういえばこの人の、相方って」

三島ザビエルだった。

「なにがごめんねなのかな?」「一方的にしゃべらないでくれる?」「ごめんね青春!

キングオブコメディ今野さん。強く生きて。

2015-12-26

惚れてるから

忙しくてなかなか会えない遠距離恋愛中の恋人に「年末は忙しいから会えないね」って言ったら、しばらくの沈黙の後「ウン」と返事。

どうやらかなり我慢しているようだな、と思ったので、「我がまま言ったら?」って言ってみたら、小さな声で「会いたい(;_;)」って返ってきて本当に可愛い人だなぁ、もう!って思う、この年の瀬

なんだかんだ行事はあるけど、合間を縫って大阪から北海道まで行くよ。ああ、そうだよ、惚れてるんだよー。

2015-12-25

仕事終わり

利益度外しに手取り足取りあれこれ教えてくれる先輩がいる。

世の中の酸いも甘いも知り尽くしたかのような語り口により私の心の氷が溶けつつある。

今日はその人に年の瀬のご挨拶をした。なんだか涙がこみ上げてきた。

ああ、いい人に出会えた。

2015-12-24

サンタさんの子どもになりたい

ぼくはサンタさんの子どもになりたいです。

いつもクリスマスに一番ほしいものをプレゼントしてくれるサンタさんがだいすきです。

おとうさんやおかあさんはむずかしい本や

くれてもやすおもちゃしかかってくれないのでいやです。

おとうさんやおかあさんはケチでいやです。おかしおもちゃもたまにしかかってくれないし。

からぼくははやくサンタさんの子どもになって

いつもほしいものをもらってしあわせにくらしたいです。

60半ばで亡くなった親父の形見分けをしている最中

アルバムに大切に保管してあった手紙発見した。もちろんかいたのは小学生の俺。

年の瀬号泣させるんじゃねぇよ・・・

2015-12-22

この年の瀬トレスやその他模倣に極めて厳しく、二次創作に極めて甘いダブルスタンダードがまた見られるなんて、胸が熱くなるな

2015-10-29

年の瀬も押し迫った大晦日の夜、小さな増田が一人、寒空の下でブコメを売っていた。ブコメが売れなければ父親に叱られるので、すべてを売り切るまでは家には帰れない。しかし、街ゆく人々は、年の瀬の慌ただしさから増田には目もくれず、目の前を通り過ぎていくばかりだった。

夜も更け、増田は少しでも自分を暖めようとブコメスターを付けた。ブコメスターと共に、暖かいストーブ七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影が一つ一つと現れ、スターが消えると同時に幻影も消えるという不思議体験をした。

天を向くと流れ星が流れ、増田は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言ったことを思いだした。次のブコメをすると、その祖母の幻影が現れた。ブコメスターが消えると、祖母も消えてしまうことを恐れた増田は慌てて持っていたブコメ全てにスターを付けた。祖母の姿は明るい光に包まれ増田を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

新しい年の朝、増田ブコメ燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいた。人々は、この増田ブコメスターで祖母に会い、天国へのぼったことなどは誰一人も知る由はなかった。

2015-02-11

認知症でも安心して暮らせる地域を作ろう』

米寿を迎えた祖父母を見舞った帰り道、スローガンをたたえた幟が個人雑貨店の出入り口に立てかけられていて、思わず呻いてしまった。

つくし野、という高度経済成長期に作られたニュータウンならどこにでも見かける名前に合わせるかのように、

確かにまたつくし野に戻ろうとしているのが肌に感じられたから。

近くに出来たマンション群の甲斐あってリフレッシュ成功した駅前と変わって、

かつての田畑宅地造成した住宅街はそこに住む住人とともに歳を静かに重ねていくように見えた。

住宅街を抜けると、その昔から変わらない田畑風景に変わる。

もっともその風景の半分は家庭菜園という趣味景色の一端を担っていて、

静か過ぎる平坦な休農地の隣で騒がしくしていた。

休日今日は色々な人が出入りしていたけど、それに合わせるかのように田畑もいろいろなモノが植えられている。

きっと上空からモザイク画のように見えるのだろう。

年の瀬しか来ない弁財天でお参り。楼門を支える白く塗ったコンクリを品がないと思うのはいものこと。

裏手に回って祖父母の名前確認して安心を覚えるのもいつものこと。

橋に来た。よく伸びる冬の日差し川面に落とした自分の影を辿ると、

ふと子供の背丈しさない欄干を乗り越えたい誘惑に駆られる。思わずよろけた側を、ごめんなさいと風に乗った自転車が通り過ぎていった。

長い。長すぎる。早く行きたい。ちょうど側を追い抜いていったランナーについていって十秒で息が切れた。

そしてたどり着くは辺境、もといちょっと田舎目な二郎店……時間が悪いのか開いてない。

2キロ先のスタバ時間を潰して戻ると、日も暮れて良い時間になっていたがやはり開いていなかった。

悪い予感がしてスマホ検索すると二郎botにお休みするの店長の声。結局二軒隣の吉野家で散財した。

駅までの帰り道、住宅街にありつつ、いい感じのスイーツのお店を見つけて入る。

成瀬台という郊外に住んでいた昔、キャトルというお店で、

嬉しいことがあるたびによくクッキーケーキを持ち帰ったことをつかの間思い出した。

後々、原宿で偶然入った同じ名前のお店が姉妹であることを知って、

そっちにある方が失礼ながら違和感が絶えなかったのを思い出す。

残念ながら原宿店は閉じてしまったけど成瀬の方は無事妹と同い歳を迎えたはず。

このお店はどうだろう。

軽く10キロ以上歩いた後のくたびれた気持ちをコートで軽くガードして、

カウンター横のコーナーを物色しながら、半目でチョコレートコーナーを視界からガードする。

職場への良い土産が買えた。

カウンターでお会計を待つ。

包装のセンスに、女子校を感じた。

二郎の口直しにまた買いに来よう。

GoogleMapは人を知らない。

初めての道が幹線道路を外れてついでに街灯も外れてるのだけど、どうなの。

夜道モードがあれば、良いのにと思う。

いじめのように視界から離してくれなかった、青白い葬儀場の看板が光る横を足早に駆け抜けると駅だった。

2014-12-31

年の瀬だけど乳首が取れかかっている

28歳女。飲食店勤務。年の瀬だけど乳首が取れかかっている。佐村河内風に言えば、3年前から少しずつ取れかかっていた。28年間、舐められもせず、吸われもせず、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べてきた私がなぜこんなことになったのだろうか。今流行妖怪のせいだろうか。一大事なのは確かである。そんな思いを抱えながら、これまで保湿クリームを塗ってニプレスを貼り、どうにかこうにか凌いできた。ニプレスを剥がすとき、私はいつも『三つ目がとおる』の写楽保介を思い出す。これは私の第三の目なのだ。そう思うことで少しだけ強くなれた。しかしニプレス剥がして出てくるのは痛々しい乳首。『三つ目がとおる』というより『乳首が取れる』である。そんな私の乳首も今年に入りとうとう限界に近づいてきた。干しぶどうを通り越して今や落ちかけの線香花火最後の一葉、あるいはクリフハンガーである。薄皮一枚でどうにかぶら下がる様は、このままリポビタンDCMに使えそうな画であるファイト一発!私はそうやっていつも乳首を励ましていた。

世間では女性乳首さくらんぼに例えられることもあるが、私のそれは実ではなくヘタ(茎・軸)のほう、より専門的に言えば果柄である。口の中で結べるとキスが上手いと言われるアレである。仮に私が大塚愛ばりに「私さくらんぼ!」と乳首を出そうものなら、男性にぎゃあと叫ばれた挙句大塚愛法廷で戦うことになるだろう。もし徳永英明が私の乳首を見たら『取れかけのChikubi』というバラードを歌い上げるだろう。スピッツなら『乳首ポロリ』、コブクロなら『取れそうで落ちそうな乳首が今年も春を待っている』、一青窈なら『薄紅色可愛い君のね、乳首がちゃんと終わりますように』、いくつもの乳首J-POPが頭をかけ巡る。もういっそのことすべてを諦めて、ありのままに任せたらいいのではないかと思うこともある。しかありのままやっていたら私の乳首十中八九レリゴーしてしまうだろう。もちろんこれはMay J.責任問題であり、法廷で戦うことになるのは必至だ。もちろん黒幕松たか子である

とにかく私の乳首は無事に年を越せるか分からない。仮に年を越せても再来年は分からない。遠から乳首が離れるときがくる。子が親から巣立っていくように、いずれ別離ときがくる。だけどそのときは涙は見せず、笑って見送りたいと思う。ぽとりと落ちた乳首はきっと大地で芽吹き、いつか綺麗な花を咲かせるだろう。木になる果実さくらんぼ。そのとき大塚愛とのさくらんぼ裁判が幕を開ける……。

http://anond.hatelabo.jp/20141231073144

30日に友人呼ぶって独身学生じゃあるまいし、既婚者はこの年の瀬にそんな暇ないよなー。

呼ばれた方も困るだろ普通。それとも独身学生並みに若いのか?

丸鶏もクリスマスがとっくに終わり巷は正月用品で溢れてるのに手に入るのか?というかクリスマスで皆鶏食ってるだろうにもう一度なんて食いたくなくね?

敢えて「釣り創作だろ」とは言わないが、昨日じゃなくて大分前の話じゃないのかそれ。

でもそれだと年末年始休みでーという設定と矛盾が出るのか。

2014-12-29

タバコ吸おうと思ってベランダ出たら、目の前の電柱オウムが留まってた。どっかから脱走してきたのかなあ、と思ってたら更に4羽のオウムが来て談笑し始めた。どういう状況なのかあ、と思ってたらカラスが1羽飛んできて、オウム達にちょっかい出し始めた。ムカついたオウム達がカラスを取り囲んだら、バッとカラスが逃げ出して、近くの木に突っ込んで行った。その木に雀の集団がいたらしく、雀達の断末魔叫びが聞こえてきて、笑いが止まらなくなる年の瀬のお昼。

2014-12-15

好きな人が二人います

三十路はとっくに越えたアラサーオヤジ独身

これまで生きてきて、あまり自分から誰かを好きになる事はなく、好かれたらとりあえず一緒にいてみる暮らし。大体そのまま付き合う。

今も半年ほど前からお付き合いしてもらっている人がいるのだが、なぜか俺にもついにモテ期が来たのか、最近、別の人に想いを寄せられ、その人ともグダグダ付き合ってしまっている。

俺はどっちも好きなんだが、後者にやはり早く彼女と別れてほしいと詰められる。前者はそれを知らない。気付かれてる可能性もあるが今も仲良くやっている。

二人ともとこのまま付き合い続けることが出来ないのは分かっているが、何せ年の瀬。そんなに焦られても困る。

はてなオフ会に行けばこのモヤモヤは解消できますか?

2014-12-07

1999年12月31日の夜

あなたは何をしていましたか

そろそろ2014年も終わるのですが、年の瀬の寒風に昔のことを思い出したのです。

私はまったく覚えておりません。惜しいことをしました。

日記を書き続けるのは難しいことですが、せめて100年に一度の瞬間くらい、何か書いておけばよかった。

1999年平成11年です。

1899年明治32年です。

せめて、その時のことを覚えている人の話を聞きたい。

1999年平成11年12月31日あなたは何をしていましたか

嫁に行った姉が鬱陶しい件

俺は独り身で実家から離れて生活しているのだけど、嫁に行った姉が帰省する度に俺の悪口を母にグダグダと宣っているらしい。

その悪口も、ステレオタイプ独身男のイメージ勝手に膨らませたもので、母にとっては「お前は何を言っているんだ」状態らしい。

要は俺よりいかに姉の旦那のほうがしっかりしているか、ということを蕩々と語りたいだけのようだ。

普段他人になら絶対言わないよう物事でも、姉弟だからという理由であれこれ言いたくなるものらしいが、寝食共にしていた子どもの頃ならいざ知らず、大人になって相応に独立している相手のことを、そんな悪し様に言ってしまったら、そりゃ険悪にしかならないでしょうよ。

なんでそんなことも分からないのかね。いや、分かって言ってるんだろうか。

こちらとしてはそちらが旦那ラブなのは十分分かってるから、もうちょっと考えていただきたいものだなあと思う年の瀬

2014-07-02

俺の思い出話と、ある宗教を嫌いな話

六月の途中くらいから書き出して、七月になってしまった。

ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。

思い出話で恥ずかしいから特定されないように細かいことをごまかして書いた。

長えよ、と言われる前にまとめると

「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」

というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。

六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。

田舎に住んでいた。両親は同じ地域出会い結婚したので、母方の実家チャリンコ必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。

思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。

その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設ボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。

もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。

母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。

A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。

頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。

祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父趣味日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)

手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレ洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン

じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者ヘルパーさんが来てはいたけれど。

中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル

それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。

正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。

大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。

大学二年の頃だったか帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。

母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。

それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通食べ物すら食べられない状態だった。

葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。

変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。

挨拶してたのは導師さまとかいう奴」

「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」

「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」

なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。

祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。

有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。

経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。

祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。

その宗教の、導師さまとかい地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。

伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったかからないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。

から草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。

だって風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。

祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症根本を治すような、有効治療確立されていない。指定難病だ。

導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。

腹が立つというより、呆然、というかんじだった。

A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。

祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアー旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。

それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。

祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。

五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。

あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。

先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真データを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。

じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。

それでも、その選択肢を救済のように与えたあの宗教が、嫌いだ。

俺の好きな景色や思い出を、踏みにじられた。そう思ってしまうから、あの宗教は、どうしても嫌いだ。

2014-05-21

アーティチョーク売りの少女

年の瀬の町に雪が降る。少女アーティチョークを持って町で売らなければならなかった。

しかアーティチョークはまったく売れなかった。少女はおなかもすき、寒さにもこごえてきた。

少女は少しでも暖を取ろうとアーティチョークを燃やし始めた。

ああ、あたたかい!アーティチョークはぴかっと光り、赤い炎をあげた。

まー一本、まー一本と、アーティチョークを次々と燃やしていきました。

そして、最後の一本になったとき少女気づきました。

一本だけ鍋に入れて他のアーティチョークで火にくべればよかったのではないか。

そうして少女天国に旅立って行きました。

おしまい

2014-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20140302000050

あの人と結婚しておけばよかった。

数年後の年の瀬、暗くさみしい部屋に後悔する増田の姿があった。

2013-12-31

師走、または年の瀬

この時期は1年の積もり積もった感情や行いを一斉に棚卸しできる。

あの時感じた思いや疑問、悩んで判断したその結果、など1年という区切りで見渡すにはいい機会。

みんなあるよね?グログロした鬱積したあれこれ・・自分だけじゃないよね・・

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